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科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで
 [自然科学]

科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで (ブルーバックス)
 
三田一郎/著
出版社名:講談社(ブルーバックス B-2061)
出版年月:2018年6月
ISBNコード:978-4-06-512050-7
税込価格:1,100円
頁数・縦:270p・18cm
 
 科学理論が神(おそらくキリスト教の神を想定している)の領域を侵食していく歴史を描きながら、偉大な科学者たちの信じた「神」について論じる。
 「神」がどうのこうのということにこだわらず、パラダイムシフトする、古代から現在までの科学理論の歴史として読んでも面白く、わかりやすい内容となっている。というか、小難しい神学論争というよりも、簡潔にまとめられた宇宙論の科学史と見たほうが適切かもしれない。
 
【目次】
第1章 神とはなにか、聖書とはなにか
第2章 天動説と地動説――コペルニクスの神
第3章 宇宙は第二の聖書である――ガリレオの神
第4章 すべては方程式に――ニュートンの神
第5章 光だけが絶対である――アインシュタインの神
第6章 世界は一つに決まらない――ボーア、ハイゼンベルク、ディラックらの神
第7章 「はじまり」なき宇宙を求めて――ホーキングの神
終章 最後に言っておきたいこと
 
【著者】
三田 一郎(サンダ イチロウ)
 1944年東京都生まれ。名古屋大学名誉教授。専門は素粒子物理学。14歳で父の転勤のため渡米、プリンストン大学大学院博士課程修了。コロンビア大学およびフェルミ国立加速器研究所研究員、ロックフェラー大学准教授を経て名古屋大学理学部教授、神奈川大学工学部教授、東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構プログラムオフィサーなどを歴任。日本学術会議会員。また、南山大学宗教文化研究所客員研究所員、カトリック名古屋司教区終身助祭、カトリック東京大司教区協力助祭(カトリック東京カテドラル関口教会出向)。
 
【抜書】
●ペスト(p34)
 キリストの死を十字架の下で悲しんだのはわずか4人だった。多くの弟子たちは自分の命を惜しんで逃げた。
 その後、信者の数は10年間に40%の割合で300年間増え続け、AD350年までに3,300万人になった。
 ローマ帝国の人口の約半分がキリスト教信者となったといわれる。
 その理由の一つは、ペストの流行。ガレンのペスト(165年)、ローマのペスト(251年)など、定期的に発生し、多くの死者が出た。多いときは1日5,000人。感染者は町から追い出され、死者はゴミのように放置された。
 キリスト教の信者たちは、感染の危険も顧みずに看病し、死者を手厚く埋葬した。その姿に感動し、新たに信者になる人が多かった。
 
●五大総主教(p35)
 313年、コンスタンティヌス1世がキリスト教を公認。ミラノ勅令。
 392年、テオドシウス1世がキリスト教をローマ帝国の国教と定め、ほかの宗教を禁じる。
 キリスト教は、免税などの恩恵を受けて富を蓄え、ローマのほかにアレクサンドリア、アンティオキア、エルサレム、コンスタンティノープルにも大きな教会を建て、5人の総主教をおく。
 キリスト教と聖書の理論的な解釈を目指す「神学」が重要な学問となり、聖書のラテン語訳も出された。
 
●フィロラオス(p38)
 BC470年頃~385年。ピタゴラス派教団の哲学者。宇宙の数理的モデルを完成。地球球体説。
 宇宙の中心には「火」があり、その周囲を「空」「水星」「金星」「地球」「月」「太陽」「火星」「木星」「土星」という9個の天体が回っている。一種の地動説。
 教団では10という数字を神からいただいた特別な「完全数」として扱っていたので、10個目の天体として、「火」を挟んだ反対側に「対地球」という星を仮定した。
 宇宙の中心にあるはずの「火」が見えない理由……われわれは「火」から見れば、地球の裏側に住んでいる。そして、地球が自転する速度と、地球が「火」の周囲を公転する速度が同じだから、常にわれわれは「火」から見て裏側にいることになる。だから決して「火」を見ることができない。
 
●固有の場所(p42)
 なぜ、物は地上に落下し、炎は上昇するのか。
 アリストテレスは、「この宇宙に存在する物体はすべて、無秩序の状態から秩序ある状態に戻るために運動する」と考えた。物体にとって「秩序ある状態」とは、その物体が本来あるべき「固有の場所」にある状態。
 天動説。
 
●アリスタルコス(p43)
 BC310-230年。ギリシャの天文学者。「古代のコペルニクス」とも呼ばれている。
 地球は太陽の周りを公転していて、月は地球の周りを1カ月に一度公転しているがゆえにその形を変える(三日月、半月、満月のこと)。太陽中心説、つまり地動説。
 しかし、アリストテレスのあまりに巨大な業績に圧倒され、ほとんど無視された。
 
●ガリレオ・ガリレイ(p65)
 1564-1642年。
 イタリアのトスカーナ地方には、一家の長男に、しばしば姓を名前として付けるという習慣があった。
 ガリレオは、トスカーナ大公国の領地であったピサという町で、ガリレイ家の長男として生まれた。
 「ガリレイ」は家の名(姓)なので複数形、「ガリレオ」は個人の名なので単数形。
 
●ジョルダーノ・ブルーノ(p84)
 1548-1600年。ドミニコ会の修道士。ガリレオより16歳年長。大学で神学と天文学を教えていた。
 宇宙論について先駆的な考えを持っており、数々の著作の中で発表していた。
 「地球が宇宙の中心でないばかりか、太陽もその中心ではない」
 「この宇宙は無数の宇宙からできている。そして神はその無限のうちにある」
 「変わらないものは何もなく、すべては相対的な存在で、常に変化している。したがって、人間が宇宙で特別の価値がある存在ではありえない」
 異端の烙印を押され、教会の目を逃れて各地を放浪。安全に思えたパドヴァ大学の教授の枠に欠員が出たため就職しようとしたが、ピサ大学教授の3年の任期が切れたガリレオに先を越される。ヴェネツィアで大貴族の家庭教師に招かれるが、この貴族に告発され、逮捕される。
 異端審問所で自説の撤回を求められるも拒否、火あぶりの刑に処せられる。
 ガリレオは、ブルーノの一件を知っていて、地動説を撤回した。
 
●ジョルジュ・ルメートル(p160)
 1894-1966年。ベルギー人。
 1927年、アレクサンドル・フリードマン(1888-1925)の宇宙モデルのことは知らずに、アインシュタイン方程式を宇宙項なしで計算し、「宇宙は膨張している」という解を導き出した。
 さらに、宇宙が膨張しているなら、時間を戻していけばやがて、宇宙は原子よりも小さな極小の粒子になるはずであると考えた。宇宙は、極小の状態から始まって、膨張し続けているという、膨張宇宙論を唱えた。「原始的原子の仮説」。
 膨張宇宙では、遠ざかるスピードは二つの星の間の距離に比例する。
 
●アインシュタインの神(p172)
〔 アインシュタインは、間違いなく神を信じていました。その神とは人間の姿をして教えを垂れるものではなく、自然法則を創り、それに沿って世界と人間を導くものでした。幼い頃に聖書と教会に絶望した彼はそれに代わる神を見いだし、その忠実な信者になったのです。
 
●最初の光(p224)
〔 ここまでみてきたコペルニクス以来の宇宙論の発展は、いうなれば神の絶対性を次々に制限していった歴史とみなすことができます。平たくいえば、この宇宙から神にしかできない仕事をどんどんなくしていった歴史です。その結果、かろうじて残ったのは、「創世記」に記されているように、天地創造において「最初の光」を与える仕事でした。〕
 
●神業(p263)
〔 私が考える「神業」とは、永遠に来ない「終わり」と言うことができます。人間には神をすべて理解することは永遠にできません。しかし、一歩でも神により近づこうとすることは可能です。近づけばまた新たな疑問が湧き、人間は己の無力と無知を思い知らされます。だからまた一歩、神に近づこうという意欲を駆り立てられます。「もう神は必要ない」としてこの無限のいたちごっこをやめてしまうことこそが、思考停止なのであり、傲慢な態度なのではないでしょうか。科学者とは、自然に対して最も謙虚な者であるべきであり、そのことと神を信じる姿勢とは、まったく矛盾しないのです。晩年のホーキングも、またディラックも、そのことに気づいていたのではないかと私は考えています。〕
 
(2023/4/29)NM
 
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動的平衡 3 新版 チャンスは準備された心にのみ降り立つ
 [医学]

新版 動的平衡: チャンスは準備された心にのみ降り立つ (3) (小学館新書 444)
 
福岡伸一/著
出版社名:小学館(小学館新書 444)
出版年月:2023年2月
ISBNコード:978-4-09-825444-6
税込価格:1,100円
頁数・縦:269p・18cm
 
 動的平衡論第3弾。
 2017年12月に木楽舎より刊行された書籍の新書化。修正や加筆に加え、第11章を追加した。
 
【目次】
第1章 動的平衡組織論
第2章 水について考える
第3章 老化とは何か
第4章 科学者は、なぜ捏造するのか
第5章 記憶の設計図
第6章 遺伝子をつかまえて
第7章 「がんと生きる」を考える
第8章 動的平衡芸術論
第9章 チャンスは準備された心にのみ降り立つ
第10章 微生物の狩人
第11章 動的平衡からコロナウイルス禍を捉え直す
 
【著者】
福岡 伸一 (フクオカ シンイチ)
 1959年、東京都生まれ。京都大学卒業後、ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授・ロックフェラー大学客員教授。研究に取り組む一方、「生命とは何か」について解説した書籍や、絵画についての解説書、エッセイなどを発表している。
 
【抜書】
●自律分散(p17)
 生命の動的平衡は自律分散型である。
 個々の細胞やタンパク質は、ジグソーパズルのピースのようなもの。前後左右のピースと連携を取りながら絶えず更新されていく。ピース近傍の補完的な関係性(相補性)さえ保たれていれば、ピース自体が交換されても、ジグソーパズルは全体としてゆるく連携しあっており、絵柄は変わらない。
 新しく参加したピースは、周囲との関係性の中で自分の位置と役割を定める。既存のピースは、寛容をもって新入りのピースのために場所を空けてやる。
 絶えずピース自体は更新されつつ、組織もその都度、微調整され、新たな平衡を求めて刷新されていく。
 そして、個々のピースは、いずれも鳥瞰的に全体像を知っている必要はない。ローカルで、自律分散型で、しかも役割が可変であること。これが生命体の強みである。
 生命は自律分散的な細胞の集合体であり、各細胞はただローカルな動的平衡を保っているだけ。
 脳は、生命にとって「中枢」ではない。むしろ知覚・感覚的情報を集約し、必要な部局に中継するサーバー的なサービス業務をしているに過ぎない。情報に対してどのように動くかはローカルな個々の細胞や臓器の自律性にゆだねられる。
〔 かつてサッカーの岡田武史元監督と対談したときのこと。読書家の岡田監督は、私の動的平衡論を読んで、高く評価してくださった。そして、これは組織論として応用可能だ、各選手が、自律分散的に可変性・相補性をもって状況に対応できれば最強のサッカーが実現される、という主旨のことをおっしゃってくださった。
 この議論をさらに進めれば、自律分散的な動的平衡のサッカーにおいて、少なくとも試合のまっただ中においては、いちいち指示を出す必要のないゲームが実現するだろう。おそらく理想の組織とはそういうものではないだろうか。〕
 
●GP2(p30)
 福岡伸一の発見した遺伝子。膵臓や消化管の細胞で活動している。
 消化管の内腔側にやってきた病原体を事前に捕捉して、免疫システムに知らせる「細菌受容体(レセプター)」。
 
●ウェルナー症候群、コケイン症候群(p45)
 老化現象が極端に早く進んでしまう早老症うちのの二種。
 DNAの修復に関わる仕組みを担う遺伝子の欠如が原因だった。
 
●多分化能幹細胞(p53)
 何にでもなりうる「万能細胞」は受精卵だけ。
 人間の体は約37兆個の細胞から構成されている。そのほとんどは、役割が決定づけられた「分化細胞」である。筋肉細胞、神経細胞、など。
 受精卵から少し先に進んだ段階の細胞は、多様な分化状態になりうるという意味で、「多分化能幹細胞」と呼ぶ。
 
●不安定化(p74)
 ヒトが何かを考えたり体験したりすると、まず海馬でニューロンとシナプスが回路を作る。記憶の原型。短期的な記憶。
 その後、海馬で作られた記憶の回路は、大脳皮質に書き写され、ここで新しいニューロンとシナプスの回路が形成される。長期的な記憶。
 そして、海馬のほうの回路は消去される。
 長期的な記憶は、ずっと一定に保存されているわけではない。思い出すたびにいったんシナプスが不安定化され、再度、固定化される。
 記憶は、思い出すたびに揺らぎ、変容しているのである。
 
●the prepared mind(p188)
 準備された心。ルイ・パスツールの言葉とされる。
 Chance favors the prepared mind.という格言に基づく。チャンスは準備された心にのみ降り立つ。
 
●クワシオコア(p212)
 もしくは、クワシオルコル。kwashiorkor。アフリカのガーナ沿岸の土地の言葉で、「上の子ども、下の子ども」という意味。
 下の子どもができると上の子どもが強制的に乳離れを余儀なくされ、一種の栄養失調を起こした症状。
 手足がガリガリに痩せているのに、お腹が膨満して見えること。キャッサバなどの炭水化物ばかりを与えられ、タンパク質が不足したことによって起きる。
 お腹が膨れているのは肝臓が脂肪肝になって肥大しているため。炭水化物とタンパク質のアンバランスが原因。カロリーだけが過剰に摂取されると、肝臓はそれを脂肪に変えて蓄積しようとする。
 クワシオコアの発症に、腸内細菌が関わっていることが、最近わかってきた。クワシオコアにかかった一卵性双生児の研究による。
 
●設計と発生(p222)
 人間の脳の思考原理は「設計的」。設計ありきで組み立てていく。
 生命本来の構築原理は「発生的」。まず発生させてから対応する。
 例えば人間の脳におけるニューロンとシナプスの回路網は、過剰に生成され、時間とともに彫琢されている。
 免疫システムも、B細胞ごとに100万通りもの抗体がランダムに準備され、彫琢されていく。
 ヒトの遺伝子DNA(ゲノム)に書き込まれているタンパク質情報は2万種類程度。B細胞では、アミノ酸配列を決定するDNAは数個のブロックに分断されている。各ブロックのアミノ酸配列を決定する遺伝子は複数用意されている。全ブロックのそれらの組み合わせにより、100万種類の抗体が生み出される。
 
●ウイルスの起源(p251)
 ウイルスとは、高等生物の遺伝子の断片がちぎれ、細胞膜の破片に包まれて、宿主細胞から飛び出したもの。
 〔ウイルスとは宿主細胞から見れば、あるとき急に出奔してそのまま行方不明になった放蕩息子のようなものである。〕
 その放蕩息子はもとは宿主細胞の一部だったから、親和性のあるタンパク質を介したり、細胞接着を補助したりして細胞内に迎え入れることが起きる。また、そのおかげで進化の促進剤の役割を果たすこともある。
 
●生命の定義(p248)
 生命を、自己複製を唯一無二の目的とするシステムである、というように利己的遺伝子論的に定義すれば、生命と呼べる。宿主から宿主に乗り移って自らのコピーを増やし続けるから。
 しかし、生命を〔絶えず自らを壊しつつ、常に作り変えて、「エントロピー増大の法則」に抗いつつ、あやうい一回性のバランスのうえに立つ動的システムである〕と定義すると、生命とは呼べない。ウイルスは、代謝も呼吸も自己破壊もしない。動的平衡の生命観。
 
●死=利他的行為(p255)
〔 そして、誤解を恐れずに言えば、個体の死は、その個体が専有していた地位、つまり食や空間を含むニッチ(生態学的地位)を、新しい生命に手渡すということ、すなわち、生態系全体の動的平衡を促進する行為である。つまり個体の死は最大の利他的行為なのである。ウイルスの存在はそれに手を貸している。パンデミックには、生態学的な調整作用があると言ってよい。人類史を眺めれば、私たちは絶えず、さまざまなウイルス(を含む病原体)とのせめぎ合いを繰り返してきたことがわかる。ウイルスは、その都度、生き延びるものと死ぬものを峻別し、生き延びるものには免疫を与え、人口を調整してくれた。つまり生命の動的平衡を維持してきた。〕
 
(2023/4/26)NM
 
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人間と宗教あるいは日本人の心の基軸
 [社会・政治・時事]

人間と宗教あるいは日本人の心の基軸
 
寺島実郎/著
出版社名:岩波書店
出版年月:2021年11月
ISBNコード:978-4-00-061505-1
税込価格:2,200円
頁数・縦:276p・20cm
 
 戦後日本人の空疎を、宗教との関連で考察する。根底には、国家神道再興に対する危惧がある。
 
【目次】
1 人類史における宗教―ビッグ・ヒストリーの誘い
2 世界化する一神教―現代を規定する宗教
3 仏教の原点と日本仏教の創造性
4 キリスト教の伝来と日本―日本人の精神性にとっての意味
5 神仏習合―日本宗教史の避けがたいテーマ
6 江戸から明治へ―近代化と日本人の精神性
7 現代日本人の心の所在地―戦後日本を問い直す
 
【著者】
寺島 実郎 (テラシマ ジツロウ)
 1947年北海道生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了後、三井物産入社。米国三井物産ワシントン事務所所長、三井物産常務執行役員、三井物産戦略研究所会長等を経て、現在は(一財)日本総合研究所会長、多摩大学学長、(一社)寺島文庫代表理事。国土交通省・国土審議会計画部会委員、経済産業省・資源エネルギー庁総合資源エネルギー調査会基本政策分科会委員等を務める。
 
【抜書】
●利他愛(p36)
〔 世界中の多くの宗教者、信仰者と向き合ってきた私の体験を通じた直感だが、世界宗教の本質は「利他愛」だと思う。つまり、他者への配慮であり、心の寛さである。それが人間の内面的価値に訴え、民族を超えて受容される素地となったと思われる。一〇年を超えた米国生活の中で、また中東・アジアを動いてきた経験の中で、敬虔に宗教に向き合う人達が、ときに利害相反や緊張があっても、異邦人である私に見せた温かい配慮は、宗教性の希薄な戦後なる日本に生まれ育った私に、熱い思い出を残している。そのたびに宗教の持つ意味を再考させられたものである。〕
 
●クシャーナ帝国(p80)
 イラン系騎馬民族クシャーンは、AD1世紀後半に、それまで服従していた大月氏を倒してクシャーナ帝国を形成し、1世紀末には「パックス・クシャーナ」の時代を迎えた。
 インド西北部のガンダーラから中央アジア、敦煌など中国北西部を版図とし、最盛期の王カニシカが仏教に帰依し、中国に本格的に仏教を伝える触媒となった。ローマ帝国との交流でもたらされた金貨に王とブッダの姿を刻印し、シルクロードに仏像などの仏教美術を花開かせた。
 
●大秦寺(p116)
 635年、ペルシア人で景教僧のアロペン(阿羅本)が長安にネストリウス派キリスト教を伝え、638年には教会(景教寺院)として大秦寺を建てた。
 日本に景教が伝わったのは736年。入唐副使中臣名代が3人の景教僧を連れて帰国した。
 
●クラーク博士(p143)
 1885年(明治18年)にマサチューセッツ州アマースト大学に選科生として入学した内村鑑三は、その頃、札幌農学校の校長だったW・S・クラーク博士と面談している。第2期生だった内村は、農学校時代、直接クラーク博士の教えを乞う機会がなかった。
 クラークの印象について「彼ハ宗教家タル以上ニ軍人ナリ」という印象を持った。
 この時期のクラークは、鉱山投資会社を起こしたものの、パートナーが引き起こした詐欺事件に巻き込まれ、訴訟沙汰の最中だった。教育者としての名声は地に堕ち、俗臭漂う投機家として「失意の境遇」にあった。この面談の半年後にクラークは死去する。
 
●天海(p163)
 徳川家は、本来、浄土宗の檀家であった。三河岡崎の領主だった時代から、岡崎の大樹寺が菩提寺だった。そのため、浄土宗の増上寺が江戸における徳川の菩提寺となった。
 家康が天台宗の僧侶天海(1536-1643年、享年107歳)を重用したことが、三代家光までの徳川初期の宗教政策に大きく影響をもたらした。
 1616年、家康の死後、天海の「神仏習合神道」の基づき、家康を神格化して「東照大権現」として日光に祀り、天台宗の輪王寺が取り仕切った。
 1625年(寛永2年)には、上野寛永寺を開山。寺領・境内合わせて32万坪。
 三代家光は日光に、四代家綱、五代綱吉は寛永寺に葬られたが、以後、歴代将軍は増上寺と寛永寺が半数ずつ将軍家の菩提寺としての役割を分担した。
 御三家では、尾張が浄土宗、紀州が天台宗。水戸は二代光圀の影響で儒教にこだわり、葬祭に仏教の関与を許さなかった。水戸出身の慶喜は朝廷に配慮し、遺言で神式での葬儀を寛永寺で行い、谷中墓地に埋葬された。
 
●6万(p165)
 元禄期(17世紀末)、幕藩体制の日本において6万3,276の村が存在した。
 神社は全国に約8万。(p170)
 
●新党の三層構造(p176)
 日本精神史における神道の三層構造。
 第一層:民族的風習としての宗教……津田左右吉。山河から一木一草に至るまで神意が宿る。八百万の神々が宿る神社。
 第二層:神祇神道……天皇制を権威づける神道の萌芽。天武・持統期の律令体制の確立を目指す中で、「太政官」と並ぶ「神祇官」が設置された。右大臣として専権を握った藤原不比等(鎌足の次男)が、大宝律令、養老律令を関与・主導し、「アマテラスを祖として神武を初代天皇とする天皇制の神話」を創作した中心人物。
 第三層:宗教としての神道……圧倒的な体系性を有する仏教の影響を受けて、神仏習合の中から形成される。平安から鎌倉期に「本地垂迹説」に立つ仏教優位の神仏習合(仏本神迹)が浸透。そこから室町期における「神道の自立」という動きが胎動する。
〔 こうした三層が複雑に相関し、時代との関係性が絡み合って、近世神道、明治期の国家神道が表出するのであり、三層の濃淡をどう意識するかで、神道の捉え方は異なる。そこに神道の特異性があるといえる。とくに、戦後日本の「宗教なき状況」を生きた日本人は、至近にある神社神道(初詣、お祭りの氏神信仰)と、戦前期の強烈な「国家神道」(天皇制絶対主義の「国体」を護持する神道)の違いを意識することなく生きており、「国家神道」が国家権力のイデオロギーとして、強制力を持って迫る悲劇を忘却している。日本精神史における神道の三層の相関を解く視界が求められるのである。〕
 
●承久の乱(p180)
〔 鎌倉期における「承久の乱(一二二一年)は「天皇制」が廃絶になる可能性さえあった日本史の転換点であった。つまり、朝廷の実権を握る後鳥羽上皇をはじめとする三人の上皇(順徳上皇、土御門上皇)と仲恭天皇、すなわちオール朝廷が結束して討幕の院宣を出して鎌倉幕府の打倒を目指したが、執権北条泰時を支える母・北条政子(頼朝の妻)の「いざ鎌倉」の檄に刺激された東国武士団に大敗し、三上皇は隠岐、佐渡、土佐に流罪、近臣は斬首となった。幕府が天皇の選択権さえ握るという天皇制の危機であった。だが、天皇制の廃絶や、天皇の権威を否定する展開にはならなかった。天皇の権威を権力が利用するという意図が日本政治の深層に埋め込まれた瞬間であった。〕
 
●即位灌頂(p187)
〔 空海の偉大さは、人間の内奥の苦悩に向かいがちな仏教の視界を「宇宙」に拡張したことにある。大日如来を中心に据えた立体曼陀羅の世界観である。この世界観は「国家鎮護」の仏教の位相を変えた。真言密教的宇宙観の中に、現世における天皇の権威さえ相対化させたのである。その象徴が「即位灌頂」である。天皇が即位に当たって大日如来の印を結ぶという儀式で、地上の権力を宇宙観の中に位置付けるということであり、仏教による皇位の権威付けともいえる。京都の東寺に残る金剛界曼荼羅などを見つめると、空海の視界の大きさがわかる。即位灌頂は、平安後期の一〇六八(治暦四)年の後三条天皇の即位時から導入された。次第に儀礼的なものになったようだが、天皇の即位灌頂は江戸期最後の孔明天皇まで続いたという。〕
 
●神風特攻隊(p202)
  しき島の やまとごころを人とはば 朝日ににほふ山ざくら花
 本居宣長61歳の時、自画像一幅に書き添えた歌。
 神風特攻隊の部隊名に曲解・利用された。「敷島」隊、「大和」隊、「朝日」隊、「山桜」隊。
 
●PHP(p235)
 Peace and Happiness through Prosperity。豊かさを通じた平和と幸福。
 都市新中間層の宗教?
 1946年、松下幸之助が提起した概念。翌年、『PHP』という雑誌も創刊された。
 〔GHQからの追放指定を受け、解除嘆願に動いてくれた労働組合への熱い思いが「労使の共存共栄」の基本哲学としてPHPを強調したと感じられる。「労使対決」という戦後日本の新しい対立を克服する概念として、「まずは会社の安定と繁栄が大切」というPHP的志向は定着した。〕
 
●経済主義(p236)
〔 ひたすら「繁栄」を願う「経済主義」が戦後日本の宗教として、都市新中間層に共有されていった。だが、そこには、明治期の日本人が、押し寄せる西洋化と功利主義に対して「武士道」とか「和魂洋才」といって対峙した知的緊張はない。「物量での敗北」と敗戦を総括した日本人は、「敗北を抱きしめて」、アメリカに憧れ、アメリカの背中を「追いつけ、追い越せ」と走ったのである。そこには米国への懐疑は生まれなかった。資本主義と対峙しているかに見えた「社会主義」も、ある意味では形を変えた経済主義であった。階級矛盾にせよ、所有と分配の公正にせよ、経済関係を重視する視点であり、経済主義において同根であった。〕
 
(2023/4/24)NM
 
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脱「中国依存」は可能か 中国経済の虚実
 [経済・ビジネス]

脱「中国依存」は可能か-中国経済の虚実 (中公選書 132)
 
三浦有史/著
出版社名:中央公論新社(中公選書 132)
出版年月:2023年1月
ISBNコード:978-4-12-110133-4
税込価格:1,980円
頁数・縦:282p・20cm
 
 経済において「中国依存」からの脱却がいかに難しいかを、中立的に論じる。
 そんな中、日本はASEANとの関係を深めるべきであると提案する。
 
【目次】
序章 中国依存から出発する中国経済の見方
第1章 米中通商摩擦―脱「中国依存」の行方
第2章 貿易依存度の低下が示す内製化の進展
第3章 中国はなぜ米国との対立を厭わないのか
第4章 米中対立の行方
第5章 不動産バブル崩壊を防げるか
第6章 過剰債務体質を改善できるか
第7章 共同富裕は格差を是正するか
第8章 対外融資と債権国としての責任
終章 付加価値貿易からみた日本の製造業
 
【著者】
三浦 有史 (ミウラ ユウジ)
 日本総合研究所調査部上席主任研究員。1964年、島根県に生まれる。早稲田大学社会科学部卒業。日本貿易振興会(JETRO)入会、初代ハノイ事務所所長などを経て、現職。著書に『ODA(政府開発援助)―日本に何ができるか』(中公新書、渡辺利夫氏との共著)、『不安定化する中国―成長の持続性を揺るがす格差の構造』(東洋経済新報社、第6回樫山純三賞受賞)などがある。
 
【抜書】
●ロックイン効果(p35)
 集積が新たな集積を呼ぶこと。正のフィードバック。
 脱「中国依存」が進まない理由のひとつ。
 
●貿易大崩壊(p43)
 2009年の金融危機時に、世界の貿易の依存度が大幅に低下した。GDPに対する財・サービス貿易(輸出入額の合計)の比率が、前年の61.6%から52.5%に落ちた。
 同依存度はその後回復したが、2011年から再び緩やかに低下し、2020年には新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を受け、51.6%となった。
 
●双循環(p57)
 2020年5月の共産党中央政治局常務委員会で提議された概念。
 米国との通商摩擦激化や新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により、輸出に依存した成長パターンが続かないことに対する不安から、海外市場だけでなく国内市場にも目を向けようという政策。
 
●中国模式(p64)
 中国の経済発展の経験を積極的に評価すること。経済発展の持続可能性と第三国への移植可能性を肯定する概念。
 2000年代後半に米国だけでなく、中国においても盛んに議論された。
 
●私営企業(p108)
 民営企業の一形態で、国有資本の割合が最も少ない小規模企業群。
 
●集団所有(p112)
 中国では、土地は全人民すなわち国家の所有である。
 住宅の所有者は、期限付きの土地使用権を持っているに過ぎない。都市の住宅は、新築、中古ともに需要と供給に基づく市場価値で取引される。
 農地は集団所有。農民に期限付きの耕作権が与えられているに過ぎないため、市場化の対象外。政府は食糧の安定供給を確保するため、農地の宅地転用を厳しく制限している。
 
●横たわり、内巻(p137)
 横たわり……物欲が乏しく、競争、勤労、結婚、出産に消極的な人たち。
 内巻……皆が競争を勝ち抜く努力をしているため、努力の価値が下がり、皆が疲弊するだけという「社会現象」。
 
●超大都市(p140)
 都市部の人口が1000万人を超える都市。
 北京、上海、長慶、広州、深圳、天津。
 さらに、2022年の「第7次全国人口普査」を受け、成都が加わった。
 
●ブラックスワン、灰色のサイ(p152)
 ブラックスワン……滅多に起こらないが、起これば壊滅的被害をもたらす問題。
 灰色のサイ……高い確率で起こり、甚大な被害をもたらすにもかかわらず、軽視されがちな問題。
 
【ツッコミ処】
・人口知能(p95)
〔 最新の通信規格5Gや人口知能(AI)など、中国の科学技術力に目をみはるものがあるのは確かだ。しかし、中国は容易に克服できないいくつかの弱点を抱えている。〕
  ↓
 「人口」知能!
 中国は科学技術以外にも、「人口」においても目をみはるものがあるのは事実。しかしながら最近の報道では、いよいよインドに抜かれるようだ。
 
(2023/4/21)NM
 
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越境と冒険の人類史 宇宙を目指すことを宿命づけられた人類の物語
 [歴史・地理・民俗]

越境と冒険の人類史: 宇宙を目指すことを宿命づけられた人類の物語
 
アンドリュー・レーダー/著 松本裕/訳
出版社名:草思社
出版年月:2022年4月
ISBNコード:978-4-7942-2578-8
税込価格:3,850円
頁数・縦:494p・20cm
 
 人類はアフリカを出て、長い旅の果てに地球上のほぼすべての土地を征服した。その続きは宇宙にへの旅である。
 
【目次】
第1部 起源
 ゆりかごを出て
 初期の放浪
 海の人々
 越境するギリシャ・ローマ
第2部 世界の再発見
 北からやってきた「蛮族」たち
 初期の遭遇
 もう一つの地中海
 中国の大航海時代
 インドへの航路
 略奪と黄金
 世界一周
第3部 近代
 貿易の帝国
 開かれる大陸
 科学のフロンティア
 氷と雪の大地
 空へ
 宇宙競争
 ロボットの目を通じて見た世界
第4部 『スタートレック』への道
 未来へ
 火星への道
 宇宙旅行者への道
 星間を旅する
 異世界の生命
 最終目的地
 
【著者】
レーダー,アンドリュー (Rader, Andrew)
 SpaceXでミッション・マネジャーを務める航空宇宙工学者。マサチューセッツ工科大学でPh.D.を取得(宇宙工学)したのち、いくつかの宇宙関連企業を経て現職。
松本 裕 (マツモト ユウ)
 翻訳家。訳書多数。
 
【抜書】
●フェニキア人(p61)
 古代のフェニキア人は、コロンブスが乗った最大の船「サンタ・マリア号」より大きな450トンに船をつくったと言われている。
 竜骨、ロープと滑車で上げる帆、防水のコーキングをほどこした甲板、船体が大きく膨らんだ多層構造の船。
 
●つるつるの顔(p79)
〔 アレクサンドロス以前の男たちは、顎鬚をたくわえているのが普通だった。だがアレクサンドロスはきれいに鬚を剃っていて、その嗜好が帝国中の男たちの間で流行し、ローマ人にまで真似されるようになる。つるつるの顔を男らしいものにしたのはアレクサンドロスだと言っても過言ではない。〕
 
●ローマ海軍(p94)
 ローマがポエニ戦争でカルタゴに勝てたのは、イタリア海岸沖で沈んだカルタゴの船を研究することで、船の構造を学んだから。
 たった9年でローマは海軍を設立し、シチリアのエクノモス岬沖で300艘からなるカルタゴの船隊を破る。
 やがてローマは地中海の海岸線すべてを支配し、海は「マーレ・ノストラム(我らの海)」とも呼ばれた。
 
●ランス・オ・メドー(p122)
 1960年代、ノルウェー人考古学者ヘルゲとアン・イングスタッドが、ニューファンドランドの北端沿いにあるランス・オ・メドーで、ノルド人居住区の遺跡を発見した。最大100人は住民がいたと思われる。AD1000年頃の遺跡。
 木枠を芝で覆った建物が数十。縦30m横15mの集会所。小さな作業場や住居が入植地を埋め尽くし、鉄の鉱滓が残る鍛冶場、鋸や木片が残る木工所、鉄鋲が残る船の修理工場もあった。
 北欧からアメリカ大陸への初期の移住の可能性。
 
●白い神の神話(p142)
 コルテスと部下たちは、自分たちがメキシコに上陸したまさにその年に再来が予言されていたケツァルコアトル神だとアステカ人に思われたと伝えている。アステカ暦1リードの日、彼らの365日暦と265暦が重なる日(52年ごとに訪れる)。
 ペルーでは、ピサロと仲間たちが同じように、インカ人によってヴィラコチャ神の再来だと思われたと報告している。
 ケツァルコアトル(アステカの神)とヴィラコチャ(インカの神)の特徴はとても似ている。
 背が高く、顎鬚を蓄え、肌は白く、眼は青く、広い海の向こうから戻ると伝えられていた。バイキングの外見的特徴に一致する。
 
●スリヴィジャヤ、マジャパヒト(p153)
 7世紀にインドネシアに興った、仏教徒を主とする帝国。この頃、スパイスに対する需要が増加した。
 ジャワ島のボロブドゥール寺院。仏教の宇宙論(宇宙の誕生、生涯、そして死)を描いた2672面の壁画レリーフが有名。
 やがてスリヴィジャヤは衰退し、マジャパヒトに取って代わられた。仏教とヒンドゥー教の帝国。東南アジア史上最大の帝国。近代インドネシアの境界線を定める役割を果たした。
 1292年、フビライ・ハーンがジャワに対して挨拶に来るようにと「招待」する使節を送った。ジャワはこれを拒絶。フビライは1,000艘からなる船団でジャワへ侵攻。マジャパヒトは当初モンゴルを手助けし、その後、ジャワの支配権を掌中に収めるためにモンゴルに急襲を仕掛けた。
 その後、アラブの商人によってもたらされたイスラム教がマジャパヒト中に広まる。15世紀(?)、シンガプーラ、マレーシア、スマトラの新たなイスラム教支配者たちがマジャパヒトの領地のほとんどを蹂躙。1世紀後には、わずかに残った土地もポルトガルとオランダに奪われた。
 
●マンサ・ムーサ(p157)
 マリ帝国の王。史上最も裕福な人物とみなされている。インフレ調整してもなお、ジェフ・ベソスの3倍の金持ちだったと推定できる。
 1325年、マンサ・ムーサがメッカに巡礼に出た際、上質な絹の衣服に身を包んだ1万2000人の奴隷に加え、彼が通る道筋の貨幣価値を以後10年にわたって下落させるのに十分なほどの黄金を積んだラクダの隊列を伴っていた。
 
●スパイス(p162)
〔 いまやどこのスーパーでも数ドルで買える日常使いのスパイスが、かつて世界経済を支配し、国の勃興に寄与していたというのは奇妙に思える。なぜスパイスはそれほど重要だったのだろう。じつは、よく言われているように腐った肉の味をごまかすためではない。
 それは主として威信の問題だったのだ。世界の忘れ去られた「端っこ」における、単調でひっそりとした中世の生活がその背景にあった。エキゾチックな食事を提供できるだけの財力を持つヨーロッパの貴族たちは、スパイスのおかげで一時的にせよ過去の栄光の記憶を呼び覚ますことができた。スパイスによって、ギリシャ人やローマ人が贅沢の極みを尽くし、アジアの帝国を蹂躙し、世界の舞台の中心に華々しく立っていた時代を思い出せるのだ。
 中世ヨーロッパの料理は、今日の水準からすると控えめに言っても奇妙奇天烈だった。レシピを見ると、手に入るスパイスはなんでも混ぜてしまっている。現代人の舌には決して合わないような組み合わせ方だ。スパイスの種類は幅広く、現代人がよく知っているものからエキゾチックな「ミイラのスパイス」(エジプトのミイラを粉に挽いたもので、治療薬としての効果があると信じられていた)まであった。塩味と甘味はメインコースとデザートに区別されることなく随時供されていた。〕
 
●ジョン・マンデヴィル(p183)
 『東方旅行記』の作者。14世紀の半ばから後半に広く出回った物語。怪物満載の世界を描いている。
 犬の頭部をもつ人間、猛烈な女戦士が支配するアマゾン、象をも獲物にする巨大な鳥、ダイヤモンドが生える畑、コショウの木が茂る森、若返りの泉、500年ごとに自らを焼き殺して生まれ変わるエジプトの鳥フェニックス。
〔 これらの物語は今では明らかにファンタジーだと思えるが、未知の世界に興味津々だった当時のヨーロッパ人には、文字どおり真実として受けとめられていた。実際、コロンブスは新世界への旅に出る際、『東方見聞録』に加えてこのマンデヴィルの本も携えて行っている。〕
 マンデヴィルは英国騎士とされていたが、おそらくは架空の人物。『東方旅行記』は、フランス人作家が又聞きと創作に基づいて書いたと考えられる。
 
●ポルトゥ・カーレ(p203)
 ポルトガルが独立したのは1139年。
 ローマ時代以来の港町ポルトゥ・カーレで野心的な君主によって独立が宣言された。この町の名前が、後に新たな国名となる。
 ポルトゥ・カーレは現在ポルトという名に変わり、甘いポートワインで知られるポルトガル第二の都市。
 
●マデイラ(p205)
 1420年、ポルトガルのエンリケ王子が、ポルトガル初の海外植民地として、ポルト・サント島とマデイラ島の所有権を主張した。ギリシャ人やローマ人には知られていたが、中世のヨーロッパ人にとっては新発見の島々。
 マデイラは大西洋の主要な中継地点となり、そしてヨーロッパ初の植民地実験の場ともなった。気候はサトウキビに適しており、1452年には農園のために捕らえられたアフリカ人が到着した。奴隷貿易幕開けの瞬間。
 のちに農園はブラジルに移され、現在、マデイラ酒の生産地となっている。
 
●パルマレス(p280)
 最大の奴隷保有国だったブラジルには、アフリカ系自由民コミュニティが数多く存在した。
 いくつかの自由共同体は、アメリカ大陸のなかでアフリカ人の王国へと成長する。
 長く続いたのはパルマレス。1694年、首都がポルトガル軍によって壊滅させられるまで、1世紀近く続いた。全盛期には1万を超える自由共同体を支えており、コンゴの貴族の血を引くズンビ王が治めていた。
 
●エンケラドス(p426)
 土星の衛星。宇宙に向かって間欠泉を噴出し、それが凍って霧状の結晶になる。NASAの「カッシーニ」はこのプリュームの中から塩を採取し、地球の海に似た、暖かな表面下の貯水池の存在を示唆した。
 太陽系で表面下に水をたたえた星が少なくとも10はあると考えられている。
 火星、エウロパ、ガニメデ、カリスト(以上、木星の衛星)、エンケラドス、タイタン、ミマス(以上、土星の衛星)、トリトン(海王星の衛星)、ケレス(準惑星)、冥王星。
 
(2023/4/16)NM
 
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民主主義の経済学 社会変革のための思考法
 [経済・ビジネス]

民主主義の経済学 社会変革のための思考法
 
北村周平/著
出版社名:日経BP
出版年月:2022年12月
ISBNコード:978-4-296-00134-7
税込価格:2,640円
頁数・縦:356p・20cm
 
 「新しい政治経済学の助けを借りて、民主主義の仕組みについての理解を深め」(p.11)るために書かれた書……とのことであるが、どうであろうか。
 経済学が得意とする「合理的に行動する個人」というテーゼに基づいて政治を理解しようという試みなのであろうが、まず、そういう観点から政治を分析しても成功しないだろう。机上の空論になるだけだ。理想的な世界を描写しよういう意図は分かるが、政治において、何のためにそんな世界を描く必要があるのだろう。
 また、数式を多用しているが、実体のない数式に意味があるのか? そもそもxにもyにも、代入できる実体がないし、解となる数字も出てこない。数式で物事を複雑にしておきながら、言いたいことはごく常識的な内容だったりもする。そこんところは、数式を衒学的に扱うのではなく、「言葉」を尽くしてシンプルに解説してほしいと思うのである。
 と、つまり、私は経済学という社会科学になじまない体質なのかもしれない。
 
【目次】
第1章 民主主義と経済の発展
第2章 大きな政府と小さな政府
第3章 選挙で最も影響力があるのは「真ん中の人たち」?
第4章 民主主義は政府を大きくする?
第5章 選挙で最も影響力があるのは「偏りのない人たち」?
第6章 誰が政治家になるのか?
第7章 政治家を働かせるための選挙?
第8章 政治家は選挙前に見栄を張る?
第9章 政治家たちの駆け引き
第10章 民主主義におけるメディア報道
 
【著者】
北村 周平(キタムラ シュウヘイ)
 1984年千葉県生まれ。大阪大学感染症総合教育研究拠点特任准教授(常勤)。 ストックホルム大学国際経済研究所Ph.D.(経済学)。専門は政治経済学、経済発展論。ストックホルム大学在学中に、ハーバード大学、イェール大学、LSEに留学。卒業後、ロチェスター大学ワリス政治経済研究所ポスドク、大阪大学大学院国際公共政策研究科講師、准教授を経て現職。
 
(2023/4/10)NM
 
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世界を変えた10のトマト
 [歴史・地理・民俗]

世界を変えた10のトマト
 
ウィリアム・アレキサンダー/著 飯嶋貴子/訳
出版社名:青土社
出版年月:2022年11月
ISBNコード:978-4-7917-7506-4
税込価格:2,640円
頁数・縦:349p・19cm
 
 トマトが現在の食卓を潤すきっかけとなった10の物語を披露。トマトの博物誌である。
 
【目次】
1 メディチ家のポモドーロ
2 ジョンソン大佐のバケツ
3 サンマルツァーノの奇跡
4 女王、作家とその妻、そして彼らのピザ
5 期待
6 スパゲッティの王者
7 ビッグボーイ
8 誰がトマトを殺したか?
9 エアルーム・トマトの襲撃
10 冬がやって来る
 
【著者】
アレキサンダー,ウィリアム (Alexander, William)
 『ニューヨーク・タイムズ』のベストセラー作家。『ニューヨーク・タイムズ』、『ロサンゼルス・タイムズ』などに寄稿している。
 
【抜書】
●シトマトゥル(p16)
 「膨らんだ果実」の意味。「トマト」の語源。
 ペルーとエクアドルの海岸高地が原産。エンドウ豆ほどの大きさだった。メキシコで栽培品種化され、テノチティトランで栽培され、食されていた。
 アステカ人はこれをスープやシチューに入れて風味を加えたり、ピーマンと一緒に炒めたり、生のまま細かく刻んでトウガラシやハーブと混ぜ、サルサ(単純に「ソース」の意味)を作ったりするのに利用した。
 1529年にメキシコにやって来た、ベルナルディーノ・デ・サアグンというフランシス会のスペイン人宣教師によって報告されていた。「最初の人類学者」とも呼ばれている。
 
●瓶詰(p54)
 瓶詰の発明は、ナポレオン・ボナパルトがきっかけだった。
 1800年、兵士たちの食事環境に投資し、より良い食品保存法を考えた人に1万2000フランを与えることにした。
 パリでシェフをしていたニコラス・アペールは、1806年の博覧会で、肉、果物、野菜を、コルクとワックスで密封したガラス瓶に詰めてグツグツ煮た湯に浸すという食品保存法を披露。
 その後、10年もしないうちに、イギリス人のピーター・デュランドが、割れやすい瓶を(防錆のため)ブリキで裏打ちした鉄製の缶に変えた。
 缶切りの発明は1855年、ロバート・イエーツによる。それまで缶詰が流行することはなかった。
 
●果物か野菜か(p63)
 1883年、米国では輸入野菜に10%の関税を課した。
 米国最大の青果輸入業を営んでいたジョン・ニックスは、植物学的に言えばトマトは果物であり、関税の対象にならないと訴え、最終的に1893年、最高裁判所で裁定が下された。敗訴。
 「植物学的に言って、トマトはキュウリやカボチャ、インゲンマメやエンドウマメと同じツル科の果物である。しかし人びとの共通言語では、食糧の販売者であろうと消費者であろうと、これらはすべて野菜であり、キッチンガーデンで栽培され、調理して食べようと生のまま食べようと、ジャガイモ、ニンジン、パースニップ、カブ、ビーツ、カリフラワー、キャベツ、セロリ、レタスなどと同様、通常はスープや魚料理や肉料理の中に、またはそれに添えて、もしくはその後に提供されるもので、これらは食事の重要な部分を占め、一般的な果物のようにデザートとして提供されるものではない。」
 
●ピザハット(p131)
 ピザは、ナポリ発祥。ナポリにトマトがあったから。
 チェーン店のピザはカンザス州から始まった。そこに学生がいたから。
 1958年、フランクとダンのカーニー兄弟はウィチタ州立大学の学生で、母親から600ドルを借りて大学のキャンパス近くに「ピザハット」をオープンした。安価な軽食は学生仲間の間で大当たりした。
 半年もたたないうちに別の場所で2店目をオープン。1年間で6店舗まで拡大。20年間で4000を超える店舗に拡大し、そのチェーンを3億ドル以上でペプシコに売却した。
 1960年に、トム・モナハシとジェームズ・モナガンの兄弟が、東ミシガン大学の本拠地イプシランティの街角に「ドミニックス」というローカルチェーンを購入。8か月後、ジェームズは苦戦していたビジネスの半分をトムに引き渡し、代わりに配達のために使っていたビートルを手に入れた。経営が持ち直すと、トムは「ドミノ・ピザ」の名で自分だけのフランチャイズを始めた。
 
●マーグローブ(p218)
 最も名の知れたトマト・ブリーダーのアレキサンダー・W・リヴィングストンが品種改良したグローブは、マーヴェルと呼ばれる栽培変種植物と交配され、「マーグローブ」という交配名がつけられ、1917年に発売された。数十年間、立ち枯れ病に強いということから栽培業者に高く評価されていた。
 今日の多くの交配種はこのトマトを継承しており、1951年、新たに発見された品種を説明するための基準点を必要としていたトマト研究者たちは、マーグローブを「標準」トマトに選んだ。トマトはこのような外観と習性を持つべきであるという定義的な概念。
 
(2023/4/9)NM
 
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開墾地
 [文芸]

開墾地
 
グレゴリー・ケズナジャット/著
出版社名:講談社
出版年月:2023年1月
ISBNコード:978-4-06-531168-4
税込価格:1,430円
頁数・縦:90p・20cm
 
 米国出身の著者によって日本語で書かれた小説。自伝的要素の強い内容なのだろうか。主人公の日本への留学と、父親(血はつながっていない)の米国移住が重ねあわされている。荒れ地で蔦を伸ばす葛が象徴的である。日本から移入された「葛」は、英語でkudzu(カッヅー)というらしい。
 
【目次】
 
【著者】
ケズナジャット,グレゴリー (Khezrnejat, Gregory)
 1984年、アメリカ合衆国サウスカロライナ州グリーンビル市生まれ。2007年、クレムソン大学を卒業後、外国語指導助手として来日。17年、同志社大学大学院文学研究科国文学専攻博士後期課程修了。現在は法政大学グローバル教養学部准教授。21年、「鴨川ランナー」で第2回京都文学賞を受賞し、デビュー。同年、受賞作を収録した『鴨川ランナー』(講談社)を刊行。
 
(2023/4/8)NM
 
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青空に飛ぶ
 [文芸]

青空に飛ぶ (講談社文庫)
 
鴻上尚史/〔著〕
出版社名:講談社(講談社文庫 こ65-5)
出版年月:2019年8月
ISBNコード:978-4-06-516580-5
税込価格:814円
頁数・縦:349p・15cm
 
 陸軍特別攻撃隊の万朶隊〈ばんだたい〉のパイロットとして、9回特攻に出撃し、9回生還した佐々木友次元伍長と、学校でいじめにさらされる中学2年生の萩原友人。架空の人物の物語に実在の人物の伝記を織りこんだ小説である。
 伝記の部分は事実に基づいている。
 なお、出撃命令は9回出たが、実際に艦船を爆撃できたのは2回。敵の空襲に遭って離陸できなかったのが1回、爆撃機の整備不良で出撃できなかったのが2回、直掩隊の隊長の配慮で途中で引き返してきたのが1回あった。
 
【目次】
 
【著者】
鴻上 尚史 (コウカミ ショウジ)
 1958年8月2日、愛媛県生まれ。早稲田大学法学部卒業。作家・演出家・映画監督。大学在学中の’81年、劇団「第三舞台」を旗揚げする。’87年『朝日のような夕日をつれて’87』で紀伊國屋演劇賞団体賞、’94年『スナフキンの手紙』で岸田國士戯曲賞を受賞。2008年に旗揚げした「虚構の劇団」の旗揚げ三部作戯曲集「グローブ・ジャングル」では、第61回読売文学賞戯曲・シナリオ賞を受賞した。現在は「KOKAMI@network」と「虚構の劇団」を中心に幅広く活動中。
 
【抜書】
●九九式双発軽爆撃機(p70)
 略称九九双軽。長さ約13m、翼を含めた幅約17.5m。爆弾を入れる腹の部分が膨らんでおり、「金魚」「おたまじゃくし」とも称された、陸軍の爆撃機。定員4名。
 
(2023/4/1)NM
 
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