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世界を変えた12の時計 時間と人間の1万年史
 [歴史・地理・民俗]

世界を変えた12の時計 : 時間と人間の1万年史
 
デイヴィッド・ルーニー/著 東郷えりか/訳
出版社名:河出書房新社
出版年月:2022年2月
ISBNコード:978-4-309-22844-0
税込価格:2,970円
頁数・縦:294, 31p・20cm
 
 12のテーマに分けて、時計に関する歴史と蘊蓄を語る。洋の東西、時代を超えためくるめく多様なエピソードをあげ、現代人にとって当たり前に存在するものと思われている「時間」について、考察する。
 
【目次】
第1章 秩序 紀元前二六三年、フォルム・ロマヌムの日時計
第2章 信仰 一二〇六年、ディヤールバクルの城時計
第3章 美徳 一三三八年、シエナ、抑制を表わす砂時計
第4章 市場 一六一一年、アムステルダム、証券取引所の時計
第5章 知識 一七三二‐三五年、ジャイプル、サムラート・ヤントラ
第6章 帝国 一八三三年、ケープタウン、天文台の報時球
第7章 製造 一八六五年、ロンドン、ゴグとマゴグ
第8章 道徳 一九〇三‐〇六年、ブルノ、電気時計設備
第9章 抵抗 一九一三年、エディンバラ、望遠鏡駆動の時計
第10章 アイデンティティ 一九三五年、ロンドン、黄金の電話機
第11章 戦争 一九七二年、ミュンヘン、ミニチュアの原子時計
第12章 平和 六九七〇年、大阪、プルトニウム時計
 
【著者】
ルーニー,デイヴィッド (Roone, David)
 イギリスの技術史家。時計の製造と修理を専門とする両親のもとで育つ。ロンドン科学博物館の技術担当キュレーターや、グリニッジ王立天文台の計時部門担当キュレーターなどを務め、現在はフリーで著述活動やキュレーションを手がけている。
 
東郷 えりか (トウゴウ エリカ)
 翻訳家。上智大学外国語学部フランス語学科卒業。訳書多数。
 
【抜書】
●メッカ・ロイヤル・クロック・タワー(p60)
 メッカ・ロイヤル時計台。サウジアラビア政府所有のアブラージュ・アル・ベイト・タワーズの超高層複合施設の一部。ホテルを含むビル群の中にある。
 地上500m以上、文字盤の直径43m(似ているビッグベンは7m)。世界で最も高い場所にあり、世界最大の時計。2012年完成。この聖地へは、ムスリム以外の出入りが禁じられている。
 この時計が完成したとき、メッカの当局者が、本初子午線をグリニッジからメッカの子午線に変えるよう、ロビー活動をしていた。
 
●STC(p94)
 スタンダード・タイム・カンパニー。ロンドンの会社。
 1886年、正確な時報を電信で販売する顧客リスト(受信契約者)を発表した。シティ内のすべての金融機関が含まれていた。銀行、取引所、手形交換所、など。
 電気信号をSTCから受信すると、回路内のすべての時計に取り付けられた装置に瞬時に伝わり、自動的に時計を正しい時刻に修正する。
 1876年創立。(p186)
 
●原子時計(p101)
 1955年、イギリスのテディントンにある国立物理学研究所(NPL)が、世界最初の原子時計の製作に成功した。300年間に1秒の誤差。
 1980年代には、NPLの原子時計は30万年間に1秒の誤差となった。
 現在のNPLの時計はセシウム・ファウンテンとして知られ、1億5800万年間に1秒の誤差。
 次世代の原子時計は、300億年に1秒の誤差となるだろう。
 
●鉄道の時間の標準化(p184)
 旅客用の鉄道が1830年代から40年代に建設されたとき、鉄道の全線にわたって時間を標準化する必要が生じた。それまで、地方時(地方ごとに正午を基にした時刻)が用いられていた。
 1840年、グレートウェスタン鉄道沿いの各駅の地方時は廃止され、ロンドン時間が鉄道独自の時間に取って代わられた。
 鉄道沿いに敷設された電信によって、グリニッジの時刻が各地に送られた。
 
●パブ(p186)
 STCの1886年時点の登録客は、300以上(366地点)だった。1時間ごとに電流の急激な増加を受け、自動的に店舗内にあるすべての時計の時間を自動修正してもらっていた。
 リスト全体の四分の一を占めていたのは、パブ、カフェ、レストランだった。アルコール飲料の販売時間制限のため。
 1874年、公式な酒類販売認可時間を「グリニッジの王立天文台で計時される時間に従う」ように法律改正する議論が進められていた。
●グリニッジ標準時(p189)
 1880年8月、グリニッジ標準時をイギリスの全法律の公式な標準時とすることが決定した。
 アイルランドの法律では、ダブリン標準時を採用した。
 
●スピード時計(p205)
 またはエンジン時計。
 1832年、イギリス議会で10時間労働法案について議論していたころ、一部の水車場や工場では、2台以上の別々の時計が存在していた。
 1台は一般的な時刻を示す時計。もう1台は蒸気機関などの機械の速度で調整される時計で、「スピード時計」とよく呼ばれていた。
 「日々の労働は、通常は特定の期間に限定されるものの、このスピード時計を使って、その制限をはるかに超えて増やされることがよくある。」議会での証言。
 
●本初子午線(p216)
 1884年の子午線会議で、グリニッジを世界の本初子午線に決定した。
 世界の大半の船は、グリニッジ子午線を基にした海図を使っていた。
 大半の国がグリニッジを拠点とする時間制度に移行したのは、1890年代初めになってから。
 
●腕時計(p254)
 腕時計の普及は、戦争に多くを負っている。
 1899~1902年の南アフリカ戦争と1914~18年の第一次世界大戦のさなか、兵士たちが懐中時計を腕に巻き付け始めた。武器が使えるように両手を自由にしたまま、攻撃の波のタイミングを計れるようにするため。
 それ以前の腕時計は、女性の装身具として、もしくはサイクリングや馬術を嗜む女性によって使われていた。
 戦争によって腕時計は男女兼用の製品となり、市場が倍になり、懐中時計製造業はたちまち末期的な衰退に陥ることになった。
 
(2022/11/7)NM
 
〈この本の詳細〉


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