伊能忠敬の日本地図
[歴史・地理・民俗]
渡辺一郎/著
出版社名:河出書房新社(河出文庫 わ9-1)
出版年月:2021年5月
ISBNコード:978-4-309-41812-4
税込価格:1,089円
頁数・縦:285p・15cm
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伊能忠敬の日本地図について総合的に解説。
特に、現存する伊能図の来歴に関して重点的に書かれている。
【目次】
序章 伊能図の時代
第1章 伊能忠敬の生涯
第2章 伊能図を読む
第3章 測量の方法
第4章 天体の観測
第5章 日本全国の測量―東日本編
第6章 日本全国の測量―西日本編
第7章 最終版伊能図の完成
第8章 伊能図の復活
第9章 伊能図の探検と発見の旅1
第10章 伊能図の探検と発見の旅2
【著者】
渡辺 一郎 (ワタナベ イチロウ)
1929-2020年。東京都生まれ。現在の電気通信大学卒業。電電公社(現NTT)計画局員およびデータ通信本部などを経て、51歳で退職。68歳で会社経営を引退。1994年頃から伊能図と伊能忠敬の研究に専念。翌年、伊能忠敬研究会を結成。「伊能ウオーク」や「完全復元伊能図全国巡回フロア展」などのイベントを主催する一方、アメリカ議会図書館で伊能大図を大量に発見するなどした。
【抜書】
●小関三治郎(p25)
延享2年(1745年)、上総の国、九十九里浜のほぼ中央の小関(こぜき)村(九十九里町片貝)の名主・小関五郎左衛門家の小関貞恒とミネの子として産まれた。幼名は三治郎、三人兄弟の末っ子。兄と姉。
この地方では、男女を問わず長子相続制。長子のミチに貞恒が婿入り。三治郎が6歳のときにミネが急死、弟が家督を継ぎ、貞恒は離縁され、上の子二人を連れて実家の神保家に帰る。
10歳の時、三治郎も父のもとへ。
●49歳(p28)
伊能忠敬(神保治三郎)は、17歳で佐原の酒造家である伊能家に婿入りする。相手は、21歳で子持ちの未亡人ミチ。忠敬は、抜群の商才を発揮し、伊能家を隆盛にする。
造酒高1200石→1400石。運送業(江戸への水運の権利を取得)。江戸に薪問屋を出店。不動産業(貸家)。米穀の売買(天明の飢饉の際に大坂で買ったコメを窮民に施し、残りを江戸で売って大儲け)。金融業。3万両(45億円)の資産があった?
49歳で隠居、息子の景敬(28歳)に家業を継がせる。江戸に出て、天文・暦学を19歳年下の幕府天文方・高橋至時(よしとき)に学ぶ。
●地図の完成(p45)
文政元年(1818年)に忠敬死去。死は地図完成まで伏せられ、忠敬名で上呈される。
文政4年(1821年)7月、地図完成。
9月4日に忠敬の死亡届が提出された。
●箱田良助(p46)
忠敬の内弟子。榎本武揚の父親(次男)。
福山の庄屋の倅だったが、志願して伊能測量に参加して九州以降の測量(第7・第8次測量)に従事。
地図上呈後の文政5年(1822年)に榎本家の養子になり、榎本円兵衛を名乗る。
文政6年に天文方出仕を命じられ、天保4年(1833年)まで在職。
●最終版伊能図(p49)
東日本図は文化元年(1804年)に上呈されている。台覧に供される。
最終版の『大日本沿海輿地全図』(1821年)は、大図214枚、中図8枚、小図3枚。
上呈本は明治6年(1873年)の皇居炎上の際に焼失。
明治5年に伊能家から提出した控えの副本は東京大学に保管されていて、関東大震災のときに焼失。
●伊能図(p53)
伊能忠敬の測量隊が作製した日本地図を、一般に「伊能図」と総称している。
大図……1町を1分(約109mを約3mm)、1里を3寸6分(約4kmを約11cm)、縮尺3万6000分の1。
中図……1里を6分(約4kmを約1.8cm)、縮尺21万6000分の1。
小図……1里を3分(約4kmを約1cm)、縮尺43万2000分の1。
正本、副本、稿本、写本、模写本の5種類に分けることができる。
正本……幕府への上呈本。凡例と付表を付けた。
副本……原図の上に地図紙を重ねて敷き、測線を針穴で通して写したもの。正本に準じた仕上がりにして、控え図として伊能家に残した。ほとんどが千葉県香取市の伊能忠敬記念館に寄付されている。また、依頼のあった諸侯に献呈された副本もある。
稿本……伊能グループで作られた未完成の地図。針穴があるが、副本に達しないもの。
写本……幕末には、伊能図の需要が増え、貸し出された伊能図より多くの写本が作られた。
模写本……伊能図を残すために明治以降に制作された写本。
●梵天(p65)
海岸線などの測量の際、曲線を直線の連続に分けて、曲がり角に梵天を立てながら各直線の距離と方角を図った。
梵天……竹竿の先に「はたき」のように紙切れを付けたもの。当時、どこでも測量に使われており、現地で用意させた。竹竿の長さは、3間(5.3m)。1間(1.8m)や1丈(3m)というものもあった。梵天の間隔は、10間(18m)、20間、直線の見通しがよければ50間、100間も。
●現存する最終版大図(p143)
米国議会図書館……207枚。2001年調査。
松浦大図……長崎県平戸市の松浦史料博物館。壱岐、五島、長崎・佐世保および平戸領を描く5舗。平戸藩主・松浦静山から忠敬に依頼があり、文政5年に内弟子・保木敬蔵の斡旋で高橋景保から提供。
歴博大図……国立歴史民俗博物館蔵の秋岡コレクション。写本5舗。長野県飯山、兵庫県明石、岡山県児島湾付近、栃木県大田原、福島県福島。
毛利大図……山口県公文書館毛利文庫。針穴あり、7舗。防長両国の図。
国会大図……1997年秋、気象庁で発見され、国立国会図書館に移管。43枚。
●最終版中図(p146)
東博中図……東京国立博物館。8枚揃い。針穴あり。吉田藩(愛知県豊橋市)大河内家に伝えられたもの。伊能測量当時の当主信明(のぶあきら)は老中だった。
成田中図……成田山仏教図書館。8枚揃い。天測地点もあり、完成度が高い。針穴はなく、伊能グループ以外の手による写し。昭和15年(1940年)に書店から購入。幕末の老中であった佐倉藩堀田家にあったもの?
ペイレ中図……もともと、フランス人イヴ・ペイレ氏が所蔵していたもの。2004年より、日本写真印刷(現・NISSHA)所蔵。針穴本、8枚揃い。
東大中図……東京大学総合研究博物館。関東が欠本で7舗。北海道の2舗は別系統の最終版中図。針穴あり。
国土地理院……中図6舗。北海道の2舗欠落。明治の初期に陸軍参謀局が模写。
日本学士院……中図8舗。大谷亮吉が、『伊能忠敬』を書いた際、東大にあった副本を明治42年(1909年)に模写させた。
●最終版伊能小図(p148)
イギリス小図……イギリス国立公文書館。幕末に日本近海を測量に来たイギリス測量艦隊に渡されたもの。
東京都立中央図書館……本州東部、日本西南部。「神州実測輿地全図」という名称で保管されてきた。
阿部小図……福山藩主・阿部正弘の後裔正道氏所蔵。蝦夷地のみ。
神戸市立博物館……蝦夷地と日本西南部の2枚。都立中央図書館と同系統の描図。
上記4件はすべて、針穴がない。
東京国立博物館……2002年、副本3枚揃いが発見された。幕府に上呈した最終版伊能小図の副本。針突本。
(2022/3/21)NM
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