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原発事故最悪のシナリオ
 [社会・政治・時事]

原発事故 最悪のシナリオ
 
石原大史/著
出版社名:NHK出版
出版年月:2022年2月
ISBNコード:978-4-14-081897-8
税込価格:1,870円
頁数・縦:310p・19cm
 
 2011年3月11日14時46分、東北地方太平洋沖地震発生。直後に、福島第一原子力発電所が機能停止に陥り、日本政府はその対策に追われることになる。
 10年を経て、その事故対応の教訓を残すべく、「最悪のシナリオ」をめぐって当時の危機管理の在り方を問う。
 日本の政治家の方々はみな、優しいなと思った。「撤退やむなし」という、事故原発の現場作業員への思いやり。「英雄的行為」を強要する米国とは対照的である。
 
【目次】
プロローグ 「最悪のシナリオ」の謎
第1章 沈黙
 Too Late―遅すぎたシナリオ
 3月12日、1号機水素爆発の衝撃
  ほか
第2章 責任と判断
 怖れていた連鎖―3月14日、3号機水素爆発
 東電本店の危機感
  ほか
第3章 反転攻勢
 関東圏に到達した放射能
 それは“誤認”だった
  ほか
第4章 終結
 吉田所長の“遺言”
 東電―自衛隊、非公式会談
  ほか
エピローグ 「最悪のシナリオ」が残したもの
 
【著者】
石原 大史 (イシハラ ヒロシ)
 2003年NHK入局。長崎放送局、大型企画開発センターなどを経て現在、制作局ETV特集班ディレクター。担当した番組にETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」(第66回文化庁芸術祭大賞)、「薬禍の歳月 サリドマイド事件50年」(第70回文化庁芸術祭大賞、第41回放送文化基金賞・最優秀賞)、「お父さんに会いたい“じゃぱゆきさん”の子どもたち」、NHKスペシャル「空白の初期被爆 消えたヨウ素131を追う」(第56回JCJ賞)など。
 
【抜書】
●チャールズ・カストー(p20)
 米国のNRC(原子力規制委員会)から、事故収束支援のために日本に派遣された。米国側責任者の一人。
 3月16日に来日。その後1年にわたって日本の官邸中枢や関係省庁、東電と様々な折衝を繰り返した。
 
●想定外(p26)
〔 日本では、東電が、事故の原因について「想定外」と繰り返し、被災者の怒りをかった。カストーの語るアメリカの“哲学”は、そうした危機を前にした“無力”とはまったく別の考え方だった。客観的なデータを集めた上で想像力を駆使して、あらゆる事態を想定し備えを怠らないこと。「想定外」などという言いわけは通用しない。それが、アメリカが「最悪のシナリオ」を用意する“哲学”だったのだ。〕
 
●玄葉光一郎(p29)
 国家戦略担当大臣。内閣で唯一、福島県からの選出。田村市周辺が地盤。
 原子力災害対策本部会議にて、3月12日、「最悪の事態想定を」と発言。1号機の水素爆発から7時間後。政府関係者が公式の場で「最悪のシナリオ」の検討を要請した初めての発言。
 
●五重の壁(p35)
 放射能の塊である核燃料は、五重の壁によって防護されている。
 (1)燃料ペレット……核燃料を焼き固めたもの。
 (2)被覆管……ペレットをジルコニウム合金で覆ったもの。
 (3)原子炉圧力容器……核燃料を反応させる。
 (4)原子炉格納容器……(3)を収納。鋼鉄製。
 (5)原子炉建屋……格納容器を取り囲む。分厚いコンクリート製。
 
●廣中雅之(p93)
 自衛隊統合幕僚監部運用部長。自衛隊最高位である統合幕僚長(当時は折木)を補佐し、各部隊の作戦行動を指導する役割を担う。「旧帝国軍の大本営作戦部長」にあたる。
 
●スティーブ・タウン(p101)
 在日米軍の首席連絡将校。3月11日から約4か月間、市ヶ谷に設置された日米調整所に詰め、50名のスタッフを率いて、自衛隊と米軍の連絡調整に当たった。
 父親が牧師。2歳から小学生まで神戸で過ごす。日本語が堪能で、キャンプ座間の渉外部長および情報部隊の連絡将校、沖縄で海兵隊の外交政策部長、在日米国大使館付武官を経て、震災時は横田基地でミサイル部隊の将校。
 取材時には、古いチャペルを改装した瀟洒な洋館で、ティーハウスを経営。JR青梅駅からタクシーで国道411号線を西へ行ったところ。
 
●寺田学(p116)
 事故発生当時、最年少の首相補佐官。34歳。
 事故から5年後、自らの原発事故とのかかわりを詳細な手記にまとめて公表。2012~14年の議員浪人中に書き始めた。「官邸や自分に不利なことも正直に話す」と宣言したうえで、当時の官邸内部の混乱や、それに対する寺田自身の所感などが生々しく記されている。
 
●伊藤哲朗(p121)
 いとうてつろう。内閣危機管理監。国防を除く国内の危機管理対策の司令塔。1998年に設置。
 警察庁出身。2008年、自民党・福田康夫内閣時に内閣危機管理官に就任。その後、「余人をもって代えがたい」とされ、鳩山内閣、菅内閣でも職に留まり続けた。
 事故当時の出来事を詳細な手記にまとめていたが、未公表だった。
 
●細野豪志(p181)
 ほそのごうし。首相補佐官。
 統合対策本部事務局長。のちに、原発事故担当大臣。
 廣中とは旧知の仲だった。安全保障についての勉強会などで知り合い、携帯電話の番号を交換していた。廣中を東電の幹部につなぐ。(p245)
 
●北澤俊美(p184)
 防衛大臣。
 
●戒能一成(p190)
 かいのうかずなり。防衛省・自衛隊が助言を求めた外部の専門家。
 東京大学工学部卒業後、1987年に通産省に技官として入省。資源エネルギー庁の原子力産業課、本省自動車課、中小企業庁などを経て、2002年以降は外郭研究機関である経済産業研究所に所属。
 2009年、論文「原子力発電所の稼働率・トラブル発生率に関する日米比較分析」を公開。原子力安全・保安院の幹部から依頼されて執筆。そのころ、東電は国内のほかの電力会社と比べても突出してトラブルが多かった。保安院の内部ではそれを是正させる必要が議論されていた。しかし、東電は自分たちの技術力を過信し、保安院等の指導に応じないことが多々あった。
 
●近藤駿介(p297)
 原子力委員会委員長。細野の要請に応じ、3月20日から25日の間に「最悪のシナリオ」を作成。
 
(2023/1/12)NM
 
〈この本の詳細〉

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