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室町は今日もハードボイルド 日本中世のアナーキーな世界
 [歴史・地理・民俗]

室町は今日もハードボイルド: 日本中世のアナーキーな世界
 
清水克行/著
出版社名:新潮社
出版年月:2021年6月
ISBNコード:978-4-10-354161-5
税込価格:1,540円
頁数・縦:253p・20cm
 
 主に室町時代を舞台とした日本中世の知られざる世界を、信頼できる史資料を根拠にして描く。
 戦国時代に興味を持つ人、戦国武将に詳しい人はそれなり多いと思う。しかし、その直前の中世となると心もとない。本書には、疎かった中世の社会生活、文化、風習が、具体性をもって描かれている。ムラや荘園の庶民の生活を垣間見ることができて興味深い。為政者を中心とした政治史と異なり、登場人物のややこしい系図や人間関係を覚えなく済むのうれしい。
 
【目次】
第1部 僧侶も農民も!荒ぶる中世人
 悪口のはなし―おまえのカアちゃん、でべそ
 山賊・海賊のはなし―びわ湖無差別殺傷事件
 職業意識のはなし―無敵の桶屋
 ムラのはなし―“隠れ里”の一五〇年戦争
第2部 細かくて大らかな中世人
 枡のはなし―みんなちがって、みんないい
 年号のはなし―改元フィーバー、列島を揺るがす
 人身売買のはなし―飢身を助からんがため…
 国家のはなし―ディストピアか、ユートピアか?
第3部 中世人、その愛のかたち
 婚姻のはなし―ゲス不倫の対処法
 人質のはなし―命より大切なもの
 切腹のはなし―アイツだけは許さない
 落書きのはなし―信仰のエクスタシー
第4部 過激に信じる中世人
 呪いのはなし―リアルデスノート
 所有のはなし―アンダー・ザ・レインボー
 荘園のはなし―ケガレ・クラスター
 合理主義のはなし―神々のたそがれ
 
【著者】
清水 克行 (シミズ カツユキ)
 1971年生まれ。明治大学商学部教授。歴史番組の解説や時代考証なども務める。著書のほか、ノンフィクション作家・高野秀行氏との対談『世界の辺境とハードボイルド室町時代』(集英社文庫)が話題になった。
 
【抜書】
●母開(p17)
 ははつび。鎌倉時代の裁判資料に出てくる悪口。
 「つび」は、女性器。つまり、母開は、母親の性器もしくは母親との性交を意味する。日本中世の法制史研究者である笠松宏至(ひろし)による。
 
●アンコウ(p25)
 『邦訳日葡辞書』によると、「川魚の一種で、足のある魚。(中略)川に居る鮟鱇のように、口をあけてぽかんとしている、愚かで鈍い人。」とある。
 江戸時代までは、サンショウウオのことを「アンコウ」と呼んでいた。
 のちに、サンショウウオに似ているということで、深海魚のほうを「アンコウ」と呼ぶようになった。
 
●御百姓意識(p54)
 百姓(農民・商人・職人)は、「王孫(天皇の子孫)」、「天皇に直結する潜在的に高貴な身分」であるという自意識。武士を百姓より「下」に位置付けるプライド。中世社会に一般的に見られる考え方。
 
●冷え板(p55)
 冷え板を温める……主人に隷従する侍を侮蔑する表現。室町時代に生まれた狂言などにもたびたび出てくる。
 
●菅浦文書(p57)
 琵琶湖の北の奥にある菅浦(すがうら)という集落。滋賀県長浜市西浅井町菅浦。
 大正時代、集落の氏神・須賀神社に伝わる「開けずの箱」のなかから、1200点余りの古文書が発見された。『菅浦文書(すがうらもんじょ)』(国宝)。
 隣村の大浦(大浦下荘)との間で、日指(ひさし)、諸河(もろかわ)という田地をめぐって争った記録が残されていた。
 
●桝の破壊(p82)
 中世まで、枡の大きさは、地域によってまちまちだった。年貢を納める時に使う枡は、領主と百姓との合意の象徴。単なる計量器具ではない。
 一揆が発生して枡を破壊するということは、両者の間の貢納をめぐる合意と契約の破棄を意味する。
 
●災異改元(p97)
 さいいかいげん。
 古来、日本では天変地異が起きた際には、為政者が交代する前に改元を行っていた。改元を行うことで、世の中がリセットされたということを演出。
 とくに中世の為政者は、災異改元を多用することで、疑似的に政権交代を演出し、人々の不満をそらして政権の延命を図ってきた。
 
●元二年(p100)
 戦国時代、主に東日本に残された庶民の記録や文書の中に、「延徳元二年」(『勝山記』、山梨)とか、「文亀元二年」(『香取田所家文書』、千葉)といった日付が出てくる。
 都で定めた正式な暦では、「延徳元年」は西暦1489年である長享三年8月21日をもって始まる。しかし、当時の人々も、長享三年の途中で年号が延徳元年に変わるのを煩わしいと考えた。そこで彼らはその年いっぱい非公式に長享三年を使い続け、翌年正月元日から延徳元年が始まる、としようとした。
 しかし、それでは正式な暦と1年ずれてしまう。そこで、改元が行われた年は前の年号を1年間使い続け、その翌年を「二年」ではなく「元二年」と呼んで、新しい年号の始まる年と位置づけ、以後は正式の暦どおり「三年」「四年」とカウントする。
 中国(明、清)では、皇帝が死んでもその年いっぱいは旧年号を使い続け、翌年正月元日をもって新年号の使用を開始する、という改元法が採られていた。 ⇒ 踰年改元(ゆねんかいげん)
 
●省百法(p119)
 しょうびゃくほう。
 中世社会では、銭100文を銭縄でつないで「さし銭」をつくるのが原則であった。しかし、実際には97枚であったり96枚であったり、枚数が足りないのが一般的だった。
 厳密には100枚に満たないさし銭を、承知の上で100文とみなして使用していた。これを「省百法」という。朝廷や幕府が法令を出した形跡はなく、一般社会の商習慣として生まれた。
 九六銭(くろくせん)……山内上杉氏の領国などでは、100文=96枚がルールだった。上杉家重臣の長尾景春(1443-1514)によれば、そのメリットは、2、3、4、6、8、12、16、24で割れる便利な数である、ということ。江戸時代には九六銭が多数派になる。
 
●うわなり打ち(p130)
 後妻打ち。「うわなり」は後妻の古語。
 平安中期から江戸前期にかけて行われた慣習。夫に捨てられた前妻(古語で「こなみ」という)が、女友達を大勢集めて、夫を奪った女の家を襲撃して徹底的に破壊すること。時には相手の女の命を奪うことも。
 うわなり打ちの最古の史料は、寛弘7年(1010年)2月、藤原道長の侍女が、自分の夫の愛人の屋敷を30人ばかりの下女とともに破壊した、というもの(『権記』)。道長の日記にも「宇波成打」という記述がある。(p140)
 10~11世紀という時期は、貴族層を中心に婚姻形態が確立してきて「一夫一妻制」ができあがってくる時代。乱婚に近いルーズな婚姻形態からの変化。しかし、実際には「一夫一妻多妾制」。女性は、それ以前よりも過酷な状況に置かれることになった。妻と妾では雲泥の差。
 
●名を籠める(p196)
 奈良の興福寺が行っていた「最終兵器」。
 寺に反抗的な人物の名前を紙片に記して、寺内の堂に納めて、その人物を呪詛する。
 罪状と名前と日付を記した紙片を包み紙にくるみ、表に「執金剛神/怨敵の輩 山田太郎次郎綱近」などと書いて、仏前に捧げて、ひたすらその身に災厄が降りかかることを祈る。
 
●鎮守(p220)
 日本中世の荘園は、そこに生活する人々に対しても、そこを支配する人々に対しても、「聖なる空間」としての意味を持っていた。
 荘園領主たちは、荘園を設定するにあたって、その中心地に「鎮守」と呼ばれる守り神を祀った。
 藤原氏の荘園であれば春日神社。荘園領主が武家ならば八幡神社。延暦寺の荘園なら日吉(日枝)神社(比叡山の地主神)。
 これらの宗教施設を中核にして、彼らは荘園の領域を「境内(けいだい)」と呼び、他とは違う土地であることを誇った。
 
●湯起請(p238)
 ゆぎしょう。
 室町時代に行われた裁判。熱湯に手を入れ、やけどの具合で主張の真偽を判断した。
 やけどをする確率は五分五分だった。
 戦国~江戸初期には、湯起請に代わって鉄火起請(てっかぎしょう)という裁判が現れた。熱湯ではなく、焼けた鉄の棒を握ってやけどの具合を調べる、というもの。
 中世から近世にかけて、神仏への不信が広がりを見せるなかで、それでも神仏を信じたいと願う人々が、より過激な行動に走った結果生まれたのが湯起請であり、鉄火起請だった。
 
(2022/6/23)NM
 
〈この本の詳細〉


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