SSブログ

日本の動物絵画史

日本の動物絵画史
 
金子信久/著
出版社名:NHK出版(NHK出新書 713)
出版年月:2024年1月
ISBNコード:978-4-14-088713-4
税込価格:1,485円
頁数・縦:286p・18cm
 
 動物を題材とした日本の絵画史を概観する。
 西洋とは異なり、日本では古代からさまざまな動物が絵画に登場した。
 
【目次】
1 信仰と動物、失われた美術―古代・中世
 海を越えて来た動物の絵
 “鳥獣戯画”のどこがすごいのか?
 失われた愉快な世界
 鹿と竜―神の使いと仏の守護神
 涅槃図に描かれた動物
 禅宗と動物の絵
2 平和な社会と多彩な動物絵画―近世
 獅子と鳳凰
 縁起物から生まれる創作
 図鑑に心を遊ばせる
 本物に迫る
 花開く自由な造形
3 動物の心と人の心―近世~近代
 「禅画の虎」の遺伝子
 絵の中の動物を愛おしむ
 禅画の動物が教えてくれること
 仏の国の動物
 動物を使った風刺画
 近代の美術家と動物
 
【著者】
金子 信久 (カネコ ノブヒサ)
 1962年、東京都生まれ。1985年、慶のことを指した。
 應義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻卒業。府中市美術館学芸員。専門は江戸時代絵画史。
 
【抜書】
●写生(p143)
 円山応挙の本物のように描くスタイルは、当時「写生」という言葉で呼ばれていた。
 しかし、スケッチという意味ではなく、立体感や奥行きのある描き方のこと。
 
●動物を描いた画家たち(p205)
 円山応挙の子犬、長沢蘆雪の子犬と雀、森狙仙の猿、歌川国芳の猫、伊藤若冲の鶏。
 
●風刺画(p262)
〔 本章では、動物を使った風刺画をめぐって色々考えてみた。動物による風刺画が根を下ろさなかったことは、日本の動物絵画の歴史を考えるうえで重要なポイントになるのではないかと、私は感じている。動物に神聖さ、かわいらしさを感じて、それを絵画に表現してきた江戸時代までの歴史と、何か繋がりがあるかもしれない。〕
 キリスト教西洋では、動物は人間より劣った存在としてとらえられている。しかし日本では、仏教の影響で多情仏心、動物にも人と同じ生命が宿ると考える。
 
(2024/2/29)NM
 
〈この本の詳細〉


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

メタゾアの心身問題 動物の生活と心の誕生
 [自然科学]

メタゾアの心身問題――動物の生活と心の誕生
 
ピーター・ゴドフリー=スミス/〔著〕 塩崎香織/訳
出版社名:みすず書房
出版年月:2023年12月
ISBNコード 978-4-622-09662-7
税込価格:3,520円
頁数・縦:291, 60p・20cm
 
 動物(多細胞動物:メタゾア)の意識がどのように生まれ、形成されていったかを、進化の系統樹をさかのぼって考察。
 
【目次】
1 原生動物
2 ガラスカイメン
3 サンゴの新たな一手
4 一本腕のエビ
5 主観の起源
6 タコたち
7 キングフィッシュ
8 陸上の生活
9 鰭、脚、翼
10 徐々にかたちに
 
【著者】
ゴドフリー=スミス,ピーター (Godfrey-Smith, Peter)
 1965年、シドニー生まれ。シドニー大学教授、およびニューヨーク市立大学大学院センター兼任教授。専門は哲学(科学哲学/生物哲学、プラグマティズム/ジョン・デューイ)。練達のスキューバ・ダイバーでもある。スタンフォード大学助教授(1991-1998)、同・准教授(1998-2003)、オーストラリア国立大学およびハーバード大学兼任教授(2003-2005)、ハーバード大学教授(2006-2011)、ニューヨーク市立大学大学院センター教授(2011-2017)などを経て、現職。
 
塩﨑 香織 (シオザキ カオリ)
 翻訳者。オランダ語からの翻訳・通訳を中心に活動。英日翻訳も手掛ける。
 
【抜書】
●メタゾア(p36)
 Metazoa。後生生物。多細胞の動物。19世紀末、ドイツの生物学者エルンスト・ヘッケルによって導入された。
 Protozoa(単細胞の原生動物)との対比によって生まれた言葉。metaは「あとに」「そばに」の意味、zoaは「動物」を意味する。
 
●右脳、左脳(p133)
 さまざまな脊椎動物において、同じ種の仲間との社会的交流には右脳(左眼)を、食物に関係することには左脳(右眼)を好んで用いる。
 タコと同じ頭足類に属するコウイカは、視交叉がないので、餌を摂取することに関しては右眼を、捕食者に対処する場合は左眼を優先的に使う。
 
●WADAテスト(p155)
 日本出身でカナダに移住した医師の和田淳が発明したテスト。左右どちら側の脳が言語を司っているかを同定するテスト。
 麻酔薬を注入して左右いずれかの脳を眠らせ、言語機能の課題を与えられる。脳の半分が眠った状態で何ができるかを確認。
 左右どちらに脳にも別個に意識があると考えられる結果が得られた。
 
●ヒヨコ、ヒキガエル(p242)
 ジョルジオ・ヴァロルティガラとルカ・トマシは、孵化直後のヒヨコに一時的に眼帯を付け、脳の左右いずれかの側で課題の処理をさせた。
 まず、眼帯を付けない状態で餌場の位置を学習する。この場所は、空間中の位置関係に加えて目印を付けた。次に、一方の眼を眼帯で覆い、同じ空間に戻す。この時、目印の位置が変わっている。左眼(右脳)が使えたヒヨコは目印を無視して空間の位置関係から餌場を探したが、右眼(左脳)が使えたヒヨコは目印が新たに置かれた場所に向かった。
 眼帯を付けていないヒヨコも目印を無視した。つまり、右脳が優位に働いた。左脳が適切な情報を持っていたとしても、右脳が機能しない状態にならなければ処理には割り込めない。
 ヒキガエルは、獲物が視野の外から左視野に入ってきても、ふつう、その獲物が右視野(左脳に関わる側)に移動するまで襲いかかろうとしない。ライバルのヒキガエルが視野に入る時は、逆のことが起こる。
 
(2024/2/27)NM
 
〈この本の詳細〉


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

ビジネス教養としての最新科学トピックス
 [自然科学]

ビジネス教養としての最新科学トピックス(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)
 
茜灯里/著
出版社名:集英社インターナショナル(インターナショナル新書 130)
出版年月:2023年10月
ISBNコード:978-4-7976-8130-7
税込価格:968円
頁数・縦:221p・18cm
 
 目次で紹介した以外の主なトピックは……。
《第1章》
 太陽フレア対策/アポロ計画・アルテミス計画/中国が月の新鉱物を発見/確認された太陽系外惑星が5000個超に
《第2]章》
 日本人の睡眠傾向とリスク/がん細胞だけ攻撃する免疫細胞/世界で進む「糞便移植」/ブタからヒトへの心臓移植《第3章》
 世界最大「謎」のカットダイヤモンド/飽和潜水法とはなにか/花見に迫る危機/国内唯一の地質時代名「チバニアン」
《第4章》
 生魚の寄生虫アニサキスの対策法/サイボーグ・ゴキブリが災害救助?/イルカの知られざる一面/『鬼滅の刃』に登場する「青い彼岸花」の秘密
《第5章》
 AI鑑定とルーベンス作品の真贋論争/音楽と科学の深い関係/核融合エネルギーの開発状況/未来予想図の答え合わせ
 
【目次】
第1章 宇宙
 スペシャル・インタビュー 宇宙飛行士・若田光一さんに聞く宇宙視点のSDGs「宇宙船地球号は大きくて、我々は楽観視してきた」
 「最悪シナリオ」を検討
 太陽フレア対策に日本政府も本腰
  ほか
第2章 医療
 5類引き下げになった新型コロナウイルス感染症のこれまでとこれから
 コロナワクチンと同じmRNA技術を用いたインフルエンザワクチンが開発される
  ほか
第3章 地球・環境
 「ガイア理論」のラブロック博士が死去―改めて功績を振り返る
 地球内核の回転スピードが落ちている?自転と「うるう秒」の謎にも関連
  ほか
第4章 生物
 両親がオスの赤ちゃんマウス誕生 幅広い応用と研究の意義、問題点を整理する
 オスだけ殺すタンパク質「Oscar(オス狩る)」のメカニズムが解明される
  ほか
第5章 アートとテクノロジー
 誤情報も流暢に作成する対話型AI「ChatGPT」の科学への応用と危険性
 人類滅亡まであと90秒!「世界終末時計」の歴史と問題点
  ほか
 
【著者】
茜 灯里 (アカネ アカリ)
 作家・科学ジャーナリスト/博士(理学)・獣医師。東京生まれ。東京大学理学部地球惑星物理学科卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。東京大学農学部獣医学課程卒業。朝日新聞記者を経て、東京大学、立命館大学などで教鞭をとる。著書に第24回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作『馬疫』(2021年、光文社)など。
 
【抜書】
●鉱物(p39)
 鉱物とは、大雑把に言えば「1種類だけでできている石」。自然界に存在する物質のうち地質作用で作られるもので、ほぼ一定の化学組成と結晶構造を持つ無生物の均一物質。国際鉱物学連合(IMA)の新鉱物・命名・分類委員会(CNMNC)に申請を行い、審査を通過したもの。申請の内容は、世界各地から選ばれた約40名の鉱物学者が2カ月ほどかけて厳しい審査を行う。最終的に、過半数の委員が参加した投票で三分の二以上の賛成を得られると新鉱物として認定される。
 現在、5,000種以上が知られている。「石ころ」は、通常は複数の種類の鉱物でできていて、「岩石」と呼ばれる。
 新鉱物の名前は、多くの場合、過去の著名な鉱物学者や申請者の恩師、最初に見つかった場所の地名に由来する。1974年に新鉱物として認定された「杉石(Sugilite)」は、分析した山口大学名誉教授の村上允英博士らの恩師の杉健一博士に由来。
 「鉱物学者の夢の一つは、優秀な弟子を育てて新鉱物に自分の名前を付けてもらうこと」。
 
●FMT(p84)
 糞便微生物移植(Fecal Microbiota Transplantation)。腸内細菌叢移植とも。
 2022年11月、オーストラリアの医薬品・医療機器の管轄機関である保健省薬品・医薬品行政局が承認。
 日本でも、保険適用外(自由診療)で臨床応用が始まっている。「便バンク」の整備も進んでいる。
 
●UTC(p107)
 うるう秒は、1972年第1回から2017年の第27回までは、1月1日か7月1日の午前9時(日本時間)の前に午前8時60秒を特別に設けて、1秒足して行われた。
 うるう秒……地球の回転速度にはムラがあり、1日の長さは一定ではない。「地球が1回転するのにかかる時間(1日)」について、原子時計を基準とする高精度な測定時間(協定世界時:UTC)と、天体観測による従来の24時間(世界時、UT1)の差が、0.9秒を上回ったり下回ったりした際に、協定世界時にプラス/マイナス1秒して補正する。
 
●大気圧潜水服(p122)
 飽和潜水より安全と考えられる「次世代潜水」。
 身体を1気圧に保てる金属製の装甲服で覆い、推進装置のついた「コンパクトな一人用潜水艦」。最大700mまでの深さに何時間も潜れる。
 減圧する必要もなく、飽和潜水で用いる呼吸用の混合ガスも使用しないため、窒素中毒、酸素中毒、減圧症、高圧神経症候群などの危険性はほとんどない。
 飽和潜水……体内への気体の溶け込みは、ある一定量(飽和)を超えるとそれ以上は行われない。あらかじめ体内にヘリウムなどの不活性ガスを飽和状態になるまで吸収させておく。水深100m以深でも安全に潜水できる(スクーバダイビングの潜水限界は50~60m)。潜水前に船上にある加圧タンクに入り、深海の高い圧力をかけた状態で一定時間を過ごす。次に潜水用のカプセル(水中エレベータ)で加圧したまま降下し、目的の深さで外に出る。作業後は再び加圧タンクに入り、水深120mなら1週間ほどかけて少しずつ圧力を減らして身体をもとの状態に戻す。(p120)
 
●染井吉野(p126)
 染井吉野は、日本全国に接ぎ木で広がった特定の栽培品種の名前。成長が速いため、年輪が疎になりがちで、樹木の強度が低い。
 染井吉野60年説……樹齢30~40年が樹勢のピークで、50年を超えると幹の内側が腐り、約60年で寿命を迎える、という説。もともと病気に弱い品種。
 ソメイヨシノは、オオシマザクラとエドヒガンの種間雑種全体の名称。花とともに赤色の葉をつけるヤマザクラとは異なり、花の時期には葉を付けない。花は大きく、成長スピードは速く、枝が横に広がる。明治以降に急速に広まる。
 
●休眠打破(p128)
 桜の花芽(蕾)は、前年の夏に作られ、冬の前に成長を止めて休眠状態になる。その後、冬に一定期間の低温(概ね3~10℃)にさらされると休眠から目覚め(休眠打破)、そこからは気温の上昇とともに成長する。
 休眠打破のために必要な低温期間が足りないと、開花は遅れる。そのため、2020年以降、九州では4年連続で北部から南部に桜前線が進む逆転現象が起きている。
 2100年には、東北地方では染井吉野の開花が2~3週間早まり、九州などでは1~2週間遅くなる。すなわち、3月末ごろに九州から東北まで、「染井吉野」が一斉に開花する? さらに種子島や鹿児島の一部では開花しない。
 
●別府湾(p133)
 地質年代表に、「アキタニアン」がある。新生代新第三紀中新世、2303~2044万年前。秋田県ではなく、フランスのアキテーヌ地方にちなむ命名。
 国際地質科学連合は、20世紀半ば以降を「人新世」とすることを検討中。別府湾(ベップワニアン)がGSSP(国際標準模式地)の候補になっていたが、2023年7月、落選。
 
●黄色い花(p173)
 ミツバチは、紫外線からオレンジ色まで見ることができるが、赤は見えない。最も見やすい色は黄色。
 赤い花にはアゲハチョウが集まりやすく、白い花は多くの昆虫に見えやすい。
 植物の花の色は、3種類の色素の組み合わせ。
 フラボン類……無色から薄い黄色。
 カロチン類……黄色やオレンジ色。
 アントシアニン類……赤色や青色、紫色。
 白い花は本来無色。花びらのなかに空気の小さな泡をたくさん含んでいて、光が当たると散乱してビールの泡のように白く見える。
 
(2024/2/26)NM
 
〈この本の詳細〉


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

京都 未完の産業都市のゆくえ
 [歴史・地理・民俗]

京都―未完の産業都市のゆくえ―(新潮選書)
 
有賀健/著
出版社名:新潮社(新潮選書)
出版年月:2023年9月
ISBNコード:978-4-10-603901-0
税込価格:1,925円
頁数・縦:286p・20cm
 
 現代の京都という都市を、産業と独特な町衆の社会という視点で経済的に読み解く。
 
【目次】
序章
第1章 京都の経済地理
第2章 京都の町と社会
第3章 京都の町の変容と人口移動
第4章 ゆりかご都市京都
第5章 住む町京都
第6章 観る町京都
終章
 
【著者】
有賀 健 (アリガ ケン)
 1950年、兵庫県尼崎市生まれ。京都大学経済学部卒。イェール大学経済学博士(Ph.D.)、京都大学名誉教授。専門は労働経済学を中心とした応用経済学。
 
【抜書】
●町衆(p29)
 京都の町衆とは、中小の自営業者とその家族。祇園祭は言うまでもなく、中世末期から江戸期以降、町の自治組織の中心。近世以降の京都の歴史と伝統の体現者。
 本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳などの琳派はいずれも京都の上層町衆だった。伊藤若冲も、錦小路の青物問屋「枡源」の長男。40歳に隠居して絵に専念。
 〔京都の近代化の道筋は、京都の町の中心が町衆であり続けたことに決定的な影響を受けている。〕
 
●西陣、友禅(p40)
 西陣織……先染めされた様々な色合いの絹糸の織り込みで模様を作る絹地。呉服や帯となる絹織物。
 友禅……後染め。絹の白地に染付によって模様を描くもの。
 絹織物は、安土桃山期に中国の絹織物や絹糸・絹布の輸入代替として京都や長崎で発展した。西陣が絹織物産地として国内市場で優越的な地位を確保したのは、当初、中国からの絹糸・絹布の輸入割当で優位を持ったことに求められる。江戸中期以降、国内での蚕・絹糸の生産が本格化するにつれて、西陣職人の移動などを通じ、博多、桐生、丹後、長浜などでも生産が始まった。
 
●番組(p45)
 現在では「元学区」と呼ばれ、京都の地域社会の基礎単位といえる役割を担う。
 明治期の義務化される前の小学校建設は、京都市では市民レベルの寄金と努力によって実現した。当時の小学校の通学地域を「番組」と呼んだ。
 一つの番組はおよそ27程度の町からなり、上京、下京それぞれ30あまり、計65の番組小学校を建設した。小川元学区、明倫元学区、など。地域の区割りは、町が街路や街路の交差点で区切られず、交差点から対角線方向に境界が設けられている。「菱形町」と呼ばれ、京都の中心部の町が、特定の通りに面する町家から形成されていることを示している。また、通りを挟んだ両側の家屋で形成された町を「両側町」と呼ぶ。(p72)
 
●田の字地区(p64)
 京都の中心部。北を御池通、南を五条、東を河原町通、西を堀川通に囲まれた地域。
 この地区の住民こそ、京の町衆の代表であり、京都の政治・社会の動向に決定的な影響を与えてきた人々。
 
●高速道路(p188)
 京都において郊外の発展が遅れた理由の一つは、高度成長期以降、都市型交通インフラの整備が遅れたこと。
 京都は、現在でも市内中心部に高速道路がない唯一の大都市。都市鉄道網の整備も、京阪鴨東線〈おうとうせん〉(1989年、三条から出町柳まで延伸)と市営地下鉄2線以外は進んでいない。四条以北の市内交通は依然として市バスに依存している。
 
●オランダ病(p213)
 資源セクターなど特定の産業の競争力が飛躍的に高くなることで、自国通貨の高騰をもたらし、それ以外の産業の国際競争力に大きなマイナスとなること。
 1970年代後半、北海油田の開発が本格化した時期に、Max Cordenをはじめとする経済学者が提唱した。
 当時、北海油田開発により大きな利益を得たオランダにおいて、貿易収支の劇的な改善により、自国通貨の為替レートが高騰した。それにより、オランダの他産業の国際競争力が低下し、かえってオランダ経済にマイナスの影響を与えた。
 京都では、観光がオランダ病のような現象をもたらした。観光化によって地価や地代が高騰し、他の産業がこの都市から次第に駆逐されていった。
 
(2024/2/26)NM
 
〈この本の詳細〉


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

人新世の「資本論」
 [社会・政治・時事]

人新世の「資本論」 (集英社新書)
 
斎藤幸平/著
出版社名:集英社(集英社新書 1035)
出版年月:2020年9月
ISBNコード:978-4-08-721135-1
税込価格:1,122円
頁数・縦:375p・18cm
 
 マルクス『資本論』の新解釈(MEGA)をもとに、気候変動に直面する資本主義の問題点を論じ、社会システムの転換を問う。資本主義から抜け出し、脱成長を実現することで「ラディカルな潤沢さ」が得られると説く(p353)。
 
【目次】
はじめに―SDGsは「大衆のアヘン」である!
第1章 気候変動と帝国的生活様式
第2章 気候ケインズ主義の限界
第3章 資本主義システムでの脱成長を撃つ
第4章 「人新世」のマルクス
第5章 加速主義という現実逃避
第6章 欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム
第7章 脱成長コミュニズムが世界を救う
第8章 気候正義という「梃子」
おわりに―歴史を終わらせないために
 
【著者】
斎藤 幸平 (サイトウ コウヘイ)
 1987年生まれ。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。Karl Marx's Ecosocialism: Capital, Nature, and the Unfinished Critique of Political Economy(邦訳『大洪水の前に』)によって、権威ある「ドイッチャー記念賞」を歴代最年少で受賞。
 
【抜書】
●帝国的生活様式(p27)
 ドイツの社会学者ウルリッヒ・ブラントとマルクス・ヴィッセン。
 グローバル・サウスからの資源やエネルギーの収奪に基づいた先進国のライフスタイルを「帝国的生活様式」(imperiale Lebensweise)と呼んでいる。
 
●オランダの誤謬(p36)
 国際的な環境破壊の転嫁を無視して、先進国が経済成長と技術開発によって環境問題を解決したと思い込むこと。
 
●経済学者(p38)
 「指数関数的な成長が、有限な世界において永遠に続くと信じているのは、正気を失っている人か、経済学者か、どちらかだ」。
 経済学者ケネス・E・ボールディング。
 
●ジェヴォンズのパラドックス(p75)
 世界中で再生可能エネルギーへの投資が増えている一方、化石燃料の消費は減っていない。
 19世紀の経済学者ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ『石炭問題』(1865年)で提起された逆説。
 当時イギリスでは、技術革新によって石炭をより効率的に利用できるようになっていた。それでも石炭の使用量が減ることはなかった。むしろ、石炭の低廉化によって、それまで以上に様々な部門で石炭が使われるようになり、消費量が増加していった。
 効率化すれば環境負荷が減るという一般的な想定とは異なり、技術進歩が環境負荷を増やしてしまう。
 
●コバルト(p84)
 コバルトは、リチウムイオン電池に不可欠の物質。
 コバルトの約6割がコンゴ民主共和国で採掘されている。アフリカで最も貧しく、政治的・社会的にも不安定な国。
 採掘方法は、地層に埋まっているコバルトを重機や人力で掘り起こすという単純なもの。世界中の需要を賄うための大規模な発掘とそのさらなる拡大が、コンゴで、水質汚染や農作物汚染といった環境破壊、景観破壊を引き起こしている。
 さらに、奴隷労働や児童労働が問題となっている。
 
●NET(p91)
 ネガティブ・エミッション・テクノロジー。
 二酸化炭素の排出量の削減が難しいのなら、大気中から二酸化炭素を除去する技術を開発しようというもの。こうした技術は排出量をネガティブ(マイナス)にする。
 しかし、NETの実現可能性は不確かであり、実現しても大きな副作用が予想される。
 
●ドーナツ経済(p103)
 政治経済学者ケイト・ラワース。ドーナツの内縁は「社会的な土台」、外縁は「環境的な上限」。人間の活動をドーナツの幅の中で収めるのが、人類にとって安全で公正な状態。
 水や所得、教育などの「社会的な土台」が不十分な状態で生活をしている限り、人間は繫栄することができない。
 
●四つの選択肢(p113)
 権力の強い/弱い、平等/不平等を基準に、四つの未来の選択肢を設定。
 ① 気候ファシズム……権力 強い、不平等。資本主義と経済成長にしがみつく。一部の超富裕層のみが利益を得る。特権階級の利害関心を守ろうとし、その秩序を脅かす環境弱者・難民を厳しく取り締まろうとする。
 ② 野蛮状態……権力 弱い、不平等。環境難民が増え、超富裕層1%とその他99%の力の戦いで、強権的な統治体制が崩壊、世界は混乱に陥る。
 ③ 気候毛沢東主義……権力 強い、平等。野蛮状態を避けるために「1%対99%」の対立を緩和しながら、トップダウン型の気候変動対策を行う。自由市場や自由民主主義の概念を捨てて、中央集権的な独裁国家が成立。
 ④ X(エックス)……権力 弱い、平等。強い国家に依存しないで、民主主義的な相互扶助の実践を、人々が自発的に展開し、気候危機に取り組む。公正で、持続可能な未来社会。
 
●MEGA(p147)
 新しい『マルクス・エンゲルス全集』の刊行プロジェクト。国際的なプロジェクトで、世界各国の研究者たちが参加。最終的には100巻を超える。
 大月書店版には収録されなかった『資本論』の草稿やマルクスの書いた新聞記事、手紙なども収録。新資料も含めて、マルクスとエンゲルスが書き残したものを網羅して、すべてを出版することを目指している。
 注目すべきはマルクスの「研究ノート」。『資本論』に取り込まれなかったアイデアや葛藤も刻まれている。MEGAの第四部門として全32巻で初めて公開される。
 新しい『資本論』の解釈も可能に。
 
●定常型経済(p192)
 ゲルマン民族のマルク共同体や、ロシアのミール。これらの共同体では、同じような生産を伝統に基づいて繰り返している。つまり、経済成長をしない循環型の「定常型経済」であった。
 
●気候市民議会(p216)
 フランスのマクロン大統領は、2019年1月に「国民大論争」を実施することを発表。全国の自治体で1万ほどの集会が開かれ、16,000もの案が提出された。
 さらにマクロンは同年4月に、「気候市民会議」の開催を発表した。150人規模の市民会議。メンバーは、年齢・学歴・性別・居住地などを考慮してくじ引きで選ばれる。2030年までの温室効果ガス40%削減(1990年比)に向けての対策案の作成が、市民会議に任せられた。
 2020年6月21日、ボルヌ環境相に、気候変動防止対策として約150の案を提出した。
  
●本源的蓄積(p236)
 一般に、主に16世紀と18世紀にイングランドで行われた「囲い込み(エンクロージャー)」のことを指す。共同管理がなされていた農地などから農民を強制的に締め出した。
 
●世界第三の産業(p257)
 マーケティング産業は、食糧、エネルギーに次いで世界第三の産業になっている。
 〔商品価格に占めるパッケージングの費用は10~40%といわれており、化粧品の場合、商品そのものを作るよりも、3倍もの費用をかけている場合もあるという。そして、魅力的なパッケージ・デザインのために、大量のプラスチックが使い捨てられる。だが、商品そのものの「使用価値」は、結局、なにも変わらないのである。〕
 
●〈市民〉営化(p259)
 電力の管理を市民が取り戻す。市民が参加しやすく、持続可能なエネルギーの管理方法を生み出す実践が「コモン」。市民電力やエネルギー協同組合による再生可能エネルギーの普及。
 「民営化」をもじって「〈市民〉営化」と呼ぶ。
 
●ラディカルな潤沢さ(p269)
 経済人類学者ジェイソン・ヒッケル。
 「緊縮は成長を生み出すために希少性を求める一方で、脱成長は成長を不要にするために潤沢さを求める」。
〔 もう新自由主義には、終止符を打つべきだ。必要なのは、「反緊縮」である。だが、単に貨幣を撒くだけでは、新自由主義には対抗できても、資本主義に終止符を打つことはできない。
 資本主義の人工的希少性に対する対抗策が、〈コモン〉復権による「ラディカルな潤沢さ」の再建である。これこそ、脱成長コミュニズムが目指す「反緊縮」なのだ。〕
 
●エネルギー収支比(p305)
 EROEI。エネルギー投資比率。
 一単位のエネルギーを使って何単位のエネルギーが得られるかという指標。
 1930年代の原油は、1単位のエネルギーを使って100単位のエネルギーを得ることができた。その後、原油のエネルギー収支比は低下を続け、現在は10単位。採掘しやすい場所の原油を掘りつくしたため。
 ただし、太陽光は2.5~4.7、トウモロコシのエタノールは1に近い。
 
●排出の罠(p306)
 脱炭素社会に移行していく場合、エネルギー収支比の高い化石燃料を手放し、再生可能エネルギーに切り替えていくしかない。しかし、エネルギー収支比率の低下によって、経済成長は困難になる。これが、「排出の罠(emissions trap)」。
 
●ブルシット・ジョブ(p315)
 デヴィッド・グレーバーが指摘するように、世の中には無意味な「ブルシット・ジョブ(クソくだらない仕事)」が溢れている。
 仕事に従事している本人さえも、自分の仕事がなくなっても社会に何の問題もないと感じている。現在高給を取っている、マーケティングや広告、コンサルティング、金融業や保険業など。重要そうに見えても、社会の再生産そのものにはほとんど役に立っていない。「使用価値」をほとんど生み出さない。
 一方で、社会の再生産に必須な「エッセンシャル・ワーク」(「使用価値」が高いものを生み出す労働)が低賃金で、恒常的な人手不足になっている。
〔 だからこそ、「使用価値」を重視する社会への移行が必要となる。それは、エッセンシャル・ワークが、きちんと評価される社会である。
 これは、地球環境にとっても望ましい。ケア労働は社会的に有用なだけでなく、低炭素で、低資源使用なのだ。経済成長を至上目的にしないなら、男性中心型の製造業重視から脱却し、労働集約型のケア労働を重視する道が開ける。そして、これは、エネルギー収支比が低下していく時代にもふさわしい、労働のあり方である。〕
 
●フィアレス・シティ(p238)
 国家が押し付ける新自由主義的な政策に反旗を翻す革新的な地方自治。国家に対しても、グローバル企業に対しても恐れずに、住民のために行動することを目指す都市。
 「気候非常事態宣言」を出したバルセロナが先駆。Airbnbの営業日数を規制したアムステルダムやパリ、グローバル企業の製品を学校給食から閉め出したグルノーブル、など。様々な都市や市民が連携し、知恵を交換しながら新しい社会を作り出そうとしている。
 
●社会連帯経済(p334)
 スペインは、もともと協同組合が盛んな土地柄。とりわけバルセロナは、「ワーカーズ・コープ」、生活協同組合、共済組合、有機農産物消費グループなどが多数活動している。「社会連帯経済」の中心地として名高い。
 社会連帯経済が、同市内の雇用の8%にあたる5万3000人の雇用を生み出し、市内総生産の7%を占める。
 
●気候正義、食料主権(p336)
 気候正義(climate justice)……気候変動を引き起こしたのは先進国の富裕層だが、その被害を受けるのは化石燃料をあまり使ってこなかったグローバル・サウスの人々と将来世代。その不公正を解消し、気候変動を止めるべきだという認識。
 食料主権……農業を自分たちの手に取り戻し、自分たちで自治管理すること。これは生きるための当然の要求である。
 
●3.5%(p362)
 ハーヴァード大学の政治学者エリカ・チェノウェスらの研究。
 3.5%の人々が非暴力的な方法で、本気で立ち上がると、社会が大きく変わる。
 フィリピンのマルコス独裁を打破した「ピープルパワー革命」(1986年)、エドアルドオ・シュワルナゼ大統領を辞任に追い込んだグルジアの「バラ革命」(2003年)、など。
 
(2024/2/15)NM
 
〈この本の詳細〉


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

世界史の中のヤバい女たち
 [歴史・地理・民俗]

世界史の中のヤバい女たち (新潮新書)
 
黒澤はゆま/著
出版社名:新潮社(新潮新書 996)
出版年月:2023年5月
ISBNコード:978-4-10-610996-6
税込価格:858円
頁数・縦:206p・18cm
 
 世界史であまり語られることのない、強い女たち10人の列伝。
 
【目次】
第1章 すべての女性が望むことは―魔女ラグネルの結婚
第2章 アステカ王国を滅ぼした女―神の通訳マリンチェ
第3章 男を犯して子をなす―女戦士部族アマゾーン
第4章 早馬を駆る―女騎手・すみとスミス
第5章 戦場の女―ジャンヌ・ダルクの百年戦争
第6章 女性として根絶できない部分―独ソ戦と女性兵士たち
第7章 敵はとことんやっつけるもの―ウクライナの聖人オリハ
第8章 残忍な女戦士―偉大な女王ンジンガ
第9章 苦しむ人のために戦い抜く―冷徹な天使ナイチンゲール
第10章 非情剛毅を貫いた皇后―中国三大悪女・呂后
 
【著者】
黒澤 はゆま (クロサワ ハユマ)
 1979(昭和54)年宮崎県生まれ。歴史小説家。作家エージェント、アップルシード・エージェンシー所属。
 
【抜書】
●マリンチェ(p29)
 1502年、南米アステカのパイナラという街の首長を父に生まれた。
 幼い頃に父親が死に、別の男と再婚した母に疎まれ、隣国マヤのタバスコ州に奴隷として売れらた。〔カカオ色の滑らかな肌、砂糖菓子のようにきらめく歯、黒いダイヤみたく光り輝く目。アステカ人が好んだ比喩を使わせてもらえば、コンゴウインコのように美しい少女だった。〕
 やがてタバスコ王の目に留まり、王の妾になる。王は、つまらない醜い男だった。
 マリンチェは、アステカの神話ケツァルコアトルが戻ってくることを信じていた。17歳だった1519年、白い肌の男たち、エルナン・コルテスたちがやって来た。タバスコ王の差しだした20人の娘たちのなかに、マリンチェも入っていた。
 マリンチェは、コルテスたちをアステカへと導いた。スペイン語を習得し、「神の通訳」としてスペイン人がアステカ人の国を征服するのを助けた。彼女を通じて厳かに掲示される神の言葉はただ一つ。「みんな死ね」。
 アステカの王は、モクテスマ2世。王から1トンもの黄金を言葉巧みにだまし取り、王を自分たちのもとに軟禁し、人質とした。やがて王国中の富は、スペイン人に献納されるようになった。
 スペイン人たちは、一時は若き英雄クアウテモックによる反乱でテノチティトランを追われたが、1521年8月、南米に覇を唱え、30万人の人口を抱え、世界で最も偉大な都市だったテノチティトランは陥落、スペイン人たちが支配者となる。
 マリンチェは、コルテスの子ども、史上初めてのメスチーソ(征服者と被征服者との混血)を生み、母親とも和解し、1527年、25歳の若さでキリスト教徒として死んだ。
 
●サルマタイ(p40)
 サルマタイ人は、他の遊牧民スキタイ族を父に、アマゾーンを母に生まれた民族。BC700年頃、黒海付近を駆け回っていた遊牧民。ヘロドトスによる。
 アマゾーンの一部はギリシャとの戦いに敗れた際、奴隷として船でギリシャに連れ去られそうになったが、反乱を起こし乗員全員を皆殺しに。しかし、操船のやり方を知らなかったために嵐に遭って国会の北岸に漂着。そこでスキタイの若者に求婚され、新しい民族を作った。
 
●素人(p70)
 ナポレオンの言葉。「女と戦争は素人こそ恐ろしい」
 
●ジル・ド・レ(p74)
 貴公子ジル・ド・レは、ジャンヌ・ダルクの大親友だった。
 ジャンヌが火刑になった24年後、ジャンヌに下された異端の判決を無効とするための復権裁判が開かれた。
 しかし、ジル・ド・レはこの法廷に駆けつけることができなかった。ジャンヌが火刑になったことをショックに精神を病み、1440年に火あぶりにされていた。数百人の少年に対する猟奇的な殺人のため。この出来事をもとに「青髭」の物語ができた。
 
●インバンガラ(p115)
 アフリカで拠点を定めずに移動を常とする武装集団。
 キロンボと呼ばれる戦闘キャンプのなかで生活を営む。成員は血縁関係ではなく、イニシエーション(通過儀礼)で結ばれている。キロンボ内で生まれた子供は殺害され、戦争で子供をさらうことによって人口を増やしていた。
 起源は、戦争で生まれた不幸な年少の難民たちの群れか?
 アンゴラの女王ンジンガ(1583-1663)は、インバンガラと手を組んでポルトガル人たちに対抗していた。
 
(2024/2/14)NM
 
〈この本の詳細〉


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:

伊勢神宮と出雲大社 「日本」と「天皇」の誕生
 [歴史・地理・民俗]

伊勢神宮と出雲大社 「日本」と「天皇」の誕生 (講談社学術文庫)
 
新谷尚紀/〔著〕
出版社名:講談社(講談社学術文庫 2602)
出版年月:2020年2月
ISBNコード:978-4-06-518534-6
税込価格:1,155円
頁数・縦:257p・15cm
 
 伊勢神宮と出雲大社を対比し、天武・持統朝ですすめられた超越神聖王権について論じる。
 
【目次】
第1章 伊勢神宮の創祀
 従来の学説と、神宮創祀の基本史料
 「神話と歴史」の構成
 歴史の中の伊勢神宮
第2章 “外部”としての出雲
 王権のミソロジー(神話論理学)
 出雲世界の歴史と伝承
 祭祀王としての天皇
 出雲の地位の変化
第3章 祭祀王と鎮魂祭
 新嘗祭と大嘗祭
 鎮魂祭の歴史
 鎮魂祭の解釈
終章 “日本”誕生への三段階
 
【著者】
新谷 尚紀 (シンタニ タカノリ)
 1948年広島県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程単位取得。現在、國學院大學大学院客員教授、国立総合研究大学院大学・国立歴史民俗博物館名誉教授。社会学博士。
 
【抜書】
●推古朝(p50)
 ① 記紀の三貴神の誕生と領有分担の神話の成立は推古朝よりも後であった可能性が大。
 ② 『古事記』の記す須佐之男命の八俣遠呂智退治神話の中の箸のモチーフは推古朝より後の時代のものである。
 ③ 当時の推古朝の王権には自らの国を日昇の国、太陽の昇る国であるとの意識が存在した。
 ④ 隋との交流により前代までの政治や服飾の習慣が改められ開明化がすすめられることになった。
 ⑤ 仏教文化と半島外交を掌握していた蘇我馬子に対して、新たに、隋との国交により仏教文化や国家的な諸制度や文物などの導入を直接はかろうとした厩戸皇子との間に微妙な対立関係をはらみながら、大王家の権威の確立への努力がはかられた。
 
●祭る天皇(p90)
〔 以上の四点からみて、この持統朝において祭祀が整備されていったこと、天皇(持統天皇)の神聖性が強調されてきたこと、「祈る天武」から「祭る持統」へと神祇祭祀の整備が進んだこと、などがわかる。つまり、伊勢神宮の祭祀は天武朝に本格的に始まり持統朝にその整備が進んだのである。それは新益京の造営と不可分の事業であり、政治の中核としての都城の造営と、神祇祭祀の中核としての伊勢神宮の造営とは、対をなす古代王権の基礎構築であったと考えられる。政治的な律令制と都城制に対応するのが宗教的な「神祇制と官寺制」であり、その神祇制の中核としての伊勢神宮の造営であったと位置づけられるのである。〕
 
●天照大神=持統天皇(p91)
 天照大神という皇祖神のイメージ形成と、伊勢神宮の造営は、天武・持統朝で行われた。
 天照大神のモデルとなったのは、持統天皇であった。
 ① 諡号……『日本書紀』(720年)、高天原広野姫天皇〈たかまのはらひろのひめのすめらみこと〉。『続日本紀』「大宝3年(703年)12月17日条」には、大倭根子天之広野日女尊〈おおやまとねこあめのひろのひめのみこと〉とある。ヤマトネコの諡号は、文武、元明、元正にも継続された実体性のある諡号。高天原広野姫天皇へと改定された703年~720年の17年間が、記紀の天照大神を中心とする高天原神話の最終的な形成期であった。
 ② 皇孫と神勅……天照大神と皇孫瓊瓊杵尊の関係は、持統天皇と文武天皇の関係を投影しており、「天壌無窮」の神勅はいわゆる「不改常典」の詔を反映している。
 ③ 儀礼……持統天皇の即位式において「公卿百寮〈まへつきみつかさつかさ〉、羅列〈つらな〉りて匝〈あまね〉く仰ぎみたてまつりて手拍〈てう〉つ」とあるが、拍手の作法は、これ以後の天皇の即位式のモデルとなった。『延喜式』践祚大嘗祭式においては「五位以上、共起就中庭版位跪、拍手四度、度別八遍。神語所謂八開手是也」とある。この「八開手〈やひらて〉」の拍手の儀礼は、現在でも伊勢神宮の神職の間で継承されている「八度拝〈はちどはい〉」と呼ばれる正式な拍手の作法に通じるものである。
 
●中国の史書(p105)
 中国の史書に現れる古代日本の王。
 『漢書地理誌』……BC1世紀ごろ、百余国分立。小国における王の存在。
 『後漢書東夷伝』……AD57年に遣使した委の奴国王、107年に遣使した倭国王帥升〈すいしょう〉(まだ倭国の統一が達成されていたとは考えられず、一小国の王とみる説が有力)。
 『三国志 魏書 東夷伝倭人条』……239年に遣使して「親魏倭王」の称号を受けた邪馬台国の女王卑弥呼。
 空白の4世紀。
 『宋書倭国伝』421~478年に相次いで遣使し、「安東将軍倭国王」などの称号を授けられた讃(応神または仁徳または履中)、珍(仁徳または反正)、済(允恭)、興(安康)、武(雄略)の、倭の五王。小国から統一王朝への転換。
 
●東出雲(p142)
 6世紀の東出雲の古墳から、単龍環頭大刀、双龍環頭大刀、三葉文環頭大刀など、中国・朝鮮系の大陸風飾大刀〈かざりたち〉が出土、蘇我氏との関係が窺われる。隠岐の島前〈とうぜん〉地域の立石〈たていし〉古墳でも、双龍環頭大刀が副葬されており、蘇我氏との関係が推定される。
 また、松江市南郊の有〈あり〉古墳群の中の岡田山1号墳から「額田部臣」の銘文入りの大刀が出土。額田部皇女(ぬかたべのひめみこ、推古天皇)の部民が設置されていた。
 
●神祇祭祀(p149)
 出雲古代の祭祀の三段階。
 青銅器祭祀……弥生時代前期~中葉。1世紀中葉に消滅。銅剣・銅矛・銅鐸の神秘性、精霊崇拝的な自然霊への信仰。神庭荒神谷遺跡や加茂岩遺跡から出土した夥しい銅剣・銅矛・銅鐸。アニマイズム(精霊イズム=精霊崇拝)。
 首長墓祭祀……弥生後期から古墳時代。6世紀中葉に頂点から終焉へ。首長の身体と霊魂に対する同次元的な畏怖と祭祀の段階。キングイズム(武王イズム=巫王・武王崇拝)。
 神祇祭祀……6世紀中葉以降。霊魂観念の抽象化と象徴化。ゴッドイズム(神祇イズム=神祇崇拝)。
 
●超越神聖王権(p166)
〔 世俗王権と祭祀王権とを合体した超越神聖王権をめざした大和の天武と持統の王権が必要としたのは、大陸や半島に向かう出雲という一種の辺境世界、つまり境界世界にあって、自然信仰的な霊威力を豊かに蓄積し伝承していた出雲の王権の祭祀王としての属性であった。天武の大和王権が、世俗王としてのみならず、祭祀王としての属性をも身に帯し、かつ両者の属性を一身に享けた超越神聖王をめざしたとき、必要であったのが、前述のように「内なる伊勢と外なる出雲」という東西の両端の象徴的霊威的存在であった。この東西の両者は大和の王権にとって、東-西、朝日-夕日、太陽-龍蛇、陽-陰、陸-海、現世(顕世)-他界(幽世)、という対称性のコスモロジーの中に位置づけられるすぐれて宗教イデオロギー的な存在であった。それはまさに、〈内部〉としての伊勢、〈外部〉としての出雲、という対照的な位置づけであった。そしてそれは、北極星を背に負い北斗七星をもって運行の気を占い、青龍・白虎に朱雀・玄武という東西南北に四神を配する中国王朝の天子南面の南北軸中心のコスモロジーとは別の、太陽の運行観測と海上他界観念とを基盤として日本の古代王権が独自に想定していった東西軸のコスモロジーによるものであった。七世紀末から八世紀初頭にかけて成立した大和の超越神聖王権とは、このように、〈外部〉としての出雲、の存在を必要不可欠とした王権だったのである。〕
 
●肉食(p186)
 古来、7~8世紀までは天皇をはじめ貴族層も肉食を行っていた。この頃の「肉食禁止令」は、仏教の殺生禁断の思想と天皇の病気平癒の祈願による臨時的なもの。
 9~10世紀になると、肉食が禁忌視されるようになった。神祇信仰と神祇祭祀の純化から血穢や死穢の忌避が強調されたものであり、恒常的な行動規範となっていった。〔それは、律令官人から摂関貴族へと転身していった平安貴族たちにとって必然的な変化であり、神聖なる「まつりごと(神祇祭祀と摂関政治)」に奉仕するためには、身体の清浄性こそが必要不可欠と考えられるようなったからであった。〕
 
●清和天皇(p213)
 藤原良房による幼帝清和天皇(858年即位)の擁立こそが、「祭祀王」誕生の画期だった。
 新たに純化された「祭祀王」にとっての最重要の儀式として、鎮魂祭が新たに再編成された可能性が大きい。「祭祀王」天皇の誕生で、〈外部〉としての出雲が必要なくなった。内なる〈外部〉としての摂関や内覧という「世俗王」という装置を作り出した。
 
(2024/2/12)NM
 
〈この本の詳細〉


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

索引 ~の歴史 書物史を変えた大発明
 [ 読書・出版・書店]

索引 ~の歴史 書物史を変えた大発明
 
デニス・ダンカン/著 小野木明恵/訳
出版社名:光文社
出版年月:2023年8月
ISBNコード:978-4-334-10031-5
税込価格:3,520円
頁数・縦:429p・22㎝
 
 索引についての歴史と薀蓄を語る。
 よくぞこれだけ、索引に関するネタを集められたものだ。博覧強記に脱帽。
 そもそも日本の書籍には索引がついていないものが多い。もともと、索引を作る習慣がないのだろう。
 翻って、翻訳書を読みあさり始めたころ、だいたい索引がついていることに驚いた。それに加えて注釈も詳細だ。西欧の本には他の著者からの引用が多いのも、索引のおかげか? 索引学の成果??
  日本にはプロの索引家がいないのかもしれない。いてもごく少数か。なにしろ、「さくいんか」で日本語変換しても、「索引か」は出てきても、「索引家」が出てこない。
 
【目次】
第1章 順序について―アルファベット順の配列
第2章 索引の誕生―説教と教育
第3章 もしそれがなければ、どうなるのだろうか?―ページ番号の奇跡
第4章 地図もしくは領土―試される索引
第5章 いまいましいトーリー党員にわたしの『歴史』の索引を作らせるな!―巻末での小競り合い
第6章 フィクションに索引をつける―ネーミングはいつだって難しかった
第7章 「すべての知識に通ずる鍵」―普遍的な索引
第8章 ルドミッラとロターリア―検索時代における本の索引
結び 読書のアーカイヴ
 
【著者】
ダンカン,デニス (Duncan, Denis)
 マンチェスター大学で英文学を学ぶ。ロンドン大学バークベック校で博士号を取得。2019年より同校の講師。専門は書物史、翻訳、とくにフランス系のアヴァンギャルド作家の研究。フーコー、ボリス・ヴィアン、アルフレッド・ジャリの翻訳もある。
 
小野木明恵 (オノキ アキエ)
 翻訳家。大阪外国語大学英語学科卒業。
 
【抜書】
●カリマコス(p43)
 詩人として有名なカリマコスは、『ピナケス』をつくった。パピルス文書120巻。アレクサンドリア図書館が所蔵するギリシア語文献の大目録。
 ただし、図書館長ではなかったらしい。
 
●末っ子(p70)
 〔結局のところ索引は、単独で登場したのではなく、一三世紀初頭を挟んで前後二、三〇年のあいだに現れた読書のためのさまざまなツールという一家のなかの末っ子なのだ。そして、それらのツールのすべてにはひとつの共通点がある。読書のプロセスを合理化し、本の使い方に新たな効率性をもたらすために作られたという点である。〕
 
●索引の位置(p149)
 15世紀と16世紀の印刷本の多くは、作品本体の前に索引が置かれていた。
 本の後ろの位置への移動が完了したのは、18世紀初頭。
 索引は一般的に、本のほかの部分とは別の折丁に印刷され、通常のアルファベット順の折記号とは異なる記号(アスタリスクなど)が付けられることも多かった。
 
●索引家協会(p163)
 〔歴史や伝記など、近ごろ主流のノンフィクションの本には、ほぼもれなく索引がついている。そしてきちんとした出版社なら、専門家が索引作りをする可能性がとても高い。アメリカ索引協会や、オランダ索引家ネットワーク、オーストラリアおよびニュージーランド索引家協会、カナダ索引協会などの業界団体のメンバーである場合が多いだろう。これらの団体のうちもっとも長い歴史をもつのが一九五七年にイギリスで創設された索引家協会である。設立後まもなく、協会にハロルド・マクミラン首相から手紙が届いた。そこには、協会の発展を祈念する言葉と、索引にかかわるお気に入りの逸話がいくつか記されていた。〕
 マクミランには出版業者の血が流れている。彼の祖父ダニエルは出版社を興した。家名を冠した同社は今でも健在。ハロルド自身も、国会議員になる前も後も、同社に勤務していた。
 
●『ラテン教父全集』(p236)
 1841~1855年、全217巻。3世紀のテルトゥリアヌスから、13世紀初頭の教皇インノケンティウス3世まで、広範囲にわたる数百名の教父たちの著作を収録。
 司祭で出版者でもあるジャック=ポール・ミーニュが、1865年に索引プロジェクトを開始(完成?)、218~221巻の4巻を加える。「50名以上が10年以上にわたり、ひとり当たり年1000フランという低報酬で作業をした」。
 索引目録は231個。作者、題名、出身国、世紀、階層、ジャンル(教訓、聖書解釈、道徳哲学、教会法)、など。
 
●1320年代(p266)
 カトリック教会の記録によれば、1320年代から索引制作に報酬が支払われている。
 
●無名の索引家(p294)
〔 博識で注意深いプロの索引家はわたしたちの前を行き、ヤマをならし地面をふみ固めて道を作り、道しるべに立つ時間の余裕のないわたしたち学徒が、求める一節――引用句やデータ、すなわち知識――へと混乱せずすみやかに到達できるようにしてくれる。一八九〇年代に秘書斡旋所ができてから二〇世紀をつうじて、女性が索引を作成する例がますます増え、今や圧倒的多数を占めている。そして、その前の何世代もの索引家と同様に、こうした女性たちはたいてい無名で、その業績への正当な評価を受けていない。少なくとも本書が、こうした知られざる読者たちの墓にたむける花輪となることを願う。〕
 
(2024/2/7)NM
 
〈この本の詳細〉


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

世界史の中の戦国大名
 [歴史・地理・民俗]

世界史の中の戦国大名 (講談社現代新書)
 
鹿毛敏夫/著
出版社名:講談社(講談社現代新書 2723)
出版年月:2023年10月
ISBNコード:978-4-06-533218-4
税込価格:1,210円
頁数・縦:317p・18cm
 
 遣明船の時代から江戸幕府の鎖国に至るまでの間に、海外、特に東南アジアとの交易に携わった西国の戦国大名たちの足跡を追い、その意義を論じる。
 
【目次】
第1章 「倭寇」となった大名たち―戦国大名と中国
第2章 外交交易対象の転換―対中国から対東南アジアへ
第3章 対ヨーロッパ外交の開始とその影響
第4章 戦国大名領国のコスモポリタン性
第5章 東南アジア貿易豪商の誕生
第6章 日本と世界をつないだ国際人たち
第7章 戦国大名の「世界」と徳川政権の「世界」
 
【著者】
鹿毛 敏夫 (カゲ トシオ)
 1963年生まれ。広島大学文学部史学科卒業、九州大学大学院人文科学府博士後期課程修了。博士(文学)。現在、名古屋学院大学国際文化学部長・教授。専攻は日本中世史、日本対外交渉史。
 
【抜書】
●天正遣欧使節(p13)
 天正10年(1582年)ローマへ。
 巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノと大村純忠、有馬晴信が主導した。大友義鎮(宗麟)の権威を借りて、派遣主体を3名の大名とした。
 教皇やイエズス会総長への書状を偽作してでも、Coninck van BVNGO(豊後王)からの派遣という形式と記録を整え、その王である大友義鎮の名代としての主席正使伊東マンショの派遣を演出する必要があった。
 
●カンボジア、タイ、メキシコ(p20)
 16世紀半ば以降、戦国大名の活動は東南アジアにおよんだ。
 松浦氏はアユタヤ国王への書簡と武具を贈答。大友氏は、1570年代初頭までにカンボジア国王との外交関係の締結に成功した。島津氏は、豊薩合戦以降、軍事的優位に立ち、豊後とカンボジアの通交を遮断し、自らカンボジアとの善隣外交関係を構築しようとした。
 伊達政宗は、メキシコ経由で慶長遣欧使節を派遣した。
 
●BVNGO、Bungo(p39)
 ポルトガルのイエズス会士ルイス・ティセラ(Luis Teixeira)が1595年に作成した日本地図には、本州部分をIAPONIAとし、九州全体をBVNGOと表記していた。
 1610年、オランダの地理学者ペトルス・ベルチウス(Petrus Bertius)が作成したアジア図にも、本州をJapan、九州全体をBungoと記している。
 九州全体を、日本(本州)に並立する「豊後」という国であると錯覚していた。
 
●硫黄(p55)
 宝徳3年(1451年)の遣明船団の積み荷。サルファーラッシュ。
 銅15万4500斤(92.7トン)、硫黄39万7500斤(238.5トン)。
 中国への硫黄の輸出は、10世紀末から確認できる。宋代の中国では、兵器としての火薬の利用が拡大し、黒色火薬の原料として硫黄、硝石、木炭の需要が急増した。宋国内では、硫黄はほとんど産出しなかった。
 
●1571年(p67)
〔 グローバルヒストリーを含めた世界史と日本史における近年の多面的研究の成果によると、一六世紀における歴史の画期は、一五七〇年前後に求める考え方が一般的である。古くはチャールズ・ボクサーが指摘し、一九九〇年代にはデニス・フリンらが主張したように、旧来の個別大陸間の中距離交易に加えて、アジア・ヨーロッパ・アフリカ・アメリカの四大大陸を結ぶ恒常的な海上貿易の連環が完結して、いわゆる「世界貿易」が誕生した一五七一年が大きな画期としてとらえられる。その重要要因は、中国における銀の大量需要である。無論、銀の大流通に共時性の基礎をおく時代認識は、地域によって強度が異なるが、一五七一年前後の世界貿易の活性化は、地域による強さや方向性の相違を超えて相互に比較するに足るレスポンスを生み出している(岸本美緒「銀の大流通と国家統合」)。
 さらに、明代中国史研究においても、海禁と朝貢貿易に伴う厳しい経済統制の維持が困難になった明朝が、一五六〇年代末についに海禁を緩和したことを大きな画期としてとらえ、一五七〇年前後からの東アジア海域が、「互市〈ごし〉」「往市〈おうし〉」などの多様な民間交易の秩序を新たに形成していく過程を、「一五七〇年システム」と称する研究もある(中島楽章「一四~一六世紀、東アジア貿易秩序の変容と再編――朝貢体制から一五七〇年システムへ」)。
 
●実利・対等(p127)
〔 中華とその周辺国の上下関係を前提とした冊封体制とはまったく性格を異にする外交関係が、一六世紀後半という時期に、本来は国を代表する外交権を保持するとは考えがたい「地域国家」の主権者=戦国大名の手によって開拓されたことは一見、奇異に見える。しかしながら、逆に考えれば、かつて室町将軍足利義満や天下人豊臣秀吉らが抜け出すことのできなかった東アジアの伝統的国際秩序を、きわめてシンプルな形で打ち破ることができたのは、古代以来の伝統の呪縛にとらわれる必要がなく、実利・対等を基軸とした新たな二国関係を比較的安易に獲得しやすい彼らの政治的立場と地政学的環境がその要因になっていたのだろう。〕
 
●16世紀半ば~17世紀初頭(p146)
〔 日本の歴史のなかで、一六世紀半ばから一七世紀初頭という時期は、地方社会が世界に直接つながることができた稀有な時代である。それを可能とした要因は、国内においては、戦国時代の政治権力の地域割拠性と自律性、造船や船舶航海技術の進歩、地域での産業と経済の発展であり、また世界においては、環シナ海域(東シナ海域と南シナ海域)レベルでの経済・交易活動の活発化、「大航海時代」を経験した西欧諸国の東アジア到達である。こうした要素のうち、どれか一つでも欠けていたならば、日本列島の地方の都市や町でのコスモポリタン性の萌芽は、二〇世紀末からの現代を待つことになっていたであろう。〕
 
●伊倉(p169)
 肥後国伊倉(熊本県玉名市)に、「肥後四位官郭公墓〈しいかんかくこうぼ〉」と呼ばれる唐人墓がある。16世紀初頭に活躍した「唐人」、朱印船貿易に携わった郭濵沂〈かくひんき〉の墓。海澄県(現在の福建省漳州〈しょうしゅう〉)出身。元和5年(1619年)仲秋(旧暦の8月)に、子息の国珍と国栄が建立。立碑形式の石製墓碑を墳丘の前に立てる中国華南地方の墓地様式。
 このほかにも、伊倉とその周辺には謝振倉〈しゃしんそう〉と林均吾〈りんきんご〉の唐人墓もある。
 伊倉には現在も「唐人町」の地名が残っており、有明海に注ぐ川も「唐人川」と呼ばれている。
 
●豊後の豪商仲屋氏(p205)
 初代仲屋顕通〈けんつう〉、二代目宗越(宗悦)。豊後府内の商人、16世紀半ば、天文年間の九州で第一と称された豪商、政商。豊後の領主大友氏から認められた規格の秤によって、富を築いた。「乾通の遺秤」。
 顕通は、もともと貧しい酒売り商人だった。
 肥後に進出して、豊田荘の中央部を流れる緑川〈みどりがわ〉の流通路を掌握し、川荷駄賃〈かわにだちん〉の利益を得ていた。
 そのほか、①年貢納入の複数年請負契約による米の投資的運用に伴う収益、②地域升の規格差を利用した換算差益、③米と銭の「和市」相場の変動を利用した交換差益、という仕組みで富を築いていった。
 宗越は、大坂・京都・堺にも商業活動の拠点を持っていた。臼杵の唐人町懸〈かけ〉ノ町にも広大な屋敷を有していた。
 カンボジア交易を手掛ける明の貿易商人と取引関係を結び、東南アジア方面の物資を入手していた。
 
●中国の海賊船(p246)
 1547年12月、フランシスコ・ザビエルはマラッカの教会で、アンジロウという人物に出会い、日本という国の存在を知る。ローマのイエズス会員にあてた書簡でそのことを伝えている。
 その中に、中国の海賊に関する記述がある(河野純徳訳『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』)。
 「私は心のうちに私自身が、あるいはイエズス会の誰かが、二年以内に日本へ行くようになるだろうと思います。その渡航はたいへん危険で、大暴風雨に遭いますし、海上には積み荷を盗ろうと往来する中国の海賊船がいますし、〔航海の途中で〕たくさんの船が難破していますけれど、それでも私たちは行きます。」
 
●家康の東南アジア外交(p280)
 初期徳川政権の外交姿勢は、前政権のものとは明らかに異なるものであった。家康は、秀吉の強硬外交政策をあらため、明や朝鮮などとの国交回復交渉を開始した。
 東南アジア諸国(カンボジア、安南、シャム、ルソン《スペイン領フィリピン》)にも親書を送り、外交・貿易関係の復活に成功した。日本国内の戦乱が終結し、朱印を捺した日本船が各国に到着した際には受け入れ、それ以外の船には通商を認めないよう求めた。相手国から日本への渡航を望む人間への往来許可も求めた。
 17世紀に来航したスペイン、オランダ、イギリス各国も歓迎し、日本での貿易を許可したり、朱印船制度によって一定の規制をかけながら日本人の海外渡航・貿易を認めたりした。特に、オランダに対しては、カトリックと敵対する国の商人であることから優遇した。
 
●鎖国=海外貿易の独占(p289)
 元和2年(1616年)、江戸幕府は、中国船を除く外国船の寄港地を平戸と長崎に限定。
 寛永元年(1924年)には、スペイン船の来航を禁じる。
 寛永10年、日本船の海外渡航を、朱印状に加えて老中奉書による渡航許可を受けた船に限定。
 寛永12年(1635年)、日本人の海外渡航と在外日本人の帰国を禁止、さらに500石積み以上の大船の建造禁止令を出す。
 その後、九州各地に訪れていた中国船の入港地を長崎に限定、寛永16年には、ポルトガル船の来航を禁止、寛永18年に平戸のオランダ商館を長崎の出島に移す。
〔 こうしていわゆる江戸時代の「鎖国」の状態が完成し、以後、日本は二〇〇年余りの間、朝鮮国・琉球王国・アイヌ民族・オランダ商館・中国の民間商船に絞った外交交易関係を幕府が管理し、それ以外の海外諸勢力との交渉を閉ざした。また、幕府以外の国内諸大名や民間商人らが外交交易の前面に立つ場をつぶし、幕府が対外関係を一元的に統制する体制を完成させた。この「鎖国」体制によって、幕府は対外貿易を独占することになり、近世日本の地域社会において、産業や経済、文化に与える海外からの影響は制限されることになった。すなわち、江戸幕府による「鎖国」は、消極的に国を閉ざしたのではなく、その半世紀前までの戦国大名が個別に開拓・保持し、その富強化の根源としていた諸外国との外交と貿易の権利を、日本国唯一の統一政権として一元的に管理・統括する、積極的世界戦略だったのである。〕
 
●大友氏改易(p302)
 大友義鎮の跡を継いだ義統〈よしむね〉は、秀吉の偏諱を受けて「吉統」と改名した。
 文禄の役で、城に籠る小西行長軍が、反撃してきた明・朝鮮連合軍に包囲され退却する際に、援護をせずに自ら退却したとの責めを受け、改易された。
 
●対等外交(p307)
〔 さらに、一六世紀後半に芽吹いた日本の脱中華および対等外交の素地は、その後、近世徳川政権による二百数十年間の管理・温存を経て、一九世紀半ば過ぎにあらためて登場したロシア、アメリカ、イギリス等欧米諸国との交渉場面に応用された。中国に三跪九叩頭〈さんききゅうこうとう〉する必要を伴わない外交の実現が、東アジアの日本という国から起こったことで、この圏域内の伝統的国際秩序は終焉へと向かうことになった。一九世紀以降の東アジアにおいて、中国や朝鮮が社会の近代化に苦しむなか、日本がいち早くそれを成し遂げることができたのは、その三〇〇年前の一六世紀に、大内、大友、相良らの戦国大名がある時は「日本国王」を偽証し、またある時には倭寇的扱いを受けながらも、中華世界へのアプローチに腐心した「経験」が、潜在的に受け継がれたからに他ならない。その経験によって、古代から室町時代までの日本の各政権にとって絶対的存在だった「中華」を世界のなかで相対的に見る思想が芽生え、その外交思想が、やがて数百年後の近世末期に再び訪れた外圧に対する主体的な対処を誘発し、東アジア諸国のなかで比較的早いスピードでの近代的な「国家」形成に結実したのである。〕 
 
(2024/2/6)NM
 
〈この本の詳細〉


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

眠りつづける少女たち 脳神経科医は〈謎の病〉を調査する旅に出た

眠りつづける少女たち――脳神経科医は〈謎の病〉を調査する旅に出た
 
スザンヌ・オサリバン/著 高橋洋/訳
出版社名:紀伊國屋書店
出版年月:2023年5月
ISBNコード:978-4-314-01197-6
税込価格:2,750円
頁数・縦:431p・19cm
 
 スウェーデンで難民申請中の家族の子どもに発症する「あきらめ症候群」、ニカラグアのミスキート族に特有の「グリシシクニス」、カザフスタンのクラスノゴルスキーで多発した「眠り病」、キューバの米国外交官たちを襲った「ハバナ症候群」……。集団発生した謎の心因性疾患を世界各国に取材し、現代西欧医学の抱える問題点を探る。
 著者は臨床医でもあるようなのだが(実際に第8章でシエナの診察をしている)、どうして別の大陸に行くくらいの長期の取材ができるのだろうか。そんなに長期休暇をとっても大丈夫なのだろうか。その間、診察はどうなっているのだろう。余計なお世話かもしれないが、ちょっと心配。
 
【目次】
1 眠りつづける少女たち
2 グリシシクニス
3 失楽園
4 身体を支配する心
5 縞馬ではなく馬だと思え
6 信用の問題
7 ル・ロイの魔女たち
8 正常な行動
 
【著者】
オサリバン,スザンヌ (O'Sullivan, Suzanne)
 アイルランド出身の神経科医。ダブリン大学トリニティ・カレッジで医学を修め、現在はロンドンの国立神経・脳神経外科病院に臨床神経生理学・神経学の医療コンサルタントとして勤める。てんかんを専門とし、心因性疾患を研究している。2015年に刊行した最初の著書It’s All in Your Headは、英国でウェルカム・ブック・プライズと英国王立協会生物学図書賞を受賞。本書は、2018年に刊行され各紙誌で絶賛されたBrainstromに続く3冊目であり、2021年の王立協会科学図書賞最終候補作に選ばれている。
 
高橋 洋 (タカハシ ヒロシ)
 翻訳家。
 
【抜書】
●グリシシクニス(p57)
 ミスキート……ニカラグアのモスキート・コーストに住む先住民。グリシシクニスという「集団ヒステリー」を発症する。若い女性がかかりやすい。
 グリシシクニス……Grisi Siknis。「狂気の病気」という意味。
 1970年代に人類学者のフィリップ・デニスが記述。発病者は「感覚を喪失する」。頭痛、疲労、めまいのような症状から始まり、ひどくなると痙攣、幻覚という、この疾患を特徴づける症状を呈し始める。
 発病者は興奮し、攻撃的になる。鉈〈マチェーテ〉を振り回し、周囲の人々を威嚇する場合もあるが、自傷行為に走ることが多い。
 主要な症状は幻視。見知らぬ人物(通常は帽子をかぶった怪しげな人物で、悪魔と呼ばれる)がやってきて、患者を連れ去る。悪魔の姿は通常、女性にとっては男性であり、男性にとっては女性。悪魔は、幻覚を見ている本人とセックスしようとすることが多い。
 
●予測符号化(p155)
 脳のネットワークにプログラムされている予測をもとにリアルな身体症状を生み出す仕組み。
 私たちが正常な日常生活を送ることに必須の役割を担っている生理的・心理的プロセスが機能不全を起こすと、脳疾患を生じなくとも障害を引き起こす。
 予測符号化は、あきらめ症候群を説明するモデルとして用いられてきた。あきらめ症候群の子どもたちは、特定の状況が起こった時に身体がどう反応すべきかを告げる事前予測を脳にコード化して持っている。強制送還に直面している子どもたちは無気力になり、やがて昏睡状態に陥る。難民申請の手続きが「闘争か逃走か」反応を伴なう情動反応を引き起こし、それに続いて様々な身体感覚を生じる。子どもたちの脳は、そのような状況のせいで生じた最初の身体的影響を感じるや否や、シャットダウンすべく前もって配線されていた。「圧倒的にネガティブな予期が行動システムの下向き調節を引き起こした」(あきらめ症候群を研究しているカール・サリン医師)。
 下向き調節〈ダウンレギュレーション〉……過度な刺激のせいで、神経伝達物質やホルモンなどに対する反応が低下すること。
 テンプレート……神経科学者は、脳にコード化された予測を「テンプレート」や「事前分布〈プライア〉」と呼ぶことが多い。
 
●たこつぼ型心筋症(p183)
 ブロークンハート症候群。
 ストレスにより、心筋が突然脆弱化し、左心室壁が膨張して異常な収縮を始め、心室全体が形を変える。心臓は効果的に血液を送り出せなくなり、血圧が急激に低下する。迅速に治療しなければ突然死する恐れがある。
 科学者の推測では、ストレスホルモン、とりわけアドレナリンの大量分泌で心臓が衝撃を受け、効果的に収縮しなくなって引き起こされると言われている。
 女性に顕著に見られ、ほぼ確実に更年期を過ぎてから生じる。そのため、中年女性の心臓においては、エストロゲンレベルの低下による脆弱化を原因とする説も提起されている。
 1990年に最初に日本で報告された。心臓が膨張するとタコツボのような形状になることから命名された。
 
●集団心因性疾患(p226)
 集団心因性疾患は、ストレスを受けている閉鎖集団に起こりやすい。
 クラスノゴルスキーの住民、スウェーデンの難民家族、キューバの米外交官たちは、身体化と予測符号化によって、他者によって書かれた物語〈ナラティブ〉を実演するように仕向けられたと考えられる。
 
●人々を作り出すこと(p227)
 哲学者のイアン・ハッキング。
 新たな科学的な分類によって新種の人々を作り出すこと。ひとたびある人にレッテルを貼ると、その人は貼られたレッテルが示す特徴を帯びるように導かれる。
 分類効果とも呼ばれる。
 変化は無意識に起こり、両方向に作用する。ある人が特定の項目に分類されると、その人が独自の特徴を持ち込むことで、分類項目自体も変化する。これはルーピング効果であり、分類が個人を変え、次に分類された個人が当の分類項目が示す特徴を変えるのである。
 
●病のレッテル(p377)
 〔私は三〇年にわたって西洋医学を実践してきたが、その間、あらゆることに病のレッテルを貼る傾向がますます強くなってきた。私はその傾向にうまく順応できるように学んできたものの、心の奥底では多くの患者に危害を加える結果をもたらしていると思っていた。シエナともっと率直に語り合っていたら、彼女の症状は、次第に難度を増していく学業のプレッシャーに対応するのに困難を覚えていることへの反映だと思うと、私は助言しただろう。あるいは、彼女が経験している困難は病気なのではなく、彼女自身が選んだ人生が自分の負担になり始めたことを示す兆候なのだと言っただろう。自分で立てた目標を達成しようと悪戦苦闘しているのなら、その目標は間違っているのかもしれない。しかし欧米社会では、ものごとがうまくいかなくなると、その原因を医学的な説明に求めようとする傾向がある。なぜなら、そのほうが心理的な説明より受け入れやすいからだ。西洋医学は、ある意味で人々の要求に合わせるようにしながら発展してきた。このように、行動と病や、正常と異常のあいだの境界は――あるいは疾患と健康のあいだの区別でさえ――非常にあいまいになってしまったため、ほぼあらゆる人々に病のカテゴリーを割り当てることが可能なほどになっている。ひとたびそうなってしまえば、人は患者と化す。〕
 
●腎不全(p381)
 2002年、ある専門家グループが腎臓病の早期発見を可能にする診断基準を考案するための委員会を立ち上げた。
 委員会は、腎臓病の最初期の兆候が検知可能なほど十分に包摂的な基準を考案すれば、腎不全の件数を低下させ、それだけ人命を救えると想定していた。
 しかし、その基準の適用は、米国で10%、英国で14%の国民が新たに腎臓病のカテゴリーに含まれることになった。基準が変更される以前は、該当者は2%未満だった。
 65歳以上の高齢者の三分の一が、やがて腎不全を発症することになる。しかし、毎年千人に一人が末期腎不全となるにすぎない。
 症状をまったく呈していない大勢の人々が腎臓病のレッテルを貼られ、本来受ける必要のない定期的な検査を受ける羽目になった。
 過敏な診断基準が過剰診断をもたらした。
 
●アスニージア(p386)
 1985年、G・D・シュクラ医師は、『英国精神医学ジャーナル』に、くしゃみをしないこと(アスニージア)が、これまで見落とされてきた精神疾患の兆候だと主張する論文を発表した。自分の患者の2.6%にこの症状を見いだしている。
 それ以来、医学論文には折に触れてアスニージアへの言及が見られるようになった。
 幸いにも、くしゃみをしないことが疾患の兆候として正式に認められることはなかった。
 医師にとって、以前は月並みとみなされていた現象から病をひねり出すことがいかに簡単化を示す例。
 
●支援の提供(p401)
〔 学校で軽度のADHDと認定された子どもたちは、特別支援が必要だと正しく認識されるのかもしれない。しかし、よりよい方策は、医学的診断を下さずに、支援を提供することである点に間違いない。行動の病理化は、個人に貼られたレッテルによって進行する。学校で苦労している子に注意を払うために、あるいは友だちができない子を見つけるために、レッテルを貼る必要などあるだろうか?〕
 
●子供に貼られたレッテル(p411)
〔 私は、とりわけ未来世代を心配している。おとなは自分自身のために医師のもとを訪れてレッテルを貼ってもらうことができる。生活の質に対する影響を考慮しつつ、与えられたレッテルを受け入れることも、拒絶することもできる。しかし私たちは子どもを、新たな、あるいは拡張された医学的な診断カテゴリーのなすがままにするリスクを犯している。それらの診断カテゴリーは不確かにもかかわらず、子どもの脆弱性を学習障害、社会化障害、身体疾患によって説明しようとする。現代の医療には過剰診断がはびこっており、子どもに下される診断は必ずしも信用に足るものでないが、親は信用できると考えている。子どもに貼られたレッテルが、成長後に心理面や生活面でいかなる影響を及ぼすかは誰にもわからない。精霊は現れては消える。だが自閉スペクトラム症、ADHD、うつ、POTSなどの診断は、いつまでもつきまとうのだ。〕
 
(2024/2/2)NM
 
〈この本の詳細〉


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ: