教養としての「中国史」の読み方
[歴史・地理・民俗]
岡本隆司/著
出版社名:PHPエディターズ・グループ
出版年月:2020年10月
ISBNコード:978-4-569-84722-1
税込価格:1,980円
頁数・縦:355p・19cm
■
中国史を俯瞰し、「大雑把に」つかむための「キモ」を分かりやすく解説。
中国を突き詰めると、「二元構造」だろうか。「華夷」「士と庶」など、対の構造である。その根拠は、「儒教」に求められる。中国の根本思想でもある。
ところで、「民主主義」(と「資本主義」)は、西洋のごく一部の地域で生まれ、採用されたシステムに過ぎない、という。「日本は幕末にそうしたものと出会い、たまたまそれが日本人にしっくりくるものだったので違和感なく受け入れましたが、東洋にはそれとはまったく違ったシステムが行われていたのです。」「それは西洋のものとは異なるものなのです。また、どちらが進んでいるとか、どちらが正しいというものではありません。」(p.15)
正しいとか正しくないとか言う前に、中国のような一党独裁の政治システムの国で暮らしたいとは思わないのだが……。ブレグジットや米国トランプ政権のように、民主主義が劣化している現状も確かにあるけれど。
【目次】
序章 中国は「対の構造」で見る
Ⅰ 「中国」のはじまり―古代から現代まで受け継がれるものとは
第1章 なぜ「一つの中国」をめざすのか
第2章 「皇帝」はどのようにして生まれたのか
第3章 儒教抜きには中国史は語れない
Ⅱ 交わる胡漢、変わる王朝、動く社会―遊牧民の台頭から皇帝独裁へ
第4章 中国史を大きく動かした遊牧民
第5章 唐宋変革による大転換
第6章 「士」と「庶」の二元構造
Ⅲ 現代中国はどのようにして生まれたのか―歴史を知れば、いまがわかる
第7章 現代中国をつくり上げた明と清
第8章 官民乖離の「西洋化」と「国民国家」
第9章 「共産主義国家」としての中国
【著者】
岡本 隆司 (オカモト タカシ)
1965年、京都市生まれ。現在、京都府立大学教授。京都大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。博士(文学)。宮崎大学助教授を経て、現職。専攻は東洋史・近代アジア史。著書に『近代中国と海関』(名古屋大学出版会・大平正芳記念賞受賞)、『属国と自主のあいだ』(名古屋大学出版会・サントリー学芸賞受賞)、『中国の誕生』(名古屋大学出版会・樫山純三賞、アジア太平洋賞特別賞受賞)など多数。
【抜書】
●中原(p26)
淮河以北を「華北」、以南を「華中」「華南」という。
古くは、華北のことを「中原」と称した。「中国」「中華」もほぼ同じ意味。
●尊王攘夷(p57)
「尊王攘夷」は、もともと春秋時代の覇者が用いた言葉。
当時の「王」とは、周王のこと。春秋時代には、周囲の国々の権力者が「諸侯」と呼ばれていた。儒教で、周王を「天子」と位置付けて仰いだ。
天子の権威は、本来、儒教的な「徳」を拠り所としたもの。必ずしも武力的優位を必要としない。
●貴族(p104)
後漢王朝は、西暦紀元ごろから200年間、平和な時代を維持した。
このころ、「豪族」「貴族」が形成された。特定の勢力家・豪族が、政府の要職を世襲的に独占していった。
貴族は、勢力の有無大小だけでなく、徳行・モラルの実践を地域コミュニティで評価されなくてはならない。それが、個人ではなく、一家、一族という単位で決まるというのが、中国における「貴族」の特徴。
●兌換紙幣(p184)
元の時代、モンゴルが銀を持ち込んだ。
宋の時代、銭では高額取引に不便だったので、紙幣が生まれた。しかし、紙幣には信頼性が問題だった。兌換の保証や価値を維持するためのコントロールシステムの構築など、すぐには解決できない問題があり、うまく流通させることができなかった。
「通貨としての銀」は、もともと西方のイラン系イスラム商人が活用していたもの。
クビライの時代、兌換紙幣のシステムが導入された。政権が兌換のための銀を準備することで、紙幣の価値を保証するという方法。
●唐宋変革(p190)
・「門閥貴族」に代わって、政治上、「天子」すなわち皇帝が大きな権力を握った。君主独裁。行政機関が君主の直接指揮のもとにおかれ、君主ひとりによって決裁がなされる「組織政治」。科挙の影響。宋以来、王朝が安定し、長続きするようになった。宋は南北合わせて約300年、明も300年、清も300年弱。
・江南開発とそれに伴う人口の増加。
・エネルギー革命。石炭をコークスに加工して利用。鉄製の農機具、銅銭と陶磁器の増産につながった。
・貨幣経済の成立。シビリアンコントロールを徹底し、平和を潤沢な資金であがなった。
・商業の発展。南北を結ぶ大運河の活用。
・新たな都市の誕生。城外に農地と住居を備えた集落「邨(=村)」が生まれた。都市は、行政機関だけを残した「政治都市」へと変貌。
●文字の獄(p263)
明の建国者である朱元璋は、「文字の獄」と呼ばれる言論統制を行った。特定の文字の使用を禁じる。
「光」「禿」「僧」などの使用を禁じた。自分が乞食僧をしていた過去を抹殺するため。
上記以外にも、恣意的に禁字を適用した。
ほとんど冤罪に近い。「文字の獄」も地主潰しの一環だった?
●絹、綿(p268)
明の時代、14~15世紀に、江南デルタに稲作のできない場所が増えてきた。そこで、桑と木綿の栽培が盛んになった。
もともと絹は、内陸部で作られていた。
木綿は、元の時代にインドから伝来。それまで、衣類には主に麻が用いられていた。
江南デルタに、絹・木綿を生産するための手工業が勃興。新たな特産品は世界中で高値で取引され、江南を大発展させた。
人口増加が起き、水田地帯が長江中流域にまで広がった。
●郷紳(p276)
明の時代、郷紳(きょうしん)と呼ばれる人たちが士大夫に取って代わるようになった。
科挙に合格しながら、官途に進まず、郷里で地元の名士として力を行使した人々。
ローカルな民治の移譲先として力を振るう。官僚は、数年で転勤してしまう。在地の実務に精通した郷紳が力を発揮する。
●17世紀の危機(p278)
ヨーロッパ史の用語。
15世紀後半から17世紀初頭にかけての経済隆盛期間と、産業革命による18世紀半ば以降の経済上昇の間に位置する「経済の低迷期間」。世界的な異常気象による飢饉と、豊富に供給されていた銀が枯渇してきたことが原因。
中国でも同じ現象が起きていた。明滅亡に導いた「李自成の乱」の背景となった。
●満洲(p282)
満洲人、自称「マンジュ」。「マンジュ」は、文殊菩薩に由来する。その音に「満洲」の文字を当てた。
「明」が火をイメージさせる文字であることから、マンジュの発音に合う文字の中から水のイメージを持つものを選んだ。そのため、本来は「サンズイ」の付く「満洲」が正しい。
●華僑(p293)
17世紀の間、1億人でほとんど変化しなかった清の人口は、18世紀半ばまでに3億人に達した。イギリスからの銀の大量流入による好況。「乾隆の盛世」。
人口増加により、食にあぶれた人たちが、海を渡って東南アジアへ移住するようになった。「華僑」の始まり。
●官民乖離(p344)
鄧小平の経済改革は、中国独自の「二元社会構造」を利用して経済発展につなげた。
官民一体となることで経済発展を目指すのではく、上下乖離、官民乖離という「二元構造」に応じた「分業」政策。
政治は社会主義の共産党政権である「官」が独裁的に引き受け、自由な市場経済(資本主義)は「民(民間)」にゆだねる。
(2020/12/5)KG
〈この本の詳細〉