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公共図書館が消滅する日
 [ 読書・出版・書店]

公共図書館が消滅する日  
薬師院仁志/著 薬師院はるみ/著
出版社名:牧野出版
出版年月:2020年5月
ISBNコード:978-4-89500-229-5
税込価格:2,970円
頁数・縦:438p・19cm
 
 中小レポート(日本図書館協会編『中小都市における公共図書館の運営:中小公共図書運営基準委員会報告』日本図書館協会、1963年)や『市民の図書館』(日本図書館協会刊、1970年)が築いてきた、個別の公立図書館による「自助努力」神話に対する批判の書。主に戦後の図書館および図書館政策の歴史を繰りながら、出版文化を礎とした公立図書館の存在意義を問う。
 
【目次】
第1部 戦後期公共図書館史の歪曲と真相
 語られた歴史と不都合な事実
 占領期の民主化政策と出遅れた公立図書館
 ささやかな図書館法と肥大化した後付け解釈
 なけなしの職業資格と図書館発展への抵抗
第2部 粉職された図書館発展と用意された顛末
 神話の中の『中小レポート』と日野市立図書館
 図書館発展の実態と好都合な共同幻想
 図書館界のハリネズミ化と自滅への道
 最後の助け舟と泥舟への固執
 
【著者】
薬師院 仁志 (ヤクシイン ヒトシ)
 京都大学大学院教育学研究科博士後期課程(教育社会学)中退。京都大学教育学部助手、帝塚山学院大学文学部専任講師等を経て、同大学教授(社会学)、大阪市政調査会理事、レンヌ第二大学レンヌ日本文化研究センター副所長。
 
薬師院 はるみ (ヤクシイン ハルミ)
 京都大学大学院教育学研究科博士後期課程(図書館情報学)研究指導認定退学。金城学院大学文学部専任講師等を経て、同大学教授(図書館情報学)。
 
【抜書】
●CIE図書館(p47)
 1946年3月、CIE図書館(日比谷センター)が、「1号館」として開館。「日比谷にあった日東紅茶の喫茶室を接収」して開館。その後、計23館が設置された。「人口20万人以上の17の市にインフォメーション・センターを設置する方針」だったが、「1950年になると日本側の自治体から」の要望がCIEに寄せられるようになり、最終的に23館になった。
 CIE……GHQの民間情報教育局(CIE)だけではなく、各地方に置かれた軍政部の民間情報教育課(CIE)の設置した読書室も各地にあった。神奈川県秦野町の「カマボコ図書館」は、軍政部が提供したQuonset hut(カマボコ兵舎)だった。
 成人教育のための拠点。「アメリカから取り寄せた英文図書や定期刊行物が一般市民に開放され」ただけでなく、「文化活動の場として、映画会、展示会、講演会、シンポジウム、レコード・コンサート、ダンス、英会話教室などが催され」た。
 『格子なき図書館』(1950年12月5日封切)も巡回上映された。図書館員向けの教育映画。1950年4月末、図書館法成立。
 
●1970年代(p168)
 日本の公共図書館は、1960年代後半から70年代にかけて飛躍的な発展を遂げたと言われている。
 しかし、県立図書館の建築ブームとマンモス化とは裏腹に、市区町村立の中小図書館は「暗澹たる状況」にあった。
 
●貸本屋(p185)
 1950年代後半から60年代初めにかけて最盛期。
 文具店・駄菓子店などとの兼業も含め、東京都で3千店、全国で3万店の店舗があったと推計される。
 
●日野市立図書館(p198)
 1965年開館。当時の市長・有山崧(たかし)、館長・前川恒雄(34歳)。
 図書費は、初年度500万円、翌年1千万円。当時としては破格で、これより多かったのは都府県立図書館6館くらい。
 移動図書館からスタートして、いくつかの分館ができ、さらに中央図書館ができる。普通の図書館の発展の道筋とは逆の経路をたどった。
 
●十年一日(p215)
 〔司書は確かに専門職ではあるが、その専門性は十年一日のようにくりかえす仕事によって高められ、社会に認められるようになるのであって、これ以外の道はないのである。〕
 前川恒雄『われらの図書館』(1987年、筑摩書房)p.145。
 
●文化行政(p269)
 1970年代後半から、全国的な図書館の新設が加速する。
 「物質生産主導型思想の見直し」が叫ばれ、文化行政が本格的に開始された時期。「日本経済の高度成長が一段落した」後に、図書館やほかの教育文化施設が整備されることになった。地方の時代、文化の時代。
 
●図書館基本法要綱(p279)
 1981年9月、図書館事業基本法要綱(案)を起草。11月、各党選出の20名による「図書館振興検討委員会」を設ける。
 一方で、基本法要綱が、コンピュータ・システムによって国家の一元的な管理コントロールに置かれるとして、反対する一派も現れる。
 1983年3月8日、図書館事業基本法(図書館事業振興法)は、淡い虹のように消え去ってしまう。(p311)
 
●出版文化(p356)
〔 書物を通じた「教育と文化の発展」は、学術書や教養書や純文学作品などの出版そのものが衰退したのでは望み得ない。その点を問題にしたからこそ、『朝日新聞』の記事は、編集者側の意見を「文化の多様性」と集約し、大活字で載せたのである。なるほど、公立図書館が消滅すれば、出版文化の大きな担い手が失われることになるだろう。しかしながら、自らの発展や生き残りを図るばかりで出版文化を支えようとしない公立図書館は、「国民の教育と文化の発展に寄与」に責任を負う官立機関として根本的に失格なのだ。国民の側に立てば、公立図書館は、あくまでも官公庁の一部局だということを忘れてはならない。〕
 
●本の文化(p385)
 〔作家の主張を拒絶した図書館関係者の態度も、非常に敵対的であった。三田誠広は、「公共図書館は、地方自治体が住民サービスのために開設しているのだから、住民の期待に応えるというのは、当然の責務である」と認めた上で、公貸権(公共貸与権)の導入を提案したのだ。だが、そこに返された言葉は反論ですらなく、「『図書館が侵す作家の権利』とまで言い募って補償金を要求する彼らの人間性にもの悲しさをおぼえる」というものであった。これもまた、図書館学の研究に責任を負う大学教授の言葉なのだ。なぜ――図書館学者も含め――公立図書館の世界で主導的な立場にある者たちは、作家や出版社と協力しながら、共に本の文化を発展させることを提案しないのだろうか。公立図書館に誰が何の御用があるのかは知らないが、「もの悲しさをおぼえる」べきは、どのような者に対してであろうか。〕
 
●公共図書館制度(p395)
〔 もちろん、国家的な制度が一朝一夕で出来上がるはずはない。だからこそ、目先の効用を追ってはならないのだ。むしろ、あえて遠回りを選び、日本の図書館界が迷走を始める以前の段階まで遡ることが不可欠だろう。フィリップ・キーニーによる計画案(キーニープラン)や、有山崧が構想した「公共図書館の全国計画(ナショナルプラン)」の地点に立ち返って議論を始めることが必要なのである。この長い作業は、公立図書館の枠を超え、日本の公共政策の根本を問い直す試みになるに違いない。公立図書館こそ、他に先駆けて、各自治体や個別施設による自助努力論の結末を実証したからである。地方分権という名の地方切り捨てが招く顛末を体現したのも、公立図書館に他ならない。我々は、この手痛い教訓を無駄にしてはならないのである。〕
 
(2021/1/11)KG
 
〈この本の詳細〉


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