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アイヌ語地名の南限を探る
 [歴史・地理・民俗]

アイヌ語地名の南限を探る
 
筒井功/著
出版社名:河出書房新社
出版年月:2020年10月
ISBNコード:978-4-309-22811-2
税込価格:3,080円
頁数・縦:258p・20cm
 
 東北各地のアイヌ語地名(と思われるもの)を検証し、その南限が、西側では秋田県と山形県の境、東側では宮城県の北部三分の一ほどのところであると論じる。アイヌ語らしき地名を現地調査し、確かに地名の示すような地形・地物があることを確認していく調査方法は、徹底していて、納得させられる。
 そもそもアイヌは北方から南下してきた民族で、もともと日本列島にいた縄文人とは関係ない。沖縄人と形態的に類似しているとしても、それは遠い共通の祖先が大陸にいた頃からの特徴だろうという。アイヌは北海道から南下して本土に入り、その境界が上記のあたりだろうという説をとる。東北地方にいた「蝦夷(えみし)」の一部がアイヌだった可能性もあるが、ほとんどは「和人」だったのである。
 
【目次】
第1章 モヤはアイヌの「聖なる山」であった
第2章 「モヤ」の原義を求めて
第3章 タッコは「聖山の遥拝所」も含む
第4章 タッコには似た音の地名が珍しくない
第5章 オサナイには「川尻が乾いた川」が多い
第6章 南限線周辺を詳しく調べる
第7章 どのようにして今日に伝わったか
第8章 マタギはアイヌの末裔である
第9章 アイヌ民族は、いつ南下してきたか
第10章 エミシとアイヌは同じではない
 
【著者】
筒井 功 (ツツイ イサオ)
 1944年、高知市生まれ。民俗研究者。元・共同通信社記者。正史に登場しない非定住民の生態や民俗の調査・取材を続ける。第20回旅の文化賞受賞。
 
【抜書】
●アイヌ語地名の条件(p16)
 ① 北海道と本土のそれぞれに同じか、ほぼ同じ地名が数か所以上存在すること。
 ② 日本語では、まず解釈がつかないこと。
 ③ 逆にアイヌ語だと、かなり容易に意味をつかめること。
 ④ その地名が付いた場所の地形または地物などの特徴が、アイヌ語の意味に合致すること。
 
●モイワ(p45)
 ポロイワ=大きい(ほうの)山。
 モイワ=小さい(ほうの)山。モイワが「モヤ」に訛った。
 イワ……岩山、山。この語は今はただ山の意に用いるが、もとは祖先の祭場のある神聖な山をさしたらしい。語源はkamuy-iwak-i(神・住む・所)の省略形か。(知里真志保『地名アイヌ語小辞典』)
《アイヌ語が日本語から借用した単語》
 泊り……トマリ(船溜まり、港)
 磯……イソ(岩礁)
 殿……トノ(役人、偉い人)
 金……カニ(鉄、金属)
 塩……シポ(塩)
 坏、杯(食物を盛る器。盃のつき)……トゥキ(酒杯)
 鉢……パチ(鉢)
 筬(おさ。機織機の部品)……ウォサ(筬)
 箕(み。ちり取り型の農具)……ムィ(箕)
 
●サンナイ(p54)
 サン・ナイ……出る川。「(普段は水がわずかしかないのに、大雨が降ると水がどっと)出る川」からきている。
 
●タッコ(p66)
 タッコの元は、「タプコプ(tapkop)」。
 タプコプ……「離れてぽつんと立っている円山、孤山、孤峰」と、「尾根の先にたんこぶのように高まっている所」の二つの意味がある。(『地名アイヌ語小辞典』)
 東北北部にあるタッコの半分くらいは、「聖山の遥拝所」である。遠くの秀麗な形の高山を望める、ごく狭い範囲の場所。
 
●オサナイ(p114)
 ① オ・サッ・ナイ……尻・乾いた・川。川や沢の口(尻)あるいは下流部で水が枯れている河川。
 ② オ・サン・ナイ……山の尾の・突き出た・川。
 ③ オ・サル・ナイ……川尾に・草原のある・川。
 東北北部の「オサナイ」地名では、①が多い。③は確認できず。
 
●ラッコ(p228)
 ラッコ(カワウソに似た海獣)は、アイヌ語から日本語に入った単語。
 トドは、アイヌ語の「トンド」から。ただし、日本語の「トド」はアシカを含むことも。
 
(2020/11/30)KG
 
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地形と日本人 私たちはどこに暮らしてきたか
 [歴史・地理・民俗]

地形と日本人 私たちはどこに暮らしてきたか (日経プレミアシリーズ)  
金田章裕/著
出版社名:日経BP日本経済新聞出版本部(日経プレミアシリーズ 438)
出版年月:2020年9月
ISBNコード:978-4-532-26438-3
税込価格:990円
頁数・縦:271p・18cm
 
 私たちの住んでいる土地は、自然の営みと、人の営みの相互作用によって作られてきた。地理と歴史が交錯する部分だ。
 日本の地形に関して、おもに水の営力と人工的な改変によって成り立ってきた様子をいくつかの実例をもとにたどる。
 
【目次】
第1章 歴史地理学は「空間と時間の学問」
第2章 河川がつくった平野の地形
第3章 堤防を築くと水害が起こる
第4章 海辺・湖辺・山裾は動く
第5章 崖の効用、縁辺の利点
第6章 人がつくった土地
第7章 地名は変わりゆく
第8章 なぜそれはそこにあるのか―立地と環境へのまなざし
 
【著者】
金田 章裕 (キンダ アキヒロ)
 1946年富山県生まれ。京都大学名誉教授。京都府立京都学・歴彩館館長。京都府公立大学法人理事長。礪波市立礪波散村地域研究所所長。専門は人文地理学、歴史地理学。69年京都大学文学部卒、74年同大学大学院文学研究科博士課程修了。94年同大学文学部教授、2001年副学長、04年理事・副学長、08年大学共同利用機関法人・人間文化研究機構機構長を歴任。著書多数。
 
【抜書】
●自然景観/文化景観(p29)
 景観(landscape)には、人が関与していない、自然の力(営力)によってできた「自然景観」と、何らかの人の力が加わった「文化景観」の2種類がある。
 
●洪積世(p38)
 更新世(洪積世ともいう)……過去約180万年間。氷河時代。海水準変化が著しかった。何万年かの単位で、寒冷な気候の氷期と、温暖な気候の間氷期が繰り返された。
 完新世(沖積世ともいう)……約1万年前に、更新世のビュルム氷期と呼ばれる寒冷な時期が終わり、沖積世が始まった。基本的に温暖期で、やや高海水準である。ただし、地球の地質年代での位置づけは明確には分かっていない。間氷期の一つで、いずれ氷期に向かうのかも知れない。
 
●自然堤防(p61)
 自然堤防……河道近くにできる微高地。氾濫した河川の水流が拡散し、流速が遅くなり、濁流に含まれた土砂が一挙に堆積したところ。扇状地の下流に、「自然堤防」と「後背湿地」が交錯する「自然堤防帯」が広がる。
 自然堤防は下流側の氾濫平野や三角州平野にも多く存在するが、自然堤防帯に比べて規模が小さい。
 
●霞堤(p84)
 霞堤(かすみてい)、筋違い堤、信玄堤、など。
 河川の下流側に短い堤防の一方の端を近づけ、他方を上流側に河川から離れた方向にまっすぐ伸ばして設置した堤防。これを何本も河道沿いに雁行状に設置する。
 増水すると雁行状の堤防の間の不連続な隙間の部分から流水が溢れる。しかし、あふれた流水は霞堤によって上流側へ誘導されるので、流勢はそがれて上流側で滞水することになる。
 上流側で滞水する部分は、通常は主として水田として利用されており、水の滞留だけであれば、稲への被害が軽微である。
 連続堤の決壊より被害が少ない。
 
●圧密(p101)
 新しく積み上げられた土砂がそのまま放置されていても、圧密によって嵩が減る。
 大阪湾の埋め立てによってできた関西空港は少しずつ沈下し、開港以来それを調整し続けている。
 三角州平野や三角州などの低地でも、堆積が進む一方で圧密による沈下が進行している。ゼロメートル地帯の形成。
 
(2020/11/28)KG
 
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だから僕は君をさらう
 [文芸]

だから僕は君をさらう (双葉文庫)
 
斎藤千輪/著
出版社名:双葉社(双葉文庫 さ-47-01)
出版年月:2020年11月
ISBNコード:978-4-575-52424-6
税込価格:770円
頁数・縦:372p・15cm
 
 初恋の人を守ってあげられなかった。だから、僕は君を守る……。
 泣ける、純愛ミステリー。魅力的な登場人物たち。くだくだと言葉を連ねて感動を汚したくない、ほっこりとするストーリーである。
 
【著者】
斎藤 千輪 (サイトウ チワ)
 映像制作会社を経て、放送作家、ライターに。2016年『窓がない部屋のミス・マーシュ』で第2回角川文庫キャラクター小説大賞の優秀賞を受賞しデビュー。20年、『だから僕は君をさらう』で第2回双葉文庫ルーキー大賞を受賞。
 
(2020/11/28)KG
 
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いつになったら宇宙エレベーターで月に行けて、3Dプリンターで臓器が作れるんだい!? 気になる最先端テクノロジー10のゆくえ
 [自然科学]

いつになったら宇宙エレベーターで月に行けて、 3Dプリンターで臓器が作れるんだい!?: 気になる最先端テクノロジー10のゆくえ
 
ケリー・ウィーナースミス/著 ザック・ウィーナースミス/著 中川泉/訳
出版社名:化学同人
出版年月:2020年4月
ISBNコード:978-4-7598-2035-5
税込価格:3,080円
頁数・縦:407p・19cm
 
 近未来に実現しそうなテクノロジーについて、その現状と今後の可能性をユーモアを交えて論じる。
 該当する論文を読みこなし、専門家に取材して書かれているので質の高い内容なのだろうが、随所に顔を出すわけのわからないジョークに辟易した。ジョークを翻訳するのは超難しいんだろうけど、ここで要る、その冗談? という場面がしばしば。アメリカ人のユーモアって、この程度なのか??
 
【目次】
イントロダクション―もうすぐかも。「かも」を強調している点に注意
1 「宇宙」のもうすぐかも!?
 宇宙へ安く行ける方法―最後のフロンティアはメチャクチャお金がかかるぞ
 小惑星採掘―太陽系の「がらくた」置き場あさり
 
2 「モノ」のもうすぐかも!?
 核融合エネルギー―太陽の動力源なのはいいとして、うちのトースターは動かせるわけ?
 プログラム可能な素材―あなたのモノが、どんなモノにでもなっちゃうとしたら?
 ロボットによる建設―金属製の召使いよ、私のために娯楽室を作るのだ!
 拡張現実―現実を修正したいときの代替手段
 合成生物学―フランケンシュタインみたいなモンスターだけど、薬や工業材料をせっせと作るんです
 
3 「人体」のもうすぐかも!?
 プレシジョン・メディシン―あなたのおかしなところすべてを統計的手法で
 バイオプリンティング―新しい肝臓がすぐに印刷できるのに、どうしてマルガリータ7杯でやめちゃうわけ?
 脳‐コンピューター・インターフェース―40億年にわたって進化してきたのに、鍵を置いた場所をいまだに忘れるので
 
もうすぐではないかもしれないもの―またの名を「失われた章の墓場」
 
【著者】
ウィーナースミス,ケリー (Weinersmith, Kelly)
 ライス大学・生物科学非常勤教員。寄宿者を操る寄生生物を研究。人気トップ20に入る科学ポッドキャストを運営。
 
ウィーナースミス,ザック (Weinersmith, Zach)
 マニアックな人気ウェブコミック「サタデー・モーニング・ブレックファースト」の一コマ漫画家。『エコノミスト』『ウォール・ストリート・ジャーナル』『フォーブス』各誌、「サイエンスフライデー」やCNNの番組でも活躍。
 
【抜書】
●スペースシャトル(p23)
〔 アメリカのスペースシャトルは、再利用可能な打ち上げロケットという設計になっていたものの、改修費用があまりにかかった結果、通常のロケットよりも高くついた。これは誰の責任なのかという議論が続いている。エンジニアか、議会か、空軍か、リスクを嫌う大衆か、それ以外か……。結局のところ、この計画の大部分は、フライト後にシャトルの打ち上げを再準備するコストのせいでダメになったのである。そのため、シャトルの引退で多くの人が悲しんだ一方で、多くの宇宙オタクたちは喜んだのだった。〕
 再利用可能なロケットでは、ロケットを回収し、改修するのに多額の費用が掛かる。着陸用の推進剤(燃料)も余分に搭載しなければならない。
 
●ラムジェット(p26)
 ジェット機のターボファンは、時速1200km(マッハ1)に近づくと、空気が飛行機をよける速度より、空気がたまる速度のほうが速くなってしまい、機能しなくなる。
 アフターバーナー……ターボファンの後ろに残った酸素にさらに燃料を投入して点火する。マッハ1.5(時速約1800km)に近づける。
 ラムジェット……基本的に、ターボファンエンジンから、ファンを含めて可動部をすべて取り除いたもの。マッハ1.5になると、空気を圧縮するのにファンは必要ない。自動的に空気がチャンバーに押し込まれ、圧縮される。そこで燃料を加えて点火する。
 スクラムジェット……超音速ラムジェット。超音速の空気が入ってくると、燃料と共に直接点火される。速度を落とすことが一切ない。酸素が速く入ってくるので、燃焼反応を得るのに十分な量があるから。時速約7200kmを超えると、最も効率のいい手段となる。理論上、マッハ25(時速3万600km)まで出せる。
 
【ツッコミ処】
・印刷(p176)
〔 ホッド・リプソン博士とメルバ・カーマンは、その共著『2040年の新世界――3Dプリンタの衝撃』(東洋経済新報社)のなかで完璧な3Dフードプリンターを提案している。自分で一から作るよりも時間がかからずに、完璧なマフィンを印刷できる機械を想像してみてほしい。しかも、ダイエット中なら、脂肪分、炭水化物、塩分、全体のカロリーをその機械が入念にチェックしたうえで、毎回の食事を印刷してくれるのだ。厄介な自己管理とは、もうおさらばできる。〕
  ↓
 食事を「料理」するのではなく、「印刷」する時代が来るのだろうか?
 
(2020/11/22)KG
 
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『ひとり出版社』は人生の楽園
 [ 読書・出版・書店]

「ひとり出版社」は人生の楽園
 
山中伊知郎/著
出版社名:飯塚書店
出版年月:2020年6月
ISBNコード:978-4-7522-6031-8
税込価格:1,650円
頁数・縦:206p・19cm
 
 
■セカンドライフにおすすめ
 「ひとり出版社」山中企画を営み、8年間で40冊の書籍を出版してきた著者による、製作した書籍とその筆者にまつわる思い出話と、「ひとり出版」業のノウハウをちょこっと。
 「ひとり出版社」とは、文字通り一人で企画を考え、取材(もしくは執筆依頼)をして原稿を編集し、本を作る出版社のことである。社員は一人もいないし、家族の手伝いもないようだが、出版業とは基本的に外注産業なので、出したものがそこそこ売れれば何とかやっていける。原稿さえ作れば、表紙デザインやレイアウトはデザイナーに、印刷は印刷所に、製本は製本所に頼めば立派に本は出来上がる。書店への配本は、取次の口座を持つ「流通代行責任会社」(山中企画の場合、星雲社)に頼めばいい。あとは、地道に出版記念パーティや講演会などで売るのが山中企画の販売手法である。
 とは言え、何万部も売れるヒット商品が出なければ、経営はなかなか難しい。半ば趣味として、そこそこの生活ができればいい、と割り切れなければ続かない。本づくりに生きがいを見いだしてこその「ひとり出版社」なのである。
 「自分が企画を立ち上げ、自分が汗を流して作った本が形となって出来上がった時の喜びは、格別です。」(p.10)
 1冊作る製作費は、50万円程度(表紙・本文デザイン10万、印刷・製本30万、取材費・交通費10万。p.88)。それほど掛からないから、退職金や厚生年金をたっぷりともらって引退したあなた、セカンドライフの「楽しみ」として、いかがですか!?
 
【目次】
序章 「ひとり出版社」の楽しさ
第1章 「チャンス青木」から始まった!
第2章 「腸」のオーソリティ田中保郎先生との出会い
第3章 マムシさんと河崎監督
第4章 起業家の方々
第5章 演歌とGS
第6章 取材旅行の日々
第7章 女性の著者たち
 
【著者】
山中 伊知郎 (ヤマナカ イチロウ)
昭和29(1954)年東京都文京区出身。早稲田大学法学部卒業。雑誌や単行本のライターとして活動後、2012年より、「ひとり出版社」山中企画をスタートさせ、8年間で約40冊の本を出す。お笑い関連本、健康関連本から、ビジネス本、演歌、GS(グループサウンズ)本など、出したジャンルは多岐にわたる。お笑いライブ「ちょっと昭和なヤングたち」は15年間続けている。
 
(2020/11/22)KG
 
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日本史サイエンス 蒙古襲来、秀吉の大返し、戦艦大和の謎に迫る
 [歴史・地理・民俗]

日本史サイエンス 蒙古襲来、秀吉の大返し、戦艦大和の謎に迫る (ブルーバックス)  
播田安弘/著
出版社名:講談社(ブルーバックス B-2149)
出版年月:2020年9月
ISBNコード:978-4-06-520957-8
税込価格:1,100円
頁数・縦:243p・18cm
 
 
■謎は深まる
 従来の歴史学で「通説」になっているにもかかわらず、「ニュートンの運動方程式に明らかに反している」説が多数あるという。その中で「蒙古襲来」「秀吉の大返し」「戦艦大和」を科学的に検証し、「本当はこうだったんじゃないか」を探る。
 まずは「蒙古襲来」。
 ・蒙古軍は1日で全軍が上陸できなかった。
 ・上陸地は博多市街から遠い百道浜だった。
 ・日本武士団の集団騎馬突撃に進軍を妨げられた。
 ・想定外の被害が出たために早期の大宰府攻略を断念し、天候急変を警戒して撤退を決定するも、その夜に強い北西風により遭難した。
というのが真相ではないかと結論付ける(pp.91-92)。
 であれば更なる謎として、なぜ武士団の勝利が定説とならず、神風神話がまかり通ったのか、という疑問が頭をもたげてくる。多くの鎌倉武士たちが参加したのだから、各地で彼らは自分たちの武功を自慢したはずだ、と思うのである。たとえば、本書で紹介されている竹崎季長の『蒙古襲来絵詞』である。同様の武勇伝が多数、各地に存在するのではないだろうか。にもかかわらず、なぜ「神風」が定説になってしまったのだろう。筆者によると、「寺社功徳をしっかり宣伝」するための『八幡愚童訓』の影響が大きいというのだが。
 筆者の説を否定しているのではない。蒙古軍が一夜にして引き上げてしまった謎をうまく説明していると思う。しかし、ならばなぜ……、なのである。
 謎は深まるばかりだ。
 
 ちなみに、「中国大返し」の結論は以下の通り(p.148)。
 ・通説どおり、事前の準備なく全軍2万人が8日間で全行程を踏破することは、食料調達の困難さ、雨中の野営と船坂峠越えによる体力の消耗などから不可能と考えられる。
 ・大返しを可能にするためには、事前に相当な準備が必要と考えられる。
 ・秀吉は本体と分かれ、海路を利用して船坂峠を回避し、京都に急ぎながら畿内や周辺の武将たちを味方につけて、山崎の戦いで主戦力としたと考えられる。
 
 戦艦大和は無用の長物でなかった説は……。まさに目から鱗である(p.221)。
 ・戦艦大和はアウトレンジ作戦の切り札として温存されているうちに、戦局が悪化して大和を護衛すべき空母と航空機のほとんどが失われた。
 ・大和とともに艦隊を構成すべき巡洋艦や駆逐艦が設計ミスにより多数沈められ、『裸の戦艦』となったことで活躍のしようがなくなってしまった。
 ・大和を戦争初期に効果的に運用する方法はいくつも考えられた。
 ・戦後は日本のものづくりの基礎となり、大和の存在を知った日本人の精神的支柱ともなった。
 
 以上、著者のまとめの引き写しです。あしからず。
 
【目次】
第1章 蒙古軍はなぜ一夜で撤退したのか
 歴史を変えた「ジャイアント・キリング」
 蒙古軍はなぜ撤退したのか?
  ほか
第2章 秀吉の大返しはなぜ成功したのか
 日本史上きわめて重要な軍事行動
 中国大返しまでの状況
  ほか
第3章 戦艦大和は無用の長物だったのか
 わずか3年4ヵ月の「生涯」
 「史上最大の戦艦」が計画されるまで
  ほか
終章 歴史は繰り返される
 巨大な数字のリアリティ
 目を曇らせる「奇跡」「伝説」
  ほか
 
【著者】
播田 安弘 (ハリタ ヤスヒロ)
 1941年徳島県生まれ。父は造船所経営、母の実家は江戸時代から続く船大工「播磨屋」の棟梁。艦船の設計を夢見て三井造船(当時)に入社、大型船から特殊船までの基本計画を担当。半潜水型水中展望船、流氷砕氷船「ガリンコ号2」、東京商船大学(当時)のハイテク観測交通艇などを開発、主任設計。東海大学海洋学部で非常勤講師を八年間務め、この間、2008年、日本初の水陸両用バス「LEGEND零ONE号」の船舶部分を設計。定年後は船の3Dイラストレーションを制作する「Ship 3D Design播磨屋」を主宰。
 
(2020/11/18)KG
 
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アフリカ出身サコ学長、日本を語る
 [教育・学参]

アフリカ出身 サコ学長、日本を語る
 
ウスビ・サコ/著
出版社名:朝日新聞出版
出版年月:2020年7月
ISBNコード:978-4-02-331880-9
税込価格:1,650円
頁数・縦:223p・19cm
 
 マリ共和国出身の著者が、日本に留学して京都精華大学の学長に就任するまでの半生を語り、日本の教育の問題、そもそもの教育の意義を考える。
 著者が、出身地マリ、そしてアフリカに強い誇りを持っているところが素晴らしい。そのうえで公平な目で物事を見ているからこそ、日本の良さも問題点も分かるのだろう。
 
【目次】
第1章 赤の他人に教育されるマリ―サコ、すくすく育つ
第2章 ヨーロッパだけが世界じゃない―サコ、異文化に出会う
第3章 マリアンジャパニーズとして生きる―サコ、家庭を持つ
第4章 十人十色の学生たち―サコ、教鞭をとる
第5章 一緒に、大学をつくりたい―サコ、学長になる
第6章 ここがヘンだよ、日本の学び―サコ、教育を斬る
第7章 大学よ、意志を持て―サコ、大学を叱る
第8章 コロナの時代をどう生きるか―サコ、日本に提言する
 
【著者】
サコ,ウスビ (Sacko, Oussouby)
 1966年5月26日マリ共和国・首都バマコ生まれ。81年、マリ高等技術学校(リセ・テクニック)入学。85年、中国に留学し北京語言大学、東南大学で学ぶ。91年4月、大阪の日本語学校に入学。同年9月京都大学研究室に所属。92年、京都大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程入学。99年、同博士課程修了。2000年、京都大学より博士号(工学)取得。01年、京都精華大学人文学部専任講師に就任。02年、日本国籍取得。13年、人文学部教授、学部長に就任。18年4月、学長に就任。研究テーマは「居住空間」「京都の町家再生」「コミュニティ再生」「西アフリカの世界文化遺産(都市と建築)の保存・改修」など。社会と建築空間の関係性をさまざまな角度から調査研究を進めている。
 
【抜書】
●賄賂(p198)
 マリでは、村落部で親が先生に賄賂を渡すことがあるが、その目的は、「うちの子の成績を悪くして学校をやめさせてほしい」というものだ。
 マリでは、都市部や村落部を問わず、「学校教育を受けて成長することは、必ずしも人間の最適な人生ではない」という考え方がある。
 マリには小学校から留年制度も退学制度もある。教科学習は、一部の人にとってはためになるかもしれないが、20年やっても効果が出ない可能性がある。
 したがって村落部では、学校に進むよりも地域で育てるほうが、その子の人生は充実すると考える人たちが少なくない。
 
●教育(p204)
〔 今一度、考えてみよう。教育が力を入れるべきことは何だろうか。それは、一人ひとりが自分の幸せとは何かを考えること、そして、「人間」の幸せを追求することではないだろうか。〕
 
(2020/11/15)KG
 
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カモノハシの博物誌 ふしぎな哺乳類の進化と発見の物語
 [自然科学]

カモノハシの博物誌~ふしぎな哺乳類の進化と発見の物語 (生物ミステリー)  
浅原正和/著
出版社名:技術評論社
出版年月:2020年7月
ISBNコード:978-4-297-11512-8
税込価格:2,508円
頁数・縦:223p・21cm
 
 カモノハシ愛に満ちた、哺乳類進化史。
 もちろん、タイトルの通りカモノハシの百科的解説書なのだが、カモノハシの話だけでなく、哺乳類の進化の話が分かりやすく、役に立つ。カモノハシ(単孔類)とその他の哺乳類の違いがよく分かる説明となっている。
 
【目次】
1 カモノハシの形態学
2 カモノハシの生態学
3 カモノハシと哺乳類の進化.
4 化石単孔類の研究
5 カモノハシが歯を失った話と私
6 カモノハシの発見と研究の歴史
7 人間社会とカモノハシ
私のカモノハシ研究の背景とこれから―あとがきにかえて
 
【著者】
浅原 正和 (アサハラ マサカズ)
 哺乳類のかたちの進化を研究。頭の骨や歯のかたちの進化が専門。京都大学大学院理学研究科修了、博士(理学)。現在、愛知学院大学で生物学を教えている。2016年日本哺乳類学会奨励賞、2019年日本進化学会研究奨励賞受賞。
 
【抜書】
●眼球(p10)
 カモノハシの眼球は、角膜の表面やレンズの表面側が平たく、レンズの奥側が凸面になっている。
 水中で十分な光の屈折率を得るための適応。イルカやラッコなど、水中で暮らしている哺乳類の眼球の特徴。
 現存するカモノハシの視覚は弱いが、祖先が水中で視覚を利用していた名残か。
 
●エレクトロレセプター(p15)
 カモノハシの嘴には、メカノレセプター(機械受容器)と、エレクトロレセプター(電気受容器)が備わっている。
 機械受容器……機械的な刺激を感じる器官。水中では水流や水圧を感じて、くちばしの先に何があるかを知覚する。
 電気受容器……電気を感じる器官。獲物が発する微弱な電流をキャッチして、獲物の場所を明らかにする。哺乳類では、単孔類の他にギアナイルカで発見されているのみ。
 電気受容器の数は、くちばしに約4万個ある。ハリモグラは400個(痕跡器官?)、ミユビハリモグラは2,000個。 
 
●脂肪(p36)
 カモノハシは、脂肪を尾に蓄える。全身の脂肪のうちの40%。そのため、上下に少し膨らんでいる。
 
●乳頭(p40)
 カモノハシには乳頭がない。子どもは、母親のお腹に汗のように染み出してくるピンクから白色のミルクをなめて育つ。
 ミルクの栄養価は高く、他の哺乳類よりも栄養が濃い。
 ちなみに、アポクリン腺という汗腺が、乳腺の起源ではないかと言われている。(p64)
 
●けづめ(p44)
 カモノハシのオスの後ろ足のかかとにけづめがある。オス同士の争いに用いられ、毒を持つ。
 毒の成分は、ペプチドとタンパク質の複合体。人が刺されるととても強い痛みがあるが、死亡例はない。
 子どものころにはメスにもけづめの元になる突起があるが、成長すると抜け落ちてしまう。
 
●性染色体(p47)
 カモノハシの性染色体は、5対ある。
 メスはXXXXX XXXXX、オスはXXXXX YYYYYの染色体を持つ。ハリモグラのオスはXXXXX YYYYで、Yが一つ足りない。
 染色体上にある遺伝子の種類は、鳥類のZW染色体(ZZがオス、ZWがメス)に近い。性染色体自体は、鳥類と哺乳類で独自に進化したと考えられている。
 
●異形歯性(p57)
 哺乳類の特徴の一つ。切歯、犬歯、小臼歯、大臼歯といったように、歯がいくつかの種類に分かれていること。
 ほとんどの爬虫類は、すべての歯が単純にとがった形の「単尖歯」となっている。
 異形歯性の起源は、すでに盤竜類の段階で見られる。ディメトロドンの歯は大型の単尖歯だが、歯の大きさに違いが表れている。エダフォサウルスは、とがった歯と丸みを帯びた歯を持っている。
 カモノハシは、歯が退化し、くちばしの奥の「角質板」で咀嚼する。乳臼歯が生えていた位置にあり、爪と同じ角質でできた板状の構造。(p20)
 
●二次口蓋(p73)
 鼻と口の境を二次口蓋と呼ぶ。
 哺乳類は、二次口蓋が骨できちんと閉じている。骨性二次口蓋。鼻と口を物理的に分けているおかげで、食べ物を咀嚼しながら呼吸ができる。
 口の中でものを長くとどめて咀嚼ができるようになったことで、咀嚼に適する複雑な形態をした臼歯を進化させることができた。
 骨性二次口蓋は、恒温性を保つため、活発な代謝とそれに伴う常時呼吸が必要になったための進化でもある。
 
●背腹軸運動(p87)
 脊椎動物のほとんどは、魚のように左右軸方向に体をくねらせながら移動する。陸上でも、トカゲのように左右の足を交互に出す体幹運動をする。単孔類や有袋類も同様。
 真獣類の仲間では、体幹を前後に動かす「背腹軸運動」(背中と腹側の方向軸に沿った動き)をする。二本の前脚が同時に地面をつかんで体を前に進め、二本の後脚を同時に動かして地面を蹴る。
 
●ミオグロビン(p110)
 ミオグロビン……筋肉中で酸素を蓄える働きがある。
 クジラなどの水棲哺乳類や、カモノハシを含む半水棲哺乳類は、陸棲の哺乳類よりも血液中のミオグロビンの量が多い。
 ハリモグラ、モグラ、ハイラックス、ゾウもミオグロビン量が多い。電気的な特性も半水棲動物に近い。これらの動物は、そう遠くない祖先が半水棲だった可能性がある。
 
●記載論文(p146)
 ある「新種」を発見したことを報告する論文を「記載論文」と呼ぶ。
 記載論文では、その種を代表させる「タイプ標本」を指定することが必要になる。タイプ標本は、実際にその生き物が存在する証拠として、またその新種を定義づける標本として、博物館に永久に保管される。
 
●珍物茶屋(p148)
 ヨーロッパでは、富裕層が世界中から珍しいものを集めて「珍品陳列室」や「驚異の部屋」と呼ばれる部屋を自邸に拵えた。15~17世紀。博物館、博物学の起源。
 また、コーヒーハウスに珍品を集め、そこで植物同好会などを作り、日夜談議に明け暮れた。博物趣味の流行は、18世紀に最盛期を迎える。
 同じころ、日本でも、珍しい品々を展示して客寄せする茶店が流行した。珍物茶屋。
 
●本草学(p155)
 西洋の博物学(そして分類学)は、モノの収集と目録作りから発展した。
 東洋の博物学ともいえる本草学は、薬草学から発展した。薬草は使われてなくなるものなので、あくまでも書物に書かれた説明文や図画として情報が蓄積されるのみだった。
 
●ラマルク(p169)
 1809年、ラマルクが『動物哲学』を発表する。古典的な進化論。
 古来からの自然観である「自然の階梯」の影響が見て取れる。
 ラマルクの進化論は、「用不用説(よく使う器官は発達する)」、獲得形質の遺伝(親の世代で発達した器官の特徴は受け継がれる)という点が強調されるが、理論の根幹は、生命が次から次へと自然発生すること、そして自然発生した生命はそれぞれの系譜をたどるうちに徐々に複雑化していくという2点。用不用と獲得形質の遺伝のメカニズムによって複雑に進化していく。
 
●パリ国立自然史博物館(p173)
 古代ギリシャでは、自然科学は「自然哲学」と「自然史学(博物学)」に大別されていた。自然哲学は数学や物理学など、一般法則を突き詰めていく学問で、貴族的、特権階級的な学問だった。自然史学は、どちらかといえば庶民的な学問と考えられていた。
 フランス革命のときに、貴族的な自然哲学が排斥された一方、自然史学への支援を国家として拡大すべきという機運が生じた。
 1793年、国立自然史博物館が誕生した。もともと王立植物園だったものを改組。13の教授ポストを持ち、コレクションを一般公開する一大研究機関。
 
(2020/11/14)KG
 
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科学化する仏教 瞑想と心身の近現代
 [哲学・心理・宗教]

科学化する仏教 瞑想と心身の近現代 (角川選書)
 
碧海寿広/著
出版社名:KADOKAWA(角川選書 640)
出版年月:2020年7月
ISBNコード:978-4-04-703674-1
税込価格:1,870円
頁数・縦:287p・19cm
 
 仏教と科学の関わりに関する日本近現代史。
 
【目次】
序章 仏教と科学
第1章 心理学と仏教
第2章 催眠術と仏教
第3章 密教の科学
第4章 禅の科学
第5章 ニューサイエンスと仏教
終章 心身の新世紀
 
【著者】
碧海 寿広 (オオミ トシヒロ)
 1981年、東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。博士(社会学)。国際宗教研究所宗教情報リサーチセンター研究員、龍谷大学アジア仏教文化研究センター博士研究員などを経て、武蔵野大学文学部准教授。
 
【抜書】
●元良勇次郎(p46)
 日本初のアカデミック心理学者、1858-1912年。
 米国に留学、ジョンズ・ホプキンズ大学で心理学者のスタンレー・ホールと共同研究を行う。1888年に同大で博士号を取得して帰国。
 1893年、帝国大学(東京)に開設された心理学講座の担当教授となる。
 「宗教と云ふものは悲哀の情に基づひて起つて来たものである」「宗教を無くそうとしたならば、其悲哀の情に陥つた時分に之を慰むると云ふ術を一つ拵へなければならぬ」(「政治と宗教と教育」『日本大家論集』第六巻第九号、1894年)。
 科学が宗教に代わって、人間の悲しみの感情に適切に対処できる技術を作り上げるべきである。
 
●ウィリアム・ジェームズ(p61)
 心理学者、1842-1910年。『宗教的経験の諸相』(1901-02年)を刊行。宗教体験を科学的に分析した最初期の書。「宗教は、合理的あるいは論理的に他の何ものからも演繹できない魅力を人生にそえるものである」。
 宗教体験の心理現象を解明するために、膨大な量の宗教体験の語りをデータに用い、その内実を多角的に考察。
 
●福来友吉(p87)
 1869-1952年。元良勇次郎の弟子。東京帝国大学助教授までいったが、催眠術の研究にのめり込み、透視・念写の実験などを行い、東大から追放された。被験者の御船千鶴子が自殺(1911年1月)、長尾郁子が病死(同年2月)。1913年『透視と念写』刊行。1915年11月、2年間の休職後、退職。
 1916年『心霊の現象』刊行。
 真言密教に興味を持つようになる。透視や念写の能力を身につけるべく、修行にも励む。
 1921年、真言宗が経営する私立宣真高等女学校の初代校長。
 1926年、高野山大学教授。
 1930年、京都市外の嵯峨公会堂で「弘法大師の御霊影」を念写する実験を行う。空海49歳の「弘仁13年7月15日から百ケ日間御修法の時の御姿」が写真に現れた、とされる。
 1932年、『心霊と神秘世界』刊行。真言密教を理論的なバックボーンとした、心霊現象と神秘主義の体系的な解説書。
 
●超合理的(p117)
 京都帝国大学理工科教授の青柳栄司(あおやぎえいじ、1873-1944)は、1928年、『科学上より見たる弘法大師』(六大新報社)を刊行。弘法大師の生涯と業績を紹介しながら、「科学と宗教との重要なる関係」について見解を述べる。「今日、科学者の中には往々にして宗教を無視し或は排斥する者があり、又宗教家の中には科学を尊重せず却つて之と抵触する見解を抱く者がありはしないかと予は虞(おそ)れる」。
 宗教は、科学的に見て不合理なのではなく、むしろ「超合理」なものである。
  第一式 1+2=3  (合理的)
  第二式 1+2+宗教=3+a (超合理的)
  第三式 1+2+無宗教=3-a (不合理的)
 
●内観(p135)
 自身の心や人間関係に問題を抱えた者が、一定期間にわたり隔離された環境で、自己内省をひたすら深める心理療法。浄土真宗の吉本伊信(よしもといしん、1916-88)が昭和初期に開発した。
 内観者は、自己と改めて向き合うための手法として、過去から現在までの対人関係を徹底して見直す。自分の母親をはじめとする具体的な他者を念頭に、自分が相手に「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」の三項目について、ひたすら想起する。
 内観が順調に進んだ場合、内観者は、自分に多くの恩恵を与えてくれた相手への感謝の念を強め、心の歪みが治療される。また、安定した自己認識や、他者との良好な関係を築けるようになる。
 肯定的な効能は心理学者らによって確かめられており、1954年以降、少年院や刑務所などの矯正施設にも導入された。
 
●賽銭箱(p186)
 近世以降、共同体のための祈願から個人本位の祈願への移り変わりが顕著になる。それを象徴するのが「賽銭箱」。
 社寺に賽銭箱が設置されると、人々は個々の願望の成就を神仏に祈るようになる。それまでは、村の人々は社寺や祭礼の場などに集まり、ともに祈りをささげた。
 次第に多くの日本人が、自分の願いをかなえてくれるかどうか「神を試みる」ようになり、そこから「信仰の個人化」が生じ始めた。
 阿満利麿『日本人はなぜ無宗教なのか』(ちくま新書、1996年)より。
 
●心理利益(p187)
 「問題が客観的に改善しなくても、主観的な心の状態が良くなり、前向きになること、問題を肯定的に受容し、積極的に取り組めるようになること、やがて願望を実現するのにふさわしい強い思いを持てるようになること」。
 心理利益を期待して、社寺や「パワースポット」を訪れる人々が増加している。
 堀江宗正(のりちか)「パワースポット体験の現象学―現世利益から心理利益へ」『ポップ・スピリチュアリティ―メディア化された宗教性』(岩波書店、2019年)より。
 
●テオーリア(p213)
 湯浅泰雄(1925-2005)、『身体―東洋的心身論』(創文社、1977年)、『宗教と科学の間―共時性・超心理学・気の科学』(名著刊行会、1993年)。
 ギリシャ時代の昔から、西洋では、神のような特権的な立場から世界を観察する「テオーリア(観察)の知」が高い地位にあった。軍人や労働者や奴隷のように実践活動=プラクシスに従事する人々は、低い地位にあると考えられた。
 20世紀に入り、この関係が逆転する。巨大加速器がなければ物理学の研究ができなくなり、最先端の計測器がなければバイオテクノロジーも医学の分野も進歩しなくなった。
 「今や、科学が逆に技術に従属する時代になった」。「プラクシスの知」の優越。
 東洋における知の伝統は、テオーリアとプラクシスを分離しない知、あるいは、実践を通じて自分の心そのものを変容させる体験知としての一種の技術を示している。いわば、プラクシスを通じて得られる高次のテオーリアの知を目指すものである。
 
(2020/11/10)KG
 
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盗まれたエジプト文明 ナイル5000年の墓泥棒
 [歴史・地理・民俗]

盗まれたエジプト文明 ナイル5000年の墓泥棒 (文春新書)
 
篠田航一/著
出版社名:文藝春秋(文春新書 1278)
出版年月:2020年8月
ISBNコード:978-4-16-661278-9
税込価格:968円
頁数・縦:254p・18cm
 
 古代エジプトの遺跡の略奪に関する歴史をたどる。新聞記者ならではなの、取材に基づくエピソードや旅行記的な記述も豊富である。
 
【目次】
第1章 いまも暗躍する盗掘者たち
第2章 ピラミッドの略奪
第3章 中世のミイラ泥棒
第4章 最大の「略奪者」ナポレオン
第5章 最後の「盗掘者」ベルツォーニ
第6章 それでも盗掘は続く
  
【著者】
篠田 航一 (シノダ コウイチ)
 1973年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。97年毎日新聞社入社。甲府支局、武蔵野支局、東京本社社会部などを経て、ドイツ留学後、2011~15年ベルリン特派員。青森支局次長を経て、17年から3年間、カイロ特派員として中東を担当し、イラクやシリアの紛争地などを取材。20年4月から外信部デスク。
 
【抜書】
●古代エジプト王朝(p67)
 約1万年前、氷河期が終わると、ナイル川沿いに人々が定住し始め、農耕を始めた。複数の国ができた。
 BC3050年頃、中南部地域の「上エジプト」と北部地域の「下エジプト」が統一された。「古代エジプト王朝」の始まり。
 この統一からBC332年のアレクサンドロス大王が征服するまでの期間を30ないし31の王朝に区分する。BC3世紀のエジプト人歴史家マネトの時代区分。
 第一王朝の最初の王はナルメル王。都はメンフィス(現カイロ近郊)。
 BC2686年頃に始まった第三王朝のジョセル王が、史上初めてピラミッドを作った。第三王朝から第六王朝(BC2345~BC2185年)までの約500年間が「古王国」と呼ばれ、ピラミッドが盛んに造営された。
 BC21~BC18世紀が「中王国」。中王国の終わり頃、アジアから異民族のヒクソスがやってきて、エジプト史上初となる外国人王朝を打ち立て、100年以上もエジプトを支配する。彼らは馬に引かせた戦車を持ち込んだ。
 BC1570~BC1070年頃が「新王国」。第一八~第二〇王朝。近隣のシリアやヌビアに支配を広げた。ピラミッドは作られなくなった。
 
●偉大なエジプト王(p69)
 エジプト人のジョーク。
 「クフ王やツタンカーメン王は偉大だ。僕たちエジプト人を数千年間、食わせてくれている」。
 
●オベリスク(p95)
 オベリスク……太陽神を象徴するとされる記念碑。先端はピラミッド状の四角柱。ヒエログリフや図像が刻まれ、神殿や墓の前に建てられた。神殿の入り口に2本対にして建てる。
 ローマのポポロ広場に建つオベリスクはラムセス2世(BC13世紀)のもの。BC10年にローマ皇帝アウグストゥスが持ち出し、ローマの円形競技場に建てた。その後、16世紀にポポロ広場に建て直された。
 トルコのイスタンブールのスルタン・アフメト公園に残るオベリスクも、4世紀のローマ皇帝テオドシウス1世の時代に運ばれてきた。
 フランスのコンコルド広場にあるオベリスクは、ルクソール神殿にあったもの。当時のオスマン帝国のエジプト総督ムハンマド・アリーが、気前よくフランスに寄贈してしまった。ジャン=フランソワ・シャンポリオンの提案によってフランスに持ち去られ、1836年、コンコルド広場に建てられた。「前にも書いたことですが、もし政府がパリにオベリスクを欲しいのであれば、ルクソールのもの(入り口から見て右側のもの)を手に入れることが国家的名誉にかなっていると思います。高さ二十メートルの、これ以上美しいものはないと思われるようなモノリス(注 1本石でつくられた柱)です……みごとな出来映えで、保存状態も最高です。このことを伝えて、パリをこのような驚異で飾ることよってわが名を不滅にしたいと思うような大臣を見つけてください」(p156。1828年夏、兄に宛てた手紙)。
●カバ(p123)
 ギザの三大ピラミッドの南西数100mに位置する岩山に、ピラミッドを建設した当時の労働者たちの墓のひとつ、ペテティという人物の墓。墓室にある二つの石板に刻まれた「呪いの書」。
 「この墓に入るすべての男と女は、ワニ、ヘビ、カバ、サソリに殺されるだろう」と記されている。カバも危険な動物?
 
●『エジプト誌』(p131)
 1798年、ナポレオンがエジプトに遠征した時、160~200人の学者を連れて行った。専門は、天文学、動物学、植物学、鉱物学、化学、数学、薬学、文学、政治学、経済学、印刷学、東洋学、地理学、建築学、測量学、地質学……。
 このエジプト学術調査団は、帰国後、20年をかけて全23巻の調査報告書を作成した。『エジプト誌(Description de l'Égypte)』(1809~1829年)。当時の世界最高峰のエジプト百科事典。
 ドミニク・ヴィヴァン・ドノン(1747‐1825)、画家であり、外交官。貴族出身で、フランス革命のために財産を没収される。「絵を描く係」として、ナポレオンの遠征に参加。ドノンのスケッチが、『エジプト誌』に花を添えた。
 〔ナポレオン帝政、ブルボン朝の復権、一八三〇年の立憲君主制の成立と、政体がめまぐるしく変わる激動期にありながら、フランスという国はこの出版作業を中断させることなく、二〇年がかりで完遂させた。まさに国家を挙げた大事業だったといえるだろう。出版を指示したのはナポレオン本人だが、彼は完成を見ることなく一八二一年に世を去っている。〕
 
●デンデラの電球(p134)
 エジプト中部にあるデンデラ神殿。長い年月をかけて築かれた複数の神殿の複合体。中王国時代(BC21~BC18世紀ごろ)以降、約2000年にわたって増築・改修がくりかえされた。古代エジプト最後の女王、プトレマイオス朝のクレオパトラ7世(BC1世紀)を描いたレリーフも残る。
 中心施設ハトホル神殿の地下に、「デンデラの電球」がある。人間が懐中電灯で周囲を照らしているような構図の壁画。スコットランド生まれの動物学者で、UFOなどの超常現象研究家でもあったアイヴァン・サンダーソン(1911‐1973)が、「これは照明電球だ」との説を唱えた。エジプト人は、古代にすでに電球を発明していた? 神殿の保存状態が良好で、遺跡も煤で汚れていないのは、火を使わずに「電気を使っていたからだ」というわけ。
 実際には、光に見えるうねった線はヘビ。古代には神聖な動物とされていた。人の手の部分にあるのは懐中電灯ではなく、植物のハス。ここからヘビが生まれる様子が刻まれている。
 オーパーツ(OOPARTS: out of place artifacts)の好例。その場所や時代にはありえない工作物。
 
●パピルス(p162)
 カヤツリグサ科の多年草。
 古代エジプト人は、この植物の茎を割いて縦横に並べ、乾燥させ、紙のようなものを作り上げた。
 現代のエジプトではほとんど自生しておらず、栽培されたものを使って土産物用や、カレンダー、ノート、結婚式の招待状などとして製造されている。「パピルス村」と呼ばれるカラモウス村は、カイロから車で2時間半ほど東北の水田地帯にある。
 
●ベルツォーニ(p168)
 ジョヴァンニ・バティスタ・ベルツォーニ、1778-1823、イタリア人。
 身長約2m、ロンドンで怪力の大道芸人として名をはせた。エジプトに渡って水車の商売で1発当てようともくろむが失敗。英国領事に見込まれて遺跡の発掘を手掛けるようになる。
 ルクソールの葬祭殿「ラムセウム」にあったラムセス2世の胸像をイギリスに持ち帰り、砂に埋もれていたアブシンベル神殿を発掘した。
 1823年、ニジェール川の水源探索の冒険に出かけ、ベニン王国、現在のナイジェリア南部のグワトという町で赤痢のために亡くなった。
 1810年から1828年の間に、13の神殿が消滅した。アリー総督の近代化政策によって神殿の石が工場の建設に使われたり、石灰窯で焼かれたりした。略奪者に持ち去られたおかげで、このような破損を免れた遺物も多い。フランスの考古学者ジャン・ベルクテール『古代エジプト探検史』による。
 
●アブデルラスール一族(p212)
 ルクソール西岸のクルナ村(別名「泥棒村」)で盗掘にいそしんだ泥棒一家。
 1871年、アフメドが迷子のヤギを探しているうちに、砂漠の岩山の中腹にある不思議な穴を見つけた。ヤギはその穴に落ちていた。竪穴に降りてみると、そこにはミイラや副葬品があった。
 一族は、犯罪が発覚するまでの10年の間、遺物を少しずつ売り、生計を立てていた。
 
(2020/11/8)KG
 
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