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海賊共和国史 1696-1721年
 [歴史・地理・民俗]

海賊共和国史 ──1696-1721年
 
コリン・ウッダード/著 大野晶子/訳
出版社名:パンローリング(フェニックスシリーズ 122)
出版年月:2021年7月
ISBNコード:978-4-7759-4251-2
税込価格:4,180円
頁数・縦:510p・20cm
 
 17世紀末から18世紀初頭にかけて、カリブ海で繰り広げられた海賊たちの物語を、史料をもとに丹念にたどって綴る。
 
【目次】
プロローグ 海賊の黄金時代
第1章 伝説(一六九六年)
第2章 海へ(一六九七年~一七〇二年)
第3章 戦争(一七〇二年~一七一二年)
第4章 和平(一七一三年~一七一五年)
第5章 海賊集合(一七一六年一月~六月)
第6章 沿岸の同胞(一七一六年六月~一七一七年三月)
第7章 ベラミー(一七一七年三月~五月)
第8章 黒ひげ(一七一七年五月~十二月)
第9章 恩赦を求めて(一七一七年十二月~一七一八年七月)
第10章 瀬戸際政策(一七一八年七月~九月)
第11章 海賊狩り(一七一八年九月~一七二〇年三月)
エピローグ 海賊の終焉(一七二〇年~一七三二年)
 
【著者】
ウッダード,コリン (Woodard, Colin)
 歴史家、ジャーナリスト。ポートランド・プレス・ヘラルド紙の記者。同紙の調査報道でジョージ・ポルク賞受賞。その他、スミソニアン、エコノミスト、ワシントン・ポスト、ガーディアン、クリスチャン・サイエンス・モニター、ポリティコなど、国内外の多くのメディアに寄稿している。メイン州ミッドコースト在住。
 
【抜書】
●カルロス2世(p75)
〔 王族の近親婚からくる遺伝的および政治的な問題が生じたため、戦争の機運は以前から高まりつつあった。二十年以上にわたり、ヨーロッパでもっとも力ある王座には、よだれを垂らす醜いスペイン国王カルロス二世が就いていた。彼は精神的かつ肉体的に障害があっただけでなく、性的に不能だった。スペイン当局は総力を挙げて国王の回復に努めたが、どれだけ悪魔払いをしたところで、国王は歩くこともしゃべることもほとんどできなかった。からだの大きな子どものようなもので、自身の排泄物の中で転げまわり、動物を銃で撃ち、廷臣に墓から掘り起こさせた先祖の腐乱死体をながめながら治世を過ごしていた。一七〇〇年十一月、カルロス二世の死にともない、スペイン・ハプスブルク家は途絶えた。すると、遠くにに《ママ》住む彼の親族が、すぐにその地位を受け継ぐべき者についての論争を開始した。その者が地位とともに受け継ぐのは、スペインのみならず、イタリア、フィリピン、そして西半球のほとんどの地域の支配権である。ヨーロッパの人々にとっては不幸なことに、フランスのルイ十四世と神聖ローマ皇帝レオポルト一世もまた、遠くに住む親族にふくまれていた。まもなく軍隊が衝突し、それぞれが持つさまざまな地政学的、系譜的理由により、ヨーロッパの支配者のほとんどがその争いに巻きこまれていった。一七〇二年の春、イングランドはオランダ、オーストリア、プロイセンとともに、フランスとスペインを相手取った戦争に突入した。それが、大西洋上に類を見ない海賊大発生の舞台をしつらえる結果となったのである。〕
 スペイン継承戦争は、海洋の覇権を争う国々のあいだで私掠船の暗躍を許し、彼らが海賊化していった。
 
●セルカーク(p108)
 ダニエル・デフォー『ロビンソン・クルーソー』のモデルになった人物。スコットランド人。
 1709年2月1日、デューク号(ウッズ・ロジャーズ船長)とダッチェス号(スティーブン・コートニー船長、エドワード・クック副船長)は、食料補給のためにファン・フェルナンデス島に上陸した。チリ沿岸沖400マイル。上陸のためのボート上で、医師のドクター・トーマス・ドーヴァーが、ヤギの皮を身にまとい、白旗を振りながら、英語で叫んでいる男(セルカーク)を発見。4年4カ月、無人島で孤独な生活を送っていた。
 無人島に残る選択をする原因となった、かつての指揮官ウィリアム・ダンピアが、水先案内人として参加していた。ダンピアの指揮する船団は、彼の統率力の欠如のため、フナクイムシの害で船が沈没する恐れがあったため。
 島には、何百匹ものヤギが生息していた。かつて、スペインが島を植民地化しようとして放っていたヤギの末裔。セルカークは、ヤギの皮で壁を、草で屋根を作り、2軒の小屋を建てた。台所と居間。
 小屋周辺に何百匹といた野良猫に餌をやり、寝ている間につま先をかじりに来るネズミを撃退。
 服が擦り切れて着られなくなると、ナイフと古い釘を使ってヤギの皮を縫い合わせた。
 靴がなくなったので、足の裏の皮は厚くなっていた。
 カブ、ヤギ、ザリガニ、野生のキャベツといった健康的なものばかりを食べていたので、めったに病気にかからなかった。
 スペイン上陸隊が現れたときには、木のてっぺんに隠れてやり過ごした。追跡者の何人かは、そうとは知らずにその木に向かって用を足していた。
 
●海賊共和国(p184)
 ニュープロヴィデンス島(首都ナッソー)は、無法者の国と化していた。
〔 ホーニゴールドは、バハマの急成長する海賊共和国の創立者ながら、バロウ率いる元難破船漁り軍団とハミルトンの私掠船に挟まれ、フライング・ギャングにおける統率力の衰えを感じはじめていたにちがいない。彼が抱える二百人の乗組員は、戦利品の大半を船主や船長に差しだす私掠船メンバーとはちがって、法的に認可された契約のもとで任務に就いているわけではなかった。強制された一部の乗組員を除けば海賊船ではたらくことは、基本的に自由意志の下になされている。バハマ諸島にいる海賊のほとんどは、海軍や商船で長年虐待され、搾取されてきた船乗りだ。だからそれと同じようなシステムを再現するつもりは毛頭なく、むしろそういうシステムを頭からひっくり返そうとしていた。彼らは船長を投票で選び、もしその結果に満足できなければ、やはり投票によって追放することができた。フライング・ギャングの海賊たちは、戦闘の場では船長に絶対的な権力を与えるが、そのほかの決定事項については、だいたいにおいて乗組員による総会の場で民主的に決めていた。たとえば、どこに針路をとるべきか、だれを襲撃すべきか、どの捕虜を手元に置き、どれを解放すべきか、そして海賊団の中に違反者が出たらどう罰するか。ホーニゴールドをはじめとする各海賊船の船長は、手下と食事も同じなら、船室も共同で使わなければならなかった。彼らの権限をさらにけん制するために、乗組員は、食料や戦利品や分け前が公平に分配されていることを確認する役目の操舵長についても、投票で選んでいた。通常、船長が平の船員より多く受け取ることのできる戦利品の割合は、五十パーセントだけだった。私掠船の場合、その割合が千四百パーセントにもなる。乗組員は、リーダーを信頼し、その手腕に満足していれば、死ぬまでそのリーダーについていく。しかしそうでない場合、彼らは瞬時にその人物をリーダーの座から引きずり降ろすことができるのだ。だからホーニゴールドは、結果を出す必要があった。さもないと、海賊のリーダーとしてすぐに終わりを迎えることになる。〕
 
(2023/2/24)NM
 
〈この本の詳細〉


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