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暗殺の幕末維新史 桜田門外の変から大久保利通暗殺まで
 [歴史・地理・民俗]

暗殺の幕末維新史-桜田門外の変から大久保利通暗殺まで (中公新書)
 
一坂太郎/著
出版社名:中央公論新社(中公新書 2617)
出版年月:2020年11月
ISBNコード:978-4-12-102617-0
税込価格:902円
頁数・縦:238p・18cm
 
 幕末から維新にかけて頻発した「暗殺」を縦糸に、幕末維新史を綴る。
 
【目次】
序章 繰り返されてきた暗殺
第1章 「夷狄」を排除する
第2章 「人斬り」往来
第3章 「言路洞開」を求めて
第4章 天皇権威の争奪戦
第5章 維新に乗り遅れた者たち
第6章 “正しい”暗殺、“正しくない”暗殺
終章 それでも続く暗殺
 
【著者】
一坂 太郎 (イチサカ タロウ)
 1966年兵庫県芦屋市生まれ。大正大学文学部史学科卒業。現在、萩博物館特別学芸員、防府天満宮歴史館顧問。春風文庫主宰。
 
【抜書】
●宗教戦争(p12)
 幕末の「復古」派は、日本は神の国であり、神の子孫である天皇は世界に君臨するといった神国思想を根拠に、統一国家をつくろとした。
〔 神国思想はフィクションであり、一種の宗教であり、現実的とはいい難い。それでも狂信的な信奉者たちは自分たちが信じる唯一の『正義』を理解できない者、しない者を是が非でも排除しようとするから、テロが起こりやすくなった。外圧の危機に瀕した日本は、たちまちテロ国家と化す。宗教で戦いを始めると歯止めが利かなくなるケースは、古今東西枚挙に暇がないが、「明治維新」もまたそうした側面を持っていたのである。〕
 
●戊午の密勅(p24)
 安政5年(1858年)、大老職に任ぜられた井伊直弼は、6月19日に勅許がないまま日米修好通商条約に調印した。
 孝明天皇は、8月、勅許なしの条約調印を非難し、幕政改革を求める勅書を水戸藩と幕府に下す。「戊午の密勅」である。一大名に直接勅が下るのは、前代未聞。
 面目をつぶされた井伊は、水戸藩に圧力をかけ、勅の効力を封じ込めた。さらに、密勅降下の関係者に対して、「安政の大獄」を断行する。
 
●乙巳の変(p24)
 吉田松陰は、9月9日、門下生の松浦亀太郎(松洞)に、手紙で紀州藩付家老水野忠央(ただなか)の暗殺を指示した。その手紙の中で、「一人の奸猾さへ仆(たお)し候へば天下の事は定まり申すべく候」と述べ、乙巳の変で「入鹿を誅した事実を覚えて居る人は一人もなきか」と嘆く。
 吉田松陰が、暗殺は日本の古来からある、ということを示唆している。
 
●塙次郎暗殺(p51)
 文久2年(1862年)12月21日夜、国学者の塙次郎(忠宝〈ただとみ〉)が自宅前で暗殺された。塙保己一の息子。幕府の和学講談所の御用を務めていた。
 「坂下門外の変」でターゲットとなった老中安藤信正より、廃帝調査をの依頼を受けたと誤解され、尊攘派から狙われた。
 下手人は、伊藤俊輔(博文)と山尾庸造(庸三)との説がある。伊藤博文も、後年、曖昧に否定している。
 
●航海遠略策(p56)
 長州藩士長井雅楽が「航海遠略策」を提唱。これを藩是として、長州藩も中央政局に乗り出し、公武間を周旋し、一時は朝廷・幕府双方から支持を得た。
 しかし、長井の説は幕府の行った開国を既成事実として認めたうえで、天皇の意を世界に広めようとの趣旨だったので、藩内外の攘夷家の激しい反発を招く。
 
(2021/1/31)KG
 
〈この本の詳細〉


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