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生き物の「居場所」はどう決まるか 攻める、逃げる、生き残るためのすごい知恵
 [自然科学]

生き物の「居場所」はどう決まるか-攻める、逃げる、生き残るためのすごい知恵 (中公新書 2788)
 
大崎直太/著
出版社名:中央公論新社(中公新書 2788)
出版年月:2024年1月
ISBNコード:978-4-12-102788-7
税込価格:1,155円
頁数・縦:282p・18cm
 
 生き物がいかにして自らの「居場所」を確保するのか、生存競争のさまを、これまでに提唱された研究成果と考察を参照しながら解説。
 
【目次】
第1章 「種」とは何か
第2章 生き物の居場所ニッチ
第3章 ニッチと種間競争
第4章 競争は存在しない
第5章 天敵不在空間というニッチ
第6章 繁殖干渉という競争
終章 たどり来し道
 
【著者】
大崎 直太 (オオサキ ナオタ)
 1947年、千葉県館山市生まれ。鹿児島大学農学部卒業。名古屋大学大学院農学研究科博士課程後期課程中退。京都大学農学部助手、米国デューク大学動物学部客員助教授、京都大学大学院農学研究科講師、准教授、国際昆虫生理学生態学研究センター(ICIPE、ケニア)研究員、山形大学学術研究院教授を歴任。農学博士。専門・昆虫生態学。
 
【抜書】
●リンネの使徒(p15)
 カール・フォン・リンネ(1707-78年)は、当時の強国スウェーデン・バルト帝国の版図全域を4度に分けて探検調査旅行を実施した。海外は、オランダとその周辺のフランスやイギリスの研究者を訪れただけだった。
 しかし、17人の弟子たちを世界各地に派遣して、動物・植物・鉱物、三界の標本収集に努めた。
 その一人がカール・ツンベルク(1743-1828年)で、日本にもやって来た。スウェーデン人のツンベルクはオランダ人に成りすまし、出島のオランダ商館医師として1775年8月から1年4カ月間滞在した。『日本植物誌』(1784年)、『日本植物図譜』(1794年)などの著書がある。日本滞在中は、将軍徳川家治に拝謁し、幕府医官桂川甫周、小浜藩医中川淳庵と交わり、医学だけでなく、植物学、物理学、地理学、経済学の知識を伝えた。
 
●ラマルク(p16)
 ジャン=バティスト・ラマルク(1744-1829年)は、1793年、50歳にして植物分類学から動物分類学に転じた。フランスの国立自然史博物館にて、昆虫と蠕虫の担当になった。そして、動物を脊椎動物と無脊椎動物に分けた。動物界の分類単位の上位に「門」を置き、脊椎動物門と無脊椎動物門としたのである。
 また、『水理地質学』(1802年)では、動物と植物を一つにまとめ、「生物」という語を作った。物質というものは元素の集まりであり、動物も植物も生命を維持するために外界から元素でできている物質を得ている。それを体内で新たな物質に変えて生きている。やがて生命活動を終えれば、動物も植物も分解されて元の元素に返っていく同じ生物という存在だと考えた。だからこそ、ラマルクは、生物は常に自然に単純な構造で発生すると考えた。
 『動物哲学』(1809年)では、「用不用説」「獲得形質の遺伝説」を説いた。ダーウィン以前に説かれた最初の本格的な進化論。現在では否定されている。
 
●テルナテ論文(p46)
 1858年、ダーウィンはウォーレスから2度目の封書を受け取った。インドネシアのモルッカ諸島にある小さな火山島テルナテ島からの投稿。
 「変種が元の型から限りなく遠ざかる傾向について」という論文。マルサス『人口論』にヒントを得ていた。人間だけでなく生物一般も、生き残れる以上の子どもを残し、生存のためにわずかでも有利な変異が起こったなら、その個体はそれだけ生き残る可能性が高く、子孫を残すために、有利な形質が淘汰され進化する。
 ダーウィンはライエルとフッカーに相談し、リンネ協会の直近の会議でダーウィンの進化論の概要と「テルナテ論文」を同時に紹介することにした。その講演の紀要は、ダーウィンとウォーレスの共著という形になった。
 
●ロジスティック曲線(p51)
 環境収容力に至るまでの生物の個体数の推移を描いた曲線。ベルギー陸軍大学の数学教授ピエール=フランソワ・フェルフルスト(1804-49年)による。
 マルサス『人口論』から示唆を得る。個体数は等比級数的に増加するが、食糧は等差級数的にしか増加しない。人口と食糧は伸び率が異なっても結果的にバランスが取れるに違いない、というもの。
 曲線は、はじめは徐々に増加するが、次第に急激な増加に転じ、その後、増加が漸減して上限に達し、飽和状態になる。
 dN/dt=rN(1-N/K):ロジスティック方程式。
  N:個体数 t:時間 dN/dt:時間tにおける個体数の増加率
  r:自然増加率 K:環境収容力
 
●密度依存要因(p53)
 個体数が環境収容力(K値)に達すると、1メスあたりの産卵数が減る。
 レイモンド・パール(1879-1940年)が、キイロショウジョウバエで実験。餌量を常に一定に保つと、個体数は一定に保たれ、メスの産卵量が減った。
 
●食物網(p64)
 現在では、「食物連鎖」のことを「食物網」と言い換えている。
 
●ガウゼの競争排除則(p68)
 1934年、ゲオルギ・ガウゼ(1910-86年)が論文を発表。
 大型のゾウリムシと小型のヒメゾウリムシを混ぜて飼育する。ヒメゾウリムシは、1種で飼育したときよりもやや低い量でロジスティック曲線を描いて平衡状態に達した。ゾウリムシは、最初のうちは増殖したが、やがて減少に転じ、絶滅した。
 2種の生き物が同じニッチを利用した場合、一方の種は絶滅し、他方の種だけが生き残る。
 
●ハッチンソンの比(p74)
 ニッチの近い生物が1:3。共存可能なサイズの比。ジョージ・ハッチンソン(1903-91年)。
 ニッチの近い鳥の体長、ニッチの近い動物の頭骨の長さを測って共存の有無を調査。
 たとえば、同じ池の中で水生昆虫を食べているニッチの近い2種の魚がいたとする。もし魚の口のサイズが等しいなら、同じサイズの水生昆虫を巡って競争が生じ、共存が困難になる。口のサイズが異なると、大きさの異なる昆虫を餌とするので、競争は緩和され、共存が可能となる。
 
●マネシツグミ(p79)
 ダーウィンがガラパゴス諸島で関心を持ったのは、3種のマネシツグミだった。
 最初、3種の鳥は、形態は少しずつ異なるが、変種に過ぎないと考えた。
 イギリス帰国後、標本の調査を鳥類画家グールドに依頼。3種の鳥はきわめて近縁な同じグループの別種で、ガラパゴス諸島の固有種だと言われた。その結果をもとに『種の起源』を執筆。
 
●中規模攪乱説(p147)
 1978年、カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校のジョセフ・コネル(1923-2020年)が「熱帯降雨林とサンゴ礁の多様性」という論文を『サイエンス』に発表。
 熱帯降雨林は、暴風、地滑り、落雷、昆虫の食害などによって樹木が折れたり枯れたりして攪乱されている。サンゴ礁は、嵐の波、陸地の洪水による淡水の流入や堆積物の流入、捕食者の群れの出現などの要因によって絶えず攪乱されている。この攪乱が中規模に続く限り、種の多様性が最大に維持される。
 攪乱が少ないと、極相林が形成される。
 
●緑の世界仮説(p159)
 1960年、ミシガン大学の3人の生態学者が提唱。
 地球は緑の植物に溢れている。植物を餌資源としている昆虫や動物などの植食者には餌資源をめぐっての競争はない。野外での研究を通して、植食者の密度は、競争が起きるような高密度にはなり得ないと主張された。
 密度を抑える最大の要因は、捕食者や捕食寄生者や病原菌など、天敵類の存在。
 
●天敵不在空間(p160)
 1984年、ジョン・ロートン(1943年~)とマイケル・ジェフェリーズが、イギリス・リンネ協会の『生物学誌』に「天敵不在空間と生態的群集の構造」という論文を発表。ロートンは、植食性昆虫に競争はないと主張した『植物を食べる昆虫』の著者の一人。
 生き物のニッチは、生き物と天敵の相互作用により、天敵からの被害を少しでも軽減できる空間、すなわち「天敵不在空間」として占められている。
 天敵不在空間は、天敵の全くいない空間を指す語ではない。天敵に囲まれていても絶滅せずに、生き延びることができるニッチのこと。
 
(2024/3/27)NM
 
〈この本の詳細〉


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