SSブログ

教養としての仏教思想史
 [哲学・心理・宗教]

教養としての仏教思想史 (ちくま新書)
 
木村清孝/著
出版社名:筑摩書房(ちくま新書 1618)
出版年月:2021年12月
ISBNコード:978-4-480-07430-0
税込価格:1,265円
頁数・縦:395p. 19p・18cm
 
 放送大学用のテキスト『仏教の思想』(放送大学教育振興会、2005年)を改訂・補筆。
 
【目次】
第1章 仏教の成立
第2章 部派仏教の展開
第3章 仏教の革新―大乗仏教
第4章 中観派とその思想
第5章 瑜伽行派の形成と展開
第6章 大乗から密教へ
第7章 テーラヴァーダ仏教の伝統
第8章 仏教東漸―中国仏教の形成
第9章 「新仏教」の展開
第10章 韓国(朝鮮)の仏教
第11章 日本仏教の濫觴
第12章 平安仏教の形成と展開
第13章 「鎌倉新仏教」の出現
第14章 近世・近代の日本仏教
第15章 仏教の現在と未来
 
【著者】
木村 清孝 (キムラ キヨタカ)
 1940年生まれ。仏教学者、僧侶、専攻は華厳思想を基にした東アジア仏教研究。曹洞宗龍宝寺(函館市)住職、(公財)仏教伝道協会会長、東京大学名誉教授。東京大学大学院博士課程満期退学。文学博士。東京大学文学部教授、国際仏教学大学院大学教授・学長、鶴見大学学長等を歴任。
 
【抜書】
●ラーフラ(p17)
 ゴータマ・シダッタ(ガウタマ・シッダールタ。BC566-486あるいはBC463-383)は、釈迦族の国の王子として生まれた。父はスッドーダナ(浄飯王:じょうぼんのう)、母はマーヤー(摩耶夫人:まやぶにん)。母はゴータマを生んで1週間後になくなり、母の末の妹のマハーパジャーパティーが養育に当たった。
 16歳でヤソーダラー(耶輪陀羅:やしゅだら)と結婚し、息子ラーフラをもうけた。他に二人の妃があったともいう。
 
●スジャータ(p21)
 ゴータマは、6年(または12年)の苦行の末、修行を放棄し、垢まみれになった体をガヤーの町の近くを流れるネーランジャラー河(尼連禅河〈にれんぜんが〉)の水で清め、スジャータという若い娘から乳粥などの供養を受けて衰弱した体の回復に努めた。
 スッドーダナ王の命令で彼に付き従っていた5人の比丘たちは、「ゴータマは贅沢になり、そのため修行に努めることから離れてしまった」と考え、遠くへ去ってしまった。
 
●十二縁起(p24)
 「無明(むみょう:無知)によって行(ぎょう:意思作用)が生じ、行によって識(識別作用)が生じ、識によって名色(みょうしき:認識されたものとしての名称と形態)が生じ、名色によって六入(ろくにゅう:六つの感覚・意識機能)が生じ、六入によって触(そく:接触)が生じ、触によって受(じゅ:感覚作用)が生じ、受によって愛(愛着)が生じ、愛によって取(しゅ:執〈とら〉われが生じ、取によって有(う:生存)が生じ、有によって生(しょう:出生)が生じ、生によって老いと死と、愁いと悲しみと苦しみと憂さと悩みが生じる。このようにして、この苦しみの集合がすべて現れる。
 しかし、まさしく貪りを離れて無明が消滅すれば、行が消滅する。行が消滅すれば、識が消滅する。識が消滅すれば、名色が消滅する。名色が消滅すれば、六入が消滅する。六入が消滅すれば、触が消滅する。触が消滅すれば、受が消滅する。受が消滅すれば、愛が消滅する。愛が消滅すれば、取が消滅する。取が消滅すれば、有が消滅する。有が消滅すれば、生が消滅する。生が消滅すれば、老いと死と、愁いと悲しみと苦しみと憂さと悩みが消滅する。」
 
●四諦、八正道、十二縁起(p28)
 基本的なゴータマの教説は、四諦・八正道・十二縁起。
 さらに、我々人間という存在を五蘊の集合体とみて、それらに対するとらわれを捨てよと説いた。
 四諦……四つの真理。苦諦(くたい:苦しみの真理)、集諦(じったい;苦しみの原因の真理)、滅諦(めったい:苦しみの消滅=安らぎの真理)、道諦(どうたい:安らぎに至る道の真理)。
 八正道……中道の内容。
  正見(しょうけん:正しい見方)
  正思(しょうし:正しい考え)
  正語(しょうご:正しい言葉)
  正業(しょうごう:正しい行い)
  正命(しょうみょう:正しい生活)
  正精進(しょうしょうじん:正しい努力)
  正念(しょうねん:正しい注意)
  正定(しょうじょう:正しい瞑想)
 五蘊……人間の存在に備わる要素。色( しき:物質)、受(感受作用)、想(表象作用)、行(ぎょう:意思)、識(認識作用)。 
 
●対機説法(p32)
 相手の性質・能力に応じて、教えを説くこと。
 
●結集(p45)
 結集(けつじゅう)……ゴータマがなくなった後、弟子たちが集まって、バラバラだった教えと修行上の約束をまとめた。それまで、対機説法ゆえにゴータマの教えはバラバラだった。前後4回行われた。
 第1回目の結集は、高弟のマハーカッサパ(摩訶迦葉〈まかかしょう〉、大迦葉)によって招集され、ラージャガハ(ラージャグリハ、王舎城)郊外の七葉窟〈しちようくつ〉で開かれた。500人の比丘が集まり、アーナンダ(阿難、阿難陀)とウパーリ(優婆離〈うぱり〉)を中心に、ゴータマの教えである「経(スッタ、スートラ)」と、教団に属する者たちの約束である「律(ヴィナヤ)」の編纂が行われた。
 経……所伝に応じて最終的に五つの「ニカーヤ(部類)」、あるいは五つの「阿含(アーガマ:伝承されたもの)」に分類された。また、教説の内容から九部経(九分教)、あるいは十二部経(十二分教)に分類された。
 
●根本分裂、枝末分裂(p47)
 2回目の結集は、ゴータマの没後100年の頃にヴァーサーリー(毘舎利〈びしゃり〉)において700人の比丘を集めて開催された。律のいくつかについて議論された。
 主なものは……。
 (1)前日に布施された塩を保存しておいて、次の日に使ってよいか。
 (2)病気のときに酒を飲んでも良いか。
 (3)信者から布施された金銭を受け取ってよいか。
 すべて「非事(正しくないこと)」と判定された。
 一部の比丘たちはこの判定に承服せず、独自のグループを結成した。大衆部(だいしゅぶ:マハーサンギカ)。保守・伝統派の上座部(テーラヴァーダ)と分裂。
 両派は、その後数百年の間にさらに分裂・分派を繰り返す。これを総称して「枝末分裂〈しまつぶんれつ〉」と呼ぶ。
 枝末分裂……大衆部は、百年の間に一説部など三派が分立し、分派がさらに進んで合計九派になった。上座部は数百年間は統一を保っていたが、まず説一切有部(説因部)と本上座部(雪山部〈せつざんぶ〉)に分かれ、さらに200年ほどの間に六次にわたって分裂が起こり、結局11部になった。ヴァスミトラ(世友)『異部宗輪論〈いぶしゅうりんろん〉』による。
 
●六波羅蜜(p62)
 波羅蜜(パーラミター)とは、究極的実践のこと。大乗経典最初期の『六波羅蜜経』にて説かれた。
 《六波羅蜜》
  ① 布施……困難や苦悩を抱える衆生に、執着心を離れて財物を与えること。教えを説き伝えること。
  ② 持戒……正しい生活の規範をしっかりと守ること。
  ③ 忍辱〈にんにく〉……悪口などに対して怒らず、耐え忍ぶこと。
  ④ 精進……勇気をもって、悪から離れ、善を行う努力をすること。
  ⑤ 禅定……心を静め、統一し、安定させること。
  ⑥ 般若……ブラジュニュアー。根本の智慧のことで、物事の本質をありのままに正しく観察し、理解すること。
 般若波羅蜜を菩薩の実践の根幹とみなして登場したのが、一群の般若経典である。
 
●パンチェン・ラマ(p134)
 チベットでは、8世紀頃、最終段階に達しつつあった大乗仏教を受容した。
 17世紀以降、チベットは観音菩薩の化身といわれるダライ・ラマが宗教と政治の中心の座を占める政教一致の体制をとる。中国の「解放」によってこの体制は崩壊し、ダライ・ラマ14世は、1959年にインドに亡命。インド北部のダラムサーラに逃れる。
 1965年、チベットの地は中国の西蔵〈せいぞう〉自治区となる。
 ダライ・ラマに次ぐ地位として、パンチェン・ラマがいる。無量光仏〈むりょうこうぶつ〉の化身とされる。ダライ・ラマ14世が認定した11世が、1995年、突然行方不明となる。別に中国政府が指名した人物が、2021年現在、パンチェン・ラマとして活動している。
 
●テーラヴァーダ(p141)
 上座部(小乗仏教)のことを、本来はテーラヴァーダ仏教という。タイやスリランカの仏教。欧州や米国でも布教活動が行われており、一定の土着化を果たしている。
 テーラヴァーダとは、「長老の教え」の意味。ゴータマの時代からの伝統を大切にしつつ現代まで続いている。
 
●尼僧(p242)
 敏達天皇6年(577年)、百済の威徳王は、日本の使者に託して、経論若干と律師、禅師、比丘尼、呪禁師〈じゅごんし〉、造仏工、造寺工の6人を送った。その2年後、新羅も調(貢物)とともに仏像を献上した。
 同13年(584年)、蘇我馬子は、ある帰化人から弥勒の石像と、佐伯連が所有していた仏像一体を請い受けて祀り、還俗していた高麗の僧・恵便〈えびん〉を探し出させ、この僧を師として司馬達等の娘、嶋と二人の女性を得度させ、法会を行った。嶋は出家して善信尼と称した。
 『日本書紀』による。日本で最初の出家者は女性だった。
 司馬達等……しばたっと。達止とも。中国より、継体天皇16年(522年)に来朝。大和国坂田原に草堂を結んで仏像を安置し、礼拝した。『扶桑略紀』による。
 
●戒壇(p257)
 天平勝宝5年(753年)、中国揚州の大明寺〈だいめいじ〉の僧、鑑真が来日。律宗。精力的に戒律思想の普及と授戒儀礼の定着に努める。日本でも、正規の僧尼が誕生することになる。
 その後、下野と筑紫にも律宗の戒壇ができる。
 最澄の請願によって、弘仁13年(822年)、天台宗の授戒が公認され、比叡山にも戒壇院が設けられた。
 
(2023/2/6)NM
 
〈この本の詳細〉

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。