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本が語ること、語らせること
 [ 読書・出版・書店]

本が語ること、語らせること
 
青木海青子/著
出版社名:夕書房
出版年月:2022年5月
ISBNコード:978-4-909179-08-1
税込価格:1,870円
頁数・縦:180p・17cm
 
 奈良県東吉野村の山村で「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」を営む、元大学図書館司書による人生相談&エッセー。
 夕書房note(https://note.com/sekishobo)に掲載した「司書席での対話」を大幅に加筆修正し、書下ろしエッセーを加えて構成。
 
【目次】
お元気でしたか
窓を待つ
司書席での対話1 コロナ禍でリアル会議、どうする?
「公」を作る
司書席での対話2 「婚活」を始めたけれど
謎のおかえし
待つのが好き
司書席での対話3 働かない夫となぜ暮らしているのか
自助を助ける
他者を知る仕組みとしての図書館
怪獣の名づけと
司書席での対話4 自分を語る言葉が見つからない
本が語ること、語らせること
本に助けられた話1 二冊の絵本
本に助けられた話2 「わたしは疲れてへとへとだ。一つの望みも残っていない」
司書席での対話5 「趣味」と言われて
蔵書構築の森
言葉の海に、潜る、浮かぶ
司書席での対話6 評価って何?
真っ暗闇を歩く
七転八倒踊り
司書席での対話7 最近、SNSが苦痛です
司書席での対話8 自分の考えを持ちたい
交差する図書館
図書館の扱う時間のはなし
本に助けられた話3 貸してもらった本
土着への一歩
 
【著者】
青木海青子 (アオキ ミアコ)
 1985年兵庫県生まれ。「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」司書。図書館を営むかたわら刺?等によるアクセサリーや雑貨製作、イラスト制作を行う。
 
【抜書】
●謎のおかえし(p45)
〔 「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」は、入場、貸出を無料で行っています。二〇一四年から毎週配信しているインターネットラジオ「オムライスラヂオ」も無償です。これらは自分たちが誰の依頼も受けず、放っておいても勝手にやる生活の一部で、あくまで生活の余剰を、おすそ分けしているだけだからです。だからからなのでしょうか、ときおり気のいいお客さんから、おすそ分けに対する「謎のおかえし」をいただくことがあります。「謎」とは不思議な言い方ですが、「こんな方面から、おかえしが」と面喰らうくらい、おかえしは多種多様です。きっとお客さんたち自身も、誰の依頼も受けず、放っておいても勝手にやるような生活の余剰を分けてくれているゆえの多様性なのでしょう。〕
 
(2022/11/28)NM
 
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権力は腐敗する
 [社会・政治・時事]

権力は腐敗する
 
前川喜平/著
出版社名:毎日新聞出版
出版年月:2021年9月
ISBNコード:978-4-620-32696-2
税込価格:1,760円
頁数・縦:302p・19cm
 
 アベスガ政権、スガスガ政権二代に渡る国政私物化を批判し、賢明な主権者であることの必要性を語る。
 菅内閣が終焉したのは2021年10月。微妙な時期の出版だった。
 
【目次】
第1章 安倍晋三氏による国政私物化―加計学園問題
第2章 私物化の継承と暗躍する官邸官僚
第3章 安倍・菅政権における政と官
第4章 人災だった全国一斉休校
第5章 奪われ続ける自由
第6章 主権者を育てる
 
【著者】
前川 喜平 (マエカワ キヘイ)
 1955年奈良県御所市生まれ。東京大学法学部卒業。1979年、文部省(現・文部科学省)入省。宮城県教育委員会行政課長、ユネスコ常駐代表部一等書記官、文部大臣秘書官などを経て、2012年官房長、2013年初等中等教育局長、2014年文部科学審議官、2016年文部科学事務次官に就任。2017年1月、退官。現在、自主夜間中学のスタッフとして活動するほか、講演や執筆も行う。
 
【抜書】
●新自由主義(p62)
〔 人間より国家を優先する国家主義と人間より企業を重視する新自由主義は、この40年間の日本の政治の基調をなしてきたが、国家主義の傾向が強かった安倍政権に対し、菅政権では新自由主義が前面に出てきた。それは、菅政権が新たに立ち上げた成長戦略会議のメンバーである竹中平蔵氏(パソナグループ取締役会長)、デービッド・アトキンソン氏(元外資系証券アナリスト)、内閣官房参与に任命された元財務省官僚の高橋洋一氏といった菅ブレーンの顔ぶれを見ても分かる。〕
 
●和泉洋人(p72)
 菅政権下の首相補佐官。もともと、建設省に入省した技官。
 小泉純一郎内閣の時に国土交通省から内閣官房都市再生本部事務局次長に登用された。
 2009年7月、麻生太郎内閣の末期に地域活性化統合事務局の局長に抜擢。都市再生や地域再生に加えて特区制度も担当。旧民主党政権下でもそのまま留任。
 2012年、定年1年前に国土交通省を退官した後、10月に内閣官房参与に任命される。
 同年12月、第2次安倍内閣でも内閣官房参与にとどまる。
 2013年1月には、首相補佐官に登用され、安倍政権・菅政権を通じて9年近くこの地位に座り続ける。
 
●何でも官邸団(p103)
〔 官房長官の菅氏と副長官の杉田(和博)氏のコンビは、内閣が有する人事権をフル活用して、霞が関の官僚集団を支配してきた。事務次官や局長の在任期間は長くても2年程度だから、安倍政権と菅政権の9年近くの間に各省庁の幹部ポストは、4回以上は交代していることになる。その都度、官邸の言いなりになる人物ばかりを登用してきたわけだから、今や霞が関は何でも官邸の言うことを聞く官僚ばかりになっている。霞が関官僚集団は「何でも官邸団」になったのだ。「ご無理ごもっとも」「無理が通れば道理が引っ込む」という状態だ。〕
 
●アーツカウンシル(p203)
 多様な芸術文化活動を支える機関。1946年、イギリスで設置された。
 初代会長は経済学者J・M・ケインズ。芸術は本来自由なものである。芸術文化への政治介入を避けるため、芸術文化活動への支援を政府から一定の距離を置く機関に担わせることの必要性を唱える。
 「一定の距離」は、「アームズ・レンクス(腕の長さ)」と呼ばれる。大枠の方向性や支援の規模は政府が決めるとしても、具体的にどの芸術文化活動を助成するかは、芸術文化の世界の専門家(目利き)の判断にゆだねる仕組み。
 反面教師とされたのはナチス・ドイツによる文化芸術の統制と政治利用。
 
●ボイテルスバッハ・コンセンサス(p247)
 1976年、旧ドイツのボイテルスバッハで作られた政治教育のガイドライン。
 ① 圧倒の禁止の原則……教員は、生徒を期待される見解をもって圧倒し、生徒が自らの判断を獲得するのを妨げてはならない。
 ② 論争性の原則……学問と政治の世界において議論があることは、授業においても議論があることとして扱う。
 ③ 生徒志向の原則……生徒が自らの関心・利害に基づいて効果的に政治に参加できるよう、必要な能力の獲得を促す。
 学校教育の政治的中立性は必要だが、教師が自分の政治的見解を述べてはいけないということにはならない。
 
●部分社会論(p253)
 現在、「特別権力関係論」に代わって、裁判所では「部分社会論」を採用している。裁判所が違法・違憲の判断をしないという点において、両者は同質。
 特別権力関係論……公権力を持つ国や自治体などと「特別な関係」にある国民に対して、公権力側は、法律の根拠がなくても、包括的な支配権に基づいて命令、懲戒、人権制限などを行うことができ、これらの公権力側の行為は裁判で争うこともできないとする法理論。「特別な関係」にある国民としては、受刑者、公務員、国公立学校の在学者、国公立病院の入院者などがあたる。現在では、学説上も判例上も支持されていない。
 部分社会論……部分社会とは、学校、政党、地方議会など、一定の構成員からなる団体や組織のこと。部分社会の中の規律はその部分社会に任されており、裁判の対象にならないという考え方。
 
(2022/11/28)NM
 
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お酒はこれからどうなるか 新規参入者の挑戦から消費の多様化まで
 [経済・ビジネス]

お酒はこれからどうなるか: 新規参入者の挑戦から消費の多様化まで (1009;1009) (平凡社新書 1009)
 
都留康/著
出版社名:平凡社(平凡社新書 1009)
出版年月:2022年8月
ISBNコード:978-4-582-86009-2
税込価格:990円
頁数・縦:230p・18cm
 
 アルコール飲料業界の今と将来の姿を、経済学的な観点から語る。
 
【目次】
第1章 日本酒―続く新規参入者の挑戦
第2章 日本ワイン―「宿命的風土」を乗り越える苦闘
第3章 梅酒―古くて新しいお酒
第4章 日本のジン―クラフトジンの挑戦
第5章 家飲み―晩酌という独自の文化
第6章 居酒屋―世界にもまれな飲食空間
第7章 醸造所・蒸溜所が併設された飲食店―究極の「地産地消」
第8章 ノンアルコール市場の拡大―選択肢の多様化の先にあるもの
おわりに お酒のこれからを考える
 
【著者】
都留 康 (ツル ツヨシ)
 1954年福岡県生まれ。82年一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学(経済学博士)。同年、一橋大学経済研究所講師。85年同助教授、95年同教授を経て、一橋大学名誉教授。新潟大学日本酒学センター非常勤講師。著書に『製品アーキテクチャと人材マネジメント―中国・韓国との比較からみた日本』(岩波書店、第3回進化経済学会賞受賞)など多数。
 
【抜書】
●最古の酒蔵(p18)
 茨城県の須藤本家は、1141年に創業し、現在まで続いている。銘柄は「郷の譽(さとのほまれ)」。
 奈良時代から平安時代にかけて、商売としての酒造りが始まった。
 江戸中期までに創業した蔵元も273社に上る。(喜多常夫「18世紀までに創業した清酒・焼酎蔵元296社の創業年順リストとその分析」『日本醸造協会誌』100巻9号、2015年)
 江戸時代以前の日本酒の味は、今風に言えば味醂のような味だったらしい。
 
●生酛造り(p19)
 自然に存在する乳酸菌の増殖により、酸性環境を作りだす技術。
 酒母を作るにあたり、酵母が増殖するまでの期間に雑菌汚染を防ぐことが重要。自然に存在する乳酸菌を取り込むと、乳酸菌がベールのように雑菌を防いでくれる。
 江戸時代、生酛造りが開発された。
 生酛造りでは、原料を仕込むときに、蒸米、麹、酵母、水を浅い桶に入れて櫂棒で摺りつぶす作業(山卸)が必要になる。これを厳寒期の深夜に行った。この作業は重労働で、しかも発酵の不安定性を伴った。
 明治時代の末期(1900年頃)に「速醸法」が開発され、乳酸菌を直接投入することにより、気温の高低の影響を受けにくく、短時間で仕上げられるようになった。
 
●級別制度廃止(p21)
 1992年、国税局は、日本酒の級別制度を廃止し、製品における品質表示の基準を精米歩合に変更。特定名称酒制度。
 大吟醸酒50%以下、吟醸酒60%以下。純米酒(醸造アルコール無添加)、など。
 
●旭酒造(p22)
 山口県岩国市。売上138億円(2018年)、灘・伏見の大手ナショナルブランド企業の規模。
 大吟醸だけに特化し、磨き2割3分の「獺祭」を開発。空調設備完備の大規模工場で、杜氏の勘とコツに頼らず、数値管理によって醸造。
 
●新政酒造(p23)
 秋田市。造りの原点回帰。
 完全無添加の生酛造り、木桶の使用。醸造工程から、工業的要素を排除。
 
●日本酒の規制緩和(p27)
 2020年、「輸出用清酒酒造免許」を新設。輸出用の日本酒には、最低製造要件(60kl)を適用しない。
 試験製造免許の運用を弾力化。研究機関などにのみ認めていた免許を、小売業などにも広げた。
 
●株式会社ヴィラデストワイナリー(p75)
 2003年、玉村豊男が創設したワイナリー。エッセイストで画家。
 1991年、長野県東御市(とうみし)に移住、農業をしながら創作活動をしていた。自分で飲むためのワイン用のブドウも栽培していた。委託醸造。
 玉村が所長を務めていた宝酒造(株)が運営するTaKaRa酒文化研究所の顧問が、メルシャンを退職したばかりの麻井宇介だった。1998年、宝酒造のワイナリー設立プロジェクトが発足。しかし、2001年に中止。若手社員だった小西超(とおる)と玉村は、玉村の自宅と農園のある場所で製造免許を取得し、ヴィラデストを創業した。
 ワイン部門、レストラン部門、グッズ部門を擁する。
 ワイン造りを希望する者たちへの支援も行っている。「千曲川ワインアカデミー」(醸造教育機関)と、ワイナリー「アルカンヴィーニュ」を擁する日本ワイン農業研究所(株)を2014年に設立。
 東御市のワイナリーは、1軒から12軒に増加(2021年)。
 
●テロワール(p87)
 フランス語。ラテン語の「テラ(大地)」が原語。
 ブドウ畑の総合的な自然環境を表現する言葉。英語や日本語には、これを正確に表す言葉は存在しない。
 
●老舗居酒屋(p162)
 鍵屋……根岸、1856年(安政3年)創業。
 柿島屋……町田、1884年(明治17年)創業。
 みますや……神田、1905年(明治38年)創業。
 
●塩(p199)
 「塩は百肴(ひゃっこう)の将、酒は百薬の長」。『漢書』に出てくる王莽の言葉。
 吉田兼好は、『徒然草』にて、「百薬の長とはいえど、万病は酒よりこそ起これ」と書いた。
 
●ゲコノミクス(p209)
 藤野英人が提唱。飲めない人のためのお酒の経済学か?
 『ゲコノミクス――巨大市場を開拓せよ!』日経BP・日本経済新聞出版本部、2020年。
 
●モクテル(p209)
 mock(似せた)とcocktail(カクテル)の造語。
 カクテル様のノンアルコール飲料か?
 
【ツッコミ処】
・母数(p205)
〔要は、女性のお酒を飲まない割合の変化には、妊娠・出産などの影響があることが推察される。また、近年の非飲酒割合の増加は、飲む人の母数の大きい男性の影響が大である。また40歳未満男女の「酒離れ」が顕著である。〕
  ↓
 「母数」とは、「母集団の母平均と母分散の総称。」(日本国語大辞典)のことで、統計用語ということだが、同辞典には、「分母のこと。」ともある。
 残念ながら、『デジタル大辞泉』『岩波国語辞典』『現代国語例解辞典』には、「分母」の意味での立項はない。
 
(2022/11/27)NM
 
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フツーの体育教師の僕がJリーグクラブをつくってしまった話
 [スポーツ]

フツーの体育教師の僕がJリーグクラブをつくってしまった話
 
佐伯仁史/著
出版社名:徳間書店
出版年月:2021年3月
ISBNコード:978-4-19-865251-7
税込価格:1,650円
頁数・縦:208p・19cm
 
 Jリーグ所属の富山カターレの設立に尽力した体育教師の自伝。
 内容的には武勇伝と本人の生き方に関する記述が多く、それはそれで面白いのだが、カターレ富山や立山フットボールアカデミー、TSC(富山スポーツコミュニケーションズ)などの設立のいきさつなどについて、もう少し詳しく知りたかった。
 
【目次】
第1章 Jリーグクラブ誕生までの闘い
 この街は変わらなければならない
 Jリーグクラブはなぜ必要か
  ほか
第2章 教師だからできた仕事と夢の両立
 教師だから他のことができる
 ド派手メイク女子高生を肯定する
  ほか
第3章 無理の壁を突破してきた僕の半生
 危うく死にかけた無謀なチャレンジ
 ボールは正直だ
  ほか
第4章 地方にこそビジネスチャンスあり!
 クラブはカターレ富山になったが…
 地域トップたちを前に自説を語る
  ほか
 
【著者】
佐伯 仁史 (サエキ ヒトシ)
 1964年生まれ。富山市出身。同市立星井町小~同南部中~富山県立富山東高~筑波大学体育専門学群卒。現在、富山県立雄峰高等学校教諭。体育の教鞭を執る。実業校、進学校、定時制、支援学校すべての校種を経験。教職と並行して、社会生活や教育現場におけるスポーツの重要性を研究、実践。立山フットボールアカデミー(現立山ベアーズ)を設立、そこから独立したFC富山U-18などを経て、2005年NPO法人富山スポーツコミュニケーションズを設立し、理事長に就任。富山県サッカー協会特任理事として「Jリーグスタディグループ」を設置し、県民クラブ(そのまま「カターレ富山」に)を創設した。JFA(日本サッカー協会)公認B級コーチ、JFAスポーツマネジャーズカレッジサテライト講座インストラクター。
 
【抜書】
●左車線
 富山県民の保守的な特徴。
〔 ここで少し、富山の県民性に触れておきたい。まえがき部分にも記したが、他県のドライバーが富山県内を車で走行していたら、妙な光景に出くわすと思う。2車線、3車線道路を走行する際、地元のドライバーは左車線、いわゆる走行車線をもっぱら使う。左車線が渋滞中になった場合、なぜか右車線、いわゆる追い越し車線は空くことになる。車線変更すればいいのに、渋滞の走行車線から動こうともしない。
 何か新たなことを他に先んじて行うことが不得手なのだ。他人が右車線に動き出してうまくいくのを見て、安心して自分たちも動き出す。そんな保守的な県民性だ。僕自身は慎重である一方で、自ら突破口を開くところもある。いわば「心の車線変更」、これはサッカーのFWで培ったものだと思う。〕
 
●ダメな奴
〔 ダメな奴ほど与える影響は大きい。ゆえにいい集団、組織にしたければ、ダメな奴ほど大切に育てなくてはいけないのである。〕
 
●スポーツ
〔 「相手」「ルール」「審判」があれば、それはスポーツ。
 これは遊びにも共通する条件だ。トランプ、囲碁、将棋、麻雀も、その理屈で考えれば立派なスポーツといえるし、激しい身体活動を必ずしも伴わないものなのだと思う。〕
 
(2022/11/22)EB
 
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本近代日本の競馬 大衆娯楽への道
 [歴史・地理・民俗]

近代日本の競馬: 大衆娯楽への道 (叢書パルマコン・ミクロス02)
 
杉本竜/著
出版社名:創元社(叢書パルマコン・ミクロス 02)
出版年月:2022年6月
ISBNコード:978-4-422-70126-4
税込価格:2,750円
頁数・縦:341p・19cm
 
 日本の近代競馬は、幕末に横浜の居留地に住む外国人の娯楽として始まり、軍馬の改良のために促進され、次第に庶民の楽しむ公営賭博となっていった。その歴史を丁寧にたどる。
 
【目次】
第1章 近代競馬の始まり
第2章 藤波言忠と臨時馬制調査委員会
第3章 明治末期の馬券黙許
第4章 馬券禁止と景品券競馬
第5章 競馬法の成立
第6章 大衆娯楽としての競馬
第7章 外地競馬の実態
第8章 地方競馬の展開
第9章 日本陸軍と競馬
第10章 鍛錬馬競争と戦前競馬の終焉
 
【著者】
杉本 竜 (スギモト リュウ)
 1974年大阪府門真市生まれ。幼少より博物館や城跡に連れて行かれ歴史に興味を持つ。大阪府立四條畷高校を卒業後、博物館の学芸員を目指し関西大学文学部史学地理学科へ。その後、立命館大学大学院文学研究科に進学、日本近代史を専攻する。2002年、北九州市立小倉城庭園博物館に嘱託学芸員として就職。陶磁器の魅力にどっぷりと浸かると共に小倉競馬に親しむ。2004年より桑名市博物館学芸員として奉職。幕末の桑名藩、刀工・村正、本多忠勝といった桑名ゆかりの研究フィールドと向き合う日々を送る。2017年、第11代桑名市博物館館長に就任。
 
【抜書】
●トータリゼーション方式(p5)
 パリミチュエル方式。
 賭け率の全体から胴元が一部を経費として差し引き、あとは投票数に応じてオッズを定める方式。日本の公営賭博ではすべてこの方式を導入している。
 ブックメーカー方式……賭けの業者がオッズを決め、それに対して各自が判断して馬券などを購入する方式。
 
●根岸競馬場(p14)
 慶応2年(1966年)12月竣工。1周1764m、走路幅28.8m。
 イギリス公使のオールコックやパークスらが、幕府に本格的な競馬場の建設を求め、同年3月に建設が決定、7月に競馬施行団体である横浜レースクラブが成立。
 
●戸山競馬場(p18)
 明治12年、陸軍戸山学校に競馬場が建設された。日本人の手による初の本格的競馬場。1周1280m。
 陸軍省軍馬局が建設を担当、東京鎮台の工兵隊が工事にあたる。工事期間1か月余り、施設も仮のものだった。
 ドイツの皇孫やイタリアの皇族など、外国の貴賓を歓待するため。8月20日には、完成したばかりの戸山競馬場に明治天皇が臨御し、グラント夫妻(米国前大統領夫妻)を迎えて歓待競馬が開催された。
 同年11月には共同競馬会社が設立され、春秋2回(各2日)、戸山競馬が開催された。常設競馬の開催。
 明治17年11月、競馬場を上野不忍池に移転。上野不忍池競馬場。
 
●藤波言忠(p32)
 ふじなみことただ。嘉永6年(1853年)9月、京都生まれ。明治天皇の「御学友」。
 明治22年より28年間、宮内省主馬寮(しゅめりょう)の長官・主馬頭(しゅめのかみ)を勤めた。宮中における馬政の第一人者。
 明治39年5月31日、内閣直属の馬政局次長に就任。長官は曾禰荒助(親任官待遇)。
 同年11月24日、東京競馬会による競馬が東京池上で実施された。
 
●景品券投票(p109)
 宮崎競馬倶楽部にて実施。
 明治41年10月1日に新刑法施行、それまで黙許されていた馬券が禁止となる。
 宮崎では、大正2年の春季競馬より、入場料50銭を払った者に投票券を1枚交付し、的中者に反物などの景品を贈るようにした。
 その後、全国の競馬に普及。
 
●勝馬投票券(p110)
 「勝馬投票」という言葉は、明治42年、札幌の北海道競馬会が用いたのが始まり。
 英語ではbetting ticket(賭け券)。
 
●上げ馬神事(p208)
 多度大社(三重県桑名市)、猪名部神社(いなべじんじゃ:三重県員弁郡束員町)で行われている神事。三重県指定無形民俗文化財。
 三重県北部地方は、古くから馬と関わりの深い地域。現在でも、桑名市多度町のアイリスパークや、いなべ市大安町の両ヶ池公園で草競馬が行われている。
 
●抽選馬、呼馬(p229)
 抽選馬……予め注文を受けて馬を買い集め、抽選により申込者に分配した馬。
 呼馬……馬主が任意で求めた馬。
 
●鍛錬馬競争(p302)
 軍用資源保護法(昭和14年制定)により、地方競馬は鍛錬馬競争へと再編されていく。
 鍛錬馬競争の出走馬は、軍用保護馬として指定を受けた馬で、牝馬か騸馬(せんば:去勢馬)に制限された。
 
(2022/11/17)NM
 
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ミャンマー現代史
 [社会・政治・時事]

ミャンマー現代史 (岩波新書)
 
中西嘉宏/著
出版社名:岩波書店(岩波新書 新赤版 1939)
出版年月:2022年8月
ISBNコード:978-4-00-431939-9
税込価格:946円
頁数・縦:281, 17p・18cm
 
 2021年2月、ミャンマーで国軍によるクーデターが発生した。民主化に向かっていたミャンマーで、なぜ?
 本書は、軍事政権と民主化をめぐる、1988年以降のミャンマーの現代史を解説し、問題の所在を明らかにする。
 
【目次】
序章 ミャンマーをどう考えるか
第1章 民主化運動の挑戦(一九八八‐二〇一一)
第2章 軍事政権の強権と停滞(一九八八‐二〇一一)
第3章 独裁の終わり、予期せぬ改革(二〇一一‐一六)
第4章 だましだましの民主主義(二〇一六‐二一)
第5章 クーデターから混迷へ(二〇二一‐)
第6章 ミャンマー危機の国際政治(一九八八‐二〇二一)
終章 忘れられた紛争国になるのか
 
【著者】
中西 嘉宏 (ナカニシ ヨシヒロ)
 1977年生まれ。東北大学法学部卒業。京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科にて博士(地域研究)取得。日本貿易振興機構・アジア経済研究所研究員、京都大学東南アジア研究所准教授などを経て、現在、京都大学東南アジア地域研究研究所准教授。専攻、ミャンマー政治、東南アジア地域研究、比較政治学。
 
【抜書】
●ミャンマーの政治経済体制(p10)
  時代区分 ー 指導者 ー 指導原理/正統性 ー 政治体制 ー 経済体制 
 ① 政党政治の時代(1948-1962) ー ウー・ヌー ー 強い首相/民主主義 ー 議院内閣制 ー 市場経済
 ② 社会主義的軍事政権の時代(前期1962-1974) ネーウィン ー 独裁/ビルマ式社会主義 ー 軍事評議会 ー 計画経済
 ③ 社会主義的軍事政権の時代(後期1974-1988) ネーウィン ー 独裁/ビルマ式社会主義 ー 一党制/軍参加(民政移管) ー 計画経済
 ④ 直接軍事政権の時代(1988-2011) ー タンシュエ ー 独裁/国家の危機 ー 軍事評議会 ー 市場経済
 ⑤ 権力分有の時代(前期2011-2016) ー テインセイン ー 集団指導/規律と繁栄 ー 大統領制/軍参加(民政移管) ー 市場経済
 ⑥ 権力分有の時代(後期2016-2021) ー アウンサンスーチー ー 強い国家顧問/民主化 ー 変則大統領制/軍参加(選挙) ー 市場経済
 ⑦ 新たな直接軍事政権の時代(2021- ) ー ミンアウンフライン ー 独裁/2008年憲法護持と暫定政権 ー 軍事評議会 ー 市場経済
 
●1ペーの民主化(p134)
 1ペー……1フィート、約30cm。
 スーチー政権の発足により、道路工事のやり方が変わった。
 それまでは、計画された舗装道路の幅のうち、両脇1ペーは舗装しなかった。請求は計画された幅でなされるが、両脇1ペー分は支払われなったため。官僚によって着服されていた?
 
●国民統一政府(p180)
 国民統一政府(NUG)。オンライン上の政府。
 2021年2月1日、国軍のクーデターにより、アウンサンスーチーら、NLD(国民民主連盟)の幹部が拘束された。
 残されたNLDの議員たちは、4月16日、NUGを結成する。軍の政権掌握を否定し、自らを真の政権だと主張。
 トップは、拘束されたアウンサンスーチー。役職は国家顧問。同じく拘束されたウィンミン大統領も、そのままNUGの大統領に就任。
 実質的な最高責任者は、NUG副大統領に就任したドゥワ・ライラ。NLDの党員ではなく、カチン州やシャン州で長年にわたり慈善活動や文化活動に従事してきたカチン人の社会指導者。首相には、NLDの元議員で上院議長でもあった、カイン人のマンウィンカインタンが就任。
 
●人民防衛軍(p194)
 2021年5月、NUGは、人民防衛軍(PDF)という軍事部門を結成。
 カレン民族同盟(KNU)とカチン独立機構(KIO)が、PDFの若者たちに軍事訓練を実施、武器の入手を支援。
 
(2022/11/14)NM
 
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人類冬眠計画 生死のはざまに踏み込む
 [医学]

人類冬眠計画: 生死のはざまに踏み込む (岩波科学ライブラリー 311)
 
砂川玄志郎/著
出版社名:岩波書店(岩波科学ライブラリー 311)
出版年月:2022年4月
ISBNコード:978-4-00-029711-0
税込価格:1,320円
頁数・縦:112, 3p・19cm
 
 冬眠する霊長類が見つかったり、マウスを冬眠(休眠?)状態にさせることができるようになったり……。もしかすると、人間を冬眠させることもできるかもしれない。そんなSFのようなことを実現させるための研究を報告する。
 ヒトを冬眠させる技術は、宇宙旅行や未来旅行だけではなく、重篤な患者の搬送や手術にも役立つという。夢やロマンだけでなく、現実的な需要があるのだ。
 
【目次】
第1章 冬眠との出会い
 人工冬眠とはなにか
 小児科医として働く
  ほか
第2章 睡眠研究から休眠研究へ
 概日時計と睡眠
 睡眠の謎
  ほか
第3章 冷たいことにはわけがある
 冬眠研究の歴史
 冷たい哺乳類
  ほか
第4章 哺乳類を冷たくするには
 視床下部は体温調節の司令塔
 QRFPというペプチド
  ほか
第5章 人工冬眠を目指して
 人類冬眠計画
 人工冬眠の実現性
  ほか
 
【著者】
砂川 玄志郎 (スナガワ ゲンシロウ)
 1976年、福岡県生まれ。2001年、京都大学医学部卒業。小児科医。大阪赤十字病院、国立成育医療研究センターで医師として勤務。2010年、京都大学大学院医学研究科博士課程修了。博士(医学)。理化学研究所生命システム研究センター研究員、同生命機能科学研究センター基礎科学特別研究員などを経て、理化学研究所生命機能科学研究センター上級研究員。
 
【抜書】
●32℃(p41)
 体温35℃以下……偶発的低体温症。体温を戻すために振戦(ふるえ)が生じる。
 32℃を下回ると振戦もできなくなり、心臓の不整脈が生じ始め、血圧が維持できなくなり、意識が朦朧としてくる。命の危機。
 
●中途覚醒(p43)
 冬眠中の、体温が低下した状態を「休眠(torpor: トーパー)」と呼ぶ。
 ハムスターは、ある程度体重が重くなり、数カ月間低温環境にさらされると体温が低下する。休眠に入ると、室温より数度高い程度の体温を維持する。
 しかし、数日間に1回、37℃前後の正常体温に戻る。
 この一時的な復温を中途覚醒と呼び、小型の冬眠動物には共通して見られる現象である。
 中途覚醒の間に餌を食べる動物もいれば、まったく動かずに体温だけ上昇する動物もいる。いずれにしても1日以内に再び休眠状態になり、体温が低下する。
 
●爬虫類(p45)
 爬虫類は、もともと体内で発熱する機能を持っていないので、冬眠中でなくても体温が下がると代謝が低下する。体温が下がれば冬眠に近い状態になり得る。哺乳類とは異なり、代謝が落ちるから体温が落ちるのではなく、体温が落ちるから受動的に代謝が低下する。
 ただし、冬眠中は長期にわたって動かず体温も上がらないため、冬眠に固有の機能が働いていると考えられている。
 
●QRFP(p70)
 マウスによる実験で、視床下部に存在する、QRFPを含有する神経(Q神経)を興奮させると、何日間も体温を低下させられることが分かった。休眠(トーパー)するマウスの発見。2017年。
 QRFP……Pyroglutamilated RFamide peptide:   ピログルタミル化RFアミド・ペプチド。
 
●フトオコビトキツネザル(p82)
 マダガスカル島に生息する霊長類。2004年、乾季に冬眠することが発見された。冬眠中、5日以上も体温が20℃台になる日が続く。中途覚醒あり。乾季中には、主食としている木の実が枯渇するため、冬眠する?(p11)
 現在、マダガスカル島では、4種類のキツネザルが冬眠することが確認されている。
 2015年、ベトナムに生息する霊長目ロリス科のピグミースローロリスが冬眠することが報告された。
 
(2022/11/13)NM
 
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ハレム 女官と宦官たちの世界
 [歴史・地理・民俗]

ハレム: 女官と宦官たちの世界 (新潮選書)
 
小笠原弘幸/著
出版社名:新潮社(新潮選書)
出版年月:2022年3月
ISBNコード:978-4-10-603877-8
税込価格:1,815円
頁数・縦:296p・19cm
 
 オスマン帝国のハレムについて、その歴史、施設、組織、構成員について詳述する。
 つまるところ、オスマン王家のハレムとは、王位継承を支えるための官僚組織だった。
 
【目次】
第1章 ハレム前史―古代よりオスマン帝国初期まで
第2章 ハレムという空間の生成―トプカプ宮殿の四〇〇年
第3章 女官たち
第4章 王族たち
第5章 宦官たち
第6章 内廷の住人たち
第7章 ハレムと文化
第8章 変わりゆくハレム
終章 ハレムの歴史的意義
 
【著者】
小笠原 弘幸 (オガサワラ ヒロユキ)
 1974年、北海道生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業。東京大学大学院人文社会系研究家博士課程単位取得退学。博士(文学)。2013年から九州大学大学院人文科学研究院イスラム文明史学講座准教授。専門はオスマン帝国史およびトルコ共和国史。
 
【抜書】
●アッバース朝型(p45)
 ムスリム諸王朝における王族女性のあり方には、「アッバース朝型」と「トルコ・モンゴル型」の2類型がある。
 アッバース朝……王族女性を空間的に隔離する。ハレムには奴隷出身の寵姫たちがおり、彼女たちの息子は王位継承者として、正妻の子と変わらぬ扱いを受けた。
 トルコ・モンゴル系諸王朝……王族女性は、相対的に隔離される度合いが少なく、儀礼や祝宴などでは、積極的に姿を現した。王位継承においては、王子の母親の血筋が重要な要素として考慮された。
 オスマン帝国のハレムは、「アッバース朝型」を採用し、より精緻化させた。
 
●ヒュッレム(p70)
 スレイマン1世(在位1520-66)の寵姫。ウクライナ生まれ。クリミア・ハン国の襲撃により奴隷となり、スレイマンが即位して間もなく彼のハレムに入った。
 スレイマンはヒュッレムのためにハレムを増築し(六角形の瀟洒な園庭が建てられた)、常に手元に置いた。
 5男1女をもうける。オスマン王家の慣例では、一度御子を産んだ寵姫は二人目を宿すことを許されていなかった。
 1558年、旧宮殿にて死去。
 
●羊肉(p120)
 トルコの肉料理は、羊肉が主流。
 1703年の記録によると、トプカプ宮殿の特別厨房では、1日につき200㎏以上の羊肉が消費された。鶏は93羽、スルタン個人のために鳩6羽。
 牛肉は直接調理されることはなく、トルコ生ハム(パストゥルマ)に加工してから食された。魚介類は史料になく、日常的な食材ではなかった。
 
●コーヒー(p122)
 女官たちは、食後にコーヒーを飲むのを慣例としていた。
 ただ、年少者や高齢の女官は飲まなかった。
 
●ハトゥン、ハセキ(p132)
 オスマン帝国初期、スルタンの妻たちは「ハトゥン」と呼ばれていた。トルコ系やモンゴル系の王族女性に用いられた尊称。
 16~17世紀には、スルタンが寵愛する女性に対して「ハセキ」という尊称が付された。アラビア語とペルシア語の表現が混じった言葉で、君主のそばに仕える者を意味する。ヒュッレムも「ハセキ」と呼ばれていた。
 18世紀に入るころから、スルタンの寵姫たちは組織化され、夫人(カドゥン)と愛妾(イクバル)という二つのグループに分けられ、整然たる序列を構成するようになった。
 
●オダリスク(p136)
 夫人は、オダルク(部屋住み)と呼ばれることもあった。特別の部屋(オダ)を与えられたため。
 オダルクは、17世紀末から18世紀初頭にかけて一部の夫人に対して用いられているのが史料中に確認できるのみ。一般的な呼称ではなかった。
 しかし、西洋では「オダルク」が転訛した「オダリスク」という言葉が、ハレムの女性について頻繁に用いられている。
 
●ムスタファ1世(p151)
 1603年、メフメト3世が死去し、アフメト1世が即位した。13歳で、まだ子どもがいなかった。
 王族男子は他に弟のムスタファ(のちの1世)だけであった。王位断絶の危険性があったので、兄弟殺しの慣行に反して処刑されず、ハレムの奥深くに幽閉されることになった。鳥籠(カフェス)制度の嚆矢。
 以後、鳥籠制度が慣例として踏襲されることになった。それまでの、成人した王子は宮廷の外に出て太守に任命される、そして新スルタンの即位時にその兄弟が殺される、という慣習は廃された。
 スルタンが死去した際には、王位はハレムに軟禁されている王族男子のうち、最も年長の者が即位することになる。オスマン王家の継承は、父子相続から年長者相続へと変化。
 
●スルタン=王女(p157)
 オスマン王家の王女は、「スルタン」という尊称で呼ばれる。
 史料中で「スルタン」という語が出てきたときには、王女あるいは王族女性を指すことが多い。
 君主は、帝王を意味する「パーディシャー」と呼ばれるのがふつうであった。日本や欧米の研究では、オスマン帝国の君主をさして「スルタン」と呼ぶことが慣例化している。
 
●啞者(p211)
 オスマン宮廷では、啞者が仕えていた。宮廷内の静謐を守るため。手話で意思疎通を図っていた。
 16世紀後半には30名、17世紀後半には、少なくとも21名の小人(ジュジェ)と65名の啞者が仕えていた。基本的に内廷の遠征室に属した。また、内廷の各部屋や、ハレムにも数人ずつ配属されている。
 スルタンの私室には、啞者たちのうち特に優れた者が控え、そのうち一人が啞者頭に任じられた。ただし、啞者頭がすべての啞者を統括していたわけではない。
 
●宗教寄進(p234)
 出資者は、モスクや泉などの公共性の高い施設(またはクルアーンの読誦や貧者への施しなど)と、店舗などの利益を生み出す物件を用意する。
 後者の収益によって前者を運営する。物件の管理者の給金も収益の一部から賄われた。
 出資者の利点は以下のとおり。
 (1)公共のために自らの財産を差し出すことによる功徳。
 (2)寄進物件はイスラム法の庇護下に置かれるため、財産を権力者の恣意から守ることができる。
 (3)管理者はしばしば寄進者の近親者が務めたため、宗教寄進を通じて継続的に一族が利益を享受できた。
 
●1833年(p259)
 1833年、他国に先駆けてイギリスが奴隷制度を撤廃した。
 イギリスは、「文明化の使命」と旗印に、オスマン帝国に対しても奴隷交易をやめるよう圧力をかけた。
 
●チェルケス人(p261)
 17世紀から19世紀後半まで、ハレムで働く女官(女奴隷)の主要な供給源はチェルケス人だった。コーカサス地方に住むムスリム。
 
(2022/11/9)NM
 
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世界を変えた12の時計 時間と人間の1万年史
 [歴史・地理・民俗]

世界を変えた12の時計 : 時間と人間の1万年史
 
デイヴィッド・ルーニー/著 東郷えりか/訳
出版社名:河出書房新社
出版年月:2022年2月
ISBNコード:978-4-309-22844-0
税込価格:2,970円
頁数・縦:294, 31p・20cm
 
 12のテーマに分けて、時計に関する歴史と蘊蓄を語る。洋の東西、時代を超えためくるめく多様なエピソードをあげ、現代人にとって当たり前に存在するものと思われている「時間」について、考察する。
 
【目次】
第1章 秩序 紀元前二六三年、フォルム・ロマヌムの日時計
第2章 信仰 一二〇六年、ディヤールバクルの城時計
第3章 美徳 一三三八年、シエナ、抑制を表わす砂時計
第4章 市場 一六一一年、アムステルダム、証券取引所の時計
第5章 知識 一七三二‐三五年、ジャイプル、サムラート・ヤントラ
第6章 帝国 一八三三年、ケープタウン、天文台の報時球
第7章 製造 一八六五年、ロンドン、ゴグとマゴグ
第8章 道徳 一九〇三‐〇六年、ブルノ、電気時計設備
第9章 抵抗 一九一三年、エディンバラ、望遠鏡駆動の時計
第10章 アイデンティティ 一九三五年、ロンドン、黄金の電話機
第11章 戦争 一九七二年、ミュンヘン、ミニチュアの原子時計
第12章 平和 六九七〇年、大阪、プルトニウム時計
 
【著者】
ルーニー,デイヴィッド (Roone, David)
 イギリスの技術史家。時計の製造と修理を専門とする両親のもとで育つ。ロンドン科学博物館の技術担当キュレーターや、グリニッジ王立天文台の計時部門担当キュレーターなどを務め、現在はフリーで著述活動やキュレーションを手がけている。
 
東郷 えりか (トウゴウ エリカ)
 翻訳家。上智大学外国語学部フランス語学科卒業。訳書多数。
 
【抜書】
●メッカ・ロイヤル・クロック・タワー(p60)
 メッカ・ロイヤル時計台。サウジアラビア政府所有のアブラージュ・アル・ベイト・タワーズの超高層複合施設の一部。ホテルを含むビル群の中にある。
 地上500m以上、文字盤の直径43m(似ているビッグベンは7m)。世界で最も高い場所にあり、世界最大の時計。2012年完成。この聖地へは、ムスリム以外の出入りが禁じられている。
 この時計が完成したとき、メッカの当局者が、本初子午線をグリニッジからメッカの子午線に変えるよう、ロビー活動をしていた。
 
●STC(p94)
 スタンダード・タイム・カンパニー。ロンドンの会社。
 1886年、正確な時報を電信で販売する顧客リスト(受信契約者)を発表した。シティ内のすべての金融機関が含まれていた。銀行、取引所、手形交換所、など。
 電気信号をSTCから受信すると、回路内のすべての時計に取り付けられた装置に瞬時に伝わり、自動的に時計を正しい時刻に修正する。
 1876年創立。(p186)
 
●原子時計(p101)
 1955年、イギリスのテディントンにある国立物理学研究所(NPL)が、世界最初の原子時計の製作に成功した。300年間に1秒の誤差。
 1980年代には、NPLの原子時計は30万年間に1秒の誤差となった。
 現在のNPLの時計はセシウム・ファウンテンとして知られ、1億5800万年間に1秒の誤差。
 次世代の原子時計は、300億年に1秒の誤差となるだろう。
 
●鉄道の時間の標準化(p184)
 旅客用の鉄道が1830年代から40年代に建設されたとき、鉄道の全線にわたって時間を標準化する必要が生じた。それまで、地方時(地方ごとに正午を基にした時刻)が用いられていた。
 1840年、グレートウェスタン鉄道沿いの各駅の地方時は廃止され、ロンドン時間が鉄道独自の時間に取って代わられた。
 鉄道沿いに敷設された電信によって、グリニッジの時刻が各地に送られた。
 
●パブ(p186)
 STCの1886年時点の登録客は、300以上(366地点)だった。1時間ごとに電流の急激な増加を受け、自動的に店舗内にあるすべての時計の時間を自動修正してもらっていた。
 リスト全体の四分の一を占めていたのは、パブ、カフェ、レストランだった。アルコール飲料の販売時間制限のため。
 1874年、公式な酒類販売認可時間を「グリニッジの王立天文台で計時される時間に従う」ように法律改正する議論が進められていた。
●グリニッジ標準時(p189)
 1880年8月、グリニッジ標準時をイギリスの全法律の公式な標準時とすることが決定した。
 アイルランドの法律では、ダブリン標準時を採用した。
 
●スピード時計(p205)
 またはエンジン時計。
 1832年、イギリス議会で10時間労働法案について議論していたころ、一部の水車場や工場では、2台以上の別々の時計が存在していた。
 1台は一般的な時刻を示す時計。もう1台は蒸気機関などの機械の速度で調整される時計で、「スピード時計」とよく呼ばれていた。
 「日々の労働は、通常は特定の期間に限定されるものの、このスピード時計を使って、その制限をはるかに超えて増やされることがよくある。」議会での証言。
 
●本初子午線(p216)
 1884年の子午線会議で、グリニッジを世界の本初子午線に決定した。
 世界の大半の船は、グリニッジ子午線を基にした海図を使っていた。
 大半の国がグリニッジを拠点とする時間制度に移行したのは、1890年代初めになってから。
 
●腕時計(p254)
 腕時計の普及は、戦争に多くを負っている。
 1899~1902年の南アフリカ戦争と1914~18年の第一次世界大戦のさなか、兵士たちが懐中時計を腕に巻き付け始めた。武器が使えるように両手を自由にしたまま、攻撃の波のタイミングを計れるようにするため。
 それ以前の腕時計は、女性の装身具として、もしくはサイクリングや馬術を嗜む女性によって使われていた。
 戦争によって腕時計は男女兼用の製品となり、市場が倍になり、懐中時計製造業はたちまち末期的な衰退に陥ることになった。
 
(2022/11/7)NM
 
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越境する出雲学 浮かび上がるもうひとつの日本
 [歴史・地理・民俗]

越境する出雲学 ――浮かび上がるもうひとつの日本 (筑摩選書 233)
 
岡本雅享/著
出版社名:筑摩書房(筑摩選書 0233)
出版年月:2022年8月
ISBNコード:978-4-480-01752-9
税込価格:1,980円
頁数・縦:366p・19cm
 
 日本海沿岸、信州・北関東、瀬戸内、畿内……。出雲から越境して出雲文化を受け継いだ地を訪れ、出雲との関係を探る。
 
【目次】
序章 全国“出雲”再発見の旅
第1章 大和神話との矛盾から解く列島の出雲世界
第2章 出雲を原郷とする人たちを探す鍵―地名や神社で辿る列島移住史
第3章 国引き神話と新羅・高志
第4章 能登・越中・越後の出雲を追って
第5章 沿岸から内陸へ―越後から会津・北関東への道
第6章 瀬戸内と関門海峡を渡って
第7章 出雲と大和―畿内への道
終章 日本海交流の鍵=ミホススミに光を!
 
【著者】
岡本 雅享 (オカモト マサタカ)
 1967年出雲市生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。現在、福岡県立大学人間社会学部教授。専門は政治社会学・民族学。地域や国を跨ぐ日本型Ethnic Studiesとしての出雲学を提唱。
 
【抜書】
●新羅⇒出雲(p25)
 百済から瀬戸内海を経て大和へ入った文化とは別に、新羅から日本海を経て出雲に入った文化がある。さらに海路で能登から越へ伝播し、信州・北関東へ南下していった。
 水野祐・早稲田大学名誉教授の説。
 
●ミホススミ(p27)
 『出雲国風土記』に登場する女神。
 国引き神話では、巨神オミズヌの神が、出雲大社の鎮座する杵築の岬(島根半島西部)を新羅の岬から、三穂の埼(美保関、同半島東部)を高志のツツの岬(能登半島の北端、珠洲岬)から引き寄せ、島根半島を作ったとする。
 美保郷の条では、天の下造らしし大神(オオナムチ=大国主)が高志の国の女神ヌナカワヒメと結ばれて生まれた神、ミホススミが鎮座する地、とある。
 
●五王朝(p39)
 古代の日本列島には、ツクシ、キビ、イヅモ、ヤマト、ケヌなど、独自の王権、支配領域、統治組織、外交等の条件を備えた地域国家が複数存在していた。
 互いの交渉や競合のなかでヤマト王国が台頭し、他の王国を統合していった。一般に国造は、ヤマト勢力に服属した各地の豪族が地方官に任命されたものと捉えられている。
 ヤマト政権はその統合の過程で、服属した列島各地の豪族たちを国造に任命し、統治を委ねた。
 門脇禎二・京都府立大学名誉教授の説。
 
●出雲国造(p40)
 出雲国造も、延暦17年(798年)3月29日付の太政官符で、意宇郡大領兼務を禁止されたことで政治権力を失った。それに伴い、本拠地の意宇郡(現松江市)から出雲郡(現出雲市)へ移り、杵築大社(きづきのおおやしろ:1871年から出雲大社が公称)の祭祀に専念することになる。
 古代から出雲臣を姓としてきたが、14世紀半ばに千家(せんげ)・北島両家に分かれ、祭祀を分担しながら幕末に至った。明治以降は千家家が代々、大社の宮司を務めている。
 現在では、2002年に襲職した第84代千家尊祐(たかまさ)国造と、2005年に襲職した第80代北島建孝(たけのり)国造がそれぞれの当主。「国造」は、出雲では昔から「こくそう」と呼ばれている。
 
●氷川神社(p51)
 武蔵の国の一宮とされてきた氷川神社(さいたま市大宮区)の社名は、出雲の斐伊川に由来。
 平安期の「国造本紀」(『先代旧事本紀』第十巻)によると、天穂日命(あめのほひのみこと)の11世の孫、宇迦都久怒命(うかつくぬのみこと)を出雲国造に定め、また出雲臣の祖の十世の孫、兄多毛比命(えたもひのみこと)を无邪志(むさし)国造に定めた、とある。つまり、武蔵国の国造は出雲の流れである。
 氷川神社の境内案内板にも、出雲族の兄多毛比命が武蔵国造となって氷川神社を奉斎したとある。
 武蔵国の東部に分布する氷川神社は、埼玉県207社、東京都77社、神奈川県3社に上る。
 
●熊野大社(p54)
 『出雲国風土記』があげる国内399の神社のうち、大社(おおやしろ)と記すのは杵築大社と熊野大社(現松江市八雲町熊野)の2社だけ。中世まで、出雲国一宮と言えば熊野大社を指していた。
 熊野大神は、もともと出雲東部、意宇の王だった出雲国造の祖先が、もともと祭っていた神とされる。『出雲国風土記』意宇郡「出雲の神戸」の条に熊野加武呂命(くまのかむろのみこと)の名で登場する。
 10世紀前半の『延喜式』所収の出雲国造神賀詞(かんよごと:古代の祝詞)では、櫛御気野命(くしみけぬのみこと)と呼ばれている。
 カムロは「聖なる祖」、クシミケヌは「神秘的な御食主」を意味する。熊野大神は本来、出雲国造の祖霊や霊威に関わる食物を司る神だった。
 
●出雲からの移住の証拠(p64)
 ① 出雲(に関する)地名
 ② 出雲神を祭る古社
 ③ 神話と伝説(出雲神や出雲からの移住)
 ④ 山陰系土器など考古的発見
 
●日本紀講筵(p330)
 平安時代前期の宮中行事。太政大臣以下の公卿や官人列席の下で『日本書紀』を講義する。
 全30巻を数年がかかりで、約30年に一度行う。
 当代を代表する学者=博士が講師に選ばれ、それに尚復(しょうふく)と呼ばれる補佐役がつく。
 尚復を務めた者が次回(約30年後)に博士となり、講義を担うのが慣例だった。
 
●『先代旧事本紀』(p331)
 最古の歴史書とされてきたが、近年、「物部氏に出自する僅かな独自記事に記紀・古語拾遺の文章のつぎはぎを加えて作った偽書」とされる。
 『古語拾遺』が成立する807年以降に書かれた? 9世紀前半~10世紀前半の間。
 十巻のうち、巻五「天孫本紀」や巻十「国造本紀」は、概して信用できる独自の古伝によっていると評価され、古代史研究の中で使われてきた。
 
(2022/11/3)NM
 
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