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競輪という世界
 [スポーツ]

競輪という世界 (文春新書)
 
轡田隆史/著 堤哲/著 藤原勇彦/著 小堀隆司/著
出版社名:文藝春秋(文春新書 1289)
出版年月:2020年11月
ISBNコード:978-4-16-661289-5
税込価格:990円
頁数・縦:255p・18cm
 
 競輪の仕組みと沿革、そして魅力を、競輪愛に満ち溢れた4人の著者が綴る。『ぺだる』創刊号から29号最終号まで、7年半連載された「競輪事始」を元に、大幅に加筆して成立したのが本書のようだ。「おわりに」には、エッセイ「競輪文学散歩」は轡田が執筆、1・2章が小堀、3・4章は小堀と堤、5・6章は堤、7章は小堀と堤、8章は藤原が担当、とある。
 「けいりん」、そもそもは「きょうりん」と発音されていたらしい。国際競技の種目名は、「Keirin」。
 
【目次】
第1章 競輪とはなにか
第2章 競輪選手という仕事
第3章 スーパースター&レジェンド列伝
第4章 ケイリン、世界に羽ばたく
第5章 競輪ことはじめ
第6章 地方と競輪
第7章 変わりゆく競輪
第8章 競輪と補助事業
 
【著者】
轡田 隆史 (クツワダ タカフミ)
 ジャーナリスト。1936年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。朝日新聞社で、社会部デスク、編集委員、論説委員などを歴任、夕刊コラム「素粒子」を担当した。著書多数。
 
堤 哲 (ツツミ サトシ)
 ジャーナリスト。1941年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。元毎日新聞編集委員。JKA広報誌『ぺだる』に「競輪事始」を連載。
 
藤原 勇彦 (フジワラ イサヒコ)  
 ジャーナリスト。元朝日新聞記者。朝日マリオン21取締役編集長、森林文化協会常務理事などを歴任。JKA広報誌『ぺだる』で補助事業の現場レポートを執筆。
 
小堀 隆司 (コホリ タカシ)  
 ノンフィクション・ライター。1971年生まれ。平成15年度Numberスポーツノンフィクション新人賞受賞。陸上や体操などを中心に取材・執筆。
 
【抜書】
●競輪選手(p14)
 日本にいる競輪選手は2,325人(うち136人が「ガールズケーリン」選手)。2019年12月現在。
 男子は、S級S班、S級1班、S級2班、A級1班、A級2班、A級3班の6クラスに分かれる。ポイント制で、S級S班は9名のみ。
 女子は、L級1班のみ。
 
●レースのグレード(p25)
 KEIRINグランプリ(GP)……賞金1億円、毎年12月30日に実施。出場者9人は、GⅠの優勝者と、年間獲得額上位者のみ。
 GⅠ……「特別競輪」。GⅡよりさらに格式が高い。日本選手権競輪(通称・ダービー)、オールスター競輪、朝日新聞社杯 競輪祭、高松宮記念杯競輪、寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメント、読売新聞社杯 全日本選抜競輪、の6つ。
 GⅡ……「特別競輪」。S級選手の中で、賞金獲得額や成績など一定の基準を満たした選手のみが出場する。
 GⅢ……S級の選手のみ。
 FⅠ……S級戦が5レース、A級戦が6レース。様々な選手が見れらる。
 FⅡ……A級の選手だけが出場。若手の登竜門。
 
●サッカーの試合(p33、轡田)
 轡田は、埼玉県立浦和高校サッカー部で、2回、全国優勝を体験。
 1950年代、高校サッカー全国大会の埼玉県の県予選決勝は大宮競輪場の芝生で行われた。
 早慶定期戦は、後楽園競輪場の芝生で行われた。
 
●オリンピック(p88)
 近代オリンピックの第1回大会である1896年のアテネ大会から、現在まで途切れずに続いている競技は、自転車、陸上、競泳、体操、フェンシングの5競技。
 アテネ五輪の4年後の1900年に、国際自転車競技連合(UCI)が結成された。設立総会に参加したのは、フランス、アメリカ、ベルギー、イタリア、スイスの5か国。本部はパリに置かれ、公用語はフランス語。フランス語を話せないと審判になれなかった。
 
●競輪とケイリン(p91)
 1980年、「競輪」が「男子プロ・ケイリン」として世界選手権の正式種目に加えられる。93年以降は、プロ・アマオープンになる。
 2000年のシドニー五輪から、「KEIRIN」として正式種目に採用される。
 競輪……バンクがコンクリートで、1周が333.3mから500m。自転車には、鋼製のフレーム(クロムモリブデン鋼)を使用。
 ケイリン……バンクは木製で、250m。自転車のフレームは軽いカーボン。ギアの重さも制限がない。個人戦のため、ラインがなく、牽制のための横の動きがない。
 
●加藤一(p94)
 1925-2000年。東京・神田小川町生まれ。元競輪選手で画家。競輪の国際化に貢献。著書に『風に描く――自転車と絵画』(文藝春秋)。
 同級生の母親で、滋野清武男爵夫人ジャンヌから、絵と自転車の魅力を教えてもらう。
 中学時代には、毎日のように本郷本富士町の土屋製作所(初期の競輪優勝選手の多くが乗っていたエベレスト号を製作)に遊びに行った。
 法政大学予科に入学、自転車部に所属。
 学徒出陣後、法政に復学するも、東京美術学校図案科を受験して合格。しかし、学士が続かず、法大自転車部に逆戻り。
 戦後、国体で活躍。1952年ヘルシンキ五輪の代表に内定していたが、空襲で焼け残った神田小川町の自宅に課された30万円の税金を払うため、1950年2月、川崎競輪でプロに転向する。
 1951年日本プロフェッショナル・サイクリスト連合(JPCU。一般社団法人日本競輪選手会の前身)を結成。タブロイド紙『プロサイクリスト』を創刊して編集長に。
 1957年、日仏交歓プロ自転車競技大会に際して、日本自転車競技連盟(FJC)をUCIに加盟させる。
 1958年、パリで行われた世界選手権の日本チームの監督として渡仏、そのままパリに残って本格的に絵画の修業を始める。フランス画壇では、エコール・ド・パリの抽象画家として知られるようになる。
 
●75%(p119)
 競輪は、地方自治体が主催し、収益の75%を払戻金に、残りはいったん自治体の管理下に入る。
 競輪に出場する選手の登録や斡旋、売り上げの一部を拠出する補助事業などを行う団体として、自転車振興会連合会(のちの日本自転車振興会、現JKA)が、1948年に設立された。
 競輪とオートレースの監督官庁は経済産業省。競馬は農林水産省、ボートレースは国土交通省。
 
●ジャン(p144)
 先頭の選手が、バック・ストレッチ・ライン(ゴールから半周の線)を残り1周半で通過するときに打ち始める打ち鐘。
 半鐘型(通称・梵鐘)、洋鈴型、銅鑼の3種類がある。
 
●下重暁子(p204)
 しもじゅう あきこ、1936-、作家、元NHKアナウンサー。
 2005年、日本自転車振興会(現・JKA)の第12代会長に就任。初めて訪れたいわき平競輪場での光景を描いたエッセイが縁で、同振興会の運営委員を務めていた。
 女子競輪(ガールズケイリン)の復活に貢献。橋本聖子参議院議員との会話がきっかけだった。
 広報誌『ぺだる』を創刊。(p254)
 
●約2兆円(p239)
 競輪事業の売り上げは、1991年度の約1兆9550億円がピーク。
 2013年度には6063億円にまで下がり、その後、やや持ち直し、2019年度は約6605億円となっている。
 
【ツッコミ処】
・公益財団法人JKA(p30)
 随所でJKAという「略称」が出てくる。競輪に関する団体であることは推測がついたが、ずっと、なんだろうと疑問に思っていた。改めて調べたら、どうやら初出は30ページ、〔車券はインターネットでも購入が可能なので、興味があれば公益財団法人JKAの公式サイト(KEIRIN.JP)を覗いてみてほしい。〕とある。
 で、KEIRIN.JPではなく、「公益財団法人JKA」のほうを検索してみた。
 なんと、「JKA」とは略称ではなく、これで正式名称らしい! 「Japan Keirin Autorace foundation」が英語名称あるいはJKAのもとの意味らしいのだが……。競輪だけでなく、オートレースにも関わっているようだ。
 主な業務内容は、「競輪とオートレースの選手・審判員や、自転車・小型自動車の登録、競輪とオートレースの実施方法の制定、選手の出場あっせん、養成・訓練を行うほか、自転車・小型自動車等機械工業の振興、体育事業その他の公益の増進を目的とする事業に対する補助等を行っています」とあって、設立は平成19年8月23日(https://www.keirin-autorace.or.jp/about/profile.html )。
 ちなみに、JKAの説明は、本書の最後の最後にあった。〔1957年の自転車競技法改正で、日本自転車振興会(後のJKA)が成立し、補助事業を直接主管するようになった〕(p.243)とある。JKAの活動を詳しく説明している。
 ところでもう一つ疑問に思ったこと。それは、「佐藤慎太郎(福島)」(p.15)のように、随所で選手名の後ろに括弧入りで県名が記されいることだ。選手の出身地か? あるいは、競輪の主催は地方自治体なので、選手もどこぞかの主催自治体に所属している、ということなのだろうか?
 こちらの疑問の答えは、まだ明らかになっていない。
 
(2021/1/29)KG
 
〈この本の詳細〉


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