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新宗教を問う 近代日本人と救いの信仰
 [哲学・心理・宗教]

新宗教を問う: 近代日本人と救いの信仰 (ちくま新書)  
島薗進/著
出版社名:筑摩書房(ちくま新書 1527)
出版年月:2020年11月
ISBNコード:978-4-480-07351-8
税込価格:1,034円
頁数・縦:317p・18cm
 
 幕末維新期から現在まで、隆盛する「新宗教」について論じる。
 
【目次】
序章 新宗教とは何か
第1章 新宗教としての創価学会
第2章 創価学会―弾圧と戦後の変容
第3章 法華系宗教―霊友会系の新宗教教団
第4章 大本の誕生と背景
第5章 二度の大本事件
第6章 新宗教発展の社会背景
第7章 新宗教の思想と信仰
第8章 江戸時代に形づくられた発生基盤
第9章 明治維新期の新宗教の展開
第10章 救済宗教としての新宗教
第11章 現代日本人の宗教意識の変容
第12章 新宗教の後退とオウム真理教
第13章 新宗教と新宗教以後のスピリチュアリティ
終章 「救い」にかわるものを求めて
 
【著者】
島薗 進 (シマゾノ ススム)
 1948年生まれ。宗教学者。東京大学大学院人文社会系研究科名誉教授。上智大学神学部特任教授、グリーフケア研究所所長。専門は日本宗教史。日本宗教学会元会長。
 
【抜書】
●神々のラッシュアワー(p9)
 1945年から60年代にかけて、「神々のラッシュアワー」と呼ばれるような、数多くの新宗教教団の発展がみられた。大教団になったものの多くは、1930年代にすでに基盤が作られたものが多い。
 1920年代から60年代までが新宗教の最盛期。
 
●創価学会(p15)
 1930年、牧口常三郎(1871-1944)が『創価教育学体系』第1巻を発行。最終巻の第4巻は1934年に刊行。弟子の戸田城聖(1900-58)が大きな役割を果たした。発行所として「創価教育学会」という名を付けた。
 「社会的な特権から疎外された人間でも努力をして主体的に生き方を深めれば良い人生が送れる」ということを教えるのが、学校教育の目標。算数、国語、理科、社会を統合し、そのような学び方を身につける科目として、「郷土科」を位置付けようとした。当時、ドイツなどで始められていた新しい科目。
 本書の考え方を学びながら、教育実践を改善していこうとする教員たちが集い、牧口を囲み、座談会が行われるようになる。
 牧口が50代の頃、日蓮正宗に入信。同時期に戸田も入信。協力して『創価教育学体系』を出版する。
 
●人間革命(p27)
 創価学会において、「南無妙法蓮華経」と唱え、本尊に「唱題」することで生命力を充実させ、利他の実践を通して最高の状態に近づいていくこと。
 本尊とは、日蓮宗の富士門流(明治時代になると日蓮正宗と改称)の板曼荼羅。日蓮の没後に身延山の池の中から見つかったとされる、板に書かれた曼荼羅本尊(「大御本尊」と呼ばれる)。日蓮正宗では、その板曼荼羅こそが日蓮が後世に残した唯一の本尊であり、その曼荼羅を安置する大石寺こそが、日蓮が説いた仏法の本流であると主張。(p23)
 
●霊友会(p60)
 久保角太郎(1892-1944。九十九里の漁師の四男)と小谷喜美(こたにきみ、1901-71。角太郎の義姉)が創設。法華経系の教団。西田無学の「在家による先祖供養」を重視。
 霊友会から派生した教団……孝道教団、立正佼成会、妙智會教団、霊法会、思親会、佛所護念会、妙道會、大慧会、正義会、など。多くが男女のリーダーがペアを組んでいる。男性の指導者と、女性の霊能者。
 
●新日本宗教団体連合会(p73)
 1951年、立正佼成会は、さまざまな新宗教の指導者たちと協力して、新日本宗教団体連合会(新宗連)を設立した。庭野日敬(1906-99)は、PL教団の御木徳近とともに、リーダー的役割を担う。
 立正佼成会は、1938年に霊友会から独立した教団。庭野が開祖。霊能を持った女性の長沼妙佼(みょうこう、1889-1957)が脇祖と呼ばれる。
 
●読売菩薩(p78)
 1956年、読売新聞が立正佼成会を攻撃するキャンペーンを開始。同会が杉並区和田本町の教団用地の買収と宅地転用にあたって不正を行ったと主張。これまでの研究では、根拠の薄い攻撃だったと捉えられている。
 教団は、告訴などの対抗手段を取らなかった。その批判をむしろ自分たちが反省するための良き助言であるというように捉えて、攻撃者を「読売菩薩」と呼び、感謝の気持ちを持つようにメンバーに働きかけた。
 立正佼成会は、他者に対して攻撃的ではなく、融和的な態度を求めるという特徴が顕著。
 
●社会参加仏教(p82)
 人類共通の普遍的な社会問題に積極的に取り組む仏教の姿勢を、20世紀の末頃から「社会参加仏教」(Engaged Buddhism)と捉える見方が国際的に広がっている。菩薩行・利他行を強調する法華経に縁が深い新宗教教団のなかに社会参加仏教の傾向が目立つ。立正佼成会や孝道教団、妙智會教団、など。
 
●大本(p91)
 大本は、1892年、出口なお(1837-1918)が神がかったことにより始まる。のちに出口王仁三郎(1871-1948)によって書き直された神がかりの言葉は、「初発の神諭(しょっぱつのしんゆ)」と呼ばれるようになる。「三千世界一度に開く梅の花、艮(うしとら)の金神(こんじん)の世に成りたるぞよ。……」
 発祥の地は、京都北部の綾部。
 〔金光教による「誤解され隠されていたよき神が現れる」という「艮の金神」のメッセージ、天理教による「これまでは道にはずれた人たちが支配していた世界だったが、これからは正しい世の中に変わっていくのだ」というメッセージの両方を引き継ぎながら、なおの独自の世直しの予言が発せられていったのだ。〕
 鎮魂帰神の行……男女を問わず信徒に神がかりを体験させ、霊界の実在を強く信じさせる。
 世直し……〔大本は日本の新宗教の中でも世直し的な要素をもっとも濃厚にはらんだ団体として位置づけることができる。〕(p115)
 
●生長の家(p120)
 大本から派生した宗教団体。
 谷口雅春(1893-1985)が、米国で広まっていたニューソートの思想に惹かれて影響を受け、「神想観」という実践を編み出す。
 1930年、『生長の家』を創刊。教団の設立年。
 日本教文社という出版社を運営するようになる。
 強度の天皇崇敬を鼓吹するようになる。
 1964年、生長の家政治連合を結成し、全国の大学に学生組織を作る。
 生長の家の青年組織に所属した者たちが、日本会議(1997年設立)や、日本を守る会(1974年設立)という組織を支えた。
 谷口雅春が没すると、90年代以降、孫の雅宣(まさのぶ)が方向転換し、右派政治色を脱し、天皇信仰の側面も弱まる。生長の家政治連合も活動を停止。
 
●世界救世教(p125)
 岡田茂吉(もきち、1882-1955)のもと、大本の第一弾圧(1921年)以後に大本から分かれ、熱海と箱根を本拠に独自の信仰集団を形成。
 手かざしによる癒しの信仰。神霊が宿る御守り(「お光さま」)を首にかけ、他者に向かって手をかざして「浄霊」を行う。それによって、他者の体内の罪穢れや薬毒を清め、神霊の生命力が付与される。
 美の重視、芸術活動の重視。熱海のMOA美術館。
 1950年代以降、崇教真光(すうきょうまひかり)・世界真光文明教団、神慈秀明会、救世神教、大日本光明協会、世界浄霊会、天聖真美会、救世主教、など多くの教団に分派した。
 
●PL教団(p133)
 御木徳近(1900-83)……1937年に弾圧を受けた「ひとのみち教団」の創始者御木徳一の息子。PL(パーフェクト・リバティー)教団を形成し、1954年から大阪府羽曳野市に本部を置く。
 「PL処世訓」二十一ヶ条を掲げる。第一ヶ条には、「人生は芸術である」とある。本部施設には、ゴルフ場や遊園地や病院とともに大平和祈念塔を持つ。毎夏、大きな花火大会が行われた。
 
●伝統仏教との共存(p154)
 新宗教の現世中心主義は、〔多くの教団が伝統仏教と対立関係をもとうとしなかったこととも関わりがある。信者に伝統仏教との二重帰属を認め、新宗教に入信しても伝統仏教の檀家をやめるようには勧めず、信者は人が死ぬと伝統仏教にのっとって儀礼を行える。これには親族や近隣の人たちとのトラブルを避ける面もあったと思われる。死に対処する状況では、伝統仏教に任せる。つまり、ふだんの信仰生活が死に向かっていない、死を強調する方向ではなかったことも大きく影響している。この時期の新宗教は、死についての儀礼を伝統仏教に委ね、葬式仏教との分業関係にあったとも捉えられる。〕
 
●日本会議(p162)
 日本会議には、念法眞教(ねんぽうしんきょう)、佛所護念会教団、解脱会、霊友会、キリストの幕屋(まくや)など、右派の新宗教団体も多くメンバーとなっている。これらの教団は、平和主義的な考え方や共同行動に向かうことなく、国防や天皇崇敬につながるようなテーマに強い関心を示してきている。
 「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」(1981年設立)が合同して1997年に設立。日本を守る会は、右派の宗教団体が主なメンバーだった。
 
●新宗教、セクト(p170)
 新宗教の登場は、19世紀の初めくらいから。近世から近代にかけて、民衆が自律性を強め、エリート層から独立して政治的・経済的・文化的な営みを行う傾向が強まっていく。
 セクト……宗派、教派。欧米では、近世・近代の民衆的な信仰集団はほぼキリスト教の枠内にとどまった。
 新宗教……日本の場合、既存の仏教や神道、儒教やキリスト教の枠組みにはまらないものが多かった。
 
●教派神道(p171)
 19世紀の初めから明治維新期の初めに登場してきた新宗教団体群。
 独立した宗教教団……天理教、金光教、黒住教。
 独立した教派にはならなかったが、宗教団体として自律性を持っていた教団……丸山教(神道色が濃い)、如来教(仏教色が濃い)。
 
●修験道(p177)
 山岳信仰の修験道は、役小角(伝634-701)を開祖とする。神仏習合の代表的な信仰集団。
 江戸時代になると修験者(山伏)の中には半分農民という人もかなりて(里山伏)、結婚もできるので、俗人と僧侶の間くらいの人が宗教活動を行った。
 本山派……天台宗に属する。聖護院が総本山。
 当山派……真言宗に属する。醍醐寺三宝院が総本山。
 
●食行身禄(p178)
 食行身禄(じきぎょうみろく、1671-1733)、伊勢の商人で、本名は伊藤伊兵衛。江戸に出てきて油売りなどをしていた。
 富士講を熱心に行うようになり、インスピレーションを受けて独自の教えを説くようになった。
 富士山で入定。世を救う行為だと信じ、烏帽子岩(現在の八合目)で瞑想をし、言葉を唱えながら死んでいった。世直しを祈願してなされる犠牲死の行。
 
●金光教(p190)
 教祖は赤沢文治(1814-83)。岡山県大谷村出身。のちに金光大神(こんこうだいじん)という神名で呼ばれるようになる。
 1859年、46歳の時に神の「お知らせ」を受け、農業をやめて神前での取次に専念するようになる。
 取次……「広前(ひろまえ)」と呼ばれる屋内の神前の空間の「結界」右手に教祖が坐し、左の耳の側から信徒の悩みや願いを聞き、それを目の前の机で書き写し、右の耳の側に祀られている神の応答と答えを聞いて信徒に「ご理解」を伝えるというやりとり。この「結界取次」が金光教の救いの信仰の活動の核となる。
 弟子たちにも、「出社(でやしろ)」を開いて結界取次を行うことを認めるようになる。
 55歳の時、自らの神名を「生神(いきがみ)金光大神」とするようになる。
 
●天理教(p194)
 教祖は中山みき(1798-1887)。大和盆地の大庄屋、前川家という農家に生まれた。
 ひとり息子が足の病にかかり、修験道に関わるようになる。内山永久寺という大寺の市兵衛という山伏に祈禱をしてもらうようになる。
 1838年(天保9年)、代役で加持台(かじだい)になった時、天下った神が「我は元の神、実の神である。この世を救うために天下った」と言った。山伏の統御できる信仰領域から外れてしまった中山みきは、長期にわたる苦難の生活と神との対話の時期を経て、「天の将軍、普通の神とは違う偉大な神であり、人々を救う」と語り始める。
 やがて中山みきは、「みかぐらうた(御神楽歌)」という、踊りの付いた祈りの歌を作る。これが天理教のもっとも重要な儀式である「おつとめ」になった。すべての信徒が朝晩に行ったり、記念日の祭典に行ったりする祈り。八つある心のほこり(惜しい、欲しい、憎い、かわいい、恨み、腹立ち、欲、高慢)をはらう。
 加持台……「憑(よ)り祈禱(ぎとう)」(寄加持《よせかじ》)では、男の修験者が女性の修験者に神を降ろす。その降ろされる側のことを加持台という。
 おふでさき……中山みき自身が、神の言葉をすべてひらがなで書いたもの。天理教の主要な経典。「元始(もとはじ)まり」という、『古事記』に似た人間創造の神話もある。人類の始まりの場所は、中山家のあった場所。「ぢば」と呼ばれる。
 
●現世救済(p219)
〔 現世否定的ということと対応するものに独身聖職者の存在がある。仏教やカトリック教会の聖職者は職業生活をせず、家族をもたない。この世の快楽や生命増殖に関わらない。経済活動や性行為に関わらず、生命を保ち次代へ継承することに携わらない。生涯独身を貫くことが規範とされる。だが、イスラームはその制度がなく、ヒンドゥーもそうだ。ユダヤ教も日本の浄土真宗でも独身制は求められていない。だが、キリスト教や仏教のような救済宗教における独身を保つ聖職者の存在は、現世否定的な価値観に通じている。永遠のものがこの世を超えた所にあるという考え方に対応している。
 ここに日本の新宗教の発生が関わってくる。日本の新宗教は救済を解く。けれどもその救済はこの世で実現する。この世こそが真の実在であり、その中でこそ救いが実現する。現世救済こそが目標なのだ。それはまた、現世に対して否定的な姿勢をとらない、あるいは否定が弱いということでもある。そのような救済宗教は世界宗教史の中にないわけではないが、この側面がとても明確に発展したのは日本の新宗教の際立った特徴といえる。〕
 
●新新宗教(p232)
 1970年以降の「新新宗教」は、新宗教の時代区分では第4期になる。真如苑、幸福の科学、オウム真理教、など。現世肯定的ではない教団が増えてくる。現代まで続いている。
 第1期……天理教、金光教、本門佛立講、など
 第2期……大本、など
 第3期……霊友会、生長の家、創価学会、立正佼成会、など
 
●真如苑(p236)
 山梨県出身の伊藤真乗(しんじょう。開祖。1906-89)と友司(ともじ。摂受心院。1912-67)の夫婦(またいとこでもある)によって創始された。
 1936年、真乗が勤務先の石川島飛行機製作所を退職し、不動明王を祀る立川の立照閣で宗教活動を始めた。成田山新勝寺に属する立川立照講として届け出。友司の霊能が原動力となった。真乗は、修験道の本拠である真言宗醍醐寺の三宝院で得度。
 1938年、真言宗醍醐派「立川不動尊教会」とし、翌年には、真澄寺に移る。
 戦後は、真言宗から離脱し、「まこと教団」として活動を進める。
 1951年、教団名を「真如苑」に。
 
●統一教会(p240)
 世界キリスト教統一神霊協会の略称。
 現在では、世界平和統一家庭連合と称している。韓国では1994年より、日本では2015年に改称。
 
●阿含宗(p256)
 1954年、桐山靖雄(せいゆう、1921-2016)によって横浜市で創設。
 当初は、現世利益の追求や心なおしが大きな位置を占めていた。
 1970年ごろからは、『変身の原理――密教の神秘』(1971年)、『密教・超能力の秘密』(1972年)において、瞑想による密教的=ヨーガ的な修行を行うことによって、記憶力をはじめとする知的能力を拡大し、超能力を得て自らを普通人より進化した超人的存在に変身させることができると説くようになる。脳生理学への言及が大きな部分を占める。
 平河出版社にて、精神世界と東洋思想の領域で出版活動を行っている。(p276)
 
●幸福の科学(p266)
 東大法学部を卒業し、商社に勤めていた大川隆法が1986年に創始した教団。1987年に、『太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』を刊行、基本的な信仰が語られている。
 霊界と霊的存在の実在性を強く主張。霊界は何次元にも分かれており、四次元の霊界までは普通の人が帰っていく世界。五次元が善人界、六次元が光明界、七次元が菩薩界、八次元が如来界。九次元が宇宙界で、ゴータマ・シッダールタ(釈迦)、イエス・キリスト、モーゼ、ゼウス、マヌ、ニュートン、ゾロアスター、孔子、エンリル、マイトレーヤの十の存在がいる。
 釈迦の本体意識が「エル・カンターレ」で「最高大霊」とされる。この意識はさまざまに転生してきており、いま、大川隆法として地球―日本に下生(げしょう)している。
 
(2021/2/17)KG
 
〈この本の詳細〉

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