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てんまる 日本語に革命をもたらした句読点
 [言語・語学]

てんまる 日本語に革命をもたらした句読点 (PHP新書)
 
山口謠司/著
出版社名:PHP研究所(PHP新書 1305)
出版年月:2022年4月
ISBNコード:978-4-569-85182-2
税込価格:1,056円
頁数・縦:238p・18cm
 
 「てんまる」すなわち日本語の句読点について、その歴史を振り返り、時代により人により異なるその使用法を論じる。
 句読法の原則を論じるのかと思って読み始めたが、そうでもなかった。「細かく規則を決めようとして、無駄な時間と無駄な労力を使わないのが一番です。」(p.221)
 
【目次】
第1章 本の読み方と「てんまる」の関係
第2章 「てんまる」はいつから始まったか
第3章 明治時代以降の「てんまる」
第4章 現代文学の「てんまる」
第5章 マンガの「てんまる」
 
【著者】
山口 謠司 (ヤマグチ ヨウジ)
 1963年長崎県生まれ。大東文化大学文学部教授。博士(中国学)。大東文化大学大学院、フランス国立高等研究院大学院に学ぶ。英国ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て現職。専門は書誌学、音韻学、文献学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)。
 
【抜書】
●「、」は奈良時代(p42)
 『文選李善注』、天平17年(745年)以前に筆写された。「、」の記号が使われた、現存する最古の資料。
 『成実論(じょうじつろん)』天長5年(828年)筆写。カタカナが使われた最古の資料。文末には右下に「、」、区末には左下に「、」が付けられていた。
 ひらがなは、900年頃に生まれた。
 
●「・」は鎌倉時代(p43)
 『浄土三経往生文類(広本)』は、漢字カタカナ交じりの文章だが、文の区切れに朱墨で「・」が施されている。振り仮名も丁寧にふられていて、とても読みやすい。
 室町時代の『花上集鈔(かじょうしゅうしょう)』(1489年ごろ)にも、「てんまる」として「・」が使用されている。
 
●空白(p44)
 南北朝時代には空白を使って「句読」を示している。『一流相承系図(いちりゅうそうじょうけいず)』など。
 
●キリシタン版(p46)
 天文18年(1549年)、フランシスコ・ザビエルの来日以来、寛永16年(1639年)の鎖国まで、天草や長崎などで、イエズス会士たちによって、キリシタン版と呼ばれる書物が西洋の印刷技術によって出版された。金属活字を使用。
 キリシタン版の影響を受けて、木片を利用してひらがな、カタカナ、漢字の活字(木活字:もっかつじ)を作って組版にした印刷が行われるようになった。古活字版。
 古活字版がつくられたのは、慶長勅版(1590年頃、後陽成天皇)から、正保(1644-48年)・慶安(1648-52年)頃まで。
 
●揺籃(p48)
 古活字本が普及して読者層が拡大。庶民が本を読むようになり、庶民の中から学者が誕生。
 それまで、貴族と僧侶が知識階級だった。庶民の言葉が分からなかった。
 庶民の学者が加わることで、〔ゆっくりとテキストを揺らしながら、貴族・庶民の両方に分かるような折衷した言葉を使うことによって、テキストの揺れをなくして定着させること、これが揺籃」なのです。これはヨーロッパも同じでした。」〕
 
●製版本(p49)
 古活字本がなくなると同時に「製版本」が現れた。
 1枚の版木に版下を貼り付け、それを彫刻刀で彫ったもの。それに墨を塗って印刷する。
 固い版木で作っておけば、数千枚刷っても版面が磨滅しない。いちいち活字を組みなおさなくても再版が可能。
 
●権田直助(p53)
 1809-1887年。国学者。江戸時代末期から明治時代前期にかけて国学の研究を行う。平田篤胤の弟子。相模大山阿夫利(あふり)神社、皇典講究所文学部長、静岡県神道事務所分局長などを歴任。
 日本語の「句読」について初めて言及した人物。
 『国文句読法』、1895年(明治28年)。
 
●大東文化大学(p72)
 大正12年(1923年)、「漢学(特に儒教)を中心として東洋の文化を教授・研究することを通じて、その振興を図るとともに儒教に基づく道義の確立を期し、更に東洋の文化を基盤として西洋の文化を摂取吸収し、東西文化を融合して新しい文化の創造を目指す」という建学の精神によって、大東文化学院が設立された。
 特定の創立者がいるわけではなく、大正10年3月の第44回帝国議会衆議院本会議「漢学振興に関する建議書」に基づき創設された。
 国立大学で授業料は無料、給料をもらって和学、漢学、経済学を学べた。全国から優秀な学生が集まった。
 当時の所在地は九段(現・東京都千代田区富士見)。初代総長は平沼騏一郎。
 現在の私立・大東文化大学。
 
●国語調査委員会(p127)
 明治35年(1902年)、文部省に「国語調査委員会」が設けられた。
 委員長・加藤弘之、主事・上田万年。委員として、加納治五郎、井上哲次郎、徳富蘆花、大槻文彦、前島密、芳賀矢一、など。
 国語調査の方針、方言、文法、漢字の省滅、送り仮名、音韻、ローマ字と仮名の比較、仮名遣いについて、議論を重ね、およそ20点に及ぶ書籍を出版した。「てんまる」については、記事が残っていない。
 
●句読法案(p129)
 明治39年(1906年)2月、文部大臣官房図書課から『句読法案』が出版された。
 「てんまる」の規則が示される。
 
●『?』(p169)
 長谷川如是閑の小説『?』、1909年(明治42年)。
 翌年8月、『額の男』に改題。
 主人公の羽仁正雄は、親の財産を相続して、好きな勉強を続けていくことができる青年。百科全書的な知識で、登場人物と「資本と労働」「キリスト教と仏教の優劣」「読書論」「芸術論」などについて、古今東西の書物を引用しながら議論。〔この小説は筋があるのかないのか分からない、何を目的にして書かれたのかも分からない、まさに『?』に相応しい内容〕。
 
●言文一致運動(p191)
 〔「話すように書く」、そうすることによってリアルさを伝えることができるといういうことに、明治時代に行なわれた言文一致運動の理想があるとすれば、江戸っ子でなおかつ洗練された俳句と戯曲の才を持った久保田万太郎や安藤鶴夫の「てんまる」の多い文章は、多くの読者から広く受け入れられたのではないかと思います。〕
 
●中国語(p215)
 中国語もかつては縦書きだった。
 1911年(明治44年)、辛亥革命に伴う清朝政府の崩壊、毛沢東による大革命によってあっという間に縦書きの本はなくなる。
 現在の中国語の本は横書きで、ほとんど「,」「◦」の組み合わせになっている。
 
●小学館(p228)
 小学館の少年・青年コミックでは、吹き出しのセリフに「てんまる」を付ける。少女マンガなど、他のジャンルでは「てんまる」を付けない。他の出版社も、ほとんどが「てんまる」を付けていない。
 『小学一年生』などを発行している出版社としての教育的配慮? 「マンガは悪書」という批判に対抗するため。
 青年コミックは、少年コミックから派生して出てきたので、「てんまる」も踏襲した。
 
(2022/12/19)NM
 
〈この本の詳細〉


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