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渡り鳥たちが語る科学夜話 不在の月とブラックホール、魔物の心臓から最初の詩までの物語
 [自然科学]

渡り鳥たちが語る科学夜話
 
全卓樹/著
出版社名:朝日出版社
出版年月:2023年2月
ISBNコード:978-4-255-01324-4
税込価格:1,760円
頁数・縦:191p・19cm
 
 さまざまな分野に及ぶ、文学的科学エッセー20編。
【目次】
1 天体
 アステカの陰陽神
 フォンターナと金星の月
  ほか
2 極微
 シミュレーション仮説と無限連鎖世界
 デーモンコアと科学の原罪
  ほか
3 街
 帝国興亡方程式
 オマル・ハイヤームの墓
  ほか
4 生命
 石に刻まれた銀杏
 赤い砂漠の妖精の輪
  ほか
 
【著者】
全 卓樹 (ゼン タクジュ)
 京都生まれの東京育ち、米国ワシントンが第三の故郷。東京大学理学部物理学科卒、東京大学理学系大学院物理学専攻博士課程修了、博士論文は原子核反応の微視的理論についての研究。専攻は量子力学、数理物理学、社会物理学。量子グラフ理論本舗/新奇量子ホロノミ理論本家。ジョージア大、メリランド大、法政大等を経て、高知工科大学理論物理学教授。
 
【抜書】
●ネイト(p19)
 フランチェスコ・フォンターナ、17世紀ナポリの法律家。
 自ら磨いたレンズで高性能の望遠鏡を作り、法務の傍ら数年にわたる観測の末、月表面の詳細な地図を作りあげた。『新しい天界と地界の観測』。
 1645年、金星の月を発見した。金星の8分の1の大きさ。
 その後も100年以上の間、カッシーニやラグランジェなどの天文学者に追認され、「ネイト」の公称を与えられた。斃れた兵士を守る、古代エジプトの戦の女神。
 17世紀終盤には、ネイトの軌道要素も確定。直径は金星の4分の1、公転周期は11日、公転半径は金星半径の67倍、公転面は黄道面に対して64度傾いている。
 1760年代、ハーシェルが何度も試みたがネイトを一度も見つけられないと表明。
 1761年に5人の観測家による18例の観測。1764年、2名による8例。1768年、コペンハーゲンの1例のみ。その後、観測記録は途絶えた。
 1887年、ベルギー科学アカデミーが詳細な報告書を作成。これまでの観測記録は金星の近くの恒星の見間違い。現在では、金星には惑星が存在しないと確定。
 
●シロアリ(p157)
 シロアリはゴキブリの近縁種。アリはハチの近縁種。
 一つのシロアリの巣には、王と女王が1匹ずつ。次世代を担う王女たち、王子たち以外は、労働者または兵士。労働者にも兵士にもオスとメスの両方がいるが、不妊化されていて番うことはなく、働きぶりに男女の区別はない。
 シロアリは草食。労働シロアリは鋭い顎を持たない。兵シロアリは攻撃用の顎を持ち、別の巣の兵シロアリを攻撃する。
 
(2024/4/28)NM
 
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まちがえる脳
 [自然科学]

まちがえる脳 (岩波新書)
 
櫻井芳雄/著
出版社名:岩波書店(岩波新書 新赤版 1972)
出版年月:2023年4月
ISBNコード:978-4-00-431972-6
税込価格:1,034円
頁数・縦:229, 7p・18cm
 
 これまでの研究の成果によって明らかになってきた脳の機能をもとに、脳が間違える仕組みとその意義を解説する。
 とは言え、脳について明らかになってきたことはごくわずかで、人工知能、人工脳などで人間の脳をシミュレーションするのはほぼ不可能である。
 
【目次】
序章 人は必ずまちがえる
 ヒューマンエラーの実態
 対策の限界
 脳の何が問題なのか?
第1章 サイコロを振って伝えている?―いい加減な信号伝達
 働いている脳の信号伝達
 どのように調べればわかるのか?
 ニューロンは協調して働くしかない
第2章 まちがえるから役に立つ―創造、高次機能、機能回復
 脳活動のゆらぎと創造
 記憶はまちがえてこそ有用である
 まちがえる神経回路だから回復できる
第3章 単なる精密機械ではない―変革をもたらす新事実
 ニューロンとシナプスがすべてではない
 心が脳の活動を変える
 「病は気から」は本当か?
 AIは脳になれない
第4章 迷信を超えて―脳の実態に迫るために
 脳は迷信の宝庫
 研究者の責任
 急速に解明されているのか?
 脳は手強い
 
【著者】
櫻井 芳雄 (サクライ ヨシオ)
 1953年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程中退。広島大学助手、富山医科薬科大学助教授、京都大学霊長類研究所助教授、生命学研究所客員助教授、京都大学大学院文学研究科教授、同志社大学大学院脳科学研究科教授などを経て、京都大学名誉教授、同志社大学嘱託研究員、医学博士。専門は行動神経科学、実験心理学。
 
【抜書】
●医療ミス(p11)
 2016年に医学専門誌に掲載された論文。
 米国での医療ミスによる死者は年間25万人。全死因の第3位。
 年間の死者を5~20万人と見積もっている調査もある。
 
●800億(p26)
 ヒトの脳には約1,000億のニューロンがある。そのうち800憶は小脳にある。
 小脳のニューロンは、シナプスの数が比較的少ない。
 大脳には100~200億のニューロンがあり、そのほとんどは大脳皮質にある。シナプスの数が多く、一つのニューロンが数千以上のシナプスを持っている。
 
●デフォルト脳活動ネットワーク(p67)
 脳内では、ゆらぎを持つリズミカルな脳波が常に現れる。ニューロンの大集団の同期発火と、それを生み出す膜電位の同期的な変動が常に起きている。→ デフォルト脳活動。
 デフォルト脳活動を現す複数の脳部位は、互いに同期して活動することもある。→ デフォルト脳活動ネットワーク。
 
●30秒(p70)
 課題に対して間違った反応を示した場合、fMRIの結果を見ると、前頭前野や補足運動野などの広範な部位の活動が、その30秒以上前から変化していた。脳の活動を見ていれば、ボタンを押すほぼ30秒前からエラーを予測できた。
 そのようなエラーを予期する活動を示す脳部位は、自発的なゆらぎを一緒に示すデフォルト脳活動ネットワークの部位とほぼ重なっていた。
 自発的なゆらぎを含む特定の活動が現れているときに課題を行うと、エラーが起きやすい。
 
●脳トレ(p186)
 海外で実施された大規模調査。
 高齢者が脳トレを実施しても、認知機能や記憶機能が改善するという事実は確認されず、認知症の予防効果もなかった。
 脳トレを実施すると前頭葉の血流量が増えるというデータは事実であるが、脳の血流量の増大(ニューロン集団の活動量の増大)は、必ずしも機能の向上にはつながらない。
 
●アストロサイト(p190)
 血管の壁とニューロンの間には、グリア細胞のアストロサイトがある。これを通った物質だけが血液中からニューロンに届く。血液脳関門。
 この関門を通れる物質は、酸素、ホルモン、ブドウ糖、アミノ酸、アルコール、特殊な薬物、など。
 
(2024/4/28)NM
 
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日本のビールは世界一うまい! 酒場で語れる麦酒の話
 [経済・ビジネス]

日本のビールは世界一うまい! ――酒場で語れる麦酒の話 (ちくま新書 1737)
 
永井隆/著
出版社名:筑摩書房(ちくま新書 1737)
出版年月:2023年7月
ISBNコード:978-4-480-07562-8
税込価格:990円
頁数・縦:254p・18cm
 
 日本のビールメーカーの歴史を、明治維新の黎明化から現在までたどる。
 エピソード満載で、ビールの薀蓄を語るネタに事欠かない。
 
【目次】
第1章 日本「麦酒」事始め
第2章 大手四社の戦後
第3章 独自の方向性で、各社に人気商品誕生
第4章 ビール市場の転換点
第5章 量を追う時代の終焉
第6章 ビールのこれから
 
【著者】
永井 隆 (ナガイ タカシ)
 1958年群馬県生まれ。明治大学経営学部卒。東京タイムズ記者を経て、フリージャーナリスト。企業、組織と人、最新の技術から教育問題まで、幅広く取材・執筆。
 
【抜書】
●コープランド(p13)
 ウィリアム・コープランド。米国国籍のノルウェー人。
 1870年、横浜の山手でビール醸造を開始。スプリング・バレー・ブルワリー。
 外国人居留地となる以前は天沼と呼ばれており、ビール造りの適した湧水が豊富な土地で、湧水を動力として水車を回し、麦芽の粉砕に使った。
 1875年(明治8年)頃には、日本初のビアガーデンをブルワリーに併設してオープン。
 1884年、内紛により倒産。途中から共同経営者になったドイツ生まれの米国人醸造家エミール・ヴィ―ガントとコープランドが対立したため。
 
●キリンビール(p15)
 1885年8月、スプリング・バレーの蒸留所跡地に「ジャパン・ブルワリー」が設立される。英国人トマス・グラバー、三菱社長岩崎弥之助(弥太郎の弟)が出資。
 1888年5月、磯野計〈はかる〉の明治屋と総代理店契約を結び、ビールの販売を開始。名前は「キリンビール」に。「西洋のビールには狼や猫などの動物が用いられているので、東洋の聖獣[麒麟]を商標にしよう」との提案による(三菱の番頭・荘田平五郎の発案)。
 1898年にラベルを変更、現在とほとんど変わらないデザインに。
  
●渋谷ビール(p20)
 しぶたにびーる。
 1872年、豪商の渋谷庄三郎が大阪の堂島でビール醸造を開始、「渋谷ビール」として発売。日本人経営によるビール会社第一号。
 
●サッポロビール(p25)
 1882年、開拓使が廃止。
 1886年11月、官営ビール事業「開拓使麦酒醸造所」は大倉喜八郎に払い下げられ、「大倉組札幌麦酒醸造所」となる。芙蓉グループ。
 1887年12月、渋沢栄一、浅野総一郎らに事業譲渡、「札幌麦酒会社」設立。
 1888年8月、「札幌ラガービール」を発売。現存する最古のビールブランド。サッポロビール広報部は、開拓使麦酒醸造所が1877年に発売した「冷製札幌麦酒」を日本最初と解釈しているが……。
 「キリンビール」は1888年5月発売だが、1988年に名称が「キリンラガービール」に変更している。
 
●アサヒビール(p27)
 1889年11月、「有限責任大阪麦酒」設立。創立者で初代社長は鳥井駒吉。サントリーの鳥井信治郎と縁戚関係なし。
 大阪府島下郡吹田村に工場用地を取得。現在のアサヒビール吹田工場。
 1892年、「アサヒビール」発売。ラベルは「アサヒ」「ASAHI」だったが、あいさつ状などの文書には「旭」と表記。
 1903年、日本麦酒を抜いてシェアトップに。
 
●三大イノベーション(p30)
 ① リンデによるアンモニア式冷凍機の開発。
 ② パスツールによる低温殺菌法(パスチャライゼーション)の開発。
 ③ ハンセンによる酵母の純粋培養法の確立。
 それまでクラフト的に作られていたビールを、大量生産・大量販売が可能な近代産業へと押し上げた。
 
●エビスビール(p35)
 1887年(明治20年)、「日本麦酒醸造会社」設立。大株主は三井物産横浜支店長だった馬越恭平。
 1890年、「恵比寿ビール」発売。
 
●46年目の黒字化(p69)
 1961年、寿屋第二代社長の佐治敬三が、病気療養中の父・鳥井信治郎にビール事業参入の意思を伝える。
 「わてはこれまで、ウイスキーに命を賭けてきた。あんたはビールに賭けようというねんな。人生はとどのつまり賭や。わしは何も言わん。やってみなはれ」
 1963年、府中市に武蔵野工場を建設、ビール事業に参入。これを機に、寿屋からサントリーに社名変更。
 1967年4月、「純生」発売。
 ビール類事業が黒字化を果たしたのは2008年。参入から46年目。
 
●四隅作戦(p93)
 アサヒの営業担当者は、頻繁に酒販店を訪問していた。
 一般家庭に配達する20本入りのキリンのビールケースから、大瓶1本を抜き取り、アサヒビールに差し替えていた。時には2本、3本を入れ替え。大胆にも四隅をアサヒに替える「辣腕営業マン」もいた。アサヒ社内では、「四隅作戦」などと呼んでいた。
 
●ハートランド(p111)
 1986年秋、キリンが「ハートランド」を発売。麦芽100%の生ビール。専用ボトル(500ml)。キリンのロゴも聖獣「麒麟」のイラストもなし。
 量の「ラガー」に対して、質を追求。麦芽100%なのに、ドライタイプ。仕込みで得た糖の多く(9割以上)を酵母が食べ、発酵度を高くする(アルコールと炭酸ガスへの変換を多くし、糖などのエキスを残さない)。麦芽100%なのに飲みやすいビール。高度な発酵技術が発揮された。
 86年10月から90年12月まで、期間限定で六本木ヒルズ予定地に「ビアホール・ハートランド」を開店。当初は、ここのハウスビールとして商品化された。キリンの直営店と知らずに来店する人が大半だった。
 初代店長は前田仁〈ひとし〉(1950年2月生まれ)、マーケティング部。ビールとビアホールをセットにした「ハートランドプロジェクト」をゼロから企画して立ち上げた。
 ビール「ハートランド」は、87年4月に、缶ビールとして全国発売。
 
●エーデルピルス(p114)
 1987年4月、サッポロが「エーデルピルス」を発売。麦芽100%。現在でも販売、銀座ライオンなどで飲むことができる。
 サッポロは、複数の新製品を投入するが、大半は終売している。「エーデルピルス」は、あまりにも出来が良かったため、「せめて社員が飲む分だけは造り続けよう」と、試醸用のミニブルワリーで醸造を継続させた、という説がある。
〔 あくまで筆者個人の感想だが、「エーデルピルス」は、我が国ビール産業が生んだ最高傑作の一つ、といっていい。ふんだんに使われているホップの湧き立つような香り、そして最初にグラスに口をつけて飲んだときの絶妙なバランス感。麦芽一〇〇%が醸し出す、特有の芳醇さがベースにある。つまみなど必要とせず、グラスの一杯だけで飲食する時間を楽しめる逸品である。〕
 ホップは、チェコのザーツ産のファインアロマだけを使用し、使用量は通常のビールの3倍。
 「エーデルピルス」は、「高貴なピルス」という意味を持ち、商標権はミュンヘン工科大学が所有。サッポロの技術者は、同大学に商標使用の許可を求め、十数人の教授たちが試飲、いずれも高く評価した。
 
●キレ、コク(p122)
 キレ……仕込みの段階で、時間をかけて糖化を徹底し、糖が多くなるようにする。発酵の段階でたくさんの糖を食べる(9割以上)酵母を使い、アルコール度数もガス圧も高める。結果、爽快な味わいのビールができる。キレは、のどごしをもって評価される。飲み込む際の鼻を抜ける香りも影響。食前酒としても食中酒としても飲める。アメリカンタイプのビール。
 コク……麦芽100%のドイツタイプのビール。発酵を抑えて麦芽の旨味を残す。仕込みでも糖化を徹底せず、麦芽のエキス分を残す。発酵で酵母が食べる糖の割合は6~7割。芳醇な味わいが特徴で、ビールだけで楽しむのに向いている。
 1987年、関東限定でアサヒ「スーパードライ」が発売される。女性に人気が出る。「四隅作戦」で家庭に届けられた「スーパードライ」を飲み、ファンになった女性が多い。夫婦で飲むようになる。
 
●糖化スターチ(p173)
 1996年5月28日、サントリーが麦芽25%未満の「スーパーホップス」発売。突貫工事、武蔵野工場で生産。糖化スターチを受け入れる専用タンクの製造が間に合わず、糖化スターチを搬送してくるタンクローリーを工場内に横付けし、釜までホースで直接投入。
 酵母に食べさせる糖分として、「糖化スターチ」を採用。コーンを主原料とする水飴状の液糖。
 
●ウォッカ(p213)
 2001年、キリンは缶チューハイ「氷結」を発売。02年には缶酎ハイなどのRTD(Ready to Drink)のナンバーワン・ブランドに。
 ベース酒にウォッカを使用。それまでのRTDは、主に甲類焼酎が使われていた。氷結以降、他社のRTDの多くはウォッカベースに変わっていった。
 
●ソラチエース(p220)
 北海道空知郡上富良野町にあるサッポロの研究所にて、1974年、フレーバーホップのソラチエースの開発に着手。10年後に世に出たが、日本では評判にならなかった。
 サッポロの研究者・糸賀裕が、1994年、オレゴン州立大学に持ち込む。
 2002年、ホップ農家のマネージャー、ダレン・ガメッシュがソラチエースを見出し、07年頃から全米のクラフトビール・メーカーに紹介。上質な苦みと強い香りの高苦味アロマホップとして、有力なメーカーが次々に採用。その一つが、ニューヨークのブルックリン・ブルワリー。「ブルックリン ソラチエース」を発売(日本では、ブルックリンと資本提携したキリンより、2018年10月に発売)。伝説のブリューマスター(醸造責任者)、ギャレット・オリバーが、日本発・米国産のホップを世界へと広めた。
 米国産ソラチエース使用の国産ビール……「常陸野ネストビールNIPPONIA」(木内酒造合資会社、2010年6月)、「イノベーティブブリュワー ソラチ1984」(サッポロ、2019年4月)。
 
(2024/4/18)NM
 
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逆襲する宗教 パンデミックと原理主義
 [哲学・心理・宗教]

逆襲する宗教 パンデミックと原理主義 (講談社選書メチエ)
 
小川忠/著
出版社名;講談社(講談社選書メチエ 780)
出版年月:2023年2月
ISBNコード:978-4-06-530973-5
税込価格:1,925円
頁数・縦:236p・19cm
 
 2020年の新型コロナ・ウイルスによるパンデミックにより、世界中で宗教の復興が目立つ。その実態を各宗派別に概観し、その功罪を論じる。
 
【目次】
序章 世界の宗教復興現象―コロナ禍が宗教復興をもたらす
第1章 キリスト教(プロテスタント)―反ワクチン運動に揺れる米国
第2章 ユダヤ教―近代を拒否する原理主義者が孤立するイスラエル
第3章 ロシア正教―信仰と政治が一体化するロシア
第4章 ヒンドゥー教―反イスラム感情で軋むインド
第5章 イスラム教―ジハード主義者が天罰論拡散を図る中東・中央アジア
第6章 もうひとつのイスラム教―宗教復興の多面性を示すイスラム社会、インドネシア
終章 コロナ禍で日本に宗教復興は起きるか
 
【著者】
小川 忠 (オガワ タダシ)
 1959年、神戸市生まれ。早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士課程修了。博士(学術)。国際交流基金を経て、跡見学園女子大学文学部教授。専門は国際関係、アジア研究、文化交流政策。
 
【抜書】
●原理主義(p24)
〔 本書は、世俗ナショナリズムに敵対する宗教政治運動を「原理主義」、世俗ナショナリズムに協力するそれを「宗教ナショナリズム」と呼ぶことにする。
 またイスラム法に基づく統治という理念を実現するために一般市民を巻き込んだ無差別テロ等の暴力行為を厭わぬアル・カーイダやISは、「イスラム過激派」とも呼ばれる。しかし、この言葉は「イスラム=過激」という固定観念の強化につながる危険性があるので、学術的には「ジハード主義」等の表現に置き換えられることが増えている。本書でも「ジハード主義」を用いることにする。〕
 
●福音派(p42)
 「2020年米国宗教統計」(公共宗教研究所:PRRI)によると、米国民の約7割がキリスト教徒。
 国民の4割強を占めるのが白人キリスト教徒。福音派プロテスタント14%、主流派プロテスタント16%、カソリック12%、モルモン1%。
 黒人プロテスタント7%、ラテン系カソリック8%、ラテン系プロテスタント4%
 福音派と主流派のあいだには、「文化戦争」とまで呼ばれるほど深刻な亀裂が生じている。福音派は、「原理主義者」、「キリスト教右派」、「クリスチャン・ナショナリズム」の基層をなす。「個人はその理性を働かせて時代状況に合わせて教義を解釈する自由がある」という主流派の自由主義神学に反発する。
 福音派の中でも原理主義者は、彼らが選んだキリスト教の「原理」にこだわり、聖書を字義通りに読むべきとして、学校で進化論を教えることに反対し、世俗主義を敵視しする。
 
●世界教会協議会(p52)
 2020年3月、プロテスタントの世界教会協議会は、各国の教会に向けてパンデミックを乗り越えるためのガイダンスを発表した。
 ・パンデミックで社会機能が麻痺した世界を元に戻すために、信仰共同体は政府、医療従事者とともに大きな役割を果たすことができる。
 ・弱者への感染を防ぐために、当面、集団礼拝をすべてキャンセルすべしと勧告。
 ・従来の対面型集団礼拝に代わって、可能な限りデジタル技術を活用したオンライン方式での礼拝、ラジオやテレビ等による福音伝道、WhatsApp等のメッセージ・プラットフォームの活用を推奨。
〔 教会および教会コミュニティーができることとして、正確で信頼できる情報の流通を教会メンバ―に求めている。今は、デマ、非科学的情報、他者への憎悪を煽る扇動などがあふれている、歪んだ情報は社会的パニックを招くもととして、こうした状況を改善するために教会は声を上げなければいけないと説いている。〕
 
●ハレディーム(p58)
 「敬虔な人々」という意味。ユダヤ教の超正統派。ユダヤ教原理主義。
 イスラエル政府の指示に従わず、イェシヴァ(宗教学校)や集団礼拝を続けたため、新型コロナの集団感性が発生。他の地域に比べ、ハレディーム居住地区に高い率で感染が起きていた。
 
●ダティーム(p61)
 ユダヤ教の宗教派(現代正統派)。
 「ユダヤ人とはユダヤ教」という、宗教をアイデンティティの源とするユダヤ教の正統派の2グループのうちの一つ。世俗ナショナリズムに反発するユダヤ教原理主義。もう一つは超正統派ハレディーム。
 この一派から世俗的なシオニズムとは一線を画す「宗教シオニズム」が出現した。
 
●東方正教会(p80)
 ギリシャ正教会。
 東方正教会(ギリシャ正教会)は、独立・自治の地域教会の連合体。ローマ・カトリックの教皇にあたる地位は存在しない。
 コンスタンティノープル総主教は、「全地」総主教と呼ばれ、すべての正教会信者から尊敬を集める存在であるが、各独立・自治教会に指示・介入する権限はない。
 ロシア正教会は、規模において東方正教会最大の独立教会。1589年、コンスタンティノープル総主教エレミアス2世(1536-95年)により、モスクワ府主教イオフ(1525-1607年)が初代の「モスクワおよび全ルーシの総主教」に叙聖され、モスクワ正教会は「総主教座教会」の地位を獲得する。「府主教座」からの昇格。「第三のローマ=モスクワ」論。総主教座教会は、古代からの教会(コンスタンティノープル、アレクサンドリア、アンティオキア、エルサレム)のみであった。モスクワ総主教庁。
 
●東京復活大聖堂(p108)
 日本にある自治正教会。東京神田のニコライ堂が首座主教座教会。
 
●五行(p141)
 イスラム教には、六つの信仰箇条と五つの信仰の柱がある。「六信五行」。
 五行は、①信仰告白、②礼拝(1日5回の礼拝と金曜日の集団礼拝)、③喜捨、④断食(断食月の1か月)、⑤巡礼(一生に一度、定められた期間中のメッカ・カーバ神殿への巡礼)。
 メッカ巡礼には、「五行」の一つである大巡礼(ハッジ)と、巡礼期間外に随時行われる小巡礼(ウムラ)の2種類がある。メディナへのウムラもある。
 
●社会資本(p173)
〔 外から見ているとISの天罰論などセンセーショナルな教義解釈に目を奪われがちになり、「イスラムは狂信的ゆえに新型コロナウイルスとの戦いの足かせ」という見方に傾きがちだが、大方のイスラム解釈が、不安と闘う人々を勇気づけ、人と人とをつなぐ社会資本として機能し、国が十分に提供できていない公共サービスを人々に届け、新型コロナウイルス封じ込めの一役を担う機能を果たしている点を正当に評価しておきたい。〕
 
●ハラール、ハラーム(p179)
 イスラム法は、人間のすべての行いを義務・推奨・禁止・忌避・許容の五つに分類する。
 ハラールは許容、ハラームは禁止行為にあたる。
 クルアーン第7章第157節「一切の善い(清い)ものを合法〔ハラール〕となし、悪い(汚れた)ものを禁忌〔ハラーム〕とする。」
 クルアーン第2章第173節「かれがあなたがたに、(食べることを)禁じられるものは、死肉、血、豚肉、およびアッラー以外(の名)で供えられたものである。だが故意に違反せず、また法〈のり〉を越えず必要に迫られた場合は罪にはならない。」
 
●ハラール認証(p181)
 この30年間、ハラール市場拡大の牽引者の役割を果たしてきたのは、マレーシアやインドネシア。イスラムの本家である中東ではない。
 マレーシアは1994年に世界で初めて、政府がハラール認証を付与する制度を創設し、ハラールの国際統一基準制定のイニシアティブをとっている。
 インドネシアも、1999年、インドネシア・ウラマー評議会(MUI)が肩入れして「世界ハラール食品協議会」(WHFC)をジャカルタで創立、政府も2014年にハラール製品保証法を制定し、MUIとともにハラール認証を行う行政機関「ハラール製品保証実施機関」(BPJPH)を2019年に新設している。
 中東は国民の大半がイスラム教徒で、社会におけるハラールが当然であるのに対し、マレーシアはイスラム教徒のマレー系のほか、華人系、インド系が混在する多文化社会。インドネシアもイスラム教徒が多数派とは言え、経済・流通に関しては華人系資本の力が強い多文化社会。
 
●日本の宗教復興(p207)
〔 日本の宗教復興は、宗教と文化が混然一体で境界があいまいという日本特有の形態から、共同体の紐帯となる精神性を帯びた文化という形で社会的な存在感を増していくのではないか、と私は想定している。日本と同じく世俗性の強い現代中国社会において、儒教の復権が指摘されているが、これはナショナリズム強化を目論む国家が儒教の伝統文化的側面を利用するという構図で進行している。日本においても宗教とナショナリズムが結びつく可能性はある。しかしそうなった場合、戦前・戦時中の国家による宗教利用の弊害が記憶として残る日本では反発も強いであろう。
 これとは違った可能性があるかもしれない。より小さなサイズの地域共同体の再編と結びついた宗教の復興である。〕
 
(2024/4/15)NM
 
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著作権はどこへいく? 活版印刷からクラウドへ
 [経済・ビジネス]

著作権はどこへいく?: 活版印刷からクラウドへ
 
ポール・ゴールドスタイン/著 大島義則/訳 酒井麻千子/訳 比良友佳理/訳 山根崇邦/訳
出版社名:勁草書房
出版年月:2024年1月
ISBNコード:978-4-326-45132-6
税込価格:3,300円
頁数・縦:298p, 36p・20cm
 
 米国における著作権訴訟と著作権法の歴史をたどり、著作権のあるべき姿を検討する。
 
【目次】
第1章 著作権の形而上学
第2章 著作権思想史
第3章 10ドルを回収するための50ドル
第4章 私的複製
第5章 著作権をめぐる二つの文化
第6章 「機械に対する答えは機械のなかにある」
第7章 両端のほつれ
第8章 無料との競争
 
【著者】
ゴールドスタイン,ポール (Goldstein, Paul)
 1943年ニューヨーク州生まれ。1964年ブランダイス大学卒(B.A.)、1967年コロンビア大学ロースクール修了(LL.B.)。現在、スタンフォード大学ロースクール教授およびモリソン・フォースター法律事務所顧問弁護士。1985-1986年米国議会技術評価局(OTA)諮問委員会委員長。1997年ニューズウィーク誌「新世紀を担う100人」に選出。ベストセラー小説Errors and Omissions(2006)、ハーパー・リー賞受賞作Havana Requiem(2012)など、小説家としても活躍。
 
大島 義則 (オオシマ ヨシノリ)
 弁護士法人長谷川法律事務所弁護士(第二東京弁護士会所属)、専修大学法科大学院教授。2006年慶應義塾大学法学部法律学科卒。2008年慶應義塾大学大学院法務研究科修了。2009年弁護士登録。
 
酒井 麻千子 (サカイ マチコ)
 東京大学大学院情報学環准教授。2014年3月東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学、同大学院情報学環助教を経て2019年より現職。
 
比良 友佳理 (ヒラ ユカリ)
 京都教育大学教育学部講師。2014年北海道大学大学院法学研究科博士後期課程修了、博士(法学)。2015年より現職。
 
山根 崇邦 (ヤマネ タカクニ)
 同志社大学法学部教授。2009年北海道大学大学院法学研究科博士後期課程修了、博士(法学)。2019年より現職。
 
【抜書】
●コンテンツID(p267)
 Youtubeにて、投稿されたコンテンツを管理するシステム。視聴覚作品の侵害コンテンツをスクリーニングする。
 2007年末に開始された。
 コンテンツIDシステムは、アップロードされた切り抜き動画がライブラリ内のデジタル指紋と一致した場合、著作権者があらかじめ指定した以下のオプションを自動的に実行する。
 (1)切り抜き動画を削除する。
 (2)切り抜き動画をYoutubeに残すことを許可したうえで、当該動画の広告収入の一部を著作権者に支払う。
 (3)収益を分配せずに切り抜き動画をYoutubeに残すことを許可しつつ、Youtubeに著作権者に対して使用統計を報告させる。
 
(2024/4/15)NM
 
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縄文神社 関東甲信篇
 [歴史・地理・民俗]

縄文神社 関東甲信篇
 
武藤郁子/著
出版社名:双葉社
出版年月:2023年12月
ISBNコード:978-4-575-31836-4
税込価格:1,980円
頁数・縦:259p・21cm
 
 由緒ある神社のそばには、縄文時代の遺跡もある?
 神社適地は、縄文人にとっても神聖な場所であり、集落を形成した場所でもあった、という仮説のもと、神社と縄文との関係を探る探訪記。首都圏篇に続く「関東甲信篇」である。
 
【目次】
プロローグ 縄文神社とは?―縄文神社の基礎知識
1 茨城・栃木・群馬の縄文神社
【茨城県】 12社
  鹿島神宮(鹿嶋市)、跡宮(鹿嶋市)、坂戸神社(鹿嶋市)、沼尾神社(鹿嶋市)、塩釜神社(鹿嶋市)、御岩神社(日立市)、泉神社(日立市)、大甕神社(日立市)、大宝八幡宮(下妻市)、折居神社(水戸市)、野爪鹿嶋神社(八千代町)、若海香取神社(行方市)
 【栃木県】 6社
  藤岡神社(栃木市)、中根八幡神社(栃木市)、祖母井神社(芳賀町)、押原神社(鹿沼市)、鹿島神社〔玉田町〕(鹿沼市)、板倉神社(足利市) 
【群馬県】 10社
  一之宮貫前神社(富岡市)、荒船山神社〔奥宮・里宮〕(下仁田町)、中野谷神社(安中市)、生品神社(太田市)、三島神社(太田市)、赤城神社〔三夜沢〕(前橋市)、赤城神社〔二之宮〕(前橋市)、赤城神社〔大洞〕(前橋市)、近戸神社〔月田〕、木曽三社神社(渋川市)
 
2 東京・埼玉・千葉・神奈川の縄文神社
【東京】 8社
  明治神宮(渋谷区)、渋谷氷川神社(渋谷区)、代々木八幡宮(渋谷区)、上目黒氷川神社(目黒区)、神明山天祖神社(大田区) 熊野神社(大田区)、諏方神社(荒川区)、池袋氷川神社(豊島区)
 【埼玉】 2社
  高負彦根神社(吉見町)、三ヶ尻八幡宮(熊谷市)
 【千葉】 3社
  石神神社(茂原市)、三輪茂呂神社(流山市)、駒木諏訪神社(流山市)
【神奈川県】 3社
 長尾神社(川崎市)、野川神明社(川崎市)、橘樹神社(川崎市)
 
3 長野・山梨の縄文神社
【長野県】 15社
 諏訪大社〔上社前宮〕(茅野市)、御頭御社宮司総社(茅野市)、諏訪大社〔上社本宮〕(諏訪市)、諏訪大社〔下社春宮〕(下諏訪町)、諏訪大社〔下社秋宮〕(下諏訪町)、千鹿頭神社〔有賀〕(諏訪市)、蓼宮神社(諏訪市)、習焼神社(諏訪市)、北方御社宮司社(諏訪市)、南方御社宮司社(諏訪市)、津嶋神社(岡谷市)、洩矢神社(岡谷市)、小野神社(塩尻市)、矢彦神社(辰野町)、池生神社(富士見町)
【山梨県】 5社
 駒ケ岳神社(北斗市)、津金諏訪神社(北斗市)、川口浅間神社(富士河口湖町)、鵜鷀嶋神社(富士河口湖町)、冨士御室浅間神社(富士河口湖町)
 
【著者】
武藤 郁子 (ムトウ イクコ)
 1973年埼玉県生まれ。神仏や歴史を偏愛し、土器の欠片を探すなど、縄文人に憧れる少女時代を送る。立教大学社会学部産業関係学科卒業後、出版社に入社し、単行本編集に従事。独立後、2011年にありをる企画制作所を設立。現在、ベストセラー作家の時代・歴史小説やエッセイなどの編集に携わりつつ、「場」に残された古い記憶や、本質的な美を探し求め、執筆を続けている。WEBサイト「ありをりある.com」と「縄文神社.jp」を運営。
 
【抜書】
●自然石への信仰(p39)
 自然石への信仰は、縄文時代にはほとんど行われていなかったとされる。
 
●一之宮貫前神社(p88)
 ぬきさきじんじゃ。
 上野国は、律令制下で「大国」とされていた。朝廷は、諸国を規模によって4等級に分けていて、最上級の「大国」は13だけ。そのうち親王が太守になる国に定められたのは、常盤国、上総国、上野国の三つのみ。
 一之宮貫前神社は、最重要国の上野国の一宮。
 
●千鹿頭神(p119)
 ちかとがみ。縄文の信仰を継承するとされる「諏訪神」に属する神。狩猟の神として有名。
 「近戸」「親都」等とも表記され、「ちかた(千賀多、智方、血形)」「ちかつ(千勝、近津、智勝、智賀都)」とも表される。
 「ちかとじんじゃ」は、長野、山梨、埼玉、群馬、栃木、茨城の山岳・山麓地帯に分布。現在の祭神は様々だが、本来は八ヶ岳山麓発祥の「千鹿頭神」を祀るお社とする説がある。
 上野国の二宮であり、名神大社である赤城神社(三夜沢、前橋市)は、赤城神を祀る。千鹿頭神が赤城山にやってきて、赤城神の妹神を妻に迎えたと伝わる。
 
●氷川神社(p139)
 埼玉県の大宮に本社のある氷川神社は、「川の近くの高台上にある」という共通点がある。
 
●論社(p155)
 「式内社」として特定されていないが、式内社である可能性のある神社。
 
●石神(p156)
 しゃくじん。「石棒」を指すことが多い。
 
●ミシャクジ(p179)
 諏訪大社上社は、弥生時代末期ごろ、この地に住んでいた人たち(縄文スワの子孫)を核として、縄文に端を発する信仰を伝えていた。彼らは洩矢族〈もりやぞく、もれやぞく〉といい、彼らが奉斎するのが洩矢神、あるいは「ミシャクジ」と呼ばれる神。
 そこに、天竜川を遡上して「出雲族」がやって来た。出雲神(のちに建御名方神とされる)を祀る人々。両者は激しく戦ったが、出雲族の勝利という形で決着。のちに融和して、ともに神祀りを行うようになった。これが上社の始まり。
 上社の頂点の現人神〈あらひとがみ〉である大祝〈おおほうり〉には、出雲族の神〈しん、みわ〉氏の少年が就く。その補佐をする神長官〈じんちょうかん〉に洩矢族の長が就任。
 御室神事には、「ソソウ神」と「ミシャクジ」が登場する。ソソウ神は、おそらく蛇神。出雲族の神?
 
●御神渡り(p202)
 おみわたり。
 冬に諏訪湖の湖水が凍り、氷がせり上がって亀裂となり、氷の筋道となる現象。
 御神渡りの起点は諏訪神社上社近く。終点が諏訪大社下社近くの、砥川〈とがわ〉付近(春宮)と承知川付近(秋宮)。
 
●ソソウ神(p206)
 諏訪大社上社の御室神事に登場するソソウ神には、主祭神とする神社がない?
 神事の祝詞によると、ソソウ神は3カ所に登場する。有賀〈あるが〉と真志野〈まじの〉と、一カ所不明。この地域周辺を「西山」と呼ぶ。
 有賀には千鹿頭〈ちかとう〉神社がある。
 
●駒ケ岳(p224)
 駒ケ岳神社は、江戸時代後半(1816年)、修験道の延命〈えんめい〉行者による開山。
 駒ケ岳山頂では、縄文土器が発見されている。石鏃、石斧なども。
 
●修験道(p226)
 当山派……真言系。聖宝(832-909年)を派祖とする。醍醐寺三宝院を本山とする。
 本山派……天台系。聖護院を本山とする。
 
●津金学校(p232)
 北斗市の津金御所前遺跡周辺には、縄文と平安時代の集落が出土している。戦国時代の古宮〈ふるみや〉城もあった。武田氏に仕えた津金衆の長・津金氏の居城。
 さらには、津金学校がある。明治、大正、昭和の校舎がそのまま保存され、「三代校舎ふれあいの里」として公開されている。津金諏訪神社の隣接地。
 
●丸石神(p234)
 まるいしがみ。
 甲州では、道祖神として丸石を祀る風習がある。縄文まで遡る信仰形態?
 
(2024/4/11)NM
 
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人物から読む幕末史の最前線
 [歴史・地理・民俗]

人物から読む幕末史の最前線(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)
 
町田明広/著
出版社名:集英社インターナショナル(インターナショナル新書 132)
出版年月:2023年12月
ISBNコード:978-4-7976-8132-1
税込価格:1,012円
頁数・縦:253p・18cm
 
 幕末の偉人11名について、通説とはやや異なる面からその人物と功績を語る。
 幕府側、倒幕側と多士済々で、同じ事件が複数の人物評の中に登場するので、多面的に幕末を理解するための参考書ともなっている。
 
【目次】
第1章 井伊直弼―植民地化から救った英雄か?
第2章 吉田松陰―長州藩の帰趨を左右した対外思想
第3章 マシュー・ペリー―日本開国というレガシーを求めて
第4章 徳川慶喜―真の姿が見えにくい「強情公」
第5章 平岡円四郎―慶喜の政治活動を支えた周旋家
第6章 島津久光―政治の舞台を京都へ移した剛腕政治家
第7章 渋沢栄一―農民から幕臣、そしてパリへ
第8章 松平容保―京都守護職の苦悩と元治期の政局
第9章 佐久間象山―暗殺の真相と元治元年夏の流言
第10章 坂本龍馬―活躍の裏には“薩摩藩士”としての身分があった!?
第11章 五代友厚―幕府を出し抜いたパリ万博への権謀術数
 
【著者】
町田 明広 (マチダ アキヒロ)
 歴史学者。1962年、長野県生まれ。神田外語大学教授・日本研究所所長。明治維新史学会理事。上智大学文学部・慶應義塾大学文学部卒業、佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。
 
【抜書】
●吉田松陰、遠島(p51)
 吉田松陰は、下田渡海事件後、長州藩に戻され、野山獄に入牢。出獄を許されて杉家に幽閉の処分となり、安政4年(1857年)、玉木文之進の塾を引き継ぎ、松下村塾を開塾。
 「大原重徳西下策」「岡部詮勝要撃策」などを画策。憂慮した周布政之助は、藩主に進言して松陰を再び野山獄に収監。
 幕府から嫌疑を受け、安政6年6月、江戸に護送される。嫌疑は、「小浜藩士梅田雲浜と萩で会って政治的謀議を行ったのではないか」「京都御所内で幕政批判の落とし文が見つかり、その筆跡が松陰のものではないか」という2点。
 〔松陰は、罪状認否にあたり、理路整然と反論したため、あっけなく疑惑が晴れた。しかし、幕吏から今の世の中をどう思うかと問われた際、それに気軽に応じて、老中間部詮勝要撃策を白状したことから、一気に重罪人に仕立てられてしまった。松陰は、この計画を幕府は当然つかんでいると思っていたのだ。松陰の軽率な面が招いたことではあるが、幕吏も正論で説得できると信じていた松陰の、至誠に満ちた性格が裏目に出てしまったと言えよう。〕
 評定所の審判は遠島であった。しかし、大老井伊直弼が最終的に死刑に変更したとされる。
 
●望厦条約(p56)
 ペリー来航の理由のひとつは、1844年に米国が中国(清)と望厦〈ぼうか〉条約を締結したこと。アヘン戦争によって英国が結んだ南京条約(1842年)に便乗。
 産業革命の進む米国は、綿製品の輸出先として中国への進出をもくろんでいた。条約締結の結果、中継基地として日本の港が必要不可欠となった。
 
●日米和親条約(p64)
 嘉永7年(1854年)3月3日、日米和親条約締結。
 日本にとって、通商を回避して和親にとどめたことが最大のポイント。米国とは国交を樹立したものの、物資の供給(施し)を認めたにすぎず、鎖国政策を遵守したことになる。
 天保13年(1842年)7月には、幕府が「薪水供給令」を発令している。外国船が薪水・食料の欠乏を訴える場合、事情を聞いて望みの品を与えて帰帆させる。東洋的な撫恤政策。
●島津久光、京都守護職(p180)
 文久2年(1862年)4月、島津久光の挙兵上京を機に、京都が一躍政局の中心となり、京都の治安維持が大きな課題となった。そのための京都守護職設置の際、白羽の矢が立ったのは会津藩主松平容保だった。
 当初は、久光にも京都守護職就任の打診があった。しかし、生麦事件の勃発によって、英国艦隊の鹿児島への来襲に備え、しぶしぶ辞退している。
 
(2024/4/4)NM
 
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お白洲から見る江戸時代 「身分の上下」はどう可視化されたか
 [歴史・地理・民俗]

お白洲から見る江戸時代: 「身分の上下」はどう可視化されたか (NHK出版新書 678)
 
尾脇秀和/著
出版社名:NHK出版(NHK出版新書 678)
出版年月:2022年6月
ISBNコード:978-4-14-088678-6
税込価格:1,078円
頁数・縦:326p・18cm
 
 お白洲を通して江戸時代の身分制度を紐解く。それは、社会安定のための方便でもあった。
 
【目次】
序章 法廷のようなもの
第1章 お裁きの舞台と形―どんな所でどう裁くのか?
第2章 変わり続ける舞台と人と…―御白洲はどこから来たか?
第3章 武士の世界を並べる―どこで線を引くのか?
第4章 並べる苦悩、滲む本質―釣り合いを考えよ!
第5章 出廷するのは何か?―士なのか?庶なのか?
第6章 今、その時を―身分が変わると座席は変わるか?
第7章 座席とともに背負うもの―縁側から砂利へ落ちるとき
第8章 最期の日々―明治の始まり、御白洲の終わり
終章 イメージの中に沈む実像
 
【著者】
尾脇 秀和 (オワキ ヒデカズ)
 1983年、京都府生まれ。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。専門は日本近世史。現在、神戸大学経済経営研究所研究員、花園大学・佛教大学非常勤講師。
 
【抜書】
●差別による安定(p32)
〔 江戸時代の人々は、公儀の「御威光」のもと、それぞれが自らの「身分」の役割に徹して「分相応」に生きる――そこに自ら高い肯定的価値を見出していた(水本[二〇〇八][二〇一三])。そんな人々が「分相応」の生き方を貫徹できるよう「御慈悲」を施し、「仁政」を行うことが治者である公儀の責務とされた(深谷[一九九二]等)。
 治者と被治者には、それぞれに果たすべき異なる社会的役割があり、そのため両者には上下の別がある――。十八世紀以降の人々は、この正しい「差別」に社会を安定させる重要な要素があると捉え、それを大切にしようとする。それは江戸時代に治者が突如創り出した制度や仕組みではなく、古代から長い時間をかけ、人々が慣習として形成してきた価値観であった。現代人が幸福のために「平等」と「自由」の実現を追求するように、彼らは身分の上下という社会的役割の「差別」を追求したのである。〕
 水本邦彦『徳川の国家デザイン(全集 日本の歴史 第十巻)』(小学館、2008年)
 水本邦彦『徳川社会論の視座』(敬文舎、2013年)
 深谷克己『百姓成立』(塙書房、1992年)
 
●公事方御定書(p90)
 享保5年(1720年)、吉宗が作成を命じ、寛保2年(1742年)完成。
 上巻は民政上主要な過去の触書などを収録した法令集。
 下巻は訴訟手続きと各種犯罪に対応する刑罰を、過去の判例から箇条書きにした刑法典。「御定書百箇条」とも呼ばれている。
 これ以降、量刑判断は、必ず御定書と過去の判例に依拠するようになった。
 
●熨斗目(p106)
 のしめ。腰回りのみまたは腰と袖下とに、縞や格子の模様を織り出した絹の小袖のこと。熨斗目小袖。
 宝永3年(1706年)11月、与力・御徒とそれ以下の御家人、および城内で奉仕する坊主衆に対して熨斗目の着用を禁止した。
 宝永6年2月、「与力や御徒など、以前熨斗目を着ていた分は、今後着てよい」と緩和された。ただし、坊主衆や、与力・御徒のすぐ下に位置する同心や手代など、御家人のうち「軽き者」は引き続き熨斗目着用が禁止された。
 18世紀半ば以降、熨斗目が身分格式を表示する特別な役割を担うようになった。
 御徒……将軍の警衛を任務とする御家人。語源は徒歩の士を意味する「徒士〈かち〉」だが、陪臣のうち下級の士を指す「徒士」とは、格が全く異なる。
 麻上下〈あさがみしも〉……上は肩衣〈かたぎぬ〉、下は袴。上下とも同じ布地で誂えた。当時の礼装。武士から庶民に至るまで、礼装として着用した。
 継上下……肩衣と袴の模様が異なるもの。熨斗目着用の者の平服。通常の小袖を着用、熨斗目は着ない。
 羽織袴……熨斗目以下の士の通常勤務服。
 
●足軽・中間(p112)
 足軽……戦時なら前線に立つ雑兵。腰に大小を帯びる「帯刀人〈たいとうにん〉」だが、士には含まれない。平時は門番などの単純な守衛業務などに従事し、服装は青色や萌黄色の法被(羽織に似た形状)。その背中などに主家の印が入っている。
 中間……武家の雑用、主に行列や外出において、種々の荷物持ちに従事する者。草履取り、鑓持ち、挟箱持ち、六尺(駕籠かき)、など。勤務や行列で主家の印(合印〈あいじるし〉)や模様(所属する主家を識別する記号や模様)が染め抜かれた「看板」と呼ばれる半纏を着用する。腰には原則として木刀一本。士の範疇ではない。
 足軽以下は、お白洲では砂利に出された。
 
●幕臣・陪臣の出廷座席(p116)
 ① 御目見以上/以下……別室座敷か、御白洲の縁側か。
 ② 熨斗目着用以上/以下……上椽か、下椽か。
 ③ 徒士以上/以下……下椽以上か、砂利か。
 幕臣には①と②、陪臣には②と③が適用される。陪臣の徒士以下(足軽・中間)は砂利となる。
 
●諸社禰宜神主法度(p133)
 寛文5年(1665年)7月発布。
 神祇道を家職とする公家の吉田家に対して、全国神社・神職への統制権を認める。
 無位の社人〈しゃにん〉は白張〈しろはり〉(白布製の狩衣〈かりぎぬ〉のような装束)のみを着用し、格の高い装束を着る場合には、吉田家から「許状」(神道裁許状)を受けるよう規定した。
 宝暦前後座席指針は、許状のない社人は砂利だった。
 公家の白川家も神祇道を家職としていた。宝暦期(1751-1768年)頃から、専業の神職がいない地方の小さな神社に許状を発給し始め、配下の神職として組み込んでいった。対抗して吉田家も彼らに許状発給を開始し、結果として百姓の専業神職化や、百姓のまま許状を得て神職を兼ねる者などが増加した。そのため、18世紀半ば以降、神職が出廷する際の着服は麻上下帯刀が基本となる。
 安永7年(1778年)9月11日、評定所は評議の上で許状を与えられた神職は上椽、ない者は下椽という新たな方針を内規とした。
 
●山伏(p141)
 修験〈しゅげん〉とも。半僧半俗の者。
 聖護院の統括する本山派、醍醐寺三宝院の統括する当山派という二大勢力のほか、地方には羽黒山・英彦〈ひこ〉山などの一派がある。
出廷時は僧と同じく上椽に出すのを基本とした。天明8年(1788年)、聖護院門跡の申し入れによる。
 
●御用達町人(p180)
 特殊・重要性ゆえに、公儀がその職を世襲させた町人。町奉行ではなく勘定奉行などの支配に属していた。
 金座……金貨製造を担う後藤氏。
 銀座……銀貨製造を担う大黒氏。
 朱座……朱(原料は水銀)の製造・管理を担う義村氏。
 江戸秤座……東国の秤を製造・管理する守随氏。
 金座、銀座、朱座などは、毎年年始に江戸城に登城して将軍に「拝礼」する最高位の格式を許されていた。そのため、安永以前から上椽であり、熨斗目着用御免の者もいた。
 
●人宿(p215)
 ひとやど。江戸時代の、民間の人材派遣業。必要な時だけ侍や中間などとして雇われた、侍奉公。召抱〈めしかかえ〉ではなく、月雇や日雇の臨時採用。
 「人宿」に所属する「寄子〈よりこ〉」という身分であり、町人の身分のまま。
 短期雇用でも、「渡り者」「渡り用人」と呼ばれた「召抱」の場合は、雇用中は侍の身分であった。
 
【ツッコミ処】
・現代人の感覚(p190)
〔 公儀は御用達町人の手代について、主人の「御用」の代理として出廷するなら下椽、手代個人として出廷なら砂利とした。それは士・庶の「差別」を重視する公議にとって当然の方法だが、現代人からみると、どうしても一定しない対応にみえてしまう。〕
  ↓
 「現代人」にも違和感はないのではないか?
 例えば、「社長」といえばその会社の中では偉い存在が、飲み屋で一緒に飲んでいたり、一緒に釣りをしているときにはただの人である。
 
(2024/4/1)NM
 
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