歴史が眠る多磨霊園
[歴史・地理・民俗]
小村大樹/著
出版社名:花伝社
出版年月:2019年11月
ISBNコード:978-4-7634-0906-5
税込価格:1,980円
頁数・縦:252p・21cm
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同名のWebサイトに掲載した記事の書籍版。テーマごとに整理されている。
なお、サイトは現在も定期的に更新中、どんどん新しい記事が追加されているようだ。
【目次】
第1章 作家・小説家たちが眠る多磨霊園
第2章 文人・政治家が眠る多磨霊園
第3章 夢を追い続けた人が眠る多磨霊園
第4章 多磨霊園に眠るアスリートとオリンピック
第5章 多磨霊園に眠る芸能人たち
第6章 芸術家・音楽家が眠る多磨霊園
第7章 “事件”の人が眠る多磨霊園
第8章 日本最大のクーデタ事件「二・二六事件」と多磨霊園
第9章 軍人が眠る多磨霊園
第10章 戦争に反対した人、これを弾圧した人が眠る多磨霊園
終章 多磨霊園について
【著者】
小村 大樹 (オムラ ダイジュ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家。1976年生まれ。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。本業はキャリアアドバイザー、メンタルコーチ、心の整え屋、未来コーディネーター。NPO法人スポーツ業界おしごとラボ理事長、一般社団法人ファンダシオン理事、小村スポーツ職業紹介所所長。一般社団法人日本トップリーグ連携機構で2020年東京オリンピックに向けてホッケー普及活動等の仕事に従事後、三菱総合研究所の選手のセカンドキャリア事業プロジェクトメンバー、デュアルキャリア推進など多方面で活躍している。
【抜書】
●民本主義(p32)
大正デモクラシー時代の言葉。
この「デモクラシー」とは、「民本主義」のこと。国民が政治の頂点であることを表す「民主主義」は、天皇を主権者とする大日本帝国憲法に反する言葉だったので、「民本主義」という言葉を生み出した。憲法に反することなく、国民の考えに基づいて政治が行われるべきだという主張。
筆頭に天皇、次に内閣や議会、そして国民とするピラミッドが理想と考え、天皇制を認めたうえで官僚たちの特権をなくし、国民の選んだ国会議員が中心となって日本の政治を行っていくという考え方。
●所沢飛行場(p56)
1911年、所沢飛行場完成。日本初の航空機専用飛行場。
第1回飛行演習は徳川好敏陸軍大尉。清水徳川家八代当主、男爵。
第2回飛行演習の際のパイロットは梅北兼彦海軍大尉。鹿児島県出身、海軍兵学校卒。所沢で、最初の墜落事故を起こす。
●奇跡の療法(p78)
田坂定孝(1902-1990)。
1955年ごろから自律神経に関する研究を始め、脊髄に特殊な微弱電気刺激を与えると脳卒中の後遺症が劇的に改善することを発見。6か月以内の運動麻痺はほぼ全例に効果が現れた。言語障害や精神症状、小児麻痺でさえ改善。病状によっては40~70%の確率で効果が出た。
脳卒中後遺症で半身不随の患者が改善したことから、マスコミで「奇跡の療法」と紹介され、話題になった。
1958年に保険医療として全国の国立病院で導入される。
しかし、治療機器が高額であり、患者数と治療機器の数が見合わず、治療時間が十分に取れないこと、診療報酬が安く病院経営の困難につながるなどの要因で、この治療法は70年代には全国から消滅した。「幻の治療法」となってしまった。
●多磨霊園(p240)
1923年(大正12年)2月23日に都営霊園として多磨村に開園。30万坪。欧米風の公園墓地して構想。当初の呼び名は「多磨墓地」。1935年に「多磨霊園」に改称。現在、128万237平米26区画に40万の御霊が眠る。
現在、東京都営の霊園は、8か所。青山、雑司ヶ谷、谷中、染井、八柱(やはしら、千葉県松戸市)、小平、八王子。多磨霊園は、5番目の開設。
同年9月1日、関東大震災発生。震災後の都市計画により、罹災寺院の檀家墓所の改葬を求めるため、東京市が多磨霊園内に寺院専属区画を設ける。3、4、5、7区。従ったのは14寺院のみだったが、江戸時代や明治期の墓所が多くあるのはこのため。
1934年6月5日、東郷平八郎が死去。東京市が霊園内に名誉霊域を作り、国葬として埋葬。霊園の人気は一気に高まった。山本五十六、古賀峯一も名誉霊域に埋葬された。
当初は永代使用料制。土地代を最初に収めれば永続的に使用できる。
1926年に掃除料制度ができ、39年に掃除料永代制となり、掃除も永年してもらえることに。古い墓所入口には「永掃」という嵌め込みあり。
1948年に掃除料永代制を廃止、53年には掃除料制度も廃止し、管理料制に切り替える。
1962年、賄賂の温床となる空き墓地の売買仲介を石屋にやめさせるため、受託制度を廃止、公募抽選制となる。
【ツッコミ処】
・夜間車内証明(p75)
〔草創期の鉄道界に技術者として高性能機関車「早風」を投入するなど、機関車の改良、等級別車両の導入、ピンチ式ガス燈の導入、夜間車内証明の導入など旅客サービス改善に尽力。〕
↓
鉄道技術者だった島安次郎に関する説明。
「夜間車内証明」とは何だろう、何を証明し、誰に対して発行するのだろうか? 車内点検・整備の際にでも使うのだろうか?
ん? 「車内照明」か??
うん。Google君に尋ねたら「もしかして:夜間車内照明」とアドバイスされた。
・七転八倒(p162)
〔 高橋是清は岡田啓介の内閣にて7度目の大蔵大臣に就任します。主導してきたリフレーション政策はほぼ所期の目的を達成しましたが、高率のインフレーションの発生が予見されたため、これを抑えるべく、軍事予算の縮小を図ったところ軍部の恨みを買い、標的の一人とされてしまいました。結果、赤坂の自宅2階で反乱軍の青年将校らに胸を6発撃たれて暗殺されてしまいます。是清はその容姿から「ダルマ」と愛称されていましたが、彼の人生はまさにダルマのような七転八倒でした。〕
↓
二・二六事件で斃れた高橋是清に関する説明。
七転八倒は、「苦痛のあまりころげまわってもだえ苦しむこと。また、混乱のはなはだしいことのたとえにいう」(『日本国語大辞典』より)。ここは言うなら「七転び八起き」だろう。
ちなみに是清は、江戸芝中門前町(港区芝大門)の出身で、幕府御用絵師の川村庄右衛門と行儀見習いのきんの不義の子として生まれた。仙台藩士の高橋覚治是忠の養子となり、1867年、藩留学生としてアメリカに渡ったが、そのときに仲介をしたアメリカ人貿易商に学費や渡航費を着服され、ホームステイ先の両親に騙されて奴隷契約書にサインし、オークランドのブラウン家に売られた。奴隷として働かされたおかげでネイティブな英語を身につけることができたが、1年後に脱走して帰国する。
本場仕込みの英語が認められて文部省に入省し十等出仕となって16歳で英語教師として教壇に立つ。共立学校では初代校長も一時務める。
しかし、若気の至りで酒と芸者遊びにおぼれて教師をクビになり、芸者の太鼓持ちとなる。
その能力がもったいないと仲介され、農商務省の外局として設置された特許庁の初代特許局長に抜擢される。
資産を増やそうと一攫千金を狙いペルーの銀山開発に乗り出したが、詐欺にあって廃坑の銀山をつかまされ、一文無しに。
川田小一郎に声をかけられて日本銀行に入行、日露戦争開戦時には日銀副総裁として戦費調達のために戦時外債募集を行い、ジェイコブ・シフなどの人脈を駆使して13億円もの戦費調達に成功する。
その後、貴族院議員に勅撰され、男爵(のちに子爵)となり、日銀総裁に就任、7度の大蔵大臣、農商務大臣、内閣総理大臣などを歴任した。
……とまあ、まさに七転び八起き、波乱の人生である。
(2020/9/21)KG
〈この本の詳細〉
著者の小村です。
こんなにしっかり読んでいただきありがとうございます。
そして「車内照明」と「七転び八起き」は完全に誤記ですね。何回も読み直しましたが見落としはありますね。ご指摘感謝です。
by 小村 (2022-01-27 17:46)
小村さん、コメントありがとうございます。とても参考になる内容で、楽しく読ませていただきました。
なのに、つまらないことでツッコミを入れて申し訳ありませんでした。
by ゆうどう (2022-02-03 16:26)