広辞苑はなぜ生まれたか 新村出の生きた軌跡
[文芸]
新村恭/著
出版社名:世界思想社
出版年月:2017年8月
ISBNコード:978-4-7907-1703-4
税込価格:2,484円
頁数・縦:236p・20cm
末孫による、新村出の伝記。特に、『広辞苑』編纂の顛末について1章を割く。
【目次】
1 新村出の生涯
萩の乱のなかで生を享ける―父は山口県令
親元離れて漢学修業―小学校は卒業してない
静岡は第一のふるさと
文学へのめざめ、そして言語学の高みへ―高・東大時代
荒川豊子との恋愛、結婚
転機、欧州留学
水に合った京都大学―言語学講座、図書館長、南蛮吉利支丹
戦争のなかでの想念
京都での暮らし―晩年・最晩年
新村出が京都に残したもの
2 真説『広辞苑』物語
『辞苑』の刊行と改訂作業
岩波書店から『広辞苑』刊行へ
『広辞苑』刊行のあとに
3 交友録
徳川慶喜の八女国子―初恋の人
高峰秀子
佐佐木信綱
川田順
そのほかの人びと
【著者】
新村 恭 (シンムラ ヤスシ)
1947年、京都市の祖父新村出の家で生まれる。名古屋で育ち、1965年、東京都立大学人文学部入学。1973年、同大学院史学専攻修士課程修了。岩波書店、人間文化研究機構で本づくりのしごとに携わる。現在、フリーエディター、新村出記念財団嘱託。
【抜書】
●静岡(p24)
明治に徳川家と幕臣が家康ゆかりの駿府の地に、江戸から移された。同地にあった諸藩は、安房国と上総国に移された。
徳川家は新しい藩を作り、家達が藩主となった。府中藩。
しかし、府中藩はすでに他所にあったので、明治政府から改名案提出を求められる。
賎機山(しずはたやま)の麓に藩庁があったので、「静」「静城(しずき)」「静岡」の三つの案を出し、「静岡」に決まった。
●日本語教師(p50)
新村出は、大学院時代から数年間、多数来日していた清国の留学生を対象に日本語を教授した。
明治32年(1899年)9月、東京帝国大学大学院入学、国語学専攻。明治33年10月、東京帝国大学文科大学助手。
●図書館長(p80)
明治44年(1911年)、欧州留学からの帰朝2年後、京都大学の図書館長に任命される。3代目、教授(帰朝直後に就任)との兼任。
昭和11年(1936年)10月の定年退職まで図書館長を務める。丸25年、教授兼任で図書館長。
●三然主義(p126)
晩年、自らについて「三然主義者」とかたる。
自然を愛し、偶然を楽しみ、悠然と生きる。自然・偶然・悠然をモットーとする。
●美意延年(p136)
〔 いずれにしても、最晩年の出は、父母、家族・親類の恩、多くの社会の人びとの恩、国主(出は徳川家を旧主、天皇を新主としていた)の恩、自然への恵みとそれへの恩、さらに師恩に感謝しながら、決して無理をせず、「美意延年」、意(こころ)を美(たの)しましめて年を延べる生き方をした。〕
新村家応接間には「美意延年」の扁額があった。
原典は荀子。
●溝江八男太(p159)
溝江八男太(やおた)、『辞苑』(博文館)の実質的な編者・執筆者。
岡書院社長の岡茂雄からの辞書編纂の申し出の条件として、溝江の協力を挙げた。出の東京高等師範の教え子で、京都府立舞鶴女学校の教頭を退いて福井に隠棲中だった。
東京高等師範では、『大日本国語辞典』(冨山房、大正4-8年)の編者松井簡治にも教わっていた。
●新村猛(p171)
『辞苑』(博文館)改訂版では、次男の猛が詳細に手を加え、進行が遅れた。
〔もし猛が参画しなかったら、昭和一六年に『辞苑』改訂版が刊行された可能性が高い。そうだとすれば、戦後、『辞苑』の改訂新版としての『広辞苑』が生まれていなかったかもしれない。治安維持法違反の廉で収監(禍)→辞書改訂、制作の新しい力が新村家に生じる(福)→猛の参画によって改訂版刊行できず(禍)→出との関係がよくなかった博文館から岩波書店に移ることができた(福)。戦後のなかで生じたことであるが、真に「禍福はあざなえる縄のごとし」のことわざどおりであった。〕
●新村出編の国語辞典(p173)
『言林』全国書房、昭和24年3月
『小言林』全国書房、昭和24年9月
『ポケット言林』全国書房、昭和30年4月
(『言林』は、のちに小学館からの刊行となる)
『国語博辞典』甲鳥書林、昭和27年4月
『新辞林』清文堂、昭和28年10月
『新辞泉』清文堂、昭和29年10月
『新国語辞典』東京書院、昭和31年2月
すべて、溝江が主任的な位置にあって制作。やや小型の「学習用」辞典。
●新辞苑
『広辞苑』は当初、「新辞苑」の書名で出そうとしていたが、博文館の後継社の博友社で登録してあったので、『広辞苑』となった。
●小学館(p179)
昭和28年9月20日、小学館の人が出を訪問。「小学校児童向きの美しき絵本雑誌教科書など合わせて二十冊持参。かくて『辞苑』の刊行を求む。経過実情を陳して拒否す」(日記より)。
『言林』の序文と、「辞書に苦楽す」(『図書新聞』昭和25年1月10日号)にて、『辞苑』の改訂と刊行未遂の件を明らかにしていた。
(2017/10/28)KG
〈この本の詳細〉
丁寧に読んでいただいて感謝。
by 新村恭 (2022-02-04 10:36)
新村さん、コメントありがとうございます。ブログを読み直してみたら、肝心の『広辞苑』初版発行年が書いてありませんね。1955年(昭和30年)でした。
by ゆうどう (2022-02-10 12:42)