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再読だけが創造的な読書術である
 [ 読書・出版・書店]

再読だけが創造的な読書術である
 
永田希/著
出版社名:筑摩書房
出版年月:2023年3月
ISBNコード:978-4-480-81682-5
税込価格:1,980円
頁数・縦:222p・19cm
 
 再読に関しては、うすうすその価値に気づいていたが、本書は改めてその効用を理論構築してくれる。
 
【目次】
第1章 再読で「自分の時間」を生きる
 「自分の時間」が買いたたかれている
 あなたにとって「良い本との出会い」とは何か
  ほか
第2章 本を読むことは困難である
 読書スランプに陥るとき
 読書のためらい
  ほか
第3章 ネットワークとテラフォーミング
 バーンアウトする現代人
 ネットワークとしての人間・言葉・書物
  ほか
第4章 再読だけが創造的な読書術である
 読書の創造性と不可能性
 古典を再読する
  ほか
第5章 創造的になることは孤独になることである
 「読むこと」と「読み直すこと」には違いがない
 魔法としての文学
  ほか
 
【著者】
永田 希 (ナガタ ノゾミ)
 著述家、書評家。1979年、アメリカ合衆国コネチカット州生まれ。書評サイト「Book News」主宰。
 
【抜書】
●他人の頭で考える(p22)
 ショウペンハウアー『読書について』。
 読書とは、「他人が書いたものを読むことで、自分の頭で考える代わりに他人の頭で考えること」だと説いた。
 
●誤読、読み捨て(p32)
〔 読んでいる最中の本に何が書かれているのかわからないとき、ふとそこで立ち止まってよくよく吟味するのも大事なのですが、わからない部分を読み飛ばし、誤読したままでも仕方がないと割り切ることも重要です。何かの機会にまたその本を手にとるとき、その誤読を本の側が気づかせてくれるかもしれません。読者がその内容を忘れてしまっても消え去りはしないという書物の特性(物質性)が、読者に誤読や読み飛ばしを許しているからです。その寛容さに甘えて初めて、一冊一冊を少なくとも部分的には誤読しながら、内容を忘れながら、多読することが可能となるのです。
 一冊一冊を大切に読まない態度は「読み捨て」と呼べるでしょう。しかし「読み捨て」が必ずしも悪である、というわけではありません。先述のとおり、良い本に出会うためには「読み捨て」を大量におこなうのが効率的です。ただひたすら「読み捨て」を続けていくのも悪くはないかもしれません。
 読み捨てられた側の本は、こう書くとどこか残酷に思われてしまうかもしれませんが、再び読まれることをじっと、何も言わずに待ち続けているのです。たくさんの他の本を読んでからまたその本に戻ってきた読者を、その本は、そこに書かれている以上のことは何も言わず、再び迎えてくれます。そのとき、うまくすれば読者は自分が忘れていた内容に再び出会い、誤読や勘違いをただされ、そして新しい読書をすることができます。こうして読書は深められていくのです。〕
 
●読書スランプ(p45)
 読書とは、いったん抽象化されてつくられた「言葉」を現実の体験のように解きほぐしていく行為。
 読書スランプとは、「言葉の解きほぐし」という行為がやすやすとこなせないとき。
 〔目を落とした紙の上に、または電子デバイスの上に表示されているものが見えているのに頭に入ってこない状態。目に見えているのであれば、その視覚情報は視覚神経を通して脳に届いてはいるので、文字通りには「頭に入っている」のに、その文字や言葉をかみ砕くことができない状態。〕
 
●読書好き(p72)
〔 ここに書いてあることがわかるのは自分だけだという実感はとても気持ちのいいものですが、客観的には単に「そうではない」ことが多いので程々にしておくのがいいでしょう。仮に本当に自分しか「わかる」ひとがいなかったとしても、それを証明するのはかなり難しいことになります。
 それはさておき、読者に「自分しかわからない」と思わせるような絶妙な理解困難さというものがあるのです。困難には、パズルのように知的に作り出すことができるものだったり、ウェブサイトのリンクや辞書の項目の参照先のように枝分かれが多すぎて追いきれなかったり、プラトンにとっての「魂」のように信じるか信じないかの問題になったりといったいくつかの種類があります。
 こうした複雑な困難を楽しめるようになったら、立派な面倒臭い読書好きの出来上がりです。もちろん読書好きが全員この種の厄介なタイプではないのでご安心ください。繰り返しますが、わからない記述に出会ったときに、その本を閉じて放り出すのは誰にでも許された自由なのですから。〕
 
●急がば回れ(p128)
 新しいジャンルに挑戦するときこそ、これまで読んだ本を再読する。「急がば回れ」を採用し、迷宮の輪郭を眺めてみる。
 これまで読んできたものの中でそれらしきことが書かれていたものが何だったのかを棚卸する。
 
●ルネッサンス(p142)
 〔東方と南方からイスラム勢力の圧迫を受けつつ、自分たちヨーロッパ(キリスト教)の勢力は足並みが揃わず互いに争っているという情勢下で、キリスト教よりも古く、かつ東方に拮抗していた時代の哲学を「再読」しようとしたのがルネッサンスだったのです。〕
 ルネッサンス期のイタリアは、半島を統一する国家が存在しなかった。さながら戦国時代。カトリック教会の中心バチカンがあったにもかかわらず。
 
●古典とベストセラー(p158)
 古典の再読は、「知っている言葉」の棚卸と再構成。
 ベストセラーから始まる再読は、「読んだことのある本」のネットワークをその都度ごとに再構築すること。
 
(2023/5/29)NM
 
〈この本の詳細〉


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