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誤読のイタリア
 [文芸]

誤読のイタリア (光文社新書)
 
ディエゴ・マルティーナ/著
出版社名:光文社(光文社新書1112)
出版年月:2021年1月
ISBNコード:978-4-334-04520-3
税込価格:880円
頁数・縦:228p・18cm
 
 日本在住のイタリア人による、異文化エッセー。
 日本人によるイタリア人に対する「誤読」をフラットな目線で、ときにユーモアを交えて綴る。イタリア人って、そうだったのか、と納得。しかし、本人の弁によると、自分は典型的なイタリア人ではない、とのこと。社交的でもないし、サッカーにも興味がない。「イタリア人」っぽくないから、日本文化に魅せられて留学までしてしまったか?
 
【目次】
第1章 誤読のイタリア人
 ある夜のイベント
 無口なイタリア人だっている
  ほか
第2章 誤読の人間関係
 「出会いがない」は日本ならではの表現?
 イタリア人の人間関係1 お喋りが好き
  ほか
第3章 誤読の恋愛関係
 「変な日本語」と「本当の日本語」
 日本で初めて聞いた言葉1 ナンパ
  ほか
第4章 誤読の家族
 イタリア人男性は皆マザコン?
 イタリアと日本の「家庭内会話」
  ほか
第5章 誤読のイタリア料理
 日本人は食べることが大好き?
 ハンガリーのレストランで、「あー、イタリア料理が食べたい」
  ほか
 
【著者】
 マルティーナ,ディエゴ (Martina, Diego)
 1986年、イタリア・プーリア州生まれ。日本文学研究家、翻訳家、詩人。ローマ・ラ・サピエンツァ大学東洋研究学部日本学科(日本近現代文学専門)学士課程を卒業後、日本文学を専攻、修士課程を修了。東京外国語大学、東京大学に留学。翻訳家としては谷川俊太郎『二十億光年の孤独』と『minimal』、夏目漱石の俳句集などをイタリア語訳、刊行。詩人としては、日本語で書いた処女詩集『元カノのキスの化け物』(アートダイジェスト)が読売新聞の書評で「2018年の3冊」の一つとして歌手・一青窈に選出される。黒田杏子主宰の「藍生俳句会」会員。
 
【抜書】
●大げさな表現(p60)
 イタリア流の大げさな表現は、事実を隠す「嘘」とは異なり、「事実を明かす」もの。
 〔不本意ながら尻尾を踏んでしまったことと、わざと猫を蹴ったこととでは、言うまでもなくまったく異なる。だけど、「私の猫を蹴った時」という言い方をすることで、猫を飼っている彼女がそのシーンを見て、実はどれだけつらい思いをしたのかが我々に伝わってきた。同じように、たった一度だけ「間抜け」と呼ばれた彼は、「いつもそう呼ばれている」と、わざわざ大げさな言い方をすることによって、ずっと不快な思いをしていた事実が彼女に伝えられた。つまり、大げさな表現のお陰で、二人はお互いの本心を打ち明けることができたんだ〕。
 
●点と線(p98)
〔 すでにお分かりの通り、イタリア人は社交にこだわる民族と言えるだろう。面識のない人に声をかけて、敬語という社交バリアを張らずに人に近づく。イタリア人は相手との触れ合いを求める民族なのだ。しかし、その「触れ合いたい」という根源的な動機は、どこから生まれてくるのだろうか。
 それを考えた私は、突如、数学のある原理を思い出した。古代ギリシャの数学者アルキメデスが残した言葉だそうだが、「点と点との間のもっとも短い距離は一直線だ」と。人間の場合も、そうかもしれない。〕
 
●政党移籍(p160)
〔 「常に自分を優先すべき」。その方針は政治から労働まで、イタリア社会のあらゆる面に浸透している。まず、政治界の例から見よう。他党から良いオファーが来ると、イタリアの政治家や国会議員は喜んで別の党へ移籍する。「オファー」というのは賄賂なり、高級な贈答品なり、有益になりそうな約束など。そのような「Compravendita dei senatori(和訳:「上院議員の売買」)のお陰で、崩壊を免れた政府も過去にあった。そうした政治家は、従来所属している政党のことや、その政党を選挙で選んだ国民のことを考えずに、自分の得になりそうなウチだけを優先する。だから、イタリアの政治が道徳観に欠けてしまいがちなのは、決して驚くべきことではないのだ。〕
 
(2021/4/4)KG
 
〈この本の詳細〉

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