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サイバー文明論 持ち寄り経済圏のガバナンス
 [経済・ビジネス]

サイバー文明論 持ち寄り経済圏のガバナンス
 
國領二郎/著
出版社名:日経BP日本経済新聞出版
出版年月:2022年5月
ISBNコード:978-4-296-11341-5
税込価格:2,200円
頁数・縦:246p・19cm
 
 人類の社会は、農業文明から近代工業文明へと発展してきて、今後はサイバー文明の時代となる。
 今後、近代工業文明との違いを見極め、サイバー文明にふさわしい制度の設計が必要となる。サイバー文明が近代工業文明と大きく異なるのは、持ち寄り経済(シェアリング)とトレーサビリティ。財は個人所有から共有へと変化し、富は匿名性の高い金銭からトレーサビリティの高いデータへと変化した。それにふさわしい制度とは……?
 
【目次】
第1部 サイバー文明の夜明け―デジタル技術で富、技術、統治の形が変わる
 第1章 近代工業文明の基盤―所有権交換(販売)経済とその前提
 第2章 文明の進化
 第3章 デジタル経済で広がる格差と富の変質―深刻化する「反乱」
 
第2部 新しい時代を呼び込む四つの構造変化
 第4章 ネットワーク外部性―データは集積・結合で価値を高める
 第5章 ゼロマージナルコスト―価格メカニズムの限界
 第6章 トレーサビリティ―ビジネスモデルの時空間制約からの解放
 第7章 複雑系としてのサイバー文明―創発のオープンアーキテクチャ
 
第3部 サイバー文明を創る技術
 第8章 デジタルとネットワークが生み出すゼロマージナルコストの複雑系
 第9章 IoT―センサー、IDとネットワーク技術で広がるトレーサビリティ
 第10章 クラウド、プラットフォームとAIが生み出す情報のネットワーク外部性
 
第4部 新しい文明の経済―サイバー文明におけるビジネスの姿
 第11章 所有権交換モデルからアクセス権付与モデル、そして「持ち寄り経済」へ
 第12章 劣後サービスの大きな価値―効率化、持続可能化そして格差解消
 第13章 サイバー文明における価値と富
 
第5部 サイバー文明の倫理と統治
 第14章 デジタル社会の倫理とサイバー文明の精神―アジア的価値観再考
 第15章 複雑系の統治機構としてのプラットフォーム
 第16章 サイバー文明時代の民主主義―分散と協調のガバナンス
 あとがきに代えて―技術システムと社会システムの統合
 
【著者】
(國領 二郎 (コクリョウ ジロウ)
 慶應義塾大学総合政策学部教授。1982年東京大学経済学部卒。日本電信電話公社入社。92年ハーバード・ビジネス・スクール経営学博士。93年慶應義塾大学大学院経営管理研究科助教授。2000年同教授。03年同大学環境情報学部教授などを経て、09年総合政策学部長。2005年から09年までSFC研究所長も務める。2013年より慶應義塾常任理事に就任(21年5月27日任期満了)。
 
【抜書】
●複雑系の排除(p92)
 もともと世界は複雑系である。
 近代工業文明は、世界の複雑系である性質を抑え込むことで成立した。
 工場では、管理された空間の中で、理論通りに同じ現象を繰り返し発生させることで、品質管理を行い、大量生産を実現する。
 
●LPWA(p119)
 Low Power Wide Area。低消費電力広域無線システム。
 スピードは5Gほどではないが、少ない電力で広い範囲の通信を可能とする技術。電池1本で理論的には10年運用可能なものもある。
 長距離通信も可能なので、WiFiと異なり基地局をたくさん立てなくてもよい。
 
●知徳報恩(p158) 
  他者による貢献を認識することで(知徳)、恩を与えてくれた社会(仏教では仏)や他者に報いて社会貢献する(報恩)。
 トレーサビリティによる持ち寄り経済の社会では、「知徳報恩」の考え方が重要。
 
●劣後サービスによる格差問題の解決(p166)
 アクセス権を優先度別に提供し、高優先度利用権を持つ所有者が低優先度ユーザーも使う共用資産に投資を行うという形態は、富裕なユーザーが投資した資産を低価格で低所得のユーザーが使うこと(劣後サービス)を可能にする。つまり、格差解消にもつながる。
 ピーク時に優先度高く使用したい「わがまま」なユーザーが投資した設備を、オフピーク時に低価格でより低所得のユーザーに開放することで、良質なサービスをより多くの人が享受することができるようになる。「わがままの効用」(藤井資子)。
 その際、最上位(最優先)のユーザーは、ライフラインのユーザーとすべき。命にかかわるようなサービスについては、優先的に利用できるようにする。
 第二優先度は、お金を出してでも優遇してほしいユーザー。
 第三優先度は、劣後ユーザー。
 
●信頼、評判(p181)
 金銭はトレーサビリティが低く、大量生産を前提とする、見知らぬ他人同士の匿名による経済に向いていた。近代工業文明の時代には、トレーサビリティの低い金銭の蓄積が富となった。
 サイバー文明の時代には、トレーサビリティの高い経済のなかで、「信頼」や「評判」などが蓄積されるべき富となっていく。
 
●忠実義務(p196)
 fiduciary responsibility。
 受託者は信託者の信頼を裏切ってはならない。
 弁護士などが依頼人の利益に反する行為を行ったり、金融機関が預金者の利益に反する行為を行ったりする場合、責任が厳しく問われる。
 
【ツッコミ処】
・一神教(p35)
〔 統治構造については、都市国家などにおける共和制などの形態もあったが、多くの農耕社会は王権のもとに組織化されていった。金属農具による高度な農耕技術は、その技術を持つ集団に大きな力を与え、支配できる王国の規模を拡大させていった。農耕が必要とする共同体による治水、共同農業作業、収穫物を守る警備などが階層的な支配構造を必要とし、王制がごく自然な形だったからといえる。
 広域に信奉される一神教の世界宗教が、農業文明の広がりと機を一にして広がった。これは、生産力の高まりとともに広域化した権力がその基盤を必要としていたからであると考えるのが素直だろう。自然界のさまざまな事物に畏れをいただき、それぞれの土地に土着の神を見る多神教は、自然のなかで暮らす狩猟採集社会ではごく自然であったが、農耕社会が必要とする統一的な権力には不都合だった。唯一の絶対神から統治を授権した王の統治という物語を成立させるために一神教が生まれ、時の権力者に採用されていった。
 日本においては、多神教的な要素を残しつつ、最高の祭司である天皇が将軍に統治権を委ね、土地をめぐる紛争の解決にあたらせるなどの形式をつくりあげていった。権力の確立に寄与したのが金属製の武器だったということも指摘しておいた方がいいだろう。青銅や鉄製の武器によって、より広域の支配が可能になっていった。〕
  ↓
 一神教は砂漠で誕生したと言われているが……。
 農耕が始まったメソポタミアは、多神教の世界だった。もっとも、都市国家ごとに信奉する神が存在していたので、狭い意味での一神教にあたるのか?
 
(2022/7/31)NM
 
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宮廷女性の戦国史
 [歴史・地理・民俗]

宮廷女性の戦国史
 
神田裕理/著
出版社名:山川出版社
出版年月:2022年4月
ISBNコード:978-4-634-15205-2
税込価格:1,980円
頁数・縦:295p・19cm
 
 戦国時代(というより南北朝時代から)、朝廷に皇后はいなかった。その代わりに、天皇家の家政やお世継ぎに貢献していたのが、後宮女房たちであった。
 戦国時代の宮廷女性たちの生活と役割を、史料をもとにひもとく。
 
【目次】
プロローグ―「皇后不在」を支えた後宮女房たち
第1章 戦国期の天皇家を支えた女性たち
 「皇后不在」の天皇家
 歴史のなかの後宮女房たちの素顔
  ほか
第2章 武家政権とのあいだを取り次ぐ女房たち
 足利将軍・三好氏―新たな武家権力者の登場
 織田信長―後宮女房たちの多彩な活躍
  ほか
第3章 戦国期の後宮女房のはたらきと収入
 朝廷内部での具体的な仕事
 天皇家の家政に関わる具体的な仕事
  ほか
第4章 後宮女房の一生とさまざまな人生
 女房として後宮に出仕するまで
 女房が身につける教養と心得
  ほか.
第5章 その多くが出家した、皇女たちの行方
 出家・入室にはルールがあった
 比丘尼御所での皇女たちの日常生活
  ほか
エピローグ―「政治実務を担う官僚」としての後宮女房
 
【著者】
神田 裕理 (カンダ ユリ)
 1970年、東京生まれ。日本女子大学大学院文学研究科史学専攻博士課程後期満期退学。元京都造形芸術大学非常勤講師。とくに戦国・織豊期の朝廷・公家および公武関係の研究を積極的におこなっている。
 
【抜書】
●皇后(p4)
 14世紀の南北朝時代から17世紀の江戸時代初めまで、およそ300年間、皇后は立てられなかった。
 経済的な理由が大きい。
 
●内侍司(p40)
 8世紀に制定された「後宮官員令」(大宝令のうち)および「後宮職員令」(養老令のうち)にて、「後宮十二司」が定められた。
 筆頭は内侍司(ないしのつかさ)で、蔵司(くらのつかさ:天皇位のシンボルとしての鏡・剣を管理する役職)、書司(ふみのつかさ:書籍・文房具・楽器などを管理する役職)などがあった。
 内侍司は、十二司の中の筆頭で、規模も最大だった。尚侍(しょうじ/ないしのかみ)2名、典侍(てんじ/ないしのすけ)4名、尚侍(内侍。ないし/ないしのじょう)4名、女嬬(にょじゅ)100名。
 
●『お湯殿の上の日記』(p61)
 後宮女房によって書かれた執務日記。仮名書き、女房詞(にょうぼうことば)。お湯殿に詰め、そこを詰め所(控室)にしていた女房たちが日々綴っていた。文明9年(1477年)〜文政9年(1826年)にわたる350年間の記録(一部欠年なり)。
 朝廷内部の動静・諸行事、朝廷外部(寺社や武家)との交流、女房たちの目から見た世情など。
 お湯殿……禁裏御所(天皇の住居)のなか、議定所(ぎじょうしょ:政治を評議する場所)と常御殿(つねごてん:天皇の日常的な生活空間)に隣接した沐浴の場所。
 
●ツル(p65)
 天正3年(1575年)、織田信長から朝廷へ鶴が10羽献上された。翌日、正親町天皇をはじめ集まった公家衆・後宮女房衆に振る舞われ、一同皆、舌鼓をうった。
 戦国時代では、鶴は長寿の薬とも言われ、食用として珍重されていた。
 
●女房詞(p70)
 もじことば……語尾に「もじ」を付ける。大典侍=おおすもじ、杓子(しゃくし)=しゃもじ。
 異名(いみょう)……魚=おまな、豆腐=おかべ、餅=かちん、塩=しろもの、火事=あかごと。
 御(おん)を付ける……物事が滞りなく進む=御するすると、隙間がない=御ひしひしと、饅頭=おまん、田楽=おでん。
 言葉の一部を省略……こんにゃく=にゃく。
 その他……水=おひや、お湯=白湯(さゆ)、味噌汁=おみおつけ、お新香=お香々。
 
●小笠原流、伊勢流(p201)
 足利幕府の女房向けの礼法書には、書札礼(手紙の書体・書式などに関する儀礼的な決まりごと)、通過儀礼、年中行事、食事作法および給仕作法、座礼(座作進退)、言葉遣いなどが解説されていた。
 『女房故実』『女房筆法』は伊勢流故実、『嫁取故実』は小笠原流故実による。
 
(2022/7/26)NM
 
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孤独の宰相 菅義偉とは何者だったのか
 [社会・政治・時事]

孤独の宰相 菅義偉とは何者だったのか (文春e-book)
 
柳沢高志/著
出版社名:文藝春秋
出版年月:2021年12月
ISBNコード:978-4-16-391480-0
税込価格:1,760円
頁数・縦:286p・19cm
 
 本書を読んでいると、菅義偉が、政治家としての実務能力が高いことがよく分かる。
 例えばダイヤモンド・プリンセス号への対応、広島選挙区での河井安里氏の当選、などである。素早い対応で強権的にクルーズ船を隔離し、次々と対策を施していったことは、新型コロナ・ウィルスの詳細が判明していない時点では適切な処置ではなかったか? また、地元のベテラン候補を抑えて新人を参院選で当選させた手腕は、選挙で勝つことが政治家にとって何よりの優先事項であることを考えれば、政治家として能力が高いことの証明であろう。どちらも結果的に批判を浴びることになってしまったのだが。
 安倍政権での菅官房長官の手腕を疑う人はいないだろう。政権末期、菅官房長官主導から、今井尚哉総理補佐官や佐伯(さいき)耕三総理秘書官の官邸官僚による采配に切り替えたことが、政権寿命を早めた原因だったのではないだろうか? コロナ対策での小中高の全国一斉休校、非課税世帯への30万円支給案(最初20万円と読売新聞にリークし、岸田の手柄として30万円に引き上げた)、アベノマスク、など、菅官房長官の指導力が発揮されていれば、実施されなかったかもしれない。官邸官僚は、安倍の後継には菅ではなく岸田を望んでいた。
 
【目次】
第1章 “令和おじさん”の誕生
第2章 辞任ドミノの衝撃
第3章 安倍総理との亀裂
第4章 第99代総理大臣
第5章 コロナとの苦闘
第6章 なぜ総理の言葉は届かなかったのか
第7章 苛烈な“菅おろし”
第8章 最後の10日間
 
【著者】
柳沢 高志 (ヤナギサワ タカシ)
 1977年3月、静岡県生まれ。幼少期をブラジル・サンパウロ、高校時代を香港で過ごす。2002年東京大学大学院修了後、日本テレビ入社。入社後は、警視庁記者クラブ、横浜支局で事件記者、『真相報道バンキシャ!』などニュース番組のディレクターを担当。2012年からニューヨーク特派員、2015年に政治部へ異動。官邸クラブで官房長官番、その後、与党クラブ、野党担当キャップを経て、現在は与党担当キャップを務める。
 
【抜書】
●ダイヤモンド・プリンセス号(p78)
 2020年2月3日、横浜港に帰港したダイヤモンド・プリンセス号にて、新型コロナウイルス感染症の患者が見つかった。31人検査をして10人が陽性。クルーズ船には、世界56か国・地域から3,700人におよぶ乗員・乗客が乗っていた。しかも、乗客の大半は70歳以上。
 連絡を受けた菅は、夜10時を過ぎていたが、即座に厚生労働大臣、国土交通大臣、内閣危機管理監、防衛省幹部をホテルに集めて会議を開催。
 すでに症状のある人や重症化する可能性が高い高齢者から優先的に船内でPCR検査を実施し、陽性が判明した人から下船させ、病院に搬送。海外メディアは、「海に浮かぶ監獄」などと呼んで批判。
 翌日以降も、都内ホテルで深夜の「実務者」会議を連日続け、具体的な課題を一つ一つ潰していった。
 船内での生活支援や消毒、搬送業務、PCR検査を進めるために自衛官を派遣。のべ2,700人が活動にあたった。
 船内での医師不足の対策として医師を派遣。厚労省の担当者は「医療の現場に制約がありまして」と躊躇したが、「何を言ってるんだ。人命が第一だろ!」と一喝。
 乗客のストレスを緩和するために、総務省幹部に命じて船内に十分な数のWi-Fiの基地局を設置。
 〔巨大クルーズ船内での感染拡大という未曽有の事態に、菅が司令塔となって関係省庁をまとめ、対応に当たった。結果として、船内の感染者は700人以上、死者も13人に上り、政府の対応に対する国内外の批判は高まった。しかし、この対応をそばで見ていた秘書官は、「長官は全省庁を束ねて、リスクを取って動いた。長官が対応に乗り出していなかったら、事態はもっと悪化し、長引いていただろう」と断言した。〕
 
●国民から見たら当たり前(p109)
〔 菅には「国民から見たら当たり前」という感覚に基づいて“既得権益”や“縦割り行政”、“悪しき前例主義”を打破し、霞が関を動かして、誰よりも改革を推し進めてきた実績があるという自負があった。こうした改革姿勢と決断力、実行力こそが、岐路に立つ日本の舵取りを担うリーダーに不可欠だと確信していた。〕
 
●菅のインバウンド政策(p152)
 ・訪日ビザ取得要件の緩和。
 ・赤坂迎賓館の一般公開。2015年11月、年間約150日公開を発表。今では250日に。
 ・免税品売り場に関する規制を緩和、免税品の対象を拡大。街中に免税品売り場ができる。
 ・千歳空港の発着枠の増加。1時間当たり32回から42回へ。2016年春。「自衛隊が週2回は24時間訓練をしている」という欺瞞を打破。
 
●国民の暮らし(p156)
〔 古民家再生、ジビエの普及、利水ダムの防災活用、携帯料金の引き下げ等々、菅が、官房長官として取り組んできた政策は、「なんで、こんなものを官房長官が」と思われるものばかりだ。しかし、目に見える形で国民の暮らしが少しでも良くなることをしたい、という政治家・菅の意外なほどの純粋な思いが、彼を駆り立ててきたのだ。〕
 
●焼肉(p221)
 6年ほど前、柳沢が社会部時代に知り合った警察官たちと飲んだ。その席で、「今度、菅さんに合わせてよ」と冗談半分に言われたため、その場で菅にメール。「今度、菅さんのファンの警察の皆さんとご飯を食べてください。」
 翌日、菅から電話があった。「警察官の方との会合はいつにする?」「いや、実は警察の皆さんと言っても、幹部ではなくて、現場の巡査部長さんたちなんです。」大笑いとともに、「そんなの関係ないよ。じゃあ、今度の土曜日の昼に。焼肉でも行こう。」
 当日、銀座の焼肉屋の個室の座敷で、菅は警察官を押しのけ下座に座った。
 運ばれてきた肉の皿を持ち、トングを使って一人一人のために焼いていった。
 リラックスした菅は珍しく終始笑顔を浮かべていた。政治や警察の仕事の話など一切なし。
 
●盆休み(p249)
 2021年、菅首相は3月末以来、130日以上休日も取らずにコロナ対策などの激務を続けていた。睡眠不足も重なり、疲労困憊。
 秘書官たちは「せめてお盆休みは、都内のホテルで静養してください」と、宿泊の予約を取った。
 しかし、菅は、前日になると予約をキャンセルしてしまう。
 「夜になると、宿舎にいても救急車のサイレンが聞こえてくるんだ。そうすると、もしかしたら搬送先がなくて、たらい回しになっているんじゃないかと不安で、眠れなくなってしまう。国民がそんな状況のときに、私だけホテルで休むなんてできないんだよ」
 
(2022/7/26)NM
 
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イスラムがヨーロッパ世界を創造した 歴史に探る「共存の道」
 [歴史・地理・民俗]

イスラムがヨーロッパ世界を創造した 歴史に探る「共存の道」(光文社新書) (光文社新書 1199)
 
宮田律/著
出版社名:光文社(光文社新書 1199)
出版年月:2022年5月
ISBNコード:978-4-334-04608-8
税込価格:1,188円
頁数・縦:335p・18cm
 
 イスラムとキリスト教は(そしてユダヤも)、かつては共存していた。近代以前のイスラム(アラブ)がもたらしたヨーロッパへの影響をたどりつつ、なぜ、現在のように反目し合うようになったのかを問う。
 
【目次】
はじめに―現代社会を正しく理解するための視座
第1章 ヨーロッパの食文化を豊かにしたムスリムたち
第2章 世界商業の発展に貢献したシルクロードとムスリムたち
第3章 ヨーロッパ社会に貢献したイスラム文化と十字軍が紹介したイスラム文明
第4章 アンダルス―文化的寛容とイスラムの栄光
第5章 12世紀ルネサンスに影響を与えたイスラム―シチリア島とイタリア半島
第6章 ヨーロッパ近世とイスラム
第7章 現代地中海世界の共存
第8章 イスラム世界で活躍したユダヤ人たち
第9章 共存と愛を説いたイスラムの詩人・文学者たち
 
【著者】
宮田 律 (ミヤタ オサム)
 1955年山梨県生まれ。一般社団法人・現代イスラム研究センター理事長。慶應義塾大学文学部史学科東洋史専攻卒。’83年、同大学大学院文学研究科史学専攻を修了後、米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院修士課程修了。’87年、静岡県立大学に勤務し、中東アフリカ論や国際政治学を担当。2012年3月、現代イスラム研究センターを創設。専門は、イスラム地域の政治および国際関係。
 
【抜書】
●オレンジ(p40)
 バレンシア州にオレンジ栽培をもたらしたのはムスリム。
 オレンジ栽培は、もともとマレー半島から始まり、インド、アフリカ東岸に広まったものがローマの征服活動、アラブ商業ネットワークの発展、イスラム世界の拡大発展などによって世界中に広まったと考えられている。
 ヨーロッパには北アフリカのムーア人がイベリア半島にもたらしたのが最初。10世紀には灌漑がオレンジ栽培に使われていた。シチリア島でも9世紀にオレンジが栽培されるようになった。
 アメリカ大陸には、15世紀末の「新大陸発見」以降。カリフォルニア州にオレンジ栽培を紹介したのは、スペイン人の宣教師たち。
 
●アーモンド(p46)
 アーモンドの原産地は中央アジアあるいは中国。
 シルクロードを通じてペルシア、アラブ世界、ギリシア、スペインに伝わった。
 イベリア半島では、最初にギリシア人植民者によって植えられ、次いでフェニキア人が栽培するようになり、大規模に生産されるようになったのはアラブの征服以降。
 
●サトウキビ(p46)
 サトウキビは、マレー半島が原産地。
 ペルシア人たちがユーフラテス川、チグリス川などメソポタミアに持ち込んだ。
 アラブ人が640年にペルシアを征服すると、サトウキビ栽培をシリア、北アフリカ、スペインに紹介。イベリア半島では760年頃に始まった。
 十字軍時代の12世紀、キリスト教ヨーロッパ世界にもサトウキビ栽培が導入された。
 
●4,000語(p103)
 スペイン語には、4,000語余りのアラビア語起源の単語がある。
 その中には、アラビア語の定冠詞を残したままの語彙が多くある。
 algodon(木綿) ← al-qutun (英)cotton
 almacen(倉庫) ← al-makhuzan (仏)magasin、(英)magazine
 「オーレ! オーレ!(闘牛やフラメンコ舞踏を見ながら発する掛け声)」は、「ワッラー!(アッラーの神よ)」から派生。 
 
●コルドバ(p105)
 アンダルスは、もともとウマイヤ朝(661~750年。首都はシリアのダマスカス)の一つの州だった。
 アッバース朝の成立によって国を追われたアブドゥル・ラフマーン1世が、シリアからスペインにやってきて、418年以来イベリア半島を支配していた西ゴート王国を打倒。コルドバを首都とする後ウマイヤ朝(756~1031年)を開いた。
 アブドゥル・ラフマーン3世(919-961年)時代に繁栄。ヨーロッパで最も規模が大きく、文化的にも最先端で、「世界の輝き」とも形容される都市になった。人口は、9世紀の初めで50万人ほど。当時のロンドンは1万人程度で、人びとは粗末な木材の家に住んでいた。
 
●モサラベ(p106)
 「アラブ化した人々」の意。ズィンミー(庇護民)として税金を納め、ムスリム支配に従ったクリスチャン。
 アラビア語を習得したモサラベたちは、アラブ人とキリスト教徒の間をつなぐ重要な役割を担った。
 
●ナスル朝(p136)
 イベリア半島最後のイスラム王朝。首都の名をとってグラナダ王国とも呼ばれる。
 ムハンマド1世が、1232年にハエン北部の小都市アルホナで政権を樹立した。
 レコンキスタ運動(1236年コルドバ奪還)が勢いを増す中で、カスティーリャ王国のフェルナンド3世と同盟し、その後250年間、同国に貢納を行い、臣従関係を結んでその朝貢国となった。
 セルビア、バレンシア、ムルシアなどからムスリム難民を受け容れながら、壮麗なアルハンブラ宮殿を建設。首都グラナダの繁栄を築いた。
 
●カナート(p139)
 イランで生まれた灌漑システム。ムスリムたちがイベリア半島に導入した。
 山麓部に母井戸を掘り、その水を横穴式の長いトンネルに通す水路。農村やオアシス都市部にまで導き、農業や飲料に用いた。
 
●3,000語(p147)
 ポルトガル語にも3,000語ほどのアラビア語起源の単語がある。詩人・作家のアダルベルト・アウヴェス(1939年生まれ)による。
 oxala(オシャラー)は、「insha'a Allah(イン・シャー・アッラー:神の思し召しのままに)」に由来。「どうぞ~になりますように」「そうあってほしい」などの意味。
 
●カラウィーイーン大学(p149)
 ファーティマ・アル・フィリー(800-880年)という女性が創設の基礎を築いた、モロッコ・フェズにある大学。モスクでの教育が始まり。
 マドラサ大学(989設立。マリ・トンブクトゥ《またはティンブクトゥ》)、ボローニャ大学(1088年設立。イタリア)よりも古い。
 
●聖フランシスコ(p176)
 アッシジの聖フランシスコは、1219年、エジプトのディムヤートに赴き、十字軍に攻撃をやめるよう説得を試みる。
 しかし、目的を果たせずに戦闘は継続。アイユーブ朝(1169-1250)のスルタン、マリク・カーミル(1218-1238)に捕らえられた。
 スルタンがキリスト教に改宗することを望みつつ、対話をかさねる。スルタンが神をよく理解し、神への愛に優れ、価値観を共有する人物であることを理解する。
〔 十字軍の戦いがある中で聖フランシスコとスルタン・カーミルが対話を行ったことは、暴力の行使がいかに無益か、力による勝利がいかに幻想的で、空しいか、敵を倒すことによって得られる平和がいかに脆く、はかないかを伝えるものでもありました。会談は1219年9月1日から26日まで行われました。この会談は宗教間の対話こそが平和をもたらす道であることを今も人々に教えています。〕
 
●チューリップ(p220)
 チューリップの栽培は、10世紀ごろにペルシアで始まったとみられている。現在もイランの国花。
 トルコのセルジューク集団に伝わり、16世紀にヨーロッパに紹介されて爆発的に流行した。
 ウィーンからイスタンブールに派遣されていたオージェ・ギスラン・ド・ブスベック(1522-1592。神聖ローマ帝国大使)が、1551年、エディルネでチューリップの美しさに魅せられ、オーストリアに送った。これがヨーロッパに紹介された最初の機会。
 1573年、ウィーン帝国植物園で、医師・植物学者のカロルス・クルシウス(1526-1609)がチューリップを植え、1592年、多彩な色彩のチューリップの品種改良に成功した。その後、オランダのホルトゥス・ボタニクス・ライデン(ライデン大学植物園)の最高責任者となり、1593年、自宅と植物園にチューリップの球根を植えた。
 1610年には、オランダでは新しい品種の球根は花嫁の持参金と同様とも言われるほど高額になっていた。
 
●フランス革命(p235)
 フランスの革命体制がヨーロッパ反動勢力に反発される中、ムスリムたちは友好的な存在だった。
 アルジェリアのデイ(太守)のハッサン・パシャは、フランス共和国に穀物を供給し続けた。ムスリムたちの穀物支援がなければ、フランス共和国はヨーロッパの反動的潮流にあっという間に呑み込まれていた。
 
●モロッコの憲法(p256)
 モロッコで、2011年の「アラブの春」後に成立した憲法前文。
 「モロッコ王国の統一性はその構成要素の全てが一体となったものである。すなわち、それらは、アラブ・イスラム、アマジグ(ベルベル)、ハッサーニーヤ(アラビア語モーリタニア方言)・サハラの要素が一体となり、さらにそれらに加えて、アフリカ、アンダルシア・ユダヤ、地中海の要素によっていっそう豊かにされている」
 
●ムハンマド・アサド(p274)
 1900-1992年。ヨーロッパでもっとも影響力があったとされるイスラム学者。オーストリア・ハンガリー支配下の現ウクライナでユダヤ人の家庭に生まれた。ユダヤ人名はレオポルド・ヴァイス。
 シオニズムに疑問を感じて1926年にイスラムに改宗。
 シオニズムの考えに基づく移民のユダヤ人たちが、先史時代からパレスチナの地に住む人々の土地や財産を奪うのは、不道徳であると考えた。植民地主義と結びつく種族支配と考え、シオニズムがユダヤ人を「選ばれた民」と見なすことに対してあざけりの感情さえ持たざるを得ないと述べていた。
 
●モカ(p293)
 イエメンは、コーヒーの産地として世界市場をおよそ200年間独占した。その中心にあったのが、モハー(モカ)港。コーヒー豆の名称ともなった「モカ」。
 コーヒーが飲まれ始めたのはイエメンといわれている。考古学調査で、イエメンの都市ザビードでコーヒーが飲まれた痕跡がある。
 コーヒーの栽培が始まったのは15世紀。スーフィーが、祈りのために眠気を覚ます目的で服用するようになって、イエメンの山々をコーヒーの段々畑に変えていった。
 アラビア語のカフワ(qahwa)は、本来、人間の欲望(この場合、睡眠欲)を抑制することを意味する。
 
【ツッコミ処】
・アブドゥッラフマーン1世(p130)
 〔後ウマイヤ朝の創始者アブドゥッラフマーン1世の息子であるアブドゥッラーは、バレンシアに自治的な統治を与えました。〕
  ↓
 他所では、後ウマイヤ朝を開いたのは「アブドゥル・ラフマーン1世」と表記されている。 
 
(2022/7/19)NM
 
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グルメ警部の美食捜査 2 謎の多すぎる高級寿司店
 [文芸]

グルメ警部の美食捜査2 謎の多すぎる高級寿司店 (PHP文芸文庫)
 
斎藤千輪/著
出版社名:PHP研究所(PHP文芸文庫 さ6-2)
出版年月:2022年1月
ISBNコード:978-4-569-90182-4
税込価格:814円
頁数・縦:235p・15cm
 
 警視庁警務部の久留米斗真と、運転手兼助手の燕カエデによる事件簿第2弾。
 「謎の多すぎる高級寿司店」「消えた宝石とオーガニック料理」「ワイン収集家が遺した秘密の宝」「唯一無二のバースデーディナー」の4編を収録。「グルメ警部」の謎も次々と明かされる。
 
【目次】
 
【著者】
斎藤 千輪 (サイトウ チワ)
 東京都町田市出身。映像制作会社を経て、現在放送作家・ライター。2016年に『窓がない部屋のミス・マーシュ』で第2回角川文庫キャラクター小説大賞・優秀賞を受賞してデビュー。2020年、『だから僕は君をさらう』で第2回双葉文庫ルーキー大賞を受賞。
 
(2022/7/13)NM
 
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延びすぎた寿命 健康の歴史と未来
 [医学]

延びすぎた寿命
 
ジャン=ダヴィド・ゼトゥン/著 吉田春美/訳
出版社名:河出書房新社
出版年月:2022年4月
ISBNコード:978-4-309-22853-2
税込価格:3,190円
頁数・縦:330p・20cm
 
 人類の平均余命と死亡率の変化を歴史的にたどり、その変化の原因を探る。
 
【目次】
Ⅰ部 微生物の時代
 先史時代から工業化以前の時代まで―平均余命三〇年
 一七五〇‐一八三〇年―弱々しい健康改善
 自発的な免疫化
 一八三〇‐一八八〇年―工業化と健康
 一八五〇‐一九一四年―大きな前進
 一九一八‐一九一九年―スペイン風邪で世界人口の二%から五%が死んだ
Ⅱ部 医学の時代
 一九四五‐一九七〇年―モデル転換
 心血管疾患
 がんと闘う
 一九六〇‐二〇二〇年―薬と製薬産業
 
Ⅲ部 二一世紀の健康をめぐる三つの問題
 三倍長生きするのにいくらかかるか?
 健康格差
 慢性疾患―世界的な第一の死亡原因
 
Ⅳ部 二一世紀―後退
 後退する人間の健康
 人間の健康に対する気候のインパクト
 新感染症
 
【著者】
ゼトゥン,ジャン=ダヴィド (Zeitoun, Jean-David)
 パリ在住の内科医。専門は肝臓病学と胃腸病学である。欧州最大の病院グループの一つ、公的扶助パリ病院機構の研究員となり、パリ政治学院で公共政策とマネジメントのエグゼクティブ修士号、パリ・デカルト大学で臨床疫学の博士号を取得。パリ政治学院や公衆衛生高等研究所で教鞭をとり、現在はESCP経営大学院のシニアフェローを務めている。また、医療に関連したスタートアップ企業を共同で立ち上げ、「JAMAインターナル・メディシン」や「ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル」を含む国際的な科学雑誌の査読者となり、「ル・モンド」「レ・ゼコー」といったメディアに寄稿するなど、多方面で活動している。
 
吉田 春美 (ヨシダ ハルミ)  
フランス語翻訳家。上智大学文学部史学科卒業。
 
【抜書】
●健康の決定要因(p10)
 健康が医学で決まる割合は10~20%。
 医学以外の健康の決定要因は、行動、環境、生物学。大雑把に言えば年齢、性別、遺伝。
 
●パンデミックの母(p114)
 この100年間に出現したA型インフルエンザウイルスは、1918-19年に大流行したスペイン風邪のウイルスの子孫。
 
●7%(p264)
 新型コロナのパンデミックで、2020年の世界のCO₂排出量は約7%減少した。
 
(2022/7/13)NM
 
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古代史講義 氏族篇
 [歴史・地理・民俗]

古代史講義【氏族篇】 (ちくま新書)
 
佐藤信/編
出版社名:筑摩書房
出版年月:2021年6月
ISBNコード:978-4-480-07404-1
税込価格:968円
頁数・縦:284p・18cm
 
 古代日本を作り、活躍した氏族を取り上げ、その成立と主要人物の事績を解説。
 
【目次】
第1講 大伴氏(伴氏)……大川原竜一(高志の国文学館主任・学芸員)
第2講 物部氏……篠川賢(成城大学名誉教授)
第3講 蘇我氏……中村友一(明治大学文学部准教授)
第4講 阿倍氏……服部一隆(明治大学兼任講師)
第5講 藤原氏(鎌足~奈良時代)……佐藤信
第6講 橘氏……新井重行(宮内庁書陵部編修課主任研究員)
第7講 佐伯氏……桑田訓也(奈良文化財研究所都城発掘調査部主任研究員)
第8講 紀氏……寺西貞弘(元和歌山市立博物館館長)
第9講 東漢氏と西文氏……山本崇(奈良文化財研究所都城発掘調査部飛鳥・藤原地区史料研究室長)
第10講 菅原氏(土師氏)……溝口優樹(中京大学教養教育研究院講師)
第11講 藤原北家……中野渡俊治(清泉女子大学文学部教授)
第12講 摂関時代の藤原氏(九条流・小野宮流)……西本昌弘(関西大学文学部教授)
第13講 源氏……岩田真由子(同志社大学嘱託講師)
第14講 平氏……黒須利夫(聖徳大学文学部教授)
第15講 奥州藤原氏……樋口知志(岩手大学人文社会科学部教授)
 
【著者】
佐藤 信 (サトウ マコト)
 1952年生まれ。東京大学名誉教授。横浜市歴史博物館館長、くまもと文学・歴史館館長。東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。博士(文学)。
 
【抜書】
●臣、連(p35、篠川)
 臣……大王に仕える臣下を意味する漢語の「臣(しん)」に由来すると考えられる。のちに、「オミ」と読むようになった。臣姓のウジは地名をウジ名とすることが多いと言われている。かつて大王家とともに連合政権を構成した豪族。
 連……大王に連なるという意味の漢語の「連」に由来する。のちに、「ムラジ」と読むようになった。連姓のウジは職掌名をウジ名とすることが多いと言われている。上級の伴造(ばんぞう、とものみやつこ)のウジに与えられたカバネ。
 上記説は、阿部武彦『氏姓』(至文堂、1960年)による。しかし、例外もある。尾張連、茨田連(まんだむらじ)、阿刀連(あとむらじ)、膳臣、采女臣、宍人臣(ししひとおみ)、など。
 また、臣=皇別、連=神別、という説も例外が多い。
 
●継体天皇(p36)
 臣、連は、継体天皇の即位を契機として生じた違いと見るのが妥当と考えられる。それ以前は、大王に臣従した集団にはひとしく「臣(シン)」の身分標識を称していた。継体の即位を支持した集団には、それとは区別する「連(レン)」(継体に連なるという意味)の身分標識が賜与されたと考えられる。
 即位に大きな役割を果たした大伴金村、物部麁鹿火。
 妃を出した尾張連、茨田連。
 
●橘氏(p102、新井)
 橘氏は、天平8年(736年)、葛城(かずらき)王・佐為(さい)王の兄弟が、皇親から臣籍に降下することを望み、橘宿禰の姓を賜ったことに始まる。美努(みぬ)王(敏達天皇の玄孫または曽孫)を父とし、県犬養三千代(のち、藤原不比等に嫁ぐ)を母とする。
 橘宿禰の姓は、もともと三千代が元明天皇の大嘗祭後の宴席において、天皇から忠誠の賞として与えられたもの。その際、橘を浮かべた坏とともに、橘の実は人々に好まれ、枝は霜雪にも強く、葉は落ちることがない、というような言葉を賜った。ミカン科の常緑樹に、変わらぬ忠誠の意味が込められたのだろう。
 三千代が亡くなった後、葛城王・佐為王は母が賜った姓を受け継ぐことを願い出、許されて橘氏がつくられた。
 
●母系(p105)
 祖先を同じくする血縁集団が、父ー嫡子の父系で継承されてゆくという観念が日本で定着するのは、律令が導入されて以降のこと。
 それ以前の社会では母系も父系と対等な関係にあり、個人は父方・母方の双方の集団に流動的に属することが可能な「両属性」が大きな特徴であった。
 
●国司、郡司(p147、寺西)
 律令制下、地方には国司が派遣された。
 国司の職掌……神祇、民生、司法警察、人事、財政、軍事、仏事。
 郡司……国司の下にあって、郡内の民生、司法警察、財政を分任する。
 国師……仏事を分任。
 軍団の軍毅(ぐんき)……軍事を分任。
 国造……国司の筆頭職務である神祇を分任。
 
●菅原氏、土師氏(p171、溝口)
 菅原氏は、土師氏が改姓することによって生まれた。
 桓武天皇の治世下。多くの氏族が登場したが、そのうちの一つ。
 土師氏の祖は野見宿禰。垂仁天皇の時代に、殉死の埋葬の代わりに埴輪を提案。そのため、凶儀(喪葬)にあずかる氏族と目されるように。それを改めるために、天応元年(781年)6月25日、土師宿禰古人・道長ら15人が、居地の名によって「菅原」への改姓を申し出る。菅原宿禰の誕生。
 延暦元年(782年)5月には、土師宿禰安人(やすひと)ら兄弟男女8人が「秋篠」への改姓を認められる。
 延暦9年(790年)12月、桓武天皇の母方の祖母にあたる土師真妹(まいも)に大枝朝臣の姓が追贈され、「毛受腹(もずはら)」の土師氏にも改めて大枝朝臣が賜姓された。また、菅原氏と秋篠氏にも朝臣が賜姓された。
 
●菅家廊下(p183)
 菅家廊下(かんけろうか)。
 菅原清公・是善・道真の3代は、公的な場では官人として活躍する一方、私的な場では菅家廊下と呼ばれる私塾を主宰し、門人の教育に当たっていた。左京にあった邸宅の廊下に塾が置かれていたことによる呼称。
 公卿・官人や儒者・詩人の多くが是善の門人だった。文章生・文章得業生で菅家廊下の出身者は100人に及び、このことから「竜門」と呼ばれた(道真「書斎記」『菅家文草』巻七)。
 
●有職故実(p207、西本)
 平安時代、朝儀における口伝・故実の形成が進んだ。政治が摂関中心に行われるようになると、正しい朝儀作法を形成・記録し、子孫に継承することが重要になってきた。
 これを集大成したのが藤原忠平。忠平の口伝と教命(きょうみょう)が子の実頼・師輔に伝えらえ、小野宮流と九条流が成立した。
 
(2022/7/11)NM
 
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言語の標準化を考える 日中英独仏「対照言語史」の試み
 [言語・語学]

言語の標準化を考える―日中英独仏「対照言語史」の試み
 
高田博行/編著 田中牧郎/編著 堀田隆一/編著
出版社名:大修館書店
出版年月:2022年6月
ISBNコード:978-4-469-21391-1
税込価格:2,970円
頁数・縦:247p・21cm
 
 言語の標準化という営為を、対照言語史という視点から論じる。
 読書の流れを中断するので注釈が嫌いなのだが、本書のような注釈なら許容できる。本編を読み終わったあとに振り返って注釈を読むことで、他言語との比較対照ができ、理解が深まる。
 著者による注釈は、その箇所の細かい内容を補填するものだが、本書の注釈は、もっと大きな視点で、論文の著者以外の専門家が他言語の特徴を論じるものだからである。
 
【目次】
第1部 「対照言語史」:導入と総論
 第1章 導入:標準語の形成史を対照するということ(高田博行・田中牧郎・堀田隆一)
 第2章 日中英独仏―各言語史の概略(田中牧郎・彭 国躍・堀田隆一・高田博行・西山教行)
第2部 言語史における標準化の事例とその対照
 第3章 ボトムアップの標準化(渋谷勝己:大阪大学大学院人文学研究科教授)
 第4章 スタンダードと東京山の手(野村剛史:東京大学名誉教授)
 第5章 書きことばの変遷と言文一致(田中牧郎)
 第6章 英語史における「標準化サイクル」(堀田隆一)
 第7章 英語標準化の諸相―20世紀以降を中心に(寺澤 盾:東京大学名誉教授、青山学院大学文学部教授)
 第8章 フランス語の標準語とその変容―世界に拡がるフランス語(西山教行:京都大学人間・環境学研究科教授)
 第9章 近世におけるドイツ語文章語―言語の統一性と柔軟さ(高田博行・佐藤 恵:慶應義塾大学文学部助教)
 第10章 中国語標準化の実態と政策の史話―システム最適化の時代要請(彭 国躍:神奈川大学外国語学部教授)
 第11章 漢文とヨーロッパ語のはざまで(田中克彦:一橋大学名誉教授)
 
【著者】
高田 博行 (タカダ ヒロユキ)
 学習院大学文学部教授。ドイツ語史、歴史語用論、言語と政治。
 
田中 牧郎 (タナカ マキロウ)
 明治大学国際日本学部教授。日本語学、日本語史。
 
堀田 隆一 (ホッタ リュウイチ)
 慶應義塾大学文学部教授。英語史、歴史言語学。
 
【抜書】
●変体漢文(p86、田中牧郎)
 和化漢文とも。
 7世紀ごろから。漢文の中に日本語に特有の敬語表現や目的語が動詞の前に来る表現が混じっており、見かけは漢文だが、実は日本語を書いた文章に。『古事記』が変体漢文の代表的なもの。
 
●漢文訓読文(p86、田中牧郎)
 平安時代の9世紀になると、万葉仮名からひらがなが成立。文芸の分野ではひらがな主体の和文が成立。
 学術・仏教の分野では、漢字を主体としてカタカナを交える漢文訓読文が成立。
 
●古英語、中英語(p129、寺澤)
 古英語(Old English) 700~1100年……語形変化が豊か。
 中英語(Middle English) 1100~1500年……屈折語尾が一様化。
 近代英語(Modern English) 1500~1900年……ルネッサンスの波。大量のギリシャ・ローマの古典語を借用。
  初期近代英語(Early Modern English) 1500~1700年
  後期近代英語(Late Modern English) 1700~1900年
 現代英語(Present-day English) 1900年~
 
●語尾の簡略化(p130、寺澤)
 古英語の多様な屈折語尾が一様化(水平化)し、1066年のノルマン征服以降、中英語の時代に入っていく。
 語尾の水平化は、フランス語の影響というより、9世紀半ば以降の北欧のヴァイキングとの言語接触によるところが大きい。同じゲルマン語系である英語と北欧語は多くの語で形態が似ており、おそらく語の中核部分(語幹)だけでもある程度意思疎通ができたため、語尾の部分を簡略化させた可能性がある。
 
●英語の借用語(p132注、寺澤)
 英語の借用語として最も多いのがラテン語。続いてフランス語、ギリシャ語。日本語は第10位。日本語借用語は500を超える。Philip Durkin(2014)による。
 和製英語が英米に逆輸入された例として、「shokku」がある。(石油ショックのような)政治・経済的衝撃、という意味。
 
●統一化、規範化、通用化(p137、寺澤)
 標準化の三つの異なる側面。
 統一化……ある一国内・地域において有力な方言・変種を基準として言語を統一していこうという動き。英語史においては、アルフレッド大王の時代におけるウェストサクソン方言の標準化、1400年以降の大法官庁英語に基づく標準化、など。
 規範化……言語の形式を「正しい」、「あるべき」形に統制していくこと。様々な辞書や文法書が出版された1660年から1798年までの時期。
 通用化……コミュニケーションの手段として多くの人の意思疎通が可能になるように言語を共通化・簡略化すること。20世紀以降の英語標準化の動き。
 
●雅言(p193、彭)
 『論語(・述而)』に「子所雅言。詩、書、執禮、皆雅言也」(孔子は雅言を操っていた。『詩』『書』または礼の作法を教えるときにはいずれも雅言を使っていた)とある。
 「雅」とは、正式、標準という意味。いわゆる標準語。
 
●アカデミー・フランセーズ(p199注、西山)
 アカデミー・フランセーズでは、1694年から現在に至るまで『アカデミー辞書』を刊行。フランス語の標準化に果たす役割が大きい。
 現在は、1986年から第9版が部分的に刊行されており、Rの項目にさしかかっている。
 もともと、アカデミー・フランセーズは文芸を愛する有志の集まり。1692年頃からパリに暮らす文人が友人の家に集い、さまざまな議論に興じていた。それを聞きつけた宰相のリシュリューが国家の庇護のもとに団体を作り、定期的な集まりを行うことを提案し、これがアカデミー・フランセーズへと発展した。
 
(2022/7/6)NM
 
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