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戦国の図書館
 [歴史・地理・民俗]

戦国の図書館
 
新藤透/著
出版社名:東京堂出版
出版年月:2020年9月
ISBNコード:978-4-490-21037-8
税込価格:2,750円
頁数・縦:315p・20cm
 
 戦国の「図書館」とは、牽強付会な、あまりにもこじつけ。つまり、戦国時代に図書館(近代的な意味での)はなかった。でも、図書館の役割を果たした学校や、司書のような公家、情報センターのような連歌師は存在したよね、という話である。
 別にそれらが現在の図書館の起源になっている、ということではない。図書館という概念・理念そのものが、欧米からの移入であるのだから、当然のことである。
 とそんなもっともらしい講釈は抜きにして、荒くれ者たちの戦国時代という僕らのイメージを突き崩し、かの武将たちが結構文化人であり、むしろ、京都がすさんだ戦国時代だからこそ、その文化が地方に拡散した、という点が興味深い。
 
【目次】
第1編 武家・公家の文庫と西洋図書館の日本伝来
 戦国時代とは
 足利将軍家の書籍蒐集
 大内氏歴代の文芸趣味と殿中文庫
  ほか
第2編 戦国最大の図書館・足利学校
 足利学校の創建年
 室町幕府と鎌倉公方足利持氏の対立
 足利学校の教育
  ほか
第3編 情報センターとしての公家と連歌師
 三条西実隆
 三条西実隆が行った書籍の貸与
 三条西実隆が行った書籍の借用
  ほか
 
【著者】
新藤 透 (シンドウ トオル)
 1978年埼玉県生まれ。筑波大学大学院図書館情報メディア研究科博士後期課程修了。博士(学術)。現在、國學院大學文学部教授、(株)歴史と文化の研究所客員研究員。図書館情報学、歴史学(日本近世史)専攻。
 
【抜書】
●禅林文庫(p77)
 上杉景勝・直江兼続が、元和4年(1618年)に米沢城西北の白子明神の西隣に禅林寺(のちに法泉寺と改称)を建立。九山禅師を迎えて開山した。
 九山は、那須雲巖寺(うんがんじ)の大虫宗岑(だいちゅうそうしん)門下だったが、兼続がその学才に惚れこみ、米沢への招請を説いて、足利学校で学ばせた。
 九山は足利学校で易学と兵学を学んだ。『周易伝』3冊や七書(『孫子』『呉子』『司馬法』『尉繚子』『三略』『六韜』『門対』)の注釈書である『七書講義』など、足利学校の蔵書も持ち帰る(または書写する)。兼続が収集した書籍とともに、禅林寺内に禅林文庫を設置。米沢藩士のための学問所として機能。
 禅林文庫は、その後、米沢藩校興譲館へと発展。
 
●桃華坊文庫(p84)
 一条兼良(1402-1481)の蔵書。古典文学研究、和歌・連歌・能楽、有職故実にまで及んだ。
 応仁の乱で焼失したとも、略奪を受けたとも言われる。
 
●堂上家(p201)
 堂上家(とうしょうけ)。戦国時代においては、公家の家格はすでに固定化されていた。御所の清涼殿への昇殿が許される堂上家と、ゆるされない地下家(じげけ)とに分けられていた。堂上家は、五位以上の官位を有する。六位以下は地下家。
 ① 摂関家……大納言、右大臣、左大臣を経て、摂政、関白、太政大臣にまで昇進できる家柄。藤原北家を祖に持つ近衛、九条、二条、一条、鷹司の五家。
 ② 清華家……太政大臣にまでなれる。古来は七家だが、戦国時代に滅亡した家、江戸時代に新たに編入された家もある。三条本家である転法輪三条家など。
 ③ 大臣家……最高は太政大臣にまで昇進できるが、事例はない。実質は内大臣が最高位だが、これも少ない。清華家の庶流で構成。正親町三条家、三条西家など。
 ④ 羽林家……参議から中納言、大納言にまで昇進できる。例外的に一人だけ、内大臣になった者がいる。
 ⑤ 名家……羽林家と同格。鎌倉時代に成立した新しい家格。最高は大納言だが、例外として左大臣、内大臣に進んだ者がいる。日野家、柳原家など。
 ⑥ 堂上家の中で最下位の家格。最高は大納言。
 
(2020/12/12)KG
 
〈この本の詳細〉


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