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光明皇后 平城京にかけた夢と祈り
 [歴史・地理・民俗]

光明皇后 - 平城京にかけた夢と祈り (中公新書)
 
瀧浪貞子/著
出版社名:中央公論新社(中公新書 2457)
出版年月:2017年10月
ISBNコード:978-4-12-102457-2
税込価格:968円
頁数・縦:282p・18cm
 
 聖武天皇との関わりを中心に、光明皇后(光明子)の生涯をたどる。
 
【目次】
第1章 父不比等と母三千代
第2章 父、逝く
第3章 皇太子の早世
第4章 母の死
第5章 四兄弟の急死
第6章 夫との別れ
第7章 娘への遺言
 
【著者】
瀧浪 貞子 (タキナミ サダコ)
 1947年、大阪府生まれ。1973年、京都女子大学大学院文学研究科修士課程修了。京都女子大学文学部講師等を経て、1994年、同大学文学部教授。現在、京都女子大学名誉教授。文学博士(筑波大学)。専攻は日本古代史(飛鳥・奈良・平安時代)。
 
【抜書】
●変成男子(p110)
 へんじょうなんし。男子に生まれ変わり、仏になること。
 仏教では女性は成仏できないとされているが、『法華経』では、変成男子を説いたので、女性の信仰を集めた。
 『金光明最勝王経』でも同様の教えが説かれ、後宮の女性から注目された経典である。
 
●大養徳国(p131)
 天平9年(737年)12月27日、聖武天皇は「大倭国〈やまとのくに〉」の表記を改め、「大養徳国」とした。「大いに(天子としての)徳を養う」の意味。
 同年暮、猖獗を極めた天然痘がようやく沈静化したのを機に、国名表記を改めた。
 
●知識(結)(p153)
 知(智)識とは、仏の功徳にあずかるために浄財を喜捨すること。あるいは、喜捨した人を言う。
 河内国に知識寺があり、本尊は廬舎那仏。聖武天皇は、天平12年(740年)、光明子とともに礼拝した。この時の経験により、紫香楽での大仏造立には知識結を求めた。
 
●善信尼(p159)
 日本で最初に出家したのは善信尼という女性(尼)だった。6世紀後半。司馬達等〈しばたっと〉の娘の島、当時11歳。
 島が選ばれたのは、日本では神社に仕える巫女は純粋無垢な童女とされていたから。司馬達等(中国南梁の人)が故国から持参した仏像を人々は「大唐神〈おおからがみ〉」と称し、仏像は異国の「神」と認識されていた。そのため、出家第一号は僧ではなく、尼が選ばれた。
 そうした経緯があったので、国分寺とは別に国分尼寺が設けられた。
 
●尊号聖武(p197)
 「聖武」は諡ではない。生前出家して仏に帰依しているので、「更に諡を奉らず」と孝謙天皇が勅の中で述べている。
 諡(漢風諡号、和風諡号)のない天皇は、聖武が初めて。「三宝の奴」と称した聖武の強い遺志であった。
 天平宝字2年(758年)8月、孝謙天皇が仲麻呂に勧められて、聖武の偉業と徳を称え、「勝宝感神聖武皇帝」という尊号を追贈する。このうちの2字を取って「聖武」と呼ばれるようになった。
「勝宝感神」は天(神)をして黄金を出土せしめるに至った聖武の信仰心、「聖武」はいかなる賊臣をも屈服させる神聖な徳と武威、に由来する。
 
●改元(p247)
 淳仁天皇の即位には、不自然なことが多い。その一つが、即位後の代始め改元が行われていないこと。孝謙天皇時代の「天平宝字」をそのまま継承している。しかも、在位6年の間、一度も改元されていない。
〔 孝謙天皇が意図的に改元を拒んだ結果としか考えられない。納得したうえでの譲位でなかったことを示している。〕
 
(2024/1/18)NM
 
〈この本の詳細〉


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