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リベラリズムへの不満
 [社会・政治・時事]

リベラリズムへの不満
 
フランシス・フクヤマ/著 会田弘継/訳
出版社名:新潮社
出版年月:2023年3月
ISBNコード:978-4-10-507321-3
税込価格:2,420円
頁数・縦:208, 13p・20cm
 
 ヨーロッパの宗教戦争が終結した17世紀半ばに生まれたリベラリズムの思想。グローバル化が進む現代でこそ重要性を増している古典的リベラリズムに関して多角的に論じる。
 
【目次】
第1章 古典的リベラリズムとは何か
第2章 リベラリズムからネオリベラリズムへ
第3章 利己的な個人
第4章 主権者としての自己
第5章 リベラリズムが自らに牙をむく
第6章 合理性批判
第7章 テクノロジー、プライバシー、言論の自由
第8章 代替案はあるのか?
第9章 国民意識
第10章 自由主義社会の原則
 
【著者】
フクヤマ,フランシス (Fukuyama, Fancis)
 1952年生まれ。アラン・ブルームやサミュエル・ハンティントンに師事。ランド研究所や米国務省などを経てスタンフォード大学シニア・フェロー兼特別招聘教授。ベルリンの壁崩壊直前に発表された論文「歴史の終わり?」で注目を浴びる。
会田 弘継 (アイダ ヒロツグ)
 1951年生まれ。東京外国語大学卒。共同通信社でジュネーブ支局長、ワシントン支局長、論説委員長などを歴任し、現在は関西大学客員教授。アメリカ保守思想を研究。
 
【抜書】
●古典的リベラリズム(p8)
 〔古典的リベラリズムは、多様な政治的見解を包含する大きな傘である。とはいえ、その政治的見解は、平等な個人の権利、法、自由が基本的に重要であると考えることでは一致していなければならない。〕
 
●リベラリズムの定義(p18)
 「さまざまな種類のリベラルな伝統すべてに共通しているのは、人間と社会についての明確な概念であることだ。その性格は明らかに近代的だ……それは個人主義的であり、いかなる社会集団からの要請に対しても個人の良心の優位性を主張する。また平等主義的であり、すべての人間の良心に同じ地位を与え、人の違いに基づく法的または政治的序列があっても、人の良心の価値とは一切結びつけない。普遍主義的であって、人類という「種」の良心はみな同じであると主張し、特定の歴史的組織や文化形式には二次的重要性しか認めない。すべての社会制度と政治的取り決めは修正可能で改善の余地があると認める点で改革主義的である。人間と社会に対するこのような考え方が、リベラリズムに明確な特徴を与え、その内部にある多様性と複雑性を乗り越えさせている。」
 英政治哲学者ジョン・グレイ『自由主義』(藤原保信ほか訳、昭和堂、1991年)による。
 
●寛容(p24)
〔 古典的リベラリズムとは、多様性を統治するという問題に対する制度的解決策と理解することができる。少し違う言い方をすれば、多元的な社会における多様性を平和的に管理するということだ。リベラリズムが掲げる最も基本的な原則は寛容である。最も重要な事柄について同胞と合意する必要はない。各個人が他者や国家に干渉されずに何が重要かを決めることができるという点で同意できればよい。リベラリズムは、最終目標の問題を議論しないことにより、政治が熱狂的にならないようにする。人は何を信じてもよいが、それは私的領域に留め、意見を同胞に押し付けてはならない。〕
 
(2023/9/22)NM
 
〈この本の詳細〉


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