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京都 未完の産業都市のゆくえ
 [歴史・地理・民俗]

京都―未完の産業都市のゆくえ―(新潮選書)
 
有賀健/著
出版社名:新潮社(新潮選書)
出版年月:2023年9月
ISBNコード:978-4-10-603901-0
税込価格:1,925円
頁数・縦:286p・20cm
 
 現代の京都という都市を、産業と独特な町衆の社会という視点で経済的に読み解く。
 
【目次】
序章
第1章 京都の経済地理
第2章 京都の町と社会
第3章 京都の町の変容と人口移動
第4章 ゆりかご都市京都
第5章 住む町京都
第6章 観る町京都
終章
 
【著者】
有賀 健 (アリガ ケン)
 1950年、兵庫県尼崎市生まれ。京都大学経済学部卒。イェール大学経済学博士(Ph.D.)、京都大学名誉教授。専門は労働経済学を中心とした応用経済学。
 
【抜書】
●町衆(p29)
 京都の町衆とは、中小の自営業者とその家族。祇園祭は言うまでもなく、中世末期から江戸期以降、町の自治組織の中心。近世以降の京都の歴史と伝統の体現者。
 本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳などの琳派はいずれも京都の上層町衆だった。伊藤若冲も、錦小路の青物問屋「枡源」の長男。40歳に隠居して絵に専念。
 〔京都の近代化の道筋は、京都の町の中心が町衆であり続けたことに決定的な影響を受けている。〕
 
●西陣、友禅(p40)
 西陣織……先染めされた様々な色合いの絹糸の織り込みで模様を作る絹地。呉服や帯となる絹織物。
 友禅……後染め。絹の白地に染付によって模様を描くもの。
 絹織物は、安土桃山期に中国の絹織物や絹糸・絹布の輸入代替として京都や長崎で発展した。西陣が絹織物産地として国内市場で優越的な地位を確保したのは、当初、中国からの絹糸・絹布の輸入割当で優位を持ったことに求められる。江戸中期以降、国内での蚕・絹糸の生産が本格化するにつれて、西陣職人の移動などを通じ、博多、桐生、丹後、長浜などでも生産が始まった。
 
●番組(p45)
 現在では「元学区」と呼ばれ、京都の地域社会の基礎単位といえる役割を担う。
 明治期の義務化される前の小学校建設は、京都市では市民レベルの寄金と努力によって実現した。当時の小学校の通学地域を「番組」と呼んだ。
 一つの番組はおよそ27程度の町からなり、上京、下京それぞれ30あまり、計65の番組小学校を建設した。小川元学区、明倫元学区、など。地域の区割りは、町が街路や街路の交差点で区切られず、交差点から対角線方向に境界が設けられている。「菱形町」と呼ばれ、京都の中心部の町が、特定の通りに面する町家から形成されていることを示している。また、通りを挟んだ両側の家屋で形成された町を「両側町」と呼ぶ。(p72)
 
●田の字地区(p64)
 京都の中心部。北を御池通、南を五条、東を河原町通、西を堀川通に囲まれた地域。
 この地区の住民こそ、京の町衆の代表であり、京都の政治・社会の動向に決定的な影響を与えてきた人々。
 
●高速道路(p188)
 京都において郊外の発展が遅れた理由の一つは、高度成長期以降、都市型交通インフラの整備が遅れたこと。
 京都は、現在でも市内中心部に高速道路がない唯一の大都市。都市鉄道網の整備も、京阪鴨東線〈おうとうせん〉(1989年、三条から出町柳まで延伸)と市営地下鉄2線以外は進んでいない。四条以北の市内交通は依然として市バスに依存している。
 
●オランダ病(p213)
 資源セクターなど特定の産業の競争力が飛躍的に高くなることで、自国通貨の高騰をもたらし、それ以外の産業の国際競争力に大きなマイナスとなること。
 1970年代後半、北海油田の開発が本格化した時期に、Max Cordenをはじめとする経済学者が提唱した。
 当時、北海油田開発により大きな利益を得たオランダにおいて、貿易収支の劇的な改善により、自国通貨の為替レートが高騰した。それにより、オランダの他産業の国際競争力が低下し、かえってオランダ経済にマイナスの影響を与えた。
 京都では、観光がオランダ病のような現象をもたらした。観光化によって地価や地代が高騰し、他の産業がこの都市から次第に駆逐されていった。
 
(2024/2/26)NM
 
〈この本の詳細〉


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