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オスマン帝国英傑列伝 600年の歴史を支えたスルタン、芸術家、そして女性たち
 [歴史・地理・民俗]

オスマン帝国 英傑列伝 600年の歴史を支えたスルタン、芸術家、そして女性たち (幻冬舎新書)   
小笠原弘幸/著
出版社名:幻冬舎(幻冬舎新書 お-29-1)
出版年月:2020年9月
ISBNコード:978-4-344-98598-8
税込価格:1,056円
頁数・縦:328p・18cm
 
 600年続いたオスマン帝国で特筆すべき偉人を9名取り上げ、彼らを中心とした帝国史を概説。10人目のアタチュルクは、帝国の終焉と現代の共和国との結節点として特別に選ばれた。
 男性中心のイスラム世界の歴史を語るに際して、女性を3名も加えたことは注目に値する。宮廷を語るうえで、寵姫や母后は欠かせない存在、ということか。また、9人目のハリデに関しては、新しい世の中を迎えるにあたり、女性闘士の活躍も見逃せない、という証だろう。
 
【目次】
第1章 オスマン一世―王朝の創始者たる信仰戦士
第2章 メフメト二世―帝国をつくりあげた征服王
第3章 ヒュッレム―壮麗王スレイマンの寵姫
第4章 ミマール・スィナン―「オスマンのミケランジェロ」と呼ばれた天才建築家
第5章 キョセム―ハレムで殺害された「もっとも偉大な母后」
第6章 レヴニー―伝統と革新をかねそなえた伝説の絵師
第7章 マフムト二世―帝国をよみがえらせた名君
第8章 オスマン・ハムディ―帝国近代の文化をになった巨人
第9章 ハリデ・エディプ―不撓不屈の「トルコのジャンヌ・ダルク」
第10章 ムスタファ・ケマル―トルコ建国の父アタテュルク
 
【著者】
小笠原 弘幸 (オガサワラ ヒロユキ)
 1974年、北海道北見市生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、九州大学大学院人文科学研究院イスラム文明史学講座准教授。専門はオスマン帝国史、トルコ共和国史。『オスマン帝国―繁栄と衰亡の600年史』(中公新書、2018年。第一四回樫山純三賞受賞)など著書多数。
 
【抜書】
●セム、ハム、ヤペテ(p26)
 ノアの箱舟後の人類は、すべてノアの3人の息子の子孫。
 ユダヤ人やアラブ人はセム、黒人はハム、それ以外の民族はヤペテの子孫とみなされる。
 
●オトマン(p29)
 「オスマン」の名は、もともと「オトマン」であった。トルコ系の名前。
 ヨーロッパの言語では、「オットマン(英:Ottoman)」と呼ばれていた。
 「オスマン」は、アラビア語の発音では「ウスマーン」となるが、帝国の創始者の名は、イスラム教第三代正統カリフとは関係がない。
 オトマンの率いる集団が、のちにイスラム教を奉じる強国として発展していった際に、オトマンと音の似た、よりイスラム的な由緒を持つオスマンという名前が用いられるようになった。
 
●イラン(p175)
 イランは、イスラム教としては、肖像画の崇拝に対して比較的寛容である。
 現在でも、預言者ムハマドや正統カリフであるアリーのポスターが貼られている。
 この地域では肖像画は広く受容され、イスラム世界の細密画文化が受け継がれている。
 オスマン帝国における肖像画も、もともとイラン地域の影響を受けて発展した。メフメト2世は、イタリアの画家を招聘した。15世紀後半から16世紀後半までは、西洋に影響を受けた写実的な画風を持つ細密画が描かれることもあった。
 
●アブド(p177)
 「アブド」はアラビア語で「奴隷」の意味。
 「アブドゥッラー」「アブドゥッラフマン」「アブデュルジェリル」(ジェリルは「栄光」の意)など、「アブド~」という名のほとんどは、「神の奴隷」という意味。
 イスラム教では、アッラーは99の美称を持つとされている。
 
●鳥籠制度(p205)
 17世紀初頭、オスマン王家の慣習だった「兄弟殺し」は廃止された。
 代わって、王族男子はトプカプ宮殿のハレムに閉じ込めるよう定められた。いわゆる鳥籠(カフェス)制度。鳥籠の王子は、外界との接触を断たれ、子をなすことを禁じれらて、即位する日をひたすら待つ。
 ただし、次のスルタン位を継ぐと見込まれた王子は、一定の教育を受けていたし、スルタンが許せば宮殿の外に出ることもできた。
 マフムトは、異母兄のムスタファ4世が即位したのちは、従兄のセリム2世とともにハレムに幽閉された。ムスタファ4世の治世は短命で、1808年、23歳でマフムト2世として即位した。
 
●そこそこの地位(p210)
 マフムト2世は、改革を断行するために、信頼のおける部下をすぐに政府や軍隊の要職に就けず、そこそこの位に任命させ、彼らの昇進を待つという手段を用いた。
 すぐに要職に任命すると守旧派の反感を招くため、迂遠な方法をとった。
 
●オスマン主義(p271)
 ハリデ・エディプは、オスマン主義の申し子であった。
 オスマン主義……タンズィマート改革以降推進された、民族・宗教に関わらずすべての臣民は平等であるとする思想。
 タンズィマート……再秩序化。マフムト2世のすぐのちの時代に推進された、オスマン帝国における近代化改革の総称。(p223)
 
●ケマル(p290)
 「ケマル」とは、「完全な」という意味。ムスタファ・ケマルが陸軍幼年学校予科で学んでいたころ、得意だった数学の教師がムスタファといい、同名だった。彼の才能を喜び、自らと区別するために「ケマル」というあだ名で呼ぶようになった。
 ムスタファ少年は、19世紀後半に活躍した愛国詩人ナームク・ケマルと同じ名をいたく気に入ったらしく、彼はこののち「ムスタファ・ケマル」という名を用いるようになる。
 
(2021/3/3)KG
 
〈この本の詳細〉

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