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越境する出雲学 浮かび上がるもうひとつの日本
 [歴史・地理・民俗]

越境する出雲学 ――浮かび上がるもうひとつの日本 (筑摩選書 233)
 
岡本雅享/著
出版社名:筑摩書房(筑摩選書 0233)
出版年月:2022年8月
ISBNコード:978-4-480-01752-9
税込価格:1,980円
頁数・縦:366p・19cm
 
 日本海沿岸、信州・北関東、瀬戸内、畿内……。出雲から越境して出雲文化を受け継いだ地を訪れ、出雲との関係を探る。
 
【目次】
序章 全国“出雲”再発見の旅
第1章 大和神話との矛盾から解く列島の出雲世界
第2章 出雲を原郷とする人たちを探す鍵―地名や神社で辿る列島移住史
第3章 国引き神話と新羅・高志
第4章 能登・越中・越後の出雲を追って
第5章 沿岸から内陸へ―越後から会津・北関東への道
第6章 瀬戸内と関門海峡を渡って
第7章 出雲と大和―畿内への道
終章 日本海交流の鍵=ミホススミに光を!
 
【著者】
岡本 雅享 (オカモト マサタカ)
 1967年出雲市生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。現在、福岡県立大学人間社会学部教授。専門は政治社会学・民族学。地域や国を跨ぐ日本型Ethnic Studiesとしての出雲学を提唱。
 
【抜書】
●新羅⇒出雲(p25)
 百済から瀬戸内海を経て大和へ入った文化とは別に、新羅から日本海を経て出雲に入った文化がある。さらに海路で能登から越へ伝播し、信州・北関東へ南下していった。
 水野祐・早稲田大学名誉教授の説。
 
●ミホススミ(p27)
 『出雲国風土記』に登場する女神。
 国引き神話では、巨神オミズヌの神が、出雲大社の鎮座する杵築の岬(島根半島西部)を新羅の岬から、三穂の埼(美保関、同半島東部)を高志のツツの岬(能登半島の北端、珠洲岬)から引き寄せ、島根半島を作ったとする。
 美保郷の条では、天の下造らしし大神(オオナムチ=大国主)が高志の国の女神ヌナカワヒメと結ばれて生まれた神、ミホススミが鎮座する地、とある。
 
●五王朝(p39)
 古代の日本列島には、ツクシ、キビ、イヅモ、ヤマト、ケヌなど、独自の王権、支配領域、統治組織、外交等の条件を備えた地域国家が複数存在していた。
 互いの交渉や競合のなかでヤマト王国が台頭し、他の王国を統合していった。一般に国造は、ヤマト勢力に服属した各地の豪族が地方官に任命されたものと捉えられている。
 ヤマト政権はその統合の過程で、服属した列島各地の豪族たちを国造に任命し、統治を委ねた。
 門脇禎二・京都府立大学名誉教授の説。
 
●出雲国造(p40)
 出雲国造も、延暦17年(798年)3月29日付の太政官符で、意宇郡大領兼務を禁止されたことで政治権力を失った。それに伴い、本拠地の意宇郡(現松江市)から出雲郡(現出雲市)へ移り、杵築大社(きづきのおおやしろ:1871年から出雲大社が公称)の祭祀に専念することになる。
 古代から出雲臣を姓としてきたが、14世紀半ばに千家(せんげ)・北島両家に分かれ、祭祀を分担しながら幕末に至った。明治以降は千家家が代々、大社の宮司を務めている。
 現在では、2002年に襲職した第84代千家尊祐(たかまさ)国造と、2005年に襲職した第80代北島建孝(たけのり)国造がそれぞれの当主。「国造」は、出雲では昔から「こくそう」と呼ばれている。
 
●氷川神社(p51)
 武蔵の国の一宮とされてきた氷川神社(さいたま市大宮区)の社名は、出雲の斐伊川に由来。
 平安期の「国造本紀」(『先代旧事本紀』第十巻)によると、天穂日命(あめのほひのみこと)の11世の孫、宇迦都久怒命(うかつくぬのみこと)を出雲国造に定め、また出雲臣の祖の十世の孫、兄多毛比命(えたもひのみこと)を无邪志(むさし)国造に定めた、とある。つまり、武蔵国の国造は出雲の流れである。
 氷川神社の境内案内板にも、出雲族の兄多毛比命が武蔵国造となって氷川神社を奉斎したとある。
 武蔵国の東部に分布する氷川神社は、埼玉県207社、東京都77社、神奈川県3社に上る。
 
●熊野大社(p54)
 『出雲国風土記』があげる国内399の神社のうち、大社(おおやしろ)と記すのは杵築大社と熊野大社(現松江市八雲町熊野)の2社だけ。中世まで、出雲国一宮と言えば熊野大社を指していた。
 熊野大神は、もともと出雲東部、意宇の王だった出雲国造の祖先が、もともと祭っていた神とされる。『出雲国風土記』意宇郡「出雲の神戸」の条に熊野加武呂命(くまのかむろのみこと)の名で登場する。
 10世紀前半の『延喜式』所収の出雲国造神賀詞(かんよごと:古代の祝詞)では、櫛御気野命(くしみけぬのみこと)と呼ばれている。
 カムロは「聖なる祖」、クシミケヌは「神秘的な御食主」を意味する。熊野大神は本来、出雲国造の祖霊や霊威に関わる食物を司る神だった。
 
●出雲からの移住の証拠(p64)
 ① 出雲(に関する)地名
 ② 出雲神を祭る古社
 ③ 神話と伝説(出雲神や出雲からの移住)
 ④ 山陰系土器など考古的発見
 
●日本紀講筵(p330)
 平安時代前期の宮中行事。太政大臣以下の公卿や官人列席の下で『日本書紀』を講義する。
 全30巻を数年がかかりで、約30年に一度行う。
 当代を代表する学者=博士が講師に選ばれ、それに尚復(しょうふく)と呼ばれる補佐役がつく。
 尚復を務めた者が次回(約30年後)に博士となり、講義を担うのが慣例だった。
 
●『先代旧事本紀』(p331)
 最古の歴史書とされてきたが、近年、「物部氏に出自する僅かな独自記事に記紀・古語拾遺の文章のつぎはぎを加えて作った偽書」とされる。
 『古語拾遺』が成立する807年以降に書かれた? 9世紀前半~10世紀前半の間。
 十巻のうち、巻五「天孫本紀」や巻十「国造本紀」は、概して信用できる独自の古伝によっていると評価され、古代史研究の中で使われてきた。
 
(2022/11/3)NM
 
〈この本の詳細〉


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