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逆襲する宗教 パンデミックと原理主義
 [哲学・心理・宗教]

逆襲する宗教 パンデミックと原理主義 (講談社選書メチエ)
 
小川忠/著
出版社名;講談社(講談社選書メチエ 780)
出版年月:2023年2月
ISBNコード:978-4-06-530973-5
税込価格:1,925円
頁数・縦:236p・19cm
 
 2020年の新型コロナ・ウイルスによるパンデミックにより、世界中で宗教の復興が目立つ。その実態を各宗派別に概観し、その功罪を論じる。
 
【目次】
序章 世界の宗教復興現象―コロナ禍が宗教復興をもたらす
第1章 キリスト教(プロテスタント)―反ワクチン運動に揺れる米国
第2章 ユダヤ教―近代を拒否する原理主義者が孤立するイスラエル
第3章 ロシア正教―信仰と政治が一体化するロシア
第4章 ヒンドゥー教―反イスラム感情で軋むインド
第5章 イスラム教―ジハード主義者が天罰論拡散を図る中東・中央アジア
第6章 もうひとつのイスラム教―宗教復興の多面性を示すイスラム社会、インドネシア
終章 コロナ禍で日本に宗教復興は起きるか
 
【著者】
小川 忠 (オガワ タダシ)
 1959年、神戸市生まれ。早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士課程修了。博士(学術)。国際交流基金を経て、跡見学園女子大学文学部教授。専門は国際関係、アジア研究、文化交流政策。
 
【抜書】
●原理主義(p24)
〔 本書は、世俗ナショナリズムに敵対する宗教政治運動を「原理主義」、世俗ナショナリズムに協力するそれを「宗教ナショナリズム」と呼ぶことにする。
 またイスラム法に基づく統治という理念を実現するために一般市民を巻き込んだ無差別テロ等の暴力行為を厭わぬアル・カーイダやISは、「イスラム過激派」とも呼ばれる。しかし、この言葉は「イスラム=過激」という固定観念の強化につながる危険性があるので、学術的には「ジハード主義」等の表現に置き換えられることが増えている。本書でも「ジハード主義」を用いることにする。〕
 
●福音派(p42)
 「2020年米国宗教統計」(公共宗教研究所:PRRI)によると、米国民の約7割がキリスト教徒。
 国民の4割強を占めるのが白人キリスト教徒。福音派プロテスタント14%、主流派プロテスタント16%、カソリック12%、モルモン1%。
 黒人プロテスタント7%、ラテン系カソリック8%、ラテン系プロテスタント4%
 福音派と主流派のあいだには、「文化戦争」とまで呼ばれるほど深刻な亀裂が生じている。福音派は、「原理主義者」、「キリスト教右派」、「クリスチャン・ナショナリズム」の基層をなす。「個人はその理性を働かせて時代状況に合わせて教義を解釈する自由がある」という主流派の自由主義神学に反発する。
 福音派の中でも原理主義者は、彼らが選んだキリスト教の「原理」にこだわり、聖書を字義通りに読むべきとして、学校で進化論を教えることに反対し、世俗主義を敵視しする。
 
●世界教会協議会(p52)
 2020年3月、プロテスタントの世界教会協議会は、各国の教会に向けてパンデミックを乗り越えるためのガイダンスを発表した。
 ・パンデミックで社会機能が麻痺した世界を元に戻すために、信仰共同体は政府、医療従事者とともに大きな役割を果たすことができる。
 ・弱者への感染を防ぐために、当面、集団礼拝をすべてキャンセルすべしと勧告。
 ・従来の対面型集団礼拝に代わって、可能な限りデジタル技術を活用したオンライン方式での礼拝、ラジオやテレビ等による福音伝道、WhatsApp等のメッセージ・プラットフォームの活用を推奨。
〔 教会および教会コミュニティーができることとして、正確で信頼できる情報の流通を教会メンバ―に求めている。今は、デマ、非科学的情報、他者への憎悪を煽る扇動などがあふれている、歪んだ情報は社会的パニックを招くもととして、こうした状況を改善するために教会は声を上げなければいけないと説いている。〕
 
●ハレディーム(p58)
 「敬虔な人々」という意味。ユダヤ教の超正統派。ユダヤ教原理主義。
 イスラエル政府の指示に従わず、イェシヴァ(宗教学校)や集団礼拝を続けたため、新型コロナの集団感性が発生。他の地域に比べ、ハレディーム居住地区に高い率で感染が起きていた。
 
●ダティーム(p61)
 ユダヤ教の宗教派(現代正統派)。
 「ユダヤ人とはユダヤ教」という、宗教をアイデンティティの源とするユダヤ教の正統派の2グループのうちの一つ。世俗ナショナリズムに反発するユダヤ教原理主義。もう一つは超正統派ハレディーム。
 この一派から世俗的なシオニズムとは一線を画す「宗教シオニズム」が出現した。
 
●東方正教会(p80)
 ギリシャ正教会。
 東方正教会(ギリシャ正教会)は、独立・自治の地域教会の連合体。ローマ・カトリックの教皇にあたる地位は存在しない。
 コンスタンティノープル総主教は、「全地」総主教と呼ばれ、すべての正教会信者から尊敬を集める存在であるが、各独立・自治教会に指示・介入する権限はない。
 ロシア正教会は、規模において東方正教会最大の独立教会。1589年、コンスタンティノープル総主教エレミアス2世(1536-95年)により、モスクワ府主教イオフ(1525-1607年)が初代の「モスクワおよび全ルーシの総主教」に叙聖され、モスクワ正教会は「総主教座教会」の地位を獲得する。「府主教座」からの昇格。「第三のローマ=モスクワ」論。総主教座教会は、古代からの教会(コンスタンティノープル、アレクサンドリア、アンティオキア、エルサレム)のみであった。モスクワ総主教庁。
 
●東京復活大聖堂(p108)
 日本にある自治正教会。東京神田のニコライ堂が首座主教座教会。
 
●五行(p141)
 イスラム教には、六つの信仰箇条と五つの信仰の柱がある。「六信五行」。
 五行は、①信仰告白、②礼拝(1日5回の礼拝と金曜日の集団礼拝)、③喜捨、④断食(断食月の1か月)、⑤巡礼(一生に一度、定められた期間中のメッカ・カーバ神殿への巡礼)。
 メッカ巡礼には、「五行」の一つである大巡礼(ハッジ)と、巡礼期間外に随時行われる小巡礼(ウムラ)の2種類がある。メディナへのウムラもある。
 
●社会資本(p173)
〔 外から見ているとISの天罰論などセンセーショナルな教義解釈に目を奪われがちになり、「イスラムは狂信的ゆえに新型コロナウイルスとの戦いの足かせ」という見方に傾きがちだが、大方のイスラム解釈が、不安と闘う人々を勇気づけ、人と人とをつなぐ社会資本として機能し、国が十分に提供できていない公共サービスを人々に届け、新型コロナウイルス封じ込めの一役を担う機能を果たしている点を正当に評価しておきたい。〕
 
●ハラール、ハラーム(p179)
 イスラム法は、人間のすべての行いを義務・推奨・禁止・忌避・許容の五つに分類する。
 ハラールは許容、ハラームは禁止行為にあたる。
 クルアーン第7章第157節「一切の善い(清い)ものを合法〔ハラール〕となし、悪い(汚れた)ものを禁忌〔ハラーム〕とする。」
 クルアーン第2章第173節「かれがあなたがたに、(食べることを)禁じられるものは、死肉、血、豚肉、およびアッラー以外(の名)で供えられたものである。だが故意に違反せず、また法〈のり〉を越えず必要に迫られた場合は罪にはならない。」
 
●ハラール認証(p181)
 この30年間、ハラール市場拡大の牽引者の役割を果たしてきたのは、マレーシアやインドネシア。イスラムの本家である中東ではない。
 マレーシアは1994年に世界で初めて、政府がハラール認証を付与する制度を創設し、ハラールの国際統一基準制定のイニシアティブをとっている。
 インドネシアも、1999年、インドネシア・ウラマー評議会(MUI)が肩入れして「世界ハラール食品協議会」(WHFC)をジャカルタで創立、政府も2014年にハラール製品保証法を制定し、MUIとともにハラール認証を行う行政機関「ハラール製品保証実施機関」(BPJPH)を2019年に新設している。
 中東は国民の大半がイスラム教徒で、社会におけるハラールが当然であるのに対し、マレーシアはイスラム教徒のマレー系のほか、華人系、インド系が混在する多文化社会。インドネシアもイスラム教徒が多数派とは言え、経済・流通に関しては華人系資本の力が強い多文化社会。
 
●日本の宗教復興(p207)
〔 日本の宗教復興は、宗教と文化が混然一体で境界があいまいという日本特有の形態から、共同体の紐帯となる精神性を帯びた文化という形で社会的な存在感を増していくのではないか、と私は想定している。日本と同じく世俗性の強い現代中国社会において、儒教の復権が指摘されているが、これはナショナリズム強化を目論む国家が儒教の伝統文化的側面を利用するという構図で進行している。日本においても宗教とナショナリズムが結びつく可能性はある。しかしそうなった場合、戦前・戦時中の国家による宗教利用の弊害が記憶として残る日本では反発も強いであろう。
 これとは違った可能性があるかもしれない。より小さなサイズの地域共同体の再編と結びついた宗教の復興である。〕
 
(2024/4/15)NM
 
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労働の思想史 哲学者は働くことをどう考えてきたのか
 [哲学・心理・宗教]

労働の思想史: 哲学者は働くことをどう考えてきたのか
 
中山元/著
出版社名:平凡社
出版年月:2023年2月
ISBNコード:978-4-582-70365-8
税込価格:3,300円
頁数・縦:326p・19cm
 
 「労働」について、古代から現代まで、人びとが思考を巡らしてきたその軌跡をたどる。
 
【目次】
序として 働くという営みの分類について
原初的な人間の労働
古代の労働観
中世の労働観
宗教改革と労働―近代の労働観の変革(一)
経済学の誕生―近代の労働観の変革(二)
近代哲学における労働
マルクスとエンゲルスの労働論
労働の喜びの哲学
労働の悲惨と怠惰の賛歌
労働論批判のさまざまな観点
グローバリゼーションの時代の労働
 
【著者】
中山 元 (ナカヤマ ゲン)
 哲学者・翻訳家。哲学サイト「ポリロゴス」主宰。1949年、東京生まれ。東京大学教養学部中退。
 
【抜書】
●労働、仕事、活動(p13)
 ハンナ・アーレントは、人間の行動の全体を三つの概念に分けて考察した。
 労働……人間が自分の生命を維持するために必要な苦しい営み。きわめて個人的なもの。労働は、個人の生活を支えた後には何も残らない。食事の用意、部屋の片づけ、掃除。労働は、人びとの生活を維持するためには不可欠であるが、後には何も残さず、何も生産しないので、時にむなしく感じられるもの。
 仕事……人々が自分の能力を発揮して社会のために何かを残そうとする営み。創造的な性格を備えている。この行動によって世界にさまざまな作品と道具が残される。この営みは、個人的な才能を発揮するという意味では個人的なものであるが、世界に産物を残すという意味では半ば公的な性格を帯びている。
 活動……人々が公的な場において自分の思想と行動の独自性を発揮しようとする営み。個人の生活の維持ではなく、公的な場において共同体の活動に参画するものであり、公共的な性格を帯びるものである。この思想と行動という活動の後には、眼に見える「作品」のようなものは残らないことが多い。
 アーレントは、「活動」という営みを、労働や仕事とは明確に異なる特別な次元の行為として捉えた。
 
●修道院、生活の規律化(p62)
 中世、修道院での労働には、労働の肯定的な価値の再発見以外に、幾つかの利点が備わっていた。
 (1)修道士たちに服従の精神によって労働させることで、修道院は自立した経済基盤を確保することができた。
 (2)修道士たちの労働は時計による一日の規則的な規律に従って遂行された。修道院で改良された時計は、外部に伝達されて日常的に使われるようになる。それだけではなく、「町全体が時計塔の音に活動を合わせる」ようになった。生活の規律化が、後の資本主義の社会における生活と労働の規律化の基礎となった。
 (3)修道院の規律化された労働は、それまでの労働に備わっていたさまざまな否定的な側面を解消するという効果を発揮した。「労働の細分化、階級的搾取、差別、大量強制と奴隷制、生涯に一つの職業や役割の固定化、中央集権的な制御」など、労働にまつわる様々な負の要素を取り除いた。
 (4)服従の精神と規律に従うものであっても、他者に強制されて行うという奴隷的な性格をもたない。そのため、修道士たちの生活そのものに規則正しさと均衡をもたらした。労働そのものの成果は、修道士たちの間で公平に分配された。
 さらに修道院には医療や看護などの手当ても完備しており、「修道院は〈福祉国家〉の初期の典型であった」。
 
●デイヴィッド・ヒューム(p132)
 1711-1776年。
〔 ロックは労働から権利が生まれると考えたが、ヒュームは労働の産物を安全に所有する目的から、ごく自然に所有と権利という観念が生まれたと考える。「他人の所有にたいしては、自分の欲望を控えるという黙約が結ばれて、各人が自己の所有の安定を獲得してしまうと、ここにただちに、正義と不正義の観念が起こり、また所有や権利や責務の観念が起こる」とヒュームは考える。ヒュームのこの考え方は、社会契約という観念を明確に否定するものである。社会が契約のような外的な手段によって形成されるのではなく、暗黙の了解という内的な同意に基づいて自然に生まれるものだという。これは思想的な僚友であったアダム・スミスが「見えざる手」を信じていたのと同じように、社会が契約などの超越的な手段によって形成されると考えるのではなく、その内部から内在的な方法によって社会が形成されることを主張するものであり、社会思想史のうえでもとくにユニークな考え方である。ただしどちらの考え方においても、社会の構築のために基軸となるのは、人間の労働とその産物である所有の保護であった。〕
 
●第三身分(p186)
 エマニュエル=ジョセフ・シエイス(1748-1836年)。フランスの思想家。「空想的社会主義者たち」の思想の前提となった第三身分の思想。
 第一身分が聖職者、第二身分が貴族(国王を含む)。
 社会を維持するために必要なのは、「民間の仕事と公共の職務である」。
 民間の仕事……農業、産業、商業、サービス業に分類される。これらの仕事をしているのはすべて第三身分の人々。
 公共の仕事……軍事(剣)、司法(法服)、宗教(教会)、公務員(行政)に分類される。第一身分と第二身分の人びともこれらの仕事に携わることもあるが、圧倒的な多数を占めるのが第三身分。
 「第三身分がいたるところでその二十分の十九を占めている」。
 第三身分が存在しなければ社会が維持できない。第三身分はその仕事の業務内容によって、さまざまな物事の管理や運営に長けており、そもそも第一身分と第二身分が存在しなければ、社会の運営はさらに円滑に進むはずである。「第三身分なしでは、何ごとも進まない。それ以外のものが存在しなければ、何もかもずっとうまくいくであろう」。
 
(2023/10/9)NM
 
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悪意の科学 意地悪な行動はなぜ進化し社会を動かしているのか?
 [哲学・心理・宗教]

悪意の科学: 意地悪な行動はなぜ進化し社会を動かしているのか?
 
サイモン・マッカーシー=ジョーンズ/著 プレシ南日子/訳
出版社名:インターシフト
出版年月:2023年1月
ISBNコード:978-4-7726-9578-7
税込価格:2,420円
頁数・縦:269p・19cm
 
 「最後通牒ゲーム」で、たとえ少額でも利益を得られるのに拒否する人がいる。約半数の人が、10ドル中2ドル以下の提案を拒否する。ヒトはなぜ、ホモ・エコノミストを逸脱するような、そんな悪意のある行動をとるのだろう。
 人間の進化をもたらしたかもしれない「悪意」について、脳科学から心理実験にいたる、これまでの最新研究を取り入れて論じる。
 
【目次】
はじめに 人間は4つの顔をもつ
第1章 たとえ損しても意地悪をしたくなる
第2章 支配に抗する悪意
第3章 他者を支配するための悪意
第4章 悪意と罰が進化したわけ
第5章 理性に逆らっても自由でありたい
第6章 悪意は政治を動かす
第7章 神聖な価値と悪意
おわりに 悪意をコントロールする
 
【著者】
マッカーシー=ジョーンズ,サイモン (McCarthy-Jones, Simon)
 ダブリン大学トリニティ・カレッジの臨床心理学と神経心理学の准教授。さまざまな心理現象について研究を進めている。幻覚症状研究の世界的権威。『ニュー・サイエンティスト』『ニューズウィーク』『ハフポスト』『デイリー・メール』『インディペンデント』など多くのメデイアに寄稿。ウェブサイト『The Conversation』に発表している論評は100万回以上閲覧されている。
 
プレシ 南日子 (プレシ ナビコ)
 翻訳家。
 
【抜書】
●最後通牒ゲーム(p24)
 隣の部屋にいる相手とペアでプレイ。この相手は、いくらかのお金(例えば10ドル)を与えられていて、あなたとこのお金を分け合うように言われる。
 相手の提示した金額を受け入れるなら、あなたはその金額を、相手は残りの金額を得ることができる。
 あなたには、提案を拒否するという選択肢もある。その場合、どちらもお金をもらえない。
 ゲームをプレイするのは1回だけ。再提案はない。
 
●ランボルギーニ(p38)
〔 1958年はイタリアのトラクター業界にとって当たり年だった。そのおかげで、あるイタリアのトラクター製造業者の社長だったフェルッチオは、、自分だけでなく妻にもフェラーリを買うことができた。ところが、彼は決して運転がうまいほうではなかった。愛車のフェラーリのクラッチを4回も焼き切ってしまったフェルッチオは、近くにあるフェラーリ社の工場に持ち込むのはやめて、自社で一番腕利きの機械工に修理させることにした。すると驚いたことに、このフェラーリのクラッチは、フェルッチオの会社が小型トラクター用に使っているクラッチとまったく同じだったことが判明したのだ。機械工から報告を受けたフェルッチオは憤慨した。これまでフェラーリ社でクラッチを取り換えてもらうたびに、まったく同じトラクター用クラッチの100倍の費用を払っていたからだ。フェルッチオはフェラーリの創業者であるエンツォ・フェラーリのもとを訪れ、「お宅の高級車が使っているのはうちのトラクターと同じ部品じゃないか!」と大声で問い詰めた。するとフェラーリは「トラクターを運転している君のような農民にわが社の車についてとやかく言われる筋合いはない。うちの車は世界最高級なのだから」と答えて火に油を注いだという。そこでフェルッチオはフェラーリに見せつけるため、自らスポーツカーをつくる決意をした。これはリスクの高い事業であり、妻に何度も止められたが、フェルッチオはリスクも覚悟の上だった。そして、悪意に突き動かされた行動に出る。その結果、彼の名を冠した自動車会社は意外にも成功を収めた。ちなみにフェルッチオの名字は、ランボルギーニである。〕
 
●ダークトライアド(p45)
 三つのネガティブな性格特性。
 サイコパシー(精神病質)、ナルシシズム(自己愛傾向)、マキャヴェリズム(権謀術数主義)。
 こうした負の特性は、ダークファクター(Dファクター)と呼ばれる大木の枝に相当する。これは、自分が価値を認めたもの(快楽、権力、お金、地位など)を手に入れるためなら、他者に害が及ぶことなど気にしないか、受け入れる、さらには楽しむ傾向を指す。
 Dファクターが高い人は、自分の行動を正当化するようなストーリーを作り上げる。例えば、自分は他者よりも優れている、支配は当然のことであり、望ましい、誰でも自分のことを最優先しているのだから、自分もそうしても構わない、などと考えている。
 悪意は、ダークトライアドを有していることと関連している。
 
●独裁者ゲーム(p57)
 最後通牒ゲームに似ていて、お金を分け合う点は同じ。
 しかし、提案を受ける側は、断ることができない。オファーを受けるしかない。
 最後通牒ゲームで悪意のある反応をした人が独裁者ゲームをすると、お金を公平に分ける人(強い互恵性)と、不公平に分ける人がいる。
 
●互恵性理論(p58)
 互恵性とは、好意には好意で、親切には親切で、意地悪には意地悪で応えること。弱い互恵性と強い互恵性がある。
 弱い互恵性の場合、自分の利益になるときだけ相手に報いる。弱い互恵主義者が考えているのは、自分の利益を最大化することだけ。自分がコストを支払わなければならないとき、他者を罰したりしない。悪意を持つことは得意ではない。
 強い互恵主義者は、損害を被ったら、たとえコストを支払ってでも仕返しする。他者と協力する傾向があるため、最初は公平な行動をする。ところが、たとえコストを支払ってでも、協力的でない他者を罰しようとする。
 
●ホモ・レシプロカンス(p59)
 サミュエル・ボウルズは、強い互恵主義者のことを、「ホモ・レシプロカンス(互恵人)」と呼ぶことを提案。
 彼らは、ホモ・エコノミクスのような行動はせず、すぐ手に入る自己の物理的利益を最大化しようとはしない。
 最後通牒ゲームにおけるホモ・レシプロカンスの悪意ある行動は、「コストのかかる罰」と呼ばれている。
 
●知覚的非人間化(p72)
 私たちは、相手が規範に違反したことを知ると、相手を人間と見なさなくなる。共感を回避するための危険な仕掛け。
〔 また、悪意を持った人々は、もともと平均より低いレベルの共感しか持ち合わせていないのかもしれない。悪意のある人は他者の感情や信条、意図を理解する能力が低いことがわかっている。しかし、そのおかげで彼らはより客観的かつ抵抗なく、公平さのルールを強要できるだろう。人類にはそういう人間が必要なのかもしれない。〕
 
●善人ぶる者への蔑視(p85)
 人々は、グループの基金に自分たちよりも多く出資しているプレーヤーにも罰を与えた。
 再び同じゲームをしたとき、気前のいい人々は前回ほど貢献しなかった。協力も減り、全員が損をした。
 
●ホモ・リヴァリス(p92)
 競争人。
 独裁者ゲームでは不公平なオファーをするが、最後通牒ゲームでは低額オファーを拒否して悪意ある行動をする。
 公平な人が不公平な扱いを受けて反支配的な面が刺激されたのではなく、相対的優位性を手にするため。そうすれば相手を支配できる。
 
●相対的優位(p123)
 罰は非協力的な人の行動を改めさせるために進化したのではない。クロケットらの研究。スミードとフォーバーの考えとも一致。
 協力と公平性が高まるのは、相対的地位の向上のためにコストをかけて他者を傷つけ、損害を与えることの副次的影響にすぎない。
 人間はまず相対的地位を高めるために悪意のある行動をとる能力を進化させ、その後、この傾向を罰という別の用途に使うようになった。
 
●カオスの要求(p156)
 白紙の状態に戻したい、新しくやり直したいという願い。
 現在の状況が崩壊すると得をする人々や、高い地位が欲しいのに手が届かない人が感じがちな感情。社会から取り残された、地位を求める人々が使う最終手段。
 カオスを強く求める傾向は、若くて学歴の低い男性によくみられる。孤独感が強く、社会階層の底辺に位置付けられている人々。
  
●神(p184)
〔 現在、人類の過半数が神を信じている。キリスト教徒とイスラム教徒だけで、世界の人口の55%を占めているのだ。神の概念は世界各地で異なるが、神とは人間の行ないを把握し、善悪の違いを知っていて、罪を犯した人々を罰する存在だと広く信じられている。
 人類の歴史のある時点で、神のような存在がとりわけ重宝するようになった。農耕社会が形成され、人々がそれまでよりもずっと大きな集団の中で生活するようになると、他者を罰するのにかかるコストも増大する。農耕社会で暮らす人々は狩猟採集民族よりもずっと多くの富と力を蓄えられるため、誰かから罰を与えられれば、大きな力で相手に報復できるようになるからだ。集団の人数が増えると、それまで少人数の集団内で協力を促すのに役立っていた仕組みが機能しなくなり始め、大人数の集団内でも協力を促せる新しい手段が必要になる。遺伝的進化ではすぐに対応できなかったため、人々は文化に目を向けた。人類は罰を行使する権威を生み出す必要があったのだ。世俗的な組織にこの権威を持たせることも可能だったが、権威を持った空想上の存在を生み出すという選択肢もあった。それが神である。〕
 
●ソーシャルネットワーク(p215)
〔 地球上の人々の半数はフェイスブックやツイッターなど、オンラインのソーシャルメディア・プラットフォームを使っている。わたしたちは世界の内側に別の世界をつくったのだ。しかし、この世界は人間が進化によって適合してきた世界とは違う。オンラインの世界はこれまで悪意を抑えてきた性来の束縛をゆるめ、悪意に対して過去に例を見ないほどの見返りを与える。目的のためには手段を選ばない人々が悪意のある行動を広めようと思ったら、ソーシャルネットワークをつくるのが一番だろう。ソーシャルネットワークは悪意のコストを減らし、利益を倍増させる。ソーシャルメディアは悪意がはびこる最悪の状況を生み出すのだ。〕
 
(2023/9/5)NM
 
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ヒトは〈家畜化〉して進化した 私たちはなぜ寛容で残酷な生き物になったのか
 [哲学・心理・宗教]

ヒトは〈家畜化〉して進化した―私たちはなぜ寛容で残酷な生き物になったのか
 
ブライアン・ヘア/著 ヴァネッサ・ウッズ/著 藤原多伽夫/訳
出版社名:白揚社
出版年月:2022年6月
ISBNコード:978-4-8269-0239-7
税込価格:3,300円
頁数・縦:334p・20cm
 
 ヒトは自らを家畜化し、友好的で協力的コミュニケーションを進化させてきた。家畜化が、がヒトを繫栄させる原動力だった。その証拠を集め、多角的に論じる。
 
【目次】
はじめに 適者生存/最も友好的な人類
第1章 他者の考えについて考える
第2章 友好的であることの力
第3章 人間のいとこ
第4章 家畜化された心
第5章 いつまでも子ども
第6章 人間扱いされない人
第7章 不気味の谷
第8章 最高の自由
第9章 友だちの輪
 
【著者】
ヘア,ブライアン (hare, Brian)
 デューク大学進化人類学教授、同大学の認知神経科学センター教授。同大学にデューク・イヌ認知センターを創設。イヌ、オオカミ、ボノボ、チンパンジー、ヒトを含めた数十種に及ぶ動物の研究で世界各地を訪れ、その研究は米国内外で注目されている。『サイエンス』誌や『ネイチャー』誌などに100本を超える科学論文を発表。
 
ウッズ,ヴァネッサ (Woods, Vanessa)
 デューク大学のデューク・イヌ認知センターのリサーチ・サイエンティスト。受賞歴のあるジャーナリストでもあり、大人向けと子ども向けのノンフィクションの著書多数。
 
藤原 多伽夫 (フジワラ タカオ)  
翻訳家、編集者。静岡大学理学部卒業。自然科学、考古学、探検、環境など幅広い分野の翻訳と編集に携わる。
 
【抜書】
●アリの生物量(p15)
 蟻の生物量は、ほかの陸上動物をすべて足した生物量の五分の一に相当する。
 蟻は最大で5,000万匹もの個体が集まって、ひとつの社会単位として機能する「超個体」を形成することができる。
 
●コルチコステロイド(p62)
 ドミトリ・ベリャーエフがノボシビルスクで始めた、キツネの家畜化の実験。彼の死後、教え子であるリュドミラ・トルートが引き継いで続けている。
 友好的なキツネは、ストレスホルモンと呼ばれるコルチコステロイドの濃度が急上昇する時期が遅くなった。普通は、生後2~4カ月の間に分泌が増え、生後8カ月で大人の濃度に達する。
 12世代を経ると、濃度は半減していた。30世代を経るとさらに半減していた。
 50世代を経ると、友好的なキツネは普通のキツネに比べて、脳内のセロトニン(捕食や防御に関わる攻撃行動の低下に関連する神経伝達物質)の濃度が5倍に増えていた。
 
●友好的なキツネ(p63)
 友好的なキツネは、形質にも変化を起こした。
 垂れ耳、短くなった鼻づら、巻き尾、ぶちのある被毛、小さくなった歯。
〔 ベリャーエフとリュドミラは、通常ならば自然界で何千もの世代を重ねないとできないことを、自分たちの生涯のうちに達成し、成果として一つの原則を残した。人間に対して友好的な動物がより多くの子を残せるようになると、家畜化が起こる、というものだ。〕
 
●自ら家畜化(p73)
〔 オオカミはほかのオオカミの社会的なジェスチャーを理解し、それに応答できているだろうが、人間のジェスチャーに対しては、人間から逃げることにばかり気をとられ、注意を払う余裕はなかっただろう。だが、いったん人間への恐怖心が興味に変わると、オオカミは社会的な能力を新たな形で利用して、人間とコミュニケーションをとれるようになった。人間のジェスチャーや声に反応できる動物は、狩猟の相棒や見張り役として大いに役立っただろう。そうした動物はまた、心温まる親しい仲間としても貴重な存在になり、野営地の外から炉端へ近づくのを徐々に許されることになった。人間がオオカミを家畜化したのではない。最も友好的なオオカミがみずから家畜化したのだ。〕
 
●2D:4D(p94)
 哺乳類では、母親が妊娠中に高濃度のアンドロゲン(テストステロンも含まれる)を分泌すると、その赤ちゃんの第二指(人差し指、2D)は第四指(薬指、4D)よりも短くなる。この比率を2D:4Dと呼ぶ。2D:4D比の値が小さいほど、雄性化し、攻撃性が高くなる。
 チンパンジーとボノボの比較では、チンパンジーのほうが第二指が短い。
 人間でも、更新世中期には現代人よりも2D:4D比が小さかった。男性的だった。比較した中で最も男性的だったのは、4人のネアンデルタール人だった。古生物学者エマ・ネルソンの研究による。(p115)
 
●情動反応(p101)
 人間が「心の理論」を使う際に活性化する脳の領域は、内側前頭前野(mPFC)、側頭頭頂接合部(TPJ)、上側頭溝(STS)、楔前部(けつぜんぶ、PC)。
 これらの領域における活動の強弱は、情動反応によって変わる。脅威に直面した時(情動反応が強まった時)、これらの領域の活動が弱まる。
 ヒトが進化する中で情動反応に淘汰が働き、それによって寛容性や協力的コミュニケーション能力が向上した可能性がある。
 〔他者に対する反応は人によって異なるが、そうした多様な反応に対して自然淘汰が働き、文化的な認知能力を形成するうえで重要な役割を果たしたのかもしれない。これは人間が自己家畜化した可能性があることを示している。〕
 
●友好的(p112)
〔 自己家畜化仮説が正しいとすれば、ヒトは賢くなったから繫栄したのではなく、友好的になったから繁栄したということになる。ベリャーエフがキツネで行なったような実験は人では行なわれていないが、さいわいヒトには、家畜化の証拠が化石として残っている。私たちが述べたように、自己家畜化が五万年ほど前の文化革命を牽引する中心的な役割を果たしたのだとしたら、それより前の時代に証拠が化石として残っているはずだ。そこで私たちは、その直前に当たる八万年前に狙いを定めて、自己家畜化の証拠を探し始めた。〕
 
●白い強膜(p123)
 人間の白い強膜(白眼)は、生涯を通して協力行動を促進している。
 自己家畜化仮説によれば、ヒトは友好的になる淘汰を受けた結果、8万年以上前に強膜が白くなったと考えられる。
 アイコンタクトが増えるにつれて、オキシトシンの作用が発現するようになり、他者とのつながりや協力的コミュニケーションが促進される。また、他者を欺こうとする気が起きにくくなる。
 
●神経堤(p133)
 友好性の副産物として複数の形質が出現するのには、神経堤細胞が関わっている。
 神経堤細胞は、すべての脊椎動物の胚に短期間だけ現れ、神経管の背側に生じる。神経管は最終的に脳と脊髄になる。
 神経堤細胞は幹細胞なので、胚の発生が進むにつれて、さまざまな種類の細胞に分化することができる。また、神経堤細胞は遊走するので、胚の発生が進むにつれて体のあらゆる場所に移動する。
 遊走する神経堤細胞は、家畜化症候群に関連する多くの形質の発生・発達に関与している。
 家畜化にとって重要なのは恐怖心と攻撃性の低下である。神経堤細胞は、アドレナリンを分泌する副腎髄質の発達に関わっている。家畜化された動物の副腎は、野生の近縁種と比べて小さい。ストレスホルモンの分泌が少ないということ。
 また、神経堤細胞尾は尾や耳の軟骨、皮膚の色素、鼻づら(顔)の骨、歯の発達にも関与している。
 頭部の神経堤細胞は、脳の発達に影響を及ぼすと考えられている。脳の大きさを変えるだけでなく、脳のさまざまな部分がセロトニンやオキシトシンといった神経伝達物質やホルモンを受容する度合いの変化を引き起こしている可能性がある。繁殖周期の変化にも関連している可能性が高い。脳が小さくなると、繁殖周期を制御する視床下部-下垂体-性腺(HPG)軸に影響が及ぶ可能性がある。HPG軸の機能が制限されると、性成熟が早まり、繁殖周期が短くなる。
 
●オキシトシン(p147)
 ヒトの新たな社会カテゴリーの変化を引き起こした物質はオキシトシンだと考えられる。
 オキシトシンはセロトニンおよびテストステロンの可用性と密接に関係している。セロトニンの分泌が増えると、オキシトシンが影響を受ける。セロトニンはオキシトシンの効果を高める。
 テストステロンの分泌が減少すると、オキシトシンがニューロンと結合しやすくなり、行動が変わる。
 つまり、セロトニンの分泌が増え、テストステロンが減少したことによって、ヒトの行動におけるオキシトシンの効果が増大し、自分が属する集団を家族のように感じる人の能力が進化した。
 
●集団内の見知らぬ人(p151)
 ヒトは、他の動物にはない新たな社会的カテゴリーを得てきた。「集団内の見知らぬ人」である。
 このカテゴリーはオキシトシンによって生まれ、維持されてきた。
 握手できる距離まで近づいたとき、アイコンタクトをとることで自分にも相手の体にもオキシトシンが分泌され、恐怖心は弱まり、信頼し、協力しようとする気持ちが強まる。
 
●楔前部(p175)
 他者を人間と見なすか、非人間と見なすかを判断するとき、脳の「心の理論」ネットワークの一部が選択的に活性化する。楔前部の活動が強まったり弱まったりする。
 楔前部が急激な成長を遂げたのは、頭部がヒト独特の球状になったのが原因だった。球状の頭部になったのは、ヒトがネアンデルタール人から枝分かれした後のこと。
 
(2023/7/4)NM
 
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ヤバい神 不都合な記事による旧約聖書入門
 [哲学・心理・宗教]

ヤバい神: 不都合な記事による旧約聖書入門
 
トーマス・レーマー/著 白田浩一/訳
出版社名:新教出版社
出版年月:2022年3月
ISBNコード:978-4-400-11908-1
税込価格:2,420円
頁数・縦:252p・19cm
 
 旧約聖書に現れる理不尽な神に対する解釈を論じる。タイトルから連想されるものとは異なり、真面目な宗教論である。
 
【目次】
序論 人間に挑みかかる旧約聖書の神
第1章 神は男性か
第2章 神は残忍か
第3章 神は好戦的な暴君か
第4章 独善的な神の前に人間は罪人に過ぎないのか
第5章 神は暴力と復讐の神なのか
第6章 神は理解可能か
結論 旧約の神と新約の神
 
【著者】
レーマー,トーマス (Römer, Thomas)
 1955年、ドイツ・マンハイム生まれ。1984~1993年、ジュネーヴ大学講師、准教授(ヘブライ語およびヘブライ語聖書担当)。1993~2020年、ローザンヌ大学神学・宗教学部教授。2008年よりコレージュ・ド・フランス教授、「聖書とその文脈」講座担当。現在は学長も務める。著書多数。
 
白田 浩一 (ハクタ コウイチ)
 1977年、茨城県下館市(現・筑西市)生まれ。国際基督教大学教養学部人文科学科卒業、同大学大学院中退。
 
【抜書】
●ヤホ(p27)
 ヤハウェあるいはヤホが、イスラエルの神の名。
 
●エル(p27)
  いと高き方[エル・エリオン]が国々を割り当てた時、
  彼が人類を分配した時、
  彼は神[エルの息子]の数に従って人々の境界線を定めた。
  主の[ヤハウェ]自身の取り分は彼の民、
  彼が引いたヤコブがその取り分。
 『申命記』32章「モーセの歌」の最初の版。エルと呼ばれる主神はその息子の数に従って世界を分割した。そしてヤハウェはイスラエルの民を取り分として受け取った。
 偉大なる神「エル」の保護の下に諸国の神が万神殿(パンテオン)をなしているという考え方を表している。イスラエルの神、モアブ人の神、エドム人の神、そして他の神々は兄弟であると考えられている。それぞれが自らの民の君主、保護者であった。
 
●アシェラ(p62)
 王国時代、ヤハウェは国家神として崇拝されていた。王国内の各所に「高き所=丘の上にある聖所」があり、3メートル以上の高さの石が置かれている。これらの石はマッツェボートと呼ばれ、はっきりと男性器の形をしており、男性神を象徴していた。
 これにはアシェロートと呼ばれる木製の柱が伴っており、女性神を象徴していた。
 アシェラとはアシラのヘブライ語形。アシラはカナン(特にウガリット)の神々の神殿において強い存在感を持つ女神。
 かつてのイスラエルには、女性神も存在した。
 
●イスラエル(p110)
 アブラハムの子イサクの子ヤコブ。
 裕福になって自らの一族を形成し、義理の父ラバンからの独立を果たした。そして家に帰ることに。
 「だが彼は夜中に起きて、二人の妻、二人の召し使いの女、それに十一人の子どもを引き連れ、ヤボクの渡しを渡って行った。ヤコブは彼らを引き連れ、川を渡らせ、自分の持ち物も一緒に運ばせたが、ヤコブは一人、後に残った。すると、ある男が夜明けまで彼と格闘した。ところが、その男は勝てないと見るや、彼の股関節に一撃を与えた。ヤコブの股関節はそのせいで、格闘しているうちに外れてしまった。男は、「放してくれ。夜が明けてしまう」と叫んだが、ヤコブは、「いいえ、祝福してくださるまでは放しません」と言った。男が、「あなたの名前は何と言うのか」と尋ねるので、彼が、「ヤコブです」と答えると、男は言った。「あなたの名はもはやヤコブではなく、これからはイスラエル〔「神は闘う」「神と闘う」の意〕と呼ばれる。あなたは神と闘い、人々と闘って勝ったからだ。」ヤコブが、「どうか、あなたの名前を教えてください」と尋ねると、男は、「どうして、私の名前を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。ヤコブは、「私は顔と顔とを合わせて神を見たが、命は救われた」と言って、その場所をペヌエル〔「神の顔」の意〕と名付けた。
 ヤコブがペヌエルを立ち去るときには、日はすでに彼の上に昇っていたが、彼は腿を痛めて足を引きずっていた。」『創世記』32.23~32
 
●追放(p121)
 ティグラト・ピレセル3世(BC745-727)の時代に、レバントはアッシリア帝国の一部となった。
 BC738年から北イスラエル王国はアッシリアに朝貢。BC722年にサマリア陥落、独立を失ってアッシリアの属州に。
 BC734年、南ユダ王国がアッシリア王の家臣に。「アッシリアの平和(pax assyrica)」に膝を屈した。
 アッシリアの平和は、一種の共通市場を形成していた。経済基盤の整備は、メソポタミアの歴史においてそれまでなかった流動性をもたらした。
 征服した国の兵士たちをアッシリア軍に編入し、征服した国の住民の一部を国外へと追放した。追放された者の大半は、知識人(役人、書記官、主要な軍人、祭司、熟練の職人)だった。追放の目的は、彼らが住民たちを組織して反乱を起こすことがないようにするためだった。
 
●ハピル(p129)
 イスラエルは、エジプトの王に依存するカナンの都市国家の王と対立した周辺の部族から生まれた。
 これらの反逆者集団は、エジプトの資料においてハピルまたはハビルと呼ばれており、この表現はヘブライという言葉と結びつけられてきた。
 
●カウンターヒストリー(p133)
 抑圧された少数派のグループが抑圧する者自身の主張を取り上げ、それを嘲笑したり、抑圧する者に向けて投げ返すこと。ユダヤ教研究に由来する表現。
 〔従ってヨシュア記には、アッシリアとその神々に対するヤハウェの優位性を確認する論争的なメッセージがある。だが、このメッセージを展開するには、ヤハウェをアッシュルと同じように残忍で好戦的な神として描くという代償が伴った。〕
 
●商取引(p162)
 聖書のテクストが書かれた時代、婚姻とは恋愛によるものではなく、二つの家族ないし氏族の間で行われる商取引であった。
 姦淫の禁止は性倫理を第一の目的とした規定ではなく、法的な問題だった。古代の中近東では、妻をめとることは彼女を「所有」することだった。したがって、姦淫とは別の男性の「所有」を侵害する行為である。
 姦淫の被害者となる事に対する恐怖は、血統の重要性からも説明できる。血統は最大の関心事だった。子どもは、女性と夫との間に生まれた者でなければならなかった。そうでなければ家族や氏族の継続性を保証できない。この不安を解消するため、ユダヤ教は後に母系、すなわち母親の祖先をたどる考え方を採用した。
 
(2023/2/9)NM
 
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教養としての仏教思想史
 [哲学・心理・宗教]

教養としての仏教思想史 (ちくま新書)
 
木村清孝/著
出版社名:筑摩書房(ちくま新書 1618)
出版年月:2021年12月
ISBNコード:978-4-480-07430-0
税込価格:1,265円
頁数・縦:395p. 19p・18cm
 
 放送大学用のテキスト『仏教の思想』(放送大学教育振興会、2005年)を改訂・補筆。
 
【目次】
第1章 仏教の成立
第2章 部派仏教の展開
第3章 仏教の革新―大乗仏教
第4章 中観派とその思想
第5章 瑜伽行派の形成と展開
第6章 大乗から密教へ
第7章 テーラヴァーダ仏教の伝統
第8章 仏教東漸―中国仏教の形成
第9章 「新仏教」の展開
第10章 韓国(朝鮮)の仏教
第11章 日本仏教の濫觴
第12章 平安仏教の形成と展開
第13章 「鎌倉新仏教」の出現
第14章 近世・近代の日本仏教
第15章 仏教の現在と未来
 
【著者】
木村 清孝 (キムラ キヨタカ)
 1940年生まれ。仏教学者、僧侶、専攻は華厳思想を基にした東アジア仏教研究。曹洞宗龍宝寺(函館市)住職、(公財)仏教伝道協会会長、東京大学名誉教授。東京大学大学院博士課程満期退学。文学博士。東京大学文学部教授、国際仏教学大学院大学教授・学長、鶴見大学学長等を歴任。
 
【抜書】
●ラーフラ(p17)
 ゴータマ・シダッタ(ガウタマ・シッダールタ。BC566-486あるいはBC463-383)は、釈迦族の国の王子として生まれた。父はスッドーダナ(浄飯王:じょうぼんのう)、母はマーヤー(摩耶夫人:まやぶにん)。母はゴータマを生んで1週間後になくなり、母の末の妹のマハーパジャーパティーが養育に当たった。
 16歳でヤソーダラー(耶輪陀羅:やしゅだら)と結婚し、息子ラーフラをもうけた。他に二人の妃があったともいう。
 
●スジャータ(p21)
 ゴータマは、6年(または12年)の苦行の末、修行を放棄し、垢まみれになった体をガヤーの町の近くを流れるネーランジャラー河(尼連禅河〈にれんぜんが〉)の水で清め、スジャータという若い娘から乳粥などの供養を受けて衰弱した体の回復に努めた。
 スッドーダナ王の命令で彼に付き従っていた5人の比丘たちは、「ゴータマは贅沢になり、そのため修行に努めることから離れてしまった」と考え、遠くへ去ってしまった。
 
●十二縁起(p24)
 「無明(むみょう:無知)によって行(ぎょう:意思作用)が生じ、行によって識(識別作用)が生じ、識によって名色(みょうしき:認識されたものとしての名称と形態)が生じ、名色によって六入(ろくにゅう:六つの感覚・意識機能)が生じ、六入によって触(そく:接触)が生じ、触によって受(じゅ:感覚作用)が生じ、受によって愛(愛着)が生じ、愛によって取(しゅ:執〈とら〉われが生じ、取によって有(う:生存)が生じ、有によって生(しょう:出生)が生じ、生によって老いと死と、愁いと悲しみと苦しみと憂さと悩みが生じる。このようにして、この苦しみの集合がすべて現れる。
 しかし、まさしく貪りを離れて無明が消滅すれば、行が消滅する。行が消滅すれば、識が消滅する。識が消滅すれば、名色が消滅する。名色が消滅すれば、六入が消滅する。六入が消滅すれば、触が消滅する。触が消滅すれば、受が消滅する。受が消滅すれば、愛が消滅する。愛が消滅すれば、取が消滅する。取が消滅すれば、有が消滅する。有が消滅すれば、生が消滅する。生が消滅すれば、老いと死と、愁いと悲しみと苦しみと憂さと悩みが消滅する。」
 
●四諦、八正道、十二縁起(p28)
 基本的なゴータマの教説は、四諦・八正道・十二縁起。
 さらに、我々人間という存在を五蘊の集合体とみて、それらに対するとらわれを捨てよと説いた。
 四諦……四つの真理。苦諦(くたい:苦しみの真理)、集諦(じったい;苦しみの原因の真理)、滅諦(めったい:苦しみの消滅=安らぎの真理)、道諦(どうたい:安らぎに至る道の真理)。
 八正道……中道の内容。
  正見(しょうけん:正しい見方)
  正思(しょうし:正しい考え)
  正語(しょうご:正しい言葉)
  正業(しょうごう:正しい行い)
  正命(しょうみょう:正しい生活)
  正精進(しょうしょうじん:正しい努力)
  正念(しょうねん:正しい注意)
  正定(しょうじょう:正しい瞑想)
 五蘊……人間の存在に備わる要素。色( しき:物質)、受(感受作用)、想(表象作用)、行(ぎょう:意思)、識(認識作用)。 
 
●対機説法(p32)
 相手の性質・能力に応じて、教えを説くこと。
 
●結集(p45)
 結集(けつじゅう)……ゴータマがなくなった後、弟子たちが集まって、バラバラだった教えと修行上の約束をまとめた。それまで、対機説法ゆえにゴータマの教えはバラバラだった。前後4回行われた。
 第1回目の結集は、高弟のマハーカッサパ(摩訶迦葉〈まかかしょう〉、大迦葉)によって招集され、ラージャガハ(ラージャグリハ、王舎城)郊外の七葉窟〈しちようくつ〉で開かれた。500人の比丘が集まり、アーナンダ(阿難、阿難陀)とウパーリ(優婆離〈うぱり〉)を中心に、ゴータマの教えである「経(スッタ、スートラ)」と、教団に属する者たちの約束である「律(ヴィナヤ)」の編纂が行われた。
 経……所伝に応じて最終的に五つの「ニカーヤ(部類)」、あるいは五つの「阿含(アーガマ:伝承されたもの)」に分類された。また、教説の内容から九部経(九分教)、あるいは十二部経(十二分教)に分類された。
 
●根本分裂、枝末分裂(p47)
 2回目の結集は、ゴータマの没後100年の頃にヴァーサーリー(毘舎利〈びしゃり〉)において700人の比丘を集めて開催された。律のいくつかについて議論された。
 主なものは……。
 (1)前日に布施された塩を保存しておいて、次の日に使ってよいか。
 (2)病気のときに酒を飲んでも良いか。
 (3)信者から布施された金銭を受け取ってよいか。
 すべて「非事(正しくないこと)」と判定された。
 一部の比丘たちはこの判定に承服せず、独自のグループを結成した。大衆部(だいしゅぶ:マハーサンギカ)。保守・伝統派の上座部(テーラヴァーダ)と分裂。
 両派は、その後数百年の間にさらに分裂・分派を繰り返す。これを総称して「枝末分裂〈しまつぶんれつ〉」と呼ぶ。
 枝末分裂……大衆部は、百年の間に一説部など三派が分立し、分派がさらに進んで合計九派になった。上座部は数百年間は統一を保っていたが、まず説一切有部(説因部)と本上座部(雪山部〈せつざんぶ〉)に分かれ、さらに200年ほどの間に六次にわたって分裂が起こり、結局11部になった。ヴァスミトラ(世友)『異部宗輪論〈いぶしゅうりんろん〉』による。
 
●六波羅蜜(p62)
 波羅蜜(パーラミター)とは、究極的実践のこと。大乗経典最初期の『六波羅蜜経』にて説かれた。
 《六波羅蜜》
  ① 布施……困難や苦悩を抱える衆生に、執着心を離れて財物を与えること。教えを説き伝えること。
  ② 持戒……正しい生活の規範をしっかりと守ること。
  ③ 忍辱〈にんにく〉……悪口などに対して怒らず、耐え忍ぶこと。
  ④ 精進……勇気をもって、悪から離れ、善を行う努力をすること。
  ⑤ 禅定……心を静め、統一し、安定させること。
  ⑥ 般若……ブラジュニュアー。根本の智慧のことで、物事の本質をありのままに正しく観察し、理解すること。
 般若波羅蜜を菩薩の実践の根幹とみなして登場したのが、一群の般若経典である。
 
●パンチェン・ラマ(p134)
 チベットでは、8世紀頃、最終段階に達しつつあった大乗仏教を受容した。
 17世紀以降、チベットは観音菩薩の化身といわれるダライ・ラマが宗教と政治の中心の座を占める政教一致の体制をとる。中国の「解放」によってこの体制は崩壊し、ダライ・ラマ14世は、1959年にインドに亡命。インド北部のダラムサーラに逃れる。
 1965年、チベットの地は中国の西蔵〈せいぞう〉自治区となる。
 ダライ・ラマに次ぐ地位として、パンチェン・ラマがいる。無量光仏〈むりょうこうぶつ〉の化身とされる。ダライ・ラマ14世が認定した11世が、1995年、突然行方不明となる。別に中国政府が指名した人物が、2021年現在、パンチェン・ラマとして活動している。
 
●テーラヴァーダ(p141)
 上座部(小乗仏教)のことを、本来はテーラヴァーダ仏教という。タイやスリランカの仏教。欧州や米国でも布教活動が行われており、一定の土着化を果たしている。
 テーラヴァーダとは、「長老の教え」の意味。ゴータマの時代からの伝統を大切にしつつ現代まで続いている。
 
●尼僧(p242)
 敏達天皇6年(577年)、百済の威徳王は、日本の使者に託して、経論若干と律師、禅師、比丘尼、呪禁師〈じゅごんし〉、造仏工、造寺工の6人を送った。その2年後、新羅も調(貢物)とともに仏像を献上した。
 同13年(584年)、蘇我馬子は、ある帰化人から弥勒の石像と、佐伯連が所有していた仏像一体を請い受けて祀り、還俗していた高麗の僧・恵便〈えびん〉を探し出させ、この僧を師として司馬達等の娘、嶋と二人の女性を得度させ、法会を行った。嶋は出家して善信尼と称した。
 『日本書紀』による。日本で最初の出家者は女性だった。
 司馬達等……しばたっと。達止とも。中国より、継体天皇16年(522年)に来朝。大和国坂田原に草堂を結んで仏像を安置し、礼拝した。『扶桑略紀』による。
 
●戒壇(p257)
 天平勝宝5年(753年)、中国揚州の大明寺〈だいめいじ〉の僧、鑑真が来日。律宗。精力的に戒律思想の普及と授戒儀礼の定着に努める。日本でも、正規の僧尼が誕生することになる。
 その後、下野と筑紫にも律宗の戒壇ができる。
 最澄の請願によって、弘仁13年(822年)、天台宗の授戒が公認され、比叡山にも戒壇院が設けられた。
 
(2023/2/6)NM
 
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悪い言語哲学入門
 [哲学・心理・宗教]

悪い言語哲学入門 (ちくま新書)
 
和泉悠/著
出版社名:筑摩書房(ちくま新書 1634)
出版年月:2022年2月
ISBNコード:978-4-480-07455-3
税込価格:924円
頁数・縦:247p・18cm
 
 「悪口」をネタに、言語哲学について語る、「悪い言語」哲学入門。いや、「悪い」言語哲学「入門」だろうか……。
 「入門」というだけあって、説明をある程度はしょっているのか、卑近な例を持ち出そうとして易しく解説しようとしているからなのか、いまひとつ消化不良。それとも、「悪い」言語哲学入門「者」だからなのか!?
 
【目次】
第1章 悪口とは何か―「悪い」言語哲学入門を始める
第2章 悪口の分類―ことばについて語り出す
第3章 てめえどういう意味なんだこの野郎?―「意味」の意味
第4章 禿頭王と追手内洋一―指示表現の理論
第5章 それはあんたがしたことなんや―言語行為論
第6章 ウソつけ!―嘘・誤誘導・ブルシット
第7章 総称文はすごい
第8章 ヘイトスピーチ
 
【著者】
和泉 悠 (イズミ ユウ)
 1983年生まれ。University of Maryland, College Park, Ph. D.。現在、南山大学人文学部人類文化学科准教授。専門分野は、言語哲学、意味論。特に日本語と英語を比較しながら名詞表現を研究。また、言語のダークサイドに興味があり、罵詈雑言をはじめ、差別語、ヘイトスピーチの仕組みとその倫理的帰結についての研究も行う。
 
(2022/5/14)NM
 
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カルロ・ロヴェッリの科学とは何か
 [哲学・心理・宗教]

カルロ・ロヴェッリの 科学とは何か   
カルロ・ロヴェッリ/著 栗原俊秀/訳
出版社名:河出書房新社
出版年月:2022年2月
ISBNコード:978-4-309-25441-8
税込価格:2,310円
頁数・縦:275p・20cm
 
 2009年に、フランスで刊行されたAnaximandre de Milet ou la naissance de la pensée scientifique(ミレトスのアナクシマンドロス、または科学的思考の誕生)の、イタリア語版(2011年)の翻訳である。「七つの短い物理学講義」(2014年。邦訳『すごい物理学入門』)でベストセラー作家(?)となったロヴェッリの第一作に相当する。
 牽強付会な論述もある。たとえば、第6章、タレスとアレクシマンドロスの師弟関係。これはおそらく史実として実証されていないと思われる。すなわちたくましい想像力を駆使して師弟関係が描かれており、そこから「共同で知的探求に取り組む際の、先人の思考の継承・発展と、それに対する批判の組み合わせ」(p.121)という結論を導いているようなのである。アナクシマンドロスに対する強力な思い入れがそうさせたのか。
 とはいえ、全編を通じて知的興奮を味わえる。
 
【目次】
紀元前六世紀 知の天文学
アナクシマンドロスの功績
大気現象
虚無のなかで宙づりのまま空間を浮遊する大地
目に見えない実体と自然法則
反抗が力となる
文字、民主制、文化の混淆
科学とは何か?アインシュタインとハイゼンベルク後の世界でアナクシマンドロスを考える
文化的相対主義と「絶対」的な思想のあいだ
神を抜きにして世界を理解できるか?
前-科学的な思考
結論-アナクシマンドロスの遺産
 
【著者】
ロヴェッリ,カルロ (Rovelli, Carlo)
 1956年、北イタリアの古都ヴェローナ生まれ。ボローニャ大学の物理学科を卒業後、パドヴァ大学で博士号を取得し、アメリカの物理学者テッド・ニューマンの招きに応じて、ピッツバーグ大学で10年におよぶ研究生活を送る。アメリカで最も重要な科学哲学の研究所を擁する同大学で、アドルフ・グリュンバウムやジョン・イアーマンなどの著名な哲学者と親交をもつ。2000年から現在までは、南仏のエクス=マルセイユ大学で理論物理学の研究に取り組んでいる。専門とする「ループ量子重力理論」は、20世紀の物理学が成し遂げた2つの偉大な達成、一般相対性理論と量子力学の統合を目的とした理論である。2014年、「七つの短い物理学講義」(『すごい物理学入門』河出書房新社)という小さな本がイタリアの内外でベストセラーとなり、一躍「時の人」となる。その後、『すごい物理学講義』(河出書房新社)で「メルク・セローノ文学賞」「ガリレオ文学賞」を受賞。いまや、理論物理学の最前線で活躍する研究者であるだけでなく、最も期待されるサイエンスライターのひとりでもある。
 
栗原 俊秀 (クリハラ トシヒデ)  
 翻訳家。1983年生まれ。C・アバーテ『偉大なる時のモザイク』(未知谷)で、第2回須賀敦子翻訳賞、イタリア文化財文化活動省翻訳賞を受賞。
 
【抜書】
●無知の広がり(p9)
 〔科学的に考えるとは、まずもって、世界について考えるための新たな方法を、絶え間なく、情熱的に探求することにほかならない。科学の力は、すでに打ち立てられた確実性のなかに宿るのではない。そうではなく、わたしたちの無知の広がりにたいする根本的な自覚こそが、科学の力の源になる。この自覚があればこそ、知っていると思っていた事柄を絶えず疑うことができるようになり、ひいては、絶えず学びつづけることができるようになる。知の探求を養うのは確かさではなく、確かさの根本的な欠如なのだ。〕
 
●アナクシマンドロスの思想(p55)
 (1)天候は自然現象として理解できる。雨水はもともとは海や川の水である。それらが太陽の熱によって蒸発し、風に運ばれ、雨となって大地を濡らす。雷鳴や稲光は雲がぶつかったり砕けたりすることで生じる。地震は、たとえば酷暑や豪雨が引き金となって大地が割れることによって生じる。
 (2)大地は有限な寸法をもつ物体であり、宙に浮遊している。大地が落下しないのは、落下する方向をもたないためであり、言い換えるなら、「ほかの物体に支配されて」いないからである。
 (3)太陽、月、星々は、地球のまわりを完全な円を描いてまわっている。これらの天体は、「馬車の車輪」にも似た、巨大な輪に沿って回転している。
 その輪の内部は(自転車の車輪のように)空洞になっている。輪の内部では炎が燃えさかり、内側にむかって穴があいている。天体とは、この穴を通じて見える炎のことである。この輪はおそらく、天体が落下してくるのを防ぐ役割を果たしている。星々はもっとも近い円に、月は中間の円に、太陽はいちばん遠い円に沿ってまわっており、その距離の比率は「9:18:27」である。
 (4)自然を形づくる事物の多様性はすべて、唯一の起源から、すなわち、「アペイロン」と呼ばれる「根源」から生じている。アペイロンとは、「限界をもたないもの」の意である。
 (5)ある事物が別の事物に変化する過程は、「必然」に支配されている。この「必然」が、時間のなかで現象がいかに展開していくかを決めている。
 (6)この世界は、アペイロンから「熱さ」と「冷たさ」が分かれたときに生じた。
 これにより世界に秩序がもたらされた。炎の球体のような物質が、空気や大地のまわりで、「樹皮のように」成長していった。やがて、この球体はばらばらに砕け、太陽、月、星々を形づくる円のなかに追いやられた。はじめのうち、大地は水に覆われていたが、次第に乾燥していった。
 (7)あらゆる動物は、海か、かつて大地を覆っていた原初の水に起源をもつ。したがって、最初の動物は魚(あるいは魚に似た生き物)である。やがて大地が乾燥したとき、最初の動物は陸にあがり、そこでの暮らしに適応した。数ある動物のなかでも、とりわけ人間は、現在の形態で誕生したとは考えにくい。というのも、人間の子供は独力では生きていけず、かならず養育者を必要とするからである。人間はほかの動物から生じ、もとをたどれば、魚のような形態を有していた。
 
●神の気まぐれ(p64)
〔 雷雨、暴風、高波といった現象の関係性、原因、結びつきを理解するのに、神の気まぐれを勘定に入れる必要はないことを、長い歴史のある時点で人類は洞察した。この途方もない転回を引き起こしたのが、紀元前六世紀のギリシア思想だった。そして、わたしたちの手もとにある古代の資料はことごとく、その立役者はアナクシマンドロスであったと証言している。〕
 
●起源の探求(p94)
 イオニア学派(ないしミレトス学派)の中心人物である3名が、自然現象の根拠となる「唯一の起源」(アルケー)の探求に答えを出した。
 タレス……「すべては水でできている。」
 アナクシマンドロス……アペイロン。
 アナクシメネス……空気。圧縮と希釈。空気を圧縮すると水が得られ、水を希釈すると空気が得られる。水をさらに圧縮すれば大地となる。
 
●読み書き能力(p112)
 BC6世紀ごろのギリシアは、読み書き能力が専門的な筆記者の狭いサークルの外にまで普及した、人類史上初めての社会。
 とりわけ支配階級の貴族にとって、読み書きは社会生活を営む上で必須の能力だった。
 
●第三の道(p115)
〔 一方には、キリストにたいする聖パウロの、孔子にたいする孟子の、ピタゴラスにたいする学徒たちの絶対的な恭順があり、もう一方には、自分とは違う考え方をする人物への断固とした否定がある。だが、アナクシマンドロスは、そのどちらとも異なる第三の道を発見した。アナクシマンドロスのタレスへの恭順は明らかであり、タレスの知的達成にアナクシマンドロスが全面的に依拠していることは疑いの余地がない。それでも、いくつかの点でタレスは間違っていること、タレスの説より優れた解決策がありうることを、アナクシマンドロスはためらいなく指摘した。孟子も、聖パウロも、ピタゴラス学派の教え子たちも、この窮屈な第三の道こそが、知の発展への扉を開くまたとない鍵であることに気づかなかった。〕
 
●中国の思想(p119)
〔 何世紀ものあいだ、さまざまな領野において、中国文明は西洋よりはるかに優越していた。それにもかかわらず、西洋で起きた科学革命に比する変革は、中国では起こらなかった。伝統的な見方に従うなら、その原因は、中国の思想において師がけっして批判されず、その言葉にけっして疑義が呈されなかったという事実に求められる。中国の思想は、知的権威の問い直しではなく、既存の思想の深化、肥沃化に向かって成長した。私見では、これは納得のいく説に思える。むしろ、この説を採用しないことには、あの偉大な中国文明が、イエズス会がやってくるまで大地は球体であるという理解に到達していなかったという、およそ信じがたい事実を受け入れる気になれないのだ。おそらく、中国には、ひとりのアナクシマンドロスも生まれなかったのだろう。あるいは、仮に生まれていたとしても、皇帝が首を刎ねていたのだろう。〕
 
●フェニキア文字(p127)
 フェニキア文字とギリシア文字は、ともに30に満たない数のアルファベットで構成されている。
 フェニキア文字のアルファベットは、子音だけから構成されている。
 ギリシア文字のアルファベットには、母音もある。フェニキア文字がギリシア語に転用される際に、子音の少ないギリシア語で利用されずに残るアルファベットがあった。α、ε、ι、ο、ν、ωである。これらを母音にあてた。
 楔形文字やヒエログリフは、少数の表音文字と、何百もの表意文字から形成されていた。これらの文字を用いて文章を書いたり読んだりするには、実質上、すべての文字について知っている必要があった。長年の修練が必要だった。
 
●イオニア同盟(p139)
 アナクシマンドロスの時代、ミレトスは、ほかのギリシア都市とともに「イオニア同盟」を形成していた。
 同盟の目的は、ある都市の、ほかの都市に対する優越を示すことではない。共通の関心や、共通の関心に基づく決定について、代表者が討論を交わす場を提供することが、この同盟の存在理由だった。
 〔同盟の代表者が集った建物、イオニア同盟の「議会」はおそらく、世界史上もっとも古い議事堂のひとつである。ギリシア人が、神のごとき君主の宮殿の代わりに議会を設置し、みずからを取り巻く世界を見渡したまさしくそのとき、人びとは神話的、宗教的な思考の暗がりを脱し、自分たちの生きる世界がどのようにできているかを理解しはじめた。大地は巨大な平面ではない。それは、宙を浮遊する岩山である。〕
 神権政治からの解放。
 
●科学が存在する理由(p158)
〔 科学が存在する理由は、わたしたちがかぎりなく無知であり、抱えきれないほどの誤った先入観にとらわれているからである。「知らない」という現実、丘の向こうにはなにがあるのかという好奇心、知っていると思っていたことの問い直し……これが、科学の探究の源泉である。一方で、科学は明白な事実に抗ったり、論理的な批判の言説を拒んだりはしない。人はかつて、大地は平らであると信じ、自分たちは世界の中心にいると信じていた。バクテリアは無機質物質から自然に生まれてくるのだと信じていた。ニュートンの法則は正確無比だと信じていた。新たな知が獲得されるたび、世界は描き直され、わたしたちの目に映る世界の相貌は移ろっていった。昨日とは異なる、昨日よりも優れた仕方で、今日のわたしたちは世界を認識している。
 科学とは、より遠くを見つめることである。自分の家の小さな庭を出たばかりのときには、わたしたちの考えは往々にして偏っているものだと理解することである。科学とは、わたしたちの先入観を明るみに出すことである。世界をより的確に捉えるために、新しい概念的手段を構築し発展させることである。〕
 
●最良の解答(p173)
〔 つまり、「科学は発展途上だから信じられない」のではなく、「発展途上だからこそ、科学は信頼に値する」のである。科学が提供するのはかならずしも、決定的な解答ではない。むしろ、科学という営みの本質からして、それは「今日における最良の解答」と呼ぶべきである。〕
 
●冒険(p181)
〔 科学とは、世界について考えるための方法を探求し、わたしたちが大切にしているいかなる確かさをも転覆させて倦むことのない、どこまでも人間的な冒険である。人間がなしうるなかで、もっとも美しい冒険のひとつ、それこそが科学である。〕
 
●『神々の沈黙』(p221)
 ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙――意識の誕生と文明の興亡』。1970年代。
 神の観念が誕生したのは、およそ1万年前、新石器革命のころ。
 原始の社会においては、人間集団は血縁を軸にして構成され、支配者の地位にある男性が、グループの成員に直接に指示を下していた。
 新石器革命がおこり、農耕文化が普及して、人口が増加して定住化が進行するにつれ、集団の規模も増大した。支配者はグループの成員とじかに接することができなくなった。人間は、住人の全員が顔見知りではない規模の都市で生きるために、「文明」という技術を生み出した。
 集団の崩壊を避けるために、支配者の「声」が、当人が不在であっても臣民の耳に「聞こえる」ように、「人物像」を作った。君主の声はその死後も、生前と変わらずに聞かれ、崇められ続けた。なおも「語る」亡骸を、残された人びとは可能な限り長く保存しようと努め、それが神の像に発展し、古代のあらゆる都市の中心で崇拝の対象になった。
 君主の家、すなわち神像の家は、時の経過とともに神殿に発展し、地理的にも象徴的にも、古代都市の中心として機能するようになった。このシステムは数千年にわたって維持され、古代文明の社会的、心理的な構造を決定づけた。
 〔こうした文明において、神とは君主であり、その父であり、その祖先だった。神々とは、すでに没し、しかしなおも語っている君主たちの、いまだ生き生きとした記憶のことだった。〕
 このシステムは、BC1000年頃、政治的、社会的な激しい動乱が起こった時代に危機を迎えた。広範な地域に及ぶ大規模な移住現象、商業の発展、史上初めての他民族帝国の形成。神々の退場。
 神々の「声」は、ひと握りのピュティア(アポロンの神託を授けるデルポイの巫女)や、さらにのちにはマホメットやカトリックの聖人にしか聞こえなくなった。独り取り残された人間は、変革を蒙る世界での漂流を余儀なくされる。
 
●『世界の脱魔術化』(p224)
 マルセル・ゴーシェ『世界の脱魔術化』。
 神話-宗教的思想から、人間が徐々に離脱していく過程を描く。
 一神教は、宗教的な思想が発展を遂げた末に、多神教よりも「上位の」思想として生じたのではない。古代社会で宗教が一貫して担っていた、思想の組織化における中心的な役割が、ゆっくりと崩壊に向かう局面で生じた。
 最初期の帝国は、異なる民族を混ぜ合わせ、原始的な社会集団、みずからの地域神に自己を同一化している部族から権限を奪い取り、臣民から隔絶した巨大な中央権力という観念を作り出した。こうして、それまで土地ごとに存在していた神々や教団が、一個の神によって駆逐されていく。
 エジプトでは、第四王朝の時代から、太陽神ラーが主神として他を圧倒し始めた。メソポタミアでは、バビロニアに権力が集中するやいなや、同地の主神であるマルドゥクが、王国内の林立する数多くの神々を屈服させた。
 
●撤退の遊戯(p236)
 〔ほとんどの宗教は、「撤退の遊戯」とでも呼ぶべき振る舞いを共有している。つまり、それぞれが掲げる宗教的な真理が、どう見ても道理に合わないことが明るみ出るやいなや、その真理をより抽象的な言葉で表現しなおすのである。白いひげを生やした神は、いつの間にか顔のない神となり、やがて精神的な原理となり、ついには、それについてはなにも語ることのできない、「曰く言いがたいもの」となる。〕
 
●科学的思考(p244)
〔 最後に、アナクシマンドロスは科学史における、最初の概念上の革命を実現した。世界の見取り図は、はじめて根底から書き換えられた。世界の新たな見方のもとで、落下という現象の普遍性が問いに付された。空間に絶対的な「高低」は存在せず、大地は宙に浮かんでいる。それは、西洋の思想を何世紀にもわたって特徴づけるであろう世界像の発見であり、宇宙論の誕生であり、最初の偉大な科学革命だった。だが、それはなによりも、科学的な革命を成し遂げることは可能であるという発見だった。わたしたちが胸に抱いている世界像は、間違っていることもあれば、描き直されることもある。世界をよりよく理解するためには、そのことに気づかなければならない。
 わたしの考えでは、これこそが、科学の思想の中心に位置する性格である。ほかのなにより明白に思えるような事柄でさえ、間違っていることがある。科学的思考の実践とは、世界を概念化する新たな手法の絶え間ない探求である。現行の知に対する、敬意ある、それでいて徹底的な反抗の身振りから、新しい知識が生まれる。これは、目下形成されつつある世界文明に西洋がもたらした、もっとも豊かな遺産であり、もっとも優れた貢献である。〕
 
(2022/4/25)NM
 
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種を語ること、定義すること 種問題の科学哲学
 [哲学・心理・宗教]

種を語ること、定義すること: 種問題の科学哲学
 
網谷祐一/著
出版社名:勁草書房
出版年月:2020年12月
ISBNコード:978-4-326-10288-4
税込価格:3,520円
頁数・縦:238, 15p・22㎝
 
 生物学者たちは、「種」について厳密な定義をせずに「種」という用語を使用し、それでいて大きな混乱もなくコミュニケーションを成立させている。その状況を哲学的に考察する。
 「種」の分化というのは、大きな時間のスパンで考えれば現在進行中の現象である。どう定義するにしても、分化中の種と種の境界にある個体は常に存在することになる。
 また、生殖可能性で定義したとしても、実験でうまく証明できない場合もある。遺伝子で定義しても、何パーセント一致すれば同一の種としてみとめるのか、厳密には決められないだろう。
 難しい問題である。
 
【目次】
第1章 種問題とは何か
 形態学的(分類学的)種概念
 生物学的種概念
  ほか
第2章 合意なきコミュニケーション
 三つのケーススタディ
 二論争物語―プライオリティの問題と同所的種分化の問題
  ほか
第3章 「よい種」とは何か
 二重過程説とは何か
 生物学者は種についてどう語るのか
  ほか
第4章 「投げ捨てられることもあるはしご」としての種
 一般種概念の構成要素を明らかにする
 一般種概念と個々の種の定義の関係―精緻化
  ほか
 
【著者】
網谷 祐一 (アミタニ ユウイチ)
 1972年生まれ。2007年3月京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。哲学博士(Ph.D.)ブリティッシュ・コロンビア大学(カナダ)より取得。米ピッツバーグ大学(ポスト・ドクトラル・フェロー)、京都大学文学研究科(研究員)、東京農業大学生物産業学部准教授を経て、2019年4月より会津大学コンピュータ理工学部上級准教授。
 
(2022/1/17)NM
 
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メンヘラの精神構造
 [哲学・心理・宗教]

メンヘラの精神構造 (PHP新書)
 
加藤諦三/著
出版社名:PHP研究所(PHP新書1224)
出版年月:2020年6月
ISBNコード:978-4-569-84715-3
税込価格:968円
頁数・縦:219p・18cm
 
 メンヘラとは、メンタルヘルスのこと。精神的に病んでいる社員が増えている、ということの解説と対策について論じたいようなのだが、構成が散漫で、思いつくままに書き散らしている観が強く、言いたいことの焦点が曖昧である。それがこの著者のスタイルなのか。
 読み進めつつ感じる部分があったら自分に当てはめて納得したり、改善に努めたりするようにすればいいのだろう。
 
【目次】
第1章 なぜ、あの人はいつも不満なのか?
第2章 「ひどい目に遭った」という被害者意識
第3章 根底に潜むナルシシズムとは?
第4章 傷つきやすい私を大事にしてほしい
第5章 メンヘラの精神構造を分析
メンヘラ本人ができる四つの改善策
 
【著者】
加藤 諦三 (カトウ タイゾウ)
 1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」レギュラーパーソナリティ。
 
【抜書】
●何度も言い聞かせる(p60/324)
〔 被責妄想だの、自己関連妄想など、怖くないものを怖がって不幸な一生を終わる人のなんと多いことか。では、どうすればよいのか。
 詳しくは後述するが、なにかを誰かを恐れている時に、「これは、それほど恐れるものではない」と何度でも自分に言い聞かせることである。「私は恐くないものを怖がっている」と何度でも自分に言い聞かせる。〕
 
●自己関連妄想(p68/324)
 自分には全く関係ないことを、関係あると思ってしまうこと。
 被蔑視妄想……なにをしても勝手に「私を軽蔑した」と解釈してしまうこと。加藤の命名。
 
●感情的記憶(p85/324)
〔 無意識に蓄えられた感情的記憶には、人によって違うということを理解しないと、人を理解することができない。〕
 
●補足的ナルシシスト(p151/324)
 「ナルチストは補足的ナルチストを要求する。」チューリッヒ大学教授ユルク・ヴィリー(1934-)の言葉。
 「補足的ナルシシスト」をヴィリーは男女関係で説明しているが、最も典型的に表れるのは親子関係。親がナルシシストの場合、優しい心の子は補足的ナルシシストの役割を果たすことを親から強制される。
 親子の役割逆転。子どもが親の甘えを満たさなければならない。
〔 もともと配偶者の一方がナルシシストの場合、夫婦関係はうまくいっていない。相手に不満である。
 補足的ナルシシストの役割を背負わされた子どもの悲劇は深刻である。
 ナルシシストの親はその優しい子が、自分を全知全能の神であると信じるように操作する。全知全能の神であると信じることを子どもに強要する。
 その心の優しい子が、親を全知全能の神であると思うことで、親は心理的に安定する。〕
 
●不機嫌(p182/324)
〔 不愉快も、不機嫌も依存性抑うつ反応である。相手が自分の望む反応をしてくれない。相手に依存しつつ相手に怒りを感じている。〕
 不機嫌な人は、攻撃性を直接には表現できない。(p202/324)
 嫌われるのが怖い、見捨てられるのが怖い、対立するのが嫌だ、あるいは攻撃すべきではないという規範意識がある。
 相手に怒りを感じながら、それを表現できないでいる。それが重苦しい不機嫌となる。
 
【ツッコミ処】
・無責任(p274/324)
〔 そしてこの二つの心理(注:ナルシシストの自己陶酔と、他者への無関心)と傷つきやすさとも深く関わっている。つまり傷つきやすさと被害者意識と自己陶酔と他者への無関心は一つの塊である。そこに無責任が加わる。〕
  ↓
 「無責任」が唐突に出てくるのだが、無責任に関する記述がこの前後5頁の文章にはないので、無責任が加わるとナルシシストがどうなるのか不明。
 
(2021/11/25)EB
 
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