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「諜報の神様」と呼ばれた男 情報士官・小野寺信の流儀
 [歴史・地理・民俗]

「諜報の神様」と呼ばれた男 情報士官・小野寺信の流儀 (PHP文庫)
 
岡部伸/著
出版社名:PHP研究所(PHP文庫 お86-1)
出版年月:2023年2月
ISBNコード:978-4-569-90297-5
税込価格:1,100円
頁数・縦:429p・15cm
 
 第二次世界大戦中、ポーランド、エストニア、スウェーデン、ドイツのインテリジェンス・オフィサーたちと情の通った深いつながりを作り、国家のために諜報活動を行った小野寺信の行動と人となりを描く。
 
【目次】
序章 インテリジェンスの極意を探る
第1章 枢軸国と連合国の秘められた友情
第2章 インテリジェンス・マスターの誕生
第3章 リガ、上海、二都物語
第4章 大輪が開花したストックホルム時代
第5章 ドイツ、ハンガリーと枢軸諜報機関
第6章 知られざる日本とポーランド秘密諜報協力
第7章 オシントでも大きな成果
第8章 バックチャンネルとしての和平工作
 
【著者】
岡部 伸 (オカベ ノブル)
 1959年、愛媛県生まれ。立教大学社会学部社会学科を卒業後、産経新聞社に入社。米デューク大学、コロンビア大学東アジア研究所に客員研究員として留学。外信部を経て、モスクワ支局長、社会部次長、社会部編集委員、編集局編集委員などを歴任。2015年12月から19年4月まで英国に赴任。同社ロンドン支局長、立教英国学院理事を務める。現在、同社論説委員。著書に、『消えたヤルタ密約緊急電』(新潮選書、第22回山本七平賞受賞)などがある。
 
【抜書】
●ブレッチリーパーク(p94、p99)
 ステーションX。第二次世界大戦期にイギリスの政府暗号学校(政府通信本部の前身)が置かれ、アラン・チューリングらがナチス・ドイツの暗号「エニグマ」の解読に成功した。
 MI6が、ロンドン郊外ミルトンキーンズにあった庭園とマナーハウス(邸宅)で女性や若い優秀な大学生を動員して各国の傍受電報を解読していた。
 現在、第二次大戦の暗号解読をテーマとした博物館となっている。
 
●浴風園(p99)
 日本陸軍の中央特殊情報部の本部はももと三宅坂の参謀本部にあったが、太平洋戦争開始と同時に市ヶ谷に移る。
 さらに赤坂に移転した後、昭和19年(1944年)春、イギリス、米国の暗号を解読する研究部が東京都杉並区高井戸の「浴風園」に移った。日本最古の養老院。
 数学や英語を専攻する学徒動員兵や勤労動員学生、女子挺身隊、旧制中学生、総勢512人が米国軍の各種暗号解読作業を行った。
 
●エシュロン(p100)
 米国は、イギリスからブレッチリーパークのノウハウの教示を受けた。
 戦後も、ソ連との対立を見越して、1948年にカナダ、オーストラリア、ニュージーランドを含むアングロサクソン5か国の諜報機関が世界中に張り巡らしたシギントの設備や盗聴情報を相互に共同利用するUKUSA協定を結んだ。
 現在、この通信傍受ネットワークは「エシュロン」と呼ばれ、米国の国家安全保障局(NSA)が中心となって世界中の電話・電子メールなどを違法に傍受し、情報の収集・分析を行っている。その活動実態は、CIAの元技術職員エドワード・スノーデンによって暴露された。
 
●エストニア(p102)
 宗教はプロテスタント、民族はアジア系。言語はフィン・ウラル語。フィンランド語に近く、ハンガリー語とも同系統。一般市民は、支配されていたドイツ語、ロシア語をよどみなく話す。
 ちなみに、ラトビアもプロテスタント、ポーランドに接するリトアニアはカトリック。
 
●愛国心(p197)
〔 語学、学識とともに、愛国心も優れたインテリジェンス・オフィサーの必須条件である。米中央情報局(CIA)でシギントと呼ばれる通信を傍受・解析するインテリジェンス活動に従事していた技術職員、エドワード・スノーデンはアメリカが世界中の市民を対象に地球規模で行なっているシギントを内部告発して、二〇一三年八月にロシアに一時亡命した。しかし、「国家がなくても人類は生きていくことができる」というアナーキズム思想を信じて、「アメリカ政府が世界中の人々のプライバシーやインターネット上の自由、基本的な権利を極秘の調査で侵害することを我が良心が許さなかった」など独特の❝正義感❞を語るハッカーをソ連国家保安委員会(KGB)で辣腕を振るったプーチン大統領は容易に受け入れようとせず、一言で切り捨てた。
「元インテリジェンス・オフィサーなど存在しない」
 そこには、「インテリジェンス機関に身を投じた者は、生涯を通じて『諜報の世界』の掟に従い、祖国のために一生尽くすべきだ。この約束事に背いた者は命を失っても文句は言えない」という、プーチン大統領の厳格な倫理観と哲学があった。国家のために全てを捧げるのがインテリジェンス・オフィサーの職業的良心である。だから国家に反逆して祖国を裏切り、愛国心のかけらもないアナーキストのスノーデンをプーチン大統領が嫌悪して、亡命を容易に認めなかったのである。やはりインテリジェンス・オフィサーには祖国に身を捧げる愛国心が必須だろう。〕
 
●第三次世界大戦(p269)
 ヤルタ会談から2か月後、45年4月27日の小野寺からの電報(HW35/95)。
 「(ドイツの敗北を目前にして)国際情勢に変化が出てきている。英米とソ連の間で政治的対立が生じて、今後、残念ながら武力衝突に発展する懸念すら出てきている。多分にドイツのプロパガンダの影響もあることは確かだが、バルト三国の人たちの間では、(ドイツが敗北して第二次大戦が終われば英米陣営とソ連陣営の間で)第三次世界大戦に発展すると懸念する声も出ている」
 
●マツヤマ(p281)
 日露戦争時、日本はヨゼフ・ピウスツキ将軍(ポーランド独立の英雄)の嘆願を受け、ロシア軍に徴兵されたポーランド人捕虜数千人の取り扱いに特別配慮した。愛媛県の松山にポーランド人捕虜だけの収容所を作り、ロシア人将兵と区別して、彼らの虐待を未然に防いだ。
 捕虜は礼拝所や学校の自主運営を認められ、自由に外出して温泉や観劇を楽しむこともできた。
 劣勢となったロシア軍では、ポーランド人将兵が「マツヤマ」と叫んで、次々と日本軍に投降してきた。司馬遼太郎『坂の上の雲』より。
 
●カリシュの法令(p299)
 1264年、ポーランド王国は「カリシュの法令」を発布、ユダヤ人の社会的権利を保護した。
 ユダヤ人に寛容なポーランドは、十字軍の時代から、欧州にユダヤ人にとって大変住みやすい国だった。
 第一次大戦後、ポーランドが再び独立を果たすとユダヤ人が押しかけ、再び世界最大のユダヤ人を抱える独立国家となった。その数300~400万人。
 軍人を脱出させるという、ポーランド陸軍参謀本部情報部アルフォンス・ヤクビャニェツ大尉の要請により、杉原千畝は、リトアニアに殺到したポーランド難民に日本通過のビザを発給した。ユダヤ人が多かったが、元来は、軍を再建するために軍人を脱出させるのが目的だった。
 その見返りとして、杉原はポーランドからソ連情報や旧ポーランド領でのドイツ情報を得た。
 
●情報(p408)
〔 情報とは「長く時間をかけて、広い範囲の人たちとの間に『情』のつながりをつくっておく。これに報いるかたちで返ってくるもの」(上前淳一郎『読むクスリ』第一巻 あとがき 文春文庫)といわれる。『諜報の神様」と小国の情報士官から慕われた小野寺氏は、リガ、上海、ストックホルムで「人種、国籍、年齢、思想、信条」を超えて多くの人たちと心を通わせた。これこそインテリジェンスの本質ではないだろうかと思えた。〕
 
(2023/8/30)NM
 
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江戸のフリーランス図鑑 出商いと町角の芸人たち
 [歴史・地理・民俗]

江戸のフリーランス図鑑: 出商いと町角の芸人たち
 
飯田泰子/著
出版社名:芙蓉書房出版
出版年月:2023年6月
ISBNコード:978-4-8295-0863-3
税込価格:2,530円
頁数・縦: 205p・21cm
 
 江戸時代の出商人〈であきんど〉や振売〈ふりうり〉、出職〈でしょく〉、大道芸人、門付〈かどづけ〉などを、当時の本からとってきた図版をもとに紹介する。江戸初期に刊行された『人倫訓蒙図彙』、後期の風俗誌『守貞謾稿』を中心に選んだ二百余の職種で構成されている。(p.9)
 図版は、モノクロで画質が荒いので細部が分かりづらい。イラストを楽しむというより、江戸時代の庶民の生活全般を知るための書というべきか。以後、時代劇などを見る時に役立ちそう。
 
【目次】
第1章 暮らしを支える出商い
 食べ物商売
 住まいの道具
 装いと小物
 健康を保つ
 商いの道具
 リサイクルの担い手
第2章 楽しみをもたらす町角の人びと
 遊びの出商い
 盛り場の楽しみ
 門付の芸人たち
 祈りとお祓い
 
【著者】
飯田 泰子 (イイダ ヤスコ)
 東京生まれ、編集者。企画集団エド代表。江戸時代の庶民の暮らしにかかわる書籍の企画編集に携わる。
 
【抜書】
●品川東海寺(p26)
 沢庵は、品川東海寺の沢庵禅師が初めて作ったのが名前の由来。
 
●石見銀山( p56)
 殺鼠剤の異称。鼠捕〈ねずみとり〉薬。 
 
●臭水(p62)
 大昔から、日本にも石油はあった。越の国(越後)で古来、臭水〈くそうず〉と呼ばれ、朝廷に献上していた。石油の産地では風泉水(天然ガス)も出た。
 
●切絵図(p102)
 寺社名、町名、武家屋敷を網羅した、江戸時代の区分地図。
 表札など一切なかった武家屋敷の所在を確認するため、商人たちが重用した。
 
●唐津物(p108)
 瀬戸物。西日本では、瀬戸物のことを唐津物と呼んだ。
 
●献残物(p120)
 けんざんや。武家が互いに進物しあったものや、町人からの献上品の残りを買い取って売る商売。
 日持ちのする贈答品の熨斗鮑〈のしあわび〉や、干し魚、干し貝、塩鳥、昆布など。
 江戸城の周辺にたくさんあった。
 
●羅宇(p112)
 煙管の吸い口と火皿をつなぐ部分。細長い竹の管で作る。
 ラオス産の黒斑竹を使ったのが名前の由来。
 
●浅草紙(p118)
 紙屑買いが集めた諸々の紙類は、専門の漉返〈すきかえ〉し屋に売られ、鼻紙や落し紙(ちり紙)に生まれ変わる。
 ちり紙は「浅草紙」とも呼ばれた。
 
●払扇箱売り(p120)
 江戸の市民は年始の挨拶に箱か袋入りの扇をお年玉として先方に出す。使用済みの扇箱を買い取って売るのが払扇箱〈はらいおうぎばこ〉売り。
 箱は形だけのもので、中は空。竹の串を入れて音だけ出るようにしてある。名付けて「がらがら」。
 
●猿若(p154)
 滑稽な一人狂言(芝居)をする大道芸人。
 一説によると、桃山時代の傾奇者〈かぶきもの〉、名古屋山三に猿若なる鈍者〈うつけもの〉の従者がおり、芝居にしたところ受けたのが名前の由来。加賀藩士だった名古屋山三は、出雲阿国とともに歌舞伎の始祖といわれる人物。
 
●庚申(p190)
 ヒトの体内に潜むという三尸〈さんし〉という虫が、庚申の日の夜に天に昇り、宿主の悪行を天帝に告げると信じられていた。そのため、庚申の夜は、虫が天に昇らないように夜通し宴などをして夜明けを待った。
 庚申信仰が盛んな大坂では、四天王寺の庚申堂に群衆が参詣に詰めかけた。また、代願を旨とする「願人坊主〈がんにんぼうず〉」が「庚申の代待〈だいまち〉」と称して町を歩いた。
 
●荒神(p190)
 火を防いで竈を守る神。
 毎月晦日近くになると、竈に供える松の枝を売り歩く「荒神松売り」が町に出た。
 江戸では、「鶏の絵馬」も同時に売った。荒神様に供えればアブラムシが出ないと言い伝えがある。
 
(2023/8/25)NM
 
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「幕府」とは何か 武家政権の正当性
 [歴史・地理・民俗]

「幕府」とは何か 武家政権の正当性 NHKブックス
 
東島誠/著
出版社名:NHK出版(NHKブックス 1277)
出版年月:2023年1月
ISBNコード:978-4-14-091277-5
税込価格:1,980円
頁数・縦366p・19cm
 
 鎌倉以前から江戸まで、幕府の正当性と正統性について考察する。
 しかしながら、他の研究者の学説に対する批判が随所に見られ、ちょっと興ざめ。そんな研究、知らんわ。
 一般向けというより、専門家あるいは歴史マニアに向けて書かれた書、と言うべきか。
 
【目次】
第1章 平家政権といくつもの幕府
 幕府をめぐる基礎知識
 平家政権をどう捉えるか
第2章 鎌倉幕府、正しくは東関幕府―正統性なき北条氏の正当性
 都市王権と武力―一一八六年、鎌倉幕府誕生の前提1
 義経の結婚―一一八六年、鎌倉幕府誕生の前提2
 正当性の更新と「幕府」呼称の誕生
第3章 足利将軍家の時代―二つの変動期と正当性の変容
 鎌倉末期~南北朝期の転換
 統治権的支配とは何か―足利将軍家の正当性
 足利将軍家の正当性の推移
 足利政権中期の正当性の変化
 物流構造の変動と転換期としての十五世紀後半
 戦国大名と「公儀」の行方
第4章 織豊政権―近世の始動と中世の終焉
 近世の始動と中世の終焉
 中世の黄昏としての織田政権
 豊臣政権と中世の否定
第5章 江戸幕府は完成形なのか―生存の近世化
 生存の近世化という視点
 正当性から正統性―家康の神格化と近代天皇制の創出
 曲がり角としての一六八〇年代
 幕府と「被災者」救済―正当性の行方
 
【著者】
東島 誠 (ヒガシジマ マコト)
 1967年、大阪府生まれ。東京大学文学部国史学専修課程卒業、同大大学院人文社会系研究科日本文化研究専攻博士課程修了、博士(文学)。現在、立命館大学教授。
 
【抜書】
●花洛・柳営(p150)
 モンゴル襲来を機として、鎌倉時代中末期に「天下泰平・国家安寧」の祈禱が盛んに行われるようになった。「花洛・柳営の安全」「花洛・柳営の安寧」を祈願する定型文言が登場し、この時期から鎌倉幕府を「幕府」「柳営」の語で呼ぶようになった。
 花洛=京都、柳営=鎌倉。
 
●応永の外寇(p215)
 応永26年(1519年)6月、朝鮮王朝の世宗元年、上王太宗が軍事行動を起こし、兵船227艘、1万7285名からなる軍勢をもって対馬島を攻撃した。己亥東征。
 前年、日朝関係の潤滑油の役割を果たしていた宗貞茂の死を機に、倭寇問題が再燃したため。
 
●蓋天説(p277)
 中国古代、天下は、天円地方の蓋天説の世界観に基づいて、ドーム状の天に覆われた正方形の大地として観念された。
 
●銀の大行進(p282)
 16世紀後半、中国の奢侈品が世界に流れ出て、大量の銀が中国に流れ込む。南米のポトシ銀山と日本の石見銀山が主な出所。
 硫黄を制したサルファー大名(大友、島津)から、銀を制したジルヴァー大名(毛利、豊臣、徳川)への覇権の移行。
 
●移動させる(p283)
 信長の「権力の志向」(性癖)とは、「権威あるものを否定せずに膝下に集め、それを上から眺める」こと。
 秀吉の「権力の志向」は、「人を意のままに移動させたり、別の道に誘導する」こと。
 信長政権から秀吉政権への移行とは、《集める権力から移動させる権力》への転換だった。
 
●読売(p300)
 「ニュース」の誕生というべき最初の「かわら版」、江戸時代の呼称でいえば「読売〈よみうり〉」、あるいは辻売りの「絵草子〈えぞうし〉」の黎明は、大坂冬の陣(1614年)を描く「大坂城の画面」、それに夏の陣(1615年)を描く「大坂卯年〈うのとし〉図」「大坂安部之合戦之図」であるとされる。北原糸子の説。
 1683年の江戸駒込の八百屋お七の付け火一件の「読売」が大流行。1680年代が「かわら版」隆盛の契機となった。
 1680年代は、一つの情報革命と呼ぶべき時代。出版物が人々の間に流布し、個人が、「まだ見ぬ他者」とつながりをもつ契機となった。新しいネットワーク形成の可能性が大きく花開いた。
 
●都市下層民(p346)
 百万都市江戸の人口の半数が町人。
 さらのその過半が都市下層民衆で、町会所〈まちかいしょ〉臨時救済(御救米)の対象となった。
 
(2023/7/19)NM
 
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相棒は秋田犬 現代の縄文犬と共に過ごした3989日
 [歴史・地理・民俗]

相棒は秋田犬 現代の縄文犬と共に過ごした3989日
 
村山二朗/著
出版社名:カンゼン
出版年月:2022年9月
ISBNコード:978-4-86255-662-2
税込価格:1,760円
頁数・縦:238p・19cm
 
 オスの秋田犬「天鵬号」を生後3カ月から育て、最期を看取るまでの11年間を綴ったエッセー。愛情をもって育てることの大切さ、秋田犬の賢さや強さが文章の隅々から伝わってくる。飼ってみたいけど、忍耐力のない者には難しいだろうな。
 
【目次】
秋田犬と暮らすための八か条
決意
教育
待つ犬
意見する犬
空気を読む犬
さびしんぼう
相互理解
判断力
用心棒
相棒
円熟
家族の肖像
感謝
 
【著者】
村山 二朗 (ムラヤマ ジロウ)
 篠笛奏者・ミュージシャン。1968年生まれ。1989年に佐渡ヶ島に本拠を置く「鼓童」のメンバーとしてプロデビュー。1991年に自己篠笛バンド「レブンカムイ」を結成。和洋楽器混成ユニットのパイオニアとして活動。これまでにメジャーレーベルMIDIレコードを含む7枚のCDアルバムを発表。1998年にFIFAワールドカップサッカー・フランス大会の閉会式にて次期開催国の代表として出演したほか世界27か国で演奏を披露する。2012年映画『のぼうの城』に笛吹き役として出演。2016年アニメ映画『君の名は。』の劇中音楽の作曲と篠笛・太鼓の演奏を担当した。ロングセラー篠笛入門書『篠笛ワークショップ』、日本各地の民俗芸能を取材し記録したスコア譜『日本の祭笛・太鼓名曲集』(音楽之友社刊)の著者。現在は和太鼓グループ「東京打撃団」メンバーであり、慶應義塾大学普通部非常勤講師を務めている。
 
【抜書】
●秋田犬と暮らすための八か条(p14)
 (1)覚悟をもって最期まで犬の世話をすること。
 (2)仔犬から育てるならばブリーダーに直接会い譲ってもらう。
 (3)愛情をたっぷり込めて、たくさん可愛がること。
 (4)散歩は毎日欠かさず行い、歩行訓練は仔犬のうちから自分ですること。
 (5)たかが犬だと思って馬鹿にしてはいけない。
 (6)飼い主と周囲の大人が常に知的な振る舞いで犬に接すること。
 (7)犬格を尊重すること。
 (8)事故を未然に防ぐことに努め、事故が起きてしまった場合に備えておくこと。
 
●大館犬(p138)
 昭和6年、大館犬は「秋田犬」として、国の天然記念物に指定される。
 昭和9年に甲斐犬(山梨県)、紀州犬(和歌山県、三重県)、越の犬(新潟県、富山県、石川県。すでに絶滅)、昭和11年に柴犬(長野県、岐阜県、富山県、鳥取県)、昭和12年に土佐犬(高知県。現在では土佐闘犬と区別するために四国犬に改名)、北海道犬(アイヌ犬。北海道)が順次指定された。
 
●秋田犬保存会(p236)
 昭和2年に秋田犬保存会が、昭和3年に日本犬保存会が設立された。
 国の天然記念物に指定されている日本犬は6種。秋田犬、甲斐犬、紀州犬、柴犬、四国犬、北海道犬。
 川上犬は長野県天然記念物に指定。琉球犬は沖縄県天然記念物に指定。
 天城犬や薩摩犬など、多くの地犬が滅んでいった。
 
(2023/6/26)NM
 
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敗者としての東京 巨大都市の隠れた地層を読む
 [歴史・地理・民俗]

敗者としての東京 ――巨大都市の隠れた地層を読む (筑摩選書 248)
 
吉見俊哉/著
出版社名:筑摩書房(筑摩選書 0248)
出版年月:2023年2月
ISBNコード:978-4-480-01768-0
税込価格:1,980円
頁数・縦:341p・19cm
 
 1590年、1868年、1945年。三度の占領を経験した東京を、敗者の歴史として捉えなおし、重層的に描く。 
 
【目次】
東京とは何か―勝者と敗者のあいだ
第1部 多島海としての江戸―遠景
 クレオール的在地秩序
 死者の江戸、そして荘厳化する外縁
第2部 薩長の占領と敗者たち―中景
 彰義隊の怨念とメモリー・ランドスケープ
 博徒と流民―周縁で蠢く敗者たち
 占領軍と貧民窟の不穏―流民の近代をめぐる眼差し
 女工たちは語ることができるか
第3部 最後の占領とファミリーヒストリー―近景
 ニューヨーク、ソウル、東京・銀座―母の軌跡
 学生ヤクザと戦後闇市―安藤昇と戦後東京
 「造花」の女学校と水中花の謎―山田興松とアメリカ進出
 原風景の向こう側―「都市のドラマトゥルギー」再考
敗者としての東京とは何か―ポストコロニアル的思考
 
【著者】
吉見 俊哉 (ヨシミ シュンヤ)
 1957年、東京都生まれ。87年、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。現在、東京大学大学院情報学環教授。社会学、都市論、メディア論を専攻。
 
【抜書】
●堂信仰(p42)
 たんしんこう。
 日本の神社の祖型は古代朝鮮半島、とくに新羅を中心とする祖霊信仰にあったとする説がある。朝鮮半島にあった原-神社は、一般に「堂〈タン〉」と呼ばれ、かつては日本と同じように村ごとに必ずあり、それらの堂で祭りが催さていた。
 堂信仰を支えていたのは、天孫の檀君〈タングン〉が古朝鮮を開いたという「檀君神話」。日本の天孫降臨神話と同型。
 その後朝鮮半島では、李氏朝鮮が500年に及ぶ長い統治を通じて徹底した儒教化政策を推し進め、土着的な堂信仰は、弾圧・排除されるか、儒教的な信仰に転換されてしまった。
 さらに、日本の植民地支配や、朴正熙政権の近代化政策でも土着的なものは排除されるしかなかった。
 〔古代には日韓で当たり前のように存在した文化的共通性が、今日ではすっかり見えにくくなっています。〕
 
●戸(p44)
 朝鮮半島からの渡来人たちは、東京湾内にも入ってくる。
 船を留めるのに適した場所は船着き場となり、やがて湊になった。そのような小さな湊が東京湾一帯にいくつも造られた。それらの場所は、一般的に「戸」呼ばれた。松戸、青砥(青戸)、奥戸、花川戸、高井戸、など。
 これらの一つが、湊としての「江戸」だった。現在の日本橋から銀座にかけて半島状の砂州があり、今の新橋あたりがその突端だった。この砂州が後に江戸前島と呼ばれるようになる。
 
●浅草(p45)
 渡来人文明の本格的拠点となったのは、現在の隅田川を下流とする利根川流域。
 最初に渡来人が関東進出の拠点としたのは浅草寺。浅草観音の創建は628年とされる。この頃から浅草は、海ではなく陸地だった。東上野から田原町辺りまで、また対岸の墨田区は海だったが、浅草付近は岬になっていた。浅草は湊だった。
 渡来人は、隅田川から利根川へと遡上。大宮に氷川神社を建立。埼玉県の「新座」は「新羅」に由来。同県には「高麗郡」もあった。日高市には高麗神社があり、高麗川が流れている。「荒川」の「荒」は、古代朝鮮の東南部にあった「安羅国」に由来するという説もある。
 
●熊野(p52)
 中世を通じて熊野水軍と熊野信仰のネットワークが拡大していった。
 代表例が、中世の説教節の一つ「小栗判官」。もともと二条大納言藤原兼家の子だった小栗は、大蛇と交わった罪で常陸に流罪となるが、相模の豪族である横山氏の美しい一人娘、照手に強引に婿入りするも、怒りを買って一門の者に毒殺される。死んだ小栗は閻魔に許され、餓鬼身としてこの世に蘇り、土車に乗せられて熊野に運ばれ、当地の湯を浴びて元の姿に戻り、横山の館を追い出されて下女奉公をしていた照手とも再開する。この物語を支えていたのは、熊野はすべてを治癒するという、聖地としての熊野の信仰。
 「聖地としての熊野」という物語を全国に広めたのは、御師〈おし、おんし〉と呼ばれる神職たち。御師たちは熊野水軍に支えられながら全国を旅し、熊野神社のお札など、さまざまな文物を広めていった。中世を通じて御師たちの数は膨らんでいった。各地に「旦那」と呼ばれる豪族がいて、御師を受け入れて歓待した。彼らは、熊野権現の宗教的権威を受け入れ、その地に神社を建立した。
 熊野神社が新たに生まれると、その境内に市が立つことになる。市で売られる品々は、熊野のネットワークを通じて運び込まれたもので、関西からのものも少なくなかった。逆に、列島各地の産品が関西へと流通していた。
 〔中世の日本列島には、各地で熊野権現を保護する地元勢力が存在し、境内に立つ市での物流を可能とするネットワークがあり、それら市を権威づける熊野信仰のネットワークが存在していたのです。〕
 
●矢野弾左衛門(p54)
 源頼朝は、鎌倉幕府を開き、新秩序を打ち立てていった。それは、江戸氏の「大福長者」としての役割を解体することにあった。荒川流域に展開された秩父平氏の根絶やし、江戸氏に代わる通運業者の導入。
 摂津国池田(尼崎の後背地)にいた矢野氏一族を浅草と江戸湊の中間の江戸前島に配置。以来700年、鎌倉時代はもちろん、江戸時代になっても徳川幕府から大きな特権を認められ、明治維新まで連綿と「八ヶ国の大福長者」を超す「東国三十三カ国」の物資および情報を含めた流通業者兼職人および芸能の元締めを兼ねた存在として続いた。
 矢野弾左衛門と言われている家系で、江戸前島から浅草へ移り、巨大な屋敷を構える。やがて彼らは浅草弾左衛門とも呼ばれ、皮革業者や芸能民などの被差別民の総元締めみたいになっていく。
 鈴木理生〈まさお〉『江戸の川 東京の川』による。
 
●出張所(p65)
 1970年代の東京の寺院数は約3,000。
 18世紀初頭の段階ですでに約1,800。曹洞宗207、真言宗193、臨済宗154、天台宗173。これらの寺院は、僧侶を養成する場であっただけでなく、庶民にとっての学習の場でもあった。
 江戸には、諸大名、旗本、御家人それぞれが利用できる墓地や寺院が生まれていった。
 これらの寺院は、国許にある寺院の出張所のようなものだった。こうした寺院が建てられるようになったことで、江戸に1,800もの寺院が所在することになった。
 
●被差別民(p74)
 江戸時代、農本主義的な社会になってしまうと、農民を統制する諸制度が整えられていく。その過程で、雑業などに従事して、新たな制度の枠組みに収まらなかった人々が「制外民」となっていった。
 これらの人々は、中世までは商人や農民よりも身分が下ということはなかった。近世に入って身分秩序が確立していく中で、制度の枠に収まらず統制しにくいということで、排除されていったと考えられる。
 こうした動きの中で、それまで雑業や水運業を束ねてきた人々が既得権益を失うまいとした結果、制外民となった穢多・非人を統括する位置に就くことになったと考えられる。矢野弾左衛門。
 矢野弾左衛門は、江戸幕府に提出した由来書に、自らに特権が与えられた職種を挙げている。穢多・長吏支配、猿引、灯心細工、太鼓、皮細工、厩の世話、刑吏。芸人系、職人系、運送業。
 
●人口半減(p120)
 幕末、江戸の人口は約120万人。武士や奉公人50万人、町人60万人、僧侶や被差別民十数万人。
 維新後、幕府が消え、参勤交代がなくなって武士や奉公人の大半が国許へ戻った。人口は約67万人に激減。
 江戸市街地の7割を占めた武家地の大半が空き家化したので、治安が悪化し、犯罪が横行する。最大の消費者であった武士が消えたので、商人や職人の経済的なダメージも大きかった。
 
●賤民廃止令(p125)
 1871年、人民を一元的に管理するため、統一戸籍法が制定された。同時に、賤民廃止令も布告。
 江戸時代は、職能別に人民を管理する体制が前提だった。
 この時、弾左衛門は、新政府に呼び出され、皮革や灯心などの専売権を取り上げられる。皮革加工に将来性があると目を付け、米国から皮革技師を招いて先端技術を導入。
 
●バレーボール(p169)
 紡績企業では、労働争議が頻繁に起こるようになっていた。それを緩和するため、1930年代以降、紡績工場の女子行員たちのリクリエーションとして、バレーボールが重視されるようになった。
 大正中期以降、社内スポーツへの関心が高まり、繊維産業でバレーボールのチーム作りが全国的に行われる。その結果、30年代後半には、繊維産業の現場から多くの強豪チームが出てくる。全国大会で、高等女学校の強豪チームを次々に打ち負かしていく。
 1964年、東京オリンピックで大日本紡績貝塚工場の代表チームが、金メダルを獲得。
 
●占領の歴史(p186)
〔 都市の歴史は占領と征服の歴史です。民族Aが形成した都市を民族Bが征服して領土を拡大し、その都市を民族Cがさらに征服する。一般に、新たな征服者はそれまでの都市の記憶を徹底的に抹消します。たとえば、一六世紀にコルテス率いるスペイン人たちがアステカ帝国の首都を占領したとき、彼らはこの「都」を徹底的に破壊し、その瓦礫の上にキリスト教会を中心とするスペイン帝国の植民都市を建設していきました。〕
〔 他方、日本の都市では、征服された者たちの痕跡が様々な仕方で残ってもいます。なかでも東京は、一五九〇年の徳川による占領、一八六八年の薩長による占領、一九四五年の米軍による占領という三度の占領を経ながらも、その凹凸をなす地形と結びついて過去の敗者たちの記憶が地層をなし、それがこの都市の最大の魅力なってきました。〕
 
●体制の崩壊(p238)
〔 そもそもカブキ者としての原ヤクザが誕生したのも戦国から徳川にかけての最初の江戸占領期であったわけですが、都市占領は文字通りの暴力行為であり、そのような占領が生じる周辺では無数の暴力が渦巻いてきたと考えられます。それらの渦巻く暴力は、占領者の到来とともにすぐに鎮まるようなものではなかったはずです。体制の崩壊は、それまで周縁化されていた草莽たるエネルギーを解放し、その解放は、言葉による以前に草の根の暴力の形態をしばしば纏います。やがて、占領が完成期に差し掛かると、それらの暴力は鎮圧され、管理されていくことになるのです。博徒や愚連隊の盛衰は、この過程を象徴的に示しています。〕
 
(2023/6/25)NM
 
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日本史を暴く 戦国の怪物から幕末の闇まで
 [歴史・地理・民俗]

日本史を暴く-戦国の怪物から幕末の闇まで (中公新書 2729)
 
磯田道史/著
出版社名:中央公論新社(中公新書 2729)
出版年月:2022年11月
ISBNコード:978-4-12-102729-0
税込価格:924円
頁数・縦:237p・18cm
 
 戦国から幕末維新期までの日本史で、あまり公に語られてこなかった逸話、新発見の「史実」を語る。
 読売新聞連載「古今をちこち」2017年9月~2022年9月掲載分を、一部改題し、加筆修正を加えて収録。
 
【目次】
第1章 戦国の怪物たち
 大仏を焼いたのは松永久秀か
 久秀が大悪人にされた理由
  ほか
第2章 江戸の殿様・庶民・猫
 三代・徳川家光の「女装」
 甲賀忍者も勤め人
  ほか
第3章 幕末維新の光と闇
 西郷隆盛、闇も抱えた男
 幕末、公家の花見行
  ほか
第4章 疫病と災害の歴史に学ぶ
 ねやごとにも自粛要請
 感染楽観で繰り返した悲劇
  ほか
 
【著者】
磯田 道史 (イソダ ミチフミ)
 1970年、岡山県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。茨城大学准教授、静岡文化芸術大学教授などを経て、2016年、国際日本文化研究センター准教授、21年より同教授。18年、伊丹十三賞受賞。著書『武士の家計簿』(新潮新書、新潮ドキュメント賞受賞)、『天災から日本史を読みなおす』(中公新書、日本エッセイスト・クラブ賞受賞)など多数。
 
【抜書】
●名古屋山三郎(p30)
 戦国時代の日本一の美少年で、日本三大美少年の筆頭。他は、不破万作〈ふわばんさく〉、浅香庄次郎。
 歌舞伎にしばしば登場。歌舞伎踊りの創始者である出雲阿国の彼氏との伝説がある。
 豊臣秀吉が朝鮮出兵のため大阪城を留守にしている間に、側室・淀殿と密通をして、秀頼の実父になったとの噂が絶えない。
 先祖は、今の名古屋あたりの領主。元は、「名越」「那古屋」と名乗った。
 父は、秀吉の馬廻(親衛隊)。13歳の時、東山建仁寺の西来院へ稚児に出された。小田原征伐の先鋒の蒲生氏郷が深草の河原で軍勢を勢ぞろいさせたとき、僧侶とともに見物していた山三郎を見初め、小姓とした。氏郷病死後、京に戻って「氏郷の遺言にて、金銀おびただしく賜り、富貴栄耀の浪人」となって、都で千石取りの武士の暮らしをした。評判の美男子だったため、秀吉が愛した絶世の美女の側室「京極松の丸様も」山三郎に近寄ってきた。以上、「武辺雑談〈ぶへんぞうだん〉」による。
 
●松前、五島(p46)
 徳川家康は、「堅固な城を作ればよい」とは考えていなかった。「城は敵に取られるもの」と考えていたふしがある。
 遠方に堅固な城を築くと、敵に取られた時に困る。蝦夷地の松前氏と、五島列島の五島氏は、お城を持たせてもらえなかった。公式には居所が「館」のままで、異国船の脅威が深刻になる幕末期まで、本格的な築城は許されなかった。
 
●譲位(p132)
 日本の皇位継承の特徴は、譲位。世界的に珍しい。
 中国の皇帝も、琉球の王も、譲位が通常ではない。朝鮮王朝も原則は終身在位で、譲位は3割。政権が安定している場合は終身在位が多い。
 江戸期の天皇の譲位には無言のルールがあった。
 (1)十代後半の跡継ぎが得られると譲位する。
 (2)跡継ぎが十代後半に達しないと譲位しにくい。
 天皇は歌会始など歌会を催す。跡継ぎには立派に和歌が詠める年齢が求められた。近世天皇は、天皇としての務めが果たせる皇嗣を育てて譲位するのが理想とされた。
 江戸末期は皇子の死亡率が高かったので、仁孝天皇(にんこうてんのう、在位1817-46年)、孝明天皇(在位1846-67年)も譲位できず、譲位した天皇は光格天皇(在位1780-1817年)までさかのぼる。平成天皇譲位の202年前。明治・大正・昭和の天皇は終身在位制を取った。
 
(2023/6/23)NM
 
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江戸のキャリアウーマン 奥女中の仕事・出世・老後
 [歴史・地理・民俗]

江戸のキャリアウーマン: 奥女中の仕事・出世・老後 (568) (歴史文化ライブラリー 568)
 
柳谷慶子/著
出版社名:吉川弘文館(歴史文化ライブラリー 568)
出版年月:2023年3月
ISBNコード:978-4-642-05968-8
税込価格:1,980円
頁数・縦:260p・19cm
 
 江戸時代の大名家の奥女中の仕事・生活・老後などを、主に仙台藩伊達家の資料を基にひも解く。
 
【目次】
奥女中と出会う―プロローグ
伊達家歴代の「奥向奥方」
 伊達家の相続と奥女中
 初代政宗から四代綱村まで
 五代吉村から七代重村まで
 八代斉村から一三代慶邦まで
奥女中の就業規則
 職務と役割分掌
 出仕・役替・昇進・懲罰
 給与と待遇
行事と交際を支える
 行事と作法
 文通を担う
御城使―江戸城大奥へ使者となる
 御城使の任務と権威
 「大奥勤め」での登城
 非公式ルートの交渉
 御城使と男性家臣との協業
老後と名跡立て
 老いても働く
 家を興した奥女中
奥女中として生きる―エピローグ
 
【著者】
柳谷 慶子 (ヤナギヤ ケイコ)
 1955年、秋田県に生まれる。現在、東北学院大学文学部教授。主要編著書『近世の女性相続と介護』(吉川弘文館、2007年、第二二回女性史青山なを賞受賞)ほか。
 
【抜書】
●奥向奥方(p7)
  ―――――――――――――――――――
  表向|  奥向
    |――――――――――――――――
    |  | 奥方
    |表方|―――――――――――――
    |  |広敷向|長局向|御殿向
  ―――――――――――――――――――
  表御殿  |  奥御殿
  ―――――――――――――――――――
 江戸城本丸御殿では、以下のような呼び方になる。
  表向=表
  奥向表方=奥
  奥方=大奥
 
●老衰(p208)
 史料の記載から年齢を知る目安。男女共通。
 老年、老体……50代~60代
 老衰……70代
 極老(ごくろう)……80代以上
 
(2023/6/22)NM
 
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悪党たちの中華帝国
 [歴史・地理・民俗]

悪党たちの中華帝国(新潮選書)
 
岡本隆司/著
出版社名:新潮社(新潮選書)
出版年月:2022年8月
ISBNコード:978-4-10-603888-4
税込価格:1,870円
頁数・縦:351p・20cm
 
 中華帝国に燦然と輝く(?)悪党12傑を俎上に載せ、隋唐から近代までの中国の歴史を通観する。
 中国と言えば儒教に縛られた体制と考えがちだが、李卓吾は南京で『蔵書』を刊行した。孔子を儒教の集大成とみなすのではなく、改革者と捉える異端の書だというのだが、そんな書を公刊できる自由な文化・風潮が明の時代にはあった。もっともそのせいで卓吾は迫害を受けるのであるが。それにしても「李卓吾の信奉者は、実に少なくなかった」(p.273)のである。
 
【目次】
はじめに―「中華帝国」と「悪党たち」
第1章 「中華帝国」のあけぼの―大唐帝国……唐の太宗、安禄山
第2章 カオスの帝国―五代……馮道、後周の世宗(柴栄)
第3章 最強の最小帝国―宋……王安石、朱子
第4章 再生した帝国・変貌する帝国―明……永楽帝、万暦帝
第5章 挫折する近代―明……王陽明、李卓吾
第6章 甦る近代の変革―清末民国……康有為、梁啓超
おわりに―あらためて「中華帝国」と「悪党たち」
 
【著者】
岡本 隆司 (オカモト タカシ)
 1965年、京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。博士(文学)。宮崎大学助教授を経て、京都府立大学教授。専攻は東洋史・近代アジア史。著書に『近代中国と海関』(大平正芳記念賞受賞)、『属国と自主のあいだ』(サントリー学芸賞受賞)、『中国の誕生』(樫山純三賞、アジア・太平洋賞特別賞受賞)など多数。
 
(2023/6/13)NM
 
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ヒッタイトに魅せられて 考古学者に漫画家が質問!!
 [歴史・地理・民俗]

ヒッタイトに魅せられて: 考古学者に漫画家が質問!!
 
大村幸弘/著 篠原千絵/著
出版社名:山川出版社
出版年月:2022年11月
ISBNコード:978-4-634-15190-1
税込価格:1,980円
頁数・縦:285p・21cm
 
 古代オリエントに勃興したヒッタイト帝国の魅力と発掘調査の醍醐味について、考古学者と漫画家が対談形式で語る。
 
【目次】
1章 考古学青年、アナトリアの大地へ“立志編”
2章 大村博士、カマン・カレホユック遺跡を掘る“奮闘編”
3章 「文化編年の構築」と地域にやさしい考古学“開拓者編”
4章 ヒッタイト帝国の謎にせまる!“前編”
5章 ヒッタイト帝国の謎にせまる!“後編”
6章 「鉄」を生み出したのはだれ?ヒッタイトと鉄の謎にせまる
7章 ヒッタイトよりも謎に包まれた幻の王国 ミタンニにせまる!
 
【著者】
大村 幸弘 (オオムラ サチヒロ)
 岩手県生まれ。1972年以来、トルコ各地の発掘調査に参加、現在、アナトリア考古学研究所所長。著書・訳書に『鉄を生みだした帝国―ヒッタイト発掘』(講談社ノンフィクション賞受賞)、『アナトリア発掘記―カマン・カレホユック遺跡の二十年』、『ヒッタイト王国の発見』、『トロイアの真実―アナトリアの発掘現場からシュリーマンの実像を踏査する』など。
 
篠原 千絵 (シノハラ チエ)
 神奈川県生まれ。1981年に『赤い伝説』で漫画家としてデビュー。『闇のパープル・アイ』、『天は赤い河のほとり』で小学館漫画賞受賞。
 
【抜書】
●カマン・カレホユック(p66)
 アンカラの南東100kmの小都市カマンのはずれにある、人口1,000人足らずのチャウルカン村の北約1.5kmにある円形の遺丘。直径280m、高さ16m。クズルウルマック河に囲まれた、ヒッタイト古王国の範囲内にある。
 カレ=城壁、ホユック=遺丘。
 中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所にて、1985年から発掘調査を行っている。
 
●へテ人(p144)
 へてびと。ヒッタイトの人々のこと。旧約聖書に出てくる。
 
●ボアズキョイ文書(p145)
 20世紀初頭、ドイツの言語学者ヴィンクラーが、アンカラの東約150kmにあるボアズキョイという村の遺跡で発見した膨大な数の粘土板。そこがヒッタイト帝国の首都ハットゥシャ(ハットゥサ)であったことが判明。
 
●キュルテペ文書(p155)
 かつてはカッパドキア文書と呼ばれていた。
 アッシリア商人の居留区の中心であったキュルテペのカールムから出土した文書。彼らの活動、歴史を知ることができる。
 カールム……アッシリア人の商業居留地。(p150)
 
●シュッピルリウマ1世(p159)
 在位BC1380-1346年。ヒッタイトを一王国からエジプト王国と比肩する大帝国の地位にまで引き上げた。
 カルケミシュで、エジプトのアンケセナーメン妃(ツタンカーメンと死別)から、ヒッタイト王の息子を夫として迎えたいという申し出を受ける。シュッピルリウマはエジプトに息子ザナンザを送ったが、途次に暗殺されてしまう。
 
●カデシュの戦い(p166)
 ヒッタイト帝国とエジプト王国(ラムセス2世)の戦争。シリアをめぐってBC1274年頃に勃発。ラムセス2世と、ムワタリ2世の弟にあたるハットゥシリ3世との間で結ばれた和平条約(BC1259年)によって終結。
 文献に残る、世界史上最古の大国同士の戦争。
 
●パンクス、タワナンナ(p174)
 ヒッタイト帝国において、王族で構成される「元老院」。
 国家としての決断が、パンクスとタバルナ(王)、タワナンナ(王妃)の承認があって可決される仕組みとなっている。
 ヒッタイトでは、議会と王妃というポジションが、政治システムのなかにしっかり存在していた。
 
●賠償(p182)
 古代オリエント世界には、ハンムラビ法典に見られるような「目には目を、歯には歯を」という考え方が広がっている。
 しかし、ヒッタイトでは「賠償による償い」が基本。
 
●古ドイツ語(p182)
 ヒッタイト民族は印欧語族。古ドイツ語とも結びつきがある。
 
●ギリシャ、ローマ(p189)
 ヒッタイト帝国が滅亡した時期、BC12世紀頃にエーゲ海周辺に古代ギリシャの都市国家ポリスが形成され始める。ヒッタイトの文化的影響がその後のギリシャ文明に引き継がれ、ローマ、ヨーロッパへと流れていった。
 
●ホルス(p197)
 オルタキョイ遺跡(中央アナトリア北部のチョルム県)で、エジプト新王国の装身具類や、青銅製板をくり抜いてかたどったホルスが見つかっている。
 ホルス……鷹の姿をした古代エジプトの男神。原語は「遠くにあるもの」を意味し、天空神、太陽神として崇拝を集めた。その両目は太陽と耳とみなされ、「ホルスの瞳」を表した護符も用いられた。(注より)
 
【ツッコミ処】
・カデシュの戦い(p166)
 篠原〔ムルシリ二世の息子がムワタリ二世(在位前一三一五~一二八二頃)として王位を継承しますが、ムワタリ二世の時代の出来事といったら、なんといってもエジプトとの間に起こった「カデシュの戦い」でしょうか。〕
 大村〔シリアをめぐって前一二七四年頃にカデシュ(シリア)で勃発したのが「カデシュの戦い」で、文献に残るものとしては世界史上、最古の大国同士の戦争といわれています。〕
  ↓
 BC1274年は、すでにムワタリ2世の後の世になっている? 篠原さんの勘違いか。
 
(2023/5/22)NM
 
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越境と冒険の人類史 宇宙を目指すことを宿命づけられた人類の物語
 [歴史・地理・民俗]

越境と冒険の人類史: 宇宙を目指すことを宿命づけられた人類の物語
 
アンドリュー・レーダー/著 松本裕/訳
出版社名:草思社
出版年月:2022年4月
ISBNコード:978-4-7942-2578-8
税込価格:3,850円
頁数・縦:494p・20cm
 
 人類はアフリカを出て、長い旅の果てに地球上のほぼすべての土地を征服した。その続きは宇宙にへの旅である。
 
【目次】
第1部 起源
 ゆりかごを出て
 初期の放浪
 海の人々
 越境するギリシャ・ローマ
第2部 世界の再発見
 北からやってきた「蛮族」たち
 初期の遭遇
 もう一つの地中海
 中国の大航海時代
 インドへの航路
 略奪と黄金
 世界一周
第3部 近代
 貿易の帝国
 開かれる大陸
 科学のフロンティア
 氷と雪の大地
 空へ
 宇宙競争
 ロボットの目を通じて見た世界
第4部 『スタートレック』への道
 未来へ
 火星への道
 宇宙旅行者への道
 星間を旅する
 異世界の生命
 最終目的地
 
【著者】
レーダー,アンドリュー (Rader, Andrew)
 SpaceXでミッション・マネジャーを務める航空宇宙工学者。マサチューセッツ工科大学でPh.D.を取得(宇宙工学)したのち、いくつかの宇宙関連企業を経て現職。
松本 裕 (マツモト ユウ)
 翻訳家。訳書多数。
 
【抜書】
●フェニキア人(p61)
 古代のフェニキア人は、コロンブスが乗った最大の船「サンタ・マリア号」より大きな450トンに船をつくったと言われている。
 竜骨、ロープと滑車で上げる帆、防水のコーキングをほどこした甲板、船体が大きく膨らんだ多層構造の船。
 
●つるつるの顔(p79)
〔 アレクサンドロス以前の男たちは、顎鬚をたくわえているのが普通だった。だがアレクサンドロスはきれいに鬚を剃っていて、その嗜好が帝国中の男たちの間で流行し、ローマ人にまで真似されるようになる。つるつるの顔を男らしいものにしたのはアレクサンドロスだと言っても過言ではない。〕
 
●ローマ海軍(p94)
 ローマがポエニ戦争でカルタゴに勝てたのは、イタリア海岸沖で沈んだカルタゴの船を研究することで、船の構造を学んだから。
 たった9年でローマは海軍を設立し、シチリアのエクノモス岬沖で300艘からなるカルタゴの船隊を破る。
 やがてローマは地中海の海岸線すべてを支配し、海は「マーレ・ノストラム(我らの海)」とも呼ばれた。
 
●ランス・オ・メドー(p122)
 1960年代、ノルウェー人考古学者ヘルゲとアン・イングスタッドが、ニューファンドランドの北端沿いにあるランス・オ・メドーで、ノルド人居住区の遺跡を発見した。最大100人は住民がいたと思われる。AD1000年頃の遺跡。
 木枠を芝で覆った建物が数十。縦30m横15mの集会所。小さな作業場や住居が入植地を埋め尽くし、鉄の鉱滓が残る鍛冶場、鋸や木片が残る木工所、鉄鋲が残る船の修理工場もあった。
 北欧からアメリカ大陸への初期の移住の可能性。
 
●白い神の神話(p142)
 コルテスと部下たちは、自分たちがメキシコに上陸したまさにその年に再来が予言されていたケツァルコアトル神だとアステカ人に思われたと伝えている。アステカ暦1リードの日、彼らの365日暦と265暦が重なる日(52年ごとに訪れる)。
 ペルーでは、ピサロと仲間たちが同じように、インカ人によってヴィラコチャ神の再来だと思われたと報告している。
 ケツァルコアトル(アステカの神)とヴィラコチャ(インカの神)の特徴はとても似ている。
 背が高く、顎鬚を蓄え、肌は白く、眼は青く、広い海の向こうから戻ると伝えられていた。バイキングの外見的特徴に一致する。
 
●スリヴィジャヤ、マジャパヒト(p153)
 7世紀にインドネシアに興った、仏教徒を主とする帝国。この頃、スパイスに対する需要が増加した。
 ジャワ島のボロブドゥール寺院。仏教の宇宙論(宇宙の誕生、生涯、そして死)を描いた2672面の壁画レリーフが有名。
 やがてスリヴィジャヤは衰退し、マジャパヒトに取って代わられた。仏教とヒンドゥー教の帝国。東南アジア史上最大の帝国。近代インドネシアの境界線を定める役割を果たした。
 1292年、フビライ・ハーンがジャワに対して挨拶に来るようにと「招待」する使節を送った。ジャワはこれを拒絶。フビライは1,000艘からなる船団でジャワへ侵攻。マジャパヒトは当初モンゴルを手助けし、その後、ジャワの支配権を掌中に収めるためにモンゴルに急襲を仕掛けた。
 その後、アラブの商人によってもたらされたイスラム教がマジャパヒト中に広まる。15世紀(?)、シンガプーラ、マレーシア、スマトラの新たなイスラム教支配者たちがマジャパヒトの領地のほとんどを蹂躙。1世紀後には、わずかに残った土地もポルトガルとオランダに奪われた。
 
●マンサ・ムーサ(p157)
 マリ帝国の王。史上最も裕福な人物とみなされている。インフレ調整してもなお、ジェフ・ベソスの3倍の金持ちだったと推定できる。
 1325年、マンサ・ムーサがメッカに巡礼に出た際、上質な絹の衣服に身を包んだ1万2000人の奴隷に加え、彼が通る道筋の貨幣価値を以後10年にわたって下落させるのに十分なほどの黄金を積んだラクダの隊列を伴っていた。
 
●スパイス(p162)
〔 いまやどこのスーパーでも数ドルで買える日常使いのスパイスが、かつて世界経済を支配し、国の勃興に寄与していたというのは奇妙に思える。なぜスパイスはそれほど重要だったのだろう。じつは、よく言われているように腐った肉の味をごまかすためではない。
 それは主として威信の問題だったのだ。世界の忘れ去られた「端っこ」における、単調でひっそりとした中世の生活がその背景にあった。エキゾチックな食事を提供できるだけの財力を持つヨーロッパの貴族たちは、スパイスのおかげで一時的にせよ過去の栄光の記憶を呼び覚ますことができた。スパイスによって、ギリシャ人やローマ人が贅沢の極みを尽くし、アジアの帝国を蹂躙し、世界の舞台の中心に華々しく立っていた時代を思い出せるのだ。
 中世ヨーロッパの料理は、今日の水準からすると控えめに言っても奇妙奇天烈だった。レシピを見ると、手に入るスパイスはなんでも混ぜてしまっている。現代人の舌には決して合わないような組み合わせ方だ。スパイスの種類は幅広く、現代人がよく知っているものからエキゾチックな「ミイラのスパイス」(エジプトのミイラを粉に挽いたもので、治療薬としての効果があると信じられていた)まであった。塩味と甘味はメインコースとデザートに区別されることなく随時供されていた。〕
 
●ジョン・マンデヴィル(p183)
 『東方旅行記』の作者。14世紀の半ばから後半に広く出回った物語。怪物満載の世界を描いている。
 犬の頭部をもつ人間、猛烈な女戦士が支配するアマゾン、象をも獲物にする巨大な鳥、ダイヤモンドが生える畑、コショウの木が茂る森、若返りの泉、500年ごとに自らを焼き殺して生まれ変わるエジプトの鳥フェニックス。
〔 これらの物語は今では明らかにファンタジーだと思えるが、未知の世界に興味津々だった当時のヨーロッパ人には、文字どおり真実として受けとめられていた。実際、コロンブスは新世界への旅に出る際、『東方見聞録』に加えてこのマンデヴィルの本も携えて行っている。〕
 マンデヴィルは英国騎士とされていたが、おそらくは架空の人物。『東方旅行記』は、フランス人作家が又聞きと創作に基づいて書いたと考えられる。
 
●ポルトゥ・カーレ(p203)
 ポルトガルが独立したのは1139年。
 ローマ時代以来の港町ポルトゥ・カーレで野心的な君主によって独立が宣言された。この町の名前が、後に新たな国名となる。
 ポルトゥ・カーレは現在ポルトという名に変わり、甘いポートワインで知られるポルトガル第二の都市。
 
●マデイラ(p205)
 1420年、ポルトガルのエンリケ王子が、ポルトガル初の海外植民地として、ポルト・サント島とマデイラ島の所有権を主張した。ギリシャ人やローマ人には知られていたが、中世のヨーロッパ人にとっては新発見の島々。
 マデイラは大西洋の主要な中継地点となり、そしてヨーロッパ初の植民地実験の場ともなった。気候はサトウキビに適しており、1452年には農園のために捕らえられたアフリカ人が到着した。奴隷貿易幕開けの瞬間。
 のちに農園はブラジルに移され、現在、マデイラ酒の生産地となっている。
 
●パルマレス(p280)
 最大の奴隷保有国だったブラジルには、アフリカ系自由民コミュニティが数多く存在した。
 いくつかの自由共同体は、アメリカ大陸のなかでアフリカ人の王国へと成長する。
 長く続いたのはパルマレス。1694年、首都がポルトガル軍によって壊滅させられるまで、1世紀近く続いた。全盛期には1万を超える自由共同体を支えており、コンゴの貴族の血を引くズンビ王が治めていた。
 
●エンケラドス(p426)
 土星の衛星。宇宙に向かって間欠泉を噴出し、それが凍って霧状の結晶になる。NASAの「カッシーニ」はこのプリュームの中から塩を採取し、地球の海に似た、暖かな表面下の貯水池の存在を示唆した。
 太陽系で表面下に水をたたえた星が少なくとも10はあると考えられている。
 火星、エウロパ、ガニメデ、カリスト(以上、木星の衛星)、エンケラドス、タイタン、ミマス(以上、土星の衛星)、トリトン(海王星の衛星)、ケレス(準惑星)、冥王星。
 
(2023/4/16)NM
 
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