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JK、インドで常識ぶっ壊される
 [歴史・地理・民俗]

JK、インドで常識ぶっ壊される
 
熊谷はるか/著
出版社名:河出書房新社
出版年月:2021年12月
ISBNコード:978-4-309-03016-6
税込価格:1,540円
頁数・縦:221p・19cm
 
 女子高生にしてインドで暮らすことになった「JK」による、インドで受けた衝撃を綴ったエッセー。
 ちなみに、著者紹介に出版甲子園「大会史上初となる高校生でのグランプリ受賞」とある。「出版甲子園」と銘打ちながら、対象は「学生」と謳っており、「学生による、学生のための出版コンペティション」というものらしい( http://spk.picaso.jp/ )。大学生でも大学院生でもいいのだろうか? 中学生も応募資格あり?? 「甲子園」といえば高校生なのは、野球だけなのか。
 それから、女子高生本人が自らを「JK」としてブランド化して捉えていることにびっくり。それくらいの年齢になると自己を客観化できるからなのか、敏感に世相を感じ取っているというのか、自意識過剰というかしたたかなんだろうな、きっと。
 
【目次】
第1章 JK、インドへ行く
第2章 JK、インドライフにビビり散らかす
第3章 JK、インドグルメの沼に落ちる
第4章 JK、カオスを泳ぐ
第5章 JK、スラムに行く
終章 JK、インドを去る
 
【著者】
熊谷 はるか (クマガイ ハルカ)
 2003年生まれ。高校入学を目前に控えた中学3年生で、父親の転勤によりインドに引っ越す。インドで暮らした日々を書籍化すべく「第16回出版甲子園」に応募、大会史上初となる高校生でのグランプリ受賞。2021年6月、高校3年生で帰国。『JK、インドで常識ぶっ壊される』でデビュー。
  
(2022/4/21)NM
 
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テルマエと浮世風呂 古代ローマと大江戸日本の比較史
 [歴史・地理・民俗]

テルマエと浮世風呂: 古代ローマと大江戸日本の比較史 (NHK出版新書 671)  
本村凌二/著
出版社名NHK出版(NHK出版新書 671)
出版年月:2022年2月
ISBNコード:978-4-14-088671-7
税込価格:913円
頁数・縦:216p・18cm
 
 お互い100万都市であり、1600年を隔てた古代ローマ(のパクス・ロマーナ時代)と江戸時代を比較し、似ている点を中心に論じる。ローマが身近に感じられる1冊である。
 
【目次】
1 大都市の見世物―コロッセオと千本桜
2 水の享楽―テルマエと浮世風呂
3 諧謔精神の爛熟―諷刺詩と川柳・狂歌
4 読み書きの愉しみ―図書館と貸本屋
5 平和が生んだ美酒―ワインと日本酒
6 美徳と武勇の教訓―「父祖の威風」と武士道
7 泰平の夜遊び―娼婦と遊女
8 権威に通じる道―アッピア街道と東海道五十三次
9 耐えられる腐臭―下水道と肥溜め
10 粋な生き様―哲人と俳人
 
【著者】
本村 凌二 (モトムラ リョウジ)
 1947年、熊本県生まれ。東京大学名誉教授。専門は古代ローマ史。一橋大学社会学部卒業後、東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。博士(文学)。東京大学教養学部教授、同大学院総合文化研究科教授、早稲田大学国際教養学部特任教授などを歴任。著書に『薄闇のローマ世界』(サントリー学芸賞、東京大学出版会)など。
 
【抜書】
●パクス・ローマーナ(p6)
 パクス・ロマーナ。アウグストゥスが皇帝に即位したBC1世紀後半から2世紀末まで。約250年。
 当時のローマの人口はだいたい100万人。
 古代ローマと江戸日本は、前近代社会にあって極めて例外的に「庶民文化」が大きく興隆した都市。
 
●剣闘士(p20)
 剣闘士興行が始まったのはBC2世紀ころ。死者を弔う葬送の際に行われる儀式の一種だった。死者の魂は、人間が流す血を吸って天に還ると考えられていた。
 この宗教儀式を「見世物」として興行したのは、富裕な貴族たちであった。自らの富を顕示するため、自前の奴隷を見世物として闘わせた。金持ちが競うように催行すると、やがて専用の競技場が造られ、庶民の娯楽として定着していった。
 文字通り「真剣」勝負だったが、毎回どちらかが死ぬまで闘わせていたわけではない。平和な時代には1日5組の試合を行って、命を落とすのは一人くらいだった。
 当時の剣闘士はそれぞれが組合に属していた。親方にしてみれば、剣闘士は大事な資産。できれば殺したくない。
 
●寄席(p27)
 ローマの朗読会に相当する娯楽として、江戸には「噺」を楽しむ文化があった。
 当初は路上ライブ形式だったが、やがて専門の小屋が設けられ、幕末には落語の寄席が170軒以上、講談の寄席が200軒以上あった。
 寄席は歌舞伎よりも木戸銭が安く、庶民には最も手軽な娯楽の一つだった。
 
●パンとサーカス(p28)
 「パンとサーカス」を与えられることに慣れ切ったローマ市民は、やがて仕事などそっちのけで享楽に耽溺するようになった。
 市民に迎合するかたちで為政者(皇帝)はどんどん休日を増やしていき、「パクス・ローマーナ」時代の末期には、1年の半分以上が何かしらの祝日だった。
 
●銭湯(p34)
 火事を防ぐため、江戸では内湯を設けることが厳しく制限された。
 湯屋(銭湯)の営業は朝の8時から夜の8時まで。風の強い日は失火の恐れがあるので休業。料金は大人6文(現在の価値で100〜200円)、子ども4文。17世紀前半の寛永期から幕末までの150年間、料金は基本的に据え置かれた。
 銭湯を創始したのは伊勢与市と言われている。徳川家康の江戸入府に際し、江戸城や城下町を整備する大工事がスタート、全国から人足が集まってきた。彼らを相手に、伊勢与市が始めた商売が「銭湯」。
 当時の風呂は「空風呂(からぶろ)」とも呼ばれ、いわゆる蒸し風呂だった。少量の湯から発散させた湯気で垢を落とすスタイルが江戸初期の主流。
 17世紀なかばに「湯屋」と呼ばれる銭湯が登場。湯船に張られた湯は膝の高さくらいで、湯気が立ち込める薄暗い湯船に腰まで浸かる、いわば半身浴。大流行し、当時の江戸市中に200軒、江戸時代後期には600軒。
 時代が下ると、湯船にはたっぷりと湯が張られるようになった。湯気が逃げないよう、湯船は戸板で囲われ、人びとは石榴口(ざくろぐち)と呼ばれる小さな出入り口から入った。暗いし湯気で中が見えないので、「冷えものでござい」と声をかけて入り、中にいる人は咳払いで存在を知らせた。式亭馬琴『浮世風呂』(19世紀初頭)。
 現在のスタイルが生まれたのは明治10年代。
 
●手習い所(p90)
 江戸の人口100万人のうち、半数が町人。7〜8歳頃から寺子屋に通っていた。江戸時代後期になると、裏長屋でも寺子屋に通わない子はいないと言われるほど、就学率が高かった。
 寺子屋という名称は、江戸時代以前に寺で教育が行われていた名残。上方発祥の呼び名。江戸では「手習い所」と呼び習わされた。
 
●貸本屋(p94)
 江戸時代、紙は貴重だったので、本は高かった。
 そのため大繁盛したのが「貸本屋」。本を背負って得意先を回っていた。江戸時代後期には、市中に656人もの貸本屋がいたとされ、各々100〜200近い顧客がいた。
 貸本料金は、新刊で1巻24文(500円弱)、古本だと16文くらい。
 
●図書室(p96)
 ローマ時代の書物は羊皮紙に書かれていた。巻物。
 トラヤヌス浴場やカラカラ浴場など、都市にある巨大テルマエは、もれなく図書館や図書室を併設していた。ポンペイに残るいくつかの公衆浴場も、その一角が図書室になっている。
 『博物誌』(全37巻)の著者プリニウスは、自分の家に図書室を持っていた。非常に例外的なケース。プリニウスは大変な勉強家で、入浴中にも奴隷に朗読させて「耳」で本を読んでいた。
 
●アクタ・ディウルナ(p97)
 古代ローマには、世界最古の新聞と言われる「アクタ・ディウルナ」があった。「日々の議事録」の意味。いわば官製の掲示板。元老院での議事を始め、裁判結果や市民の出生・死亡ニュースまで、多岐にわたる内容。
 遠征中のカエサルが、自身の功績をローマに知らせるために公示したことが始まり。
 「ディウルナ」は、のちの「ジャーナル」(定期刊行物)や「ジャーナリズム」の語源。
 
●花魁(p151)
 吉原では、大衆化と倹約の流れに押され、江戸時代初期とは趣が異なり、18世紀半ばには最高位の遊女である太夫(たゆう)は絶滅し、次いで位の高かった「格子」もいなくなった。
 以後、相対的に上位の遊女を「花魁」と呼ぶようになった。
 
●石畳(p162)
 アッピア街道は、ローマから南東に向かい、イタリア半島の踵にあたるブルンディシウムまでほぼまっすぐに伸びている。BC312年、軍人アッピウス・クラウディウスが、元老院貴族の反対を押し切って、約200kmの街道敷設に着手。最終的に、全長560㎞。
 深い路床を掘って造った堅固な基礎の上に、整然と敷石を並べて舗装している。水はけをよくするため、センターライン部分が少し高くなっている。
 アッピア街道は、現存部分の多くが今なお使用されている。見事な石畳は、百年に一度の補修で十分だったという。
 〔敷設から四百年後のローマで活躍した博物学者のプリニウスも、「この土木工事は奇跡だ」と感嘆している。〕
 
●江戸の下水(p186)
 江戸では、上水道に続き、生活廃水を流す下水道も早い時期に整備した。糞尿は、下肥として売買されたので、下水に流すことはご法度。野菜くずのようなゴミを下水道に捨てるのもご法度。混入したゴミが河川に流れ込まないよう、排水溝には杭を打ち、溜まったゴミを定期的にさらうメンテナンスも行われていた。
 〔当時、江戸は世界随一の上水システムを誇っていたが、下水インフラとゴミ処理に関しても、、世界のトップクラスに位置していたと言っていい。ちなみに、江戸のゴミ処理はどうなっていたかというと、市中のゴミ溜め場に集め、隅田川河口の永代島に運んで、島の周辺をゴミでどんどん埋め立てていたようだ。江戸版の「夢の島」というわけだ。〕
 
●ウェスパシアヌス(p190)
 ウェスパシアヌスは、〔初代皇帝アウグストゥスからネロまで、五代百年にわたって世襲されたユリウス・クラウディウス朝に終止符を打ち、自らの血統でフラウィウス朝を立ち上げた人物である。〕
 在位10年の間に緊縮財政で国の立て直しを図り、ネロの治世下で乱れた風紀の引き締めにも功績を残した。
 施策の中で最も有名なのは、トイレ政策。公衆トイレをローマ市中のあちこちに設置した。衛生上の施策というより、財源づくりの一環。公衆トイレに溜まった尿を集めに来る人に税金をかけた。尿は、羊毛の脂分を洗い流すために用いられ、毛織物業者にとって不可欠なものだった。
 
(2022/4/21)NM
 
〈この本の詳細〉


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