SSブログ

カラスをだます
 [自然科学]

カラスをだます (NHK出版新書 646)  
塚原直樹/著
出版社名:NHK出版(NHK出版新書 646)
出版年月:2021年2月
ISBNコード:978-4-14-088646-5
税込価格:935円
頁数・縦:254p・18cm
 
 カラス(料理)研究家にて、カラス駆除を専門とする(株)CrowLab代表を務める塚原氏によるカラス本。
 いかに「賢い」カラスを騙して、「いてほしくない場所」から「いてもいい場所」に誘導するかが本書の最大のテーマ。そのためにはカラスの習性を知り、カラスの「言葉」を理解しなければならない。さらに、捕獲したカラスの死を無駄にしないため、食料としてのカラスを追求する。
 
【目次】
第1章 カラスを動かす
 カラス誘導大作戦
 マヨラーぶりを利用する
  ほか
第2章 カラスになりきる
 カラスが見ている世界
 カラスが嗅いでいる匂い
  ほか
第3章 カラスとしゃべる
 鳴き声研究の苦労
 カラスの「声帯」解剖
  ほか
第4章 カラスを食べる
 カラス料理を趣味から仕事にする
 ヒトにとっての新規タンパク源として
  ほか
第5章 カラスを減らす
 対策を科学する
 これが有効な対策だ
  ほか
 
【著者】
 塚原 直樹 (ツカハラ ナオキ)
 (株)CrowLab代表、カラス料理研究家。1979年、群馬県桐生市生まれ。宇都宮大学農学部卒業、宇都宮大学大学院農学研究科修士課程・東京農工大学大学院連合農学研究科博士課程修了。論文「ハシブトガラスの発声に関する研究」で博士(農学)。総合研究大学院大学助教を経て現職。宇都宮大学バイオサイエンス教育研究センター特任助教も務める。
 
【抜書】
●紫外線(p62)
 カラスが(一般的に鳥類も)紫外線に強い理由。
 普通、紫外線は目の組織を痛めやすい。
 カラスの角膜は脂っこい。さらに、脂質を運ぶタンパク質が大量に含まれている。
 紫外線によって脂質が先に酸化されることで角膜を守っている。酸化された脂質をタンパク質が運び、肝臓で代謝されて無毒化されるのではないかと考えられる。
 実際に、角膜とレンズ(水晶体)の間にある眼房水を分析すると、酸化された脂質が多く含まれていた。
 この研究の成果は、雪目などの目の日焼けを防ぐ目薬の開発に結びつくかもしれない。
 
●カプサイシン(p67)
 鳥類はカプサイシンの刺激を感じにくい。鳥と唐辛子の共進化。
 鳥類は、種を遠くまで運んでくれる。唐辛子は、哺乳類には食べられないようにカプサイシンを蓄えている。
 
●カラスの鳴き声(p116)
 ハシブトガラスの主な鳴き声。
 ① 「アー」という優しい鳴き声。コンタクトコール、「挨拶の鳴き声」。
 ② 「ア〜〜 ア〜ア〜ア」という長めの鳴き声。存在のアピール。自分の居場所を仲間に知らせる。「俺はここにいるぜ!」
 ③ 「アッ アッ アッ アッ」という、平板な短い鳴き声の繰り返し。餌を見つけたときの鳴き声。仲間が集ってくる。「食べ物見っけ!」
 ④ 「グワ〜〜ワワ」という震えた鳴き声。求愛。求愛給餌の際に発している。
 ⑤ 「アッ アッ アッ」という強く短い繰り返し。警戒の鳴き声。「怪しいやつが来た! 気をつけろ!」
 ⑥ 「ガーガーガー」という濁った声。威嚇。攻撃の臨戦態勢に入っている。「おどれぇやんのか!」
 「カー」という澄んだ声で鳴けるのがハシブトガラス。ハシボソガラスは「ガー」という濁った声でしか鳴けない。
 
●ソングバード(p122)
 カラスは、スズメ目のスズメ亜目に属する「ソングバード」に分類される。多様なフレーズを複雑に組み合わせ、歌のように構成して一定時間にわたってさえずる種。カナリアなど。左右の鳴管筋がそれぞれ独立した神経支配となっている。左の脳が左の鳴管筋を、右の脳が右の鳴管筋を動かしている。
 カラスはソングバードに属するが、鳴管筋を操る神経が交差しており、左右独立していない。複雑なさえずりを発する能力を捨て、多様な発声を行う能力の方を獲得した結果と考えられる。生態ピラミッドの頂点にいるカラスは、ハンディキャップ理論が示唆する「複雑なさえずり」が不要だった?
 
●カラス肉(p160)
 カラス肉は、高タンパク質、低脂肪、低コレステロールで、鉄分とタウリンが豊富。
 カラスの胸肉は、タンパク質20%、脂質3%、コレステロール16mg/100g、鉄分9.2mg/100g。
 牛の肩ロースは、タンパク質17%、脂質26%、コレステロール73mg/100g、4.3mg/100g(レバー)。
 鶏の胸肉は、タンパク質24%、脂質2%、コレステロール73mg/100g、鉄分0.3mg/100g。
 タウリンは、カラス270mg、牛48mg、鶏14mg(いずれも100g中)。タウリンは、肝機能を活発にし、血液中のコレステロールや中性脂肪を減らす効果があるアミノ酸。
 カラスの肉を味覚センサー「レオ」で分析。牛、豚、鶏と比べて酸味が強く、甘みが弱い。
 カラス料理は、100年以上前のフランスのレシピ本に登場する。Leon Pigot著La Chasse Gourmande ou "l'Art d'accommoder tous les Gibiers" Encyclopedie du Chasseur(「すべてのジビエ料理法」:狩人の百科全書)。
 韓国では、滋養強壮の漢方として人気があった。サムゲタンのようにして食べられていた。
 日本でも、かつて長野や秋田で「ろうそく焼き(カラス田楽)」として食べられていた。カラス肉をミンチにし、豚肉や味噌、ねぎ、生姜、ニンニクなどの薬味と一緒に叩き、つくねのように割り箸などに巻きつけて焼く。
 カラスの可食部はほぼ胸肉のみ。大きい個体でも1羽から100gくらいしかとれない。
 
●カカシ効果(p187)
 カラスが一時的に警戒して来なくなる効果。
 カラスは、カカシが人間だと思って警戒するのではない。
 カカシ効果とは、「なにこれ、なんかある」「近づかないでおこう」という反応を引き出す力のこと。カラスは、単に新しいものに用心する。
 
●モビング(p191)
 オオタカがカラスを襲った場合、多数の仲間が集ってきてオオタカを追い払う。モビング。
 
●無自覚な餌付けストップ! キャンペーン(p232)
 食料ゴミや農作物の投棄放置などが、カラスの餌となる。これらの餌資源を、冬の1週間に絞って徹底的に出さないようにする。
 代謝が高く、脂肪の蓄えのないカラスは、4日間食べないと餓死すると考えられる。環境収容力に見合った個体数のみしか生き残れず、カラスの数を減らせる。
 
●カラス版ボードゲーム(p236)
 イノシシ対策のボードゲームを開発した、東京大学元特任教授の今井修の協力のもと、「カラス版ボードゲーム」を開発した。
 ゲームの狙いは、環境収容力を理解してもらうこと。
 プレイヤーは住民役、行政役、カラス役に分かれる。
 住民役……カラスの餌を減らす。
 行政役……対策を実施することでカラスを増やさないようにする。
 カラス役……数を増やすことを目的とする。
 1ターンごとに季節が変わる。春・夏・秋まではものすごい勢いでカラスが増えるが、冬になると森の餌がなくなり、カラスは行き場を失って他のエリアに移動するか、餓死することになる。
 
(2021/4/29)NM
 
〈この本の詳細〉


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

日本のオンライン教育最前線 アフターコロナの学びを考える
 [教育・学参]

日本のオンライン教育最前線──アフターコロナの学びを考える  
石戸奈々子/編著
出版社名:明石書店
出版年月:2020年10月
ISBNコード:978-4-7503-5091-2
税込価格:1,980円
頁数・縦:270p・21cm
 
 新型コロナ感染防止のための緊急事態宣言で学びの場はどう変わったのか。
 「チョーク&トーク」からなかなか脱することができない従来の教室から、一足飛びにオンラインによる授業に移行せざるを得なくなった現状、それに積極的に適応した様々な現場からのレポートを紐解きながら、未来のあるべき学校および学びについて提言する。
 
【目次】
プロローグ 動き始めた日本のデジタル教育
1 学校でICTを使うのが当たり前の社会に―GIGAスクール構想の課題と展望
2 コロナ休校で、海外の学校はどう動いたか?―世界各国の取組から学ぶ
3 コロナ休校で、日本の学校はどう動いたか?―日本各地の取組から学ぶ
4 コロナ休校で、民間の教育産業はどう動いたか?―塾・IT企業・テレビ放送から保護者の反応まで
5 アフターコロナで広がるAI・教育データ活用の可能性
エピローグ アフターコロナ教育を構想する
 
【著者】
 石戸 奈々子 (イシド ナナコ)
 超教育協会理事長、慶應義塾大学教授、CANVAS代表。東京大学工学部卒業後、マサチューセッツ工科大学メディアラボ客員研究員を経て、NPO法人CANVAS、株式会社デジタルえほん、一般社団法人超教育協会等を設立、代表に就任。総務省情報通信審議会委員など省庁の委員多数。NHK中央放送番組審議会委員、デジタルサイネージコンソーシアム理事等を兼任。政策・メディア博士。
 
【抜書】
●アナログ時代の教育(p13)
〔 日本の教育デジタル化が遅れた最大の原因は、アナログ時代の日本の教育が成功しすぎたからと考えます。工業社会の教育が情報社会の教育に移ることに対する漠然とした不安に覆われていました。〕
 
●ドイツ(p64)
 新型コロナ禍のロックダウンによる休校が長期化すると、ドイツ政府からパソコン等の端末を持たない家庭の子供に一人あたり150ユーロが支給された。
 ロックダウンが始まる数週間前に市内のすべてのエリアでWi-Fiがつながるよう、ネットワークが整備された。
 
●ICT「三種の神器」(p79)
 オンライン上の仮想教室に必要な三種の神器は、「アカウント」「デバイス」「通信手段」。
 (平川理恵、広島県教育長)
 
●T2(p128)
 青森市では、5月25日(2020年)から再開した通常授業で、多くの学校で変化があった。
 従来、同じ時間帯の授業はクラスごとに異なっていたが、遠隔事業のノウハウを採り入れて全学年同時に同じ教科の授業を行うようになった。ある学級で授業をしている教員が各教室のモニター上にも登場する。中学校なら1教科に3〜4人の教員がいるので、他の教員はいわゆるチームティーチングの「T2」の役割を担う。
 〔従来の授業は、1人の先生が1つの学級に責任を持ってすべて教える、言うなれば「抱え込む」形でしたが、今後は、複数の先生が担当を分け、1つのチームとして学年全体の子どもの学習に責任を持つように、学校システムを切り替えていく必要があると考えています。〕
 (成田一二三、青森市教育委員会教育長)
 
(2021/4/27)KG
 
〈この本の詳細〉


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

貴金属の知られざる科学
 [自然科学]

SUPERサイエンス 貴金属の知られざる科学  
齋藤勝裕/著
出版社名:シーアンドアール研究所(SUPERサイエンス)
出版年月:2020年1月
ISBNコード:978-4-86354-296-9
税込価格:2,002円
頁数・縦:239p・19cm
 
 貴金属の条件は、①美しい、②稀少である、③変化しない、ということらしい。この三つの条件をめぐる貴金属の薀蓄を語る。
 なお、貴金属には、宝飾的貴金属のほかに、希少性、変化しないという特性から「化学的金属」という分類もある。こちらについてもちょこっと触れている。
 
【目次】
1 貴金属の種類と性質
2 貴金属の産出と歴史
3 金の性質
4 金と宝飾
5 銀の性質と宝飾
6 白金の性質と宝飾
7 化学的貴金属の種類と性質
 
【著者】
 齋藤 勝裕 (サイトウ カツヒロ)
 名古屋工業大学名誉教授、愛知学院大学客員教授。専門は有機化学から物理化学にわたる。
 
【抜書】
●スターリングシルバー、ブリタニアンシルバー(p20)
 スターリングシルバー……SV925の合金。宝飾品や銀食器などの通常の銀製品に用いられる。
 コインシルバー……SV900。
  ブリタニアンシルバー……SV950。一時、イギリスがスターリングシルバーから銀貨の品位を高めるために作った。この割合では柔らかすぎるために、もとのSV925に戻された。(p182)
 SV925とは、銀の含有率(パーミリ:千分率)を示す。925/1000、つまり92.5%ということ。プラチナは、PT1000(プラチナ100%)のように示す。
 金の含有率は、K(カラット)で示し、24Kが金100%となる。18Kは18/24=0.75となる。
 
●14K(p21)
 金は柔らかい金属なので、合金によって硬度を増している。
 万年筆のペン先の大半が14Kなのは、これが最適の硬さだから。
 
●ブラス(p23)
 真鍮、黄銅。銅Cuと亜鉛Znの合金。金色になる。
 「ブラスバンド」は、ブラスを使った楽器を主に使うことからの名称。
 
●貴金属8種(p26)
 貴金属とは、周期表の第5、第6周期の8〜11族に属する8種類の金属。
        8族      9族      10族     11族
 第5周期: ルテニウムRu  ロジウムRh  パラジウムPd  銀Ag
 第6周期: オスミウムOs  イリジウムIr  プラチナPt   金Au
 なお、化学的性質が安定していることを考慮して、銅Cu(第4周期11族)と水銀Hg(第6周期12族)を化学的貴金属に含めることもある。
 
●都市鉱山(p60)
 1トンの金鉱石から採取できる金の量は5gほど。
 携帯電話1トンからは、150gもの金が回収できる。
 現在、金の年間需要のうち約三分の一が市場からのリサイクルによってまかなわれている。
 
●海水(p71)
 世界中の海水には、500万〜50億トンもの金が溶けていると推計されている。
 人類が採掘してきた金の総量は約18万トン。オリンピックの公式競技用プール3.8杯分。地殻に存在する可採埋蔵量は約5万トン。(p52)
 金が溶ける物質は、王水(硝酸HNO3と塩酸HClの1:3混合物)、ヨードチンキ、など。
 
●金合金(p115)
 金と割り金の組み合わせと比率によって、金合金の色が変わる。
 イエローゴールド……金ー銀ー銅
 ピンクゴールド……金ー銀ー銅ーパラジウム
 グリーンゴールド……金ー銀。青金。日本画の絵の具になる。
 レッドゴールド……金ー銅。アカキン。日本画の絵の具になる。
 パープルゴールド……金ーアルミニウム
 ブルーゴールド……金ーインジウム、金ーガリウム
 ホワイトゴールド……金ーパラジウムー銀(ソフト・ホワイトゴールド)、金ーニッケルー亜鉛ー銀
 ブラック・ゴールド……ホワイトゴールドの表面をメッキや着色、酸化等で黒色化
 
●奈良の大仏と水銀(p117)
 752年に建造された奈良の大仏は、ブロンズの上に金メッキを施した。
 水銀50トンに金9トンを溶かして金アマルガムを作り、全身に塗る。その後、内部から炭火を当てて銅を加熱すると、沸点の低い(357℃)水銀が揮発して金だけが残る。残った金をヘラか何かで擦って平らに磨けば完成。
 しかし、大仏から揮発した水銀は、水銀蒸気となって奈良盆地に蔓延。雨に溶けて地中に入り、地下水を汚染したはず。
 奈良がわずか80年ほどで長岡に遷都したのは、水銀汚染も理由の一つか?
 
●不動態(p126)
 ステンレスやアルマイトが錆びないのは、すでに「錆びている」から。
 この錆が非常に硬くて緻密なので、内部をしっかり守ってそれ以上錆が内部に進行するのを防ぐ。不動態。
 アルマイトの成分は酸化アルミニウムAl2O3。
 ステンレスは、鉄に18%のクロムCrと8%のニッケルNiが含まれており、クロムとニッケルの酸化物が不動態となっている。
 
●錯体(p131)
 金属イオンが他のイオンあるいは分子と反応してできた複合分子。錯イオン、錯塩ともいう。
 
●仁丹(p184)
 銀箔は、宝飾用のほか、料理や菓子の飾り付けにも用いられる。
 仁丹は、銀箔でコーティングされている。
 
●度量衡原器(p192)
 プラチナは、科学的に極めて安定で酸化されにくいので、度量衡原器(キログラム原器、メートル原器)に利用されている。
 キログラム原器は、プラチナ約90%、イリジウム約10%。100年以上前に作られた。2003年に重さを計ったところ、数十マイクログラム減少していた。(p227)
 また、白金抵抗温度計として、13.81〜1234.93K(ケルビン:絶対温度の単位。0℃=273K)までの広い範囲の標準温度計として利用されている。電気抵抗と温度との間に直線関係があるので、電気抵抗を測定すれば温度がわかる。
 プラチナの比重21.45(全元素中2番め)。融点1772℃、沸点3830℃は、貴金属中最大。
 
●ピューター(p236)
 スズSnと鉛PbあるいはアンチモンSbの合金。
 ヨーロッパでは、昔から食器の材料として使われてきた。かつては鉛を使っていたが、鉛の有害性が明らかとなってからは、93%のスズと7%のアンチモンの合金が標準となった。
 米国のフィギュアスケート選手権のメダルは、1位金、2位銀、3位銅、4位ピューターとなっている。
 
(2021/4/24)KG
 
〈この本の詳細〉

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

檻の中の裁判官 なぜ正義を全うできないのか
 [社会・政治・時事]

檻の中の裁判官 なぜ正義を全うできないのか (角川新書)
 
瀬木比呂志/〔著〕
出版社名:KADOKAWA
出版年月:2021年3月
ISBNコード:978-4-04-082377-5
税込価格:1,034円
頁数・縦:316p・18cm
 
 日本の裁判官の実態、司法制度の問題点について、歯に衣着せぬ筆致で迫る。
 
【目次】
プロローグ―日本の裁判官は、なぜ正義を全うできないのか?
第1章 個人としての裁判官とその問題
第2章 官僚・公人としての裁判官
第3章 裁判官の仕事とその問題点
第4章 裁判官の本質と役割―儀礼と幻想の奥にあるもの
第5章 戦後裁判官史、裁判官と表現
第6章 法曹一元制度と裁判官システムの未来
エピローグ―檻の中の裁判官
 
【著者】
瀬木 比呂志 (セギ ヒロシ)
 1954年名古屋市生まれ。東京大学法学部卒。2年の司法修習を経て79年から裁判官。2012年明治大学教授に転身、専門は民事訴訟法・法社会学。在米研究2回。『ニッポンの裁判』により第2回城山三郎賞受賞。
 
【抜書】
●法曹一元制度(p13)
 相当の期間弁護士等の在野の法律家を務めた者の中から裁判官を選任する制度。米国、英国などの英米法系諸国起源の制度。
 キャリアシステム……司法試験に合格した者が司法修習を経てそのまま裁判官になる官僚裁判官システム。ドイツ、フランス等の大陸系諸国起源の制度。
 
●裁判官の収入(p43)
 年収500万円くらいから始まり、10年たって判事になる頃には1,000万円あまり。
 大地裁の裁判長(24、5年目〜)が約2,000万円、大高裁の裁判長(地家裁判所長の後でなる)が2,000万円台なかば、最高裁判事が約3,000万円。
 弁護士に比べると、かつては生涯年収が2〜3割かそれ以上低かった。しかし、近年の司法制度改革で数が増えて、弁護士の収入は相対的に減少している。
 公証人は、所長経験者が63歳位までに希望し、退官してなるもの。年収は、バブル経済の時代には数千万円になったが、今では、裁判官時代より一回り下がる程度。ただ、公証人独自の一定期間の年金的制度もあり、裁判官の年金に上乗せされる。
〔 本来、裁判官の高給は、裁判官の独立の基盤となるべきもののはずだ。つまり、「いい裁判、正しい裁判をしてくれるからこその高給」のはずである。しかし、日本の場合、国際的にみても高給ではあるものの、その高給は、「統制されている裁判官の不満をなだめ、裁判所当局の方針に従わせるための手段」になっている感が強い。〕
 
●天動説的な自己中心主義(p63)
〔 しかも、仕事の上では、先にもふれたとおり、若い判事補の判断といえども決定的なものであって、法に定められた不服申立て以外に争う手段はない。大学を出て間もない若者がそんな大きな決定権をもつというのは、ほかの世界ではありにくいことだ。
 結果として、元々はそれなりの資質や良識を備えていたような人々であっても、やがては、他者と自己に関する認識を欠き、普通の世界ではありにくい天動説的な自己中心性や全能感をもちやすくなるのである。〕
 
●二重帳簿(p94)
 裁判官の評価は二重帳簿システム。
 開示の対象にもなる評価書面のほかに、事務総局人事局には、絶対極秘の個人別書面があり、そこには、その裁判官に関する生々しい評価、ことに当局の観点からの問題事項が詳細に記されているという。公然の秘密。
 
●再任制度(p98)
 2000年代に行われた司法改革で、「下級裁判所裁判官指名諮問委員会」の制度ができた。新任判事補の任用と、10年ごとに行われる裁判官の再任の審査を行う。
 委員会のメンバーには現職の高位裁判官や検察官が多数含まれている。
 情報収集方法は、裁判官の評価権者である地家裁所長や高裁長官の非公開報告書(再任(判事任命)希望者に関する報告書)が中心であって、諮問委員会みずから調査を行う方法、手段は限られている。
 判断基準は非常に抽象的で、審議の内容も公開されない。
 再任不適と判断された裁判官に対する聴聞の機会も、不服申立ての制度もない。
 到底民主主義国家の裁判官に関する制度とは思えない内容。
 
●檻(p111)
〔 日本の裁判官は、判断も仕事も生活も統制、管理され、採用、異動、昇進、再任の終わりのないシステム(その意味でのラットレース)の中に組み込まれ、また、閉じられていて情報は上から下へ一方通行でしか流れない世界に生きている。
 それは、いわば、「目に見えない檻」のようなものだ。先のようなシステムによって構成される世界(それは、高度に組織、統制された「ムラ社会」でもある)に同調し、安住している限り、その檻はみえない。外側の世界からもこの檻はみえにくい。しかし、個々の裁判官が、いったん裁判官、研究者、あるいは市民としての良心に従い自覚的に行動しようとすれば、たちまちこの檻に引っかかって血を流すことになる。〕
 
●最高裁判事(p117)
 最高裁判事には、選出母体ごとに人数枠がある。内閣に決定権があるものの、基本的には、選出母体の意向が重視される傾向が強い。
 近年の基本は、裁判官枠6、弁護士枠4、検察官枠2、学者枠1、行政官枠2。
 
●木谷明(p182)
 元法政大学法科大学院教授、現在弁護士。
 刑事系裁判官だったときに、約30件の無罪判決を確定させた。
 
●人質司法(p185)
 自白するまで身柄拘束の続くことが多く、弁護士との面会の機会も限られている現在の日本の刑事司法の実態。
 
●死刑廃止(p205)
 死刑を廃止しているのは、ベラルーシ以外のヨーロッパ諸国、カナダ、オーストラリア、米国の22州およびワシントンDC、5自治領。
 国連総会でも、1989年に死刑廃止条約(市民的及び政治的権利に関する国際規約の第2選択議定書)が採択され、1991年に発効し、締約国は88カ国(2019年現在)にのぼる。
 
【ツッコミ処】
・無能な出世主義者(p53)
〔○無能な出世主義者
 最高裁事務総局や法務省の課長等にたまにいるタイプ。司法官僚としての一応の総合的能力が必要なポストによくつけたなというくらい能力的には問題があるのだが、ともかく出世欲が強く、下にいる局付や課付(多くは判事補)を徹底的にこき使い、いじめ、一方上には徹底的にこびる。外部に対しても愛想がよいので、「あの人は課長にしては話がわかる」と評される。こうしたことからもわかるように、裁判官は、偽証を見破る能力は磨いていても、本当に人をみる目には意外に乏しいことがままあるのだ。〕
  ↓
 キビシイ!!
 
(2021/4/21)KG
 
〈この本の詳細〉

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

出版と権力 講談社と野間家の一一〇年
 [ 読書・出版・書店]

出版と権力 講談社と野間家の一一〇年  
魚住昭/著
出版社名:講談社
出版年月:2021年2月
ISBNコード:978-4-06-512938-8
税込価格:3,850円
頁数・縦:669p・20cm
 
 講談社と野間家の歴史かと思っていたが、最初のほうは出版業界全体の話が多い。岩波茂雄、大橋佐平などにけっこう紙幅を割いている。いわば出版史と近代史であり、明治大正期の世情も描かれている。
 しかしながら、講談社という一本の筋を通してみる明治・大正全体の出版史は、個々のエピソードを中心に構成された歴史書より、すんなりと頭に入ってくる。
  
【目次】
本郷界隈に交錯する夢
問題児、世にはばかる
『雄弁』創刊前夜
大逆事件から『講談倶楽部』へ
団子坂の奇跡
少年たちの王国
雑誌王の蹉跌
紙の戦争
戦時利得と戦争責任と
総合出版社への道
ふたたび歴史の海へ
 
【著者】
魚住 昭 (ウオズミ アキラ)
 1951年熊本県生まれ。一橋大学法学部卒業後、共同通信社入社。司法記者として、主に東京地検特捜部の取材にあたる。在職中、大本営参謀・瀬島龍三を描いた『沈黙のファイル』(共同通信社社会部編、共同通信社、のち新潮文庫)を著す。1996年退職後、フリージャーナリストとして活躍。2004年、『野中広務 差別と権力』(講談社)により講談社ノンフィクション賞受賞。「講談社 本田靖春ノンフィクション賞」選考委員。
 
【抜書】
●岩波茂雄(p14)
 明治14年(1881年)、諏訪湖のほとりの、わりと裕福な農家の長男に生まれた。
 15歳で父親をなくし、地元の中学を卒業したあと東京に遊学し、20歳で一校に入学した。
 知り合いだった藤村操の自殺に衝撃を受けたりして、2回落第、一高除籍。東京帝国大学文科大学の哲学科の選科生となる。
 安倍能成『岩波茂雄伝』岩波書店。
 
●大橋佐平(p59)
 博文館の創業者。越後長岡出身。明治19年(1886年)11月、52歳で上京。
 明治20年6月、『日本大家論集』を創刊。1冊10銭、破格の安さだった。当時の新聞・学術誌に掲載された諸大家の論説や記事を無断掲載。長男の新太郎のアドバイスによる。著作権の確立していない時代だからこそできたダイジェスト版雑誌。合わせて1万あまり売れた。
 『日本之教学』(仏教雑誌)、『日本之女学』(婦人教育雑誌)、『日本之商人』、『日本之法律』、『日本之少年』などのダイジェスト版を矢継ぎ早に創刊、いずれもヒットさせた。
 全国各地の有力書店(売りさばき店:大手書店と地方取次を兼ねたような業者)と特約店契約を結び、雑誌を中心とした全国販売流通網をまたたく間に作り上げた。博文館の構築した雑誌の出版販売流通システムは、書籍と雑誌の地位を逆転させた。書店にとって、母屋の書籍と庇の雑誌の比重が逆になっていった。
 坪谷善四郎『大橋左平翁伝』栗田出版会。
 
●東京堂(p63)
 明治23年、大橋佐平の次男省吾の義父高橋新一郎が上京、博文館の傍系会社の東京堂を創立。
 翌年、新一郎が越後に帰るのと入れ替わりに省吾が経営を引き継ぎ、雑誌・書籍の販売に加えて出版取次業を始めた。やがて元取次と呼ばれるようになり、日本の出版界の動向を左右する存在に成長する。
 
●白表紙(p201)
 『講談倶楽部』大正2年9月号は、「新講談」に衣替えした。初版が売り切れ、多色刷りの表紙は殺到する注文に応じきれず、赤と黒の二色刷りで重版した。5版に至ってはそれも間に合わず、白表紙に題号だけを印刷して出した。
 大正初期は浪花節の全盛時代。明治末、大阪で活躍していた浪曲師の桃中軒雲右衛門(とうちゅうけんくもえもん)が東京に進出、歌舞伎座を借り切って独演会を開き、大反響を呼ぶ。講談・落語は落ち目になって講談師たちは浪花節を目の敵にした。
 大正2年6月、『講談倶楽部』は臨時増刊『浪花節十八番』を出し、増刊記念に浪花節大会を企画した。そのため、講談師との関係がこじれ、講談落語の速記者今村次郎から次のような提案が会った。
 ① 今後、『講談倶楽部』に浪花節を掲載しないようにしてもらいたい。
 ② 講談落語供給の独占権を得たい。
 今村がライバル誌の『講談世界』に持つ特権と同じものを『講談倶楽部』に要求してきた。野間清治の答えは「ノー」。
 9月発行の『講談世界』は、有名講談師48名の連名による「緊急弘告」を掲載。「『講談倶楽部』は我が講談師の意思に反するものなるが故に我々は爾今該雑誌の為に講演せざることを誓約す」。
 『講談倶楽部』は、編集方針を大刷新、「新講談」を掲載することにする。
 新講談……「文学に堪能な小説家や伝記作家」が書いた、「講談の様式と題材を具合よく採り入れて、講談と同様な興味あるおもしろい物語」(野間清治『私の半生』)。
 まだ名を成していない文士や新聞記者で、筆も早く、器用にまとめる能力のある者たちに執筆を依頼。都新聞(東京新聞の前身)の編集室がこれに応じ、中里介山、長谷川伸、伊藤みはる、遅塚麗水(ちづかれいすい)、平山芦江(ひらやまろこう)などが執筆した。
〔 彼らの「新講談」は、寄席で“語られる言葉”を速記で写し取ったものではなく、はじめから書き言葉で表現された。そのため従来の講談につきまとう冗漫さが消え、心理描写や情景描写が細やかになって読者に清新なインパクトを与えた。〕
 
●定価販売、返品自由制の確立(p208)
 大野孫平……大橋佐平の妻・松子の妹ヨセの子。明治44年、42歳で逝去した従兄の大橋省吾から東京堂の経営を引き継ぐ。
 大正3年3月、大野の説得により東京雑誌組合(日本雑誌協会の前身)が誕生。雑誌発行所と取次業者の計81社が加盟。最大の眼目は、小売店に雑誌の定価販売を守らせること。違反した小売店は取引を停止される。
 同年4月、大野の働きかけで取次と小売店による東京雑誌販売組合が結成される。
 以後、雑誌の定価販売は段階的に定着。完全実施は大正8年から。
 増田義一(ぎいち)……元読売新聞経済主任記者。実業之日本社を創立。
 明治42年新年号から、実業之日本社は『婦人世界』の返品自由方式を採用。これが成功し、『日本少年』『少女の友』など、全雑誌の返品自由制の採用にいたる。博文館の各種雑誌を凌駕する「実業之日本社時代」の到来。
〔 大野が主導した定価販売制と、増田がはじめた返品自由制は、大正期日本に雑誌時代をもたらした。乱売競争が収まり、売れ残りの返品が可能になったことにより、地方書店も雑誌販売に力を入れだした。雑誌販売店(当時は書籍だけを売る店と、書籍・雑誌の両方を売る店、書籍を扱わない雑誌販売店の三種があった)も全国的に増加し、販売網の拡大は売れ行き増進に拍車をかけた。〕
 
●滝田樗陰(p236)
 30円の本給のほかに、『中央公論』1部につき2銭の歩合給をもらっていた。
 大正8年、『中央公論』の発行部数は12万部を記録。滝田の月収は2千円を超えた。当時の市電の車掌の月給は40円。
 
●関東大震災(p256)
 東京の新聞17紙のうち、関東大震災で社屋焼失を免れたのは、東京日日(大阪毎日系)、報知、都の3社のみ。3社は、比較的早く平常通りの新聞発行をすることができた。
 東京朝日も、大阪朝日の応援でいち早く復旧に取りかかった。
 震災を境に、東京新聞界の勢力地図は一変した。震災以前は、東京朝日、東京日日、報知、時事、国民が五大紙と呼ばれていた。時事、国民がその地位から脱落。やまと、萬朝報、中央などの伝統ある新聞も衰退の一途をたどり、やがて姿を消した。
 震災後は、東京系新聞社の復興は大きく遅れ、資本力のある朝日、毎日の関西系二大紙が勢力を伸ばし、寡占体制を築いていく。
 読売は、1カ月前に完成した新社屋を焼失し、経営に行き詰って大正12年に正力松太郎に身売りする。
 
●『大正大震災大火災』(p257)
 講談社は、国民雑誌『キング』の創刊を1年先延ばしし、『大正大震災大火災』の発行を計画。横山大観が表紙絵を描き、口絵写真80頁、本文300頁、発行予定50万部。9月14日に原稿依頼を済ませ、19日までに原稿ができ、24日に校了。
 写真版用アート紙を実業之日本社に譲ってもらい、東京堂に働きかけて、雑誌販売ルートで初版20万部を配本した。
 当時、書籍は木箱に詰めて縄をかけ、荷札を付け、目方をはかって1個ごとに料金を計算し、預かりの伝票を付けて汽車で送る規則だった。雑誌は、新聞紙に包むだけ。鉄道省の総務課長鶴見祐輔(かつての緑会雄弁部の花形で、『雄弁』の創刊メンバーの一人)と交渉し、「荷造りは雑誌並み、料金は書籍」の許可を取り付ける。
 注文は、講談社の少年社員たちが都内全部の書店を回り、社員らが全国を回って集めた。
 広告宣伝は、新聞広告、ポスター作製、60万枚のDMはがき、など。
 こうして、書籍を雑誌ルートに乗せて流通させる道を開いた。雑誌販売店でも書籍が扱えるようになった。
 最終的に40万部の大ヒットとなる。(p641)
 
●雑誌時代(p261)
 「大正時代は概して雑誌時代で、雑誌小売店十に対し書籍小売店三の割合だった。その三の十分の三程度が書棚と平台を備えた書籍と雑誌の小売店」だった(松本昇平『業務日誌余白――わが出版販売の五十年』新文化通信社)。
 
●修養主義(p272)
 大正デモクラシーの後、時代の空気を最も敏感に反映した思想はマルクス主義と修養主義。
 修養主義……修身養心。身を修め、心を養うこと。克己や勤勉による人格の完成を道徳の中核とする精神主義的人間形成。明治30年代に台頭し、40年代に大きな潮流となった。
 明治大正は新渡戸稲造、昭和では野間清治(講談社?)の修養本がよく売れた。
 
●内覧(p409)
 雑誌などの発行前、原稿や校閲刷りの段階で行われる検閲。昭和12年8月(盧溝橋事件の翌月)から、発禁によるダメージを恐れる出版業者の要請で始まった。
 
●鈴木庫三(p510)
 萱原宏一『私の大衆文壇史』より。
 昭和21年12月8日、熊本から鈴木庫三(敗戦時は鹿児島の輜重兵連隊の連隊長で大佐だった)が訪ねてきた。世田谷の私宅を、講談社の高木前専務に買ってもらう斡旋の依頼だった。帰り際、次のように言った。
 「僕に何か頼みたい原稿があったら、いくらでも書くよ。だいたい民主主義だなんて言ったって、僕はそのほうの専門家だからねえ」。
 
●野間省一の思想(p616)
〔 世界の国々、各民族は、それぞれ固有の文化を有している。私は、各国、各民族が互いに他国の文化に接し、それによって自国の文化の向上をはかれば、人類の生活は更に豊かになるはずであると常に考えています。また、世界の国々がそれぞれの文化と社会を互いに理解し合えば、平和的に共存し、戦争を防ぐことができるという信念を持っています。他国、他民族に対する理解不足や誤解が数々の悲劇を生んできたことは歴史が私たちに示している。従って、あらゆる国が文化交流を行うべきであると思います。それは一方交通ではなく、相互交流でなくてはならないし、相互の理解なくして真の理解はあり得ないともいえます。
 そこで、真の理解を得るための、最も有効で、しかも現実的なものは何か。それは図書であると私は確信しているんです。一つの出版物は、その時代、その民族の文化の水準を示すバロメータであるが、これは国境を超え、古今を通じての人類の共有財産ともなるものです。地味であるかも知れませんが、出版文化の交流は各国の人々の相互理解、人間的共感を培い育てていく萌芽となること確信しています。〕
 「マスコミ文化」昭和51年(1976年)1月号のインタビュー。
 
●『昭和萬葉集』(p620)
 講談社学芸一部の副部長菅野匡夫が企画。
 小学館の役職者だった篠弘(早大国文科卒。『近代短歌史』という著書あり)に相談し、四人委員会(篠、上田三四二、岡井隆、島田修二)を結成し、ブレーンとする。
 一般からの公募も含め、一千万首の歌が集まった。
 昭和54年2月に第一回配本、全20巻。
 
●デジタル関連商品(p637)
 2011年に就任した7代目社長野間省伸は、国際化とデジタル化に舵を切った。
 2019年の売上高約1,300億円。製品売上と事業売り上げが半々。事業収入のほとんどはコミックを中心としたデジタル関連事業。
 野間省伸……1969年生まれ。野間惟道(第5代社長)、佐和子(第6代社長)の長男。
 
(2021/4/20)NM
 
〈この本の詳細〉


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

でたらめの科学 サイコロから量子コンピューターまで
 [コンピュータ・情報科学]

でたらめの科学 サイコロから量子コンピューターまで (朝日新書)
 
勝田敏彦/著
出版社名:朝日新聞出版(朝日新書 796)
出版年月;2020年12月
ISBNコード:978-4-02-295104-4-5
税込価格:869円
頁数・縦:221p・18cm
 
 乱数に関して、その生成方法から性質、活用法まで、蘊蓄を語る。
 分かりきったことを妙に丁寧に解説したり、肝となる部分の説明が省略されていたり分かりづらかったり、全体にアンバランスな印象を受けた。
 
【目次】
第1章 でたらめをつくる
 でたらめづくりの歩み
 世界最速のサイコロ
 「1+1=0」の異世界にて
第2章 でたらめをつかう
 真実に迫るでたらめ
 情報を守る乱数
 乱数を売る・操る
第3章 でたらめの未来
 1000兆個の乱数で
 物理乱数の夢
 進化する乱数
 
【著者】
勝田 敏彦 (カツダ トシヒコ)
 1962年、兵庫県生まれ。朝日新聞東京本社科学医療部次長。京都大学理学部卒、同大学院工学研究科数理工学専攻修了。89年朝日新聞社入社、週刊朝日編集部、東京・大阪の旧科学部、米CNN派遣、アメリカ総局員、メディアラボ室長補佐、ソーシャルメディアエディターなどを経て現職。
 
【抜書】
●乱数の定義(p4)
 「その数字を並べる以上に短くその数列を記述できる方法がない」。
 何らかの規則性が見つかれば短く記述できて圧縮できるが、乱数とはそうしたルールや特徴がなくて圧縮できない。つまり、覚えるとしたら丸暗記するしか方法のない数の並び。
 「コルモゴロフ・チャイティンによる定義」。ロシアの数学者アンドレイ・コルモゴロフと、情報理論を研究しているアルゼンチンの数学者グレゴリー・チャイティンにちなむ。
 
●乱数本(p24)
 1955年、米国のランド研究所が「A Million Random Digits With 100,000 Normal Deviates」という本を刊行した。
 600ぺーじのうち、400ページにわたって100万個の乱数が並び、200ページにわたって統計でよく使われる「正規分布乱数」が並んでいる。
 
●世論調査(p111)
 朝日新聞による郵送調査のやり方。
 人口や産業構造を考慮しながら市区町村を選ぶ。
 市区町村から選挙の投票所を300ほど選ぶ(投票所は全国に約4万7000箇所ある)。
 各投票所からどれくらいサンプルを抽出するかを決める。
 市区町村の選挙管理委員会に行き、各投票所に投票に行く有権者の名簿から、ランダムに名前と住所を書き取っていく。例えば1,000人の名から10人を選ぶ場合、最初の人を乱数で決め、その人から100人おきに書き取っていく。
 
●モンテカルロ法(p161)
 豆落とし法で円の面積を求める。
 一辺2の正方形を作り、その中にすっぽり入るような半径1の円を描く。
 上から何度か豆を落とし、円の内側に豆が入る確率を計算する。その確率✕正方形の面積が、円の面積となる。
 この方法は、モンテカルロ法という。複雑な図形の面積を求めるときに役立つ。
 豆を落とす回数が増えれば、正確な面積に近づいていく。計算の誤差は、1/√N。Nは、豆を投げた回数。
 
●酔歩(p170)
 ブラウン運動は、「ランダム・ウォーク」または「酔歩」ともいう。
 
【ツッコミ処】
・タイヤ四つ=直方体?(p18)
〔 昔のサイコロは立方体とも限らない。アストラガルスといって、山羊など後ろ脚のくるぶしの近くにある距骨と呼ばれる骨もサイコロとして使われていた。大英博物館には、距骨のサイコロも収蔵されている。紀元前8世紀ごろから栄えた地中海のロドス島の都市、カメイロスで見つかったもので、見た目は立方体というより、ミニカーのタイヤを四つまとめて接着したような形だ。直方体に近い形なので4面サイコロとして利用されていたらしい。〕
  ↓
 丸いタイヤをどうやって四つつなげると直方体になるのだろうか? 不思議。写真か図版で見たかった。
 
(2021/4/16)NM
 
〈この本の詳細〉

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

オンライン授業で大学が変わる コロナ禍で生まれた「教育」インフレーション
 [教育・学参]

オンライン授業で大学が変わる~コロナ禍で生まれた「教育」インフレーション~
 
堀和世/著
出版社名:大空出版
出版年月:2021年3月
ISBNコード:978-4-903175-99-7
税込価格:1,320円
頁数・縦:228p・19cm
 
 2020年、新型コロナ・ウィルス感染症のために、ほとんどの大学が閉鎖され、オンライン授業を余儀なくされた。この状況で様々な議論がなされたが、その経緯と問題点、今後の課題などを、関係者への取材やインタビューによって浮き彫りにする。
 本書で繰り返し出てくるのが、学費返還問題と、オンライン授業による「課題地獄」、オンライン授業と対面授業の長所短所、である。キャンパス施設が利用できない大学教育に、正規の学費を払う必要があるのか。教室での試験ができず、評価のための課題提出がてんこ盛りになって学生たちが疲弊している。教員や仲間の学生たちと直接に触れ合うことのできないオンライン授業に意味はあるのか……。そして、議論は「大学とは何か」にまで行きつく。
 世界に目を向けると、オンラインのみで授業を行うミネルバ大学に優秀な学生が各国から集まっているという。この大学の特徴の一つは、世界の七つの都市に学生寮を造ったことだ。授業がオンラインになっても、学生同士の交流を絶やしてはいけない、という理念があるのだろう。上に挙げた問題点の解決策の一つの例になるかもしれない。
 今回の新型コロナ禍が、日本の大学教育の改革に結びつくのなら不幸中の幸いである。
 
【目次】
第1章 降って湧いた「オンライン授業」―大学で何が起こったのか
 ある大学教授のリアルな声
 「ハイブリッド授業」への進化
第2章 走りながら考え、教えながら悩んだ―大学教員から見た「オンライン授業」
 オンラインと「現場」を結びつける
 教室という枠から「学び」を解放する
 「オンライン」で「対面」は代替できるのか
第3章 「教室」が消えた!―学生たちは「大学」に何を求めているのか
 一度も通えない!新入生親子のリアル
 学生の学生による学生のためのオンライン
第4章 コロナ以前の大学にはもう戻れない―オンライン授業の未来
 オンライン授業で日本は「国際化」できるのか?
 変わるべきか、変わらざるべきか 次なる形を探し続ける大学
 学生の「声」に一喜一憂?評価される大学、されない大学
 オンライン化だけは考えが古い大学で「教えるべきもの」を考える
第5章 ロングインタビュー・大学はもう一度死ぬのか?―吉見俊哉・東京大学大学院情報学環教授
 大学に「二度目の死」はあるのか、ないのか
 中世ヨーロッパ史から「オンライン化」を眺める
 デジタル化がもたらす「新しい大学」の形
 間違いだらけ!オンライン化の「メリット、デメリット」
 「グローバル化」と「オンライン化」が織りなす世界
 
【著者】
堀 和世 (ホリ カズヨ)
 1964年、鳥取県生まれ。東京大学教育学部卒業。1989年、毎日新聞社に入社。ほぼ一貫して週刊誌『サンデー毎日』に在籍し、取材、記事執筆、編集業務に携わる。2020年に退職してフリー。
 
(2021/4/7)KG
 
〈この本の詳細〉

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

誤読のイタリア
 [文芸]

誤読のイタリア (光文社新書)
 
ディエゴ・マルティーナ/著
出版社名:光文社(光文社新書1112)
出版年月:2021年1月
ISBNコード:978-4-334-04520-3
税込価格:880円
頁数・縦:228p・18cm
 
 日本在住のイタリア人による、異文化エッセー。
 日本人によるイタリア人に対する「誤読」をフラットな目線で、ときにユーモアを交えて綴る。イタリア人って、そうだったのか、と納得。しかし、本人の弁によると、自分は典型的なイタリア人ではない、とのこと。社交的でもないし、サッカーにも興味がない。「イタリア人」っぽくないから、日本文化に魅せられて留学までしてしまったか?
 
【目次】
第1章 誤読のイタリア人
 ある夜のイベント
 無口なイタリア人だっている
  ほか
第2章 誤読の人間関係
 「出会いがない」は日本ならではの表現?
 イタリア人の人間関係1 お喋りが好き
  ほか
第3章 誤読の恋愛関係
 「変な日本語」と「本当の日本語」
 日本で初めて聞いた言葉1 ナンパ
  ほか
第4章 誤読の家族
 イタリア人男性は皆マザコン?
 イタリアと日本の「家庭内会話」
  ほか
第5章 誤読のイタリア料理
 日本人は食べることが大好き?
 ハンガリーのレストランで、「あー、イタリア料理が食べたい」
  ほか
 
【著者】
 マルティーナ,ディエゴ (Martina, Diego)
 1986年、イタリア・プーリア州生まれ。日本文学研究家、翻訳家、詩人。ローマ・ラ・サピエンツァ大学東洋研究学部日本学科(日本近現代文学専門)学士課程を卒業後、日本文学を専攻、修士課程を修了。東京外国語大学、東京大学に留学。翻訳家としては谷川俊太郎『二十億光年の孤独』と『minimal』、夏目漱石の俳句集などをイタリア語訳、刊行。詩人としては、日本語で書いた処女詩集『元カノのキスの化け物』(アートダイジェスト)が読売新聞の書評で「2018年の3冊」の一つとして歌手・一青窈に選出される。黒田杏子主宰の「藍生俳句会」会員。
 
【抜書】
●大げさな表現(p60)
 イタリア流の大げさな表現は、事実を隠す「嘘」とは異なり、「事実を明かす」もの。
 〔不本意ながら尻尾を踏んでしまったことと、わざと猫を蹴ったこととでは、言うまでもなくまったく異なる。だけど、「私の猫を蹴った時」という言い方をすることで、猫を飼っている彼女がそのシーンを見て、実はどれだけつらい思いをしたのかが我々に伝わってきた。同じように、たった一度だけ「間抜け」と呼ばれた彼は、「いつもそう呼ばれている」と、わざわざ大げさな言い方をすることによって、ずっと不快な思いをしていた事実が彼女に伝えられた。つまり、大げさな表現のお陰で、二人はお互いの本心を打ち明けることができたんだ〕。
 
●点と線(p98)
〔 すでにお分かりの通り、イタリア人は社交にこだわる民族と言えるだろう。面識のない人に声をかけて、敬語という社交バリアを張らずに人に近づく。イタリア人は相手との触れ合いを求める民族なのだ。しかし、その「触れ合いたい」という根源的な動機は、どこから生まれてくるのだろうか。
 それを考えた私は、突如、数学のある原理を思い出した。古代ギリシャの数学者アルキメデスが残した言葉だそうだが、「点と点との間のもっとも短い距離は一直線だ」と。人間の場合も、そうかもしれない。〕
 
●政党移籍(p160)
〔 「常に自分を優先すべき」。その方針は政治から労働まで、イタリア社会のあらゆる面に浸透している。まず、政治界の例から見よう。他党から良いオファーが来ると、イタリアの政治家や国会議員は喜んで別の党へ移籍する。「オファー」というのは賄賂なり、高級な贈答品なり、有益になりそうな約束など。そのような「Compravendita dei senatori(和訳:「上院議員の売買」)のお陰で、崩壊を免れた政府も過去にあった。そうした政治家は、従来所属している政党のことや、その政党を選挙で選んだ国民のことを考えずに、自分の得になりそうなウチだけを優先する。だから、イタリアの政治が道徳観に欠けてしまいがちなのは、決して驚くべきことではないのだ。〕
 
(2021/4/4)KG
 
〈この本の詳細〉

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

「色のふしぎ」と不思議な社会 2020年代の「色覚」原論
 [医学]

「色のふしぎ」と不思議な社会 ――2020年代の「色覚」原論 (単行本)
 
川端裕人/著
出版社名:筑摩書房
出版年月:2020年10月
ISBNコード:978-4-480-86091-0
税込価格:2,090円
頁数・縦:348p・19cm
 
 小学生の時に色覚異常と診断された著者が、ヒトの目が「物の色」を感じる仕組みと社会的な偏見を解明した書。
 ヒトの40%は、色覚異常である……。そうなると、これは「異常」というより「多様性」と言うしかない。ヒトの目は、まだまだ進化の途上にあり、その機能は固定されていない、ということか? あるいは、個々人の見え方の差は致命的な問題ではなく、それぞれの条件の下で頑張って生き抜いてきた、だから「多様性」としていまだに残っている、ということなのではないだろうか。つまり、淘汰されずに来た理由がある。
 
【目次】
先天色覚異常ってなんだろう
第1部 “今”を知り、古きを温ねる
 21世紀の眼科のリアリティ
 20世紀の当事者と社会のリアリティ
第2部 21世紀の色覚のサイエンス
 色覚の進化と遺伝
 目に入った光が色になるまで
第3部 色覚の医学と科学をめぐって
 多様な、そして、連続したもの
 誰が誰をあぶり出すのか―色覚スクリーニングをめぐって
残響を鎮める、新しい物語を始める
補遺 ヒトの4割は「隠れ色覚異常」という話
 
【著者】
川端 裕人 (カワバタ ヒロト)
 1964年兵庫県生まれ。千葉県育ち。文筆家。東京大学教養学部卒業。ノンフィクションの著作として、科学ジャーナリスト賞、講談社科学出版賞を受賞した『我々はなぜ我々だけなのか』(講談社ブルーバックス)のほか、小説がある。
 
【抜書】
●1色覚、2色覚(p34)
 標準的なヒトの錐体細胞は、S、M、Lの3種類。
 錐体の吸光分布を決めるのは、オプシンと呼ばれる視物質(たんぱく質)で、L錐体のオプシンとM錐体のオプシンの遺伝子は、X染色体上の「長腕(Xp28)」と呼ばれる部分にあり、隣に位置している。非常によく似た遺伝子が隣り合っているので、途中で交叉することで「非相同組み換え」(不等交叉)が起きやすい。
 MかLを欠いている状態を2色覚という。古い呼称で「色盲」。Dichromacy。
 MがM'に、LがL'になっている状態を異常3色覚という。「色弱」。Anomalous Trichromacy。SM'L、SML'、SMM'、SM'L'、SL'L'。
 1型色覚(Protan)……L錐体が欠けていたり、標準的なものとずれていたりするタイプ。
 2型色覚(Deutan)……M錐体が欠けていたり、標準的なものとずれていたりするタイプ。
 3型色覚(Tritan)……S錐体が欠けていたり、標準的なものとずれていたりするタイプ。先天性は少ない。
 
●脊椎動物の視覚オプシンのレパートリー(p115)
     赤型 緑型 青型  紫外線型 桿体型
 魚 類 ◎  ◎  ◎   ◎    ◎
 両生類 〇  ?  〇   〇    〇
 爬虫類 〇  〇  〇   〇    〇
 鳥 類 〇  〇  〇   〇    〇
 哺乳類 〇  ✕  ✕   〇    〇
 霊長類 ◎  ✕  ✕   〇    〇
    (L,M)        (S)
 ◎は、サブタイプあり。遺伝子重複、あるいは対立遺伝子多型。
 
●40%(p120)
 ヒトには、MオプシンとLオプシンの遺伝子の前半と後半が組み換わったL-M融合オプシンをもった変異3色型の個体が40%ほど存在する。
 日本人の場合、男性の5%、女性の0.2%が先天色覚異常と言われている。
 
●輪郭(p127)
 霊長類の赤-緑の色覚は、物の形を見る神経回路をそのまま使っていて、物の輪郭を見る機能を犠牲にしている。
 サルに丸いパターンを選ぶと餌がもらえるという訓練をして、それを緑だけ、赤だけで訓練を重ねていって学習をした後に、時々モザイクになっているやつを混ぜる実験。3色型色覚のサルは、餌が欲しくてすぐに手を出し、正答率が偶然レベルにまで落ちる。2色覚のサルは惑わされない。
 
●コピー数多型(p141)
 一塩基多型(SNP: Single Nucleotide Polymorphism)……ゲノムの塩基配列30億個の中で1,000か所に1か所くらい、つまり数百万か所は、標準的なものと入れ替わっている。
 コピー数多型(CNV: Copy Number Variation)……遺伝子のコピー数が違う。
 
●多型、変異(p143)
 頻度が1%より高いものは「多型」(polymorphism)と呼び、それより低いものを「変異」(mutation)と呼ぶ。
 頻度が高いものは既に定着した「多型」であり、本来持っている多様性の一部と考える。
 
●青色(p153)
 水晶体は加齢とともに徐々に着色していって、青みを生じさせる短波長の光を通しにくくなる。
 白内障などの手術で水晶体を人工レンズに入れ替えると、空はこんなに青かったのかと驚く人が多い。
 
●4色覚(p155)
 先天異常3色覚の男性の母親、つまり「保因者」たちは、標準的なLとMだけでなく、さらにL'あるいはM'の視物質の遺伝子を持っている。それらの遺伝子が実際に網膜上で発現すると、4色覚となる。
 実際に、3色覚よりも細かく色弁別する人たちがいるという実験結果が出ている。
 
●石原表(p193)
 学校の健診や町の医院などで、色覚検査の際に使われるカード。
 1916年(大正5年)、大日本帝国陸軍の軍医だった石原忍が「色覚検査表」を出版。まずは徴兵検査に使われ、後に学校健診にも取り入れられ、様々なバージョンが流通した。
 2013年に「石原色覚検査表Ⅱ国際版38表」が発売される。
 石原表は、世界的に最も普及し、もっとも信頼される色覚検査表だとされる。
 「第二次世界大戦で日本が敵国だったときにも、パイロット候補生の色覚検査には石原表を使っていた」(2017年の国際色覚学会で出会ったアメリカ空軍関係者の話)。
 
●アノマロスコープ(p200)
 日本眼科医会が推奨する検査手順で、アノマロスコープ検査が「確定診断」の手段とされる。
 単眼の顕微鏡のような接眼部から片方の目で覗き込み、「緑と赤をまぜて、黄色を作る」。
 しかし、町の医院ばかりでなく、大学病院のような医療機関でも色覚外来がない場合は所持していないところがほとんど。
 
●感度、特異度(p258)
 感度(sensitivity)……その検査が「病気の人を病気と判定する割合」。感度が低いと、偽陰性が多く出てしまう。
 特異度(specificity)……病気でない人(健康な人)を病気でないと判定する割合。特異度が低いと、偽陽性が多く出てしまう。
 
(2021/4/4)KG
 
〈この本の詳細〉

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

中東全史 イスラーム世界の二千年
 [歴史・地理・民俗]

中東全史 ――イスラーム世界の二千年 (ちくま学芸文庫)
 
バーナード・ルイス/著 白須英子/訳
出版社名:筑摩書房(ちくま学芸文庫 ル9-1)
出版年月:2020年10月
ISBNコード:978-4-480-51001-3
税込価格:2,200円
頁数・縦:754p・15cm
 
 単行本『イスラーム世界の二千年』(草思社、2001年)の文庫版。原著は、“The Middle East: 2000 years of History from the Rise of Christianity to the Present Day”、1995年。
 単なる政治史、帝国史ではなく、中東の歴史と文化がよく分かる1冊である。
 
【目次】
第1部 文明の十字路は今
 西欧化は服装から始まった
 メディアの力
 統治者の肖像画と偶像崇拝禁止の矛盾
 伝統と文化のはざまで
第2部 先人たち
 キリスト教勃興以前
 イスラームの興隆まで
第3部 イスラームの黎明期と最盛期
 イスラームの起源
 アッバース朝カリフ国
 大草原民族の到来
 モンゴル人襲来の余波
 硝煙の匂う帝国
第4部 イスラーム社会の断面図
 中東諸国家の性格
 経済
 エリートたち
 庶民たち
 宗教と法律
 文化
第5部 迫りくる近代化の波
 西欧からの挑戦
 忍び寄る変化
 対応と反発
 新しい思想
 戦争の時代
 自由を求めて
 
【著者】
 ルイス,バーナード (Lewis, Bernard)
 1916年‐2018年。ロンドン大学で近東・中東研究、イスラーム史を専攻。第二次大戦中は英国軍においてカイロ等に駐在し、1949年からロンドン大学アジア・アフリカ学院教授。74年からプリンストン大学付属高等技術研究所教授を歴任し、同大学名誉教授となる。
 
白須 英子 (シラス ヒデコ)
 翻訳家。日本女子大学英文学科卒業。
 
【抜書】
●政府刊行物(p63)
 中東では、かなり長い間、新聞といえば政府刊行物だった。「臣民に政府の意図と命令を伝えるためのもの」。
 
●ガリラヤ(p83)
 現在のイスラエル近辺のローマ時代の名称。
 北部「ガリラヤ」、中部「サマリア」、南部「ユダヤ」。
 
●アラビアの衰退(p116)
 ローマ帝国とペルシア帝国が平和を保っていた384~502年の間、アラビアは衰退した。アラビアも、砂漠やオアシスを経由する長くて費用もかさむ危険の多い隊商路も、顧みられなくなった。
 オアシスの入植者たちでさえ、移住するか、遊牧生活に切り替えた。交易の途絶と遊牧生活への切り替えが生活や文化の水準を全般的に下げ、アラビアを大昔に返ったように文明世界から著しく孤立させてしまった。
 ムハンマドが生まれた6世紀には、再びペルシア帝国とビザンツ帝国との紛争が再開した。アラビアの住民たちは、両方の側から支持を求められたり、礼遇されたり、賄賂を使って買収されたり、うまい汁が吸えるようになった。
 さらに、ビザンツ帝国はペルシア人の影響力が及ばないルートを探さねばならず、北の大草原地帯を通るものと、南の砂漠を経由する二つのルートを再開拓した。
 
●絹の流出(p123)
 中国では、絹の製造は厳重な秘密とされ、蚕を輸出したものは死刑に処せられていた。
 552年、シリアのネストリウス派の二人の修道士が中国からビザンツ帝国へ蚕の卵を密輸することに成功し、7世紀はじめには小アジアで養蚕業が確立された。
 中国の独占に終止符が打たれた。
 
●政治的権力(p132)
 〔ムハンマドは約束の地を征服し、生前に勝利を収めて、預言者としての権威ばかりでなく政治的権力をも行使する実力者になった。神の使徒としての彼は、宗教的な啓示を携えて、それを民に広めた。だが同時に、彼はイスラーム共同体(ウンマ)の長として、法律を発布、施行し、税金を集め、外交の指揮をとり、戦争もし、和議を結んだ。生活共同体として出発したウンマは国家になり、やがて帝国になる。〕
 
●シーア・アリー(p146)
 「アリーの党派」という意味。のちに「アリー」が省略されて「シーア派」と呼ばれるようになった。
 正統カリフの時代、カリフは、非世襲制によって即位した。
 《正統カリフ時代》
 初代:アブー・バクル……2年間の統治。634年に病死。
 二代:ウマル・ブン・アハッターブ……在位634−644年。アブー・バクルが臨終の床で後継者に指名した。アリー(ムハンマドの従兄弟で娘婿)の支持者たちだけが異議を申し立てた。不満をいだいたキリスト教徒の奴隷によって殺された。
 三代:ウスマーン……644−656年。メッカの貴族階級の代表者である名門ウマイヤ家。二人の前任者のような尊敬を得られなかった。ムスリム・アラブ人の謀反によって殺された。
 四代:アリー……656−661年。ムスリム・アラブ人の謀反によって殺された。
 五代(ウマイヤ朝):ムアーウィア……661−680年。ウスマーンの従兄弟で、シリア州総督だった。以降、カリフの後継者は事実上世襲制となった。
 
●イスラーム(p162)
 「真の宗教はただ一つイスラームあるのみ。」(コーラン第3章)
 イスラーム……「絶対的に服従する」という意味。神に対する絶対無条件服従。
 「ムスリム」は、同じ動詞の能動分詞で、「絶対的に服従する者」を意味する。その昔、「そっくりそのままの状態」という別の概念を意味する言葉でもあった。つまり「ムスリム」とは、自分自身を他の一切を除く唯一の神だけにそっくりそのまま捧げる者、という意味。7世紀の異教徒の国アラビアの多神教徒に対して、一神教徒を意味した。(p419)
 
●イラン人の幕間劇(p183)
 9世紀にアラブ人勢力が衰退して、11世紀にトルコ人勢力が最終的に確立されるまでの間に、イラン人の復活する時期があった。イラン人に支持されたイラン人の王朝による国家が、イランを基盤とした地域に興った。
 イラン人の民族精神と文化を新たなイスラームという形で生き返らせた。
 イラン東部のターヒル朝(821−873年)、東方のサッファール朝(867−903年)とサーマーン朝(875−999年)、北方と西方のブワイフ朝(932−1055年)、などのムスリム王朝。
 特にサーマーン朝の首都ブラハは、イラン文化復活のセンターになった。公用語はペルシア語。ペルシアの詩人や学者の活動を奨励し、10−11世紀には、ムスリムの信仰と伝統に大きな影響を受け、アラビア文字で書かれていたが、本質的には明らかにペルシア的な新しいペルシア文学が誕生した。
 
●カリフ(p278)
〔 カリフは教皇と皇帝を一人で兼ねる、国家と教会の長であると言われることがある。西欧的キリスト教用語を使ったこの表現は誤解を招きやすい。たしかにキリスト教徒帝国のような「帝権」と「教権」のあいだの区別はなかったし、また別個に独自の長と位階制をもつ宗教組織としての「教会」も存在していなかった。カリフ位はつねに宗教職と定義され、カリフの至上の目的は、預言者ムハンマドの伝統を守り、聖法を守らせることだった。だが、カリフには教皇や司祭のような機能さえもなく、教育あるいは専門職としての経験を積むことによってイスラーム法・神学者階級(ウラマー)に属することもなかった。カリフの任務は、教義の説明や解釈ではなく、その支持と保護、つまり臣民がこの世でよきムスリムとしての人生を送り、来世への準備を整えられるようにすることにあった。そのために、カリフはイスラーム国家の国境内で、神から与えられた聖法を維持、擁護し、できれば国境を広げ、定めの時までに全世界にイスラームの光明を広げなければならなかった。ムスリムの正史では、初期の征服を、「開通」を意味するアラビア語〈フトゥーフ〉と呼んでいる。
 カリフには、その職務のさまざまな側面と概念を象徴するいくつもの呼び名があった。神学者や法学者はカリフを、本来はムスリムの礼拝の指導者を意味する〈イマーム〉(導師)と呼ぶのが常である。カリフの政治的・軍事的権威は〈アミール・アルムーミニーン〉と呼ばれていたが、これは通常「信徒の長」と訳されていて、もっとも頻繁に用いられた称号だった。〈ハリーファ〉(継承者、代理人)という称号は歴史家がよく用い、硬貨の銘にもしばしばこの言葉が見られる。理論的には、預言者ムハンマドがイスラーム教を創始してからの最初の数百年は、カリフを長とする一つの国家によって統治されたムスリム共同体が一つあっただけだった。〕
 
●カリフの消滅(p299)
 16世紀初頭、中東には三つの大きな国家があった。トルコとエジプトはスルタン、イランはシャーによって統治されていた。
 1527年のオスマン帝国のエジプト遠征後、アッバース朝系の最後の名目的なカリフがカイロからイスタンブールへ連行され、数年後に平民となって帰国した。それ以降カリフはいなくなり、オスマン帝国の歴代スルタンと、あちこちの小国の自称スルタンたちは、同時にカリフを名乗り、各自の領土を支配した。「カリフ」という言葉が、スルタンがその称号に付け加えた無数の称号の一つになった。
 「カリフ」は、18世紀末に全く違った状況のもとで復活するまで、古来の重要性を全く持たないものになってしまった。
 
●形成手術(p342)
 イスラーム法では身体の毀損を禁じていたので、宦官たちは、イスラーム領土へ入る前に辺境地で「形成」手術を受けた。
 
●アル・ムータシム(p384)
 奴隷連隊を導入したのは、アッバース朝カリフのアル・ムータシム(在位833−842年)だったと言われている。
 イスラーム圏以東の草原地帯で若いうちに捕えられ、少年時代から軍事訓練を受けたトルコ人奴隷で構成されていた。
 その後も奴隷兵士の大部分がトルコ人で、トルコ人自身がイスラーム教に改宗して法的に奴隷化できなくなるまで続いた。トルコ人支配者たちは、カフカスやバルカン半島の非ムスリムを奴隷兵に徴用した。
 
●スルーク(p412)
 古代アラビアでは、スルーク(山賊詩人)と呼ばれる人たちが活躍した。
 スルークは放浪者で、部族の組織圏外に生活し、組織によって何ひとつ保護されていなかった。そのような人たちが際だって優れた詩を生み出し、中世のみならず近代の文学史家たちからも称賛された。
 16〜17世紀にかけてオスマン帝国のアナトリア地方を荒らし回っていた「ジェラーリ」と呼ばれる山賊集団は特に有名。除隊された兵士、土地のない農夫、神学校を卒業した失業者などの不満分子の集まりだった。彼らの指導者の中には、アナトリアの民話や民族詩にその名が残っている者もいる。
 
●モスク(p421)
 アラビア語の「マスジド」から出た言葉。「ひれ伏す(スジュード)場所」、すなわち、信者が体をひれ伏して神の前にひざまずく場所という意味。
 キリスト教徒の教会に匹敵するものではなく、モスクは礼拝所、会合や勉強の場所としての建造物であって、それ以上のものではない。彼ら独自の組織や階級制、法律や法的管轄区域をもった機関を指したことは一度もない。
 イスラーム初期には、信者たちが集まる単なる祈りの場としての公共建造物でさえなかった。祈りは個人の家や、公共の場、野外、征服された民族の様々な宗教のために建てられていた礼拝堂で行われることもしばしばあった。
 
●カーディー、ムフティー(p427)
 イスラム法は、神によって定められ、預言者ムハンマドによって公布されたとみなされている。法学者と神学者が別々な観点から同じ仕事に携わっている。
 「聖法(シャリーア)」の専門家たちは官僚ではなく私人であり、彼らの判定には公的な拘束力もなければ、一貫性もなかった。
 ムフティー……法律の解釈を行う法学裁定官。彼の意見もしくは判定は「ファトワー(法的見解)」と呼ばれ、法律ではないが、法的に権威あるものとして引用される。
 カーディー……国家に任命された裁判官。法律を適用することが任務で、解釈することではない。
 
●歴史(p499)
〔 学識を深め、さらに広く科学や知識の伝播に重要な役割を果たしたのは翻訳者の仕事だった。九世紀以降、翻訳者は数学、天文学、物理学、化学、医学、薬学、地理学、作物栽培学その他の哲学を含む広範なジャンルの、おもなギリシア語文献をアラビア語に訳すという一連の画期的な仕事をやりとげた。原典の一部は地元の非ムスリムが所持していたものであったり、ビザンツ帝国から特別に輸入されたものもあった。注目すべきは、彼らがギリシア人歴史家の著書を訳さなかったことである。古代異教徒の込みいった事柄には何の意味も価値も見出せなかったからだ。彼らは詩人の作品も翻訳しなかった。ムスリムには自分たち自身の詩の作品がたくさんあったし、第一、詩は翻訳不可能だったからである。〕
 
●中間の文明(p509)
〔 イスラーム世界は、時間と空間の両方の中間という意味での「中間の文明」と言われる。その外縁はヨーロッパ南部、中央アフリカ、南部・南東部・東部アジアに及び、それらの地域のすべての基本要素を包み込んでいる。時間的にもまた、古代と現代の中間にあって、ヨーロッパとギリシアやユダヤ教徒・キリスト教徒の遺産を共有し、さらにそれを遠隔の地と諸文化の要素を取り入れて豊かなものにしていた。古代ギリシアから現代への道筋のなかで、近代的、普遍的文明への進展をしっかりと約束してくれたのは、ギリシアやヨーロッパ・キリスト教国の文明と言うよりも、アラブ人のイスラーム文明であると思われていたのは無理もない。〕
 
●ミッレト(p594)
 宗教共同体。
 オスマン帝国では、大きな順からムスリム、ギリシア正教徒、アルメニア正教徒、ユダヤ教徒の四つの大きなミッレトがあった。
 
(2021/4/3)KG
 
〈この本の詳細〉

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ: