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リーガルーキーズ! 半熟法律家の事件簿
 [文芸]

リーガルーキーズ! (新潮文庫 お 114-1)
 
織守きょうや/著
出版社名:新潮社(新潮文庫 お-114-1)
出版年月:2023年6月
ISBNコード:978-4-10-104581-8
税込価格:825円
頁数・縦:429p・16cm
 
 裁判官、検事、弁護士を目指す司法修習生たちの修習生活を描いたちょっとしたミステリー小説。
 彼らは、裁判所刑事部、裁判所民事部、検察庁、弁護士事務所でそれぞれ2か月ずつの実務研修を受ける。その後、本人の希望による選択型実務研修期間がある。そして、和光市の司法研修所における集合修習を受け、1年間の修習の締めくくりとして「二回試験」を受け、合格すると晴れて法律家となれる……。
 司法修習という、一般にはあまり知られていない世界を元弁護士(休業中!)がリアルに描く。
 
【目次】
第1章 人は見かけによらない
第2章 ガールズトーク
第3章 うつくしい名前
第4章 朝焼けにファンファーレ
 
【著者】
織守 きょうや (オリガミ キョウヤ)
 1980(昭和55)年、ロンドン生れ。早稲田大学法科大学院卒。元弁護士(休業中)。2013(平成25)年『霊感検定』でデビュー。’15年「記憶屋」で日本ホラー小説大賞読者賞を受賞。
 
(2023/9/30)NM
 
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通訳者と戦争犯罪
 [歴史・地理・民俗]

通訳者と戦争犯罪
 
武田珂代子/〔著〕
出版社名:みすず書房
出版年月:2023年6月
ISBNコード:978-4-622-09617-7
税込価格:4,950円
頁数・縦:282p, 26p 20cm
 
 第二次世界大戦後、対日英軍戦犯裁判でBC級戦犯として起訴された39人のうち、38人が有罪判決を受け、9人が死刑となった。ほとんどが日本占領地の地元住民や連合軍捕虜に対する虐待に「関与した」罪に問われた。有罪となったうちの17人、死刑となったうちの6人は台湾人だった……。
 本書では「言語変換機」(p.4)であり、「通訳しただけ」「媒介」「機関」「機械」「オウム」「メッセンジャー」(p.119)たる通訳者を、戦犯として裁けるのか、ということが大きなテーマである。それは、通訳者は通訳によって知り得た秘密を第三者に漏らしてはいけないということともに、通訳者の倫理規定にも関係する。プロとして雇われた通訳者は、機械のように言葉を「媒介」する義務があり、その業務に関して裁かれるべきではない、という考え方である。通訳者がいなければ、裁判も、警察の取り調べも、戦犯裁判も、順調に進まない。そこで罪に問われたら、質の高い通訳者を雇うことはできないし、通訳を引き受ける者はいなくなる。日本軍のように半強制的に徴収するしかなくなる
 ところで、有罪となった者のうち、台湾人以外にも海外で生まれ育った日本人が多数存在した。これらの被告人たちは、部隊のなかでは蔑まれ、尋問を受けた地元民からは恨みを買った。板挟みであったと言えよう。戦争が引き起こしたもう一つの悲劇なのかもしれない。
 
【目次】
序論 「伝達人」が罰されてしまったのか?
第1部 対日英軍戦犯裁判における被告人・証人としての通訳者
 第1章 被告人となった通訳者
 第2章 通訳者の罪状
 第3章 通訳者の抗弁
 第4章 判決とその後
第2部 戦争・紛争における通訳者のリスク、責任、倫理
 第5章 通訳者と暴力の近接性
 第6章 通訳者の可視性と発話の作者性
 第7章 戦争犯罪における通訳者の共同責任
 第8章 犯罪の目撃者としての通訳者
結論 通訳者を守るために
 
【著者】
武田 珂代子 (タケダ カヨコ)
 熊本市生まれ。専門は翻訳通訳学。米国・ミドルベリー国際大学モントレー校(MIIS)翻訳通訳大学院日本語科主任を経て、2011年より立教大学異文化コミュニケーション学部教授。現在、同学部特別専任教授。MIISで翻訳通訳修士号、ロビラ・イ・ビルジリ大学(スペイン)で翻訳通訳・異文化間研究博士号を取得。
 
(2023/9/30)NM
 
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モンテレッジォ小さな村の旅する本屋の物語
 [ 読書・出版・書店]

モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語 (文春文庫 う 30-3)
 
内田洋子/著
出版社名:文藝春秋(文春文庫 う30-3)
出版年月:2021年11月
ISBNコード:978-4-16-791787-6
税込価格:935円
頁数・縦:330p・16㎝
 
 「本の行商」という、現在の日本では全くなじみのない商売に従事した「村」が、イタリア北部の山の中に存在した(する)。そんなモンテレッジォとイタリアの本屋、出版にまつわるエッセー。
 イタリアの山奥の村の伝統と、家族経営の奥深さに触れることができる。
 
【目次】
1 それはヴェネツィアの古書店から始まった
2 海の神、山の神
3 ここはいったいどこなのだ
4 石の声
5 貧しさのおかげ
6 行け、我が想いへ
7 中世は輝いていたのか!
8 ゆっくり急げ
9 夏のない年
10 ナポレオンと文化の密売人
11 新世界に旧世界を伝えて
12 ヴェネチアの行商人たち
13 五人組が時代を開く
14 町と本と露天商賞と
15 ページに挟まれた物語
16 窓の向こうに
 
【著者】
内田 洋子 (ウチダ ヨウコ)
 1959年兵庫県神戸市生まれ。東京外国語大学イタリア語学科卒。通信社ウーノアソシエイツ代表。欧州と日本間でマスメディアに向けて情報を配信。2011年、『ジーノの家 イタリア10景』で日本エッセイスト・クラブ賞、講談社エッセイ賞を同時受賞。2019年、ウンベルト・アニェッリ記念ジャーナリスト賞、2020年、イタリア版の本屋大賞・第68回露天商賞受賞式にて、外国人として初めて“金の籠賞(GERLA D'ORO)”を受賞。
 
【抜書】
●マラスピーナ家(p132)
 中世、10世紀以来、モンテレッジォおよび周辺の山や村を支配した領主。出自はフランク族。
 13世紀になると、「花咲くイバラ」「枯れたイバラ」の二つの閥に分かれた。モンテレッジォは、直系「花咲くイバラ」閥に統治された。
 分家「枯れたイバラ」閥の本城を置いたのは、ムラッツォ村。そこでダンテをもてなした。「ダンテの家」がある。
 
●イタリア語(p143)
 神聖ローマ帝国の皇帝フリードリヒ2世は、シチリア王国に家来たちを集め、机上で「イタリア語」を創ろうと試みた。「教皇は、キリスト教布教のためにラテン語を持つ。ならば、自分も皇帝としての考えを広めるために、独自の言語を持とうではないか。その言語による文学と教養も必要だ。」
 自分の創った言語で、ばらばらの領土を統一しようと試みたのである。
 フリードリヒ2世は詩の形式まで創った。13世紀初めに生まれたソネット。トルバドゥールの詩を参考にして、家来たちは必死で詩作練習を重ねた。
 
●フィヴィッツァーノ村(p161)
 モンテレッジォから見て、フィレンツェ寄りの山奥にある。八十余ある分村を合わせると人口は8,000人ほど。
 ヤコポは、1471年に村からヴェネツィアに移住、本づくりを習得した。
 村に帰ると印刷・出版業を始めた。鋳造活字から印刷機まで、オリジナルを開発。イタリア製の活版印刷機の第一号?
 1年で閉業。しかし、ヴェネツィアに戻ってしばらく働いた後、1477年に再び村で印刷・出版業を開始。しかし、低迷。廃業した翌年を最後に、彼の足跡はぱたりと途絶えている。
 
●ニコラウス5世(p186)
 アペニン山脈からリグリア海への一帯の出身の教皇。大理石の採石地カルラーラと隣接するサルザーナという町の生まれ。1447年、教皇に登位。
 ローマ復興計画のため、故郷から莫大な量の大理石を運んだ。在位8年だったため、工事は完成せずに中断。
 1448年には、パチカン図書館を創設。代々の教皇から引き継がれたラテン語や古代ギリシャ語、ヘブライ語の古写本350点で開館。蔵書を増やすため、ヨーロッパ中の富裕者や教会、知識人たちから希少な本を買い集める。
 
●ポントレモリ(p250)
 モンテレッジォの行商仲間5人が、1908年、ピアチェンツァで会社を設立。ポントレモリの本屋の出版社。
 ベルト―二家、二つのタラントラ家、ゲルフィ家、リンフレスキ家。
 仕入れ、配本、在庫管理。取次業務。委託販売の始まり。
 
●生き方のいろは(p253)
 タラントラ家の人の言葉。
 「本屋をしていると、知らず知らずのうちにたくさんのことを覚えます。知識だけではありません。信用を得るということ。誰にでも礼儀正しく親切であること。本を売ることは、生き方のいろはです。」
 
【ツッコミ処】
・人口32人(p172)
〔 現在(二〇一八年時)モンテレッジォの人口は三十二人である。男性十四人、女性十八人。そのうちの四人が九十歳代だ。就学児童も六人いるものの、村に幼稚園や小・中学校はない。
 食料品や日用雑貨を扱う店もない。薬局や診療所もない。銀行もない。郵便局は、三十年ほど前に閉鎖されてしまった。鉄道は通っていない。山の上まで行くバスもない。
 村は老いて、枯れている。〕
  ↓
 しかし、バールはある!
 
(2023/9/25)NM
 
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リベラリズムへの不満
 [社会・政治・時事]

リベラリズムへの不満
 
フランシス・フクヤマ/著 会田弘継/訳
出版社名:新潮社
出版年月:2023年3月
ISBNコード:978-4-10-507321-3
税込価格:2,420円
頁数・縦:208, 13p・20cm
 
 ヨーロッパの宗教戦争が終結した17世紀半ばに生まれたリベラリズムの思想。グローバル化が進む現代でこそ重要性を増している古典的リベラリズムに関して多角的に論じる。
 
【目次】
第1章 古典的リベラリズムとは何か
第2章 リベラリズムからネオリベラリズムへ
第3章 利己的な個人
第4章 主権者としての自己
第5章 リベラリズムが自らに牙をむく
第6章 合理性批判
第7章 テクノロジー、プライバシー、言論の自由
第8章 代替案はあるのか?
第9章 国民意識
第10章 自由主義社会の原則
 
【著者】
フクヤマ,フランシス (Fukuyama, Fancis)
 1952年生まれ。アラン・ブルームやサミュエル・ハンティントンに師事。ランド研究所や米国務省などを経てスタンフォード大学シニア・フェロー兼特別招聘教授。ベルリンの壁崩壊直前に発表された論文「歴史の終わり?」で注目を浴びる。
会田 弘継 (アイダ ヒロツグ)
 1951年生まれ。東京外国語大学卒。共同通信社でジュネーブ支局長、ワシントン支局長、論説委員長などを歴任し、現在は関西大学客員教授。アメリカ保守思想を研究。
 
【抜書】
●古典的リベラリズム(p8)
 〔古典的リベラリズムは、多様な政治的見解を包含する大きな傘である。とはいえ、その政治的見解は、平等な個人の権利、法、自由が基本的に重要であると考えることでは一致していなければならない。〕
 
●リベラリズムの定義(p18)
 「さまざまな種類のリベラルな伝統すべてに共通しているのは、人間と社会についての明確な概念であることだ。その性格は明らかに近代的だ……それは個人主義的であり、いかなる社会集団からの要請に対しても個人の良心の優位性を主張する。また平等主義的であり、すべての人間の良心に同じ地位を与え、人の違いに基づく法的または政治的序列があっても、人の良心の価値とは一切結びつけない。普遍主義的であって、人類という「種」の良心はみな同じであると主張し、特定の歴史的組織や文化形式には二次的重要性しか認めない。すべての社会制度と政治的取り決めは修正可能で改善の余地があると認める点で改革主義的である。人間と社会に対するこのような考え方が、リベラリズムに明確な特徴を与え、その内部にある多様性と複雑性を乗り越えさせている。」
 英政治哲学者ジョン・グレイ『自由主義』(藤原保信ほか訳、昭和堂、1991年)による。
 
●寛容(p24)
〔 古典的リベラリズムとは、多様性を統治するという問題に対する制度的解決策と理解することができる。少し違う言い方をすれば、多元的な社会における多様性を平和的に管理するということだ。リベラリズムが掲げる最も基本的な原則は寛容である。最も重要な事柄について同胞と合意する必要はない。各個人が他者や国家に干渉されずに何が重要かを決めることができるという点で同意できればよい。リベラリズムは、最終目標の問題を議論しないことにより、政治が熱狂的にならないようにする。人は何を信じてもよいが、それは私的領域に留め、意見を同胞に押し付けてはならない。〕
 
(2023/9/22)NM
 
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日本、中国、朝鮮 古代史の謎を解く
 [歴史・地理・民俗]

日本、中国、朝鮮 古代史の謎を解く (PHP新書)
 
関裕二/著
出版社名:PHP研究所(PHP新書 1357)
出版年月:2023年6月
ISBNコード:978-4-569-85490-8
税込価格:1,243円
頁数・縦:213p・18cm
 
 日本と中国の大きな違いを指摘し、序章にある「アジアは一つ」という幻想を打ち砕く……、という大げさな内容でもないのだが。日本と中国の古代に関する異説を紹介する、といったところか。
 たとえば、ヤマト建国は、西(北部九州)から強い王が攻めてきたのではなく、東の政権が出雲、吉備、北部九州を飲み込んだのが真実であるという。だとしたら、「神武東征」の物語が『古事記』『日本書紀』で語られている意味がわからない。このナゾも解明してほしかった。
 
【目次】
序章 アジアは一つか?
第1章 中国文明の本質
第2章 日本の神話時代と古代外交
第3章 中国の影響力と朝鮮・日本の連動
第4章 日本は中国と対等に渡り合おうとしたのか
第5章 中国の正体と日本の宿命
 
【著者】
関 裕二 (セキ ユウジ)
 1959年、千葉県柏市生まれ。歴史作家。武蔵野学院大学日本総合研究所スペシャルアカデミックフェロー。仏教美術に魅せられて足繁く奈良に通い、日本古代史を研究。文献史学・考古学・民俗学など、学問の枠にとらわれない広い視野から日本古代史、そして日本史全般にわたる研究・執筆活動に取り組む。
 
【抜書】
●仰韶文化、竜山文化(p48)
 氷河期が終わると、BC13000~BC8000年頃、黄河流域、長江流域、東北の三つの地域に人々が住み、それぞれ異なる生業を持っていた。
 新石器時代前期から後期にかけて、渭水流域と黄河中流域で二つの文化圏が形成された。仰韶〈ぎょうしょう〉文化と竜山〈りゅうざん〉文化である。
 BC4500年頃は高温湿潤で、農耕が発達し、環濠集落を形成するようになる。
 新石器時代中期末期のBC3000年頃になると、環濠集落が発展し、城壁で囲まれた集落(城塞集落、城郭集落)が出現。都市の雛形。銅器や土器、文字らしきもの(記号状)も見つかっている。
 新石器時代後期(BC2000年頃)に至り、城壁集落の中では、階層と格差が生まれていた。墓の規模が異なり、土器、玉器、彩色の施された木器などが副葬された。祭祀と軍事を司る首長が誕生した。
 この後、二里頭文化、二里岡文化、殷墟文化が登場する。初期国家の時代。
 
●二里岡遺跡(p51)
 1950年、河南省鄭州市で、殷代前期(BC16~BC14世紀)の遺跡が見つかった。二里岡遺跡。
 殷王朝(BC17世紀頃~BC1046年)の実在が証明された。
 農耕社会と牧畜型農耕社会の接触地帯。二つの文化がまじりあって、化学反応を起こした。
 殷代史は、前期(二里岡期)、中期(鄭州期)、後期(安陽期)に分かれる。文字資料(甲骨文字)が残っているのは後期だけ。中心は、殷墟。青銅器文化が最盛期を迎えた。
 
●欲(p83)
 中国文明の本質は、「礼」が「人間の欲望を抑えるためのシステム」となっていること。
〔 中国文明の本質は「欲望」であり、それをいかにコントロールするか、どうやって民の欲を満たせるか、あるいは欲に箍〈たが〉をはめるかが、中国歴代王朝の最大の課題だった。〕
 
●強い王(p90)
〔 弥生時代の最後に銅鐸を祭器に用いた地域は、銅鐸を巨大化させていた。理由は、威信財をひとりの強い首長(王)に独占させないためで(強い王を望まなかった)、集落のみなで、銅鐸を祭器に用い、勝手に首長が墓に副葬できないようにしたのだ。北部九州のような、銅剣や鉄剣、鏡を副葬して首長の権威を誇っていた地域とは、異なる発想で、しかも「強い王を求めない地域の人びと」が、三世紀の初頭に、奈良盆地の南東の隅に拠点を作り、それがヤマト建国のきっかけとなっていく。これが、纏向遺跡(奈良県桜井市から天理市の南端)の誕生である。忽然と、三輪山山麓の扇状地に、政治と宗教に特化された都市が誕生したのだ。〕
 纏向遺跡には外来系の土器が多い。伊勢・東海49%、山陰・北陸17%、河内10%、吉備7%、関東5%、近江5%、西部瀬戸内3%、播磨3%、紀伊1%。東海と近江を合わせると過半数、北九州の土器がほとんどない。
 ヤマトを含む銅鐸文化圏の人びとは、縄文時代から継承されてきたネットワークを利用して、交易を行う人々。
 
●タニハ(p108)
 タニハ……但馬、丹波(8世紀以降は丹波と丹後)、若狭。
 出雲とタニハは反目していた。タニハが銅鐸文化圏(近畿地方南部と近江、東海)と手を結び、反撃に出た。出雲を圧迫し、明石海峡争奪戦に勝利した。このため、吉備と出雲は北部九州と手を切り、ヤマト建国に参加した。
 ヤマト政権は、北部九州沿岸部になだれ込んで奴国に拠点を構えた。
 ヤマト建国と言えば、北部九州の強い王家が東に移ったと信じられていたが、実際はその逆。ヤマトが北部九州の富と流通ルートを奪いに行った。大量の東の土器が北部九州に集まっていた。
 
●珍物(p125)
 「新羅・百済は、皆倭を以て大国にして、珍物多しと為し、並に之を敬仰して、常に使いを通じて往来す。」『隋書』倭国伝の一節。
〔 新羅と百済が本心でヤマト政権を敬仰していたかどうかはわからない。ただ、高句麗や隣国の脅威に身を晒していたから、ヤマト政権の軍事力をあてにしていたことは間違いない。少なくとも、かつて信じられていたような「常に倭国は朝鮮半島から見て、遅れた風下の国」という単純な決め付けは、改めた方がよい。〕
 
●蘇我氏(p131)
 古墳時代を通じてヤマト政権の中心に立っていたのは物部氏。瀬戸内海の吉備出身。
 日本海勢力に属する継体天皇の出現以降、蘇我氏が台頭し、物部氏の勢力は削がれていく。継体天皇が育った越は、蘇我系豪族の密集地帯であった。継体を支えたのは蘇我氏。 
 
●日本という国号(p168)
〔 「日本」は、古代の東西日本の東側を指していたと思う。『旧唐書』倭国伝に、「倭国は古の倭奴国〈わのなこく〉なり」とある。「奴国」は、福岡市周辺のことで、中国の言う「倭国」は、もともと弥生時代後期の北部九州やその周辺だった可能性が高い。そして『旧唐書』日本伝は、次の記事を載せる。
 日本国は倭国の別種なり。その国日辺にあるを以て、故に日本を以て号となす。あるいはいう、倭国自らその名の雅ならざるを悪み、あらためて日本となすと。あるいはいう、日本は旧くは小国なれども、倭国の地を併せたりと。〕
 ヤマト建国は、奈良盆地周辺を中心とする「東(銅鐸文化圏)」が、「西の北部九州」を飲み込んだ事件だった。
 「西の北部九州は大国=富栄えた」国で、倭国(北部九州)の別種で小国(鉄をほとんど持っていなかった貧しい地域)の日本国が倭国を併合したという。
 北部九州を飲み込んだ国が東方の日の出る方角にあったから、「倭国から見て東は日本」なのであって、「日本」は中国大陸を基軸にして生まれた国号ではない。
 
(2023/9/20)NM
 
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絵画は眼でなく脳で見る 神経科学による実験美術史
 [芸術]

絵画は眼でなく脳で見る――神経科学による実験美術史
 
小佐野重利/〔著〕
出版社名:みすず書房
出版年月:2022年4月
ISBNコード:978-4-622-09080-9
税込価格:5,280円
頁数・縦:155, 13p・22㎝
 
 「神経科学を基盤とした実験美術史(neuroscience-based experimental art history)の構築に向けての思考の軌跡」(p.152)を単行本にまとめたもの。さまざまな理論や科学技術を応用して美術(史)を解明していこうとする試みについて論じている。
 最終的には、神経科学を基盤とした「実験美術史」を提唱している。
 
【目次】
第1章 美術あるいは芸術家と科学の親密性
 どのような親密性があるのか
 科学画像の種類―歴史的変遷と根源的な課題
  ほか
第2章 美術史には科学画像リテラシーが必要か?
 二〇世紀における写真と美術の関係
 光学機器による科学的調査と美術作品の研究
第3章 ニューロサイエンスの観点から美術作品を見る
 一九九〇年代からクローズアップされた美術と脳の関係
 オーリャックの聖ジェロー像の眼のかがやき
  ほか
第4章 美術史はニューロサイエンスと協働できるか?
 ニューロサイエンス(神経科学)からの美術(美術史)へのアプローチ
 美術史家デイヴィッド・フリードバーグの神経科学者との協働
終章 実験美術史の試み
 科学的調査や分析化学を取り込んだ実験美術史の可能性
 ニューロサイエンスとともに歩む実験美術史の試み
 
【著者】
小佐野 重利 (オサノ シゲトシ)
 1951年生、東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退、同大大学院人文社会系研究科教授。研究科長・文学部長を経て退職、現在、東京大学名誉教授、同大特任教授。マルコ・ポーロ賞(1994)受賞、イタリア連帯の星騎士・騎士勲位章(2003)およびイタリア星騎士・コメンダトーレ勲位章(2009)を受章。アンブロジアーナ・アカデミー(ミラノ)会員。
 
(2023/9/14)NM
 
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中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋の歴史
 [歴史・地理・民俗]

中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋の歴史 (講談社選書メチエ)
 
松下憲一/著
出版社名:講談社(講談社選書メチエ 785)
出版年月:2023年5月
ISBNコード:978-4-06-531839-3
税込価格:1,870円
頁数・縦:243p・19cm
 
 中国の歴代王朝は、北方の異民族に支配されたものが半数近くある。そのなかで、のちの中国文明に少なからず影響を及ぼした北魏、鮮卑拓跋部の王朝の歴史を詳しく解説する。
 
【目次】
第1章 拓跋部の故郷―遊牧と伝説
第2章 部族を集めろ―「代国」の時代
第3章 部族を再編せよ―北魏の成立
第4章 中華の半分を手に―胡漢二重体制
第5章 中華の中心へ―孝文帝の「漢化」
第6章 胡漢融合への模索―繁栄と分裂
第7章 誕生!新たな中華―隋唐帝国の拓跋
 
【著者】
松下 憲一 (マツシタ ケンイチ)
 1971年、静岡県生まれ。2001年、北海道大学大学院文学研究科博士後期課程東洋史学専攻修了。博士(文学)。現在、愛知学院大学文学部教授。
 
【抜書】
●異民族王朝(p10)
 中国王朝のなかには、北方遊牧民が支配者となった異民族王朝(征服王朝、遊牧王朝とも)がある。
 五胡十六国、北朝、五代、遼、金、元、清である。
 近年では、隋・唐も遊牧王朝とする見解が強い。
 なお、金と清を建てた女真族は正確には遊牧を行わない狩猟民だが、遊牧民と同様に高度な騎馬技術を生かした軍事力を持っていた。
 つまり、中国王朝の半分は、異民族王朝が支配していた時代といってよい。
 
●子貴母死(p86)
 北魏では、後宮の女性が子供を生み、その子が後継者に選ばれると、生母は死を賜う。
 『魏書』太宗紀において、道武帝が息子の明元帝に次のように説明している。
 「むかし前漢の武帝が母親を殺し、母親がのちに国政に参与し、外戚が政治を乱さないようにした。お前はまさに跡継ぎになるのだから、わしも前漢の武帝と同じことをして、長くつづく計〈はかりごと〉とする。」
 この説明を受けた明元帝は、悲しみのあまり日夜号泣した。それを見た道武帝は、激怒して明元帝を呼びつけた。明元帝が行こうとすると、左右の者が「ここしばらくは平城を離れるべきです」と押しとどめた。
 明元帝が後継者になることを拒否したと思った道武帝は、弟の清河王紹を後継者にするため、紹の生母の賀氏を幽閉した。殺されると知った賀氏は紹に助けを求め、紹は宮中に乗り込んで道武帝を暗殺した。賀氏の出身部族の賀蘭部でも、かつての部族を集めて平城に乗り込もうと烽火を上げて集合した。
 一部の官僚が明元帝を呼び戻し、清河王紹を倒して、皇帝に即位した。
 あれほど子貴母死に反対した明元帝だったが、自分の後継者選びの際には、躊躇なく採用している。
 その理由は……。
 代国時代、母親が政治に口出しすること、後継者の選択に関与することがしばしば起きた。その反省を生かして、後継者に選ばれた時点で母親を排除することになった。
 もう一つの狙いは、後継者をあらかじめ選ぶということ。代国時代の後継者は、能力・年齢・母親の出身などをもとに、部族長たちが選んでいた。拓跋氏の中から選ばれるとはいえ、継承の仕方に定まった順番はなかった。そこで道武帝は、自分の子供、さらに孫と直系子孫に確実に継承されるよう、あらかじめ後継者を決めることにした。その際に母親を殺すという代償を払うことで、後継者選びを神聖化したのである。
 子供が皇帝に即位すると、殺された生母は、皇后の称号をもらって宗廟に祭られる。また、生母の一族に対しては、爵位が与えられて優遇される。ただし、政治的な権限は与えられなかった。
 
●レビレート(p204)
 夫を亡くした女性が夫の兄弟と再婚すること。遊牧社会では、夫の子と再婚する形も含め、広く行われていた。
 中華世界にはない風習。「貞女は二夫〈じふ〉を更〈か〉えず」。
 遊牧社会におけるレビレートの目的の一つは、部族同士の同盟を維持するというもの。君主の妻は他の部族から嫁いでくるため、妻を引き継ぐことで、その部族との同盟も維持される。
 中華世界に持ち込まれたのは、五胡十六国時代になってから。
 
●小麦の粉食(p228)
 小麦の栽培が華北で本格化するのは漢代。魏晋時代には胡餅〈こへい〉が文献に登場するようになる。
 小麦の粉食は、魏晋南北朝から隋唐にかけて爆発的に広がり、種類も豊富になる。
 小麦を挽いて、水と一緒にこねてまとめる。それをしばらく寝かしてから、細く伸ばせば麺になる。拉麺の「拉」は伸ばすという意味。削れば刀削麺。薄く延ばして肉を詰めれば包子〈パオズ〉、餃子。何も入れずに蒸せば饅頭〈マントウ〉。薄く延ばしたものを窯で焼けば芝麻餅〈ジーマーピン〉、鉄板の上で焼けば餤〈タン:クレープ〉、その上に具材をのせて包むと庶民の朝ごはん煎餅〈チェンピン〉。
 
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御成敗式目 鎌倉武士の法と生活
 [歴史・地理・民俗]

御成敗式目 鎌倉武士の法と生活 (中公新書)
 
佐藤雄基/著
出版社名:中央公論新社(中公新書 2761)
出版年月:2023年7月
ISBNコード:978-4-12-102761-0
税込価格:1,012円
頁数・縦:278p・18cm
 
 1232年(貞永元年)に、執権・北条泰時によって制定された「御成敗式目(貞永式目)」をひもとく。
 中世鎌倉時代の社会・生活の一端がうかがえて興味深い。著者も、「本書は式目を通して、中世がどのような時代だったのか、そして中世の歴史が、現在に至るまでどのように受容されてきたのかを考えてきた」(p.247)と述べている。
 
【目次】
第1章 中世の「国のかたち」
第2章 「有名な法」の誕生
第3章 「道理」の法
第4章 五十一箇条のかたち
第5章 式目は「分かりやすい」のか
第6章 女性と「もののもどり」
第7章 庶民と撫民
第8章 裁判のしくみ
第9章 天下一同の法へ
第10章 「古典」になる
第11章 現代に生きる式目
 
【著者】
佐藤 雄基 (サトウ ユウキ)
 1981年(昭和56年)、神奈川県に生まれる。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文社会系研究科博士課程を修了し、博士(文学)を取得。日本学術振興会特別研究員(PD)などを経て、立教大学文学部教授。専門分野は日本中世史、近代史学史。
 
【抜書】
●権門体制論、東国国家論(pⅲ)
 鎌倉時代の国のかたちとして、大きく二つの学説がある。いずれも、「鎌倉幕府は日本国全体を支配する権力ではない」という事実認識は一致していた。
 権門体制論……幕府は中世の支配層の一部分でしかない。荘園制に基づいて民衆を支配するという点では武家(幕府)や公家(貴族)、大寺社という諸権力は共通しており、そのうち鎌倉幕府は軍事と治安維持を担う権門として天皇のもとで国家権力の一部を構成していた。
 東国国家論……幕府は関東に独自の基盤を持ち、京都の朝廷から半独立的な状態にあった。
 
●地頭(p7)
 鎌倉幕府が、守護とは別に国内の荘園や公領(国衙領)ごとに設置したポスト。
 御家人は、幕府から「御恩」として荘園・公領の地頭の地位を与えられ、軍役などの「奉公」を果たしていた。武士たちは、荘園・公領ごとに地頭のような現地管理者の職〈しき〉を持つことで、その荘園・公領に所領を確保していた。
 
●家(p17)
 鎌倉時代、「職」を所領とし、財産相続することによって「家」が成立した。「家」とは、財産(家産)と仕事(家業)が「職」とセットになった状況の下、それらを親から子に継承していくことを目的とした経営母体を指す。研究上は「中世のイエ」などと言われる。
 中世社会とは、荘園制とそれを基盤にした「職」(仕事と利権)と「家」、これらを基盤として、多様な勢力が緩やかに結びついて運営されている社会であった。
 
●格式(p57)
 きゃくしき。
 律令体制の下では、膨大な官僚制度を運用するため、また、新しく生じる問題に対応するため、個別の単行法令が出されたり、役所の部署ごとの施行細則の先例・ルールが形成されていった。
 律令は8世紀冒頭に導入されるが、格式が整備されたのは平安前期(9世紀)。弘仁、貞観、延喜の三代格式が広く知られている。特に延喜式(927年、延長5年)。式の集大成として百科便覧的な趣を持ち、中世の朝廷でも儀式や年中行事の典拠として尊重されていた。
 格……個別の単行法令を集積・整備したもの。
 式……役所ごとに施行細則となる先例・マニュアルを集積したもの。
 
●養老律令(p60)
 中国の律令は、皇帝の代替わりや王朝ごとに新たに作り直されていた。
 日本では、757年(天平宝字元年)に養老律令が施行されたのちは、新たに律令が作り直されることはなかった。
 
●辻捕(p151)
 つじどり。
 道路の辻において女性を捕まえて強姦におよぶ行為。
 
●塵芥集(p212)
 戦国大名の伊達稙宗〈たねむね〉(伊達政宗の曽祖父)による分国法。御成敗式目を意識して作られた。稙宗は、室町幕府に莫大な贈り物をして、陸奥国守護職に任じられた。
 『今川仮名目録』(今川氏)、『甲州法度』(武田氏)も、御成敗式目を意識して作られた分国法。
 
●封建(p234)
 封建の意味。
 (1)古代中国において、領地を一族・家臣に与え、統治を委ねる方式。「郡県」(中央から官僚を派遣して統治)と対になる。
 (2)中世ヨーロッパにおいて主君と家臣が土地を媒介にして主従関係を結ぶ仕組み。英語でfeudalism。「封建制」という訳語をあてた。法制史的用例。
 (3)マルクス主義歴史学において、土地に緊縛された農奴支配に基づく領主制を指す。社会経済史的用例。
 
(2023/9/7)NM
 
〈この本の詳細〉


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悪意の科学 意地悪な行動はなぜ進化し社会を動かしているのか?
 [哲学・心理・宗教]

悪意の科学: 意地悪な行動はなぜ進化し社会を動かしているのか?
 
サイモン・マッカーシー=ジョーンズ/著 プレシ南日子/訳
出版社名:インターシフト
出版年月:2023年1月
ISBNコード:978-4-7726-9578-7
税込価格:2,420円
頁数・縦:269p・19cm
 
 「最後通牒ゲーム」で、たとえ少額でも利益を得られるのに拒否する人がいる。約半数の人が、10ドル中2ドル以下の提案を拒否する。ヒトはなぜ、ホモ・エコノミストを逸脱するような、そんな悪意のある行動をとるのだろう。
 人間の進化をもたらしたかもしれない「悪意」について、脳科学から心理実験にいたる、これまでの最新研究を取り入れて論じる。
 
【目次】
はじめに 人間は4つの顔をもつ
第1章 たとえ損しても意地悪をしたくなる
第2章 支配に抗する悪意
第3章 他者を支配するための悪意
第4章 悪意と罰が進化したわけ
第5章 理性に逆らっても自由でありたい
第6章 悪意は政治を動かす
第7章 神聖な価値と悪意
おわりに 悪意をコントロールする
 
【著者】
マッカーシー=ジョーンズ,サイモン (McCarthy-Jones, Simon)
 ダブリン大学トリニティ・カレッジの臨床心理学と神経心理学の准教授。さまざまな心理現象について研究を進めている。幻覚症状研究の世界的権威。『ニュー・サイエンティスト』『ニューズウィーク』『ハフポスト』『デイリー・メール』『インディペンデント』など多くのメデイアに寄稿。ウェブサイト『The Conversation』に発表している論評は100万回以上閲覧されている。
 
プレシ 南日子 (プレシ ナビコ)
 翻訳家。
 
【抜書】
●最後通牒ゲーム(p24)
 隣の部屋にいる相手とペアでプレイ。この相手は、いくらかのお金(例えば10ドル)を与えられていて、あなたとこのお金を分け合うように言われる。
 相手の提示した金額を受け入れるなら、あなたはその金額を、相手は残りの金額を得ることができる。
 あなたには、提案を拒否するという選択肢もある。その場合、どちらもお金をもらえない。
 ゲームをプレイするのは1回だけ。再提案はない。
 
●ランボルギーニ(p38)
〔 1958年はイタリアのトラクター業界にとって当たり年だった。そのおかげで、あるイタリアのトラクター製造業者の社長だったフェルッチオは、、自分だけでなく妻にもフェラーリを買うことができた。ところが、彼は決して運転がうまいほうではなかった。愛車のフェラーリのクラッチを4回も焼き切ってしまったフェルッチオは、近くにあるフェラーリ社の工場に持ち込むのはやめて、自社で一番腕利きの機械工に修理させることにした。すると驚いたことに、このフェラーリのクラッチは、フェルッチオの会社が小型トラクター用に使っているクラッチとまったく同じだったことが判明したのだ。機械工から報告を受けたフェルッチオは憤慨した。これまでフェラーリ社でクラッチを取り換えてもらうたびに、まったく同じトラクター用クラッチの100倍の費用を払っていたからだ。フェルッチオはフェラーリの創業者であるエンツォ・フェラーリのもとを訪れ、「お宅の高級車が使っているのはうちのトラクターと同じ部品じゃないか!」と大声で問い詰めた。するとフェラーリは「トラクターを運転している君のような農民にわが社の車についてとやかく言われる筋合いはない。うちの車は世界最高級なのだから」と答えて火に油を注いだという。そこでフェルッチオはフェラーリに見せつけるため、自らスポーツカーをつくる決意をした。これはリスクの高い事業であり、妻に何度も止められたが、フェルッチオはリスクも覚悟の上だった。そして、悪意に突き動かされた行動に出る。その結果、彼の名を冠した自動車会社は意外にも成功を収めた。ちなみにフェルッチオの名字は、ランボルギーニである。〕
 
●ダークトライアド(p45)
 三つのネガティブな性格特性。
 サイコパシー(精神病質)、ナルシシズム(自己愛傾向)、マキャヴェリズム(権謀術数主義)。
 こうした負の特性は、ダークファクター(Dファクター)と呼ばれる大木の枝に相当する。これは、自分が価値を認めたもの(快楽、権力、お金、地位など)を手に入れるためなら、他者に害が及ぶことなど気にしないか、受け入れる、さらには楽しむ傾向を指す。
 Dファクターが高い人は、自分の行動を正当化するようなストーリーを作り上げる。例えば、自分は他者よりも優れている、支配は当然のことであり、望ましい、誰でも自分のことを最優先しているのだから、自分もそうしても構わない、などと考えている。
 悪意は、ダークトライアドを有していることと関連している。
 
●独裁者ゲーム(p57)
 最後通牒ゲームに似ていて、お金を分け合う点は同じ。
 しかし、提案を受ける側は、断ることができない。オファーを受けるしかない。
 最後通牒ゲームで悪意のある反応をした人が独裁者ゲームをすると、お金を公平に分ける人(強い互恵性)と、不公平に分ける人がいる。
 
●互恵性理論(p58)
 互恵性とは、好意には好意で、親切には親切で、意地悪には意地悪で応えること。弱い互恵性と強い互恵性がある。
 弱い互恵性の場合、自分の利益になるときだけ相手に報いる。弱い互恵主義者が考えているのは、自分の利益を最大化することだけ。自分がコストを支払わなければならないとき、他者を罰したりしない。悪意を持つことは得意ではない。
 強い互恵主義者は、損害を被ったら、たとえコストを支払ってでも仕返しする。他者と協力する傾向があるため、最初は公平な行動をする。ところが、たとえコストを支払ってでも、協力的でない他者を罰しようとする。
 
●ホモ・レシプロカンス(p59)
 サミュエル・ボウルズは、強い互恵主義者のことを、「ホモ・レシプロカンス(互恵人)」と呼ぶことを提案。
 彼らは、ホモ・エコノミクスのような行動はせず、すぐ手に入る自己の物理的利益を最大化しようとはしない。
 最後通牒ゲームにおけるホモ・レシプロカンスの悪意ある行動は、「コストのかかる罰」と呼ばれている。
 
●知覚的非人間化(p72)
 私たちは、相手が規範に違反したことを知ると、相手を人間と見なさなくなる。共感を回避するための危険な仕掛け。
〔 また、悪意を持った人々は、もともと平均より低いレベルの共感しか持ち合わせていないのかもしれない。悪意のある人は他者の感情や信条、意図を理解する能力が低いことがわかっている。しかし、そのおかげで彼らはより客観的かつ抵抗なく、公平さのルールを強要できるだろう。人類にはそういう人間が必要なのかもしれない。〕
 
●善人ぶる者への蔑視(p85)
 人々は、グループの基金に自分たちよりも多く出資しているプレーヤーにも罰を与えた。
 再び同じゲームをしたとき、気前のいい人々は前回ほど貢献しなかった。協力も減り、全員が損をした。
 
●ホモ・リヴァリス(p92)
 競争人。
 独裁者ゲームでは不公平なオファーをするが、最後通牒ゲームでは低額オファーを拒否して悪意ある行動をする。
 公平な人が不公平な扱いを受けて反支配的な面が刺激されたのではなく、相対的優位性を手にするため。そうすれば相手を支配できる。
 
●相対的優位(p123)
 罰は非協力的な人の行動を改めさせるために進化したのではない。クロケットらの研究。スミードとフォーバーの考えとも一致。
 協力と公平性が高まるのは、相対的地位の向上のためにコストをかけて他者を傷つけ、損害を与えることの副次的影響にすぎない。
 人間はまず相対的地位を高めるために悪意のある行動をとる能力を進化させ、その後、この傾向を罰という別の用途に使うようになった。
 
●カオスの要求(p156)
 白紙の状態に戻したい、新しくやり直したいという願い。
 現在の状況が崩壊すると得をする人々や、高い地位が欲しいのに手が届かない人が感じがちな感情。社会から取り残された、地位を求める人々が使う最終手段。
 カオスを強く求める傾向は、若くて学歴の低い男性によくみられる。孤独感が強く、社会階層の底辺に位置付けられている人々。
  
●神(p184)
〔 現在、人類の過半数が神を信じている。キリスト教徒とイスラム教徒だけで、世界の人口の55%を占めているのだ。神の概念は世界各地で異なるが、神とは人間の行ないを把握し、善悪の違いを知っていて、罪を犯した人々を罰する存在だと広く信じられている。
 人類の歴史のある時点で、神のような存在がとりわけ重宝するようになった。農耕社会が形成され、人々がそれまでよりもずっと大きな集団の中で生活するようになると、他者を罰するのにかかるコストも増大する。農耕社会で暮らす人々は狩猟採集民族よりもずっと多くの富と力を蓄えられるため、誰かから罰を与えられれば、大きな力で相手に報復できるようになるからだ。集団の人数が増えると、それまで少人数の集団内で協力を促すのに役立っていた仕組みが機能しなくなり始め、大人数の集団内でも協力を促せる新しい手段が必要になる。遺伝的進化ではすぐに対応できなかったため、人々は文化に目を向けた。人類は罰を行使する権威を生み出す必要があったのだ。世俗的な組織にこの権威を持たせることも可能だったが、権威を持った空想上の存在を生み出すという選択肢もあった。それが神である。〕
 
●ソーシャルネットワーク(p215)
〔 地球上の人々の半数はフェイスブックやツイッターなど、オンラインのソーシャルメディア・プラットフォームを使っている。わたしたちは世界の内側に別の世界をつくったのだ。しかし、この世界は人間が進化によって適合してきた世界とは違う。オンラインの世界はこれまで悪意を抑えてきた性来の束縛をゆるめ、悪意に対して過去に例を見ないほどの見返りを与える。目的のためには手段を選ばない人々が悪意のある行動を広めようと思ったら、ソーシャルネットワークをつくるのが一番だろう。ソーシャルネットワークは悪意のコストを減らし、利益を倍増させる。ソーシャルメディアは悪意がはびこる最悪の状況を生み出すのだ。〕
 
(2023/9/5)NM
 
〈この本の詳細〉


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