Mine! 私たちを支配する「所有」のルール
[経済・ビジネス]
マイケル・ヘラー/著 ジェームズ・ザルツマン/著 村井章子/訳
出版社名:早川書房
出版年月:2024年3月
ISBNコード:978-4-15-210317-8
税込価格:2,310円
頁数・縦:382p・19cm
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普段深く考えることなく、誰もが疑問を持つことのない個人の「所有権」。しかし、突き詰めて考えると奥深い。そのことを、「所有権」の根拠となる早い者勝ち、占有、労働の報い、付属、自分の体、家族という六つの観点から考察する。
人がモノを所有するとはどういうことなのか。あなたが自分のものだと思っているその「モノ」は、本当にあなたのモノと言えるのだろうか? 考えさせられてしまう。
一方で、著者らは現在のシェアエコノミー(共有経済)に対して、「私たちは単純な物理的占有につきものの親密な関係性に秘められた深い価値を失いつつある」とノスタルジックに論評する(p.343)。さらに、「所有するモノは、自分の身体と同じく、自分が何者であるかを規定し、形成する。個人としてだけでなく、共同体の一員としての自分を規定することになる。小枝を渡される(そのモノを完全に所有するのではなく、所有権の一部だけしか行使できないこと)だけの新しい世界では、病気の隣人にスープを届けることはあるまい。友人と菜園に苗を植えることも、近所が総出で空き地の雑草取りをすることも、腕自慢が道具を持ち寄って地域の遊び場づくりをすることも、ないだろう」と、コミュニティの在り方の変化にまで言及する。
しかし、本当にそうだろうか。むしろ、共有経済の発展は、本当に「所有したい」ものと、利用するだけでよいものとを分け、所有するものには今よりも深い愛着を示すようになるのではないだろうか。それは、「モノ」だけではなく、共同体に対しても同じ考えを抱くようになるのではないだろうか。ただし、共同体の場合には、個人が「所有する」ものではなく、個人が「付属」するものになるのだろうが……。
【目次】
序章 誰が・何を・なぜ
第1章 遅い者勝ち
第2章 占有は一分の勝ち
第3章 他人の蒔いた種を収穫する
第4章 私の家は私の城…ではない
第5章 私の身体は私のもの…ではない
第6章 家族のものだから私のもの…ではない
第7章 所有権と世界の未来
【著者】
ヘラー,マイケル (Heller, Michael)
コロンビア大学ロースクールのローレンス・A・ウィーン不動産法担当教授。所有権に関する世界的権威の一人。
ザルツマン,ジェームズ (Salzman, James)
カリフォルニア大学ロサンゼルス校ロースクールと、カリフォルニア大学サンタバーバラ校ブレン環境科学経営大学院で、環境法学の特別教授を務める。
村井 章子 (ムライ アキコ)
翻訳者。上智大学文学部卒業。
【抜書】
●カープール・レーン(p26)
通常、バス、バイクのほか、1台に二人以上乗った乗用車だけが通行できるレーン。地域によっては電気自動車も通行できる。
●授かり効果(p65)
ごくありきたりの品物でも、何かを物理的に占有した瞬間から、その品物が占有前よりも大切になるという心理状態。
●100個(p99)
メジャーリーグの球団は、1試合当たり平均100個のボールを使う。
●2.5~5ドル(p112)
1872年の米国鉱業法。
市民や企業は、公有地で発見した鉱物の権利を主張できると定められている。鉱山師または鉱山会社は、貴重な金属の採掘を行い、発見の証拠を提出し、年間100ドル相当以上の労働の投入または価値の向上を実現することが条件。
権利を主張する土地1エーカーあたりの権利料は2.5~5ドル。権利料は1872年以降、一度も引き上げられていない。鉱山会社は、いまもなお公有地から毎年20億~30憶ドルの鉱物を掘り出している。
鉱業権によって、国立公園の中に私有地ができるようになった。西部の公有地のあちこちにそうした私有地がシミのように点在しており、自然遊歩道へのアクセスが遮断されるとか、手つかずの自然が脅かされるといった事態になっている。
●ディスノイド(p113)
ウォルト・ディズニー・カンパニーは、自社のキャラクターの無断使用に対して容赦しない。
フロリダ州ホーランデールにある保育園ベリー・インポータント・ベイビーズは、保育園の壁にミッキーやミニーやドナルドダックやグーフィーグーフを描いただけで、訴えられた。
同社の法務部門は偏執狂的だとして「ディスノイド」と呼ばれ、年間数百件の訴訟を起こしている。
ちなみにくだんの保育園の壁には、ユニバーサル・スタジオ・フロリダのスタッフが、原始家族フリントストーンや犬のスクービー・ドゥーやクマのヨギ・ベアを無料で描いてくれた。
●著作権と公共の利益(p118)
〔 ディズニー社の株主(およびバーリンやハマースタインの権利管理団体)にとってはまことに喜ばしいことである。だが「延命法」による二十年間の期間延長は、公共の利益にどのような影響をおよぼしたのだろうか。プラス効果はいっさいなかった。「蒸気船ウィリー」が製作された一九二八年の時点で著作権は五六年にわたり保護さることになっており、それで十分だと感じたからディズニーはミッキーを創作したはずだ。彼は一九六六年に死去するまで、自分が蒔いた種を自分で収穫した。死後に古い作品の著作権を延長したところで、新たなキャラクターが生まれるわけではない。ジョージ&アイラ・ガーシュウィンが新しい曲を作れるわけでもない。それに、今日の若いアニメーターのやる気を起こさせるわけでもないだろう。延長したところで、自分が死んでから何十年も延びるだけなのだから。ミッキーマウス延命法は、いかなる公共の利益も生まないし、新しいキャラクターも新しい曲も生まない。単に企業や著作権団体が潤うだけである。〕
蒸気船ウィリー……1928年に発表された短編アニメ。ミッキーマウスが初めて登場した。当時の著作権法の規定では、1984年に失効するはずだったが、議会は著作権保護制度の大幅な見直しを決定し、ミッキーの著作権は2003年まで有効となった。さらに1998年には、ロビー活動が奏功し、「ミッキー延命法」と揶揄されることになる著作権延長法の制定にこぎつけ、2023年(発効後95年)まで延長された。その後は、延長されていない。
●グリッドロック(p126)
私的所有権は、通常は富を創出する。しかし、所有権が多すぎるのは逆効果。
大勢の人が一つのモノの断片を所有していると、協力は成り立たず、富は失われ、結果的に誰もが損をする。高速道路にたくさんの料金所が並んでいるようなもの。
新薬開発でもグリッドロックが発生する。化合物Xは、複数の経路を通じて脳に作用する。バイオ系のスタートアップ数社がその経路を解明し、1980年以降にそれぞれの発見に特許を取得した。どのスタートアップも高い使用料を要求したので、使用料の合計が新薬の期待利益を上回る水準に達してしまう。その結果、アルツハイマー治療薬の開発は、目覚ましい結果を得られていない。
化合物Xに関係する特許やライセンスをすべて洗い出すことができず、件の大手製薬会社は特許の藪を抜け出す道を見つけられなかった。そうなると、リスクの小さい道へ方向転換するしかない。すでに自社で関連特許を押さえている既存薬からの派生品を開発する、などだ。多くの製薬会社がそうしているという。
1980年代、90年代に製薬業界の研究開発支出は増えたが、命を救うような新薬の多くは市場に投入されなかった。
●海賊のパラドックス(p137)
カル・ラウスティアラとクリス・スプリグマン「著作権の背後には意図がある。作り手を守り、彼らが創造を続けられるようにすることだ。だがファッション業界を見ると、じつに創造性ゆたかであることが一目でわかる。毎シーズン毎シーズン新しいアイディアが溢れ出す。それが何十年も続いている」。著作権なしで。
二人はこれを「海賊のパラドクス」と名付け、模倣者の存在がファッション業界のイノベーションを促してきたと論文で述べている。
●粘る階段(p176)
滑る坂道論法……一歩踏み出したらあとは奈落の底まで転がり落ちるから、最初の一歩も認められないという論法。
粘る階段論法……「たしかに古い法律には価値がある」とまず認める。「だが完璧だとは言えまい。だから、妥当な修正をしようじゃないか。まず一段だけ踏み出し、そこで踏みとどまって安全かどうかを確認する」。
●土地の細分化(p275)
〔 産業革命まで、富の大半は土地の形で保有されていた。長子相続は、貴族が自分の所領を相続人の間で細分化されることを防ぐための強力なツールだったのである。細分化がアメリカで黒人とネイティブアメリカンにもたらした悲劇的な結末はすでに述べたとおりだ。それだけでなく、アイルランドのジャガイモ飢饉とその後のアメリカへの大量移民にも細分化が関係している。イギリスは一七〇三年財産法を盾にとって、アイルランドのカトリック教徒には長子相続を認めなかった。このため彼らの農地は世代が下るごとに細分化されていく。区画が縮小するにつれて多種類の作物を植え付けることは不可能になり、最後はジャガイモだけが栽培可能な栄養価の高い作物になる。そのジャガイモが胴枯れ病で全滅すると、もはや打つ手はなかった。一〇〇万人のアイルランド人が餓死し、生き残った人は国を出てアメリカへ向かった。〕
●六つの所有権(p303)
所有権を主張するときの根拠は6種類。
早い者勝ち、占有、労働の報い、付属、自分の体、家族。
(2024/6/19)NM
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