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平成金融史 バブル崩壊からアベノミクスまで
 [経済・ビジネス]

平成金融史-バブル崩壊からアベノミクスまで (中公新書)
 
西野智彦/著
出版社名:中央公論新社(中公新書 2541)
出版年月:2019年4月
ISBNコード:978-4-12-102541-8
税込価格:1,012円
頁数・縦:316p・18cm
 
当局が、あの手この手で金融危機を回避しようとする姿が描かれている。
 
【目次】
プロローグ 「平成」の幕開き、鬼平の後悔
第1章 危機のとばくち―バブル崩壊と大いなる先送り
 土地バブルに「劇薬」投与
 未曽有の金融不祥事
  ほか
第2章 金融危機、襲来―拓銀・山一、連鎖破綻の衝撃
 ビッグバンの打算と誤算
 「大臣保証」と奉加帳
  ほか
第3章 二波、そして三波―迷走する長銀処理、竹中プランの出現
 長銀危機の勃発と迷走
 日債銀破綻と第二次資本注入
  ほか
第4章 脱デフレの果てなき道―リーマン危機から「異次元緩和」へ
 緩和解除とアベノミクスの萌芽
 リーマン危機、そのとき東京で
  ほか
エピローグ 安倍から黒田へ、新たな「指示」
 
【著者】
西野 智彦 (ニシノ トモヒコ)
 1958年(昭和33年)、長崎県に生まれる。慶應義塾大学卒業後、時事通信社で編集局、TBSテレビで報道局に所属し、日本銀行、首相官邸、大蔵省、自民党などを担当したほか、「筑紫哲也NEWS23」「報道特集」「Nスタ」の制作プロデューサーを務めた。
 
【抜書】
●阪和銀行(p90)
 1996年11月21日、蔵相の三塚は阪和銀行に戦後初の業務停止命令を発動。
 過去に例のない大胆な手法、ビッグバン時代をアピール。
 (1)資金繰り破綻ではなく、銀行局の認定によって破綻処理に踏み切った初のケース。
 (2)「受け皿銀行」を用意せず、預金者保護に目的を絞った「清算銀行」を設立した。
 
●日債銀再建策(p100)
 1997年4月1日、日本債券信用銀行の再建策を発表。
 海外からの全面撤退、関連ノンバンクの自己破産、全営業店舗の売却、人員・給与の削減、日銀からの間接出資を含む総額3,000億円の資本増強。
 過去に例を見ない大規模救済であり、奉加帳方式の救済。
 その後、米バンカース・トラストとの業務・資本提携を発表、資金繰りも安定し、当面の危機を脱出する。
 
●三洋証券(p118)
 国際証券との合併に失敗し、1997年11月3日、三洋証券が東京地裁に会社更生法の適用を申請。総資産4,500億円、従業員2,700人超の準大手証券の法的整理が確定した。負債総額3,736億円。上場証券会社では初の倒産。
 
●1997年(平成9年)11月26日(p136)
 11月21日(金)、和歌山県の紀陽銀行が通期で300億円の赤字に陥るとの見通しを発表。その後の三連休に「紀陽さんが重大発表をするらしい」「どうも週明けに店を閉じるらしい」との噂が流れ始める。
 11月25日、紀陽銀行の店頭に早朝から預金者が並び始める。
 11月26日、宮城県の第二地銀の徳陽シティ銀行が経営破綻、仙台銀行などに営業譲渡すると発表。
 宇都宮、富山、札幌、東京、名古屋、大阪、福岡などでも取り付け騒ぎが起きる。
 紀陽銀行は、二日間で1,700億円の預金が抜けた。
 安田信託銀行、足利銀行にも、大勢の預金者が押し掛けた。
 長銀でも札幌と名古屋で金融債の解約を求める列ができ、1日で400億円が流出した。
 日銀信用機構局長・増渕「金融システム崩壊の危機」。
 大蔵省幹部「地獄の釜をのぞき込んだ」。
 
●990行(p257)
 平成の金融破綻は、BCCI(バンク・オブ・クレジット・アンド・コマース・インターナショナル:ルクセンブルク)東京支店に始まり、日本振興銀行で幕を閉じた。入口も出口も「預金カット」だった。
 平成期の預金金融機関の破綻182件。うち銀行22、信用金庫27、信用組合133。
 平成元年の預金金融機関990、18%強が消滅した。
 昭和金融恐慌の破綻比率は16%強だった。
 
●失敗と実験(p297)
〔 三〇年余に及ぶ平成の金融動乱が、幕を閉じようとしている。
 バブル崩壊の衝撃に怯えつつも、地価の復活をひたすら信じ、問題の先送りを繰り返した一九八九年からの七年間。恐れていた金融危機が勃発し、大型連鎖破綻によって公的資金やゼロ金利を決断せざるを得なくなった九五年央からの六年間。デフレの発生と不良債権の累増で大規模な量的緩和と竹中プランが出動した二〇〇二年からの六年間。そしてリーマン危機や東日本大震災後の円高でデフレが慢性化し、政治主導の異次元緩和に追い込まれた最後の一〇年余。平成金融は大きく四つのフェーズ(局面)に分類することができる。
 振り返れば、すべて「失敗と実験」の連続だった。
 バブルの診断と処置を誤り、不良債権処理に出遅れ、公的資金の導入に躓き、危機回避のため実験的な弥縫策を繰り返した挙句、気がつけばデフレの迷路に入り込み、超金融緩和の壮大な実験場となった。この間、幾多の会社と事業機会が失われ、後ろ向きの処理のために有為な人材が費やされ、時に命すら落とした。なぜこれほどの過ちを犯したのか。
 当事者たちの総括を整理すると、まず「認識の難しさ」が共通のキーワードとして浮かび上がってくる。第一に、バブルに対する認識の遅れである。〕
〔 バブルかどうかの判断が難しいと、崩壊後の展開にも「認識の遅れ」はつきまとう。これが第二のポイントである。〕
 
●巻末の「関連略年表」より(p309~p316)
《1989年》
 4月 消費税3%導入
 8月 海部俊樹内閣発足
 11月 ベルリンの壁崩壊
 12月 三重野康日銀総裁就任。日経平均株価38,915円、史上最高値
《1990年》
 4月 太陽神戸三井銀行発足
 10月 東西両ドイツ統一
《1991年》
 4月 協和埼玉銀行発足
 7月 公定歩合引き下げ開始。BCCI東京支店に特別清算命令
 10月 東邦相互銀行の救済合併で預金保険機構が初の資金援助決定
 11月 宮澤喜一内閣発足
 12月 ソビエト連邦消滅
《1993年》
 2月 住専問題で大蔵省銀行局長と農水省経済局長との間で「覚書」
 8月 細川護熙内閣発足
《1994年》
 1月 羽田孜内閣発足
 6月 村山富市内閣発足
 12月 東京協和・安全信用組合破綻、受け皿銀行(東京共同銀行)設立を発表。松下康雄日銀総裁就任。
《1995年》
 1月 阪神・淡路大震災
 3月 東京共同銀行が営業開始
 7月 東京都、コスモ信用組合に業務停止命令
 8月 大阪府、木津信用組合に業務停止命令。兵庫銀行破綻処理
 9月 大和銀行ニューヨーク支店で巨額損失
 12月 住専処理策を決定、一般会計から6,850億円支出
《1996年》
 1月 橋本龍太郎内閣発足
 3月 太平洋銀行破綻、受け皿にわかしお銀行新設
 4月 東京三菱銀行発足
 6月 住専処理法、金融三法成立
 11月 橋本首相、「日本版ビッグバン」指示。大蔵省、阪和銀行に業務停止命令
《1997年》
 4月 消費税率、5%に引き上げ。大蔵省、日産生命に業務停止命令、戦後初の生保破綻
 6月 改正日銀法、金融監督庁設置法成立
 7月 タイ通貨バーツ暴落、アジア通貨危機
 10月 京都共栄銀行が営業破綻、幸福銀行に営業譲渡
 11月 三洋証券、東京地裁に会社更生法の適用申請。北海道拓殖銀行が経営破綻、北洋銀行への営業譲渡を発表。山一證券が自主廃業、日銀特融発動。徳陽シティ銀行が破綻、全国で取り付け騒動?
《1998年》
 1月 東京地検が大蔵省金融証券検査官室長らを逮捕
 3月 金融危機管理審査委員会が大手21行への資本注入を決定。東京地検、大蔵省証券局総務課課長補佐らを収賄容疑で逮捕。東京地検、日銀営業局証券課長を収賄容疑で逮捕。松下日銀総裁辞任
 4月 速水優総裁の下で改正日銀法施行
 6月 金融監督庁が発足
 7月 小渕恵三内閣発足、蔵相に宮澤喜一
 10月 日本長期信用銀行の一時国有化決定
 12月 日債銀の一時国有化決定。金融再生委員会が発足
《1999年》
 1月 欧州単一通貨「ユーロ」導入
 2月 日銀、ゼロ金利政策導入決定
 3月 金融再生委員会、15行に公的資金注入
 4月 整理回収機構発足。国民銀行が経営破綻
 6月 幸福銀行、経営破綻。東邦生命、自力再建を断念
《2000年》
 3月 長銀の国有化終了、外資ファンドに売却
 4月 森喜朗内閣発足
 5月 第一火災海上保険に業務停止命令
 7月 金融庁発足。そごう破綻、民事再生法適用を申請
 8月 日銀、ゼロ金利解除、10年ぶりの利上げ
 9月 日債銀、国有化終了。みずほホールディングス誕生
 10月 新潟中央銀行が経営破綻。千代田生命、更生特例法の適用申請
《2001年》
 1月 中央省庁再編、1府12省庁体制に
 4月 三井住友銀行が誕生。小泉純一郎内閣発足
《2002年》
 1月 UFJ銀行発足(三和銀行、東海銀行が合併)
 4月 ペイオフ一部解禁(定期預金)
 9月 内閣改造で金融担当相に竹中平蔵
《2003年》
 3月 福井俊彦日銀総裁就任
 5月 初の金融危機対応会議、りそな銀行への公的資金注入決定
 11月 金融危機対応会議、足利銀行の一時国有化を決定
《2005年》
 10月 三菱UFJフィナンシャル・グループ発足
《2006年》
 3月 日銀が量的緩和の解除を決定
 9月 安倍晋三内閣発足
《2007年》
 7月 参院選で民主党が勝利、ねじれ国会に
 9月 福田康夫内閣発足
 10月 郵政民営化による「日本郵政グループ」発足
《2008年》
 4月 白川方明日銀総裁就任
 9月 リーマン・ショック発生。麻生太郎内閣発足
 10月 大和生命保険が経営破綻
 12月 FRBがゼロ金利導入
《2009年》
 8月 衆院選で民主党圧勝、鳩山由紀夫内閣発足
《2010年》
 1月 日本航空が会社更生法適用申請。
 6月 菅直人内閣発足
 9月 日本振興銀行が破綻、初のペイオフ発動
 10月 日銀が「包括緩和」導入、資産買入等基金を創設
 ※この年、中国がGDP世界2位に
《2011年》
 2月 日銀、中長期的な物価安定の目途(当面1%)を導入
 9月 野田佳彦内閣発足
 10月 東京外為市場で1ドル=75円32銭の戦後最高値更新
《2012年》
 12月 衆院選で自民党大勝、安倍晋三内閣発足
《2013年》
 1月 2%物価目標を柱とする政府・日銀共同声明
 3月 黒田東彦日銀総裁就任
 4月 異次元緩和(量的・質的金融緩和)スタート
 8月 財務相、国の借金が1,000兆円を超えたと発表
《2014年》
 4月 消費税率、8%に引き上げ
 6月 欧州中央銀行がマイナス金利導入
 10月 FRBが量的緩和政策終了
《2015年》
 3月 欧州中央銀行が量的緩和導入
 12月 FRBが短期金利を引き上げ
《2016年》
 1月 日銀がマイナス金利付き量的・質的金融緩和を決定
 2月 長期金利が史上初のマイナスに
《2017年》
 10月 FRBが資産圧縮を開始
《2018年》
 4月 黒田東彦日銀総裁再任。日銀が展望レポートから2%物価目標の達成時期を削除
 12月 欧州中央銀行が量的緩和政策終了
 
(2020/1/5)KG
 
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