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メソポタミアとインダスのあいだ 知られざる海洋の古代文明
 [歴史・地理・民俗]

メソポタミアとインダスのあいだ: 知られざる海洋の古代文明 (筑摩選書)
 
後藤健/著
出版社名:筑摩書房(筑摩選書 0124)
出版年月:2015年12月
ISBNコード:978-4-480-01632-4
税込価格:1,870円
頁数・縦:292p・19cm
 
 古代メソポタミア文明が栄えた頃のアラビア湾岸の海洋文明について紹介する。それは、メソポタミア文明からインダス文明までを包含し、陸上交易と海上交易をつなぐイラン系の都市ネットワークであるという。
 日本人にはあまりなじみのない古代文明。
 
【目次】
第1章 メソポタミア文明の最初の隣人たち
 メソポタミア人の最初の足跡
 文明初期のメソポタミアと隣人たち
 ほか
第2章 イラン高原の「ラピスラズリの道」―前三千年紀の交易ネットワーク
 トランス・エラム文明
 国際的ヒット商品、「古式」クロライト製容器
 ほか
第3章 ウンム・ン=ナール文明―湾岸文明の成立
 ウンム・ン=ナール文明の成立から衰退まで
 ウンム・ン=ナール文化の墳墓
 ほか
第4章 バールバール文明―湾岸文明の移転
 バハレーン砦における都市の成立
 ファイラカ島における都市の成立
 ほか
第5章 湾岸文明の衰退
 ファイラカにおける考古学的証拠
 バハレーンにおける考古学的証拠
 ほか
 
【著者】
後藤 健 (ゴトウ タケシ)
 1950年生まれ。東京教育大学卒業、同大学院修士課程修了、筑波大学大学院博士課程中退。古代オリエント博物館研究員、東京国立博物館研究員、同西アジア・エジプト室長、同上席研究員を務め、2011年定年退職。現在同館特任研究員。西アジア考古学専攻、東海大学博士(文学)。中東各地で考古学調査に従事。
 
【抜書】
●テル、テペ、デペ、ヒュユク(p29)
 西アジアの集落遺跡の特徴。
 日乾し煉瓦または練り土や石材を主材料とする建物群からなる集落が、同じ場所で修築・改築を繰り返しつつ長期にわたって営まれ続けられたためにしだいに高くなった丘のこと。
 広い意味で、複数の住居層が重なった丘を指すこともある。
 
●ウルク・ワールド・システム(p32)
 メソポタミア南部に発したウルク期の文化は、メソポタミア全域とその周辺諸地域に急速に広がり、南メソポタミア型の都市・集落郡が広範囲に形成された。ウルクが遠隔地産物資獲得のために水陸のルートを支配するために、自らの拠点を各地に設置(植民)し、これをネットワーク化したとして、ギレルモ・アルガゼは「ウルク・ワールド・システム」と名付けた。
 
●原エラム文明(p42)
 BC3000年前後のイラン高原に、スーサを中心とする都市群のネットワークが存在した。イラン高原における史上最初の都市文明、「原エラム文明」である。
 同時期のジェムデッド・ナスル期のメソポタミアをカウンターパートとするイラン国家。
 「ウルク・ワールド・システム」の一部を前身とするものであったかもしれないが、支配したのはメソポタミア人ではなく、原エラム語を母語とするイラン高原の住民。
 シュメール初期王朝時代には、原エラム文書は減少し、メソポタミアの土器が主体を占めるようになる。原エラム文明の衰退。
 
●原ディルムン(p59)
 本書でいう「原ディルムン」とは、ハフィート期のバハレーン島のこと。オマーン半島からペルシア湾奥に至る航路の中ほどにある。BC3000年頃。イラン側のテペ・ヤヒヤの支配者が銅山開発のためにオマーン半島を植民地化した。同半島と湾岸は事実上原エラム文明の一部と化し、メソポタミア、イラン高原を含む大経済圏に取り込まれた。
 「ディルムン」とは、メソポタミアのウルク文書で銅と関係のある、域外の地名。
 
●古式クロライト製品(p78)
 テペ・ヤヒアで産出するクロライトを加工した平底の円筒形容器が主。前3000年紀末頃まで作られていた。
 「古式」クロライト製品は、通常、第一級の都市遺跡と立派な墳墓でのみ出土する。これを所有しているならば、トランス・エラム文明の構成員であることのあかし。
 
●トランス・エラム文明(p86)
 モヘンジョ・ダロで、「古式」クロライト製容器が出土している。
 インダス文明の成立には、土着のハラッパー文化の人びとだけでなく、トランス・エラム人が関与していた。メソポタミア以外の土地で、穀倉となるべきインダス河流域の平原に目を付け、開拓した。
 
●アラッタ(p68)
 メソポタミアの支配者たちが首都スーサに対して行った軍事侵略によって、原エラム文明はBC27世紀までに終焉した。その後、ネットワークの新たな司令塔=首都は、イラン高原東南部、ケルマーンに建設された新都市アラッタに移った。トランス・エラム文明の始まり。
 現在のシャハダードに比定される。
 
●マガン(p140)
 メソポタミアの史料では、銅をはじめとする必要物資の産地として、「マガン」という地名(もしくは国名)が知られている。BC23世紀ごろから登場する。
 銅は、オマーン半島内陸部で産出するので、マガンとは、ウンム・ン=ナール(島)文明を指していると考えられている。
 
●メソポタミアと湾岸との関係(p155)
〔 湾岸における古代文明は、常にメソポタミアの要求を満たすために存在した。そうするためにはいかなる努力も惜しまなかった。もちろん湾岸文明側にも莫大な利益があったからだ。バールバール文明が、成立直後の前二〇〇〇年頃に行なった重要なイノベーションは、より湾奥に位置するクウェイト沖のファイラカ島に、対メソポタミア貿易の拠点を設置したことである。そしてメソポタミア人のディルムン観もすべてここから作られた。〕
 
●ディルムン(p183)
 原ディルムン……初めて湾岸がメソポタミア、イラン高原を含む原エラム文明の大経済圏に取り込まれた、BC3000年前後のメソポタミア(ジェムデッド・ナスル期あるいはウルクⅢ期)の交易相手。
 ディルムン……BC2000年頃のバールバール文明のこと。バハレーン島を本拠地とし、ファイラカ島に出先機関を設けていた。
 
●マガン→ディルムン(p255)
〔 そもそもディルムン国(バールバール文明)は、その前身であるマガン国(ウンム・ン=ナール文明)の役割を引き継ぎ、メソポタミアとインダスにおける二つの大農耕文明の間で、イランの陸上交易文明とリンクしつつ、商業的利益を上げることを最大任務とする海上交易文明であった。前二千年紀初頭におけるメソポタミア南部の衰退、インダス文明の衰亡が、ディルムンの衰退を引き起こす契機となったのである。〕
 
●テュロス(p257)
 テュロスは、バハレーン本島のヘレニズム時代の呼称。ディルムンのアッカド語読み、「ティルムン」に由来する。
 
(2021/6/28)NM
 
〈この本の詳細〉


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