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酔っぱらいが変えた世界史 アレクサンドロス大王からエリツィンまで
 [歴史・地理・民俗]

酔っぱらいが変えた世界史:アレクサンドロス大王からエリツィンまで
 
ブノワ・フランクバルム/著 神田順子/訳 田辺希久子/訳 村上尚子/訳
出版社名:原書房
出版年月:2021年8月
ISBNコード:978-4-562-05937-9
税込価格:2,200円
頁数・縦:203p・20cm
 
 酔っ払いたちが紡ぐ世界の裏面史。
 まあ、よくぞこれだけ酒飲みのエピソードを集めたなというくらい、歴史の暗部(?)を抉り出してくれる傑作。たとえば、「一八四七年、マルクスは『哲学の貧困』を出版し、自分とエンゲルスがかつて偶像視していたフランスの社会主義者ピエール=ジョゼフ・プルードンをコテンパンにやっつけた(なお、プルードンは醸造職人の息子だった)」なんて記述も。プルードンもアルコールに関係のある人物だったのである。それにしても、プルードンが出てくるのはおそらくここ一か所だけだし、文脈的にこの情報、必要?
 
【目次】
アフリカ 1000万年前 ホモ・ノンベエラスに遺伝子変異が起きた
中近東 前8000年 「パンじゃなく、とりあえずビール」
エジプト 前2600-1300年 神泡の立つピラミッド
バビロニア(メソポタミア)前323年 アレクサンドロス大王、32歳で深酒により落命
マルセイユ 前6‐前1世紀 ワインがマルセイユに繁栄をもたらす
バルフルール灘(ドーヴァー海峡)1120年11月25日 酩酊した船長がイングランド王位継承戦争をひき起こす
シゼの森(ポワトゥー地方)1373年3月21日 美味しいソミュール産ワインが百年戦争に転機をもたらす
パリ(フランス)1393年1月28日 王弟オルレアン公、「燃える人の舞踏会」を燃やす
イスタンブール(オスマン帝国)1574年12月12日 酔漢セリム2世に浴室が死をもたらす
イングランド 1660-1685年 チャールズ2世、グラスを片手に、立憲君主制の礎を築く
ボストン(北アメリカ)1773年12月16日から17日にかけての夜 アメリカ独立戦争はラム酒のおかげ
パリ(フランス)1789年7月10-13日 フランス革命はワインによって引き起こされた
パリ(フランス)1844年8月28日 マルクス主義は、10日間続いた酒盛りの結実だった!
ワシントン、フォード劇場(アメリカ)1865年4月14日 リンカンが暗殺されるというときに、大統領のボディガードは酒場で深酒をしていた
フランクフルト(ドイツ)1871年5月9日 コニャックですっかりできあがってしまったビスマルク、フランス占領からの撤退を承諾!
旅順(満州)1905年1月5日 1万ケースのウォッカのおかげで、日本がロシアに苦杯をなめさせる
フラン北東部の塹壕 1914-1918年 フランスのワイン対ドイツのシュナップス=1:0
ソヴィエト連邦 1922-1953年 ウォッカはスターリン外交のバロメーター
テキサス州フォートワース 1963年11月22日 午前3時、JFK警護官が二日酔い
ワシントンDC(アメリカ)1973年10月24日-25日夜 核危機渦中で泥酔するニクソン
モズドク(ロシア)1994年12月31日 グロズヌイ攻撃は、ウォッカで大晦日を祝う宴席で決定された
 
【著者】
フランクバルム,ブノワ (Franquebalme, benoit)
 ジャーナリスト。1997年に「ラ・プロヴァンス」紙でデビュー。2000年、パリ実践ジャーナリズム学院で学位を取得。2004年からはさまざまな雑誌を活躍の舞台としている。
 
神田 順子 (カンダ ジュンコ)
 フランス語通訳・翻訳家。上智大学外国語学部フランス語学科卒業。
 
田辺 希久子 (タナベ キクコ)
青山学院大学大学院国際政治経済研究科修了。翻訳家。
 
村上 尚子 (ムラカミ ナオコ)
フランス語翻訳家、司書。東京大学教養学部教養学科フランス分科卒。
 
【抜書】
●酔っぱらいのサル仮説(p2)
 2004年、生理学・バイオメカニクスを専門とする、カリフォルニア大学バークレー校のロバート・ダドリー博士が提唱、2014年に出版。
 パナマの森林地帯で研究を行っていた時、サルが微量のアルコールを含む熟した果実を食べているのを目撃し、思いつく。〔進化とは、長い歳月にわたる二日酔いのようなものではないか、という考えだ。〕
 私たちの祖先は、熟した果実に自然に含まれるエタノールのにおいと味を関連付けることを学習し、進化上の優位性を得た。一般的に植物の組織にはグルコース、フルクトース、サッカロースなど、発酵によってエタノールを生み出す糖分がたっぷり含まれている。
 果実に含まれるエタノールは重要なカロリー源で、しかも強い腐敗臭があるから霊長類にとって探し出しやすい。こうした魅力から、人間jはアルコールに惹かれ、乱用してしまうのだろう。
 
●ミツバチ(p5)
〔 ミツバチがいなければ、ヒトの先祖は果実以外のものから、エタノールを定期的に摂取することはできなかっただろう。養蜂の世界的権威である故ロジャー・モースは、愛しのミツバチが世界初の酒をもたらしたことを立証した。木の幹にあいた穴に蜂蜜と蜜蝋がたまり、そこに雨水が流れこんで、人類初の醸造所が生まれた。七〇パーセントの水で希釈された蜂蜜は、酵母によって発酵を開始。おいしい蜂蜜酒ができあがった。そして類人猿が魅力的な香りに誘われてこの酒を味見して仲間にも知らせ、やがて初期の酒へと発展していったのだ。〕
 
●5リットルのビール(p15)
 クフ王のピラミッドは、BC2600-2550年のあいだ、20年をかけて建設された。
 1日1万人が動員され、毎日5リットルのビールが支給された。ビールが賃金代わりだった。
 5リットル×1万人×365日×20年=3億6500万リットルのビールが、この工事だけで消費された。
 
●入市関税徴収所(p94)
 1789年のフランス革命にとって真に重要だったのは、バスティーユ要塞の襲撃ではなく、入市関税徴収所。専制政治の真の象徴は、「フェルミエ・ジェネローの城壁」の各所に設けられた入市関税徴収所や税関事務所だった。
 7月12日と13日、パリを取り巻く55の入市関税徴収所のうち40が放火された。ワイン商人とブドウ栽培者が放火犯たちに合流し、「3スーのワイン万歳! 12スーのワインを打倒せよ!」という合言葉が決まった。入市税関の官吏たちが個人として所有していた何百本ものワインが強奪された。
 フェルミエ・ジェネローの城壁……王権は、1784年、徴税請負人たち(フェルミエ・ジェネロー)の発案に応じ、パリ市内に運ばれる物品(ワインも含む)に課せられる関税を徴収するために、パリの周囲に城壁を築くことを決めた。1785年、55の関税徴収所をつなぐ24kmの城壁が建設された。この際に当局が重視したのは、パリ市北部の辺縁に存在していた酒場(ガンゲット)を城域内に取り込むことだった。ワインの入市と消費を監督下に置くこと。
 1351年、パリの商人頭(市長に相当)は、「ヴァンドゥール・ド・ヴァン」と呼ばれる官吏組織を作り、ワイン流通を規制監督するようになった。昔から、パリに流入するワインには重税が課されていた。
 
●平等主義(p101)
 1791年1月20日、憲法制定国民議会は、パリを含むすべての都市の入り口で徴収される入市関税が5月1日をもって廃止される、と宣言した。パリ市民がラ・シャペル入市関税徴収所で新たに騒動を起こし、死者が出たことを受けての決定だった。
 2月19日、ワインは「平等主義、共和主義、愛国主義を体現する飲料」である、と宣言された。
 しかし、革命暦7年葡萄月27日(1798年10月18日)の法律によって、パリの入市税関は復活した。名称は、「慈善のための入市税関」だった。
 
●集団アルコール中毒(p152)
 ブルゴーニュ大学の研究者クリストフ・リュカン著『ポワリュたちのワイン』(Le pinard des poilus、2015年)。
 「攻撃性の維持と上官への服従を可能としたのは、敗北をおそれる政界と軍上層部があえてひき起こした集団アルコール依存症である。それ以外のなにものでもない」。
 ポワリュ……第一次世界大戦の兵士たちの呼び名。
 身がすくむ恐怖に立ち向かい、ひどい状況でも持ちこたえることを可能にしたのは「ワインという神様」だった。
 塹壕を飛び出して突撃する直前、ポワリュたちはワインを与えられた。当時、ワインは殺菌作用がある健全な飲み物と考えられていた。塹壕では、汚染された水の代わりにワインが飲まれていたのだ。
 
●ウォッカ(p174)
 ロシアの古い格言。「ウォッカを飲めるのは二つの場合だけ、食べているときと、食べていないとき」
 
(2021/12/7)NM
 
〈この本の詳細〉


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