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21世紀の貨幣論
 [経済・ビジネス]

21世紀の貨幣論

フェリックス・マーティン/著 遠藤真美/訳
出版社名 : 東洋経済新報社
出版年月 : 2014年10月
ISBNコード : 978-4-492-65465-1
税込価格 : 2,808円
頁数・縦 : 429, 57p・20cm


【目次】
マネーとは何か
マネー前夜
エーゲ文明の発明
マネーの支配者はだれか?
マネー権力の誕生
「吸血イカ」の自然史―「銀行」の発明
マネーの大和解
ロック氏の経済的帰結―マネーの神格化
鏡の国のマネー
マネー懐疑派の戦略―スパルタ式とソビエト式
王子のいない『ハムレット』―マネーを忘れた経済学
正統と異端の貨幣観
バッタを蜂に変える―クレジット市場の肥大化
大胆な安全策
マネーと正面から向き合う

【著者】
マーティン,フェリックス (Mertin, Felix)
 オックスフォード大学で古典学、開発経済学を、ジョンズ・ホプキンス大学で国際関係学を学ぶ。オックスフォード大学にて経済学の博士号を取得。世界銀行に10年にわたって勤務し、旧ユーゴスラビア諸国の紛争後復興支援に関わる。現在、ロンドンの資産運用会社ライオントラスト・アセット・マネジメントでマクロエコノミスト、ストラテジストとして活躍。『21世紀の貨幣論』が初の著書となる。

遠藤 真美 (エンドウ マサミ)  
 翻訳家。

【抜書】
●ヤップ島(p1)
 ミクロネシア連邦の島。北緯9度、パラオ諸島から300マイル(約480km)以上離れた小さな群島にある。
 市場で取引される商品は、魚、ヤシの実、ナマコ(唯一の贅沢品)のみ。家畜はブタだけ。
 「フェイ」と呼ばれる、車輪のような形をした石の硬貨が用いられている。直径30cmから4mまで、大きさは様々。
 フェイは、実際に交換されることはない。取引から生まれる債務は取引の相手との間で相殺される。フェイを移動しなくても、所有権が承認されるだけでよい。沖に沈んだフェイも同様に扱われる。

●タリー(p26)
 12世紀~18世紀後半、イングランドではタリー(割符)が用いられていた。
 タリー……木の棒。ほとんどがウェストミンスター宮殿近くのテムズ川沿いで育ったヤナギから採取。ヤナギの木目には特徴があるので、偽造はほぼ不可能だった。財務省に対する支払い、財務省からの支払いの詳細が彫られていた。
 支払の詳細が記録されたタリーは、木片を縦半分に割り、取引の両方の当事者がそれぞれ保管。債権者の側の半片は「ストック」、債務者側の半片は「ホイル」と呼ばれた。
 1782年に議会法が成立してタリーの制度が公式に廃止された。実際に議会法が施行されたのは1826年、最後のタリーが紙幣に取り換えられたのは1834年。

●アイリッシュ・パブ(p32)
 1970年5月1日、アイルランドで銀行が封鎖される。従業員との労使対立が原因。
 支払いの大部分が小切手で行われていたので、硬化や紙幣の流通が止まってもそれほど不便は生じなかった。「総貨幣量のうち、約三分の二を当座預金残高が占め、残りが紙幣と硬貨である」(アイルランド中央銀行の報告書)。
 1970年11月17日に銀行再開。この間に振り出された小切手は50億アイルランド・ポンド以上。
 アイリッシュ・パブなど、コミュニティの核となる小さな店がシステムの接合点(ノード)となる。小切手を集め、裏書きし、清算する代用銀行システムのような働きをする。小切手を切る人の信用力を審査。

●マネーの三つの基本要素(p40)
 マネーの本質に関する先入観……マネーシステムが機能するために通貨が不可欠で、商品貨幣は「交換の手段」として機能した。 
〔 しかし、ヤップ島のような原始的な経済でも、現代のシステムとまったく同じように、通貨とは実体的な裏付けのない表象的なものであることが明らかになった。通貨の根底にある信用と清算のメカニズムこそが、マネーの本質なのである。〕
 〔マネーは、交換の手段ではなく、三つの基本要素でできた社会的技術である。〕
 (1)抽象的な価値単位の提供。
 (2)会計のシステム。
 (3)譲渡性。

●暗黒時代のギリシャ(p50)
 暗黒時代のギリシャ……BC1200頃~BC800頃。BC2千年紀に栄えたクノッソス、ミケーネの宮殿文明が突然崩壊。BC8世紀半ばに都市国家群が出現するまでの4世紀間。粗野で文字のない部族社会に逆戻り。
 古代メソポタミアと同様、暗黒時代のギリシャでは、お金を使っていなかった。

●国際単位系(p68)
 1960年10月14日、国際度量衡総会にて、国際単位系(SI)が採択された。国際度量衡局が発案し、国際度量衡委員会が受理。
 国際単位系……メートル(長さ)、キログラム(質量)、秒(時間)、ケルビン(温度)、カンデラ(光度)、アンペア(電流)
 単純化、標準化、抽象化……「革命の三条件」。〔世界で通用する測定単位が発明され、それが現代のグローバル経済を緊密に結びつける中心的な役割を果たし、人間の思考を劇的に発展させた。〕

●マネーの誕生(p84)
 古代ギリシャに、レバント地方のフェニキア人によって文字や数字がもたらされた。最古の文字の考古学的資料は、イスキア島で発見された杯。BC750~BC700に作られ、3行の詩が刻まれていた。
〔 この新しい技術がギリシャ文化に与えた影響は大きかった。紀元前650年からの100年間に、過去に例を見ない知的革命が起きた。物事を定量化し、記録して、書かれていることをよく考え、批判する新しい能力を獲得することで、思考が開放されたのだ。〕 
 BC585年、ミレトスの哲学者、タレスが日食を正確に予言。宇宙は自然法によって支配されているという説を唱える。
 神々の気まぐれが世界の様々な現象を起こすという、主観的世界観を否定。人格を持たない法則に支配される客観的現実が存在するという科学的な見方が生まれる。社会も同様に、客観的な社会的現実が存在すると考えるようになる。
 ギリシャの生贄を分け合う儀式……個人は部族の一員として等しく認めれらる。「社会的価値」という概念を生み、それを共同体の全員に等しく与える。 ⇒ 普遍的な価値の原始的な概念=「マネーの基本要素(1)」。
 メソポタミアの、文字と数字の発見から生まれた会計制度=「マネーの基本要素(2)」。
 BC6世紀初頭、貨幣単位が使われていた。サモス島のヘラ神殿への献納を記録した碑文に、献納物が貨幣価値で記されていた。
 同時期、アテネでも、イストミアの大祭の優勝者に100ドラクマ、オリュンピアの大祭の優勝者に500ドラクマが与えられていた。

●最古の硬貨(p92)
 最古の硬貨……BC6世紀初め、リディアとイオニアで鋳造された。
 経済的価値という新しい概念を表象する理想的な手段として硬貨を活用したのは、エーゲ海周辺の古代ギリシャの都市国家。BC6世紀末。
 硬貨はギリシャ全世界に急速に普及、BC480年頃には、100箇所近い鋳造所が作られた。

●稷下学宮(p115)
 BC4世紀半ば、斉の桓公、首都の臨淄(りんし)の新しい学校、稷下学宮に一流の思想家たちを招いた。
 国を治め、敵を破る最善の策を桓公に授ける。シンクタンクの先駆け。
 全盛期には、76人の学者と数千人の学生。
 『管子』……新しい貨幣論、マネーシステムを説く。
 マネーは、主権者つまり君主の道具である。貨幣鋳造特権(シニョリッジ)。「先王は貨幣を利用して富と財の確保をはかり、それをもとにして人民の経済生活を制御し、天下を治めたのである」。
 貨幣の価値は代用貨幣として使われている商品の本来の使用価値とは関係ない。貨幣の価値は、入手可能な財の数量に対する貨幣の流通量に直接比例する。
〈君主のとる政策〉
 (1)デフレ政策……「国の貨幣の一〇分の九は君主の手にあり、一〇分の一が人民の手にあるということになれば、貨幣の価値が上がり、万物の価格は下がる」。
 (2)インフレ政策……君主が貨幣を用いて万物を買い入れれば、貨幣は下に流れ、物資は君主のもとに積みたくわえられて、万物の価格は騰貴して10倍になる」。
〈貨幣鋳造特権の効果〉
 ・富と所得を国民の間で再分配することを可能にする。
 ・経済活動を管理し(金融政策)、調和のとれた社会を築く。

●リヨンの大市(p143)
 ローマ時代から、リヨンで年4回、大規模な交易市が開かれていた。16世紀半ばには、ヨーロッパ最大の国際市に。
 四半期ごとに大商会の一団がリヨンの大市に集まり、帳簿を清算するようになった。
 大市の3日目には、為替銀行業者だけが集まって「コント」を作成した。
 コント……エキュ・ドゥ・マルクとヨーロッパ各地のソブリンマネーとの為替相場表。
 
●イングランド銀行(p177)
 1694年、イングランド銀行設立。官民パートナーシップ。「マネーの大和解」。
 国王は、イングランド銀行に銀行券を発行する権利を与える。
 銀行の設計、統治、運営は商人階級に委ねる。
 ソブリンマネーとプライベートマネーの融合。
 サー・ジェームズ・ステュアート「(イングランド銀行の)支配原理であり、信認の基礎であるのは、商業信用である」。
 アダム・スミス「イングランド銀行は安全性の点でイギリス政府と同等である」。

●ジョン・ロック(p189)
 地金としての銀の価値が、銀貨に含まれる銀の価値を上回る。硬貨の削り取り、溶解、海外流出が横行。大蔵省のウィリアム・ラウンズは、銀の含有量を2割削減する改鋳を提案。
 ロックは、1695年12月、議会に招聘され、意見を求められる。
 貨幣には貨幣に含まれる銀と同一の価値がある。銀の法定重量を満たす硬貨に鋳造し直す改鋳を行うべきである、と主張。
〈結果〉
 ・470万ポンド相当の硬貨が国庫に回収されたが、再鋳造された時には250万ポンドの銀貨しか作れなかった。回収前より流通量が減った。
 ・期限までに軽量硬貨を交換できなかった市民による暴動が起きた。
 ・海外での地金としての銀の価値が上回ったので、すぐに輸出され、イングランドはデフレーションに突入。

●硬貨の額面価値(p195)
 〔硬貨に含まれる銀の重量と額面価値の間に固有の関係性はない。過去にあったこともない。(中略)貨幣の価値を決めるのは、硬貨の素材ではなく、硬貨の額面価値を定める主権者の信用力と権威だった。〕

●マネーの約束(p210)
 伝統的社会では、社会的構造が固定され、社会における地位の移動は困難である。
 マネー社会では、地位を移動させる可能性が生まれる。社会や経済が伝統という縛りから開放され、野心やイノベーションが次々と生まれた。 
〔 マネーが約束したのは、移動と安定、自由と確実性を結合させて、社会が無政府的な混乱に陥らないようにするということだった。そして、貨幣は債権と債務の名目価値を固定する。社会の安定を実現したのが、マネーの基本となるこの公理だった。社会的義務が破壊されると、そこに金銭的義務が取って代わり、債務が積み上がった。ここで重要になるのは、社会的義務とちがって、債務は「一掃」されないということだ。〕
 
●マネー社会の歯止め(p237)
〔 物欲、金欲、地位欲に対する歯止めがないのは、最古の社会的技術であるマネーを形作る思想と因習に根源がある。マネー社会の生活は、共通の経済的価値という概念、すべてのものを経済的価値に換算する因習、その価値をある人から別の人へと譲渡する分権型のシステムと切っても切れない関係にあることを、ギリシャ人はわかっていた。マネー社会の生活とそれ以前の社会的、経済的生活とを区別するのは、こうした概念にほかならない。〕

●スパルタ(p240)
 スパルタは、マネーを必要としなかった。
 スパルタ……好戦的な全体主義国家。この政治体制は4世紀以上続いた。7歳になると厳格な軍事訓練を課せられ、12歳になると家庭を離れ、集団生活に入る。因習、伝統、固定観念に染まった超統制社会。社会のイノベーションは必要なかった。

●ジョン・ロー(p263)
 ジョン・ロー、スコットランド人の企画屋(プロジェクター)エジンバラの裕福な金匠の息子。幼少の頃から数学の才能を発揮。
オルレアン公フィリップを説き伏せ、仏史上初の発券銀行となるバンク・ジェネラルを設立。外国為替銀行のネットワークを構築、この紙幣を海外貿易の決済に使えるようにする。
 1718年12月、バンク・ジェネラルは国有化され、バンク・ロワイヤル(王立銀行)に改組。フランスで「不換」紙幣(フィアットマネー)を導入した。
 1717年、通称「ミシシッピー会社」(西方会社。のち、インド会社)を設立し、フランス領ルイジアナの開発権を手に入れる。フランス公債保有者に、同社の株式と交換するよう喧伝。
 1719年、王令公布、金と銀がフランス王国の法貨の地位を失い、バンク・ロワイヤルの銀行券がその地位に。バンクマネーの優越性と不換紙幣本位制が確立される。
〔 スパルタ式の戦略とソビエト式の戦略はマネー不信が根底にあり、貨幣を廃止したり使用を制限したりしようとした。これに対し、ジョン・ローは、野心と起業家精神を解き放つ能力こそがマネーの最も価値のある特性だと考えていた。ローが疑っていたのは、貨幣のもう一つの約束のほうだった。社会の移動性と、固定された金銭的義務が提供する安全と安定の両方を実現するという約束だ。
 そのためローは、共通の経済的価値という概念の使用を制限するのではなく、経済的価値を測る標準を柔軟に変えられるようにして、不可能を可能にしようとした。これこそが「システム」の究極の目標だった。
 矛盾する貨幣の二つの約束にはリスクが内在している。君主が実現不可能な支払約束をして、リスクをベールで覆い隠すのではなく、マネーを使うすべての人にリスクをはっきり示して、それをすべて負わせるという、新たな和解を成立させるのである。〕

●ヨベルの年(p280)
 レビ記。借金は、50年ごとに帳消しにするように記されている。
 「その50年目に、国中のすべての住民に自由をふれ示さなければならない。この年はあなたがたにはヨベルの年である」。

●クエーカー教徒(p291)
 イギリスの産業革命で財を成した起業家の中に、キリスト教友会(クエーカー教)の教徒がたくさんいた。プロテスタントの一派。
 クエーカー教徒……ひと目でクエーカー教徒とわかる服を着て、特有の言葉遣いをし、教徒同士の結びつきを強めた。教徒同士での結婚を奨励。商業活動に必要な、仕事の確実さ、信頼関係、読み書き能力、数学の基礎知識を備えていた。特に銀行業に強み。
〔 経済の中でこうした資質が何よりも役に立つ領域が銀行業だった。暗黙の信頼関係で結びつき、内なる心情を拠り所とする排他的な商業集団は、プライベートマネーのネットワークが反映する理想的な環境にあった。そのため、クエーカーが銀行業で他の領域を凌ぐ成功をおさめていたのも驚くことではない。今日でも、イギリスの四大銀行のうち、ロイズとバークレイスの二つはクエーカー教徒が設立したものだ。〕

●ブラックフライデー(p300)
 ブラックフライデー……1866年5月9日(金)15:30、手形仲介業者オーバーレンド・ガーニー商会株式会社が支払いを停止、恐慌に発展。

●ウォルター・バジョット(p304)
 ウォルター・バジョット『ロンバード街――金融市場の解説』1873年。
 バジェットは、イギリス西部最大の銀行を経営していたおじの下で銀行員として働いた後、金融ジャーナリストに転身。知識はすべて実地に学んだもの。
 バジェットの経済学……(1)マネー、銀行業、金融を出発点とする。この三つが現代経済学システムを支配する重要な技術。(2)マネー経済の現実に合わせて理論を構築するべきであって、理論に経済を合わせるべきではないと主張。
 マネーの本質は、経済学者が主張する交換の手段ではなく、譲渡可能な信用にある。
 イングランド銀行改革案……(1)一株式会社であるイングランド銀行を、公式にマネーのピラミッドの頂点にすえる。中央銀行としての位置づけを明確にする。(2)政策として、最後の貸し手としてのイングランド銀行の役割を、法で定めた責任とするべきである。
 予防的な金融政策の原則……(1)恐慌期には、イングランド銀行は大衆に対して、自行の準備から自由に、また積極的に貸し付ける。(2)最後の貸し手として、支払不能に陥っている者と、恐慌下で流動資産が不足しているだけの者とを厳密に区別するべきではない。(3)モラルハザードを防ぐため、緊急時の貸付は非常に高い金利でのみ実施する。

●現代の銀行システムの矛盾(p359)
 (1)富裕層対貧困層……銀行が危機に陥って救済する際、救済される側(銀行)と資金を提供する側(国民の税金)との共存関係が崩れてしまっている。銀行(富裕層)が利益を得て、国民(多くの貧困層を含む)が損をする。
 (2)金融の国際化により、銀行への資本注入が、外国の債券保有者のツケを自国の納税者が払っていることになる。

●現在の銀行システムの改革案(p391)
 (1)モラルハザード問題の解決策として、納税者、銀行、投資家が負うことになるコストと便益を、今よりも正しく対応させる。投資する個人のリスクをもっと高める。
 (2)国が、金融政策をとる余地を最大限に確保しなければならない。〔貨幣の標準を調整して圧力を逃す安全弁を民主的政府が制御するかぎり、マネーは存続されるべきである。〕
 (3)規則をできるかぎり少なくし、それを厳格に運用し、それ以外の部分では自発的な取り組みやイノベーションを奨励する。「過ぎたるは及ばざるがごとし」を旨とする。〔マネーは人類のアニマルスピリッツを解き放つ史上最高の発明であり、そうすることがかつてなく求められている。〕

(2014/11/30)KG

〈この本の詳細〉


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コメント 1

Laurie

Thanks for finally talking about >21世紀の貨幣論:ゆうどうの読書記録 <Loved it!
by Laurie (2021-08-04 09:23) 

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