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理不尽な国ニッポン
 [社会・政治・時事]

理不尽な国 ニッポン
 
ジャン=マリ・ブイス/著 鳥取絹子/訳
出版社名:河出書房新社
出版年月:2020年3月
ISBNコード:978-4-309-20795-7
税込価格:2,750円
頁数・縦:371p・19cm
 
 フランス人らしく(?)抽象的で具体例に欠き、わかりづらい箇所が多い。この人は、日本・日本人について肯定的なのだろうか、否定的なのだろうか? 自己韜晦的な書き方が、本人の主張を分かりづらくしているようだ。翻訳の良し悪しもあるだろうか?
 誤解というか、極端な例を典型的な現象として論じている箇所も散見される。日本在住通算20年の知日派でさえも、日本に対するステレオタイプな見方から逃れられない面もあるのだろう。
 
 また、19章では、宗教に関して論じている。儀式に対する日仏の違いについてである。フランスは宗教の否定とともに儀式も否定したが、日本では儀式だけは残った。
 
 なお、ずっとシニカルだったが、最後は明るい展望が示される。ジェンダーに関する記述が多いのにうんざりしながら読んでいたのであるが……。男女同権には賛成だし、社会的な役割の平等も必要だろうが、生物的な役割の違いという超えられない壁も存在する……。そう思いながら読み進めるうち、「ジェンダー間の契約」という、日本独自の在り方が、世界のモデルになり得る、という展望を最後で語っていた(p.345)。しかし、それも現在では崩れつつあるのだが。紙オムツと電化製品が、ますます夫婦共稼ぎを促進するであろう。
 
【目次】
それほど完璧ではない国
社会をつくる日本人製造工場
国をつくる―まかり通る欺瞞
フランス人は分裂、日本人は団結―宗教とメディア
日本はどこへ…?基本と間違い
日本は復活できるのか?―将来への道すじ
 
【著者】
ブイス,ジャン=マリ (Bouissou, Jean-Marie)
 1950年パリ生まれ。歴史家で専門は現代日本。フランスの名門パリ高等師範学校(ENS)出身。1975年、リセ・フランコ・ジャポネ・ド・東京(現在の東京国際フランス学園)に赴任する(1979年まで)ために初来日。東京大学をはじめとする日本の著名大学で教鞭をとり、現代日本の政治や経済政策についての著書を数多く発表する。1982年から1984年まで、東京日仏学院(現在のアンスティテュ・フランセ東京)付き研究員を務め、九州日仏学館(現在のアンスティテュ・フランセ九州)の館長となる(1984~1989年)。1990年、パリ政治学院研究科長に就任するために、フランスに帰国。日仏を往復するほか、各種の大学で教鞭をとる。2013年、パリ政治学院日本代表に就任して再来日、現在に至っている。
 
鳥取 絹子 (トットリ キヌコ)  
フランス語翻訳家、ジャーナリスト。お茶の水女子大学卒業。
 
【抜書】
●オーウェル(p86)
〔 保育園まで歩く一二分間のあいだ、社会は私と息子を一瞬たりとも見放さなかった。通りではたえず、日本風に共に生きるにはどうすべきかを思い起こさせてくれた。危険と思われるものにはすべて注意し、協力して、情報を伝え、共同体を作り、そこに少しの優しさを加える……。つねに同じメッセージが、形を変え品を変えて、いたるところになる。
 日本を離れた人にこれら表示の話をすると、「日本人は誰も見ていない。風景の一部になっている」と反論される。たしかにそうだがしかし、それだから全員の頭のなかに入っているのではないだろうか。町では、すべてが意味をなし、すべてが同じ方向に向かっている。そこに見えるのは、ジョージ・オーウェル(一九〇三-一九五〇)が『一九八四』(一九四九年刊)で描いた、すべての行動が当局によって監視される社会の、執拗なデマ宣伝のようでもある。しかし、西欧人の目にはオーウェル派がいかに危険に見えても、私が住む界隈は静かで安全、人々は団結して好意的、そのうえ、世界中から来る学生たちは楽しく活気に満ちた学生生活を送っているのである。〕
 
●自由(p95)
 フランスの人権宣言では、「法律によって禁止されていないすべての行為は妨げられず」(第五条)と明言している。
 日本の学校の規則では、「明確に許可されていないことはすべて、暗に禁止である」という原則がある。
 
●緩やかに減速(p339)
〔 矛盾するようだが、現在の日本の弱点が、一九八〇年代の高度成長期のようにこの国を再び世界のモデルにする可能性があるかもしれない……。そのためには、現在をどう捉えるかが決め手となる。衰退期と見て再び発展しようとするのではなく、成熟するためには避けて通れない一つの段階と見て教訓として受け入れ、よりよい新しい未来を創案しなければならないだろう。それには当然、これまでのような「つねに先へ、何としても」という機械的な考え方を断念し、「少ないもので、よりよく」の方向へ転換することが必要だろう。つまり、再び急成長する夢はもう見ずに、それよりは緩やかに減速するモデルになるのである。これは地球の資源が希少になっていくなかで、いずれ人類が突きつけられる問題のモデルにもなるだろう。
 一五年前、私が――すでに――高齢化問題を提起したとき、日本人の友人はたいていこう言った。「これは進化した社会の自然の問題だ。フランスもそうなるだろう。そうなったら、どうしたらいいか私たちが教えてあげよう」。目的として目指すのは「人口一億人で、それぞれに居場所がある日本」だ。そうなると安倍氏は指導者として、私たちが思っているより明晰だったことになるだろう。まず、人工知能を組み合わせれば現在の多くの雇用が不要になり、人手不足を解消することになるからだ。ついで「少ないもので、よりよく」という目的で、日本の人的資源を有効に活用すれば、女性の潜在力を解放することになるからだ。しかしまた、移民政策がうまくいけば、破壊的になる年齢的な人口構成を防ぐモデル例ともなるだろう。もし日本がそれに成功すれば、再びかつてのように欧米人にとってもモデルとなるのである。〕
 
●ジェンダー間の契約(p345)
 欧米の女性問題活動家にとっては、男女平等は「契約」ではなく、「権利」。交渉で勝ち取るべきものではない。
〔 近代化以降の日本社会は、ジェンダー間での非公式ながらも明快な契約の上に成り立ってきた。その関係は、ほぼ一生続く結婚の枠組みで秩序立てられていた。男性は仕事で一家の生活をまかない、女性は家庭を守って子どもを育てる契約で、女性は一家の財布の紐も握っていた。妻が夫に小遣いを渡すという、昔ながらの伝統はいまも残っている。性に関しては普通の欲望の一つと見られており、家庭の安定と評判に悪影響がなければ、お互いに比較的自由である。ロマンチックではないが、しかし強固である。この契約は、男性を仕事の世界に閉じ込めて疲労困憊させ、そのせいで彼らの社会参加はほぼ限定されている。いっぽう女性には二つの分野を支配する責任が与えられている。一つは社会生活全般での責任で、これは精神的な満足感が伴うものだ。もう一つは物質面での責任で、こちらは男性が仕事人生で取得するもので価値が決まっていた。たしかに代償はあり、女性は結婚した男性とその運命から逃れるのはほとんど不可能だった。〕
 
●少なめモード(p361)
〔 少子化問題以上に、日本の社会は現在、フランスと比べて「少なめモード」になっているようだ。少しの要求と、少しの期待、したがってストレスも少ない。対立する要因も少なく、格差が目に見えて増えているにもかかわらず、表立った分断も少ない。思想のぶつかり合いよりは黙して語らずを優先し、オープンな議論や意見の違いを操作し、瞬間性のツイッターのほうに時間をかける。その安定した日常はうらやましいほどだ。だからといって、貧困や不安定な生活、幻滅した若者世代の悲観主義を隠すことはできていない。しかし、日本の文化が不幸や不満を公言するのを思いとどまらせることを理解すれば、日本人多くは日々、絶望するほどの不満はなくとも、多くを期待せずに生きているのは確かだろう。だから、世界が変化しているのは意識していても、憤りもなく、物事を急いで変えようという意思もないのである。〕
 
【ツッコミ処】
・2020年生まれ?(p346)
〔 時とともに、この非公式な契約は女性の利に沿って変化した。多くの女性は現在、責任を持つ子どもは一人しかいない。使い捨てのオムツと冷凍食品、プログラミングのできる電化製品で、家事の負担は著しく減った。長男の妻に課せられた高齢の儀父母の世話も、だんだんと廃れている。加えて、契約に同意しない女性の数が増えている。もはや一九七〇年以前生まれの女性の一五%は結婚していないのだ。それが二〇〇〇-二〇二〇年生まれの世代になると二五%で、さらにはもっと増える可能性があるだろう。〕
  ↓
 2020年生まれは、本書執筆段階ではまだ生まれていないが??
 25%というのは、将来の予想の数字か? そういえば、「もっと増える可能性」とあるから、仮定の話ということなのだろう。きっと、誤植ではない。
 
(2020/9/19)KG
 
〈この本の詳細〉

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