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すごい物理学講義
 [自然科学]

すごい物理学講義 (河出文庫)
 
カルロ・ロヴェッリ/著 竹内薫/監訳 栗原俊秀/訳
出版社名:河出書房新社(河出文庫 ロ3-1)
出版年月:2019年12月
ISBNコード:978-4-309-46705-4
税込価格:1,078円
頁数・縦:361, 18p・15cm
 
 物理学の発展の歴史と、現代物理学の理論について論考する。
 ニュートンは、「空間」と「時間」と「粒子」をまったく別のものとして理解していた。ファラデーとマクスウェルが「場」を発見し、粒子を場と粒子に分けた。アインシュタインは、特殊相対性理論(1905年)によって空間と時間を統合した「時空間」を提示し、一般相対性理論(1915年)によってさらに時空間と場を統合した「共変的な場」を示した。
 さらに量子力学では世界の事象(素材?)を「時空間」と「量子場」(粒子を統合)の二つにまとめ上げ、量子重力理論ではそれを「共変的量子場」に大統一しようとしている……。分かりますか?
 
【目次】
はじめに―海辺を歩きながら
第1部 起源
 第1章 粒―古代ギリシアの偉大な発見
 第2章 古典―ニュートンとファラデー
第2部 革命の始まり
 第3章 アルベルト―曲がる時空間
 第4章 量子―複雑怪奇な現実の幕開け
第3部 量子的な空間と相関的な時間
 第5章 時空間は量子的である
 第6章 空間の量子
 第7章 時間は存在しない
第4部 空間と時間を越えて
 第8章 ビッグバンの先にあるもの
 第9章 実験による裏づけとは?
 第10章 ブラックホールの熱
 第11章 無限の終わり
 第12章 情報―熱、時間、関係の網
 第13章 神秘―不確かだが最良の答え
 
【著者】
ロヴェッリ,カルロ (Rovelli, Carlo)
 1956年、イタリアのヴェローナ生まれ。ボローニャ大学で物理学を専攻、パドヴァ大学大学院へ進む。その後、ローマ大学、イェール大学、トレント大学などを経て、ピッツバーグ大学で教鞭をとる。現在は、エクス=マルセイユ大学の理論物理学研究室で、量子重力理論の研究チームを率いる。専門は「ループ量子重力理論」で、世界の第一人者。
 
竹内 薫 (タケウチ カオル)
 東京大学理学部物理学科、マギル大学大学院博士課程修了。NHK番組「サイエンスZERO」など、サイエンス作家として科学の面白さを伝え続ける。
 
栗原 俊秀 (クリハラ トシヒデ)
 翻訳家。京都大学総合人間学部、同大学院人間・環境学研究科修士課程を経て、イタリアに留学。カラブリア大学卒業。
 
【抜書】
●知の発展の阻害――プラトンとアリストテレス(p30)
〔 プラトンとアリストテレスはデモクリトスについてよく知っており、彼の思想に異議を申し立てた。デモクリトスとは相容れないこの二人の思想家が、それからの何世紀にもわたって、知の発展を阻害しつづけることになる。プラトンとアリストテレスは、デモクリトスの自然科学的な説明を退け、目的論的な見方から世界を理解しようとした。つまり、あらゆる事象の背景には、なんらかの目的があるという考え方である。それは後に、自然を理解するにはきわめて実効性に欠ける考え方であることが明らかになる。プラトンとアリストテレスは、善悪の観点から世界を理解しようとしたために、人間に関係する問題とそうでない問題を混同してしまったのである。〕
 
●より良い知の歴史――デモクリトス(p43)
〔 残念ながら、わたしたちに残されたのはアリストテレスばかりである。西欧の思想はアリストテレスを基礎に再建された。そこにデモクリトスの居場所はない。おそらく、デモクリトスの著作がすべて残り、アリストテレスの著作がすべて散逸した方が、わたしたちの文明はより良い知の歴史を築けただろう。〕
 
●三次元球面(p125)
 アインシュタインは、1917年に、宇宙の果てをめぐる問題に対して、三次元球面という解答を提示した。この指摘をもって、現代の宇宙論は幕を開ける。
 三次元球面……有限な容積(二つの球体の容積の和)をもちながら、「果て」のない存在。二つの球体は互いを取り巻き、しかも同時に、互いに取り巻かれている。一方の球体の外に出れば、必ずもう一方の球体の中に入る。
 
●詩と科学(p136)
〔 イタリアで知的放浪の日々を送っていた時期に、アインシュタインは『神曲』の天国篇に出会っただろうか? 至高の詩人の限りない想像力は、「宇宙は有限であるが果てはない」とするアインシュタインの直観に影響を与えただろうか? わたしはいずれの問いにも答えられない。しかしこの事例は、直接的な影響の有無よりも、もっと別の事柄を示唆しているように思われる。つまり、偉大な科学と偉大な詩は類似の世界観をもっており、時として同一の直観にいたりさえするということである。わたしたちの文化は、科学と詩を別個のものと見なしているが、こうした捉え方はばかげている。世界の複雑さと美しさは、詩と科学の双方によって明らかにされる。この二つを切り離して考えるかぎり、世界を曇りない目で見つめることはできない。〕
 
●普遍的な傑作(p139)
 〔この世には、わたしたちの心を深く揺さぶる、普遍的な傑作というものがある。〕
 モーツァルト『レクイエム』、『オデュッセイア』、システィーナ礼拝堂、『リア王』……。
 
●プランク長(p198)
 マトヴェイ・ブロンスタインが導き出した、世界に存在する最小の長さ。
 10のマイナス33乗センチメートル。1センチの10億分の一の10億分の一の100万分の一。
 
●現時点での最良の解(p341)
〔 なにひとつ確信がもてないなら、科学が語る言葉をどうやって信用したらいいのだろう? 答えは単純である。科学が信用に値するのは、科学が「確実な答え」を教えてくれるからではなく、「現時点における最良の答え」を教えてくれるからである。わたしたちは科学をとおして、差し当たっての最適解を手に入れる。科学という鏡には、さまざまな問題と向き合うための最良の方法が映し出されている。科学はつねに、知に再検討を加え、知を更新していこうとする。こうした性格があるからこそ、私たちは科学を信じ、科学が「目下のところ利用可能な最良の解」を示していると判断できる。もし、それよりさらに優れた解が見つかれば、その新しい解が科学になる。より良い解を発見したアインシュタインが、ニュートンの誤りを明らかにしたときも、科学に備わる「考えうる最良の解を提供する能力」に疑義が呈されたわけではない。むしろ、アインシュタインの仕事によって、この能力はさらに強化されたのである。
 したがって、科学が提示する解答は、決定的であるから信用に値するのではない。わたしたちがそれを信用するのは、その時点で利用できる最良の解だからである。科学の解は常に更新の対象であり、私たちはいまだそれを決定的と見なしていない。だからこそ、わたしたちは科学の答えを、「現時点での最良の解」と表現する。科学に確固たる信頼を与えているのは、わたしたちの無知の自覚である。
 わたしたちに必要なのは、確実性ではなく、信頼性である。目を閉じて、どんなものでも信じることを受け入れるなら、確実性を手に入れた気分になるかもしれない。だが真の確実性は、今までも、これからも、わたしたちにはけっして手の届かないところにある。科学のもたらす解答は、ほかのなりよりも信頼の置ける解答である。なぜなら科学は、確実な解答ではなく、もっとも信頼の置ける解答を追求する営みだから。〕
 
(2022/9/7)NM
 
〈この本の詳細〉


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