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孤高 国語学者大野晋の生涯
 [言語・語学]

孤高 国語学者大野晋の生涯 (集英社文庫)

川村二郎/著
出版社名 : 集英社(集英社文庫 か73-1)
出版年月 : 2015年10月
ISBNコード : 978-4-08-745373-7
税込価格 : 799円
頁数・縦 : 366p・16cm


 歯に衣着せぬ鋭い舌鋒で「抜き身の刀」と呼ばれた国語学者、大野晋の伝記を、親交のあった元新聞記者が綴る。2009年9月に東京書籍より刊行された単行本の文庫版である。
 大野晋というと、「日本語タミル語起源説」や、『日本語練習帳』など、風変わりな学者という印象しかなかったが、真摯に学問研究に邁進した立派な学者だったということが分かった。
 国語教育に対しても一家言もっていた。小学校でもっと国語の時間を増やすべきだという主張はうなずける。優れた人間を育てるには、国語力の涵養が必要である。社会や理科という教科をなくして、その分野の良書を読ませればいいとも言う。これも一理ある。ただ、理科の実験や、動植物の育成・栽培などは行ってもいいと思うが……。社会も、地図の読み方くらいは勉強させたい。
 また、国語教育を充実させるのはいいが、読書感想文は書かせないほうがいい、とも。なぜなら、読書嫌いを増やす結果になるからである。それよりも、きちんと漢字や、文法、発音を教え、論理的な文章を書く訓練をさせるべきである。詩も、創作させるのでなく、優れた詩(歌)を徹底的に記憶させるほうがよい、と説く。確かに、そのほうが豊かな国語力を身につけることにつながるだろう。
 これまであまり深く考えたことはなかったが、「日本語の起源がタミル語である」という説を掘り下げてみる必要があるかもしれない。

【目次】
プロローグ 熱風
第1章 下町
第2章 山の手
第3章 戦争
第4章 敗戦
第5章 国語
第6章 タミル語
エピローグ 遺言

【著者】
川村 二郎 (カワムラ ジロウ)
 1941年、東京生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後、朝日新聞社に入社。『週刊朝日』編集長、朝日新聞編集委員などを歴任。

【抜書】
●蛮カラ(p71)
 〔「蛮カラ」という言葉は、明治時代に西欧に傾倒した新しもの好きの人たちが好んだ、襟の高い洋服(ハイ・カラー)から生まれた「ハイカラ」に対抗する意味でつくられたものである。言葉の根底には、侮蔑や嫉妬や羨望が入り混じった感情がある。〕

●伊藤忠兵衛(p97)
 伊藤忠兵衛(2代目)……滋賀県に生まれ、八幡商業に学ぶが、父親の死で進学を断念し、18歳で家業の綿糸卸商を継ぐ。23歳でイギリスに留学。32歳で「伊藤忠商事」を設立する。大正9年(1920)に始まったカナモジ運動の推進者。
 大野晋は、第一高等学校2年から東京大学卒業まで、伊藤の奨学金給付を受けることになる。対象者は十数人。

●助動詞の寿命(p304)
 助動詞の寿命は、だいたい500年。500年たつと、姿を消してしまうか、元の形がわかりにくくなるほど変わってしまう。
 「つ、ぬ、たり、り、き、けり、けむ」は、口語では消えた。
 (室町時代)まいらする→まるする→まっする→まっす→ます(現代)
 「る・らる・す・さす」は、「られる、される」の形で残っている。

●大野晋の学者像(p323)
 〔大野の頭の中にある学者は、学問研究に誠実で、事実に対して謙虚で、メンツなどにはこだわらない、そういうものだったのだろう。〕

●日本語とタミル語の間にある共通点(p334)
 大野が20年間におよぶ研究から到達した結論。
 ①すべての音素にわたって音韻の対応がある。
 ②基礎語を中心に対応する単語が500語近くある。
 ③文法も構造も共通するところがある。
 ④助詞、助動詞が音韻でも用法でも対応し、係り結びの法則にも共通性がある。
 ⑤五七五七七という歌の韻律が共通している。

●日本を救った言葉(p343)
 東京書籍と時事通信社が共同で「日本語検定」を始めることになり、監修役を引き受ける。2007年2月27日、日本経団連会館で行われた記者会見にて。
〔 会見で大野は、言葉が日本を救った例を語った。ポツダム宣言の中の一節、「天皇はis subject to連合国最高司令官」の訳である。
 普通は「従属する」と訳すところを外務省事務次官の松本俊一は、「そんな訳にすれば、怒った軍部が焦土作戦に出る」と考えて、「制限の下に置かれる」と訳し、天皇のもとに届けた話である。
 松本にこういう訳ができたのは、彼に日本語の教養があったからである。日本を救ったのは、言葉の力であると、大野は諄々と説いた。そして、
「私は日本語をいくらか勉強したので、少しわかるようになりました」
といってから、
「日本語が話せて、日本語の読み書きができる。その程度で言葉がわかるとは思わないで下さい。もっと本気で、日本語に対して下さい」
 といって、会見を終えた。これが、公式の場で発した大野の最後の言葉となった。大野の著書を読んだことのある者は、「遺言」と聞いた。〕

(2016/1/16)KG

〈この本の詳細〉


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