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問題の女 本荘幽蘭伝
 [歴史・地理・民俗]

問題の女 本荘幽蘭伝
 
平山亜佐子/著
出版社名:平凡社
出版年月:2021年10月
ISBNコード:978-4-582-83864-0
税込価格:3,080円
頁数・縦:342p・20cm
 
 本荘幽蘭、本名久代。明治12年2月18日生まれ。昭和39年頃没?
 この明治大正昭和を大胆に生きた「妖婦」「狂人」「淪落の女」の生涯を、資料を基に綴る伝記である。
 その報道のされ方は、テレビがなかったこの時代、雑誌・新聞がメインのマスコミ界の寵児だったのだろう。アイドル・有名人に対する現代のスキャンダル合戦に通じるものがある。いつの時代も、人間ってやつは……。
 
【目次】
第1章 少女時代
 久代、その「惨憺たる」生い立ち
 久代、婚約者たちに翻弄さる
  ほか
第2章 幽蘭誕生
 幽蘭、第二子を出産す
 幽蘭、第三子を妊娠す
  ほか
第3章 仕事遍歴、男性遍歴
 幽蘭の父、死す
 宮武外骨、幽蘭を語る
  ほか
第4章 満鮮、南洋へ
 幽蘭、自伝を新聞連載す
 大連に「幽蘭ホテル」開業す
  ほか
第5章 戦争に向かって
 幽蘭、恩師との仲を怪しまれる
 日蓮主義の幽蘭尼となる
  ほか
 
【著者】
平山 亜佐子 (ヒラヤマ アサコ)
 挿話収集家、デザイナー。戦前文化、教科書に載らない女性の調査を得意とする。
 
【抜書】
●明治女学校(p46)
 明治18年創立、明治41年閉校。
 キリスト教に基づく女学校。創立者は牧師の木村熊二。教師には、巌本善治(のちの校長)、津田梅、人見銀、富井於菟、など。卒業生に相馬黒光(新宿・中村屋)がいる。
 〔錚々たる教師と卒業生を輩し、新思想に敏感な女子たちがこぞって憧れた伝説的な存在だった。〕
 
●幽蘭(p55)
 「幽蘭」とは、幽谷に咲く蘭のことで、孔子が歌ったとされる『琴操』(古代の琴曲と解説の書)の「猗蘭操(幽蘭操)」の一節から、徳を持ちながらひっそりと隠れて世に出ない君子の意味。
 しかし、本荘幽蘭の場合、東海散士(こと柴四朗)の小説『佳人之奇遇』(博文堂、16巻、明治18ー30)から取った可能性が高い。
 小説の主人公は作者と同名の元会津藩士。フィラデルフィアでアイルランド人「紅蘭」とスペイン人「幽蘭」という二人の佳人と出会う。「幽蘭」は、スペイン王室の後継者争いに端を発したカルリスタ戦争に関わった父の跡を継いだ女志士として描かれている。
 
【ツッコミ処】
・教派新党(p155)
〔 扶桑教は現在も続く教派新党の一派である。宍野半(ししのなかば)が各地にあった富士講をまとめ明治六年に富士一山講社としたことが始まりである。二年後に扶桑教と改称、明治一五年に教派神道として独立した。その教えは、天御中主神を一真神とし、男女(父母)の二神をそれぞれ高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)としてそれら三神が富士山に御座すと説いたもので、幽蘭がどこに共鳴したのか神風会のときほどわかりやすくはない。いずれにしても、この時点で神風会から離れていたと考えるのが自然だろう。〕
  ↓
 1行目の「教派新党」とあるが、扶桑教は政治結社なのか?? 明らかに「教派神道」だろうな。
 
・明治6年満州事変(p309)
〔 李(李善洪)は明治二八(一八九五)年全羅南道務安郡生まれ。二二歳のときに来阪して、飴売り、郵便局事務員、朝鮮人参商などで糊口をしのいだ苦労人だが、二七歳で「朝鮮人協会」を発起して大阪における朝鮮人の代表的存在になる。日本人の妻と娘二人を持つ李のテーマは「内鮮融和」で、朝鮮人差別や朝鮮人労働者の境遇の向上に奔走した。日本のアナキストたちから支援され『新鮮日報』発刊を敢行(のちに発刊停止)。明治六年に満州事変、七年一月に桜田門事件(李奉昌が天皇の乗った馬車に手榴弾を投げた事件)が起こると天皇への「赤誠」を誓う声明書を宮内省や警視庁に持参し親日をアピールした。〕
  ↓
 満州事変が起きたのは、昭和6年。明治6年ではない。まだ、李善洪は生まれていない!
 
(2022/2/3)NM
 
〈この本の詳細〉


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