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人間非機械論 サイバネティクスが開く未来
 [コンピュータ・情報科学]

人間非機械論 サイバネティクスが開く未来 (講談社選書メチエ)
 
西田洋平/著
出版社名:講談社(講談社選書メチエ 786)
出版年月:2023年6月
ISBNコード:978-4-06-531778-5
税込価格:2,255円
頁数・縦:352p・19cm
 
 「人間機械論」(コンピューティング・パラダイム)に通じる古いサイバネティクスを乗り越え、「人間〈非〉機械論」(サイバネティック・パラダイム)たる新しいサイバネティクスについて論じる。それが、ノーバート・ウィーナーの本来の立場であった。
 
【目次】
第1章 機械は人間になり、人間は機械になる?―サイバネティクスの旅路
第2章 制御と循環のはざまで―胚胎された岐路
第3章 セカンド・オーダーへの浮上―観察することを観察する
第4章 オートポイエーシスの衝撃―生命システムとは何か
第5章 現実はつくられる―構成主義の諸問題
第6章 情報とは何か―情報学としてのサイバネティクス
第7章 まとめと展望―サイバネティック・パラダイムの行方
 
【著者】
西田 洋平 (ニシダ ヨウヘイ)
 1980年生まれ。東海大学講師。東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。専門は情報学。
 
【抜書】
●操舵手(p35)
 サイバネティクスという言葉は、操舵手(船のかじをとる人)を意味するギリシャ語の「キベルネテス」に由来。
 ウィーナーの定義。「われわれの状況に関する二つの変量があるものとして、その一方はわれわれには制御できないもの、他の一方はわれわれに調節できるものであるとしましょう。そのとき制御できない変量の過去から現在にいたるまでの値にもとづいて、調節できる変量の値を適当に定め、われわれに最もつごうのよい状況をもたらせたいう望みがもたれます。それを達成する方法がCyberneticsにほかならないのです。」(『サイバネティックス――動物と機械における制御と通信』、池原止戈夫他訳、岩波書店、2011年、日本語版まえがき)
 
●1953年(p42)
 1953年、サイバネティクスの起源となる二つの論文が発表された。
 一つは、ノーバート・ウィーナー(数学者)/ジュリアン・ビゲロー(技術者)/アルトゥーロ・ローゼンブリュート(医学博士)「行動、目的、目的論」。フィードバックという機構を、行動、目的、目的論といった概念と不可分の普遍的機構として再提起。ウィーナーとビゲローは、第二次世界大戦中、対空高射砲の制御装置の開発に携わっていた。(p29)
 もう一つが、ウォーレン・マカロック(神経生理学者)/ウォルター・ピッツ「神経活動に内在する観念の論理的計算法」。神経活動と論理演算は形式として同じである、という主張。
 
●メイシー会議(p52)
 生物学と社会科学におけるフィードバック機構と循環的因果律システムに関する会議。1946年3月8日~16日、ニューヨークにて開催。以後、1953年までの間に10回開催。
 メイシー会議というのは通称で、ジョサイア・メイシー二世財団の後援を受けたことに由来。
 学際的な会議。参加者は、ノーバート・ウィーナー、ビゲロー、ローゼンブリュート、マカロック、ピッツ、フォン・ノイマン、クロード・シャノンの他、医学・生物学分野からラファエル・ロレンテ・デ・ノやローレンス・キュビー、心理学分野からクルト・レヴィンやヴォルフガング・ケーラー、社会科学分野からゴレゴリー・ベイトソンやマーガレット・ミード、など。
 
適切な制御(p56)
〔 彼らの人間・社会機械論の核にあったのは、「適切な制御」という考え方である。機械であれば制御できるはずであり、それによってより良い状態をつくりだすことができるはずである。人間の感情を適切に制御できれば、戦争や暴動を食い止めることができるかもしれない。社会や生態系を適切に制御できれば、貧困の発生や環境破壊を回避できるかもしれない。
 要するに、メイシー会議の参加者たちは、機械による人間の制御を問題にしたのではなく、むしろ人間や社会を機械として、適切に制御しようとしたわけである。彼らにとってサイバネティクスとは、何よりも制御のための科学だったのである。〕
 
●セカンド・オーダー・サイバネティクス(p122)
 ハインツ・フォン・フェルスター。
 「セカンド・オーダー」とは、ある概念がそれ自身へと適用されるような状況。認知の認知、観察の観察、制御の制御、など。
 ファースト・オーダー・サイバネティクスは、「観察されたシステム(observed systems)」のサイバネティクス。
 セカンド・オーダー・サイバネティクスは、「観察するシステム(observing systems)」のサイバネティクス。私自身が「観察するシステム」であるということ、私自身が観察者であるということを自覚するということ。自分自身が観察することを観察する。
 
●オートポイエーシス(p132)
 ウンベルト・マトゥラーナ(チリ大学医学部生物学科に着任した生物学者)とフランシスコ・ヴァレラの造語。
 「オートポイエティック・マシンとは、構成素の産出(変形および破壊)のプロセスのネットワークとして組織化された(単位体として規定された)機械である。このネットワークがその構成素を産出する。それら構成素は、(ⅰ)相互作用と変形をつうじて、それらを産出したプロセス(関係)のネットワークを絶えず再生産し実現する。(ⅱ)同様に構成素は、空間内の具体的な単位体としてのそれ(機械)の構成素となる。その空間内において、それら(構成素)は当該のネットワークが実現する位相的領域を特定することによって存在する。」
 
●アロポイエティック(p144)
 allopoietic。「オート」は「自己」を意味する。「アロ」はその反対の「他(他者)」を意味している。
 オートポイエティク・システムは、それが存続する限り、どんな時も常に自分自身を組織化し続けることができるがゆえに「自律的」。
 アロポイエティックなシステムは他律的。「アロポイエーシス」とは、他者を産出するような組織化。
 
●観察者(p184)
〔 「語られることはすべて観察者によって語られる」というフレーズは、「認知の生物学」という構想以降、マトゥラーナが頻繁に用いたフレーズである。これは一見、些細な言明にも思えるが、その背景にある極めてサイバネティックな――ただし古いサイバネティクスではなく、新しいサイバネティクスの――世界観を見過ごしてはならない。端的に言えば、ここに示されているのが、観察者と観察される世界との円環的関係である。〕
 
●現実構成主義(p275)
 エルンスト・フォン・グレーザーズフェルドは、哲学と心理学、そしてサイバネティクスの知見を総合した認識論を、ラディカル構成主義という名で展開した。伝統的な真理の概念を、知識の実行可能性という概念に置き換えてみせた。知識は唯一無二の真理ではなく、状況にフィットするかどうか、うまく機能するかどうかによって測るべきものである。
 
●新しいサイバネティクス(p275)
 新しいサイバネティクスを代表する三つの理論。
 セカンド・オーダー・サイバネティクス、オートポイエーシス論、現実構成主義の理論。
 
(2024/5/6)NM
 
〈この本の詳細〉


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