SSブログ

宮廷女性の戦国史
 [歴史・地理・民俗]

宮廷女性の戦国史
 
神田裕理/著
出版社名:山川出版社
出版年月:2022年4月
ISBNコード:978-4-634-15205-2
税込価格:1,980円
頁数・縦:295p・19cm
 
 戦国時代(というより南北朝時代から)、朝廷に皇后はいなかった。その代わりに、天皇家の家政やお世継ぎに貢献していたのが、後宮女房たちであった。
 戦国時代の宮廷女性たちの生活と役割を、史料をもとにひもとく。
 
【目次】
プロローグ―「皇后不在」を支えた後宮女房たち
第1章 戦国期の天皇家を支えた女性たち
 「皇后不在」の天皇家
 歴史のなかの後宮女房たちの素顔
  ほか
第2章 武家政権とのあいだを取り次ぐ女房たち
 足利将軍・三好氏―新たな武家権力者の登場
 織田信長―後宮女房たちの多彩な活躍
  ほか
第3章 戦国期の後宮女房のはたらきと収入
 朝廷内部での具体的な仕事
 天皇家の家政に関わる具体的な仕事
  ほか
第4章 後宮女房の一生とさまざまな人生
 女房として後宮に出仕するまで
 女房が身につける教養と心得
  ほか.
第5章 その多くが出家した、皇女たちの行方
 出家・入室にはルールがあった
 比丘尼御所での皇女たちの日常生活
  ほか
エピローグ―「政治実務を担う官僚」としての後宮女房
 
【著者】
神田 裕理 (カンダ ユリ)
 1970年、東京生まれ。日本女子大学大学院文学研究科史学専攻博士課程後期満期退学。元京都造形芸術大学非常勤講師。とくに戦国・織豊期の朝廷・公家および公武関係の研究を積極的におこなっている。
 
【抜書】
●皇后(p4)
 14世紀の南北朝時代から17世紀の江戸時代初めまで、およそ300年間、皇后は立てられなかった。
 経済的な理由が大きい。
 
●内侍司(p40)
 8世紀に制定された「後宮官員令」(大宝令のうち)および「後宮職員令」(養老令のうち)にて、「後宮十二司」が定められた。
 筆頭は内侍司(ないしのつかさ)で、蔵司(くらのつかさ:天皇位のシンボルとしての鏡・剣を管理する役職)、書司(ふみのつかさ:書籍・文房具・楽器などを管理する役職)などがあった。
 内侍司は、十二司の中の筆頭で、規模も最大だった。尚侍(しょうじ/ないしのかみ)2名、典侍(てんじ/ないしのすけ)4名、尚侍(内侍。ないし/ないしのじょう)4名、女嬬(にょじゅ)100名。
 
●『お湯殿の上の日記』(p61)
 後宮女房によって書かれた執務日記。仮名書き、女房詞(にょうぼうことば)。お湯殿に詰め、そこを詰め所(控室)にしていた女房たちが日々綴っていた。文明9年(1477年)〜文政9年(1826年)にわたる350年間の記録(一部欠年なり)。
 朝廷内部の動静・諸行事、朝廷外部(寺社や武家)との交流、女房たちの目から見た世情など。
 お湯殿……禁裏御所(天皇の住居)のなか、議定所(ぎじょうしょ:政治を評議する場所)と常御殿(つねごてん:天皇の日常的な生活空間)に隣接した沐浴の場所。
 
●ツル(p65)
 天正3年(1575年)、織田信長から朝廷へ鶴が10羽献上された。翌日、正親町天皇をはじめ集まった公家衆・後宮女房衆に振る舞われ、一同皆、舌鼓をうった。
 戦国時代では、鶴は長寿の薬とも言われ、食用として珍重されていた。
 
●女房詞(p70)
 もじことば……語尾に「もじ」を付ける。大典侍=おおすもじ、杓子(しゃくし)=しゃもじ。
 異名(いみょう)……魚=おまな、豆腐=おかべ、餅=かちん、塩=しろもの、火事=あかごと。
 御(おん)を付ける……物事が滞りなく進む=御するすると、隙間がない=御ひしひしと、饅頭=おまん、田楽=おでん。
 言葉の一部を省略……こんにゃく=にゃく。
 その他……水=おひや、お湯=白湯(さゆ)、味噌汁=おみおつけ、お新香=お香々。
 
●小笠原流、伊勢流(p201)
 足利幕府の女房向けの礼法書には、書札礼(手紙の書体・書式などに関する儀礼的な決まりごと)、通過儀礼、年中行事、食事作法および給仕作法、座礼(座作進退)、言葉遣いなどが解説されていた。
 『女房故実』『女房筆法』は伊勢流故実、『嫁取故実』は小笠原流故実による。
 
(2022/7/26)NM
 
〈この本の詳細〉


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

孤独の宰相 菅義偉とは何者だったのか
 [社会・政治・時事]

孤独の宰相 菅義偉とは何者だったのか (文春e-book)
 
柳沢高志/著
出版社名:文藝春秋
出版年月:2021年12月
ISBNコード:978-4-16-391480-0
税込価格:1,760円
頁数・縦:286p・19cm
 
 本書を読んでいると、菅義偉が、政治家としての実務能力が高いことがよく分かる。
 例えばダイヤモンド・プリンセス号への対応、広島選挙区での河井安里氏の当選、などである。素早い対応で強権的にクルーズ船を隔離し、次々と対策を施していったことは、新型コロナ・ウィルスの詳細が判明していない時点では適切な処置ではなかったか? また、地元のベテラン候補を抑えて新人を参院選で当選させた手腕は、選挙で勝つことが政治家にとって何よりの優先事項であることを考えれば、政治家として能力が高いことの証明であろう。どちらも結果的に批判を浴びることになってしまったのだが。
 安倍政権での菅官房長官の手腕を疑う人はいないだろう。政権末期、菅官房長官主導から、今井尚哉総理補佐官や佐伯(さいき)耕三総理秘書官の官邸官僚による采配に切り替えたことが、政権寿命を早めた原因だったのではないだろうか? コロナ対策での小中高の全国一斉休校、非課税世帯への30万円支給案(最初20万円と読売新聞にリークし、岸田の手柄として30万円に引き上げた)、アベノマスク、など、菅官房長官の指導力が発揮されていれば、実施されなかったかもしれない。官邸官僚は、安倍の後継には菅ではなく岸田を望んでいた。
 
【目次】
第1章 “令和おじさん”の誕生
第2章 辞任ドミノの衝撃
第3章 安倍総理との亀裂
第4章 第99代総理大臣
第5章 コロナとの苦闘
第6章 なぜ総理の言葉は届かなかったのか
第7章 苛烈な“菅おろし”
第8章 最後の10日間
 
【著者】
柳沢 高志 (ヤナギサワ タカシ)
 1977年3月、静岡県生まれ。幼少期をブラジル・サンパウロ、高校時代を香港で過ごす。2002年東京大学大学院修了後、日本テレビ入社。入社後は、警視庁記者クラブ、横浜支局で事件記者、『真相報道バンキシャ!』などニュース番組のディレクターを担当。2012年からニューヨーク特派員、2015年に政治部へ異動。官邸クラブで官房長官番、その後、与党クラブ、野党担当キャップを経て、現在は与党担当キャップを務める。
 
【抜書】
●ダイヤモンド・プリンセス号(p78)
 2020年2月3日、横浜港に帰港したダイヤモンド・プリンセス号にて、新型コロナウイルス感染症の患者が見つかった。31人検査をして10人が陽性。クルーズ船には、世界56か国・地域から3,700人におよぶ乗員・乗客が乗っていた。しかも、乗客の大半は70歳以上。
 連絡を受けた菅は、夜10時を過ぎていたが、即座に厚生労働大臣、国土交通大臣、内閣危機管理監、防衛省幹部をホテルに集めて会議を開催。
 すでに症状のある人や重症化する可能性が高い高齢者から優先的に船内でPCR検査を実施し、陽性が判明した人から下船させ、病院に搬送。海外メディアは、「海に浮かぶ監獄」などと呼んで批判。
 翌日以降も、都内ホテルで深夜の「実務者」会議を連日続け、具体的な課題を一つ一つ潰していった。
 船内での生活支援や消毒、搬送業務、PCR検査を進めるために自衛官を派遣。のべ2,700人が活動にあたった。
 船内での医師不足の対策として医師を派遣。厚労省の担当者は「医療の現場に制約がありまして」と躊躇したが、「何を言ってるんだ。人命が第一だろ!」と一喝。
 乗客のストレスを緩和するために、総務省幹部に命じて船内に十分な数のWi-Fiの基地局を設置。
 〔巨大クルーズ船内での感染拡大という未曽有の事態に、菅が司令塔となって関係省庁をまとめ、対応に当たった。結果として、船内の感染者は700人以上、死者も13人に上り、政府の対応に対する国内外の批判は高まった。しかし、この対応をそばで見ていた秘書官は、「長官は全省庁を束ねて、リスクを取って動いた。長官が対応に乗り出していなかったら、事態はもっと悪化し、長引いていただろう」と断言した。〕
 
●国民から見たら当たり前(p109)
〔 菅には「国民から見たら当たり前」という感覚に基づいて“既得権益”や“縦割り行政”、“悪しき前例主義”を打破し、霞が関を動かして、誰よりも改革を推し進めてきた実績があるという自負があった。こうした改革姿勢と決断力、実行力こそが、岐路に立つ日本の舵取りを担うリーダーに不可欠だと確信していた。〕
 
●菅のインバウンド政策(p152)
 ・訪日ビザ取得要件の緩和。
 ・赤坂迎賓館の一般公開。2015年11月、年間約150日公開を発表。今では250日に。
 ・免税品売り場に関する規制を緩和、免税品の対象を拡大。街中に免税品売り場ができる。
 ・千歳空港の発着枠の増加。1時間当たり32回から42回へ。2016年春。「自衛隊が週2回は24時間訓練をしている」という欺瞞を打破。
 
●国民の暮らし(p156)
〔 古民家再生、ジビエの普及、利水ダムの防災活用、携帯料金の引き下げ等々、菅が、官房長官として取り組んできた政策は、「なんで、こんなものを官房長官が」と思われるものばかりだ。しかし、目に見える形で国民の暮らしが少しでも良くなることをしたい、という政治家・菅の意外なほどの純粋な思いが、彼を駆り立ててきたのだ。〕
 
●焼肉(p221)
 6年ほど前、柳沢が社会部時代に知り合った警察官たちと飲んだ。その席で、「今度、菅さんに合わせてよ」と冗談半分に言われたため、その場で菅にメール。「今度、菅さんのファンの警察の皆さんとご飯を食べてください。」
 翌日、菅から電話があった。「警察官の方との会合はいつにする?」「いや、実は警察の皆さんと言っても、幹部ではなくて、現場の巡査部長さんたちなんです。」大笑いとともに、「そんなの関係ないよ。じゃあ、今度の土曜日の昼に。焼肉でも行こう。」
 当日、銀座の焼肉屋の個室の座敷で、菅は警察官を押しのけ下座に座った。
 運ばれてきた肉の皿を持ち、トングを使って一人一人のために焼いていった。
 リラックスした菅は珍しく終始笑顔を浮かべていた。政治や警察の仕事の話など一切なし。
 
●盆休み(p249)
 2021年、菅首相は3月末以来、130日以上休日も取らずにコロナ対策などの激務を続けていた。睡眠不足も重なり、疲労困憊。
 秘書官たちは「せめてお盆休みは、都内のホテルで静養してください」と、宿泊の予約を取った。
 しかし、菅は、前日になると予約をキャンセルしてしまう。
 「夜になると、宿舎にいても救急車のサイレンが聞こえてくるんだ。そうすると、もしかしたら搬送先がなくて、たらい回しになっているんじゃないかと不安で、眠れなくなってしまう。国民がそんな状況のときに、私だけホテルで休むなんてできないんだよ」
 
(2022/7/26)NM
 
〈この本の詳細〉


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ: