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職業としてのヤクザ
 [社会・政治・時事]

職業としてのヤクザ(小学館新書)
 
溝口敦/著 鈴木智彦/著
出版社名:小学館(小学館新書 396)
出版年月:2021年4月
ISBNコード:978-4-09-825396-8
税込価格:880円
頁数・縦:189p・18cm
 
 二大ヤクザ・ライターが、対談形式で、シノギを中心にヤクザの生態と、暴力団対策法(暴対法)施行(1991年)以降のヤクザの苦境について語る。
 
【目次】
序章 ヤクザは職業か、生き方か
第1章 どうして働かないで生きていけるのか
第2章 なぜ暴力団に需要があるのか
第3章 抗争に経済的メリットはあるのか
第4章 ヤクザの「命の値段」はいくらなのか
第5章 人はどうやってヤクザになるのか
第6章 組長まで出世する条件とは何か
第7章 暴力団経営にはどんな経費がかかるのか
第8章 子分と子供、本当に大事なのはどちらか
第9章 ヤクザの仕事に休日や祝日はあるのか
第10章 いつ引退し、どんな老後を送るのか
終章 ヤクザという職業は消えていくのか
 
【著者】
溝口 敦 (ミゾグチ アツシ)
 1942年、東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業。ノンフィクション作家。『食肉の帝王』で2004年に講談社ノンフィクション賞を受賞。
 
鈴木 智彦 (スズキ トモヒコ)
 1966年、北海道生まれ。日本大学芸術学部写真学科除籍。ヤクザ専門誌『実話時代』編集部に入社。『実話時代BULL』編集長を務めた後、フリーに。
 
【抜書】
●無職(ぶしょく)(p17、鈴木)
〔 無職でいながら世渡りをしているということですが、本心をいえばそこに彼らの矜持がある。表面上、自分たちの位置を「ヤクザは乞食の下で盗人の上」と言いながら、金筋(きんすじ)と呼ばれる本格的な博徒は、自分たちは犯罪者ではあっても悪人ではない、真っ当に働いてはいないが、卑ではないと自負している。〕
 
●庭場(p23、溝口)
 にわば。博徒の勢力範囲を「縄張り」というのに対し、テキ屋のそれは「庭場」という。
 
●愚連隊(p24、溝口)
 警察の分類では、博徒系とテキ屋系のほかに、三つめとして「愚連隊系」がある。
 終戦直後に戦争帰りの軍人とか大学生崩れとかが始めた組織が源流。安藤組(法政大学を中退した安藤昇を組長とした組織。64年に解散)など。
 博徒でもテキ屋でもない暴力常習者が愚連隊。シノギは、用心棒といったゆすり・たかりの先駆け、みかじめ料、覚醒剤売買、など。
 かつては警察の分類も細分化しており、会社ゴロ、港湾ゴロ、不良土建、右翼系暴力団、不良興行、新聞ゴロ、炭鉱ヤクザ、などがいた。
 
●火消し(p26、溝口)
 ヤクザの原点は火消し。
 江戸時代末期、ひとつの町で6~7人の火消しを抱えなくてはいけなくて、そこで集めた若い衆、町奴(まちやっこ。町人出身の侠客)みたいな連中をまとめる人がいた。それを「親分」と呼んだ。親分には、若い衆を抱えていれば町から補助金が出た。
 親分は、町のあちこちに目を光らせ、工事がありそうだとなればそれを請け負い、解体とか鳶なんかを若い衆にやらせて日銭をピンハネしていた。それと同時に、浅草のような盛り場では、「みかじめ料」を取った。
 ほとんどの町では、そこに住む富豪が町奴を支配していた。浅草だけは、新門辰五郎という親分が仕切っていた。新門一家というのは今もある。
 新門辰五郎は、浅草寺に露店を立てたり、猿回しとか薬売りから金を取るから経済力があって、商人に頭を下げなかった。それが原型になって、ヤクザ独自のシノギの目処がついてきた。
 
●人足供給業(p28、鈴木)
 土木建築の人足供給業も、ヤクザの原型の一つ。海運業に労働者周旋をしていた山口組が、元来、建設業のものだった「組」という名称を使うように、両者は双子のような関係にあった。
 人足の親玉たちは、働き手を集めるため、なぐさみに博奕を開帳した。
 
●弘道会(p115、鈴木)
 山口組では、元来、建前として直参はみな平等である。代替わりの際には、慣例としてトップである組長とナンバーツーである若頭は別の組織から選ばれていた。
 六代目になって司忍組長、高山清司若頭とも弘道会で占めることになり、さらに弘道会を継いだ竹内照明会長が、若頭補佐に抜擢された。
 弘道会のトップ独占が、分裂の原因となった。分裂後、離脱派が「神戸山口組」という名称を付けた。
 弘道会は愛知を拠点とする組織。山口組はもともと神戸の組織で、六代目山口組の総本部は神戸の篠原本町だが、本家は名古屋だと言い出した。
 
●事始め(p156)
 ヤクザに基本的に祝日休みはないが、「事始め」という行事を大事にしている。
 12月13日にやることが多い恒例行事。正月の準備を始める行事としてはもともとある。芸事の世界などには今も残っている。
 元々、正月は博奕で忙しく、書き入れ時だから、その前に組内で新年を迎えておこうという意味。正装で餅や樽酒、豪華な弁当などが用意される。
 親分に一年の礼を述べ、来年もよろしくとあいさつする。月々の上納金とは別にお礼も包む。
 昔は、スポンサー筋の経営者も来ていた。
 西日本の組織では一般的だが、関東ではあまりやらない。
 
(2022/1/13)NM
 
〈この本の詳細〉


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