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古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで
 [歴史・地理・民俗]

古代中国の24時間 秦漢時代の衣食住から性愛まで (中公新書)
 
柿沼陽平/著
出版社名:中央公論新社(中公新書 2669)
出版年月:2021年11月
ISBNコード:978-4-12-102669-9
税込価格:1,056円
頁数・縦:324p・18cm
 
 アルベルト・アンジェラ『古代ローマ人の24時間』に触発され、10年間、文献その他多様な資料を読み解いて考察した、古代中国の日常生活。主に秦漢時代。
 
【目次】
プロローグ 冒険の書を開く
序章 古代中国を歩くまえに
第1章 夜明けの風景―午前四~五時頃
第2章 口をすすぎ、髪をととのえる―午前六時頃
第3章 身支度をととのえる―午前七時頃
第4章 朝食をとる―午前八時頃
第5章 ムラや都市を歩く―午前九時頃
第6章 役所にゆく―午前十時頃
第7章 市場で買い物を楽しむ―午前十一時頃から正午すぎまで
第8章 農作業の風景―午後一時頃
第9章 恋愛、結婚、そして子育て―午後二時頃から四時頃まで
第10章 宴会で酔っ払う―午後四時頃
第11章 歓楽街の悲喜こもごも―午後五時頃
第12章 身近な人びとのつながりとイザコザ―午後六時頃
第13章 寝る準備―午後七時頃〕
エピローグ 一日二四時間史への道
 
【著者】
柿沼 陽平 (カキヌマ ヨウヘイ)
 1980年、東京都生まれ。早稲田大学卒業。University of Birminghamに留学。早稲田大学大学院文学研究科に進学し、2009年に博士(文学)学位取得。中国社会科学院歴史研究所訪問学者、早稲田大学助教、帝京大学専任講師、同准教授などを経て、早稲田大学文学学術院教授・長江流域文化研究所所長。専門は中国古代史・経済史・貨幣史。2006年に小野梓記念学術賞、16年に櫻井徳太郎賞大賞、17年に冲永荘一学術文化奨励賞を受賞。
 
【抜書】
●明器(p13)
 めいき。墳墓の副葬品の一種。古代中国では、人間、動植物、家屋、調度品などのミニチュアをつくって副葬した。日本でいう埴輪か?
 
●姓・名・字(p15)
 秦漢時代の人々の名前は、ふつう、姓・名・字(あざな)よりなる。
 姓……太古の昔より存在する種族名。その一部は種族の居住地名に由来する。紀元前10世紀に殷を倒した西周王朝は、各地に家臣を封建し、一定の自治権を与える一方で、彼らに姓を与えなおし、彼らとの関係を強化・整備していった。
 氏……君主が同姓の者同士を区別するために支配階級に与えた。戦国時代頃からは支配階級以外も持つようになり、「姓は○○氏」などと名乗るようになり、姓と氏の区別がごちゃ混ぜになっていく。
 名……大体、親がつける。古代の常識として、親が子の、君主が配下の名を呼ぶのはよいが、民同士が名を呼びあうのは失礼であった。友人同士は字や姓+字で呼び合う。亡くなった者の名は諱(いみな)とも呼ばれる。
 字……親、親族、近親者、もしくは自分がつける。ふつう、成人につけられる。女性も字を持った。
 
●ゾウ(p35)
 長江流域には、漢代になってもゾウが生息していた。
 前900年~580年……淮河以南に生息。
 580年~1050年……主に長江より南に生息。
 
●百漏刻制(p38)
 秦漢時代の時刻は、1日を百分割する百漏刻制だった。1刻の時間は均等。
 日の出を基準に数える。前漢時代には、冬至の時に昼漏(ちゅうろう)40刻・夜漏(やろう)60刻、夏至の時に昼漏60刻・夜漏40刻とされ、9日間に1刻ずつ、昼と夜の長さが変化する仕組みだった。
 水時計(漏刻)は当時の精密機械で、せいぜい都市やムラに1台あればよいほう。役人が日の出に太鼓をたたいて朝を告げ、日没時に鐘を鳴らして夜を告げた。
 十二時辰制……1日を、子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥と十二等分にする。その起源は、南北朝期に制度化され、唐宋時代に普及した。漢代には、1日を十六分割もしくは二八分割しており、時刻名にはさまざまなバリエーションがあった。
 
●杜若、鶏舌香(p61)
 歯磨きが徹底されていなかった古代、口臭は切実な問題だった。皇帝の側近ともなれば、杜若(とじゃく)、鶏舌香(けいぜつこう)といういブレスケアを服用していた。貴重なものだった。
 鶏舌香は、曹操が諸葛亮孔明に贈ったこともある珍品。「孔明よ、おれのそばでささやいておくれ」(助言をしておくれ)という意味の贈り物。
 
●美女(p78)
 美女といえば鄭(てい)、衛、燕、趙。都市単位では潁川、新市、河間(かかん)、観津(かんしん)。黄河中下流域ということになる。
 
●食事の回数(p88)
 王侯は、1日3回。淮南王劉長は、謀反を企てた廉で左遷されたが、特別に1日3回の食事を許されたという故事による類推。(『漢書』巻四四淮南王伝)
 王は1日4回、諸侯は3回、卿・大夫は2回。(『白虎通』巻三礼楽篇)
 庶民は、せいぜい1日2回前後?
 
●移牧(p191)
 冬は暖かい低地で、夏は涼しい高地で過ごす牧畜。
 牧草を探して広大な草原地帯を平行に移動するタイプの遊牧とは異なり、山地などで標高差を利用し、狭い範囲で行う。
 長江上流域では、山地民が移牧を営んでいた。
 
●慰安施設(p243)
 春秋時代末期、越王句践(こうせん)は軍隊内に慰安施設を作った。売春施設の起源?(『越絶書』外伝記越地伝)
 
●房中術(p247)
 漢代。セックスを通じて不老長寿、健康維持を図る技法・思想。
 『十問(じゅうもん)』『合陰陽』『天下至道談(てんかしどうだん)』『胎産書』『養生法(ようせいほう)』『雑療法(ざつりょうほう)』という書籍が、馬王堆漢墓から出土している。
 
●棄妻(p263)
 離婚は、法律上「棄妻」と呼ばれた。バツイチの女性も「棄妻」と呼ばれた。
 ひとたび離婚が成立すれば、二人は赤の他人。仮にその夜に元夫が元妻を襲えば強姦罪として扱われる。
《三不去(妻と離婚できない三条件)》
 ・舅・姑が亡くなった時に妻がしっかり喪に服した場合。
 ・かつて苦労を共にした(その結果、現在は裕福になっている)場合。
 ・すでに実家を失っている(そのため帰る家がない)場合。
《七去(妻と離婚できる七条件)》
 ① 子供ができない。
 ②  妻が淫乱である。
 ③ 妻が舅・姑に従順でない。
 ④ 妻がおしゃべりである。
 ⑤ 妻に盗み癖がある。
 ⑥ 妻がすぐに嫉妬する。
 ⑦ 妻が病気持ちである。
 
●単(p270)
 女性たちが任意に作る互助組織。それぞれにお金を出し合って葬儀代などに充てる。現代日本の互助会費、町内会費。
 必ずしも宗族や里人などときれいに重なるグループではない。
 
●休沐・洗沐(p273)
 キャリアの官吏は、官舎に泊まり、おおよそ五日に一度、休日をとって実家に帰った。
 自宅に帰って身体を洗うための日であるとされ、「休沐(洗沐)の日」と呼ばれていた。
 実際には、休みを数十日まとめて与えられている者もおり、休日のとり方は人によってさまざまだった。
 
●三本足のカラス(p276)
 死者の魂は伝説の崑崙山を終着点とし、もしくは崑崙山からさらに天界へ向かうとされていた。崑崙山には西王母という仙人がおり、青い鳥(もしくは三本足のカラス)を使役しているとも言われている。
 また、太陽には三本足のカラスが、月にはウサギとヒキガエルが住んでいるとみなされていた。
 
(2022/10/11)NM
 
〈この本の詳細〉

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