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暗殺の幕末維新史 桜田門外の変から大久保利通暗殺まで
 [歴史・地理・民俗]

暗殺の幕末維新史-桜田門外の変から大久保利通暗殺まで (中公新書)
 
一坂太郎/著
出版社名:中央公論新社(中公新書 2617)
出版年月:2020年11月
ISBNコード:978-4-12-102617-0
税込価格:902円
頁数・縦:238p・18cm
 
 幕末から維新にかけて頻発した「暗殺」を縦糸に、幕末維新史を綴る。
 
【目次】
序章 繰り返されてきた暗殺
第1章 「夷狄」を排除する
第2章 「人斬り」往来
第3章 「言路洞開」を求めて
第4章 天皇権威の争奪戦
第5章 維新に乗り遅れた者たち
第6章 “正しい”暗殺、“正しくない”暗殺
終章 それでも続く暗殺
 
【著者】
一坂 太郎 (イチサカ タロウ)
 1966年兵庫県芦屋市生まれ。大正大学文学部史学科卒業。現在、萩博物館特別学芸員、防府天満宮歴史館顧問。春風文庫主宰。
 
【抜書】
●宗教戦争(p12)
 幕末の「復古」派は、日本は神の国であり、神の子孫である天皇は世界に君臨するといった神国思想を根拠に、統一国家をつくろとした。
〔 神国思想はフィクションであり、一種の宗教であり、現実的とはいい難い。それでも狂信的な信奉者たちは自分たちが信じる唯一の『正義』を理解できない者、しない者を是が非でも排除しようとするから、テロが起こりやすくなった。外圧の危機に瀕した日本は、たちまちテロ国家と化す。宗教で戦いを始めると歯止めが利かなくなるケースは、古今東西枚挙に暇がないが、「明治維新」もまたそうした側面を持っていたのである。〕
 
●戊午の密勅(p24)
 安政5年(1858年)、大老職に任ぜられた井伊直弼は、6月19日に勅許がないまま日米修好通商条約に調印した。
 孝明天皇は、8月、勅許なしの条約調印を非難し、幕政改革を求める勅書を水戸藩と幕府に下す。「戊午の密勅」である。一大名に直接勅が下るのは、前代未聞。
 面目をつぶされた井伊は、水戸藩に圧力をかけ、勅の効力を封じ込めた。さらに、密勅降下の関係者に対して、「安政の大獄」を断行する。
 
●乙巳の変(p24)
 吉田松陰は、9月9日、門下生の松浦亀太郎(松洞)に、手紙で紀州藩付家老水野忠央(ただなか)の暗殺を指示した。その手紙の中で、「一人の奸猾さへ仆(たお)し候へば天下の事は定まり申すべく候」と述べ、乙巳の変で「入鹿を誅した事実を覚えて居る人は一人もなきか」と嘆く。
 吉田松陰が、暗殺は日本の古来からある、ということを示唆している。
 
●塙次郎暗殺(p51)
 文久2年(1862年)12月21日夜、国学者の塙次郎(忠宝〈ただとみ〉)が自宅前で暗殺された。塙保己一の息子。幕府の和学講談所の御用を務めていた。
 「坂下門外の変」でターゲットとなった老中安藤信正より、廃帝調査をの依頼を受けたと誤解され、尊攘派から狙われた。
 下手人は、伊藤俊輔(博文)と山尾庸造(庸三)との説がある。伊藤博文も、後年、曖昧に否定している。
 
●航海遠略策(p56)
 長州藩士長井雅楽が「航海遠略策」を提唱。これを藩是として、長州藩も中央政局に乗り出し、公武間を周旋し、一時は朝廷・幕府双方から支持を得た。
 しかし、長井の説は幕府の行った開国を既成事実として認めたうえで、天皇の意を世界に広めようとの趣旨だったので、藩内外の攘夷家の激しい反発を招く。
 
(2021/1/31)KG
 
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競輪という世界
 [スポーツ]

競輪という世界 (文春新書)
 
轡田隆史/著 堤哲/著 藤原勇彦/著 小堀隆司/著
出版社名:文藝春秋(文春新書 1289)
出版年月:2020年11月
ISBNコード:978-4-16-661289-5
税込価格:990円
頁数・縦:255p・18cm
 
 競輪の仕組みと沿革、そして魅力を、競輪愛に満ち溢れた4人の著者が綴る。『ぺだる』創刊号から29号最終号まで、7年半連載された「競輪事始」を元に、大幅に加筆して成立したのが本書のようだ。「おわりに」には、エッセイ「競輪文学散歩」は轡田が執筆、1・2章が小堀、3・4章は小堀と堤、5・6章は堤、7章は小堀と堤、8章は藤原が担当、とある。
 「けいりん」、そもそもは「きょうりん」と発音されていたらしい。国際競技の種目名は、「Keirin」。
 
【目次】
第1章 競輪とはなにか
第2章 競輪選手という仕事
第3章 スーパースター&レジェンド列伝
第4章 ケイリン、世界に羽ばたく
第5章 競輪ことはじめ
第6章 地方と競輪
第7章 変わりゆく競輪
第8章 競輪と補助事業
 
【著者】
轡田 隆史 (クツワダ タカフミ)
 ジャーナリスト。1936年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。朝日新聞社で、社会部デスク、編集委員、論説委員などを歴任、夕刊コラム「素粒子」を担当した。著書多数。
 
堤 哲 (ツツミ サトシ)
 ジャーナリスト。1941年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。元毎日新聞編集委員。JKA広報誌『ぺだる』に「競輪事始」を連載。
 
藤原 勇彦 (フジワラ イサヒコ)  
 ジャーナリスト。元朝日新聞記者。朝日マリオン21取締役編集長、森林文化協会常務理事などを歴任。JKA広報誌『ぺだる』で補助事業の現場レポートを執筆。
 
小堀 隆司 (コホリ タカシ)  
 ノンフィクション・ライター。1971年生まれ。平成15年度Numberスポーツノンフィクション新人賞受賞。陸上や体操などを中心に取材・執筆。
 
【抜書】
●競輪選手(p14)
 日本にいる競輪選手は2,325人(うち136人が「ガールズケーリン」選手)。2019年12月現在。
 男子は、S級S班、S級1班、S級2班、A級1班、A級2班、A級3班の6クラスに分かれる。ポイント制で、S級S班は9名のみ。
 女子は、L級1班のみ。
 
●レースのグレード(p25)
 KEIRINグランプリ(GP)……賞金1億円、毎年12月30日に実施。出場者9人は、GⅠの優勝者と、年間獲得額上位者のみ。
 GⅠ……「特別競輪」。GⅡよりさらに格式が高い。日本選手権競輪(通称・ダービー)、オールスター競輪、朝日新聞社杯 競輪祭、高松宮記念杯競輪、寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメント、読売新聞社杯 全日本選抜競輪、の6つ。
 GⅡ……「特別競輪」。S級選手の中で、賞金獲得額や成績など一定の基準を満たした選手のみが出場する。
 GⅢ……S級の選手のみ。
 FⅠ……S級戦が5レース、A級戦が6レース。様々な選手が見れらる。
 FⅡ……A級の選手だけが出場。若手の登竜門。
 
●サッカーの試合(p33、轡田)
 轡田は、埼玉県立浦和高校サッカー部で、2回、全国優勝を体験。
 1950年代、高校サッカー全国大会の埼玉県の県予選決勝は大宮競輪場の芝生で行われた。
 早慶定期戦は、後楽園競輪場の芝生で行われた。
 
●オリンピック(p88)
 近代オリンピックの第1回大会である1896年のアテネ大会から、現在まで途切れずに続いている競技は、自転車、陸上、競泳、体操、フェンシングの5競技。
 アテネ五輪の4年後の1900年に、国際自転車競技連合(UCI)が結成された。設立総会に参加したのは、フランス、アメリカ、ベルギー、イタリア、スイスの5か国。本部はパリに置かれ、公用語はフランス語。フランス語を話せないと審判になれなかった。
 
●競輪とケイリン(p91)
 1980年、「競輪」が「男子プロ・ケイリン」として世界選手権の正式種目に加えられる。93年以降は、プロ・アマオープンになる。
 2000年のシドニー五輪から、「KEIRIN」として正式種目に採用される。
 競輪……バンクがコンクリートで、1周が333.3mから500m。自転車には、鋼製のフレーム(クロムモリブデン鋼)を使用。
 ケイリン……バンクは木製で、250m。自転車のフレームは軽いカーボン。ギアの重さも制限がない。個人戦のため、ラインがなく、牽制のための横の動きがない。
 
●加藤一(p94)
 1925-2000年。東京・神田小川町生まれ。元競輪選手で画家。競輪の国際化に貢献。著書に『風に描く――自転車と絵画』(文藝春秋)。
 同級生の母親で、滋野清武男爵夫人ジャンヌから、絵と自転車の魅力を教えてもらう。
 中学時代には、毎日のように本郷本富士町の土屋製作所(初期の競輪優勝選手の多くが乗っていたエベレスト号を製作)に遊びに行った。
 法政大学予科に入学、自転車部に所属。
 学徒出陣後、法政に復学するも、東京美術学校図案科を受験して合格。しかし、学士が続かず、法大自転車部に逆戻り。
 戦後、国体で活躍。1952年ヘルシンキ五輪の代表に内定していたが、空襲で焼け残った神田小川町の自宅に課された30万円の税金を払うため、1950年2月、川崎競輪でプロに転向する。
 1951年日本プロフェッショナル・サイクリスト連合(JPCU。一般社団法人日本競輪選手会の前身)を結成。タブロイド紙『プロサイクリスト』を創刊して編集長に。
 1957年、日仏交歓プロ自転車競技大会に際して、日本自転車競技連盟(FJC)をUCIに加盟させる。
 1958年、パリで行われた世界選手権の日本チームの監督として渡仏、そのままパリに残って本格的に絵画の修業を始める。フランス画壇では、エコール・ド・パリの抽象画家として知られるようになる。
 
●75%(p119)
 競輪は、地方自治体が主催し、収益の75%を払戻金に、残りはいったん自治体の管理下に入る。
 競輪に出場する選手の登録や斡旋、売り上げの一部を拠出する補助事業などを行う団体として、自転車振興会連合会(のちの日本自転車振興会、現JKA)が、1948年に設立された。
 競輪とオートレースの監督官庁は経済産業省。競馬は農林水産省、ボートレースは国土交通省。
 
●ジャン(p144)
 先頭の選手が、バック・ストレッチ・ライン(ゴールから半周の線)を残り1周半で通過するときに打ち始める打ち鐘。
 半鐘型(通称・梵鐘)、洋鈴型、銅鑼の3種類がある。
 
●下重暁子(p204)
 しもじゅう あきこ、1936-、作家、元NHKアナウンサー。
 2005年、日本自転車振興会(現・JKA)の第12代会長に就任。初めて訪れたいわき平競輪場での光景を描いたエッセイが縁で、同振興会の運営委員を務めていた。
 女子競輪(ガールズケイリン)の復活に貢献。橋本聖子参議院議員との会話がきっかけだった。
 広報誌『ぺだる』を創刊。(p254)
 
●約2兆円(p239)
 競輪事業の売り上げは、1991年度の約1兆9550億円がピーク。
 2013年度には6063億円にまで下がり、その後、やや持ち直し、2019年度は約6605億円となっている。
 
【ツッコミ処】
・公益財団法人JKA(p30)
 随所でJKAという「略称」が出てくる。競輪に関する団体であることは推測がついたが、ずっと、なんだろうと疑問に思っていた。改めて調べたら、どうやら初出は30ページ、〔車券はインターネットでも購入が可能なので、興味があれば公益財団法人JKAの公式サイト(KEIRIN.JP)を覗いてみてほしい。〕とある。
 で、KEIRIN.JPではなく、「公益財団法人JKA」のほうを検索してみた。
 なんと、「JKA」とは略称ではなく、これで正式名称らしい! 「Japan Keirin Autorace foundation」が英語名称あるいはJKAのもとの意味らしいのだが……。競輪だけでなく、オートレースにも関わっているようだ。
 主な業務内容は、「競輪とオートレースの選手・審判員や、自転車・小型自動車の登録、競輪とオートレースの実施方法の制定、選手の出場あっせん、養成・訓練を行うほか、自転車・小型自動車等機械工業の振興、体育事業その他の公益の増進を目的とする事業に対する補助等を行っています」とあって、設立は平成19年8月23日(https://www.keirin-autorace.or.jp/about/profile.html )。
 ちなみに、JKAの説明は、本書の最後の最後にあった。〔1957年の自転車競技法改正で、日本自転車振興会(後のJKA)が成立し、補助事業を直接主管するようになった〕(p.243)とある。JKAの活動を詳しく説明している。
 ところでもう一つ疑問に思ったこと。それは、「佐藤慎太郎(福島)」(p.15)のように、随所で選手名の後ろに括弧入りで県名が記されいることだ。選手の出身地か? あるいは、競輪の主催は地方自治体なので、選手もどこぞかの主催自治体に所属している、ということなのだろうか?
 こちらの疑問の答えは、まだ明らかになっていない。
 
(2021/1/29)KG
 
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知事の真贋
 [社会・政治・時事]

知事の真贋 (文春新書)
 
片山善博/著
出版社名:文藝春秋(文春新書 1284)
出版年月:2020年11月
ISBNコード:978-4-16-661284-0
税込価格:880円
頁数・縦:227p・18cm
 
 コロナ禍の現状を踏まえ、主に都道府県知事の役割を論じた地方自治論。
 鳥取県知事、総務大臣を歴任し、現在は大学教授の地位にある片山氏ならではの論考である。
 
【目次】
第1章 知事たちの虚を突いた感染症
第2章 法的根拠を欠いた知事の自粛要請
第3章 各都道府県知事の閻魔帳
第4章 問われる全国知事会の役割
第5章 東京都政と大阪府政を診る
第6章 ポストコロナ時代の首長と議会
 
【著者】
片山 善博 (カタヤマ ヨシヒロ)
 1951年、岡山県生まれ。東京大学法学部卒業後、自治省(現・総務省)に入省。99年より鳥取県知事(2期)。2007年4月、慶應義塾大学教授。10年9月から11年9月まで総務大臣。同月、慶應義塾大学に復職。17年4月、早稲田大学公共経営大学院教授。
 
【抜書】
●幕末(p49)
 政府が最初に七都府県に緊急事態宣言を出したとき、愛知県は対象にされなかった。「あいちトリエンナーレ2019」で企画された「表現の不自由展・その後」展の問題があったからではないかと言われている。
 政権の人たちは、大村秀章知事が「うちにも出してください」と、政府に陳情に来ると考えたのかもしれない。ところが、大村知事は、「じゃあいいです。自分たちは独自の宣言を出します」と決めた。岐阜県も独自の緊急事態宣言を出した。
 政府の政治家のピント外れの対応能力が明らかになった。現場で責任をもつ知事がクローズアップされ、現場を踏まえた対策や発言で知事が目立ってくる。
〔 そうした姿に幕末を思い出しました。幕府が右往左往してどうしようもない時に、地方の藩の行動が目立ちました。それと同じ現象が今回起きたのではないかと思います。〕
 
●組織法、作用法(p64)
 行政関係法には、組織法と作用法がある。
 組織法……行政機関の権限、所掌事務、構造などを示す。地方自治法では、市町村には首長と議会があり、その組織をどうするべきかが書かれている。
 作用法……地方自治法では、議会が条例を制定して税をどうするとか、住民に影響を及ぼす行為について定める。
 
●逐条解説書(p66)
 コンメンタール。制定された法律について、条文ごとに詳しく意義や要件などを書き込んだ解説書。
 担当課が研究会などという架空の組織の名前を名乗り、条文ごとの解説を書くことがよくある。職員は割り振られたパートを分担して書くだけで、査読などもない。だいたいは制定から1年以上経過してから書かれるので、制定時の職員が移動してしまい、うっかり間違った解釈がまかり通る、ということもある。
 
●持続化給付金(p156)
 政府の持続化給付金は、事業の継続が厳しくなった中小法人に200万円、個人事業者に100万円を支給する制度だが、事務局を担う団体へ769億円という巨額の委託費が流れた。実体がないトンネル会社で、委託費の97%は再委託先の大手広告会社に流れた。
〔 いかなる理由からか、持続化給付金は実体がないと言われるような団体に給付事務が委託されましたが、本当は各地の商工会議所や商工会に事務を委託すべきでした。商工会議所や商会は地元の経済状況や各事業者の実情に通じているので、経営指導などに結びつけることができたはずです。〕
 
●知事の腕の見せどころ(p162)
〔 ローカルエネルギーの開発で地域の産業が生まれている例は既にあります。岡山県真庭市では市民の使う電力は自前のバイオマス発電で賄えるようになっています。
 地方ではほかにも様々な取り組みがありますが、総じてうまくいっている地域は国が音頭を取ったからではなく、地域の内発的な力が芽生えたものです。今後、そうした力をどうやって伸ばしていくか。
 ポストコロナをにらんだ地域政策は、国のお仕着せではなく、地域自身の考える力と実践によって形作ることが重要だと思います。それは各知事の腕の見せどころでもあるはずです。〕
 
●都知事の資質(p169)
 都政における最終決定者は、議案を出す都知事ではなく、議決する都議会。
〔 本来、知事に求められているのは、大組織の統括力とその時々の問題で組織に力を発揮させる能力です。見栄えがいいだけで、嘘くさい公約を云々するよりも、そうした組織経営の資質を持っているかどうかで選ぶ方が気が利いていると思います。それには候補者がそれまでどんなことをしてきたか、どんな人なのかを知ることが重要です。〕
 
●都立高校の図書館(p176)
〔 また、都立高校の学校図書館の司書については、正規職員の司書の配置をやめ、指定管理者制度による学校図書館の外注化が進められています。このため、正規の司書から、管理委託を受けた事業者が採用した非正規雇用の委託司書に入れ代わりつつあります。
 ちなみに、受託事業者は、清掃会社のような教育や図書館業務に直接関係のない企業が多いようです。
 そうした結果、学校図書館がどんなふうに変わるのか、図書館のあり方に強い関心を持つ者の一人として、とても気がかりです。高校時代の読書がどれぐらい大切か。そのことを思いやった時、外部委託によってもっぱら司書の人件費を削ることだけに目が行っている今の都政には、いささか思慮が欠けているように思われます。
 ただ、これは小池知事が始めたというわけではなく、石原慎太郎さんが知事だった時からずっと続いている方針です。〕
 
●経済対策(p160)
 「ポストコロナ」の経済対策としてやるべきなのは、GoToキャンペーンではない。社会として足りないところへの投資。
 例えば、リモートワーク推進のために、中小企業のIT化の支援。
 自然エネルギーや、地産地消のエネルギー導入に対する支援。
 
●東京市(p179)
 東京都は、1943年に、旧東京府と旧東京市が合併してできた。
 東京市が持っていた大都市行政のうち、一体的に処理すべきものは都に移管し、身近なものは特別区に移した。地下鉄やバスなどの都市交通、消防、中央卸売市場、上下水道などは都に移管。小中学校、一般廃棄物の処理などは特別区。
 国策である戦争を効率的に遂行するため、中央政府が帝都を押さえておきたかったから? 東京市長は実質的に市会で選出されていたが、府知事は官選だった。都のトップは官選の「東京都長官」になった。
 都知事は、中央卸売市場、都市交通、オリンピックなど、本来「市」の仕事に追われすぎている。東京市を復活すれば、都知事の仕事が軽減され、三多摩格差も解消される?
 
●関西広域連合(p190)
 2010年に、関西エリアの自治体が集まって設立。現在、八府県(滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、鳥取県、徳島県)と四市(京都市、大阪市、堺市、神戸市)が参加。
 片山が鳥取県知事だった時の提案がきっかけとなった。鳥取県まで含めた関西版EUのような組織が作れないかと、大阪府知事と大阪市長に持ち掛けた。その後、2008年に大阪府知事になった橋下徹が慶応大学に片山を訪ねた時にその話をし、実現した。
 
●地方議会(p201)
 「地方議会は何をやっているか分からない」とよく言われる。
〔 もっともだと思います。今の議員たちに「決めること」への関心が薄いからです。「決めたこと」にも関心がありません。その証拠に、議案は一つ一つ丁寧に決めていかなければならないのに、会期の最終日に一括採決するなどし、淡々と閉会しています。
 その代りに一生懸命なのは、「質問」という名の執行部とのやり取りです。これは現状では個人のスタンドプレーのようなものです。〕
 
●不要不急(p203)
〔 執行部にお尋ねするだけという機能不全の議会に陥っているため、新型コロナウイルス感染症が流行すると、不思議な現象が起きました。
「こんな時に質問をしては、執行部に迷惑をかける」と、会期や質問時間を短くする議会が相次いだのです。中には、そもそも議会を開かなかったところもありました。議会自身が「いつも意味のない質問ばかりしている」と自覚しているのかもしれません。図らずも、自ら「議会は不要不急」だと認めてしまったのです。〕
 
●共同処理場(p225)
〔 私には鳥取県知事在任中、公言して憚らなかったことがあります。それは、議会は責任の共同処理場だということです。知事には県政を遂行する上で日々決めなければならないことが山ほどあります。決めたことが正しければいいのですが、所詮人間が決めることですから間違いもあります。間違いを少なくするには、知事自身やその周りの一部の人だけで決めるのではなく、できるだけ多くの人の目を通して点検してもらうに越したことはありません。私にとっては、その点検してもらう場が県議会でした。県議会とは、県政を間違った方向に進めないように、施策をより良いものに練り上げていくための、知事と議員との共同作業の場だと認識していました。〕
 
(2021/1/27)KG
 
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うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間
 [医学]

うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間 (文春文庫)
 
先崎学/著
出版社名:文藝春秋
出版年月:2018年7月
ISBNコード:978-4-16-390893-9
税込価格:1,375円
頁数・縦:190p・19cm
※書影は文庫版
 ■
 NHKドラマ「うつ病九段」(2020年12月20日放送、BSプレミアム)の原作エッセー。
 鬱病の実体が赤裸々にしかし悲壮感なく描かれていて、非常に興味深い。鬱病当時の出来事、感じたこと、考えたことをちゃんと覚えていることに驚嘆した。一流の将棋指しの記憶力と感性は並大抵のものではない。
 
【著者】
先崎 学 (センザキ マナブ)
 1970年、青森県生まれ。1981年、小学五年のときに米長邦雄永世棋聖門下で奨励会入会。1987年四段になりプロデビュー。1991年、第四〇回NHK杯戦で同い年の羽生善治(現竜王)を準決勝で破り棋戦初優勝。棋戦優勝二回。A級在位二期。2014年九段に。2017年7月にうつ病を発症し、慶応大学病院に入院。8月に日本将棋連盟を通して休場を発表した。そして一年の闘病を経て2018年6月、順位戦で復帰を果たす。
 
【抜書】
●死にたがる病気(p10)
 〔頭の中には、人間が考える最も暗いこと、そう、死のイメージが駆け巡る。私の場合、高いところから飛び降りるとか、電車に飛び込むなどのイメージがよく浮かんだ。つまるところ、うつ病とは死にたがる病気であるという。まさにその通りであった。〕
 
●小銭(p36)
 7月ごろ、入院中の行動。外出は許されていた。1回の外出は1時間まで。
〔 お金といえば、ローソンやプロントで、私は千円札や小銭でいちいち払っていた。日頃は全部スイカで払っていたのだが、入院中は小銭入れをゴソゴソやって一円まで探すのが妙に楽しかったのである。お金を数えていると妙に落ち着くのだった。〕
 
●みんな待っています(p40)
〔 もっとも嬉しいのは、みんな待っていますという一言だった。うつの人の見舞いに行くときはこの一言で充分である。
 うつの人間は自分なんて誰にも愛されていないのだと思うので、みんなあなたが好きなんだというようなことをいわれるのが、たまらなく嬉しいのである。あとはできれば小さな声ではなし、暗い人間を元気づけようと明るいことをはなさないようにすれば完璧である。〕
 
●ヒマ(p65)
 退院後。
〔 翌日妻と一緒に書類の整理をしたり、お見舞いに来てくれた人たちに報告のラインをしたりして過ごした。私の前には膨大な時間があったが、ヒマだとはまったく考えられなかった。ヒマだ、あーどうしよう、という考えはうつの人間にはないのである。焦りとも違う。焦りは人の心が生み出すものだが、ヒマを感じないというのは、うつの症状そのものといってもよいのではないだろうか。〕
 
●詰将棋(p85)
〔 うつ病は脳の病気だ。だから自分は七手詰めもできないが、病気が治れば必ず前の自分に戻る。詰将棋だって詰む――。
 はじめは単純にそう考えた。だが、そのうちに脳が戻らなかったら、将棋が弱くなったままになるのかと思って、コワくなってきた。なんとしてもうつを治し、脳を元に戻す必要がある。今できることは詰将棋を解くよりなかった。〕
 
●過去との比較(p116)
〔 体験からいうと、回復しだしてからは健康だったころの自分と比べるのではなく、半月前、一カ月前と、今より悪かった時期と比べたほうが精神的によいと思う。うつ病はよくなっていると実感することがもっとも大切なのである。まあ人間の性としてどうしても短期的に考えてしまうのだが。〕
 
●感性(p168)
〔 よく、作家や音楽家、他にもいろいろあるがいわゆる感性を重んじる職業にうつ病が多いといわれる。もちろん統計はないが、俗っぽくそうした見方があるのはたしかだろう。しかし、棋士という職業でうつ病をやった者からすると、この感性が戻らなければその人間にとって「治った」ことにはなりえず、人によってはそのことでさらにうつになったりするだろう。医者と当人の間では完治の基準が違い、その結果うつの期間が長くなり(と、当人は感じる)世の中に目立つのではないかと。
 私が他の職種に就いていたら、十一月にすこしずつ現場に復帰して、疲れやすいにしても仕事をして、一月には完全に復帰できたのかもしれない。だが棋士では無理だ。感性が戻らず疲れやすい状態では勝負を戦えない。〕
 
●本物のうつ病(p177)
 優秀な精神科医である兄の言葉。
 「学が体験したことをそのまま書けばいい、本物のうつ病のことをきちんと書いた本というのは実は少ないんだ。うつっぽい、とか軽いうつの人が書いたものは多い。でも本物のうつ病というのは、まったく違うものなんだ。ごっちゃになっている。うつ病は辛い病気だが死ななければ必ず治るんだ」
 
【ツッコミ処】
・最悪期(p184)
〔 うつ病はさまざまな局面がありそれぞれ苦労が違う。最悪期はただ辛いだけだし、回復期は不安の波との闘いで、それを超えると今度は社会復帰に焦ることになる。〕
  ↓
 「最悪期」とあるが、これまでは主に「極悪期」と書いていたような……。たとえば、
〔 その時の私に分かるすべもなかったが、私はうつ病の極悪期から回復期へと移ろうとしていた。その後にはいずれ現役棋士として復帰しなければならない。だが、その時の私は将棋のことなどどうでもよかった。なんでもいいから頭の中の重しを取りたかった。〕(p64)
 多分、同じ意味だと思う。
 
(2021/1/24)KG
 
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反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー
 [歴史・地理・民俗]

反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー
 
ジェームズ・C・スコット/〔著〕 立木勝/訳
出版社名:みすず書房
出版年月:2019年12月
ISBNコード:978-4-622-08865-3
税込価格:4,180円
頁数・縦:232, 42p・20cm
 
 メソポタミアを中心に、初期国家の形成について論じる。最大の論点は、現在の私たちが信奉している国家や文明は、人類の幸福のためには必要なかったかもしれない、ということか。
 
【目次】
序章 ほころびだらけの物語―わたしの知らなかったこと
1 火と植物と動物と…そしてわたしたちの飼い馴らし
2 世界の景観修正―ドムス複合体
3 動物原性感染症―病理学のパーフェクトストーム
4 初期国家の農業生態系
5 人口の管理―束縛と戦争
6 初期国家の脆弱さ―分解としての崩壊
7 野蛮人の黄金時代
 
【著者】
スコット,ジェームズ・C. (Scott, James C.)
 1936年生まれ。イェール大学政治学部・人類学部教授。農村研究プログラム主宰。全米芸術科学アカデミーのフェローであり、自宅で農業、養蜂も営む。東南アジアをフィールドに、地主や国家の権力に対する農民の日常的抵抗論を学問的に展開した。ウィリアムズ大学を卒業後、1967年にイェール大学より政治学の博士号を取得。ウィスコンシン大学マディソン校政治学部助教授を経て、1976年より現職。第21回(2010年)福岡アジア文化賞受賞。
 
立木 勝 (タチキ マサル)
 翻訳家。
 
【抜書】
●抵抗(p7)
 定住生活が、移動性の生業形態より優れたものだという考えは間違っている。
 〔移動民が至るところで――ときにはその方が好ましい環境の下ですら――永続的な定住に頑強に抵抗してきたことを示す膨大な証拠がある。遊牧民や狩猟採集民が永続的な定住と戦ってきたのは、これを病気や国家支配と結びつけて捉えたからで、その考えは往々にして正しかった。〕
 
●後期新石器時代複数種再定住キャンプ(p16)
 人類が植物の作物化や動物の家畜化を行い、定住するようになったことで、人間プラス複数の生物種がともに定住するようになった状態。
 肥沃な氾濫原やレス土壌(黄土)と恒常的な水という環境が好ましい。
 ツバメやネズミ、ゾウムシ、ダニ、ナンキンムシ、などの「片利共生生物」も、押しかけてきた。
 
●穀物(p22)
 国家が興るときに必要なのは、収奪と測定が可能な主要穀物と、それを育てるための、管理と動員が容易な人口。すなわち、富。「査定とアクセスが可能な穀物と人間」。
 生態学的に豊かな地域で興るというわけではない。
 
●万里の長城(p26)
 オーウェン・レティモアによると、万里の長城が築かれたのは、蛮族を中に入れないためと同じくらい、中国人の納税者を外へ出さないためでもあった。
 
●北アメリカの専従焼畑農民(p37)
 〔少なからぬ気象学者は、1500-1850年頃に小氷期といわれる寒冷期間があったのは、北アメリカの専従焼畑農民が死に絶えたことで温室効果ガスのCO₂が減ったからだろうと考えている。〕
 
●ブタの家畜化(p74)
 ブタは、人間の定住地の豊かな残り物を採食するために自分からやってきた可能性がある。
 
●ドムス効果(p75)
 家畜化された動物と同時代の野生種との決定的な行動上の違いは、外的刺激への反応の閾値が高いことと、全体として多種への用心深さが少ないこと。これが「ドムス効果」。
 招かれざるハト、ネズミ、スズメなども、用心深さや反応性が下がっている。
 家畜の肉体的変化として、性的二形の縮小、幼形成熟、脳の縮小。
 脳に関しては、ヒツジは、1万年に及ぶ家畜化の中で、脳の大きさが24%小さくなった。フェレットは30%縮小、ブタも三分の一縮小。
 イヌ、ヒツジ、ブタは、海馬、視床下部、下垂体、偏桃体などの辺縁系がかなり小さくなっている。攻撃、逃走、恐怖を引き起こす閾値が上がる。感情的な反応能力の低下。
 
●技術破壊(p86)
 動植物の飼いならしによって、ホモ・サピエンスが多種多様な野生植物を一握りの穀草と交換し、わずかな種類の家畜のために広範な種類の野生動物を手放した。少種の穀草と家畜を育てる技術しか必要しなくなり、多種の食物採取の技術が失われた。
 〔後期新石器時代の革命は大規模社会の登場にさまざまな貢献をしたが、それでもわたしは、これをある種の技術破壊だと見たい気持ちに駆られている。〕
 
●ブロードスペクトラム革命(p90)
 肥沃な三日月地帯で、野生のたんぱく源である大型の猟獣(オーロックス、オナガー、アカシカ、ウミガメ、ガゼル、など)が乱獲によって減った。
 人口圧に押されたことも相まって、人びとは、豊富であるが多くの労働を必要とし、それほど望ましくない、栄養価の低い資源を活用せざるを得なくなった。でんぷん質の多い植物、甲殻類、小型の鳥や哺乳類、カタツムリ、二枚貝、など。
 温暖化が始まったBC9600年以後、人口増加と大型猟獣の減少が起こる。
 ブロードスペクトラム革命と農業は栄養面でも不利で、その結果として健康状態が劣化し、死亡率が上がった。
 
●人口(p92)
 BC1万年の世界人口……約400万人。
 BC5千年の世界人口……約500万人。
 紀元前後の世界人口……1億人超。
 
●初期国家の形成(p113)
 ハンス・J・ニッセンによると、初期の国家は、気候変動によって形成された。
 BC3500-2500年の時期に海水レベルが急激に下がり、ユーフラテス川の水量が減少した。乾燥が進み、縮小した河川に人々が集中し、都市化が進んだ。
 灌漑が以前にも増して重要かつ労働集約的になった(たいてい揚水が必要になった)。ウンマやラガシュといった都市国家は、耕作可能地やそこへ引くための水をめぐって戦った。やがて、賦役や奴隷労働で掘削する網目状の運河システムが発達した。
 こうして人口の90%が30haほどの定住地に暮らすようになったことで、国家形成にとって理想的な穀物-マンパワー・モジュールが強化された。
 
●文字(p137)
 文字が発明されるまでの世界は「暗黒」で、文字が発明されたらすべての社会がそれを採用したかのように考えるのは間違い。最初の文字も、国家建設と人口集中、そして測定から生まれた。他の状況では応用が利かない。
 〔初期メソポタミア文字のある研究者は、推測だと認めつつも、文字が国家以外では抵抗された、それは国家と税のあいだに消せない結びつきがあったからで、耕作が重労働とのつながりを消せずに長らく抵抗されたのと同じだとしている。〕
 
●束の間の自由(p191)
〔 崩壊という状況の描き出すものが、複雑で脆弱で、たいていは抑圧的な国家が、小さくて分散的な小片へと拡散していくことであるのなら、なぜ「崩壊」を嘆き悲しむのだろう。崩壊を嘆く単純な、また必ずしも表面的とは言い切れない理由は、それによって、古代文明の証明を使命としてきた学者や専門家が、必要な原材料を奪われてしまうからだ。考古学者にとっては重要な遺跡が減り、歴史家にとっては記録や文書が少なくなり、博物館にとっては、陳列するべき大小のアクセサリー類が減ってしまう。古代ギリシア、エジプト古王国、紀元前2000年代半ばのウルクについてすばらしい、有益な資料があるが、そのあとの曖昧な時期――ギリシアの「暗黒時代」、エジプトの「第一中間期」、アッカド帝国下でのウルクの衰亡――の姿は、求めても無駄に終わるだろう。しかしこうした「空白」期は、多くの国家の臣民にとっては束の間の自由と人間福祉の向上を意味していたと、強く主張することができる。
 ここでわたしは、ひとつの偏見に異を唱えたい。国家センターという頂点への人口集中を文明の勝利として見る一方で、他方では、小さな政治単位への分散を政治秩序の機能停止や障害だとする、ほとんど検証されることのない偏見に対して、である。わたしたちは崩壊の「標準化」をめざし、これをむしろ定期的で、おそらくは有益でさえある政治秩序改革の始まりとして見るべきだ、とわたしは考えている。中央集権による指令-配給経済が進んでいたウル第三王朝やクレタ文明、中国の秦王朝の場合は問題がさらに複合的で、集権化→分権化→再集合のサイクルが一般的だったように思える。〕
 
●国家の崩壊(p194)
 〔最初期の国家の時代には、中心地の放棄はほぼすべて、国家形成による直接間接の影響だったとわたしは考えている。作物と人と家畜が前例のないほど密集し、国家が都市的な経済活動を促進したことを思えば、それによるさまざまな影響が出てきたはずだ。土壌の疲弊、シルテーション、洪水、塩類化、伝染病、火事、マラリアなど、どれひとつとして、国家以前にここまでの水準で存在したものはなかったし、どれかひとつでも起これば、都市は徐々に、あるいは突然に無人となり、国家は破壊されてしまっただろう。そしてそうした影響は、当たり前のことになっていった。〕
 
●農業現象(p200)
〔 国家はほとんどが農業現象なので、いくつかの山間渓谷を除けば、どれも沖積層に浮かぶ島々のようなもので、一握りの大河が作る氾濫原に位置していた。強力にはなったかもしれないが、その支配が及ぶ範囲は生態学的に限られていて、権力基盤である労働力と穀物の密集を支えるだけに水がある、豊かな土壌だけだった。この生態学的な「スイートスポット」の外では、荒れ地も沼地も、沼沢地も山地も、支配することはできなかった。懲罰的な遠征を行うことはあったし、交戦して勝利することも一度や二度はあっただろうが、支配するとなれば話は別だった。ある程度続いた初期国家の大半は、直接支配するコア地域、周辺の曖昧な地域(ここの人びとをどこまで取り込めるかは国家の勢力と富の大小によって変動した)、そしてまったく手の届かないゾーンから構成されていたのだろう。ほとんどの場合、国家はコアより先の、財政的な不毛な地域を支配しようとはしなかった。そんなところはふつう、統治してもコストに見合わない。そこで国家は、後背地に軍事上の同盟者や代理を求め、自分たちに必要な希少な原材料を手に入れようとした。〕
 
●野蛮人、未開人(p200)
 後背地は、国家の中心から見た「野蛮人」や「未開人」が治める地域。
 野蛮人……敵対的な遊牧民。国家に軍事的脅威をもたらすが、一定の条件下では取り込むこともできる存在。
 未開人……採集と狩猟で暮らしているバンド。文明の原材料には適さず、無視したり殺したり、奴隷にしてもいい存在。
 
(2021/1/22)KG
 
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サラリーマン球団社長
 [スポーツ]

サラリーマン球団社長 (文春e-book)
 
清武英利/著
出版社名:文藝春秋
出版年月:2020年8月
ISBNコード:978-4-16-391251-6
税込価格:1,760円
頁数・縦:325p・20cm
 
 阪神電気鉄道航空営業本部旅行部の部長から、阪神タイガース常務取締役に「異動させられた」野崎勝義と、松田元の誘いに乗って東洋工業株式会社を辞職し、広島東洋カープに「人生の半分を預けた」鈴木清明という、「プロ野球球団幹部」二人の、サラリーマン人生と球団改革の軌跡を描いたルポルタージュである。
 執筆したのが、元読売巨人軍球団代表のノンフィクション作家というのも興味深い。主人公二人の行動を描くなかで、本人も登場するし、球界の知られざる裏話をさりげなく披露する。
 『週刊文春』2019年12月12日号~2020年5月28日号に連載された「サラリーマン球団社長 阪神と広島を変えた男たち」に加筆・修正して単行本化。
 
【目次】
第1章 傍流者の出向
第2章 赤貧球団なんでも屋
第3章 あきらめたらあかん
第4章 焼肉丼の味
第5章 下剋上人事
第6章 主流派との闘い
第7章 マネー・ボールのあけぼの
第8章 社長室はソロバンをはじいた
第9章 血を流す覚悟はあるか
第10章 「コア」をつかめ
第11章 サクラサク
第12章 ボロボロになる前に
第13章 枯れたリーダー
第14章 耐雪梅花麗
 
【著者】
清武 英利 (キヨタケ ヒデトシ)
 1950年宮崎県生まれ。立命館大学経済学部卒業後、75年に読売新聞社入社。社会部で警視庁、国税庁を担当し、2001年より中部本社社会部長。東京本社編集委員などを経て、04年8月に読売巨人軍球団代表兼編成本部長。11年11月、専務取締役球団代表兼GM・編成本部長・オーナー代行を解任され係争に。現在はノンフィクション作家。14年に『しんがり 山一證券 最後の12人』(講談社)で講談社ノンフィクション賞受賞、18年には『石つぶて 警視庁二課刑事の残したもの』(講談社)で大宅壮一ノンフィクション賞読者賞受賞。
 
(2021/1/20)KG
 
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フットボール風土記 Jクラブが「ある土地」と「ない土地」の物語
 [スポーツ]

フットボール風土記  
宇都宮徹壱/著
出版社名:カンゼン
出版年月:2020年12月
ISBNコード:978-4-86255-574-8
税込価格:1,870円
頁数・縦:285p・19cm
 
 JFLや、全国に9つある地域リーグで活動するサッカーチームを取材したルポルタージュ。地方ならではの魅力がいっぱい詰まった12チームを紹介する。
 しかし、なぜタイトルが「サッカー」ではなく「フットボール」なのか? 前作は「サッカー」と銘打っているのに……。「ふどき(風土記)」との語呂合わせか??
 
【目次】
第1章 かくも厳しき全国リーグへの道―全国地域サッカーチャンピオンズリーグ‐2016年・霜月
第2章 親会社の都合に翻弄されて―三菱水島FC‐2017年・睦月
第3章 県1部からJリーグに「否」を叫ぶ―いわきFC‐2017年・長月
第4章 女川町に     JFLクラブがある理由―コバルトーレ女川‐2018年・睦月
第5章 ワールドカップとJFLをつなぐもの―FC今治‐2018年・文月~霜月
第6章 世界で最も過酷なトーナメント―全国社会人サッカー選手権大会‐2018年・神無月
第7章 サッカーを変える、人を変える、奈良を変える―奈良クラブ‐2018年・師走
第8章 アマチュア最高峰であり続けるために―FCマルヤス岡崎‐2019年・卯月
第9章 最大の「Jクラブ空白県」でのダービーマッチ―ホンダロックSC&テゲバジャーロ宮崎‐2019年・皐月
第10章 なぜ「71番目のクラブ」は注目されるのか?―鈴鹿アンリミテッドFC‐2019年・水無月
第11章 北信越の「Fの悲劇」はなぜ回避されたのか?―福井ユナイテッドFC‐2019年・文月
第12章 クラブ経営の「属人化」をめぐる物語―北海道十勝スカイアース‐2019年・葉月
第13章 令和最初のJFL昇格を懸けた戦い―全国地域サッカーチャンピオンズリーグ‐2019年・霜月
第14章 蝙蝠と薔薇の街で胎動する「令和的戦略」―福山シティフットボールクラブ‐2020年・文月
第15章 多様性の街から「世界一のクラブ」を目指す理由―クリアソン新宿‐2020年・文月~葉月
 
【著者】
宇都宮 徹壱 (ウツノミヤ テツイチ)
 1966年生まれ、東京都出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了。TV制作会社勤務を経て97年より写真家・ノンフィクションライターとしての活動を開始。2010年に『フットボールの犬』(東邦出版)で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞、2017年に『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ目指さないクラブ』(カンゼン)で第4回サッカー本大賞受賞。16年より『宇都宮徹壱WM(ウェブマガジン)』を配信中。
 
【抜書】
●三菱水島FC
 1946年、三菱自動車工業株式会社水島製作所のサッカー部として誕生。
 JFLで5シーズンを戦った後、2009年にJFL退会。退会後も同じ名称で存続し続けたのは、三菱水島のみ(国士舘大学を除く)。
 県リーグ1部からの再スタートとなった。残ったメンバーは7人。必死でかき集めたが、監督の熊代正志もメンバー登録し、55歳で1試合だけ途中出場でピッチに立った。
 1年で中国リーグに復帰。以後、JFLへの昇格は、会社の事情で辞退し続ける。
 
●いわきFC
 クラブのスローガン……日本のフィジカルスタンダードを変える。
 代表取締役社長、大倉智。1969年生まれ。早大卒、日立製作所入社。柏レイソル、ジュビロ磐田、ブランメル仙台、などでプレー。引退後、ヨハン・クライフ国際大学でスポーツ・マネジメントを学び、セレッソ大阪のチーム統括ディレクター、湘南ベルマーレ強化部長、同GM、同代表取締役社長(46歳)を歴任。
 アンダーアーマー日本総代理店の(株)ドーム代表取締役CEOの安田秀一から誘われ、いわきFCに。
 選手たちは、ドームいわきベースで働く。いわき市に、30人の雇用を確保した?
 練習場の「いわきFCフィールド」(人工芝)は、日時限定で一般に無料開放。子供たちの遊び場に。
 クラブハウスの「いわきFCパーク」は、商業複合型。アンダーアーマー直営のアウトレットショップ、アトランティック・カーズ(ロータス、アストンマーティンなどを扱う販売店)のショールーム、英会話のフリーコム、浅草今半、寿司正、矢場とん、などが入る。
〔 いわきFCパークといわきFCフィールド。両施設を訪れてみて、気づいたことが3点ある。第1に、クラブの巧みなイメージ戦略。第2に、スポーツ施設を通してお金が回る仕組み作り。そして第3に、地域コミュニティの場としての機能である。〕
 「いついつまでにJリーグ入り」という考え方はしない。
 
●人工芝(p65)
 スタジアム建設に関する、いわきFC((株)ドーム)安田の発言。
 「スタジアムについては、最初から『ランボルギーニ』を目指します。つまり、日本ではあり得ないような、機能的なスタジアムをドンと作る。ただし、サスティナブル(持続可能)なスタジアムを作るためには、Jリーグが推奨する天然芝がネックになるのです。JFLでも、天然芝でないと試合ができないですよね。ですから、そこまでたどり着いたら『人工芝でもいいじゃん』って説得したいと思っています。いずれにせよ、日本のスタジアム改革の雛形にになるものを、僕らが作らなければならない。それくらいの使命感を持っていますよ」
 
●コバルトーレ女川
 東北大震災後、女川町運動公園が練習場として使えなくなり、石巻の人工芝グラウンドで練習するようになった。フルコートの四分の一しかなく、そこで11対11の練習をしていたので、正確なパスサッカーが身についた。
 創設者は、石巻日日新聞代表取締役社長の近江弘一。原発の補助金により充実したスポーツ施設を生かした「スポーツコミュニティ構想」を提唱。
 創設は2006年。初代監督は、元日本代表の藤島信雄。
 スポンサーの高政は、地元の水産加工業。選手を正社員として雇用。引退後、管理職になる者も。
 
●FC今治
 1976年、旧大西町に設立された「大西サッカークラブ」が源流。
 1991年、越智郡を活動範囲に加え、「今越(いまお)FC」に改名。
 2004年、「愛媛しまなみフットボールクラブ」。
 2009年、「愛媛FCしまなみ」に改称、愛媛FCのセカンドチームとなる。
 2012年、「FC今治」として独自の活動を開始。
 2014年11月、岡田武史がクラブ代表に就任。運営会社(株)ありがとうサービスの代表取締役井本雅之が、岡田の大学時代の先輩だった。
 
●奈良クラブ
 それまでスポンサーだった中川政七商店会長、13代目中川政七が、2018年10月、運営会社の代表取締役社長に就任。(2020年、入場者数水増しが発覚、Jリーグ百年構想クラブの資格を解除条件付き失格となり、社長を辞任。)
 「サッカーを変える、人を変える、奈良を変える」というビジョンを抱え、ブランディング重視で様々な取り組みを行う。たとえば、中川政七商店が手掛けてきた、日本の伝統文様を前面に押し出したユニフォームのデザイン。蔦蔓紋様、霰小紋、大和蹴球吉祥文などを次々と採用。
 昇格請負人の岡山一成が、「奈良劇場総支配人」として2013年より5年間プレー。JKLに昇格。
 
●FCマルヤス岡崎
 2019年、元日本代表の森山泰行が、49歳で、選手兼チームディレクターとして現役復帰。08年にFC岐阜で現役引退後、浦和学院高校サッカー部で5年間、監督を務めていた。他に、茂庭照幸(37歳)も、C大阪から移籍。
 企業チームながら、35名のうち18名がプロ契約選手。
 県営だった竜北総合運動場が岡崎市に移管され、2021年、オープン。その日まで、JFLにいたい。
 
●テゲバジャーロ宮崎
 門川クラブという、人口1万8千人の漁師町の少年サッカーチームがルーツ。1965年誕生。
 2000年、現(?)GMの柳田和洋が地元に戻り、門川クラブのOBチームの選手兼監督に就任。03年に県1部に昇格、08年と09年に連覇。09年に拠点を門川町から宮崎市に移し、クラブをNPO法人化する。
 2010年に九州リーグ昇格。
 2015年、「テバジャゲーロ宮崎」に改称、Jリーグを目指すことに。チームも株式会社に。
 2017年、石崎信弘を監督に迎え、森島康仁や高地系治ら元Jリーガーを補強、18年にJFL昇格。
 
●鈴鹿アンリミテッドFC
 2019年、スペイン人のミラグロス・マルティネス・ドミンゲス、愛称ミラが33歳で監督に就任。UEFAプロライセンスを取得した女性監督。
 2016年から、女性向けの美容エナジードリンク「お嬢様聖水」がメインスポンサー。クラブ社長の山岡竜二が東京メトロの釣り広告で見つけ、調べたら製造元が鈴鹿にあった。
 2020年1月、ポイントサイト「アメフリ」を運営する(株)エムフロムとの間でネーミングスポンサー契約を締結、クラブ名を「鈴鹿ポイントゲッターズ」に変更。
 
●北海道十勝スカイアース
 2015年1月、藤川孝幸がソーシャルビジネス・総合スポーツサービス企業のリーフランス(株)に入社。十勝に総合型スポーツクラブを作ることを提案。2年後、スカイアースの社長に就任。2018年、胃ガンのため56歳で死去。
 2019年から、城彰二がGMに就任。
 
●クリアソン新宿
 2005年設立。立教大学の同好会のOBチームが主体。
 名前の由来は、創造=Creationのポルトガル語。「感動を創造する」から。
 Jを目指すクラブだが、新宿区にはスタジアムがない。「新国立競技場」をホームにすればいい?
 練習は週3回、落合中央公園で。水木の夜、土の朝。
 
(2021/1/16)KG
 
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スーパーリッチ 世界を支配する新勢力
 [経済・ビジネス]

スーパーリッチ ――世界を支配する新勢力 (ちくま新書)   
太田康夫/著
出版社名:筑摩書房(ちくま新書 1524)
出版年月:2020年10月
ISBNコード:978-4-480-07347-1
税込価格:902円
頁数・縦:230, 3p 18cm
 
 世界を支配する「新貴族」、富裕層について論じる。
 前半ではビリオネアたちのさまざまな姿を中立的に描くが、最終章の格差社会に関する論考が、本書の主題であろうか。
 
【目次】
第1章 超富裕層時代の到来
 ビリオネアの素顔
 ビリオネア時代の意味
第2章 スーパーリッチ(富裕層)の新潮流
 激増するミリオネア
 最も影響力があるチャイナ・リッチ
 若く勢いのあるウーマン・リッチ
 新しい価値観を持つミレニアル・リッチ
第3章 作られる新貴族文化
 富裕層は、どんな日常を送っているのか
 衣食住の新展開 ビジネス化する「みせびらかし文化」
第4章 危うさはらむ新格差社会
 表に出始めた新支配者
 傲慢さ増す富裕層、固定化する階層
 可視化する格差
 社会不安のリスク―拡大する抗議活動、上級市民への反発
 問われる民主主義
 
【著者】
太田 康夫 (オオタ ヤスオ)
 日本経済新聞社編集委員。1959年京都生まれ。1982年東京大学卒業。同年日本経済新聞社入社。
 
【抜書】
●バンクーバー(p65)
〔 温暖なバンクーバーは中国人が急増し、市の人口の四人に一人は中国人という状況になった。バンクーバーに隣接するリッチモンドでは人口のほぼ半分が中国系で、街を歩くと英語と並んで中国語の表示も目立っている。ショッピングセンターに行けばアジアの食品が並んでおり、街中が新しいチャイナタウンといった様相を呈している。〕
 住宅価格も上昇、プライム住宅価格は2015年に24.5%の上昇を記録。
 中国人の富裕層にとって、法制度が安定しており、資産保全に好都合なカナダへの移住が人気。
 
●ジェネレーションY(p75)
 ベビー・ブーマー……アメリカで1946~64年に生まれた世代。戦後、米国の躍進を牽引。
 ジェネレーションX……1965~80年生まれ。働き盛り。
 ジェネレーションY……1981~95年生まれ。2000年以降に社会に出る世代。ミレニアル世代とも。
 ミレニアム世代の人口は7,500万人。2010年代、人口が減り始めたベビー・ブーマー世代を抜いて最大勢力に。恵まれた世代ではなかったが、マーク・ザッカーバーグや、ジョン・コリソン(決済システムStripeの行動創業者)、エヴァン・シュピーゲル(モバイルアプリSnapchatを運営するSnapの最高経営責任者。ミランダー・カーの夫)、などがいる。
 
●INUA(p84)
 2018年、北欧料理レストランのノーマが飯田橋に開いた店。日本の食材をベースに、ノーマのコンセプトを取り入れた。
 ノーマ……2003年に、コペンハーゲンでクラウス・マイヤー(テレビでも活躍している料理人)とレナ・レゼピ(カタルーニャの有名店エル・ブジで修業)が創業。新北欧料理マニュフェストを採用。
 1.純粋さ、新鮮さ、シンプルさ、そして倫理を表現する。
 2.季節の移り変わりを食に反映する。
 3.北欧の気候、土地、そして水が生み出す素材を基礎にする。
 4.健康とウェルビーイングのための知見と美味しさを両立する。
 5.北欧の生産者とその根底にる文化を広める。
 6.動物や海、農地、土地における健全な生産に配慮する。
 7.伝統的な北欧料理の新たな可能性を探る。
 8.外国からの刺激を、北欧料理の伝統に組み合わせる。
 9.質の高い作物による地域の自給自足をめざす。
 10.料理人や農家、漁師、卸売小売業者、研究者、教師、政治家、行政が力を合わせ北欧諸国の人々の利益に貢献する。
 
●16㎡(p143)
 2019年に、100万米ドルで購入できた高級住宅面積、モナコは16㎡。世界の主要都市で最小。
 ニューヨーク、ロンドンは31㎡程度。東京は65㎡で、世界で11番目。
 
●0.9%(p184)
 100万ドル以上の富(不動産など非金融資産を含む)を保有する富裕層は、世界で4,700万人。世界人口の0.9%。世界の富の43.9%にあたる158兆ドルを保有している。
 10万~100万ドルは、4億9,900万人。準富裕層、世界人口の9.8%。140兆ドル。
 1万~10万ドルは、16億6,100万人。普通の人々、世界人口の32.6%。55兆ドル。
 1万ドル以下は、28億人。全体の56.6%。6兆ドル、世界の富の1.8%。
 クレディ・スイス『Global wealth report 2019』による。
 
(2021/1/13)KG
 
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公共図書館が消滅する日
 [ 読書・出版・書店]

公共図書館が消滅する日  
薬師院仁志/著 薬師院はるみ/著
出版社名:牧野出版
出版年月:2020年5月
ISBNコード:978-4-89500-229-5
税込価格:2,970円
頁数・縦:438p・19cm
 
 中小レポート(日本図書館協会編『中小都市における公共図書館の運営:中小公共図書運営基準委員会報告』日本図書館協会、1963年)や『市民の図書館』(日本図書館協会刊、1970年)が築いてきた、個別の公立図書館による「自助努力」神話に対する批判の書。主に戦後の図書館および図書館政策の歴史を繰りながら、出版文化を礎とした公立図書館の存在意義を問う。
 
【目次】
第1部 戦後期公共図書館史の歪曲と真相
 語られた歴史と不都合な事実
 占領期の民主化政策と出遅れた公立図書館
 ささやかな図書館法と肥大化した後付け解釈
 なけなしの職業資格と図書館発展への抵抗
第2部 粉職された図書館発展と用意された顛末
 神話の中の『中小レポート』と日野市立図書館
 図書館発展の実態と好都合な共同幻想
 図書館界のハリネズミ化と自滅への道
 最後の助け舟と泥舟への固執
 
【著者】
薬師院 仁志 (ヤクシイン ヒトシ)
 京都大学大学院教育学研究科博士後期課程(教育社会学)中退。京都大学教育学部助手、帝塚山学院大学文学部専任講師等を経て、同大学教授(社会学)、大阪市政調査会理事、レンヌ第二大学レンヌ日本文化研究センター副所長。
 
薬師院 はるみ (ヤクシイン ハルミ)
 京都大学大学院教育学研究科博士後期課程(図書館情報学)研究指導認定退学。金城学院大学文学部専任講師等を経て、同大学教授(図書館情報学)。
 
【抜書】
●CIE図書館(p47)
 1946年3月、CIE図書館(日比谷センター)が、「1号館」として開館。「日比谷にあった日東紅茶の喫茶室を接収」して開館。その後、計23館が設置された。「人口20万人以上の17の市にインフォメーション・センターを設置する方針」だったが、「1950年になると日本側の自治体から」の要望がCIEに寄せられるようになり、最終的に23館になった。
 CIE……GHQの民間情報教育局(CIE)だけではなく、各地方に置かれた軍政部の民間情報教育課(CIE)の設置した読書室も各地にあった。神奈川県秦野町の「カマボコ図書館」は、軍政部が提供したQuonset hut(カマボコ兵舎)だった。
 成人教育のための拠点。「アメリカから取り寄せた英文図書や定期刊行物が一般市民に開放され」ただけでなく、「文化活動の場として、映画会、展示会、講演会、シンポジウム、レコード・コンサート、ダンス、英会話教室などが催され」た。
 『格子なき図書館』(1950年12月5日封切)も巡回上映された。図書館員向けの教育映画。1950年4月末、図書館法成立。
 
●1970年代(p168)
 日本の公共図書館は、1960年代後半から70年代にかけて飛躍的な発展を遂げたと言われている。
 しかし、県立図書館の建築ブームとマンモス化とは裏腹に、市区町村立の中小図書館は「暗澹たる状況」にあった。
 
●貸本屋(p185)
 1950年代後半から60年代初めにかけて最盛期。
 文具店・駄菓子店などとの兼業も含め、東京都で3千店、全国で3万店の店舗があったと推計される。
 
●日野市立図書館(p198)
 1965年開館。当時の市長・有山崧(たかし)、館長・前川恒雄(34歳)。
 図書費は、初年度500万円、翌年1千万円。当時としては破格で、これより多かったのは都府県立図書館6館くらい。
 移動図書館からスタートして、いくつかの分館ができ、さらに中央図書館ができる。普通の図書館の発展の道筋とは逆の経路をたどった。
 
●十年一日(p215)
 〔司書は確かに専門職ではあるが、その専門性は十年一日のようにくりかえす仕事によって高められ、社会に認められるようになるのであって、これ以外の道はないのである。〕
 前川恒雄『われらの図書館』(1987年、筑摩書房)p.145。
 
●文化行政(p269)
 1970年代後半から、全国的な図書館の新設が加速する。
 「物質生産主導型思想の見直し」が叫ばれ、文化行政が本格的に開始された時期。「日本経済の高度成長が一段落した」後に、図書館やほかの教育文化施設が整備されることになった。地方の時代、文化の時代。
 
●図書館基本法要綱(p279)
 1981年9月、図書館事業基本法要綱(案)を起草。11月、各党選出の20名による「図書館振興検討委員会」を設ける。
 一方で、基本法要綱が、コンピュータ・システムによって国家の一元的な管理コントロールに置かれるとして、反対する一派も現れる。
 1983年3月8日、図書館事業基本法(図書館事業振興法)は、淡い虹のように消え去ってしまう。(p311)
 
●出版文化(p356)
〔 書物を通じた「教育と文化の発展」は、学術書や教養書や純文学作品などの出版そのものが衰退したのでは望み得ない。その点を問題にしたからこそ、『朝日新聞』の記事は、編集者側の意見を「文化の多様性」と集約し、大活字で載せたのである。なるほど、公立図書館が消滅すれば、出版文化の大きな担い手が失われることになるだろう。しかしながら、自らの発展や生き残りを図るばかりで出版文化を支えようとしない公立図書館は、「国民の教育と文化の発展に寄与」に責任を負う官立機関として根本的に失格なのだ。国民の側に立てば、公立図書館は、あくまでも官公庁の一部局だということを忘れてはならない。〕
 
●本の文化(p385)
 〔作家の主張を拒絶した図書館関係者の態度も、非常に敵対的であった。三田誠広は、「公共図書館は、地方自治体が住民サービスのために開設しているのだから、住民の期待に応えるというのは、当然の責務である」と認めた上で、公貸権(公共貸与権)の導入を提案したのだ。だが、そこに返された言葉は反論ですらなく、「『図書館が侵す作家の権利』とまで言い募って補償金を要求する彼らの人間性にもの悲しさをおぼえる」というものであった。これもまた、図書館学の研究に責任を負う大学教授の言葉なのだ。なぜ――図書館学者も含め――公立図書館の世界で主導的な立場にある者たちは、作家や出版社と協力しながら、共に本の文化を発展させることを提案しないのだろうか。公立図書館に誰が何の御用があるのかは知らないが、「もの悲しさをおぼえる」べきは、どのような者に対してであろうか。〕
 
●公共図書館制度(p395)
〔 もちろん、国家的な制度が一朝一夕で出来上がるはずはない。だからこそ、目先の効用を追ってはならないのだ。むしろ、あえて遠回りを選び、日本の図書館界が迷走を始める以前の段階まで遡ることが不可欠だろう。フィリップ・キーニーによる計画案(キーニープラン)や、有山崧が構想した「公共図書館の全国計画(ナショナルプラン)」の地点に立ち返って議論を始めることが必要なのである。この長い作業は、公立図書館の枠を超え、日本の公共政策の根本を問い直す試みになるに違いない。公立図書館こそ、他に先駆けて、各自治体や個別施設による自助努力論の結末を実証したからである。地方分権という名の地方切り捨てが招く顛末を体現したのも、公立図書館に他ならない。我々は、この手痛い教訓を無駄にしてはならないのである。〕
 
(2021/1/11)KG
 
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プロ司書の検索術 「本当に欲しかった情報」の見つけ方
 [ 読書・出版・書店]

プロ司書の検索術: 「本当に欲しかった情報」の見つけ方 (図書館サポートフォーラムシリーズ)
 
入矢玲子/著
出版社名:日外アソシエーツ(図書館サポートフォーラムシリーズ)
出版年月:2020年10月
ISBNコード:978-4-8169-2851-2
税込価格:2,530円
頁数・縦:241p・19cm
 
 大学図書館で長くレファレンスに携わった「プロ司書」が、その検索のコツや方法論を体系的にまとめた書。
 大学の情報リテラシーの教科書・入門書として使えそうな内容である。それどころか、本書でも言及しているように、「探究学習」が重要度を増している中学・高校時代から知っておきたい内容である。もちろん、社会人も……。
 インターネットを中心に論じているが、紙の本の重要さにも目配りし、「昭和な私」も随所に顔を出す。そのへんは、いち司書としての随想として、教科書とは異質な読みどころである。
 
【目次】
まえがき―探すチカラを基礎から鍛える
第1章 こんな時代に情報のプロがなぜ必要?―検索概説
第2章 基本はあらゆる本を探せること―本の検索
第3章 新聞・雑誌を発想の鍵の束に使う―記事と論文の検索
第4章 不慣れな分野を効率よく調べる―領域別の検索
第5章 信頼できる情報だけを選りすぐる―信頼性の向上
第6章 いいキーワードを次々と発想する―検索の質の向上
第7章 世界の視点で受信と発信を見直す―情報学ガイド
 
【著者】
入矢 玲子 (イリヤ レイコ)
 1978年、大阪外国語大学(現大阪大学)イスパニア語学科卒。同年から中央大学職員として図書館に勤務。同大学図書館事務部レファレンス・情報リテラシー担当副部長を務める。1991年~92年、米国イリノイ大学モーテンソンセンター日本人初フェローとして派遣され、同大学商学部客員研究員、日本関係レファレンスサービスなどを担当。1996年~2004年、日本図書館協会「日本の参考図書」編纂委員。
 
【抜書】
●情報の成熟(p50)
 情報は、一般に次のような時間的ステップを踏んで成熟していく。
 (1)報道……テレビ、ラジオといったメディアが報じる。速報性がある半面、情報量が少なく細切れになりがち。
 (2)記事……新聞、雑誌が報じる。翌日か数日後に新聞が報じ、一週間から数か月後に週刊誌、月刊誌などの一般雑誌が追う。
 (3)論文……学術雑誌が掲載する。信頼性が高い半面、一般の人には目につきにくく、扱いづらい。
 (4)本……書籍になる。著者、編者が何年もかけて情報を知識、知恵に練り上げた成果。情報の全体像を体系的につかめるようになる。
 (5)定説……辞典や事典に載る。さらに長い年月をかけて(1)~(4)が選別され、辞典や事典、教科書に載るような簡潔な記述になる。情報としての成熟を終えた形。
 
●ジャパンサーチ(p65)
 国の分野横断統合ポータル。
 EUのデジタルプラットフォーム「ヨーロピアナ(Europeana)」のいわば日本版。
 2020年8月に公開。
 
●紙とウェブ(p112)
〔 ウェブだけで検索するよりも、「紙の本とウェブを組み合わせたほうが早い」「紙の本で探すほうが網羅的に目を通せる」「図書館に出向くほうがムダがない」場合があることは、くり返し強調したいと思います。〕
 
●Mindsガイドラインライブラリ(p138)
 診療ガイドラインの検索サイト。日本医療機能評価機構が提供。
 
●デジタルネイティブ(p158)
 1980年代以降に生まれた世代。
 
●百科事典(p163)
〔 紙の事典など必要ないと思う方も多いでしょう。でも、百科事典を全巻読み通して勉強した偉人たちの話を聞いて育った昭和な私は、紙の百科事典に心が高鳴る郷愁を感じるのです。〕
 
●ダークアーカイブ(p195)
 電子ジャーナルは、出版社の事情や災害などによってアクセスできなくなる危険がある。
 それを回避するために、大学と出版社は共同でダークアーカイブという、一種のバックアップを作った。
 保存されているコンテンツには通常はアクセスできず、出版社の倒産や災害といったトリガーイベントが起きた場合にのみアクセスできるようになっている。
 CLOCKSS……スタンフォード大学が主導し、世界の主要な図書館、学術出版社が共同運営。
 Portico……米国の非営利団体Ithakaが運営。
 
(2021/1/3)KG
 
〈この本の詳細〉

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