日本史を暴く 戦国の怪物から幕末の闇まで
[歴史・地理・民俗]
磯田道史/著
出版社名:中央公論新社(中公新書 2729)
出版年月:2022年11月
ISBNコード:978-4-12-102729-0
税込価格:924円
頁数・縦:237p・18cm
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戦国から幕末維新期までの日本史で、あまり公に語られてこなかった逸話、新発見の「史実」を語る。
読売新聞連載「古今をちこち」2017年9月~2022年9月掲載分を、一部改題し、加筆修正を加えて収録。
【目次】
第1章 戦国の怪物たち
大仏を焼いたのは松永久秀か
久秀が大悪人にされた理由
ほか
第2章 江戸の殿様・庶民・猫
三代・徳川家光の「女装」
甲賀忍者も勤め人
ほか
第3章 幕末維新の光と闇
西郷隆盛、闇も抱えた男
幕末、公家の花見行
ほか
第4章 疫病と災害の歴史に学ぶ
ねやごとにも自粛要請
感染楽観で繰り返した悲劇
ほか
【著者】
磯田 道史 (イソダ ミチフミ)
1970年、岡山県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。茨城大学准教授、静岡文化芸術大学教授などを経て、2016年、国際日本文化研究センター准教授、21年より同教授。18年、伊丹十三賞受賞。著書『武士の家計簿』(新潮新書、新潮ドキュメント賞受賞)、『天災から日本史を読みなおす』(中公新書、日本エッセイスト・クラブ賞受賞)など多数。
【抜書】
●名古屋山三郎(p30)
戦国時代の日本一の美少年で、日本三大美少年の筆頭。他は、不破万作〈ふわばんさく〉、浅香庄次郎。
歌舞伎にしばしば登場。歌舞伎踊りの創始者である出雲阿国の彼氏との伝説がある。
豊臣秀吉が朝鮮出兵のため大阪城を留守にしている間に、側室・淀殿と密通をして、秀頼の実父になったとの噂が絶えない。
先祖は、今の名古屋あたりの領主。元は、「名越」「那古屋」と名乗った。
父は、秀吉の馬廻(親衛隊)。13歳の時、東山建仁寺の西来院へ稚児に出された。小田原征伐の先鋒の蒲生氏郷が深草の河原で軍勢を勢ぞろいさせたとき、僧侶とともに見物していた山三郎を見初め、小姓とした。氏郷病死後、京に戻って「氏郷の遺言にて、金銀おびただしく賜り、富貴栄耀の浪人」となって、都で千石取りの武士の暮らしをした。評判の美男子だったため、秀吉が愛した絶世の美女の側室「京極松の丸様も」山三郎に近寄ってきた。以上、「武辺雑談〈ぶへんぞうだん〉」による。
●松前、五島(p46)
徳川家康は、「堅固な城を作ればよい」とは考えていなかった。「城は敵に取られるもの」と考えていたふしがある。
遠方に堅固な城を築くと、敵に取られた時に困る。蝦夷地の松前氏と、五島列島の五島氏は、お城を持たせてもらえなかった。公式には居所が「館」のままで、異国船の脅威が深刻になる幕末期まで、本格的な築城は許されなかった。
●譲位(p132)
日本の皇位継承の特徴は、譲位。世界的に珍しい。
中国の皇帝も、琉球の王も、譲位が通常ではない。朝鮮王朝も原則は終身在位で、譲位は3割。政権が安定している場合は終身在位が多い。
江戸期の天皇の譲位には無言のルールがあった。
(1)十代後半の跡継ぎが得られると譲位する。
(2)跡継ぎが十代後半に達しないと譲位しにくい。
天皇は歌会始など歌会を催す。跡継ぎには立派に和歌が詠める年齢が求められた。近世天皇は、天皇としての務めが果たせる皇嗣を育てて譲位するのが理想とされた。
江戸末期は皇子の死亡率が高かったので、仁孝天皇(にんこうてんのう、在位1817-46年)、孝明天皇(在位1846-67年)も譲位できず、譲位した天皇は光格天皇(在位1780-1817年)までさかのぼる。平成天皇譲位の202年前。明治・大正・昭和の天皇は終身在位制を取った。
(2023/6/23)NM
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