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最初の神アメノミナカヌシ 海人族・天武の北極星信仰とは
 [歴史・地理・民俗]

最初の神アメノミナカヌシ: 海人族・天武の北極星信仰とは
 
戸矢学/著
出版社名:河出書房新社
出版年月:2023年8月
ISBNコード:978-4-309-22892-1
税込価格:2,145円
頁数・縦:219p・20cm
 
 『古事記』では最初に登場する神であるのに、『日本書紀』には言及がないアメノミナカヌシ(実は一書第四に天御中主尊として出てくる)。その理由を、天武天皇の思想と事績とともに解き明かす。
 アメノミナカヌシノカミ(天之御中主神)とは、北極星であり、海人族の神であった。海人族の凡海〈おおあま〉氏に養育され、道教と陰陽道に精通した天武天皇(大海人〈おおしあま〉皇子)が、日本神話(古事記)に差し込んだ神なのである、という。
 
【目次】
第1章 北極星信仰の実相…海に生きる者に唯一の指針(北極星(北辰)の顕現
 神名の原理
 本居宣長の神名解釈
 ヤマト言葉の由来
 アメノミナカヌシを祭神とする神社
 北極星と道教
 伊勢に定着した「太一」
 北極星は海洋民族の指針
 星宮・星神社の系統
 北辰信仰
 記・紀に見える「星」
 宮中祭祀と北辰・北斗
 北極星と四方拝
 四神相応が解き明かす「北に君臨する神」
第2章 北極星が統合した呪術と科学…天武帝が企図した陰陽道国家(始めて占星台を興つ
 天武帝が目指したもの
 諱と海部
 飛鳥を拓いた渡米氏族・東漢氏
 乙巳の変と東漢氏
 神格化された天皇
 天文遁甲
 陰陽寮と陰陽道
 「八色の姓」が明示する古代日本の支配層
 皇別の実態
 「神別」の底力と「諸蕃」の実態
 陸の民の指針になった北極星
第3章 北極星の天下取り…坂東武者は関東平野を馬で泳ぐ(東照宮と陰陽道
 螺旋の呪術
 江戸の四神相応
 よみがえる「海人族の科学」
 二社一寺による江戸の守護
 坂東武者たちの北極星
 神道の起源
 幻の大和心
 復古神道の真相
 新たな蠢動
 「尾張神宮法案」廃案の真相
 尾張氏はなぜ〈剣〉を返納しなかったか
 「宇斯波久」が真相を解き明かす
 「うしはく」と「しらす」
 諡号に隠された真相
 真の「復古」とは
 
【著者】
戸矢 学 (トヤ マナブ)
 1953年、埼玉県生まれ。神道・陰陽道・古代史研究家、作家。國學院大学文学部神道学科卒。
 
【抜書】
●天武天皇の九大功績(p81)
 (1)「天皇」という尊号の創唱……道教の「天皇大帝〈てんおうだいてい〉」(北極星を意味する天の支配者)から天皇を採り、その論拠用法を記紀によって展開。
 (2)『古事記』と『日本書紀』の編纂を勅命。
 (3)三種の神器の制定……鏡は太陽(収穫)、勾玉は月(祭祀)、剣は武力(軍事)を象徴。
 (4)践祚大嘗祭を始めとする宮中祭祀の制定。
 (5)伊勢神宮を頂点とする国家神道の確立。
 (6)陰陽寮および占星台を設置。
 (7)宮都の選定および建設。
 (8)八色の姓の制定……真人(道教で、天の神の命を受けた地上の支配者。皇族のみ)、朝臣、宿禰(武人、少将。<おおね:大将)、忌寸、道師(技術者・技能者)、臣、連、稲置(地方官)。(p125)
 (9)飛鳥浄御原律令の制定。
 
●式年遷宮(p87)
〔 ここに天武天皇の計画の一つが「式年遷宮」という形で結実することになる。二十年に一度必ず実施するためには、少なくともそれ以前の数年間は準備に取り組まなければならない。そして二十年という年月は、おおよそ一世代に当たる。これを国家儀礼として定め置くことによって、日々継続的に神道教化活動をおこなわせることとなり、遷宮の際にはあらためて神道を国家国民の信仰として印象づけることができることになる。それが天武天皇の政策であろう。
 そしてこの時に、アマテラス神は日神(太陽神)になったのだと、私は推測している。それまでアマテラス神はヤマトの人々に信仰も崇拝もされてはおらず、氏神とする氏族も存在しない。しかし稲作を国家施策とする日本にとって、太陽崇拝こそは最もわかりやすい信仰対象である。天武天皇は、アメノミナカヌシ神(北極星崇拝)に続いて、アマテラス神(太陽崇拝)をここに打ち立てたのだ。
 勅命によって始まったこのシステムは、まことに示唆に富んでいる。天武天皇によって開始された「再生〈リフレッシュ〉による永続」は、その後の日本文化の根元の思想になった。〕
 
●淡海三船(p99)
 722-785年。
 天智天皇の直系、大友皇子の曽孫。現存最古の漢詩集『懐風藻』の選者。大学頭であり、文章博士であって、当時最高の知識人だった。
 神武天皇から元正天皇までの全天皇の漢風諡号は、淡海三船が一括撰進した。ただし、弘文と文武を除く。
 
●岩船(p113)
 『大和名所図会』に載る「益田岩船」が、天武天皇の設置した占星台(わが国最初の天文台)?
 岩船は高台にあり、飛鳥を見渡すことができる。
 この地域は東漢〈やまとのあや〉氏一族の拠点。天文を観測できる技術を有する人材は、東漢氏をおいて他にいなかった。
 
●諸蕃(p121)
 しょばん。
 『新撰姓氏録〈しんせんしょうじろく〉』、弘仁6年(815年)編纂。京を含む畿内全域に居住する有力氏族1182氏が列挙されている。
 (1)皇別……神武天皇以後、天皇家から派生した氏族。
 (2)神別……神武天皇以前の神代に生じた氏族。① 天神(ニニギが天孫降臨した際に付き従った神々の子孫)、②天孫(ニニギから三代の間に分かれた子孫)、③地祇(天孫降臨以前から土着していた神々の子孫)。
 (3)諸蕃……渡来人系の氏族。渡来して間もない人々。
  海人族〈あまぞく〉は、本来であれば諸蕃に当たるはずだが、古くに渡来して定住しており、日本各地で首長的氏族となって国造となり、地祇を奉斎することによって神別に組み込まれた。尾張氏、海部〈あまべ〉氏、紀氏、熊野氏、宇佐氏、など。彼らの一部は、渡来氏族であるにもかかわらず、信仰する氏神ともども「ヤマトの神々の子孫」として公式に列せられた。
 
●伏見稲荷大社(p137)
 通称「おいなりさん」。京都府京都市伏見区深草藪之内。
 祭神:宇迦之御霊〈うかのみたま〉大神。
 配祀:佐田彦大神、大宮能賣大神、田中大神、四大神。
 全国最多、4,000社ある神社「稲荷神社」の総本社。
 稲荷は、もともと「稲なり」で、農耕豊作の神。祭神の宇迦之御霊大神は、穀物とりわけ稲の神霊を意味するもので、典型的な弥生神。
 しかし、農耕には無縁の秦氏が信仰するようになって、また、都という土地柄もあって商業神に変貌した。
 
●文氏(p139)
 文〈ふみ〉氏(宿禰、忌寸など)は、最も古い漢系の帰化氏族。後漢霊帝の子孫を称する。秦始皇帝の裔と称する秦氏と並び称される。
 応神天皇時代に渡来し、朝廷に文筆で仕えた。
 阿知使主〈あちのおみ〉は、東漢氏の祖に。王仁〈わに〉は、西漢氏〈かわちのあやうじ〉の祖となった。
 
●日本神話のスタンダード(p146)
〔 日本人の神話観の歴史は、平安時代初頭から第一に『日本書紀』によって形成され、次いで『旧事紀(先代旧事本紀)』に影響されている。『古事記』が日本神話のスタンダードとされるようになるのは、この二書から大きく遅れて江戸時代も後半に入ってからのことで、もっぱら本居宣長の評価によるところが大きい。
 明治に入って『古事記』第一になるのも、国学者たちによる復古神道が維新の原動力の一つになったからで、いまでこそ『古事記』神話がスタンダードであるかのようになっているが、朝廷が『古事記』を秘匿したのは当然ながら理由あってのことだろう。しかしその理由が何なのかは今もって定説はない。〕
 
●縄文(p172)
〔 しかし実は、そのような万華鏡のような「神道」にも、不変の一貫する本質があって、「神道」を論ずるのであれば、そこにこそ焦点をあてなければならないだろう。それは、何かといえば、「縄文人の信仰(縄文時代の神信仰)」である。これこそが「随神道〈かんながらのみち〉」であって、古代より現代に至るまでのすべての時代の神道にも引き継がれている本質であり原形である。これに比べれば、社殿建築や儀礼祭祀などは二義的な要素にすぎない。そして、「かんながら」とは和訓であり、ヤマト言葉である。これに対して「しんとう」は漢語であり、漢音である。〕
 
●アメノミナカヌシ(p211)
〔 天皇なるものはすべて死すればアメノミナカヌシ神に統合される、というのが天武天皇が到達した思想である。したがって、地上に存する神社でアメノミナカヌシ神を祭神として祀るのは不敬であって、『延喜式』の「神名帳」にアメノミナカヌシ神を祀る神社がまったく見当たらないのは当然であろう。アメノミナカヌシ神の依り代(神体)は天に輝く北極星そのものであって、他にはありえない。だから、それを祭神とする神社が地上に存在することなどありえないのだ。
 ところが第一章で見たように、星神社を始めとする多くの神社に祀られている。その理由は、少なからぬ星神社がすでにあって、江戸時代になってからその祭神をアメノミナカヌシ神に変更したか、または追加合祀したものであるだろう。その罪深い所業をおこなわせた者は徳川家康と天海であろう。家康・天海は、アメノミナカヌシ神を我が物にしようとして失敗した。東照宮が維新によって激減したのはその証である。〕
 
(2024/1/12)NM
 
〈この本の詳細〉


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